現在も高い人気を誇るスカバンド「東京スカパラダイスオーケストラ」の元ドラマーの青木達之さんの死因が注目されています。
この記事では、青木達之さんの自殺の可能性が高いとされる列車事故による死因や、理由とされる生活上の悩み、娘や嫁などの家族についてまとめました。
この記事の目次
青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)のプロフィール
青木達之のプロフィール
生年月日:1966年8月15日
没年月日:1999年5月2日(享年32歳)
出身地 :東京都
青木達之(あおき・たつゆき)さんは、国内を代表する実力派スカバンド「東京スカパラダイスオーケストラ」の元ドラマーです。
青木達之さんは1966年、東京都の生まれで、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学へ進みました。学生時代から腕のいいドラマーとして知られており、慶應大学在学中だった1987年に東京スカパラダイスオーケストラの当時のバンドマスターだったASA-CHANG(あさちゃん)の誘いを受けて加入しています。
慶應義塾大学を現役で卒業後は大手出版の講談社に就職していますが、講談社での勤務と並行して東京スカパラダイスオーケストラでの活動を続け、ライブ活動にも精力的に参加し、実力派ドラマーとして当時まだ若かった同バンドを牽引する存在でした。
東京スカパラダイスオーケストラへの加入から2年後の1989年には、1988年に設立されたばかりだったインディーズレーベル「ファイルレコード」からアナログ盤のアルバム「東京スカパラダイスオーケストラ」をリリースし、その翌1990年4月にはEPIC SONY(現在のエピックレコードジャパン)から、シングル「MONSTER ROCK」をリリースしてメジャーデビューを飾っています。
東京スカパラダイスオーケストラのデビュー当時から、青木達之さんの卓越したドラムの演奏技術は高く評価されており、スカパラでの活動の他にも、高橋幸宏さん、小沢健二さん、坂本龍一さんら、錚々たる有名アーティストのコンサートツアーにドラマーとして参加しています。
また、東京スカパラダイスオーケストラでは、「ドキドキTIME」、「ホール イン ワン」、「ガッツィー ボンゴ」などの作曲を手がけたほか、1990年に大ヒットした小泉今日子さんの31stシングル「丘を越えて」の他、小沢健二さんら多くの有名アーティストへの楽曲提供も行っていました。
その他にも青木達之さんはクラブDJとしても活躍し、当時の音楽シーンでのカルト的な人気も集めるミュージシャンの1人でした。
東京スカパラダイスオーケストラでの活動を通じて、カリスマ的存在となっていた青木達之さんでしたが、1999年5月2日に32歳という若さでこの世を去っています。
青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)は列車事故で死去
東京スカパラダイスオーケストラのドラマーとして活躍していた青木達之さんでしたが、1999年5月2日の23時15分頃に列車事故に遭って死亡しています。
1999年5月4日の産経新聞の記事によれば、青木達之さんは、同年5月2日の午後11時15分頃に、東京都世田谷区豪徳寺の小田急線の線路上にうつ伏せの状態で横たわっているところを、上りの急行列車に轢かれて死亡したとの事でした。
1999(H11)5月2日午後11時15分ごろ、東京都世田谷区豪徳寺の小田急線の線路上にあお向けに横たわっているところを、相模大野発新宿行き上り急行電車にはねられ死亡した。 現場は豪徳寺駅から約70メートル新宿寄りの線路上。同駅のホームから線路に降り、歩いて事故現場まで行き、電車にはねられたとみられている。
引用:1999年5月4日の産経新聞より
東京スカパラダイスオーケストラの往年のファンからは、現在でも青木達之さんの早すぎる死を惜しむ声が多く上がっています。
1999.05.02
— Yoko (@tokyoskapara) May 1, 2019
もう20年もたつのか。。
私のなかでは飄々としたイメージの青木さん。
ドラム叩く姿が好きでした。
もっともっと聴きたかった。#スカパラ#青木達之 pic.twitter.com/JSi8NyePgN
また、青木達之さんが亡くなった5月2日は、奇しくも前年の1998年5月2日に「X JAPAN」のギタリストのhideさんが、10年後の2009年5月2日にはロックミュージシャンの忌野清志郎さんが亡くなっており、一部の音楽ファンの間ではこの偶然にも注目が集まっていました。
5月2日。
— 西崎ゴウシ カルメラ Calmera (@goushi504) May 1, 2019
