中田ボタンさんはコンビ「中田カウス・ボタン」で活躍した漫才師ですが、山口組との黒い噂や引退説も話題です。
今回は中田ボタンさんの若い頃や山口組との関係、結婚した嫁と子供(娘や息子)、自宅、病名や病状など現在を紹介します。
この記事の目次
- 中田ボタンのプロフィール:漫才コンビ「中田カウス・ボタン」で活躍
- 中田ボタンの若い頃の経歴① 中田アップに弟子入り
- 中田ボタンの若い頃の経歴② ジーンズ&トレーナースタイルが話題に
- 中田ボタンの若い頃の経歴③ アイドル漫才コンビとして人気に
- 中田ボタンの若い頃の経歴④ 本格的なしゃべくり漫才へと転向
- 中田ボタンの若い頃の経歴⑤ 逮捕や借金などトラブルも多かった
- 中田ボタンと山口組との関係① 賭博に参加して逮捕
- 中田ボタンと山口組との関係② 相方・中田カウスもスキャンダルが発覚
- 中田ボタンが結婚した嫁とは
- 中田ボタンに子供(娘・息子)はいる?
- 中田ボタンの自宅の詳細は不明
- 中田ボタンの現在① 吉本と契約終了で事実上のコンビ解散・引退
- 中田ボタンの現在② がんで闘病していたことが判明
- 中田ボタンの現在③ 弟子の海原ともこがM-1審査員に
- まとめ
中田ボタンのプロフィール:漫才コンビ「中田カウス・ボタン」で活躍
生年月日:1948年4月12日
出身地:香川県
所属事務所:吉本興業→契約終了
中田ボタンさんはの本名は「藤長 明」で、相方の中田カウスさんと漫才コンビ「中田カウス・ボタン」として活動していました。
破天荒なプライベートも度々話題となっており、漫才のネタにもなっています。
中田ボタンの若い頃の経歴① 中田アップに弟子入り
出典:http://news.yoshimoto.co.jp/
中田ボタンさんはお笑い芸人・中田アップさんに弟子入りし、同じく弟子だった中田カウスさんと、お笑いコンビ「中田カウス・ボタン」を結成します。
なんでも、中田ボタンさんは中田カウスさんが勤務していたバーの常連だったのだとか。そこから親しくなり、中田カウスさんからコンビに誘ったとのこと。
結成後の下積み時代は、遊園地やストリップ劇場などといった営業先で漫才を披露していたそうです。
中田ボタンの若い頃の経歴② ジーンズ&トレーナースタイルが話題に
当時、漫才=お揃いのスーツというイメージが強かった中、ジーンズとトレーナー、さらには長髪といった革新的なスタイルで漫才をしていました。
後輩の漫才コンビ「B&B」がカジュアルな姿で漫才をしていたのも、中田カウス・ボタンのスタイルがきっかけで、多くの芸人たちに影響を与えたようです。
B&Bの島田洋七さんは、インタビューで当時を以下のように振り返っていました。
Tシャツやトレーナー、ジーパンという衣装で出ていたでしょ。それまでの漫才師といえば、お揃いの背広にネクタイ姿が定番だった。俺らが、そういう衣装で舞台に立つようになったのは中田カウス・ボタンさんの影響なんです。B&Bとして舞台に立ち始めた頃、若い子らに大人気だったのが中田カウス・ボタンさん。上方漫才大賞を何度も受賞した実力はもちろんのこと、当時珍しかったジーパン姿で舞台に立っていたんですよ。
しかし、当の中田カウス・ボタンは戦略的にこのスタイルをしていたわけではなく、経済的な問題からだったそうで、伝統や礼儀を重んじる諸先輩からはよく注意されていたといいます。
賞レースにおいては、1971年に「上方漫才大賞」で新人賞、1972年には「NHK上方漫才コンテスト」で最優秀話術賞を受賞するなど、その実力が高く評価されていました。
中田ボタンの若い頃の経歴③ アイドル漫才コンビとして人気に
中田カウス・ボタンは、新しい漫才スタイルや若者ウケを意識したネタで女子高生を中心に話題となり、コンビでアイドル並みの人気を誇るようになります。
“追っかけ”と呼ばれる熱烈なファンが登場したのは、漫才師の中では中田カウス・ボタンからと言われているのだとか。
中田ボタンさんの相方・中田カウスさんは、2023年に登壇したイベントで当時を以下のように振り返っています。
