「北九州連続監禁殺人事件」は犯罪史上、類を見ない残虐な監禁・大量殺人事件で、主犯の松永太の生い立ちや家族が話題です。
今回は事件詳細、松永太の生い立ちや両親など家族関係、嫁や息子、死刑執行待ちの現在をまとめました。
この記事の目次
北九州監禁殺人事件の概要
監禁から逃走した17歳少女によって発覚
「北九州連続監禁殺人事件」は、2002年3月6日に福岡県の北九州市小倉北区で発覚した、日本の犯罪史上、類を見ないほど残虐な監禁・大量殺人事件です。
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2002年3月6日、17歳の少女が小倉北区のマンションの一室から逃げ出し、近くで暮らす祖父母の元へ「お父さんが殺された。私もずっと監禁されていた」と怯えた様子で助けを求めました。
そんな少女の右足の親指は、生爪が剥がれていたそう。
その旨を尋ねたところ「ペンチを渡されて、『自分で爪を剥げ』と言われたので剥がした」と平然と説明する少女に、戦慄を覚えた祖父は、少女を伴って門司警察署へ向かいます。
しかし、彼女が警察で供述した事実は、単なる監禁致傷にとどまらず、日本の犯罪史上、類を見ないほど残虐な大量殺人事件だったのです…。
もっとも、この事件の主犯・松永太と緒方純子が逮捕された直後は、これほどまでに被害者が多く、かつ凶悪で残虐極まりない犯行だとは、捜査関係者を含めて誰も想像していませんでした。
しかし、この「北九州連続監禁殺人事件」は、その後、メディアが報道を差し控えたほどの残虐な方法で、犯人の親族ら7人が殺害され、“消されていた”ことが明らかになっていきました。
捜査に当たった刑事を戦慄させた“殺人部屋”
事件発覚のきっかけとなった、監禁から逃げ出した少女は、捜査員に対して父親が殺されたことを訴えると同時に、「とにかく部屋を見てほしい」と繰り返していたと言います。
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そんな少女の言葉に従って、半信半疑の思いで家宅捜索をした捜査員の目に飛び込んできたのが…手練れの刑事をも戦慄させた“殺人部屋”の痕跡でした。
7人もの人間が殺害された北九州市小倉北区のマンションに、家宅捜索として初めて足を踏み入れた捜査員は、後に次のようにその時の状況について語っています。
「2DKの部屋に入った捜査員全員が愕然とした。生まれて初めて霊感のようなものを実感したよ。本当に恐ろしかったんだ。部屋に入ってまず感じたのは、明らかに人間の血の臭いだった。部屋の片隅には消臭剤が大量に積まれていて、血の臭いを消すためだとすぐに想像がついた。風呂場やトイレ、部屋など、あらゆるドアに7、8個の南京錠がかけてあって、窓には全部つっかえ棒が釘打ちされていた。それはもう、なにもかも異様な光景だった」
引用:「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 https://bunshun.jp/
最初に犠牲になったのは17歳少女の父親だった
1996年から1998年の3年間の間に、7人もの人間が殺害されたその“殺人部屋”で、最初の犠牲者となったのは、17歳少女の父親でした。
元々、北九州市で不動産会社に勤めていた少女の父親は、客の知人として知り合った松永太に、業務上の不正行為などの弱みを握られていたそう。
そして、勤務先を退職させられると、娘の少女とともに、北九州市小倉北区のマンションでの同居を強要されました。
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その後は、松永太による殴る蹴るの暴力が繰り返されることになります。
さらに、食事も1日1食に制限され、徐々に衰弱していった父親は、1996年2月、閉じ込められた浴室内で、当時11歳だった娘の目の前で息絶えたと言います。
少女の父親の死亡について緒方純子から報告を受けた松永は、「ザ・殺人術」という本を参考に、遺体をバラバラに解体することを決意し、緒方純子と娘の少女の2人に命じて、遺体を浴室で解体・処分させました。
次に松永太の標的になったのが緒方純子の3世代の親族6人
その次に、松永太の標的になったのが、緒方純子の親族である緒方家の人々でした。
緒方純子の両親・誉(たかしげ)さん(当時61)と静美さん(同58)、妹の理恵子さん(同33)と夫の主也さん(同38)、さらに2人の子供・彩ちゃん(同10)と優貴くん(同5)です。
以前は福岡県久留米市の緒方純子の実家で、ごくごく普通に暮らしていた3世代の家族の6人。
ですがある時、松永太の謀略にかかり、1997年4月頃からこの“殺人部屋”での軟禁生活が始まったとされています。
最終的に、この“殺人部屋”で6人は殺害されています。
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それぞれの殺害時期と、おぞましい殺害の手口を簡潔にまとめた記事があったので引用しておきましょう。
●1997年12月 誉さん殺害
心臓部への通電によるショック死。誉さんの反抗的な発言に怒った松永の指示により、家族の前で純子が通電したところ、座ったまま前のめりに倒れた。死亡したことが確認されると、松永の誘導で遺体は純子と静美さん、理恵子さん夫婦と彩ちゃんの5人で解体することになった。
