俳優の松平健さんの2度目の結婚相手として知られる元女優の松本友里さんが話題です。
この記事では松本友里さんの生い立ちや経歴、共に芸能人の両親など家族、松平健さんとの馴れ初めや結婚、子供の出産、息子の健太さん、自殺と見られる死因や遺書の有無などについてまとめました。
この記事の目次
松本友里のプロフィール
松本友里のプロフィール
本名 :鈴木友里子(旧姓は松本)
生年月日:1968年3月18日
没年月日:2010年11月15日(享年42歳)
出身地 :東京都
身長 :不明
血液型 :A型
松本友里さんは、1980年代終わりから1990年代にかけて活躍した元女優で、俳優の松平健さんの元嫁(1度目の再婚相手)としても知られています。
松本友里さんは、高校(堀越高等学校)に入学したばかりだった1984年6月にアイドル歌手として芸能界入りし、1stシングル「過剰にオンリー・ユー/情熱・ため息・恋魔術」でデビュー。1984年9月リリースの2ndシングル「ボーイ・キラー」は、明治製菓のチョコレート菓子「ハローウッディ」のCMソングに起用され、本人もこのCMに出演するなど売り出されました。
その後、松本友里さんは、1985年まで歌手として活動した後に俳優に転身し、連続ドラマや2時間ドラマ、時代劇ドラマなどへの出演を中心に活躍しました。
代表出演作品としては、1987年公開の映画「シャコタン☆ブギ」や、1988年のNHK連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」、1989年のNHK大河「春日局」などがあります。
また、松本友里さんはこの女優時代に、のちに結婚相手となる松平健さんの代名詞的作品である時代劇ドラマ「暴れん坊将軍」にも何度もゲスト出演されています。
松本友里の生い立ち
松本友里さんは、俳優の天野新士さんと元宝塚女優の和歌鈴子さん夫妻の間に生まれ、幼い頃から芸能界に親しんで成長した生い立ちを持ちます。
松本友里さんが芸能界に入ったきっかけは、中学生だった1983年にフジテレビのバラエティ番組「オールスター家族対抗歌合戦」に、父親の俳優・天野新士さんの娘として出演し、芸能プロダクションの目に止まってスカウトされた事でした。
松本友里の家族① 父親は俳優の天野新士
松本友里の父親の天野新士のプロフィール
本名 :松本友孝
旧芸名 :天野新二
生年月日:1933年3月10日
出身地 :東京都足立区千住仲町
松本友里さんの父親は、1950年代から1990年代にかけて活躍した俳優の天野新士さんです。
天野新士さんは、慶應義塾大学文学部2年生だった1953年に劇団「新国劇」にスカウトされて舞台俳優になり、1961年に新国劇を退団後は、テレビドラマや映画を中心に活躍しました。
若い頃は2枚目俳優として人気を博し、1962年には、「青春怪談」、「桂小五郎」などの連続テレビドラマで主演を務めています。
その後、1965年に昼メロドラマの共演で知り合ったという元宝塚女優の和歌鈴子さん(1964年に宝塚退団)と結婚し、1968年に娘の松本友里さんが生まれています。(他にもう1人男の子も生まれている)
ところが、それから数年後に天野新士さんと歌手の西川峰子さんとのスキャンダルが報じられ、これをきっかけに嫁の和歌鈴子さんは松本友里さんと息子(松本友里さんの兄弟)を連れて、家を出て、やがて離婚となっています。
松本友里の家族② 母親は元宝塚女優の和歌鈴子
松本友里の母親の和歌鈴子のプロフィール
生年月日:1938年12月6日
没年月 :2010年6月(享年71歳)
出身地 :兵庫県
身長 :158cm
ここまででも触れていますが、松本友里さんの母親は元宝塚女優の和歌鈴子さんです。
和歌鈴子さんは兵庫県出身で神戸松蔭女子学院卒業後の1955年に42期生として宝塚歌劇団に入団しました。
和歌鈴子さんの宝絵塚時代についてはあまり情報はありませんが、ダンスが上手く、月組の娘役のスターとしてとても高い人気があったようです。
宝塚以外にも、1955年の映画「女の学校」、1957年の映画「チンドンやの娘」、1961年12月放送のドラマ「順列組合わせ(読売テレビ愛の劇場)」、1964年4月から放送されたNHK朝の連続テレビ小説「うず潮」などに出演しています。
松本友里と元旦那の松平健の馴れ初めと結婚
松本友里さんは、「暴れん坊将軍」でも何度か共演していた俳優の松平健さんと、2005年10月12日に結婚されています。ただ、2人の馴れ初めは暴れん坊将軍の共演ではなく、2004年に、松本友里さんが松平健さんの出演舞台を観劇したのがきっかけだったそうです。
松本友里さんと松平健さんは、馴れ初めからすぐの2004年10月に交際をスタートさせ、約1年の交際期間を経て結婚されています。
