演歌歌手で俳優だった香田晋はバラエティでも人気を博しましたが、突然の芸能界引退の理由や僧侶になった現在の活動も話題です。
今回は香田晋の芸能界引退の理由、オープンさせた料理店、僧侶への転身など現在をまとめました。
香田晋のプロフィール
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名前:香田 晋(こうだ しん)
本名:鷲崎 孝二(わしざき こうじ)
生年月日:1967年10月12日
出身地:福岡県北九州市八幡東区
血液型:B型
身長:165cm
芸能事務所「ゴールデンミュージックプロモーション」に所属し、演歌歌手や俳優として活躍していた香田晋。
1985年、ラジオ番組「船村徹の演歌巡礼」の企画で開催されたカラオケ大会に出場し、「兄弟船」を歌ったことがきっかけで作曲家の船村徹にスカウトされます。
高校卒業後に上京し、3年間船村徹の内弟子生活をして過ごしました。
しかし、内弟子だった3年間で歌のレッスンが行われたのは一度きりで、実際は料理やマキ割りをする毎日だったようです。
1989年6月7日、「男同志」で歌手デビューを果たします。作詞は星野哲郎、作曲は師匠でもある船村徹が担当しました。
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香田晋はこの曲で、第31回日本レコード大賞の新人賞を受賞します。
1992年、2時間ドラマの「小京都シリーズ・会津涙橋殺人事件」で俳優デビューを果たします。
福島県喜多方市の流しの歌手役を務めました。
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1994年には「夢いちど」で念願のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、歌手としても俳優としても充実した日々を過ごしていきます。
2005年、バラエティ番組「クイズ!ヘキサゴン」にレギュラー解答者として出演したことがきっかけで、当時ブームだった「おバカタレント」の1人として人気を獲得します。
バラエティ番組への出演が急増し、歌手活動や俳優業の他にバラエティタレントの肩書きも加わった香田晋。
順調に思われた芸能活動でしたが、2012年4月25日、所属事務所「ゴールデンミュージックプロモーション」を退社し、同時に芸能界から引退することを発表しました。
香田晋が芸能界を引退した理由は何なのか、引退後どのような活動をしているのか、引退後から現在までの香田晋をまとめました。
香田晋の芸能界引退理由とは?
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2012年4月25日付で、所属事務所「ゴールデンミュージックプロモーション」を退社した香田晋。事務所退社と同時に芸能界を引退し、23年間の芸能生活に幕を下ろしました。
引退後は地元福岡に戻り、芸能活動をしていた時から交際していた一般女性と結婚。
夫婦で料理店をオープンした他、歌手時代に身に付けた腹式呼吸を使って健康な身体づくりを目指す教室などを経営し、芸能界からは一切離れました。
引退理由について、香田晋は「週刊女性」のインタビューを受けた際、芸能界引退を考えるようになった理由を明かしています。
「いつか自分の口でお話ししなくてはと思っていた」と切り出し、「バラエティーの仕事が主になってしまい、歌手なのに自分の思い通りに歌が歌えなくなった」と、語りました。
バラエティ番組への出演が急増したことで精神的に負担となってしまい、「精神科に通院したりして精神的に追い詰められてしまい逃げ出してしまった」と、引退の驚きの理由を述べました。
応援してきたファンに対しては、「ファンの方に黙って引退してしまい申し訳なかったです」と謝罪の言葉を述べています。
明るい雰囲気でバラエティ番組で活躍していただけに、精神的に病んで病院通いまでしていたとは驚きました。
笑顔の裏では、決してファンには見せない苦労や痛みがあったのでしょう。
引退後、芸能界への復帰について聞かれると「もう香田晋で商売するつもりはない」と完全否定しました。
引退後は芸能界の知人でさえ一切連絡を取っていないようで、完全に芸能界から離れたことがうかがえました。
引退後は一切表舞台に登場しなかった香田晋ですが、自身の歌を認めスカウトしてくれた師匠・船村徹が亡くなり、2017年2月23日の葬儀で5年ぶりにカメラの前に姿を見せました。
通夜、葬儀・告別式の両日とも参列し、兄弟子である歌手の鳥羽一郎や舟木一夫と共に、亡き船村徹の棺を運びました。
引退後に「歌手・香田晋」として人前に出たのはこれが最初で最後となります。
香田晋が引退後にオープンさせた料理店「真稟」とは?
