鳥羽潤さんはドラマや映画で活躍する役者ですが、広末涼子さんの不倫相手と名前が似てることで話題です。
今回は鳥羽潤さんの身長や若い頃の経歴、家族(父親)、安達祐実さんとの共演、結婚・彼女の有無、干された噂や現在を紹介します。
この記事の目次
- 鳥羽潤のプロフィール: 役者&歌手・身長は174cm
- 鳥羽潤の家族:両親と別れて祖父母と暮らしていた幼い頃・父親はがんに
- 鳥羽潤の若い頃の経歴① オーディションを勝ち抜き芸能界デビュー
- 鳥羽潤の若い頃の経歴② デビュー映画で主演し日本アカデミー賞
- 鳥羽潤の若い頃の経歴③ 「聖龍伝説」で安達祐実とW主演
- 鳥羽潤の若い頃の経歴④ ドラマでも活躍
- 鳥羽潤の若い頃の経歴⑤ ラジオ・CMなどでも活躍
- 鳥羽潤の若い頃の経歴⑥ 1999年に歌手としてもデビュー
- 鳥羽潤の若い頃の経歴⑦ 2000年以降も映画・ドラマで活躍し続けた
- 鳥羽潤の若い頃の経歴⑧ 大河ドラマにも出演
- 鳥羽潤は結婚しておらず独身・彼女がいるかどうかも不明
- 鳥羽潤と広末涼子の関係は?名前が似てるため不倫相手と勘違いされがち
- 鳥羽潤が干された理由は?移住や演じられる役柄の幅の狭さが原因?
- 鳥羽潤の現在:ボクシングジムに勤務しつつ、役者としても活動中
- まとめ
鳥羽潤のプロフィール: 役者&歌手・身長は174cm
鳥羽潤さんは役者で、日本アカデミー賞で新人賞を受賞した経験を持ちます。
代表作は、日本アカデミー賞で新人賞を受賞した1996年公開の主演映画「ぼくは勉強ができない」や、同年に日本テレビ系列で放送されたドラマ「聖龍伝説」など。
また、1999年に歌手デビューも果たしており、近年はラウド系バンド「Razhead Modic」として活動していました。
鳥羽潤の家族:両親と別れて祖父母と暮らしていた幼い頃・父親はがんに
鳥羽潤さんは若くから役者として活躍しており、現在も芸能界で活動中ですが、30代半ば頃、一時的に表舞台から遠ざかっていた時期があります。
当時、別居していた父親ががんとなったことをきっかけに、「親との関係を見つめ直したい」との理由から、地元・和歌山県に戻っていたのだそう。
なお、幼い頃の鳥羽潤さんとお兄さんは両親と離れて暮らし、祖父母に育てられたといいます。
実は、僕が両親と暮らしていたのは、僕が2歳の頃まで。それからは兄貴と一緒に、祖父母に育ててもらったんです。両親には両親の事情があって。僕ら兄弟は祖父母にかわいがってもらったし、両親とも仲が良いので幸せな子ども時代だったんですけど、『まだ親孝行を何もしてないな』って。それで一時的に、地元へ戻っていました。
どうして両親と同居していなかったのかは不明ですが、鳥羽潤さんの芸能界入りを後押ししたのは父親でした。
オーディションへの参加を渋る鳥羽潤さんに「おまえが他人様のお金で東京へ行ける機会なんて、この先そんなにないぞ」と父親は言い、背中を押してくれたそうです。
鳥羽潤の若い頃の経歴① オーディションを勝ち抜き芸能界デビュー
出典:https://ja.wikipedia.org/
鳥羽潤さんは中学校を卒業すると、和歌山県立大成高校(現在の和歌山県立海南高等学校大成校舎)へと進学。しかし、わずか1年ほどで中退しています。
行きたくないと思いながら高校に入って、3年後、みんなと横並びで就職するんだ、と思ったら馴染めなくて。中退して大工の見習いに行ったら、親方に『まずは1年思いっきり遊びたおしてからこい』と言われ、大工見習いは中断しアルバイトばかりしていました。
もともと芸能界に興味があったわけではなかったそうですが、母親の勧めで芸能事務所「アミューズ」が1995年に開催した「才能の祭典オーディション」に参加。
応募者数33,699名もの中から映画の主役に抜擢され、芸能界入りを果たしました。
鳥羽潤の若い頃の経歴② デビュー映画で主演し日本アカデミー賞
鳥羽潤さんは、1996年に主演映画「ぼくは勉強ができない」が公開。
同作での好演が話題となり、「日本アカデミー賞」「おおさか映画祭」などで新人賞を受賞しました。
高校2年生の時田秀美は、年上の恋人・桃子とサッカーに夢中なクラスの人気者である。父親の顔を知らずに育った彼は、出版社に務める恋多き母・仁子と、孫に女性の口説きかたを伝授する愉快な祖父・隆一郎に囲まれてのびのびと過ごしてきたせいか、ちょっと普通から外れているようなところがあった。
引用:ぼくは勉強ができない
鳥羽潤さんは、インタビューで当時を以下のように振り返っています。
「少し前に改めて観る機会があったのですが、あのときのようなお芝居を今、演じてみせろ、と言われてもできないな、と思いました。初々しい下手さ、というか(笑)。習ってもできない、演じていないホンモノの下手さ。なんせ、発声や芝居のレッスンを受けたことなどなく、まったくの素人の初めてのお芝居だったので」
