かつて「マネーの虎」に出演し注目を集めた実業家の堀之内九一郎さんですが、現在の鑑定士への転身が話題です。
今回は堀之内九一郎さんのプロフィール、「マネーの虎」出演エピソードや名言、鑑定士としての活動をまとめました。
堀之内九一郎のプロフィール
プロフィール
出典:https://a-genzai.com/
名前:堀之内九一郎(ほりのうちきゅういちろう)
生年月日:1947年10月5日
出身:鹿児島県鹿児島市
経歴
父親が経営者でとても裕福な家庭に生まれ、9人姉弟の末っ子で、唯一の男児だったこともあり特別に甘やかされかわいがられて育ちました。
しかし1966年に両親が相次いで亡くなり、2億円もの遺産を手にしたことで、会社を辞め遺産の全てを女遊びに使い果たします。
父親の跡を継いだ稼業も廃業させ無職となりましたが、20歳で結婚を機に起業。
その後起業と廃業を40回も繰り返し、裕福な暮らしをしていた中で、1982年には1億5000万円もの借金を抱え自殺未遂するなど人生のどん底を味わいました。
妻と子には逃げられ、会社も倒産、1985年にはホームレス生活を送る中、1988年にリサイクルショップ・生活倉庫を開店し、なんとこれが大ヒット。
年商102億円を稼ぐ大成功を収め、2001年から「マネーの虎」に出演を開始し、3年間出演し続けました。
しかしその後、オークションサイトの台頭でビジネスは徐々に減退し、2013年に倒産しました。
「生活倉庫」起業から倒産まで
出典:https://a-genzai.com/
「マネーの虎」や「カンブリア宮殿」などのテレビ番組に出演していた堀之内九一郎さんは、「ホームレスから年商102億になった男」と紹介されていました。
リサイクルショップ・生活倉庫はどのようにして生まれ、そしてどのように消えていったのでしょうか。
1985年に妻も子供も失い借金まみれだった堀之内さんは、車で鹿児島から東京を目指して夜逃げしたものの、移動資金さえも底をつきホームレス生活を余儀なくされます。
この時、堀之内さんはゴミ捨場に捨てられた家具や家電を自分で修理し、ホームレス仲間や中古屋に売ることで生活費を稼いでいました。
こうしてコツコツと貯めた18万円を元手に1988年、たった15坪倉庫からリサイクルショップ・生活倉庫は始まったのです。
これが見事に大当たりし、4年後の1992年には法人化、最盛期2009年頃には全国250店舗を展開し年商102億円にまでのぼる大成功者となりました。
しかし、近年中古品の売買はヤフーオークションやメルカリなどのオークションサイトが台頭。
店舗を構えて在庫を管理する、という事業形態自体が時代遅れとなってしまいました。さらに同業者との競争も激化し、生活倉庫の年商はみるみるうちに減退。
2013年5月にはついに、静岡手形交換所から取引停止処分を受け、生活創庫が実質の倒産となったのです。
堀之内九一郎は「マネーの虎」最長出演を誇る
マネーの虎とは?
