中井貴一さんの父親として知られる昭和のイケメン俳優・佐田啓二さんですが、事故死や死因が話題です。
今回は佐田啓二さんの経歴やハーフの噂、実家の家族と結婚した嫁や子供(息子・娘)、事故死と死因、運転手(西川きよしさん父)のその後をまとめました。
この記事の目次
佐田啓二は昭和の名俳優&中井貴一の父
佐田啓二
本名:中井寛一
生年月日:1926年12月9日
没年月日:1964年8月17日
出身:京都府京都市
身長:173.2cm
所属:松竹
活動:俳優
佐田啓二さんは、昭和のイケメン俳優です。20代前半で人気に火が付き、「松竹戦後の三羽烏」と言われるようになりました。
また、若い世代の人たちには、「俳優の中井貴一さんの父親」としても知られています。
人気絶頂の37歳の時、撮影現場に向かう途中の車が事故に遭い、交通事故で亡くなっています。
佐田啓二はハーフ?噂の真相と実家の家族
佐田啓二さんはハーフという噂があります。
顔写真を見ると、確かにハーフのような顔立ちをしています。鼻が高くて彫りが深くてスラッとしているので、欧米と日本のハーフと言われても納得してしまいますね。
昭和時代にこのような顔立ちの日本人は、なかなかいなかったと思います。でも、佐田啓二さんはハーフではありません。純日本人のようです。
証拠はありませんが、両親のどちらかが外国人だったという情報はありません。また、息子の中井貴一さんがクォーターという情報もありません。
このことから、佐田啓二さんはハーフではなく、ただ単に「彫りが深いイケメン」の日本人ということになります。
それにしても、戦後の時代にこれだけ彫りが深く、色気があるイケメンがいたら、一気に人気が出るのも当然ですね。
実家の家族
佐田啓二さんは京都府京都市で生まれ、5人家族で育ちました。
・母親
・5歳上の兄
・2歳上の姉
・佐田啓二
佐田啓二さんの実家は商家で、父親は商人だったとのことです。しかし、具体的にどのようなビジネスをしていたのかはわかっていません。
佐田啓二さんが高校3年生の時に母親が亡くなり、その2年後に父親が亡くなったため、兄と姉が親代わりとなって、佐田啓二さんの生活を支えたとのことです。
佐田啓二の生い立ちや経歴
佐田啓二の生い立ち
佐田啓二さんは京都府京都市で生まれます。京都市立第二商業高校を卒業した後、早稲田大学専門部政経科(政治経済学部)に入学しました。
大学2年生の時には勤労動員で豊川海軍工廠で働くことになりますが、そのまま終戦を迎えます。
その後、1947年には俳優デビューしていますので、もしかしたら早稲田大学に入学しているものの、卒業していないのかもしれません。
高校・大学とバスケットボール部に入っていたそうです。イケメンでバスケットボール部に所属していて、早稲田大学という高学歴なら、学生時代はとんでもなくモテたはずだと思います。
佐田啓二の経歴
大学進学のために上京し、親族の紹介で松竹の人気俳優だった佐野周二さん(関口宏さんの父)の家に下宿することになりました。
終戦後は佐野周二さんとの縁がきっかけで、松竹大船撮影所に入社し、俳優としてのキャリアをスタートさせました。
1947年、デビュー作である木下恵介監督の「不死鳥」で、大スターの田中絹代さんの相手に抜擢され、人気になります。
その後も、「鐘の鳴る丘」で主演し、トップ俳優の仲間入り。同期の高橋貞二さんや鶴田浩二さんと「松竹戦後の三羽烏」と呼ばれるようになりました。
そして、1953年公開の「君の名は」で人気の俳優を地位を確実なものにしました。
佐田啓二さんの代表作はこちらです。
・カルメン故郷に帰る
・本日休診
・日本の悲劇
・あなた買います
・台風騒動記
・喜びも悲しみも幾歳月
・彼岸花
・お早よう
・人間の条件
・秋日和
・永遠の人
・秋刀魚の味
・甘い汗
1949年以降は毎年10本以上の映画に出演し、生涯の出演映画本数は151本にもなります。
また、佐田啓二さんはただのイケメン俳優・二枚目俳優ではなく、悪役も演じられる演技派だったため、演じる役の幅も広い俳優さんでした。
佐田啓二の運転手は西川きよしの父だった
』
佐田啓二さんは車の運転が得意だったようですが、プライベートでは運転は一切しなかったそうです。
車については慎重派で、運転手を雇い、自分は車の座席の中で一番安全と言われている運転手の後ろの座席に座っていたと言われています。
そして、その運転手の1人が西川きよしさんの父親でした。西川きよしさんはお笑い芸人で元政治家です。
「ウチの親父がタクシー運転手をやっていたんですが、(中井の)お父さんの佐田啓二さんが大阪ロケのときに1カ月、佐田さんのお抱えだったことがあって。先ほど、中井さんにあいさつしました」と意外な縁を明かした。
引用:西川きよし、中井貴一との意外な縁を告白…タクシー運転手の父が佐田啓二のお抱え/芸能/デイリースポーツ online