鳥羽潤の若い頃の経歴③ 「聖龍伝説」で安達祐実とW主演
鳥羽潤さんは、1996年に日本テレビ系列で放送された「聖龍伝説」にて安達祐実さんとW主演を務めて話題になりました。
伝説の拳法『聖龍拳』の継承者・冴木聖羅は、父から伝説の秘宝『天使の涙』の鍵である水晶を託される。聖羅が持つ水晶を狙い、聖龍拳と対をなす拳法『幻龍拳』の刺客が次々と襲いかかる。
引用:聖龍伝説
鳥羽潤さんは当時人気絶頂だった安達祐実さんとの共演について、以下のように振り返っています。
安達祐実さんを立ち回りでケガさせたら大変だ、と気を遣いました(笑)。実は安達祐実さんとは3回共演しているんです。10代の『聖龍伝説』のあと、20代でNHKのドラマ『グッド★コンビネーション』、30代で昼ドラマ『娼婦と淑女』。でも、友だちのように親しく話をしたりはしませんでした。同年代の共演者というより、“尊敬している人”なんです
また、続く1997年公開の映画「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」では、「キネマ旬報賞」で新人男優賞を受賞しました。
恩田圭太は阪神大震災のニュースを見ながら、ふと自分の少年時代を思い出していた。昭和20年、淡路島に駐在として勤務していた恩田幸吉の一家は、戦地で戦死した長男・忠夫の遺骨を故郷の宮崎の寺に納めるために旅行に出かけた。妻のふじと3人の子供を伴ったこの家族旅行は、敗戦の混乱期にあっては無謀とも思えたが、幸吉は家族そろって出かけることにこだわる。
鳥羽潤の若い頃の経歴④ ドラマでも活躍
出典:https://www.oricon.co.jp/
鳥羽潤さんはドラマでも活躍しており、1996年にフジテレビ系列で放送された「ピュア」、1997年に同系列で放送された「イヴ」などに出演。
楽しかったというドラマデビュー作の現場から一転、「ピュア」の現場では出番で何テイクも重ねてしまい、「楽しい気分をへし折られた」と語っています。
みんなの休憩時間を1時間から15分、10分にまで減らしてしまって。今でこそ“しごいてくれて感謝”ですけど、当時はいっぱいいっぱいで、後でスタッフ1人1人に『僕のせいですみませんでした』と、頭を下げに回りました。撮影終了後には、スタッフさんに『この仕事は向いてないので辞めます』と言ったんですよ。撮影していた渋スタ(渋谷ビデオスタジオ)を見るだけで、胃が痛くなっていましたから(笑)
ただし、以降も、1998年に同系列で放送された「LOVE&PEACE」などの人気作品に出演。同年にフジテレビ系列で放送されたドラマ「すばらしい日々」では主演を務めました。
鳥羽潤の若い頃の経歴⑤ ラジオ・CMなどでも活躍
鳥羽潤さんの活動の幅は広く、ラジオ・CMなどでも活躍していました。
1997年~1999年にかけては、ニッポン放送のラジオ番組「オールナイトニッポン」「オールナイトニッポンR」でパーソナリティを担当。
- 1999年には毎日放送ラジオのラジオ番組「MBSヤングタウン」でもパーソナリティを担当しました。
また、「KDD」「ミニストップ」「グリコ」といった一流企業のCMにも出演しています。
鳥羽潤の若い頃の経歴⑥ 1999年に歌手としてもデビュー
鳥羽潤さんは、1999年にシングル「僕(CaLIN)」で歌手デビュー。
同年にセカンドシングル「花のように咲く傘(CaLIN)」を発売したほか、アルバム・ミニアルバムも発売しています。
また、2009年にはデジタルラウド系バンド「Razhead Modic」を結成。同バンドではGEENIE名義で活動していました。
~2009年に結成され、東京を拠点に活動している3ピースデジタルバンド~
GEENIE (Vo.Gr.Seq)、脩 (Gr)、TETSUYA (Dr.Vo.Prog)。サンプラーやリズムマシンを駆使したデジタルサウンドが特徴的で、メンバーそれぞれのセンスを生かしたさまざまな楽曲を展開し 表現している。2011年夏には関西ツアーを成功させ、徐々に活動の幅を広げている。
引用:PROFILE
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=kqju33FydpY?si=P72StKAT_p5p8PbD]
現在はバンドとしての活動はほとんどしていないものの、あくまで”模索中”であるとのこと。
また、Tシャツや帽子といったファッション分野にも興味があると語っています。
表現という意味では、Tシャツや帽子など服を作ったりもするんですよ。昔はファッションがすごい好きだったので、絵の上手な兄と一緒に、20歳の頃から『自分がこんなのがほしいな』と思うものを作ってきました。でも、自分では使わずに友人にあげたりするんです。出来上がったら、もう満足しちゃって(笑)。