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2001年10月から2004年4月まで日本テレビで放送されていたリアリティ番組で、起業家が自身の事業計画をプレゼンテーションし、投資家が審査し、出資の可否を決めるという番組でした。
起業家自身が目指す事業や夢をプレゼンテーションし、出資の可否を決める「マネーの虎」と呼ばれる大物起業家たちは毎回自腹で投資をするというのがルール。
出資が決まった場合、新規起業者は出資者と相談して開業当日の利益目標に応じたノルマを設定します。
そのノルマを達成できなかった時に出資者からきつく叱責を受けるシーンは番組恒例となり、人気を集めました。
最長出演にして最低出資回数
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この「マネーの虎」という番組が開始した当初から最終回を迎えるまでの3年間、出演し続けたのが堀之内九一郎さんです。
番組最長出演を誇りますが、「マネーの虎」として堀之内さんが実際に出資した回数は3年間でたった3回だけでした。
起業と廃業を繰り返して借金にまみれ、妻と子供、家も失った経験と、何度もどん底から自力で這い上がってきた堀之内さん。出資に値すると思える起業家がほとんどいなかったようです。
浮き沈みの非常に激しい人生を送っていますが、経営に関する才能はとにかく人並み外れたものがあったのでしょう。
しかし、「マネーの虎」に出演していた堀之内さんを見ると、出資の才能には恵まれなかったことがわかります。
「マネーの虎」に出演した際には、毒舌でかなりシビアな経営理論を展開していた堀之内さん。
「経営の資質がない」と新規起業家にバッサリ言い切る場面もしょっちゅう見られましたが、番組内で実際に出資した3人の起業家たちは全員失敗に終わっています。
堀之内さんが出資を決めた3人のうちの1人は美人起業家で、アクロバットパイロット育成のための起業を希望していました。
出資者として出演していた高橋がなり氏とともに、共同出資することを決めましたが、残念ながら失敗に終わってしまいました。
もはや、女で身を滅ぼすといっても過言ではないほど女性に目がないタイプとあって、美人起業家につい投資してしまったのでしょうか。
その他の2回の出資はボクサーの対戦費用、ケバブ店開店資金に出資しましたが、いずれも失敗しています。
また、堀之内さんが番組内で罵声を浴びせ、起業の厳しさを分かっていないと否定した起業家が成功収める例もあり、投資家としてはやはり才がなかったと言えます。
ただし、手作り木製家具を製作する若い男性起業家に出資しようとしましたが、貞廣一鑑社長と岩井良明社長も出資を希望。志願者が貞廣社長を選んだため投資に至らなかった例もあります。
この事業は大成功を収め、現在豪華なオフィスで事業を大きく展開していると言います。
堀之内九一郎の名言集
出典:https://kigyoka-shacho.com/
堀之内九一郎さんは激動の人生を送っているだけに、これまで多くの名言を残してきました。
その一部を紹介します。
大変さもどこかで楽しみながら、私は今日まで努力を続けてきた。
私は努力の達人ですよ(笑)。いかに楽しく、効果的に仕事ができて儲けられるか、常に考えてますから。これが正しい努力の仕方です。
私には物が売れない経験はない。売れるまで売ろうとするから必ず売れる。成功とは、成功すると決めた人しか成し得ない。
これらの名言から分かるのは、堀之内さんがいかに「好きで」商売をしていたか、ということ。
堀之内さんは大変な挫折と苦悩を経験し、家族も家も失いました。しかし、それでももう一度這い上がろうとする力は、常に自分の「好きなこと」をしているからです。
儲かる、得をする、という考えではなく、自分のやりたいこと、好きなこと、楽しいことに時間と労力を使うからこそ、失敗しても挫折しても、何度でも立ち上がることが出来るのでしょう。
日々の小さな積み重ねをいかに明日へつなげるか、という繰り返しの中で大きな成功を掴み取ったからこそ、言える言葉ですよね。
堀之内さんが大成功を収めたリサイクルショップも、堀之内さんがホームレスの時に、捨てられた家電を自分で修理し売って生計を立てていたというところから始まっています。
ホームレスという経験が大きな成功につながっているように、堀之内さんの人生にとって無駄なことは何1つ無いのです。
「精神論」では飯は食えないと言いますが、精神が崩れてしまっては、何も始まらないのです。
引用
夢を諦めない、という強い気持ち自体が私にとっての大きな傘。その傘がある限り、どんなに激しい雨が長く降り続いても、ずぶ濡れになり、悲嘆に暮れることはない。
