妖艶な美貌で人気のタレント・壇蜜さんが漫画家・清野とおるさんとの電撃結婚を発表して話題です。
今回は壇蜜さんの結婚した旦那・清野とおるさんについてや、かっこいいと話題になっている壇蜜さんの本名、これまでの異色の生い立ちや、結婚後の現在についてまとめました。
この記事の目次
壇蜜のプロフィール
壇蜜のプロフィール
生年月日:1980年12月3日
出身地:秋田県横手市
身長:158cm
血液型:O型
壇蜜さんは、芸能界でも屈指の色気を武器に絶大な人気を誇る女性タレントです。その妖艶な雰囲気で世の多くの男性を虜にし、「愛人キャラ」とでもいうべき独自のポジションを確立して人気を集めます。
そんな壇蜜さんの芸能界入りは2009年28歳の時とかなり遅めです。それまでは「和菓子工場社員」「銀座のクラブホステス」「葬儀屋」など様々な職歴を持ち人生経験が豊富、セクシーな見た目だけでなく、コメンテーターや司会などもソツなくこなす知的なトークスキルも魅力的です。
また、2012年頃からは女優としても活躍の場を広げており、映画やドラマを中心に数多くの作品に出演しています。こちらでも、色気満点のセクシーな役から清楚美人の役まで幅広く魅力的に演じ、その類まれな才能を示しています。
今後のさらなる活躍も期待される壇蜜さんですが、2019年11月22日に電撃的に結婚を発表して注目を集めています。今回は壇蜜さんの結婚やその生い立ちを中心にまとめていきます。
壇蜜が電撃結婚発表!旦那・清野とおるとは
2019年11月22日、壇蜜さんが電撃的に結婚を発表し大きな話題になっています。壇蜜さんの結婚のお相手は「青春ヒヒヒ」「東京都北区赤羽」などシュールな雰囲気のコメディ作品で絶大な人気を誇る漫画家・清野とおるさんです。
なお、壇蜜さんは妊娠はされておらず「デキ婚」ではありません。
壇蜜の結婚した旦那・清野とおるのプロフィール
生年月日:1980年3月24日
出身地:東京都板橋区志村
壇蜜さんの旦那となった清野とおるさんは、独特すぎる雰囲気で注目を集める東京都北区「赤羽」の街に実際に住み、赤羽でのシュールな日常を描くノンフィクション漫画「東京都北区赤羽」、その続編「ウヒョッ! 東京都北区赤羽」で大ブレイクを果たした漫画家です。
俳優・山田孝之さんも熱狂的ファンである事を公言するなど、他に類を見ない独特な作風と絵柄でカルト的な人気を誇っています。
壇蜜と旦那・清野とおるの馴れ初めは?
壇蜜さんと旦那・清野とおるさんの馴れ初めは、2017年にバラエティ番組「櫻井・有吉THE夜会」での共演だったそうです。
壇蜜さんが今一番気になる男性として清野とおるさんの名前を挙げた事で、2人が赤羽をデートする企画が番組で組まれ、そのデートでよほど惹かれあったのか、番組終了後すぐにプライベートでもデートするようになったのだとか。
壇蜜と旦那・清野とおるのプロポーズ
壇蜜さんの自宅のある三軒茶屋の西友に2人で買い物に行った時、その帰り道の自転車置き場で清野とおるさんから「現状維持のために一緒にいたい」という話を受けたのだそうです。
壇蜜さんは「それが結果的にはプロポーズになったんでしょうね」と明かされています。
壇蜜との結婚について清野とおるがツイート
壇蜜さんと旦那・清野とおるさんの結婚が発表された時には、かなり多くの人が「意外な組み合わせ」と感じたのではないでしょうか?
