日本犯罪史に残る「3億円事件」は時効が過ぎた現在も真相が謎に包まれており、書籍も話題です。
今回は「3億円事件」について、犯人と目された少年S、モンタージュ写真の裏話、真犯人と名乗る人物の告白本など真相をまとめました。
この記事の目次
「3億円事件」とは~1975年に時効が成立した昭和最大の未解決事件
「3億円事件」とは、東京都府中市の路上で、偽の白バイ警官を装った犯人が約3億円もの現金を積んだ現金輸送車を言葉巧みに奪い、逃走した窃盗事件です。
「3億円事件」が発生当初は、その遺留品の多さから楽勝ムードだった警視庁ですが、その後の犯人の足取りが全く掴めずに迷宮入りとなり、1975年12月10日に公訴時効が成立しました。
結局、捜査本部は時効成立までに、容疑者リストに載った約11万人と、約2万5千件に上る情報提供に対して、延べ約17万人の捜査員と約10億円もの捜査費用を費やしたと言われています。
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また、「3億円事件」は日本犯罪史上最も多額のお金を強奪された事件でもあり、事件発生から50年以上経った今なお、昭和最大の未解決事件として語り継がれています。
「3億円事件」が“憎しみのない強盗”とも呼ばれている理由
その一方で、「3億円事件」は決して凶悪な事件というわけではなく、実は、1人の死傷者も出さずに、現在の価値にして数十億円にも上るお金を華麗な手口で強奪した劇場型犯罪でした。
しかも、そのまま時効を迎えたことで完全犯罪となりました。
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さらに、3億円ものお金を奪われた銀行の損失は、結局、海外の損害保険会社が負担したようです。
そのため、発生当初は“国内では誰も損をしなかった事件”、あるいは、実被害額の「2億9,430万7,500円」である“2943”の語呂にもじって“憎しみのない強盗”とも呼ばれています。
そして、現在の価値にして30億円に及ぶともされる被害額の大きさや、その大胆不敵な犯行手口は社会に強烈なインパクトを与え、その後様々な小説や映画、漫画の題材にもなっています。
「偽白バイ、逃走用と何台もの車両を使い分けた手口は当時の日本では例がなく、強烈な印象を残した。銃器も刃物も使わず、車を駆使して巨額の現金を奪ったうえに、被害額が保険で賄われて損した人が国内ではいなかったことから、犯人をヒーロー視するような雰囲気さえあった」
引用:3億円事件半世紀…「警官の息子犯人説」の舞台裏 : 深読み : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/
しかし、捜査費用として被害額の3倍、9億円もの税金が投入されたとも…
しかし、そんな浮かれたことばかり言っていられない現実も存在するんですよね。
警視庁がその威信を賭けて捜査活動を展開した「3億円事件」には、事件で奪われた3億円の3倍もの9億円もの税金が投入されたため、まず第一に血税を浪費したという側面があります。
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さらに、警視庁の捜査や情報提供により割り出した容疑者リストは11万人にも上りました。
そんな容疑者の中には、マスコミの誤報などで報道被害を受けた人が精神的苦痛により自殺に追い込まれたケースもあったと言います。
また、日々繰り返される先の見えない捜査による過労で、2名の警察官が殉職するなど、事件に“憎しみがない”はずなどありません。
次に、この一見大胆ながら迷宮入りとなり、時効が成立してしまった完全犯罪「3億円事件」について、その概要と詳しい経緯を時系列に沿ってまとめてみました。
「3億円事件」の概要と経緯まとめ
① 【1968年12月6日】 日本信託銀行国分寺支店に脅迫状が届く
「3億円事件」と言えば、例のモンタージュ写真でお馴染みの偽白バイ警官が、いきなり現金輸送車を襲撃したイメージを持つ方が多いかと思いますが、実は重要な前振りがありました。
それは、事件発生の4日前の1968年12月6日のこと。現在の三菱UFJ信託銀行である日本信託銀行の国分寺支店長あてに、一通の脅迫状が送られてきたことから始まりました。
脅迫状に記されていた内容はおおむね次の通り。
「翌日の午後5時までに指定場所に女性社員を使って300万円を持って来い」
「この指示を破れば支店長の自宅を爆破する」