日本のロック界からhideさんが居なくなった日。
日本のロック界からスカパラの青木達之さんが居なくなった日。
日本のロック界から忌野清志郎さんが居なくなった日。
残された作品は今日も日本のロック界に生きてます。
今日も誰かを励まし、誰かの勇気になり、誰かのロックに火をつけてる。
青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)の死因は自殺の可能性が高い
上で紹介した産経新聞の記事のように、青木達之さんは、小田急電鉄小田急線の豪徳寺駅のホームから自ら線路上に降りて、約70メートル新宿駅方向へと歩いた線路上にうつ伏せの状態で横たわっていたようです。
こうした事から、警視庁北沢署は青木達之さんの死因は自殺の可能性が大きいと発表していますが、本人による遺書などは見つかっていないという事でした。
警視庁北沢署の調べによると自殺の可能性が大きいとしている。遺書などは見つかっていない。
引用:1999年5月4日の産経新聞より
青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)の自殺理由は生活上の悩み
死因は自ら列車事故に巻き込まれた自殺の可能性が高いとされている東京スカパラダイスオーケストラの元ドラマー・青木達之さんですが、当時の東京スカパラダイスオーケストラは順調に人気を上昇させており、その中心人物の1人であった青木達之さんも順風満帆なミュージシャン人生を送っているようにみられていました。
また、東京スカパラダイスオーケストラの当時のメンバーらも青木達之さんの突然の死去に驚きを隠せない様子で「自殺するようには見えなかった」といった趣旨のコメントを出されていました。
加えて、青木達之さんが亡くなった当時、東京スカパラダイスオーケストラはライブツアーを10日後に予定しており、このようなタイミングで責任感の強い性格である青木達之さんがそのような選択をするとは考えづらいとの声もありました。
そうした事から、なぜ、青木達之さんが突然の自殺をしたのかという理由にも注目が集まる事になりました。
青木達之さんの死去を報じた、読売新聞1999年5月4日朝刊の記事によれば、青木達之さんは何らかの”生活上の悩み”を抱えていたということで、それが自殺の理由になったのではと推測されていました。
ただ、この自殺理由と推測された”生活上の悩み”が具体的に何だったのかということは明かされておらず不明です。
青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)の嫁や娘などの家族
東京スカパラダイスオーケストラの元ドラマー・青木達之さんは1999年5月に32歳という若さで他界されていますが、当時、結婚していて嫁と幼い娘さんの家族がいました。
青木達之さんの生前にリリースされた「東京スカパラダイスオーケストラ」のアルバムのライナーノーツにも、青木達之さんがまだ幼い娘さんを肩車した幸せそうな写真が掲載されているものがあります。
嫁と幼い娘など家族を残して自殺で死去されたという事から、青木達之さんの自殺理由に注目が集まりましたが、実は青木達之さんの父親も過去に自殺で亡くなっており、母親も事故のあって若くして亡くなっているとの事で、そうした度重なった家族の不幸も青木達之さんの自殺理由に関係しているのではないかとの見方もあるようです。
まとめ
今回は、国内で高い人気を集めるスカバンド「東京スカパラダイスオーケストラ」の元ドラマーで、1999年に列車事故によってこの世を去った青木達之さんについてまとめてみました。
青木達之さんは慶應義塾大学在学中の1987年に東京スカパラダイスオーケストラに参加し、1990年には同バンドでメジャーデビューを果たしました。
青木達之さんは、ドラム演奏技術の高さに加えて、抜群の音楽的センスで高い評価を集め、他の大物アーティストのコンサートツアーへの参加や、楽曲提供など幅広く活躍されていました。
順風満帆なミュージシャン人生を送っているかに見えた青木達之さんでしたが、1999年に列車に轢かれるという衝撃的な形で死去されました。
警察の調べによれば、青木達之さんは自らホームから線路上へ降り、線路の上を70メートルほど歩いた場所で仰向けに寝そべっていたという事でした。また、当時の新聞報道などによれば、青木達之さんが当時”生活上の悩み”を抱えていた事などから、死因は自殺の可能性が高いとされています。
青木達之さんは結婚していて嫁がおり、幼い娘さんもいたため、その自殺理由には不可解な点も多いとして、関係者や往年のファンの間では現在もどこか腑に落ちないような感情が残されているようです。