清野とおるさん本人も壇蜜さんとの結婚について「僕も全く意味がわかりません」とのコメントを発信されています。
こんなマイナーカルト漫画家と、壇蜜さんが北区役所で「入籍」とか意味がわからないですよね…。
— 清野とおる (@seeeeeeeeeeeeno) November 21, 2019
僕もまったく意味がわかりません。
3年くらい前に結婚は完全に諦めたので「ラッキー」でした😀
これからも赤羽に住みつつ、くだらない漫画を描き続けていく所存ですので、よろしくお願いします🙇 pic.twitter.com/wWwpJT8xZ4
ただ、壇蜜さんのキャラクターをよく知るファンからは「壇蜜さんがテレビのキャラ通りの人でよかった」といった、清野とおるさんを選ぶところが壇蜜さんらしいと感じたファンも多いようです。
また、清野とおるさんのファンからも、「自分の妻を壇蜜と呼んでるサイコかと思った」などのキツめのツッコミが飛び交いつつも「意味わからなくて最高」「なんかしっくりくる組み合わせ」「最高に嬉しくて最高に笑った」など、祝福のメッセージが溢れています。
壇蜜が結婚で本名がかっこいいと話題に
出典:https://www.nikkan-gendai.com
壇蜜さんの電撃的な結婚発表では、複数メディアが壇蜜さんの結婚を本名を報じており、その本名がかっこいいと話題になっています。
そんな壇蜜さんの本名は「齋藤支靜加(さいとう・しずか)」です。この本名は特に非公開だったわけではなく、現在の芸名「壇蜜」を名乗る前にはこの「齋藤支靜加」で芸能活動をされていたのでファンの間ではよく知られています。
しかし、今回の電撃的結婚報道で、これまで知らなかった人も壇蜜さんの本名「齋藤支靜加」を知る事になり、この本名が芸名に負けないくらいかっこいいとしてかなりの注目を集めているようです。
壇蜜の生い立ち① 共働きの両親の下で育った幼少時代
ここからは、壇蜜さんの生い立ちにスポットを当てたいと思います。
壇蜜さんは1980年12月3日、秋田県横手市でツアーコンただクターの父と、保育士をする母との間に生まれました。兄弟はおらずひとりっ子だそうです。
壇蜜さんの幼い頃、両親が共働きでいつも忙しそうにしていたそうです。そんな両親の姿を見て育った壇蜜さんは保育園の頃には早くも「働いてお金を稼ぎたい」と思っていたのだそうです。
保育園の迎えがいつも一番遅く、帰りは迎えに来た親と一緒にバスで帰宅する事が多かったそうなのですが、くたくたに疲れてバスに乗る親の姿を見て「自分は親の世話も出来ないし、働いてお金を稼ぐ事も出来ない、一体、子供の価値とは何なのだろう?」と考えてしまったのだとか。
そして、「私はいつまで子供でいるんだろう、早く働かないと」と不安に駆られる幼少期を送ったのだそうです。かなり大人びた考え方を持ち、特殊とすら感じる幼少時代の壇蜜さんですが、この頃の体験が現在の壇蜜さんの独特な雰囲気を作り出すルーツになっているのかも知れませんね。
壇蜜の生い立ち② 出身校は名門私立女子校「昭和女子大学」
かなり大人びた考えを持ち幼少期を送った壇蜜さんでしたが、その後は出身の秋田県から東京へと引っ越し、小学校受験で、私立の名門女子校である「昭和女子大学付属昭和小学校」へと進学しています。
壇蜜さんの出身校である「昭和女子大学」は小学校から大学までエスカレーター式に進学できます。壇蜜さんは小学校から大学までをこの昭和女子大学で過ごす事になります。
内向的ながら性に興味を持った小学校時代
小学校時代の壇蜜さんは、かなり内向的な性格だったそうで、中々友達たちの輪の中に入る事が出来なかったそうです。イジメなどは受けなかったものの、疎外感は強く感じていたそうで、壇蜜さんは後に、馴染めない環境に苦しんていた当時の心境を明かしています。