●1998年1月 静美さん殺害
誉さんの死後、松永は静美さんへの通電を集中。精神に異常をきたした彼女は奇声を上げ、食事を拒絶するようになったため、浴室に閉じ込められた。松永の指示で主也さんが電気コードで首を絞め、理恵子さんが足を押さえて殺害。遺体は純子と理恵子さん夫婦、彩ちゃんの4人で解体した。
●1998年2月 理恵子さん殺害
静美さんの死後、松永による顔面への通電など、衝撃の強い虐待が集中する。彼女もまた奇声を上げるようになり、松永から殺害を示唆された純子と主也さんが話し合い、主也さんが電気コードで首を絞め、彩ちゃんが足を押さえて殺害。遺体は純子と主也さん、彩ちゃんの3人で解体した。主也さんは「とうとう自分の嫁さんまで殺してしまった」とすすり泣いた。
●1998年4月 主也さん殺害
元警察官の主也さんの体力を奪うために、松永が食事を制限し、通電を繰り返したところ、やがて衰弱して水も受け付けなくなった。浴室に閉じ込められ、痩せ細った主也さんに、松永が眠気覚まし剤と500ミリリットルのビールを飲ませたところ、1時間後に死亡。遺体は純子と彩ちゃんの2人で解体した。
●1998年5月 優貴くん殺害
主也さんの死後、松永が「大人になったら復讐するかもしれない」と純子に殺害を指示。その上で松永は「優貴はお母さんに懐いていたから、お母さんのところに返してやったら」と遠回しに彩ちゃんに殺害を了承させる。そして純子と彩ちゃんが電気コードで首を絞め、清美さんが足を押さえて殺害した。遺体は純子と彩ちゃんの2人で解体した。
●1998年6月 彩ちゃん殺害
優貴くんの死後、松永は彩ちゃんへの通電を集中させた。これまでの食事制限もあり、2歳児のおむつが穿けるほどに痩せ、衰弱した彩ちゃんを松永が説得。逆らうことのできない彩ちゃんは、優貴くんが殺害された場所に自ら横たわり目を瞑った。純子と清美さんが首に巻き付けた電気コードで絞殺。遺体は純子と清美さんの2人で解体した。
引用:「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 https://bunshun.jp/
※引用文中の「清美さん」とは、監禁から逃走し事件が発覚するきっかけとなった17歳少女の仮名です。
このように緒方家の6人は、だいたい月に1人のペースで殺人・解体が繰り返されていることが分かります。
ただし、松永太は主犯であるにもかかわらず、自分の手は一切汚さずに、計7人もの命を奪ったことになるのです。
遺体の解体や処分の方法についても細かく指示を出していた松永太
また、松永太は遺体の解体や処分の方法についても細かく指示を出しており、“足がつかない”ように工夫されていたと言います。
この点について、当時の福岡県警担当記者は、次のように説明しています。
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「遺体は包丁やノコギリを使って、細かく切り分けられてから鍋で煮こまれました。そうして肉と骨を分離させ、肉はミキサーでさらに細かくしてからペットボトルに入れ、近くの公衆便所などに捨てています。骨は細かく砕いて缶に入れ、大分県と山口県を結ぶ旅客船などから海に投棄したそうです。解体場所となった浴室は、松永の指示で念入りに掃除されており、誉さんには台所の配管の交換を、主也さんには浴室のタイル交換をさせていました」
引用:「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 https://bunshun.jp/
こうして一家7人の遺体は跡形もなく消し去られてしまいました。
まさに“遺体なき殺人事件”と言え、殺害方法を物語る遺体が無くなってしまったことで、殺人を立証するには、あくまで関係者の証言を含めた状況証拠に頼らざるを得なくなったわけです。
北九州連続監禁殺人事件の主犯・松永太の家族① 生い立ち~両親との関係
そもそも主犯の松永太とは、どのような人物だったのでしょうか?ここでは松永太の生い立ちをはじめ、両親などの家族との関係について見ていくことにしましょう。
松永太のプロフィール
松永太の生い立ち① 小中学生時代
松永太は、福岡県北九州市で畳屋を営む両親の元に、姉が1人いる2人姉弟の長男として誕生しました。
松永太が7歳の時、祖父が実家で営んでいた布団販売業を父親が引き継ぐことになり、一家で福岡県柳川市に転居しました。
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当時の松永家は、経済的には裕福な家庭であり、長男だった松永太は、母親と祖母に甘やかされて育てられたと言います。
小学校時代の松永太は成績が良く、学級委員長を務めるなど、優等生的な存在だったようです。
それは中学生になっても変わっておらず、中学生時代には生徒会役員も務めていました。1年生の時には、校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝するなど、非常に優秀な生徒でした。
また、バレー部キャプテンを務めるなど、スポーツでもリーダーシップを発揮していたようです。