この縁、すごく意外です。また、人間の縁って不思議だなぁと思ってしまいますね。
ただ、誤解がないように言っておきますが、西川きよしさんの父親が佐田啓二さんの運転手をしていたのは、大阪ロケの1ヶ月間だけです。
そのため、佐田啓二さんが死亡した交通事故を起こした運転手とは別人になります。
佐田啓二が結婚した嫁は一般女性の杉戸益子
出典:twitter.com
佐田啓二さんは1957年に杉戸益子さんと結婚しました。杉戸益子さんは女優や芸能人ではなく、一般女性です。
杉田益子さんは、松竹大船撮影所の前にあるレストラン「月ヶ瀬」の看板娘で、松竹大船撮影所の俳優だった佐田啓二さんとは自然と知り合ったようです。
また、結婚時点で交際10年とのことですので、佐田啓二さんが俳優デビューした1947年から交際が始まったんですね。
杉田益子さんは結婚当時28歳で、佐田啓二さんは31歳でした。
佐田さんの人気を確実なものにしてからの結婚だったとは思いますが、杉田益子さんはよく結婚まで待ちましたよね。
当時は「女の賞味期限はクリスマスケーキ」と例えられていました。つまり、24歳までに結婚、25歳になったら「行き遅れ」と言われていたんです。
交際している相手がいるのに28歳まで結婚を待っていた、しかも相手は人気の銀幕スター。焦りはあったはずです。
佐田啓二さんと杉田益子さんは1957年2月28日に赤坂の霊南坂教会で行われ、披露宴には各界の名士200名が出席したそうです。
新郎新婦の媒酌人は小津安二郎監督と木下恵介監督という超豪華ぶり!
いかに佐田啓二さんが俳優として監督から、映画界から重宝されていたかがわかります。
なお、ずっとレストラン「月ヶ瀬」で働いていいた杉田益子さんも2人の監督とは親しかったそうです。
佐田啓二さん夫婦は結婚後、田園調布に豪邸を建てて、生活を始めています。
嫁は小津安二郎の秘蔵っ子
出典:bunshun.jp
レストランの看板娘がトップスターと結婚???と思うかもしれません。撮影所の前にあるレストランで働いていても、トップスターと結婚するなんて、なかなか考えられないですよね。
でも、佐田啓二さんと結婚した杉田益子さんは、ただの看板娘ではなく、あの小津安二郎のお気に入りで秘蔵っ子だった女性なんです。
小津安二郎さんは杉田益子さんを気に入っていて、自分の秘書のように仕事で連れ回すこともあったのだとか。
しかし連れ回された益子は疲れたのか高熱を出して寝込んでしまった。小津は出掛ける事を止め、寝ずに益子を看病したという。同じ部屋で寝泊まりする四十四の小津と二十歳の益子。益子は後に小津を男として意識した事は一度もないと語っている。しかし小津は日頃、周囲には「もう少し俺が若ければ」と嘆いたという。
たくさんの美人女優を見てきた映画監督の小津安二郎さんが、杉田益子さんをそこまで気に入っていたというのは驚きであり、杉田益子さんが本当に魅力的な女性だったのでしょう。
だからこそ、佐田啓二さんは杉田益子さんと結婚したのだと思います。
佐田啓二死去後は女手一つで子供を育てる
出典:twitter.com
佐田啓二さんと結婚した杉田益子さんは、2人の子供を出産しますが、結婚して7年後に佐田啓二さんは事故で亡くなります。
シングルマザーとなった杉田益子さんは、女手1つで子供を育て上げました。そして、しつけにはかなり厳しい母親だったようです。
「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした。
杉田益子さんは、2016年に87歳で亡くなっています。
佐田啓二の子供① 息子は中井貴一
中井貴一
生年月日:1961年9月18日
出身:東京都世田谷区
身長:181cm
所属:OFFICE-NAKAI
血液型:A型
活動:俳優
佐田啓二さんの息子は、俳優の中井貴一さんです。
中井貴一さんの「貴一」は小津安二郎さんが名付け親とのことです。
父親の17回忌で映画監督の松林宗恵さんにスカウトされ、成蹊大学在学中だった19歳の時に映画の「連合艦隊」でデビューしました。
その後、ドラマ・映画に次々に出演していきます。
・『ビルマの竪琴』
・『キネマの天地』
・『激動の1750日』
・『四十七人の刺客』
・『マークスの山』
・『ラブ・レター』
・『愛を乞うひと』
・『梟の城』
・『壬生義士伝』
・『亡国のイージス』
・『寝ずの番』
・『燃ゆるとき』
・『どろろ』
・『鳳凰 わが愛』
・『次郎長三国志』
・『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』
・『ステキな金縛り』
・『柘榴坂の仇討』
・『アゲイン 28年目の甲子園』
・『記憶にございません!』
・『ふぞろいの林檎たち』
・『武田信玄』
・『戦艦大和』
・『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』
・『Age,35 恋しくて』
