2004年10月に起きた廿日市女子高生・北口聡美さん殺人事件。事件発生から14年経って逮捕された犯人・鹿嶋学の裏の顔やあまりにも身勝手な動機に注目が集まっています。
今回は廿日市女子高生殺人事件の被害者や犯人、裁判や判決、現在を紹介します。
この記事の目次
廿日市女子高生殺人事件とは
2004年10月5日、広島県廿日市上平良の民家において、当時17歳の高校2年生だった北口聡美さんがナイフで殺害され、さらに祖母もナイフで刺されて重傷を負う事件が発生しました。
この「廿日市女子高生殺人事件」の犯人は逃走し、全国に似顔絵が張り出され指名手配されました。
犯人・鹿嶋学(当時36歳)は13年半も逃走を続けましたが、2018年4月に山口県内で暴行事件で逮捕されたことをきっかけに、「廿日市女子高生殺人事件」でも逮捕されています。
廿日市女子高生殺人事件の被害者は北口聡美さん
「廿日市女子高生殺人事件」の被害者となったのは、山口県廿日市上平良に住んでいた、当時17歳で廿日市高校2年生だった北口聡美さんです。
事件が発生した当日は、学校が試験期間中だったため北口聡美さんは午後に早く帰宅しており、自分の部屋で仮眠をとっていたところを鹿嶋学に襲われ、殺害されました。
2人は全く面識がありませんでした。
廿日市女子高生殺人事件の犯人は鹿嶋学 【裏の顔は犯罪と無縁だった】
「廿日市女子高生殺人事件」の犯人である鹿嶋学は、山口県下関市生まれで、両親と妹の4人家族でした。
中学校の頃に宇部市に移り住み、高校卒業後は萩市にある金属加工会社に就職します。
犯行を起こした21歳当時は、会社のすぐ近くにある寮で一人暮らしをしていました。
鹿嶋学の勤務態度について、関係者は以下のように語っていたようです。
「地元の私立高校の機械科を卒業後、長門市のアルミ加工会社に就職したのですが、1年ぐらいで辞めており、それから1年程度空けて今の会社に入っている。周辺関係者からは無遅刻無欠勤で仕事熱心、暴力的な面など微塵もなかったという話ばかりが聞こえてきます」
廿日市女子高生殺人事件の詳細① 犯人・鹿嶋学の動機とは
鹿嶋学が犯罪に走るきっかけは、事件前日である2004年10月4日、初めて寝坊して会社を無断欠勤したことでした。
真面目すぎた鹿嶋学は、寝坊したことを怒られることに恐怖し、自暴自棄になって寮を飛び出し、それまでの鬱憤を爆発させるかのように、やりたいことをやろうと考えたのです。
鹿嶋学は原付バイクで寮を飛び出しましたが、当時ゲームに熱中していたことから秋葉原に行ってみたいと考え、東京を目指したそうです。
道中にあったホームセンターで、方位磁石と北口聡美さんを殺害する際に使用した折りたたみナイフを購入しています。
ただ、ナイフは殺害目的で購入したものではなく、野宿する際にナイフ1本あれば何とかなると考えてのことだったようです。
その後、鹿嶋学は貯金していた20万円を引き出して友人の家に泊まらせてもらい、翌日に宿代代わりに5万円を渡して原付で山口を出発しました。
その時偶然、鹿嶋学の両親が車で通りかかり、鹿嶋学に声をかけましたが、それを無視して振り切り、近くの川に携帯電話を投げ捨てて両親と決別することを誓ったといいます。
その後、原付バイクを走らせて広島に到着した際、下校途中の女子高生らを見かけた鹿嶋学は、以下のように劣情が沸きました。
「レイプしようっていう思いになりました。『性行為がしてみたい』っていう気持ちがあったのと、そのときはもう、捕まってもいいと思って、レイプしようと、そういうふうに思いました」
それまで性行為の経験が無かった鹿嶋学は、レイプできそうな女性を物色し、目に留まったのが、学校から帰宅中だった北口聡美さんでした。
北口聡美さんにとってはあまりにも不運すぎる瞬間ですが、どんなに平和な街でもどこに凶悪犯が潜んでいるか分からない、という証明とも言えます。
廿日市女子高生殺人事件の詳細② 被害者・北口聡美さんが殺害される
2004年10月5日午後3時頃、北口聡美さんは試験期間中で午後早くに帰宅し、広島県廿日市市上平良の自宅の離れの2階にある自分の部屋で仮眠をとっていました。
北口聡美さんを尾行していた鹿嶋学は、自室でうつ伏せになって寝転んでいた聡美さんに襲いかかり、ナイフで脅しながら「動くな。脱げ」と服を脱ぐように言いました。
北口聡美さんは隙を見て部屋から逃げ出したものの、慌てるあまり階段から落ちてしまいます。
北口聡美さんが逃げたことに逆上した鹿嶋学は、聡美さんと離れの出入り口のドア付近でもみ合いとなり、腹部をナイフで刺したのです。