当然、脅迫状に指定された場所には、現場周辺に警察官を50人ほど投入して張り込みをさせましたが、犯人が現れることはありませんでした。
しかし、この時の脅迫がその4日後に起こる現金輸送車襲撃の伏線となることは、この時は誰も予想だにしていませんでした…。
② 【12月10日】 白バイ隊員に扮した犯人が3億円を積んだ現金輸送車を奪う
1968年12月10日午前9時30分頃、東京芝浦電気(現在の「東芝」)府中工場の従業員に支払う予定のボーナス、約3億円を乗せた現金輸送車が、日本信託銀行国分寺支店から出発しました。
現在は給与の支給はオンライン上で完結しますが、当時は手渡しが普通でした。
そのため、3億円もの莫大な現金は、ジュラルミンのトランクケース3個に分けて入れられ、現金輸送車(セドリック)に積まれていました。
そして、現金輸送車が府中刑務所裏にある学園通りを走行していた時のこと!
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突然、白バイ隊員を装った犯人が、現金輸送車の前に回り込み停車させると、運転手に次のように言いました。
「あなたの銀行の巣鴨支店長宅が爆破された。この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡を受けたため調べさせてくれ」
と言うや、すかさず現金輸送車の車体の下に潜り込んで調べ始めました。
現金輸送車を運転していた銀行員たちは、4日前に国分寺支店長宛てに届いた爆破予告の脅迫状を知っていたため、この偽白バイ隊員に扮した犯人の言動を簡単に信じてしまったようです。
一方の犯人は、現金輸送車の車体下を調べるふりをしながら、ダイナマイトに見せかけた発炎筒を車体下に磁石で取り付けると同時に点火!
「ダイナマイトだ!爆発するぞ!早く逃げろ!」
次の瞬間、車体下からみるみる白煙が上がったことで、現金輸送車に乗っていた日本信託銀行の行員4人は、パニック状態で車から飛び降ります。
それと入れ替わるようにハンドルを握った犯人は、3億円が入ったジュラルミンケース3個を乗せた現金輸送車を全速で発進させました。
その犯行時間は、わずか3分足らずだったと言われています。
残された銀行員らは当初、勇敢な白バイ隊員がダイナマイトの爆発による被害を最小限にしようと、命懸けで現金輸送車をより安全な場所に移動させたと勘違いしたそうです。
が、しかし、そう思ったのは一瞬であり、残された白バイが陳腐な偽物だと分かると、ようやく事の重大さに気がついたと言います。
犯行から約20分後には、警視庁は東京全域で検問など緊急配備を敷きましたが、警察は犯人が逃走車両に乗り換えると想定していなかったため、初動の捜査で犯人を逃してしまうことに…。
③現金輸送車(セドリック)から濃紺色のカローラに乗り換える
現金輸送車をまんまと奪った犯人は、国分寺市西元町の本多家墓地の入口、武蔵国分寺跡のクヌギ林の中を通る一本道で、現金輸送車を乗り捨てて濃紺色のカローラに乗り換えています。
もちろん犯人は、ジェラルミンケースも載せ替えて逃走を続けました。
これは後に判明することですが、ここで乗り換えた逃走車は盗難車のトヨタカローラでした。
④小金井市の団地駐車場で灰色のライトバンに乗り換える
目撃情報をかく乱させる目的なのか、犯人はさらに北東に約5キロ離れた東京都小金井市本町の団地駐車場に到着すると、乗り換えたばかりのカローラを乗り捨てています。
そて、あらかじめ盗んで配置しておいた灰色のライトバンに乗り換えて逃走を続けました。
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しかし、杉並区内の検問所にひっかかってしまった犯人は、強引に突破しています。
検問所の担当者は、車内に灰色のトランクケースを大量に積んでいたと証言しましたが、これが警察が犯人を見た最後の現場となりました…。
一方で、小金井市本町の団地駐車場に乗り捨てられたカローラは、「3億円事件」発生の4ヶ月後に発見されています。
車体が盗まれたシートカバーで覆われていたため、発見が遅れたと言われています。
また、このカローラの中には銀行が現金を入れていたジュラルミンケースも残されていたことから、当初はこの駐車場で犯人が現金を移し替えたと考えられていました。
しかし、いくらなんでも人目につきやすい団地の駐車場で、多額の現金を積み替えるというリスクを犯すとは考え難いことから、別の現場で移し替えたという説も浮上しました。