壇蜜さんは小学校に入った間もない頃、父親の部屋にこっそりと入り、置いてあった「ゴルゴ13」の漫画を読んだ事があるそうです。これもまた大人びたエピソードですが、幼い頃の壇蜜さんはこれをきっかけにして「性的な事に興味を持つようになった」と言います。
また、小学校3年生の頃には、母と秋田県に帰省するたびに叔父さんの持っていた漫画を読むのが好きだったそうで、その中でも赤星たみこさんの「恋はいつもアマンドピンク」を読んだ事で、早くもセックスに強く興味を抱くようになったのだとか。
「愛人」のあだ名で呼ばれた中学校時代
小学校卒業後、壇蜜さんはエスカレーター式に「昭和女子大学附属昭和中学校」へと進学しました。中学生になっても、壇蜜さんはあまり積極的に周囲と関わろうとせず、1人静かに読書をしているような少女だったそうです。
ただ、少しイメチェンをしようと髪型を当時流行っていたワンレングスに変えたのだそうです。すると、クラスメイト達から「愛人」というあだ名をつけられてしまいます。おそらく当時から、壇蜜さんには大人びて妖艶な雰囲気があったのでしょう。
ただ、これはイジメといった感じではなく、壇蜜さんも「同級生にかまってもらえた」と嬉しくなってしまったんだとか。これをきっかけにして友人も出来たのだそうで「愛人」というニックネームを当時はありがたいと思っていたのだそうです。
また、壇蜜さんは14歳の頃には日本舞踊も習い始め、ボストンに留学もするなど積極的な一面を見せ始めています。壇蜜さんは、日本舞踊は大人になるまで習い続け、師範の免許も取得しています。
「失楽園」も読んだ高校生時代
壇蜜さんは、エスカレーター式に「昭和女子大学附属昭和高等学校」へと進学します。
小学生の頃にはすでにセックスに興味を抱いていたという壇蜜さんですが、高校時代は男性に興味がなく、同級生のある女子に憧れを抱いていたのだとか。こんなエピソードからも、同じ年齢の女子達から見て、一歩二歩先んじて成長している印象を受けますね。
また、高校時代には、不倫をテーマにし、性描写もふんだんに盛り込まれた恋愛小説「失楽園」を読書感想文のテーマに選ぼうとしたんだそうです。
これは、書くまえに友人に止められ実現しなかったそうですが、壇蜜さんは人から勧められて本を読む事に抵抗があったのだそうで、あえて、読書感想文向きでない「失楽園」を選択しようとしたのは、読書感想文のために大人からオススメされた本を読む事への反発心もあったようです。
大学では教員免許も取得
高校卒業後は、やはりエスカレーター式に「昭和女子大学」へと進学。大学時代には海外への語学留学も経験し、英語の教員免許も取得されています。
こうした経歴から語学も堪能で、芸能界入りした後も度々その高い語学力を披露されています。
壇蜜の生い立ち③ 専門学校を経て様々な職を経験
壇蜜さんは、幼い頃から思慮に深く考えすぎてしまうところがあったためか、どこか漫然とした気持ちで学生生活を送っていたそうです。それもあって、大学在学中には明確に卒業後の自分の進路を決められなかったそうです。
調理師免許を取得し和菓子工場で働く
進路を決めかねた壇蜜さんは母親の勧めもあり、大学卒業後には「服部栄養専門学校」に入学し「調理師免許」を取得しています。
専門学校卒業後は、和菓子工場で3年ほど働きますが、当時の月給は13万円ほどだったそうで、かなり苦しい生活だったそうです。そして、この和菓子工場は26歳の時に上司に楯突いた事でクビになってしまったのだとか。
銀座の高級クラブでホステスとして勤務
26歳の頃に和菓子工場を辞めた後、壇蜜さんは銀座の高級クラブでホステスとして勤務しています。
当時、壇蜜さんが勤務していたという高級クラブのママは、壇蜜さんが芸能界でブレイクした後にメディアの取材に応じ、ホステス時代の壇蜜さんの事を絶賛しています。
「これまで雇ったどの女の子と比べても存在感が抜きん出ていました」、「当時から“この子は大物になるだろうな”と感じていました」