「『なんで逃げたんか』って聞きました。自分が刺したにもかかわらず、刺したことを認められなくて、聡美さんのせいにしようという思いから、そういう発言をしました。聡美さんは『えっ、なんで』というような表情をしてました。それから……そのあとに『くそ、くそ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました。
自分が……どうなってもいい、っていうふうなことを考えるようになった環境とかそういったものを聡美さんにぶつけてしまいました。最後に首を切りました。これで最後にしようと思って。そうせんにゃ、止まらんかった」
持っていた折りたたみナイフで左前胸部や腹部を刺したうえ、前頸部を切り裂き、心臓損傷により失血死させた。その後、物音を聞いて駆けつけた聡美さんの祖母に対しても、持っていたナイフで左耳や腹部、背部を刺し、全治1ヵ月の重傷を負わせたという。
悲鳴と階段を慌ただしく駆け下りる音を聞いた祖母・ミチヨさんと妹は、鹿嶋学と出くわしてしまい、祖母は腹や背中など約10カ所を刺され、次に鹿嶋学は妹を追いかけます。
しかし、妹は逃げ切ることができ、裸足のまま30メートル離れた近所の園芸店に助けを求めました。
聡美さんは左胸をはじめ約10か所刺されたことによる失血死、祖母・ミチヨさんは一時重体となったものの一命は取り留めました。
祖母は事件後に通報していた
警察の発表では、祖母・ミチヨさんは自身が鹿嶋学に刺された後、母屋まで逃げて鹿嶋学が入ってこないように家の鍵を閉めてから警察に通報していました。
しかし、ミチヨさんは錯乱して泣きじゃくっていたため、通報では現場の詳しい状況はわからなかったようです。
廿日市女子高生殺人事件のその後① 犯人・鹿嶋学の犯行後の行動
鹿嶋学は犯行後、原付バイクで東京を目指して走らせましたが、北口聡美さんを殺害してしまった後悔から、3日間何も食べず、寝ずにバイクを走らせました。
何も食べないまま5日間を過ごしたものの、餓死するのが怖くなり、パン屋で電話を借りて5万円の餞別をあげた友人にお願いして、銀行に入金してもらいます。
それでも所持金が尽きて行き場をなくした鹿嶋学は、結局東京行きを諦めて実家に戻り、何もなかったように普段の生活に戻ったようです。
「自分は……事件のことを後悔してます。でも、当時のことは、自分にとっても、嫌なことでした。考えんように……ずっと……深夜1時とか2時とか、毎日ゲームして、考えんように考えんように、生活してました」
また、実家に戻った鹿嶋学は、新たに土木工事会社で働き始めたようです。
廿日市女子高生殺人事件のその後② 犯人・鹿嶋学がすぐに逮捕されなかった理由
妹の証言で犯人像はかなり的確に判明していた
園芸店に駆け込んで難を逃れた妹の証言により、犯人の特徴が警察に伝えられました。
10代後半から30歳くらいまでの印象で、茶色の短髪、比較的がっちりとした体型で細い目をしていたという妹の証言をもとに似顔絵が作成され、全国に指名手配されました。
年齢:20歳くらい
身長:165cmくらい
体格:がっちり型
特徴:目が細い、頬にニキビ様の跡
髪型:当時は髪を立たせており、若干茶髪
靴:DUNLOP製運動靴(約26から27センチメートル)※アッパーはこれ以外の種類あり
警察は110人体制で捜査を進め、事件から1ヶ月経った2004年11月5日までに、一般に公開された犯人の似顔絵に312件もの情報が寄せられましたが、犯人逮捕には至りませんでした。
警察は当初、怨恨の線で捜査していた
事件当時、警察は北口聡美さんに恨みを持つ人物の犯行だと考えて捜査していました。
ですが、聡美さんの学校での生活態度は良好で、トラブルも一切なく、さらに殴られたり強姦されたりした形跡はなく、財布や携帯電話などの所有物も手がつけられていませんでした。
そのため、犯人の動機が全く浮かんでこず、捜査は暗礁に乗り上げてしまったのです。
廿日市女子高生殺人事件の犯人・鹿嶋学が逮捕されたきっかけ
それから約14年が経過し、ひょんなことから事件は急展開を見せました。
「廿日市女子高生殺人事件」の犯人が浮上
2008年3月、犯人逮捕につながる有力な情報に対して最高300万円の懸賞金を支払うことを発表し、廿日市女子高生殺人事件は捜査特別報奨金制度対象事件となります。
マスコミや事件を特集する番組などでも取り上げられたものの、それでも事件解決に繋がるような有力情報は出てきませんでした。