どんな時も、いくつになっても、夢や憧れを追い続ける気持ちこそが明日への原動力であると、成功者が語る言葉は重みが違いますよね。
堀之内九一郎の現在~死亡説や鑑定士への転身について
堀之内九一郎の死亡説
出典:https://career-find.jp/
リサイクルショップ・生活倉庫が倒産した後、パッタリとテレビで姿を見ることがなくなった堀之内九一郎さんは、倒産を苦に自殺したのでは無いかという情報が出回りました。
過去にも自殺未遂していることから、あり得なくはないと思われ、しかもWikipediaに勝手に自殺したという内容が書かれてしまったことで情報が拡散されました。
しかし、番組などで人生のどん底から這い上がってきた武勇伝を語ってきた堀之内さんですから、ちょっとやそっとで諦めるわけがないと、自殺説はデマだという噂がすぐに広まりました。
ただ、テレビ関係者が取材を試みようと連絡を取っても一切連絡がつかず、所有していた3軒の家も全て手放しているため、所在は不明なんです。
堀之内さんが現在どこでなにをしているのかは謎で、出身地である鹿児島でひっそりと暮らしているのではという噂もあります。
2010年週刊誌Flashが取材した際には、愛車のマセラッティと浜松の大豪邸を見せ、アメリカ進出の夢まで語っていた堀之内さん。
2014年FRIDAYからの取材に対し、「そっとしておいてくれ」となんともらしからぬ発言をしていました。
どんなに経営手腕がすごくても、時代の流れというのは本当におそろしいもので、一度乗り遅れると2度と波には乗れないスピードで時代は進んでいきます。
今や欲しいものはワンクリックで買える時代。わざわざリサイクルショップに出向いて中古品を売ったり買ったりする人はなかなかいません。
堀之内さんもまた、時代の流れに負けてしまった1人なのです。
現在は鑑定士?!
出典:http://www.houwa.net/
所在が全くつかめず、生きているのかさえもわからなかった堀之内九一郎さんが、突如テレビに出演したことで話題となりました。
2018年3月に放送された「ニチファミ!今夜解禁!開かずの扉」で、奈良の開かずの蔵からお宝を発見し鑑定するという企画で、なんと鑑定士の1人として出演していたそう。
この放送を見た視聴者からは、「どこかで見覚えがあるような…」としばらく見ていなかった大社長の転身ぶりに驚きの声が続々と上がりました。
そして、2019年5月の放送回でも鑑定士として出演しており、その際にも多くの反響がありました。
まさか堀之内社長が鑑定士に転身して再びテレビに出てくるとは#マネーの虎 pic.twitter.com/OXtgW1hyT3
— 滝澤 大志 Takizawa Taishi (@takizawa_2AW) May 3, 2019
2014年の取材時にはすっかり元気が無くなっていた堀之内さんですが、見事な復活劇です。
掘り出し物をお宝に変えてきた堀之内さんならではの、鑑定士という職業への転身や、なんの情報もない中でのテレビ出演だったため本当に驚きました。
鑑定士なんてすぐになれるのか?という声も多く聞かれましたが、堀之内さんはリサイクル会社経営の経験があり中古品売買の第1人者ですから、物を見極める目は人一倍あると言えます。
特に、眠れるお宝を掘り出すのは得意中の得意のははずです。
転んでもただでは起きない男・堀之内九一郎さんは今回もまた這い上がってきたのです。
鑑定士としての腕前は計り知れませんが、今後メディアへの露出が増え、再び脚光を浴びる日も近いかもしれませんね。
これまでの波乱万丈な人生を考えると、生活倉庫の倒産はきっと堀之内さんにとってはそれほど大きな挫折ではないはずです。
その命が尽きるまで、未来を諦めず走り続ける姿をこれからも私たちに示してもらいたいですね。
まとめ
かつて「マネーの虎」などの番組に多く出演していた堀之内九一郎さんについて、番組エピソードや数々の名言、現在の様子を紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
裕福な家庭に生まれながらも、波乱万丈、激動の人生を送った堀之内さんは、ホームレスとなり全てを失ったどん底から、年商102億円の企業を生む大社長へと這い上がりました。
そんな堀之内さんは2013年にリサイクルショップ・生活倉庫が倒産して以降、ほとんどその所在もわからないままでしたが、2018年頃から鑑定士として活動しテレビ出演しています。
死亡説も流れた中での復活に、視聴者には懐かしむ声も多く聞かれました。
今後、再び復活を果たした堀之内さんが毒舌鑑定士として脚光を浴びる日もそう遠くはないかもしれません。テレビでその姿が見られるのが楽しみですよね。
これからの堀之内九一郎さんの活躍に期待しましょう。