松本友里さんと松平健さんの結婚は、14歳差の歳の差結婚(松平健さんが年上)である事も大きな話題になりました。また、松平健さんは松本友里さんとの結婚の2年前の2003年に女優の大地真央さんと離婚していて再婚でした。
松本友里と松平健の子供は息子の健太さん
松本友里さんと松平健さんの間には、結婚からちょうど1年後の2006年10月31日に子供が誕生しています。
松本友里さんと松平健さんの子供は息子さんで、名前は健太さんである事が公表されています。
松本友里さんはこの息子の健太さんを出産後、子育や家事などに専念するため、松平健さんの嫁の立場としてのマスコミへの出演も含めて一切公の場には露出しなくなり、事実上芸能界から引退されています。
松本友里さんと松平健さんの息子の健太さんの詳細な情報は名前と生年月日以外は公開されておらず、顔写真も不明ですが2011年頃には有名私立幼稚園に通っていることを一部週刊誌が報じていました。
松平健さんと松本友里さんの息子の健太さんは2021年12月の現在は15歳で中学3年生のはずですが、どのような学校生活を送っているのかなどの情報は報じられておらず不明です。
松本友里の死因は自殺と見られている
出典:https://www.sponichi.co.jp/
松平健さんと結婚し、息子の健太さんも誕生するなど幸せに過ごしているとみられていた松本友里さんでしたが、2010年11月15日に42歳の若さで亡くなられています。
当時の報道によると、松本友里さんは、自宅のドアノブにロープをかけて首を吊った状態で発見されており、死因は自殺とみられています。
その後の報道などによると、松本友里さんは松平健さんとの結婚後に最愛の母親である和歌鈴子さんを自宅に呼び同居していたようです。
ところが、程なくして和歌鈴子さんが体調を崩し、松本友里さんはその介護を献身的にされていたようです。
両親が離婚した松本さんは母と仲が良く、常に行動は一緒。松平も、「お母さんの体が弱いから面倒をみている。そういう家庭的なところが好き」と話していた。介護も献身的で、近所の年配男性は「松平さんの奥さんは、亡くなる前のお母さんを介護サービスの車に乗せた時のかいがいしい姿が印象的だった」と話す。
しかし、2010年6月に和歌鈴子さんは病気で亡くなり、これをきっかけにして松本友里さんは精神的に病むようになり、知人に対して「死にたい」と漏らす事もあったという事です。
その和歌さんは今年6月末、病没。直後から松本さんに異変が見られるようになった。知人に「死にたい…」と漏らし、うつ状態に陥っていたようだ。
松本友里さんが亡くなった当時、息子の健太さんはまだ4歳と幼く、シングルファザーとなった松平健さんはベビーシッターの助けも借りつつ、忙しい俳優業と並行して懸命に子育てをされている様子が、週刊誌やワイドショーなどのメディアで度々報じられていました。
松平健さんは、息子の健太さんに松本友里さんが死去した事をうまく説明できなかったそうですが、その後、息子の健太さんが成長された事から、きちんとその死を伝えられ、現在は親子で松本友里さんの毎月の月命日にお墓参りに行っているとの事です。
松本友里の遺書は?
松本友里さんの死因は自殺と見られていますが、遺書の有無は公表されていません。
松本友里さんが遺書を残されたかどうかは不明ですが、警察の調べによれば事件性は見られないとの事で、死因は自殺と見て間違いないようです。
まとめ
今回は、松平健さんの2度目の結婚相手としても知られている元女優の松本友里さんについてまとめてみました。
松本友里さんは、父親に俳優の天野新士さん、母親に元宝塚女優の和歌鈴子さんという芸能家族で育った生い立ちを持ち、自身も中学生の時にスカウトを受けて高校在学時に歌手としてデビューされています。
その後、松本友里さんは女優に転身し、そのころに「暴れん坊将軍」に何度かゲスト出演して松平健さんと共演されています。その後、松平健さんの出演舞台を松本友里さんが観劇したのを馴れ初めとして、2005年10月12日に結婚し、1年後の2006年10月に子供も生まれています。
松本友里さんと松平健さんの子供は息子の健太さんで、2021年12月の現在は15歳になられているはずです。
結婚と出産など、幸せに過ごしているとみられていた松本友里さんでしたが、結婚5年目の2010年11月に42歳という若さで亡くなられています。死因は自殺と見られていますが遺書の有無は公表されていません。
ただ、松本友里さんはその死の半年前に最愛の母親の和歌鈴子さんを病気で亡くしており、周囲に「死にたい」と漏らしていたという事から、母の死をきっかけにして精神を病み、自ら命を絶ったのではないかと見られています。