銀座の高級クラブを切り盛りするママからこれほどの評価を受けるという事からも、壇蜜さんが芸能界デビュー前から魅力的な女性であった事が窺えます。
事実、一流企業の重役を含めて数多くの指名客を持っていたそうで、その店でも有数の人気ホステスだったそうです。
ほかのホステスとは身のこなしが違い、新聞をよく読んでいたためどんな話題にも対応。テーブルにつくといつの間にか、隣のお客にしなだれかかり、メガネフェチであったため、メガネをかけたお客の隣につくと、体を寄せて指先でめがねを突いていたという。そんな“必殺技”にメロメロになった客が多く、上場企業の重役を含め年配の指名客の数はダントツだったというのだ。
恩人の死をきっかけに葬儀業界へ
銀座のクラブホステスを続けていたとしても成功したであろう壇蜜さんですが、クラブホステスは和菓子屋を開店するための資金を稼ぐためにホステスとして働いていたそうで、その後すぐに辞めてしまったようです。
しかし、ほどなくして和菓子店を出資する際にお世話になった恩人が亡くなり、それに強いショックを受けたという壇蜜さんは、死について深く考えたようで、人の死に深くかかわる道へと進路を変更します。
「死がタブー視されている世の中を疑い、疑う前に内側を知りたいと思った」と進路を変更し、葬儀学校に入学した。
壇蜜さんは、入学した葬儀学校で、葬儀関連の資格を取り「遺体衛生保全士」という民間資格も取得されています。
この「遺体衛生保全士」とは、亡くなった方の遺体を綺麗な状態に保つようにする技術者で、これをテーマにした映画や漫画なども発表された事から「エンバーミング」という言葉でも知られています。
「壇蜜」という芸名は、その後葬儀関連の会社で働いた経験が関係しているそうで、「壇」は「祭壇」、「蜜」はお供え物をイメージし、仏教の知識なども踏まえて自分で考えた名前なのだとか。
壇蜜さんの持つ深い哲学を感じるエピソードです。
壇蜜の生い立ち④ 芸能界入りし一躍注目の存在に
ここまで見てきたように、壇蜜さんは、幼少期から学生生活を通じて独自の世界観を貫き、社会に出てからも自分の志に従って様々な職業を経験しました。
そして、2009年28歳の時、そうした流れの中の一つとしてプレイステーション4のゲーム「龍が如く4 伝説を継ぐもの」のホステス役のオーデイションを受けて合格し出演する事になります。
2009年の「東京ゲームショー」では「龍が如く4」のメーカーであるセガのブースにもゲーム内そのままの姿で出演し話題になります。ゲームでは本名の「齋藤支靜加」の名前で出演し、これが本格的に芸能界入りした後の最初の芸名にもなります。
この時は、そこまで芸能界入りしたいという気持ちはなく、ほんの記念や思い出づくりのつもりだったそうです。
その後、壇蜜さんは「龍が如く」の時のオーディション用のプロフ写真が余っていた事を理由に、「良い思い出にしたい」という気持ちだけで、週刊誌「SPA!」一般公募のグラビア企画「どるばこ」に応募します。
軽い気持ちで応募した壇蜜さんでしたが、見事合格してグラビアが掲載されるや、瞬く間に話題を集め、関係者から芸能事務所を紹介された事から、グラビアタレントとして本格デビューする事になります。これと同時期に「壇蜜」の芸名に変更。
その後の展開はファン以外にもよく知られているように、2012年頃にテレビで見ない日はないほどの大ブレイクを果たして一躍時の人になり、瞬く間に芸能界のスターダムへと上り詰めたのでした。
壇蜜の現在① 結婚後も変わらず芸能活動を続けている
そんな壇蜜さんの現在は、冒頭でも紹介したように2019年11月22日に漫画家の清野とおるさんとの結婚を発表し話題を呼びました。
結婚したとはいえ、壇蜜さんはこれまで何も変わらぬ様子で淡々と芸能活動を続けています。現在の主な活動としては、バラエティ番組へのゲスト出演の他、自身がパーソナリティを務めるレギュラーラジオ番組「壇蜜の耳蜜」や「大竹まことゴールデンラジオ!」にもレギュラー出演中です。