また、事件発生から10年が経った後も、北口聡美さんの父親は、事件を風化させないためにブログで熱心に犯人に繋がる情報を呼びかけていましたが、こちらも進展はありませんでした。
しかし2018年4月3日、鹿嶋学が別件で警察に取り調べを受けたことで、ついに廿日市女子高生殺人事件は急展開することになります。
「4月3日、土木工事会社で働く鹿嶋容疑者が、山口市内の仕事現場で『打ち合わせで返事をしない』という理由で同僚の尻を蹴っていたという。そこを通りかかった通行人が状況を見て警察へ通報、任意で取り調べを受けることになったのです。その際に採取された指紋が、聡美さんの自宅のドアノブに残されていた指紋とほぼ一致し、DNA型も聡美さんの爪の間に残されていた皮膚片と一致したのです」
任意の取り調べでの指紋採取とDNA鑑定により、ようやく鹿嶋学は逮捕となりました。
廿日市女子高生殺人事件の犯人・鹿嶋学の裁判での様子と判決
2020年3月3日に広島地方裁判所で開かれた裁判員裁判において、鹿嶋学は起訴事実を認めました。
同年3月18日には、鹿嶋学に無期懲役の判決が言い渡され、双方とも控訴しなかったことから、同年4月に無期懲役が確定しました。
鹿嶋学は裁判において、事件を起こしてしまったことについて贖罪の意識を以下のように語っています。
「自分が事件のことを考えない……ううっ……思い出したくなくて、考えないように生きてきて……当時のことをまだはっきり思い出せないこともあって、この場でちゃんと思い出せる限りのことを話したくてずっと……思い出そうとしました……自分勝手な都合で事件を起こして申し訳ない気持ちでいっぱいです」
鹿嶋学は裁判の場で、凶悪な犯罪を犯すに至った当時の精神状態を説明しましたが、犯行のきっかけは会社に遅刻したことを怒られたくない、という子供のような発想でした。
「朝起きたら、会社が目の前なんで、会社から機械の音がして、遅刻したんだと気づいて……それきっかけで寮を逃げ出しました。寝坊して『やばい、怒られる』と思ったんですが、怒られるのが嫌で、どんくらい、時間経ったかわからんですけど、寝っ転がったまま考えて、会社行くの嫌になりました。
逃げ出すことが、自分にとっては許されんことで、それをしたことで、もう、どうでもいいっちゅう気持ちになりました」
鹿嶋学は就職してから3年半、それまで1度も会社に遅刻したことがない真面目な性格だったため、遅刻が確定してしまったことで世界が終わったように感じたと語っています。
真面目一辺倒だった人間がちょっとしたミスでパニックになるのは分からなくもありませんが、だからと言って、他人の人生をめちゃくちゃにしていいという理由にはなりません。
北口聡美さんにしてみれば、何も悪いことをしていなかったのに、本当に世界が終わってしまったのですから、その罪は「後悔している」という言葉だけでは到底許されないでしょう。
廿日市女子高生殺人事件の犯人・鹿嶋学の現在
鹿嶋学は、弁護側被告人質問の最後で号泣しながら「死刑がふさわしい」と謝罪の念を叫びました。
2020年3月4日の審理では、鹿嶋学の父親が証人出廷し、被害者遺族に以下のように謝罪しています。
「私も同じ娘を持つ親として大変申し訳なく、手紙を託そうとしましたが(ご遺族に)受け取ってもらえませんでした。それ以外は、近所の神社に、お参りに行く毎日です……。大変な事件を起こし……同じ娘を持つ親として……とても……悲しく思っております」
北口聡美さんのご遺族が鹿嶋学の死刑を望んでいることについて、父親は親としての複雑な心境を明かしました。
「大きな事件のことを思うと、私たちも胸が痛みますが……親としては……言葉が出ません」
短絡的かつ凶悪な犯行により、ご遺族と自分の家族の両方に深い絶望を与えた鹿嶋学。
判決は無期懲役ですから、鹿嶋学の刑期は始まったばかりでもちろん現在は収監中です。
本当に罪を後悔し、模範囚として刑務所で過ごせば、30年以上35年以内で一般的には仮釈放が認められると言われています。
ただし、数十年の刑期を経て今後出所できたとしても、鹿嶋学はその罪を一生かけて償っていく責任があるでしょう。
まとめ
鹿嶋学が強姦目的で住居侵入し、当時高校2年生だった北口聡美さんを殺害した「廿日市女子高生殺人事件」についてまとめてきました。
身勝手極まりない動機から犯行に及んだ鹿嶋学。「遅刻して怒られるのが怖かった」という理由で殺傷された被害者の無念を思うと、本当に心が痛みます。
亡くなった北口聡美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。