関東連合のリーダー・見立真一の支援者として名前が挙がっていた平原宏一が、2019年に42歳の若さで死去して話題になっています。
今回は平原宏一について、その生い立ちや経歴について、患っていた病気や脳死の噂、その死因の真相についてもまとめました。
この記事の目次
平原宏一とは?関東連合リーダー見立真一の支援者
出典:http://www.accessjournal.jp/
平原宏一は、「六本木クラブ襲撃事件」の首謀者として国際手配され、現在も海外逃亡中とみられている関東連合のリーダー・見立真一の支援者だったとされる人物です。
「六本木クラブ襲撃事件」以降、海外で行動する見立真一への活動資金供給役や、国内の関東連合メンバーへの連絡役を担っていたと言われています。
平原宏一は2008年4月、東証マザーズに上場していた企業「アーティストハウスHD」の株式増資の際に3億1千万円分の株を買い占めて経営権を握り、代表取締役に就任。平原宏一の就任後「アーティストハウスHD」は、主要な売上を占めていた連結子会社を次々と売却した事で、事実上事業活動が停止したと見なされ、マザーズを上場廃止になっています。
この上場企業買収資金に加え、平原宏一は最低でも5千万円以上はする超高級車、ロールス・ロイス・ファントムに乗っており、警視庁は、平原の潤沢な資金源がどこにあるのかについてマークを続けていました。
広域指定暴力団との繋がりもあったとされ、何らかの裏社会の利権が絡み、そこから供給される莫大な資金を活用して表稼業を行う代理人のような立場にいたとみられますが、その実体については謎に包まれています。
平原宏一はいわゆる経済ヤクザの代理人だった?
前述の「アーティストハウスHD」の代表取締役に就任した際の騒動などから、株式市場関係者の間では、平原宏一はいわゆる「仕手筋」と認識されておりました。
平原宏一の莫大な資金は、こうした仕手戦によって作り出されたのでしょう。
こうした一連の事件の裏側での平原宏一の動きを追えば、意図的に株価を押し上げ、一般株主が追従した後で一気に売り抜けて利益を出す、いわゆる「需給戦」を仕掛ける経済ヤクザそのものです。
さらに、平原宏一が関東連合や暴力団組織と関係の深い人物である事を考えれば、仕手戦によって株式市場を主戦場とする裏社会の組織がバックについているのは間違い無いでしょう。やはり、平原宏一はこうした経済ヤクザの表の顔を担当する「代理人」のような立場にいたと推測されます。
そして、そうして得た利益の一部が、見立真一の逃走資金として利用されていたというのが真相なのでは無いでしょうか?
平原宏一は一時脳死状態になった後に死去している
見立真一の逃亡資金の供給元とも見られていた平原宏一でしたが、2019年4月10日午前1時半頃、42歳の若さでこの世を去っています。
平原人数は病気で東京有明のがん研有明病院に入院しており、2019年1月5日に一時意識不明の重体に陥り、そこから一旦蘇生したものの脳死状態になり、それから約3ヶ月後に死去しました。
平原宏一が脳死状態に陥った後に親族と元妻との間で対立が起こっていた
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最期を看取ったのは親族ではなく、平原宏一の元妻と平原の側近だった中島辰之介だとされています。
実は、平原宏一が脳死状態になる中、平原の10年ほど前に離婚した元妻と、平原の親族グループが対立状態になっていたとされます。
病室に見舞いに訪れた平原の親族を、平原の側近で元妻に付き添っていた中島辰之介という男が、「この野郎出て行け」などと脅迫し、病院の外まで追いかけてきた事などを平原の親族側が訴え、5月22日に中島辰之介が脅迫容疑で逮捕されるというゴタゴタが起こっています。
4月14日に営まれた平原の葬儀には、上述の元妻が取り仕切り、関東連合の大物、伊藤リオンや中村創、中島辰之介らが出席しましたが、親族関係者は一切出席しなかったという事です。
平原宏一は莫大な資産を残したと見られますが、この元妻との間に、当時小学1年生の一人娘がおり、この娘が平原の財産の直接の法定相続人です。平原の莫大な財産を巡って、親族と平原の娘の親権を持つ元妻が対立関係になったと見るのが真相だと推測されます。
平原宏一の死因は入院理由の咽頭がんではない?