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ところが、その後の捜査により、この団地内の駐車場で犯行には使用されなかった盗難車が複数台発見されました。
これは、犯人が事前に団地の住民が他人に対してどの程度関心を向けているかを調べるために用意したものでした。
そして、住民の関心が薄いと判断した上で、今回の犯行に及んだ可能性があるという、用意周到な犯人像が浮上することになります。
「3億円事件」の真相&犯人① 遺留物から推測された犯人像
「3億円事件」の犯人が複数犯とされた根拠
「3億円事件」の犯人は、実際に犯行に使った濃紺のカローラと灰色のライトバン以外にも、次の3台の車を盗んでいたと見られています。
・スカイライン2000GT
・スカイライン1500
・ブルーバード
これら3台の発見が遅れたのは、盗まれたシートカバーで覆われていたからですが、実はこのカバーの結び方が2台で異なっていることが判明したことから、複数犯の可能性が浮上しました。
1971年(昭和46年)、工学者の額田巌は、警察の依頼で遺留品の鑑定を行い、2台のカバーシーツの紐結びを比較した。その結び方が異なるため、ブルーバードを盗んだのも三億円事件の犯人だとすれば、この事件は複数犯であると結論している。
引用:三億円事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
また、「3億円事件」の犯人が盗んだと見られている“スカイライン1500”の中からは、女性もののイヤリングが発見されています。
このイヤリングについては、盗難車の元の持ち主に見覚えが無かったことから、「3億円事件」の犯人グループの中に女性が含まれている可能性が高くなりました。
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さらに、同じく盗難車である“スカイライン2000GT”の車内からは、犯人のギャンブル嗜好が見て取れる物証が多数押収されています。
盗難車プリンススカイライン2000GTの中に競馬専門誌2部とスポーツ紙、府中の東京競馬場近くの喫茶店のマッチ、平和島競艇のチラシが残されていた。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。そのため、犯人像としてギャンブル愛好家説が浮上した。
引用:三億円事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
「3億円事件」の真相&犯人② 犯人として浮上した少年S
3億円事件の真相① 今なお根強い警察幹部の息子犯人説
「3億円事件」の発生直後である1975年12月15日には、当時存在した暴走族・立川グループのリーダーだった少年S(当時19歳)が重要な容疑者として浮上していたようです。
実際、警察は逮捕状を取ってこの少年自宅に向かっています。
この少年Sは、車の窃盗を繰り返しており、オートバイの運転も上手く、さらに白バイに詳しかったこともあり、捜査本部は事件発生当初から、この少年に注目していたと言います。
出典:https://girlschannel.net/
ところが、この少年Sの父親は、事件当時、警察機動隊所属の幹部だったこともあり、少年Sへの聴取はなかなか進まなかったと言います。
そして、それから5日後のこと。「3億円事件」の真犯人と目された少年Sが青酸カリによってまさかの服毒自殺を遂げてしまうんですよね。
少年Sの父親は、自身の出世が絶望的になった上、警察全体の信用を失墜させる大事件を起こした息子を許せず、自殺を促すように息子に青酸カリを渡したのでは?と噂されました。
しかし、少年Sが青酸カリを飲むために使用した新聞紙には、なぜか父親の指紋しか検出されておらす、渡したというよりも父親が無理矢理飲ませて殺害した可能性が高そうです。
ただ…それすらも警察は闇に葬ってしまったと言われています。
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少年Sの父親の事情聴取によると、少年Sは当時の暴走族・立川グループのリーダーであり、息子が犯した数々の非行により、既に父親は警察内での出世コースから外されていたと言います。
そのため、少年Sの家庭は完全に崩壊していたようで、父親の証言によれば妻が少年Sと無理心中をしようと青酸カリを飲ませた、という口ぶりだったそうです。
しかし、服用に使った新聞紙からは父親以外の指紋が見つかっていないことから、この供述は虚偽の可能性が高そうです。