鳥羽潤の若い頃の経歴⑦ 2000年以降も映画・ドラマで活躍し続けた
鳥羽潤さんは2000年以降も順調に俳優活動を続け、2001年に放送されたテレビ朝日系列のドラマ「e’s 危険な扉・愛を手錠で繋ぐ時」で連続ドラマ初主演を務めました。
すべては1年前の医療ミスから始まった。2つの病院を舞台に巻き起こる連続殺人事件。主人公羽村優(鳥羽潤)に容疑をかけ彼を追う刑事、渡瀬泉水(原千晶)。しかし泉水は優の素顔に触れるうちに心惹かれ始める。「彼は本当に犯人なのか?」もし違ったとしたら真犯人は一体誰なのか。
また、2002年に公開された映画「黄昏流星群・星のレストラン」、主演を務めた「RED HARP BLUES」などを機に、その演技力が再び注目されるように。
陽児(鳥羽潤)は、ブルースバンド活動を続けるフリーター。現在の音楽の主流から外れているブルースをやっているせいか、バンド活動はいまいち盛り上がらず、陽の目を見ない。ある日、伝説のブルースハープを持つ男がいるという噂を聞きつけた陽児は、男を探し出してそのブルースハープを譲ってもらおうと考える。
以降は助演ポジションを担うことが増え、2004年公開の映画「海猫」や2008年公開の映画「ラブファイト」などに出演しています。
ドラマにおいては、2時間ドラマに出演したりゲスト出演したりとより幅広い作品・役柄を演じるように。
2008年以降は再びレギュラー出演・主演が増えるようになり、同年に毎日放送で放送されていた「京都へおこしやす!」やテレビ東京系列の「ウォーキン☆バタフライ」にレギュラー出演。
2009年にNHK-BShiで放送された「父、帰る。」では主演を務めました。
鳥羽潤の若い頃の経歴⑧ 大河ドラマにも出演
出典:https://jmmaportal.com/
2010年以降は刑事モノやミステリー作品を中心に活躍するようになり、2013年にテレビ東京系列で放送された「刑事長」、2014年にテレビ朝日系列で放送された「遺留捜査」などに出演。
2014年には大河ドラマ「軍師官兵衛」にも明智秀満役で出演しています。
なお、当初は芸能事務所「アミューズ」に所属していましたが、2006年に「オフィスニグンニイバ」へと移籍。2020年には、現在所属している「Viivo」へと移籍しました。
鳥羽潤は結婚しておらず独身・彼女がいるかどうかも不明
鳥羽潤さんは、2024年2月に受けたインタビューで「結婚していない」と語っています。
理由として、仕事に波があることや収入が安定していないことなどを挙げていました。
彼女の存在については言及しておらず、彼女がいるかどうかは不明です。
していません。ゆくゆくはできるようになったらいいな、という気持ちはあるのですが、できると思ってないです。仕事には波があって、収入が思うようにいかないし、若い頃は自分が稼いで家族を養わないといけない、という気持ちが強くて。そんなことを考えている間に年齢を重ね45歳になったので、子どもがほしいとかというこだわりもないです
過去には、共演の多かった遠藤久美子さんと噂されたこともありましたが、その程度しかなく、これまでに目立った熱愛報道はなし。
過去の交際相手に関する情報もほとんどありませんでした。
鳥羽潤と広末涼子の関係は?名前が似てるため不倫相手と勘違いされがち
鳥羽潤さんについて調べていると、「広末涼子」というキーワードが目につきます。
同世代の役者ということで、共演作が話題となったのかと思いきや、調べてみても該当する作品はありませんでした。
強いて言えば、2人ともフジテレビ系列のドラマ「木曜の怪談」シリーズに出演していますが、放送年が異なり、共演とは言い難い状況です。
では、なぜその関係性に注目が集まっているかというと、2023年6月に広末涼子さんが不倫疑惑を報じられ、そのお相手がシェフ・鳥羽周作さんであったことが原因のようです。
3児の母で女優の広末涼子(42)が、既婚者でミシュラン1つ星のフレンチレストラン「sio」のオーナーシェフ・鳥羽周作氏(45)と、同じホテルに宿泊するなど、W不倫関係にあることが、「週刊文春」の取材でわかった。1990年代、「ヒロスエブーム」を巻き起こすなど大人気アイドルだった広末。1997年の歌手デビュー曲「MajiでKoiする5秒前」は約60万枚の大ヒットを記録した。
鳥羽潤さんが鳥羽周作さんと同じ苗字で、広末涼子さんとは同年代の役者…ということで、一部の人に鳥羽潤さんが不倫相手と勘違いされたのでしょう。
名前が似てるというだけで不倫相手に間違えられるのは、いい迷惑ですよね。
鳥羽潤が干された理由は?移住や演じられる役柄の幅の狭さが原因?