・『セミダブル』
・『八代将軍吉宗』
・『ウソコイ』
・『武蔵 MUSASHI』
・『義経』
・『風のガーデン』
・『平清盛』
・『雲霧仁左衛門』
・『PRICELESS』
・『最後から二番目の恋』
・『記憶』
・『共演NG』
・『華麗なる一族』
シリアスな役、悪役、任侠だけでなく、コメディセンスもあり、非常に幅広い役を演じられる俳優さんです。
中井貴一さんは、俳優になったきっかけを「ボクらの時代」で次のように語っていました。
「こいつ(佐藤)の場合はお父さん(三國)がご存命だったから、その背中が見られてた。俺の場合は背中がなかったので、その背中を見たい、感じたい。それで自分の将来を決めたいというのがあって、同じ仕事をしてみた。そこが出発点だった
佐田啓二の子供② 娘は中井貴恵
中井貴恵
生年月日:1957年11月27日
出身:東京都世田谷区
身長:167cm
血液型:O型
活動:女優、エッセイスト
佐田啓二さんの長女は女優の中井貴恵さんです。中井貴一さんの姉ですね。「貴恵」という名前は、木下恵介監督がつけたそうです。
早稲田大学在学中、映画デビューをすることになります。デビュー作は1977年の市川崑監督の「女王蜂」です。
その後、日本アカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、1987年までたくさんの映画・ドラマに出演します。
1983年には映画の中でヌードも披露し話題になりました。
1987年に結婚したのを機に芸能活動を休止して、アメリカに移住していましたが、現在は日本に戻り、「大人と子供のための読みきかせの会」を行っています。
佐田啓二が事故死した経緯
出典:sankei.com
佐田啓二さんは1964年に交通事故で亡くなりました。
撮影のために東京へ
1964年8月13日から、佐田啓二さんと杉田益子さん、中井貴恵さん・中井貴一さんの家族は長野県の蓼科高原にある別荘に滞在していました。
しかし、佐田啓二さんは撮影の予定があったため、8月17日の早朝5時に佐田啓二さんは運転手が運転する車で東京に向かいます。
車はトヨタのクラウン、佐田さんはいつものように一番安全と言われた運転席の後ろの後部座席に座りました。
また、新聞記者の義弟とその同僚も車に乗っていました。
追い越した時にスリップ
佐田啓二さんは出発するとすぐに、後部座席で眠り始めます。
車は国道20号線を走り、出発から約1時間半後の6時半には、山梨県韮崎市の塩川橋手前に到達しました。
運転手は前を時速40kmで走る個人タクシーを追い抜こうとしますが、その地点は左カーブで、しかも塩川橋で道幅が狭くなる場所でした。
追い抜いたところで道幅が狭くなり、塩川橋の橋柱が迫ってきたため、運転手はハンドルを左に切りました。
すると、車はスリップして右側に横滑りをして、車の右側が橋柱に激突します。その後、車は左に跳ね飛ばされ、追い越した個人タクシーに衝突してやっと止まります。
クラウンの右半分はボコボコの無残な状態になってしまいました。
佐田啓二の死因は頭部外傷
病院に搬送されるも死亡
事故に遭った佐田啓二さんは、激しい息づかいをしながらぐったりしていて、頭から血を流し、右腕は不自然な方向にねじれている状態でした。
佐田さんは韮崎市立病院に搬送されましたが、頭蓋底を骨折していて、すでに危篤状態に。
緊急手術が必要な状態でしたが、すでに心機能が低下していて、手術に耐えきれない体になっていたため手術を行うことができず、8月17日午前11時過ぎに死亡が確認されました。
死因は頭部外傷と思われます。
8月22日に青山葬儀場で執り行われ、芸能関係者やファンなど合計1,000人が参列したとのことです。
佐田啓二が事故死した際の運転手のその後
運転手が無理な追い越しをしたことで事故に遭った佐田啓二さんですが、この運転手はその後どうなったのでしょうか?
事故当時、車に乗っていたのは佐田啓二さん、運転手、義弟とその同僚の4人です。
そして、一番安全と言われていた運転手の真後ろの後部座席に座っていた佐田さんだけが亡くなったのです。
・義弟:右肩に1週間の軽傷
・同僚:顔の骨を骨折
車の右側に大きな損傷があったため、佐田さんは死亡、運転手も重傷を負っています。一番安全なところに座っていたはずの佐田さんだけが亡くなるなんて、何とも皮肉な話ですよね。
運転手はおそらく運転上過失致傷罪で逮捕されたはずです。
この運転手のミスで夫を奪われシングルマザーになった杉田益子さんは、運転手を恨むこともなく、女手一つで子供2人を育てたとのことです。
佐田啓二のまとめ
佐田啓二さんのプロフィールや生い立ち、経歴、家族、結婚した嫁や子供(娘・息子)、事故と死因、運転手のその後などをまとめました。
あれだけのイケメン俳優は現代でもなかなかいませんよね。
美人薄命とは言いますが、美男も薄命なのかもしれません。