成績優秀でリーダーシップもあり、一目置かれる存在ではあったものの、教師からの評判は決して良くなかったと言います。
と言うのも、その当時から自分より弱い存在に対して横暴な態度を取っていた他、虚言癖があったことから、小・中学校時代の同級生も、松永太に対しては、一様に良い印象を持っていないようです。
松永太の生い立ち② 高校生時代と卒業後の経歴
松永太は久留米市にある公立高校に進学しました。ちなみに、共犯の緒方純子も、同校を卒業していますが、在学中は特に交流がなかったと言われています。
そんな松永太は、風紀委員長として活躍していた高校2年生の時、家出した女子中学生を家に泊めたことによる不純異性交遊が発覚し、退学処分となっています。
これにより、同じ久留米市の私立高校に編入しています。
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1980年に同校を卒業した松永太は、大学へは進学せず、福岡市内の菓子店に就職するのですが、わずか10日で退職してしまいます。
その後は、親類が経営する布団販売店などを転々とするのですが、どの職場でもその働きぶりは真面目とは言えなかったようです。
松永太の両親や家族は一切の取材を拒否
子供がこのような史上稀に見る残虐な犯罪を犯してしまったとなれば、どうしても注目されるのが両親などの家族です。
しかし、松永太が起こした事件が発覚した後は、両親や姉をはじめとする親類縁者全員が、マスコミの取材を一切拒否しています。
そのため、両親や姉の現在の様子などについては、ほとんど分かっていません。
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ただ、松永太の親戚に結婚詐欺や手形詐欺など、詐欺知識が豊富な人物がいたようです。
1996年からの殺人事件前には他界しているものの、松永太が以前に経営していた詐欺会社にも出入りしていたことが分かっています。
北九州連続監禁殺人事件の主犯・松永太の家族② 嫁と息子 【緒方純子は内縁の妻】
松永太は19歳で結婚し息子が誕生
学生時代はそれなりに優秀な生徒だった松永太ですが、社会に出てからはなかなか思うようにいかなかったようです。
ただ、結婚はしっかりしており、最初の結婚は1980年で、松永太が19歳の頃でした。そして1981年には長男をもうけています。
当時は自宅を本店とする「有限会社ワールド」を設立していたようです。
そして松永太は、容姿や話術にも優れていたことから、経歴詐称などもしながら、何人もの女性を口説き落とし、複数の女性と不倫関係にあったと言われています。
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そして、「北九州連続監禁殺人事件」では共犯者として松永太とともに逮捕された緒方純子も、当時の松永太の数いる不倫相手の内の1人でした。
そんな複数の女性と不倫関係にあった松永太に対して、当初、嫁は夫の不貞を容認していたようですが、1992年には離婚しています。
松永太の内縁の妻となった緒方純子について
「北九州連続監禁殺人事件」で松永太の共犯として逮捕された緒方純子ですが、元々は悪いことなどできないおとなしく従順な性格だったと言われています。
でも、だからこそ松永太からすれば、コントロールし易かったのかも知れませんね。
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ちなみに…共犯者として逮捕された緒方純子は、一審で死刑判決を受けるも、二審では松永太の強い影響下にあったという理由で、無期懲役へと減刑されています。
ちなみに被害者7人のうち6人が、純子の両親や妹を含む親族だ。原則4人以上の殺人は死刑という「永山基準」に当てはまる事件の被告人でありながらも、松永による精神的な支配下での犯行であったことが思料された。
引用:「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 https://bunshun.jp/
つまり、緒方純子に対する松永太の精神的抑圧は、それほどまでに熾烈極まりないものだったことを意味していると言えます。
「純子は二度、松永の許を逃げ出そうとしたが、連れ戻されてより激しい通電虐待を受けた。もう逃げられないという諦めと、通電の恐怖を心に植え付けられた彼女は、松永の要求を拒むことができない心理状態に置かれてしまった」
引用:「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 https://www.excite.co.jp/
1992年に前妻と離婚した松永太は、1993年1月に緒方純子との間に長男が、約3年後の1996年3月には次男が誕生しています。
北九州連続監禁殺人事件の主犯・松永太の家族③ 緒方純子との息子がドキュメンタリー番組に出演し話題に
“殺人部屋”とは別のアパートで生活していた息子には戸籍もなかった
松永太と緒方純子の間に誕生した2人の息子は、事件現場となったマンションから5分ほど離れた別のアパートで、なんと監視カメラをつけられた状態で生活をしていたようです。
