爆風スランプの元メンバーでベーシストの江川ほーじんですが、ある事故で意識不明の重体となり、現在の容態に注目が集まっています。
今回は江川ほーじんの爆風スランプ時代と脱退理由、事故内容と現在の様子をまとめました。
この記事の目次
元爆風スランプ・江川ほーじんのプロフィール
出典:http://www.egawahojin.com/
名前:江川ほーじん
本名:江川芳仁
生年月日:1961年6月15日
出身地:大阪府
江川ほーじんは、バンド「爆風スランプ」の元メンバーで、ベーシストとして活動しているミュージシャンです。
1982年に、アマチュアバンド「爆風銃(バップガン)」に途中加入して音楽活動をスタートしました。
バンド加入直後にメンバーのファンキー末吉に誘われ、別のバンド「スーパースランプ」に在籍していたサンプラザ中野、パッパラー河合と組んで「爆風スランプ」を結成します。
江川ほーじんは、爆風スランプではベースおよび作曲を担当していました。
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「爆風スランプ」は結成当初、過激なパフォーマンスが売りでした。
ライブ中に客席に向けて消火器を放射することもあれば、客席に畳や戸板を投げてその上に乗って演奏することも。
さらには、花火を口に咥えたり、燃料をしみこませた綿に火をつけて頭に乗せるなど、一歩間違えれば事故や怪我に繋がりかねない過激なパフォーマンスを行なっていました。
それが持ち味であり、さらに放送禁止用語を駆使した過激な歌詞も多数あったことなどから、過激派コミックバンドとして人気を集めていきました。
しかし、江川ほーじんは1989年に爆風スランプを脱退し、その後は織田哲郎らのプロジェクト「TOUGH BANANA」に参加。
これは舛添要一や小西克哉が作詞に参加した全曲英語詞のアルバムで、異色作として話題になりました。
その後、梅原達也、山根基嗣、堀尾哲治とともに結成した「RHINOCEROS」や「Portfolio」の結成といったバンド活動を経て、現在はスタジオミュージシャンとして活動しています。
現在も他の様々なミュージシャンと組んでセッションライブを開催することもあり、爆風スランプ脱退後も音楽の道を外れたことはありません。
元爆風スランプ・江川ほーじんの脱退理由とは?
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1989年に爆風スランプを脱退した江川ほーじん。
なぜ江川ほーじんが爆風スランプを脱退することになったのか、その理由に迫ります。
当時、過激なパフォーマンスで人気を集めていた爆風スランプですが、実力派バンドとの呼び声とは裏腹に、バンド活動に限界が見え始めた頃でもありました。
爆風スランプの活動に新たに風を吹かせるべく、1986年にプロデューサーに新田一郎を迎えます。
そして爆風スランプは、新田一郎が社長を務める「代官山プロダクション」に移籍することとなり、売れることを目的とした売れ線になるよう路線変更をしたのです。
これに反発したのが江川ほーじんです。
バンド活動の方針を巡って対立したことを理由に、江川ほーじんは爆風スランプを脱退しました。
江川ほーじんの脱退に際し、ファンキー末吉が作った曲にサンプラザ中野が歌詞を乗せ、江川ほーじんが辞めていく姿を歌った「Runner」が誕生します。
出典:http://hiptankrecords.com/
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Jtw5S12-ZeI]
この曲は34万枚を売り上げるヒットとなり、1988年の「第39回NHK紅白歌合戦」出場を果たしました。
現在も日テレ系で夏に放送される「24時間テレビ」のチャリティーマラソンの応援歌として歌い継がれるなど、爆風スランプを代表する名曲として知られています。
爆風スランプはその後、1998年にラストシングルの「暖かい日々」をリリースし、重ねてラストアルバム「ハードボイルド」をリリース。
1999年4月に活動休止するまで、32枚のシングルと13枚のアルバム、7枚のアルバムの他多数の未音源化曲を発表し、多くの人に愛されるバンドとなりました。
出典:https://www.amazon.co.jp/
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=rsjgvSCUewg]
爆風スランプの活動休止後、江川ほーじんは20年ぶりに「爆風銃」のメンバー達と再結成に向けて準備を進めていました。
かつてのメンバーが揃う高揚感に包まれる中、突然衝撃的な知らせが飛び込んできます。
江川ほーじんが事故に遭い、意識不明の重体である旨がファンキー末吉のブログで明らかになりました。
事故の内容、現在の容態など、詳しい情報を以下にまとめました。
元爆風スランプ・江川ほーじんの事故内容と現在の容体とは?