ただ、事件発生4日前に支店長宅に届いた脅迫状の切手から割り出された血液型や脅迫状の筆跡が、少年Sとは一致しなかったことから、結局は「シロ」と断定されているようです。
しかし、この“少年S犯人説”をモデルにした小説が出版されたり、ドラマがたびたび放映されたりして、その後、一人歩きするように「警官の息子犯人説」は世の中に広まっていきました。
その理由については、次のような鋭い分析がなされています。
作家らが『少年を犯人』と推理し、それに関する書籍やドラマが発表されて支持を得たのは、現職警官の息子で、事件後すぐに亡くなっているなどの要素があり、『劇場型犯罪』に似合った『ドラマ性のある犯人像』だったことを強調した結果だと思っている。あやしいとされた人は何人もいたが、事件発生から時間がたつにつれ、『世間のウケを狙った』この説だけがもてはやされたのではないか」
引用:3億円事件半世紀…「警官の息子犯人説」の舞台裏 : 深読み : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/
「3億円事件」の真相&犯人③ あの有名な犯人のモンタージュ写真の裏話
「3億円事件」と言えば、あの有名な犯人のモンタージュ写真が事件の代名詞的存在となっています。
「3億円事件」発生から11日目、警察は市民に犯人逮捕の協力を呼びかけるため、この有名なモンタージュ写真が公開されました。
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このモンタージュ写真は、直接犯人の顔を見ている現金輸送車に乗っていた銀行員4人の証言を元にして作成されました。
もっとも、一般に“モンタージュ写真”というものは、目撃者の証言に基づいて、頭部をいくつかのパーツに分けて顔を組み立てていき、犯人の顔写真を作り上げる技術のことを言います。
ところがです!
この「3億円事件」のモンタージュ写真と呼ばれているものは、厳密にはモンタージュ写真ではなく、実は、実在した人物の顔写真だったんですよね。
ただ、「犯人に似ている」という情報だけで、事件とは全く関係のない既に死亡している大工だった青年の写真を使って作成されたのです。
ちなみに、「3億円事件」モンタージュ写真の元になった青年の写真がこちら。
もちろん、亡くなった青年の遺族からは批判の声が上がりましたが、警察はただただ「犯人逮捕にご協力ください」と返してくるだけだったそうです。
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かくして、全国に貼り出されたこの有名なモンタージュ写真によって、“「3億円事件」の犯人はこの写真の男”という固定観念が全ての日本人の頭に焼き付けられることになります。
マスコミも大々的にこの写真を報道し、一般市民へ強烈なインパクトを与えただけでなく、「3億円事件」を捜査する現場の警察官たちも、この写真の男が犯人だと認識して捜査していたわけです。
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2つの写真を合わせてみると…
このモンタージュ写真が実は偽物だという事実は、「3億円事件」が発生してから12年後の1980年、文芸春秋の8月号のスクープとして大々的に掲載されることで明らかになりました。
つまり、現場の捜査員は、既にこの世に存在していない人間を、それこそ靴底をすり減らして探し回っていたというわけです。
なんとも笑えない話ですが、ある意味、このモンタージュ写真が、「3億円事件」を迷宮入りさせる最大の要因になったと言って良いのかもしれません。
「3億円事件」の真相&犯人④ 自称“真犯人”の告白文がネットで話題に
日本犯罪史に残る未解決事件である「3億円事件」ですが、発生からちょうど50年の節目が目前に迫った2018年8月、突然“真犯人”を名乗る人物が登場し、当時は大変な話題になりました。
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「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」
この衝撃的なタイトルがつけられた告白文は、小説投稿サイト「小説家になろう」にて、2018年8月8日から公開が始まりました。全72回、8万字に及ぶ手記は、9月23日に完結しています。
インターネット上では、“白田”と名乗るその筆者が、本当に“「3億円事件」の真犯人”なのか、議論が巻き起こりました。
自称“真犯人”の手記の内容とは?