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芸能界から離れた後、本名の「鷲崎孝二」名義で、妻とともに地元福岡の遠賀町という土地で料理店「真稟」をオープンした香田晋。
この店はJR遠賀川駅から約3kmの場所にあり、幹線道路から外れた山あいの中、豊かな自然に囲まれた土地で、神社やお寺、古民家などが点在する田舎にあります。
古民家の横の離れの奥にある蔵を改造し、二階部分に店を構えました。
演歌歌手だった香田晋ですが、かねてより料理が得意で、船村徹の付き人時代に師匠のために料理を振舞ったり、歌手時代に料理本を出すなど、料理の腕は折り紙付きでした。
マグロ解体師1級の免許も持っており、その腕前を武器に2012年にオープンしたのがこの店です。
演歌歌手から料理人に転身した香田晋は、目立つ看板も宣伝もほとんど出さず、地元住民の口コミだけで営業していました。
知る人ぞ知る隠れ家であり、予約を受けてからお客さんに合わせて鮮度の高い食材を仕入れ、手間をかけたこだわりの逸品を振舞っていました。
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ランチ営業もしていたようで、おすすめランチの「手捏ねハンバーグ」、「自家製手作り 焼豚丼」のどちらも数量限定の1500円で出されており、客からも人気が高かったようです。
メニューは多国籍料理が多く、古き良き日本の古民家を改造した店で振舞われる味も確かな料理に、口コミで人気が集まり、常連もつくほどの人気店に成長しました。
また、ギャラリーとしても活用していたようで、ギャラリースペースには香田晋が描いた絵や書が飾ってあったようです。
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隠れ家的な店で香田晋夫妻の人柄も良かったため、地元住民のみならず県外からも足を運ぶお客さんがいたようです。
多くの人に愛された店でしたが、香田晋が僧侶になる道を選んだことで現在は閉業となってしまいました。
香田晋の現在 【僧侶になった理由も紹介】
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香田晋は現在、福井県美浜町の徳賞寺にて僧名「徹心 香雲(てっしん こううん)」として僧侶の務めを行なっています。
2018年11月に福井県美浜町「徳賞寺」で、仏教における僧侶となるための出家の儀式「得度」を受けた香田晋。
僧侶となった現在は、月に数回自宅のある横浜と福井を往復して、僧侶の務めを果たしているようです。
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そのかたわら、地域のイベントで演歌歌手時代に培った素晴らしい歌を披露したり、書をしたためたりといった活動も行なっています。
福岡県で料理店を営んでいた香田晋が僧侶へと転身したきっかけは、2018年に長年介護をしていた義理の祖母を亡くしたことが転機となりました。
実は香田晋は幼い頃に父親が蒸発しており、母親も旅館で住み込みで働いていたため離ればなれで育ったといいます。
その母親も43歳という若さで亡くなり、香田晋は義理の祖母の元で育ちました。
香田晋にとって祖母は「真の理解者で、辛いときも心の支えだった」と語るほど大きな存在だったようです。
そのため、祖母が亡くなった後に自分で経を読み、できる限りの供養をしたいと考え、師匠にあたる船村徹の知人である「徳賞寺」の住職に相談したのだといいます。
そこで仏門の道に誘われ、僧侶になる決意をしました。
義理の祖母の葬儀を終えた香田晋は、現在自宅がある神奈川県横浜市から、月1〜2回「徳賞寺」に帰山し、2018年に僧名「徹心 香雲(てっしん こううん)」の名を与えられたのです。
現在も住職に付き添って檀家への法話や読経などの務めを行なっています。
また、檀家や参拝者らと交流するうちに、演歌歌手だった香田晋に「歌の披露や書を書いてほしい」との依頼がされるようになりました。
町内の祭りで数曲を歌い美声を披露した他、寺のある福井県の若狭町熊川に造られた忍者道場へ書を提供するなど、歌や書の活動を現在も続けています。
檀家の集いで法話や読経をした後に演歌を披露することもあり、僧侶と歌い手という香田晋ならではの活動で忙しく過ごしているようです。
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香田晋は僧侶になった後、メディアの取材に応えました。
「書や仏教と出合うことができ、毎日がとても充実している」と現在の生活に触れ、「これも若狭地域との縁のおかげ」と感謝の言葉も述べています。
「今後も感謝の思いを込め、地域の役に立っていきたい」と、人々との交流を大事にしていきたい想いを語りました。
まとめ
現在、サラリーマンが定年退職後に仏門入りすることが多くなり、セカンドライフとして「老後出家」は理想の1つと言われています。
芸能界を引退後、自分のやりたい道に進み、そして祖母のためにと入った仏門の道で充実した生活を送っている香田晋。
現在の様子を見ても笑顔が光り、素敵な人生を歩んでいることがうかがえました。