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毎月のように殺人が繰り返されていた最中は、母である緒方純子が1週間分のご飯をまとめて持っていっていたようです。
そんな松永太の息子は後に、常にいつご飯がなくなるかという不安を抱えながら過ごしていたと告白しています。
しかも、冬でもTシャツに短パンといいう貧しい生活を強いられていた2人の息子、なんと出生届すら出されていなかったため戸籍もなく、幼稚園や小学校へ通うことすらできませんでした。
両親の逮捕から15年後にドキュメンタリー番組に出演した息子が話題に
北九州連続監禁殺人事件が発覚した当時9歳だった松永太の長男は、15年後、ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…」に出演し、大変話題になりました。
この番組の中で松永太の息子は…
自身が松永に受けた虐待や、学校にも行かず狭い一室で一日中過ごしていたこと、偽名を与えられていたこと、解体した遺体の一部を鍋で煮込んでいた様、など記憶の断片を話した。両親の逮捕後は施設に預けられ、荒れた思春期を過ごしたことなども語られている。
引用:『ザ・ノンフィクション』に自ら出演し話題に…「人殺しの息子と呼ばれて」北九州・連続監禁殺人事件。実行犯の母親が語る、息子への思いとは? https://ddnavi.com/
出典:https://koyakuu.com/
北九州連続監禁殺人事件の立派な被害者でありながら、加害者の家族でもあるこの人物には、生まれながらにして過酷な運命を背負わされたと言っても過言ではありません。
松永太の息子は、事件発覚により保護された後は、児童養護施設で育てられたそう。
そして、高校時代はガソリンスタンドで働きながら定時制高校に通い、その後、里親の家を出てからは、住所不定の生活を送っているのだとか…。
事件の全貌を理解したときの、彼の気持ちを想像することは難しい。しかし自分にも松永のDNAが流れていると怖くなるときがあった…といった発言には、凶悪犯を親に持つ子供の苦悩が見えた。
引用:『ザ・ノンフィクション』に自ら出演し話題に…「人殺しの息子と呼ばれて」北九州・連続監禁殺人事件。実行犯の母親が語る、息子への思いとは? https://ddnavi.com/
出典:https://www.newsweekjapan.jp/
北九州連続監禁殺人事件の主犯・松永太の現在【まだ死刑執行されていない】
2002年6月から2005年9月までに77回開かれた一審の公判の中で、事件の詳細が1つ1つ明ら
かになっていく度に、そのあまりに残虐な犯行内容に、世間に衝撃が走り続けました。
地元テレビ局の報道担当者は、次のように語っています。
出典:https://friday.kodansha.co.jp/
「こんなこと言うと被害者に申し訳ないけど、この事件はテレビ向きじゃない。あまりにも犯行内容が残酷なんで、映像にできないんですよ。だから経過だけを粛々と報じるしかない」
引用:「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 https://bunshun.jp/
2005年9月28日、第一審・福岡地方裁判所小倉支部(若宮利信裁判長)は判決公判で、松永太と緒方純子に死刑判決を言い渡しました。
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裁判所は一連の事件を、
「甚だしい人命無視の態度には戦慄を覚える」
「残酷、非道で血も涙も感じられない」
「悪質さが突出し、犯罪史上稀に見る凶悪事件」
と厳しく非難し、特に松永太に対しては…
「一連の事件の首謀者であり最大の非難に値する」
「真摯な反省や謝罪が無く、犯罪性向は強固で根深く矯正の見通しは立たない」
と犯行を糾弾しました。
そして、2011年12月12日、最高裁上告審判決公判で、被告人・松永太については、1・2審の死刑判決を支持して、上告を棄却したことで、死刑判決が確定しています。
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一方の、松永太の共犯者として逮捕された緒方純子については、前述したように「松永の強い影響下にあった」との理由で、無期懲役へと減刑されています。
そんな松永太は死刑囚として福岡拘置所に収監されており、現在、未だ死刑執行はされていないようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
2002年3月6日に発覚した犯罪史上、類を見ない残虐な監禁・大量殺人事件である「北九州連続監禁殺人事件」。
その主犯である、松永太の生い立ちや両親などの家族関係、そして松永太の犯行に加担した嫁と、2人の間の子供で戸籍すらない状態で保護された息子についてまとめてみました。
裁判の結果、主犯である松永太には死刑、共犯の緒方純子には無期懲役が確定していますが、現在、松永太の死刑執行はされておらず、今も福岡拘置所に収監されているようです。
出典:http://dokujyoch.net/
「北九州連続監禁殺人事件」により無残にも殺害され、その存在自体をこの世から消し去られてしまった、7名のご冥福を心よりお祈り致します。