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2019年2月、ファンキー末吉がブログを更新し、2018年12月上旬に江川ほーじんが交通事故に遭い、意識不明の重体であることが報告されました。
報道番組や新聞といったニュースでは詳しい事故状況は報じられず、江川ほーじんが事故に遭って意識不明という状況のみが発表されました。
事故の内容や原因についてですが、ファンキー末吉のブログでも公表されず、2ヶ月が経ってからの報告ということもあり、報道番組などでも事故内容が言及されることはありませんでした。
どこでどのような状況で事故に遭ったのか、どんな怪我を負ったのか、事故の内容と原因は現在も公表されていません。
ただ、意識不明の重体になるほどの事故ということを考えると、かなりの大きな事故だったことが分かります。
事故が判明した2019年6月、爆風スランプの仲間だったサンプラザ中野とパッパラー河合がラゾーナ川崎プラザで、ミニアルバム「大きな玉ねぎの下で」の発売イベントを行いました。
そこで江川ほーじんの状態について、中野サンプラザは「ご心配ありがとうございます。変わらず意識が戻らず眠っております」と報告。
パッパラー河合も「お見舞いには行っていますが…」と、未だ予断を許さない状況にあることを伝えました。
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また、1990年に結成したバンド「RHINOCEROS」で共に活動していた「44MAGNUM」のボーカリスト・梅原“PAUL”達也は、江川ほーじんを救済するためのイベントを開催します。
「Re-BORN 梅原“PAUL”達也トークライブ」のVol.10を「ほーじん!今度はオマエがRe-BORNだ!」と銘打って、小岩ライブシアターオルフェウスで開催しました。
他にも江川ほーじんと親交のあるミュージシャンがチャリティーライブを行い、病床の江川ほーじんを応援しています。
また、事故に遭った報告を受けたファンは、江川ほーじんの誕生日である6月15日に合わせて誕生日メッセージやメールによる励ましのメッセージを送ったようです。
音楽仲間もファンも、江川ほーじんの奇跡の回復を願って行動を起こしています。
そんな江川ほーじん側からは「懸命の治療が続いていますが、残念ながらまだ目を覚ましておりません」とコメントがありました。
江川ほーじんがどうか目を覚ましてくれるようにと願うファンや仲間の気持ちは、きっと届いているのではないでしょうか。
元爆風スランプ・江川ほーじんの現在 【事故のその後を紹介】
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2018年12月上旬に交通事故に遭い、事故から1年以上が経過した2020年現在も、江川ほーじんの意識が回復していないことが分かっています。
2020年1月に更新された江川ほーじんの公式サイトで「一命は取り留めたものの今日まで意思の疎通には至っておりません」と報告があり、未だ意思疎通を図れない状態のようです。
また、公式サイトでは江川ほーじんの容態についての説明と、募金に関するお知らせがありました。
事故後、ファンキー末吉・西野やすし・西村ヒロを発起人として、江川ほーじんの治療のための「江川ほーじん募金」が開設されています。
集められた募金は、江川ほーじんがより良い治療環境で1日も早く回復し復帰できるようにと願って開設されたものです。
公式サイトでは、2019年末で口座に651万円超、ライブ会場で約25万円集まり、「現在までに約260万円を治療費として使わせていただきましたことをご報告させていただきます」と報告。
また、江川ほーじんの状態をなかなか報告できないことへの謝罪と、「今、こうして治療に専念出来るのはひとえに皆さまのお陰です。ご厚意に感謝してもしきれません」ともコメント。
また、サイトに寄せられた応援メッセージを読み上げると、江川ほーじんがひとつひとつに聞き入っているような素振りを見せ、伝わっていると感じる、とも綴られています。
意思の疎通が取れない厳しい状況の中、懸命にリハビリに励んでいることが報告されました。
最後には「治療の模索は続きます。すぐに結果は出ないかも知れません。どうか、奇跡を共に願って頂けましたら幸いです」と締めくくられています。
音楽に生きた男の不慮の事故。ファンからは今も応援と激励の言葉が寄せられ、奇跡が起こることを願う気持ちを募金という形にして江川ほーじんのもとに届けられています。
ファンや仲間からの気持ちは、きっと江川ほーじんに届いていることでしょう。
今後回復することを願い、良い知らせが飛び込んでくることを待つばかりです。
まとめ
事故に遭い意識不明の重体となった、元爆風スランプの江川ほーじん。
今も快方に向かっているとは言えない状況のようですが、奇跡が起こることを祈るばかりです。