この手記の著者である“白田”は、実際に事件の有力容疑者だった「少年S」(作中では「省吾」)の友人で、「3億円事件」の強奪計画は、この“白田”と省吾の2人で立てたと言います。
しかし、実際に計画を決行したのは“白田”と省吾ではなく、“白田”と省吾の恋人だった京子でした。
確かに、犯行に使われなかったものの、犯人が盗んだと見られる“スカイライン1500”の中からはイヤリングが発見されるなど、当初から女性の関与は指摘されおり、その点では合致します。
さて、上手く逃げおおせた“白田”と京子は、その後結婚するのですが、今回、告白を決意した理由は、共犯者である京子の事故死だったと説明しています。
出典:http://tenmei.cocolog-nifty.com/
この手記の主なあらすじは次の通りです。
学生運動に挫折した白田は、その過程で思いついた「現金輸送車を襲う」というアイデアを親友の「省吾」に持ちかける。2人は協力して計画を練るが、省吾の恋人「京子」をめぐる三角関係もあって、白田は省吾への不信を募らせるように。最終的に、彼を出し抜いて京子と2人で計画を決行、ジュラルミンケースに省吾の父の警察手帳を残して逃亡する――というのが、語られる「真相」のあらましだ。こうした経緯や、その間の筆者の心情が、もう一人の女性「三神」との恋愛なども交えながら語られる。
引用:「私が三億円事件の実行者です」 自称犯人の告白が「小説家になろう」に…信憑性は? https://www.j-cast.com/
なろうに投稿されてる三億円事件の実行犯の独白が
— 令和千尋@幕張メッセ 4月14日(土)の思い出を一生忘れない (@666Darkbible) 2018年9月24日
発煙筒の着火法やジュラルミンケースの中の遺留物に関してもしっかり押さえてたから
マジなのかなー
などなど、「もしかして本当に真犯人?」とネット中が騒然とする一方で、次のような否定的な意見も少なくありません。
確かに、その文体はいかにも小説調で、また当時の写真のような「物証」もなし。ネット上には描写のつじつまの合わなさを指摘する声もあり、その意味ではどうしても眉唾感は否めない。一方で「昼から夢中で読んでしまった」「本当かどうかは分からんけど面白い」など、真偽はともかく「読み物」としては興味深い、という声も少なくない。
引用:「私が三億円事件の実行者です」 自称犯人の告白が「小説家になろう」に…信憑性は? https://www.j-cast.com/
否定派の多くは、“細部の記述が少ない”、“犯人だと言うならもっとディテールを書いて欲しかった”という意見が多かったようです。
また、この手記の中に含まれているより決定的な事実との矛盾点を鋭く突く指摘もありました。
前出の近藤氏は、Sの恋人だった女性に接触した経験がある。小説で言えば、まさに実行犯だった京子だ。
「作品中では大学生となってますが、当時は高校生で、ちょっとした不良少女でした。それにSは『省吾』となっていますが、実際にはSは苗字のイニシャルなんですよ。そういった点を考えると、信憑性に欠ける」
引用:三億円事件告白小説“真犯人”からのメールと専門家真贋分析|NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/
その上で、この手記の著者である“白田”について、元出版社勤務のネット媒体編集者という人物が、説得力あるプロファイリングを披露していたので、引用してみましょう。