平原宏一の死因は当初、末期がん(咽頭がん)によるものとされていましたが、直接の死因となった脳死については薬物の副作用によるものではないか?と見る関係者もいるようです。
平原宏一は元水泳の選手であり、鍛え上げられた肉体を持っていましたが、咽頭がんを患ってからは肉体が衰え、抗がん剤の副作用もあってピーク時から30キロ以上も体重が減少していたとされます。衰える自分の肉体を悲観した平原宏一は、精神を患って精神科から薬を処方されており、その薬の乱用が脳死につながったとの見方が浮上しています。
関東連合の後ろ盾のような役割を10年以上にわたって担っていた平原宏一は、重圧の中で生活していたとされ、その過剰なストレスが早死につながったと考える関係者も多いようです。
平原宏一の生い立ちや経歴
平原宏一は、東京都江東区の出身で、1976年4月16日生まれで、関東連合では「S51世代」と呼ばれる世代にあたり、見立真一の2世代先輩という事になります。
若い頃から不良だったものの、特定の暴走族グループやチーマーグループに所属していたわけではありません。とはいえ、少年時代から関東の不良達との関わりは深く、関東連合のほか、中国残留孤児の2世・3世を中心とした暴走族で、現在は首都圏でストリートギャングとして勢力を伸ばす準暴力団「怒羅権(どらごん)」との繋がりも強かったと言われています。
また、平原宏一は明治学院大学法学部法律学科を卒業しており、かなり学力優秀な人物でした。大学卒業後はコンサルティング業などを行い、2008年4月に上述の「アーティストグループHD」の代表取締役に就任しています。
平原宏一は関東の不良達からの信頼を集めていた
アウトローでありながら優秀な知能を持ち、有名大学の法律学科卒という経歴を持ち、逮捕歴もない平原宏一は、裏社会の不良達にとって極めて重要で、かつ使い勝手の良い人物でした。
また、平原宏一は元々の性格が優しく、後輩の面倒見も良かったため、頼まれると断れず、自分の意向とは関係なく裏社会とのつながりを強めっていった側面もあるようです。
平原宏一は、こうした信頼の置ける人間性だった事から、猜疑心の極めて強い見立真一からも信頼されており、海外に逃亡してからは、関東連合関係者と言えどもほとんど居場所を明かさず、連絡も取れない状態になっていた見立と密に連絡を取る事ができた数少ない人物の1人だったと言われています。
事実、見立真一が「六本木クラブ襲撃事件」の後、真っ先に相談したのがこの平原宏一だったと言われています。こうした事から、平原宏一は見立真一の逃亡を手助けし、国内や海外に潜伏していた他のメンバー達に対しても、見立の思惑を踏まえながら事細かに行動を指示する役割を担いました。
まとめ
今回は、関東連合のリーダー・見立真一の有力な支援者として知られる平原宏一についてまとめてみました。
平原宏一は、「アーティストハウスHD」の株式を大量に買い上げ、その代表取締役に収まった人物で、経済ヤクザの表の顔を担当する代理人のような立場にいたと推測されます。
こうして得た莫大な資金を使って、海外で逃亡を続ける見立真一の援助を行っていたと推測されます。
そんな平原宏一は、2019年に42歳の若さでこの世をさりました。死因は咽頭がんだとされていますが、一度意識不明に陥った後脳死状態を経て死去しており、この脳死の原因は服用していたという精神薬の乱用によるものとも噂されています。
平原宏一は見立真一の重要な支援者だったのは間違いありませんが、その平原の死によって逃亡を続ける見立真一の方にも何らかの動きが出る事も考えられます。今後の展開にも注目していきましょう。