鳥羽潤さんは2015年頃より徐々に出演作が減少。過去の活躍ぶりと比較され、一部のネットユーザーから「干されたのでは」と心配されていました。
実際には前述のとおり、仕事量が減ったタイミングで父親のがんが発覚。家族としての在り方を考えるため、地元・和歌山県に戻っていたといいます。
また、2017年にはテレビ朝日系列のバラエティ番組「イチから住」の企画で、長野県小諸市へと移住し、そば職人として働いていました。
俳優の鳥羽潤が、テレビ朝日系『イチから住』(毎週(日)後6・30)に7月9日放送分から登場し、長野県小諸市に移住する。芸能人が地方に移住するドキュメント・バラエティ。和歌山県出身の鳥羽は、16歳のときにデビューと同時に上京。現在は都内で一人暮らしだが、「和歌山で生まれ育ったので、田舎暮らしへの憧れは抱いていました」との思いから、いずれは東京を離れて田舎暮らしをしたいと考えていたという。
なお、鳥羽潤さん自身は、インタビューで仕事が少なくなった原因について「年齢とともに役も変わったりして、難しさも出てきました」と語っています。
10代の頃は学生役ができ、20代だと新入社員役ができたりしましたが、年齢が上がると役の幅が狭まりますから、チャンスが減ってきたと感じます。最初に良いイメージで出させていただいたので、若い頃は悪役を演じるチャンスがあまりなかった。17歳で大きい事務所に選んでいただきデビューしましたが、20歳を過ぎてからは仕事の波も経験し、稼ぎが減ってしんどかった時期もありました
“良いイメージ”でデビューしたがゆえに、悪役などにチャレンジする機会がなく、年齢が上がっていくにつれ、演じられる役の幅の狭さに苦労したとのことです。
鳥羽潤の現在:ボクシングジムに勤務しつつ、役者としても活動中
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=OBYWO3HKq6w?si=n2TRbO_W2IrukQvb]
鳥羽潤さんは現在も役者として活動中です。
2022年にはネットドラマ「THE BAD LOSERS」に出演したほか、映画「ウラギリ」などにも出演しています。
さらに、同年はBSテレ東で放送されたドラマ「最果てから、徒歩5分」にも出演しました。
2023年には、映画「26時13分」、舞台「アナザーチート」にも出演。アナザーチートについては、オールナイトニッポンの作家が脚本を手掛けていたことが縁となったのだとか。
映画・ドラマに加え、ネットドラマなど新しいメディアも人気の昨今。鳥羽潤さんは「どんな現場であっても変わらない」「必要とされるなら、何にでも出ていきたい」と語っています。
その中でも、映画に対しては特別な思いを持っているようです。
うまく言えないんですけど、映画って枯れた花をも美しく感じさせるような世界だと思うんですよね。作り込んだ芝居をしなくても、ナチュラルな僕の延長線上でできるんじゃないかな、だから僕に合っているな、と考えていた時期もありました。広い絵で撮ってくれますし。でも、今はこだわりはありません。必要とされるなら、何にでも出ていきたい。“表現”をさせてもらえる人でありたい、と思っています
ちなみに、以前は役者の傍ら、会員制ダイニングバーで勤務していたこともあったそうで、2024年現在はボクシングジムに勤務し、JBCボクサー・ライセンスも所有しているといいます。
まとめ
鳥羽潤さんはオーディションを勝ち抜き、芸能界入りしてすぐに映画で主演デビュー。
また、安達祐実さんとW主演を務めたり、数多くのCMに出演したりと、若い頃は役者として順風満帆でした。
その後、演じてきた役柄の幅の狭さから仕事量が減少。「干された」と噂された時期もありましたが、同時期に父親ががんを患い、家族との関係を見直すため地元に帰っていたそうです。
近年は広末涼子さんと不倫したシェフ・鳥羽周作と名前が似ていることから、勘違いで注目されている鳥羽潤さん。実際は結婚しておらず、彼女がいるかも不明です。
現在も役者として活動しているとのことで、今後さらなる活躍に期待したいですね。