「三億円事件の犯人と名乗っている人がいるようですが、私は偽者と断定します。プロファイリングをすると、この人物の年齢は40~60代の男性で、出版業界にかかわっていた人物だと思います。しかしインターネットでの執筆経験は乏しく、小説家として紙媒体で活躍できなかった人物だと考えます。その理由も明確に言えます。昭和時代の紙媒体によくある執筆表記をしており、ネット世代の書き方ではなく古臭さを感じます。それでいて小説としても面白さに欠け、話を引き延ばしすぎです」
中略
よって、三億円事件の犯人と名乗る人物は「出版業界で成功しなかったオッサン小説家(ライター)が書いたフィクション小説」の可能性が極めて高いという。どうせ嘘なのであれば、もう少しワクワクさせるものにしてほしいのだが、とにかくもっと面白い嘘(真実!?)が書けるように精進してほしい。
引用:【炎上】三億円事件の犯人と名乗る男 / 偽者と断定「出版関係者で小説家としては平凡」 | バズプラスニュース http://buzz-plus.com/
一時は、「あまりにも詳しすぎる」「犯人しか分かり得ない情報が書かれている」などと、彼こそは「3億円事件」の真犯人なのでは!なんてネット界隈を騒然とさせた“白田”と名乗る人物。
しかし、現在では、すっかり眉唾視されているようです。
「3億円事件」の真相&犯人⑤ 真犯人は警察官の30代男性説
『3億円事件』の著者・一橋文哉さんによれば、「3億円事件」の真犯人は、少年Sや“白田”ではなく、“3人組のグループ”で、主犯は埼玉県川越市に住んでいた30代の元警察官の男だそう。
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この男は、表向きは警察官の顔を持ちながら、周辺の不良少年や暴力団、在日米軍の不良兵士らとつるみ、裏で密輸のような仕事もしていたという人物なのだとか。
「3億円事件」の犯行動機については、この男の妹にあったと言います。
と言うのも、この男の妹はかつて銀行員だったのですが、仕事でのトラブルが原因で自殺してしまったことから、銀行に対して深い恨みを抱いていたのだとか。
そして、犯行グループの2人目の共犯者は、日米ハーフの“ジョー”と呼ばれていた20代前半の男で、少年Sがリーダーを務めていた暴走族・立川グループのメンバーでもありました。
そして、米軍基地にも顔パスで入ることのできる人物だったと言います。
「3億円事件」では、この“ジョー”が最終的に強奪した3億円もの現金を、治外法権地帯である米軍基地に運んだと言われています。
そして、犯行グループ3人目の共犯者は、“ジョー”の弟分である名古屋市出身の少年“ロク”で、事件当時は立川周辺で非行を繰り返す不良少年でした。
この少年“ロク”は車やバイクの窃盗に長け、バイクの運転技術も高かったため、偽白バイを操って現金輸送車を襲い、これを現金ごと強奪するという実行犯役を務めたと言われています。
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つまり、30代警察官が「3億円事件」の計画を練り、少年“ロク”が現金輸送車を強奪し、車の乗り換え時に“ジョー”に現金を引き渡し、“ジョー”が米軍基地に持ち込んだ…。
そんな3人の見事な連携が成立したことにより、「3億円事件」は完全犯罪となったわけです。
これが「3億円事件」の真相だと言われています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
1968年12月10日に発生し、1975年に時効が成立した、日本犯罪史に残る未解決事件「3億円事件」の真相について総まとめしてみました。
真相はどうあれ、結局、警察は少年Sに固執するあまり、偽のモンタージュ写真を公開するなど真犯人をみすみす取り逃がし、完全犯罪を許してしまった事実は、疑う余地がなさそうです。