その他にも、週刊新潮で連載中のエッセイ「だんだん蜜味」など幅広い分野での活躍を継続しており、結婚後も変わらぬ活躍が期待できそうです。
壇蜜の現在② 腸炎発症でクリスマスイブは寝込んでいた
そんな壇蜜さんですが、結婚後初となる2019年12月24日のクリスマスイブには、なんと数日前に腸炎を発症して寝込んでいた事を明かしています。
前日24日、クリスマスイブに何を食べたかと、大竹まこと(70)に尋ねられた壇蜜は、「すいません、熱を出しまして。腸炎にかかっておりまして」と告白した。「お腹が痛い、熱が38度からずっと下がらない。もうよくなったんですけど、金、土、日、月と…。昨日は病み上がりで、大豆のバーしか食べていません」と、か細い声で話した。
引用:壇蜜、腸炎発症し救急外来へ「本当にヤバかったよ」 イブは「大豆のバーしか食べてない」
壇蜜の歴代彼氏の噂① 元カレとの写真が流出
壇蜜さんの、過去の彼氏の噂についても紹介したいと思います。壇蜜さんは、2013年に、「週刊文春」に過去の元カレをスクープされ、この時に元カレとのツーショット写真も流出しています。
文春の記事によれば、ツーショット写真は壇蜜さんがブレイクする前の2011年頃に撮影されたもので、相手男性は有名緊縛写真家の息子で壇蜜さんと同世代、とあるSMイベントで知り合い交際に発展したとの事。
ブレイク時にはセクシーなアブノーマルイメージで売り出していた壇蜜さんでしたが、この文春報道によって、壇蜜さんのイメージはキャラとして作られたものでは無かったと話題になりました。
この男性とは、壇蜜さんがブレイクし始めた頃に、事務所の意向で破局させられたのだそうです。
壇蜜の歴代彼氏の噂② 又吉直樹(ピース)
壇蜜さんは2017年6月頃には、芥川賞作家で、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんとの熱愛疑惑も報じられています。
報道によれば、壇蜜さんと又吉直樹さんは、2015年にBS日テレで放送された「久米書店」に共演した際に、司会の久米宏さんに「2人はお似合い」と交際を勧められた事をきっかけに又吉直樹さんの方からアプローチをかけ、その後交際に発展したのだそうです。
又吉直樹さんは大の読書好きが高じて作家デビューを果たし、その才能を開花させ芥川賞を受賞しましたが、壇蜜さんもかなりの本好きである事が知られており、2人の本の好みも合う事などから、久米宏さん的に2人はお似合いだから付き合えば?という事になったようです。
『久米書店』(BS日テレ)に、又吉がゲスト出演したことで実現し、番組中に久米が「お似合いのカップルだから付き合っちゃえ」と発言する場面があった。後日、又吉が久米のラジオ番組に出演した際に「壇蜜と結婚すりゃいいのに」などと、とにかく2人を後押ししていたとのこと。久米のアドバイス通りに又吉が壇蜜を食事に誘い、最近になって距離を縮め交際に至ったのではないか?というのが今回の報道
しかし、この熱愛の噂を、壇蜜さんは「連絡先も知らない」と否定。又吉直樹さんも「壇蜜さんのファンではあるけれど、考えもしなかった」と同様に否定しており、熱愛の事実はなかったようです。
まとめ
今回は、2019年11月22日に漫画家の清野とおるさんと電撃結婚を発表し話題になったタレントの壇蜜さんについてまとめてみました。
壇蜜さんと清野とおるさんの結婚は意外という声も多く上がりましたが、2人をよく知るファンからは「なんかしっくりくる組み合わせ」「壇蜜さんらしい」といった祝福の声があふれています。
今回は、壇蜜さんのこれまでの生い立ちについても見てきましたが、その独特ながら自身の哲学を貫いてきた経歴を知れば、独自の世界観を持つ漫画家・清野とおるさんとの結婚を選んだ事にも頷ける気がします。
本当にお似合いな2人だと感じるので、今後とも末長く幸せな結婚生活を送って欲しいと思います。