僕は50年以上前にアイドル漫才師として世に出ました。その当時は客席はおじいちゃんとおばあちゃんばっかり。(劇場を見渡し)こういう若いお客さまは1人もいません。こういった客席にしたいと思って、あるときジーパンにTシャツ、ロングヘアに出囃子をビートルズに変えて。そこから女の子のファンが増えて追っかけも・・・
中田ボタンの若い頃の経歴④ 本格的なしゃべくり漫才へと転向
出典:http://news.yoshimoto.co.jp/
その後、中田カウスさんが結婚したことを機に、アイドル的な見方をしていた層からの人気が急落してしまいました。
しかしこれを機に、中田カウス・ボタンは”本格的なしゃべくり漫才”へとシフトチェンジします。
賞レースでもその実力を示しており、1990年には「上方漫才大賞」で奨励賞、「上方お笑い大賞」で審査員奨励賞を次々に受賞。
特に上方漫才大賞においては、1991年・2001年・2005年に大賞を受賞しているほか、1995年には上方お笑い大賞も受賞しています。
2014年には、中田カウスさんが「上方漫才協会」の会長、中田ボタンさんが副会長に就任。
所属する吉本興業が運営する劇場「よしもと漫才劇場」所属の若手メンバーなどへの指導役も務めていました。
中田ボタンの若い頃の経歴⑤ 逮捕や借金などトラブルも多かった
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漫才コンビとして、芸人として順調満帆だった中田ボタンさんでしたが、プライベートにおいては借金や逮捕など波乱万丈な一面もあり、度々世間の注目を騒がせてきました。
相方の中田カウスさんは、2018年に受けたインタビューで以下のように振り返っています。
我々も、アイドル漫才師として一気に売れたのに、僕の結婚を女性週刊誌にスッパ抜かれたら、客がスーッとひいていった。それから本腰いれて漫才をやるようになったんです。それから、またウケるようになるまでは時間かかりましたよ。それでも、やっとウケるようになってきた時、仕事場に行ったら、相方がけえへん。控室でテレビ見とったら、スーパーが流れて、“中田ボタン、賭博容疑で逮捕”と(笑)。
その後の2019年、中田ボタンさんは体調不良による休養を発表。中田カウス・ボタンは活動休止状態となってしまいました。
担当医師と相談した結果、このたび検査入院による診察を受けることとなった。当面の仕事と復帰時期に関しては、「担当医師の判断に従い、関係各位と相談の上で調整させていただきます」と伝えている。ボタンもコメントを発表し、「関係各所のみなさま、いつも応援してくださるファンのみなさま この度は、ご迷惑おかけして申し訳ございません。しっかり体調整えて、また舞台に戻ってきます」と復帰に意欲をみせている。
中田ボタンと山口組との関係① 賭博に参加して逮捕
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中田ボタンさん、そして相方の中田カウスさんは、これまでに反社会的勢力との関係が度々報じられてきました。
最初に報じられたのは中田ボタンさんの方で、1998年に山口組系暴力団による賭博に参加したことが発覚し、賭博容疑で逮捕されています。
中田ボタンさんは容疑事実を全面的に認めたことから同日中に釈放。その後、謹慎処分となりました。
なんでも中田ボタンさんはギャンブル好きで、年収200万円の時代に8000万円もの借金を抱えていたこともあるのだとか。
その後返済できたかどうかは報道されていませんが、過去には借金が原因で両脇を抱えられて見知らぬ車に乗せられた…といった危うい出来事もあったようです。
漫才でもよく借金ネタを披露していますが、事実が元になっていたネタだったんですね。
若き日には借金取りに追われ、舞台休演を余儀なくされたこともある。女性にも奔放だった。絶妙のコンビネーションで50年を生き抜いてきた。ボタンは「相方を頼り続けて50年ですからね」とも言い、互いに深い縁を感じている。
中田ボタンと山口組との関係② 相方・中田カウスもスキャンダルが発覚
一方の相方・中田カウスさんも2007年に暴力団との関係を報じられており、騒動の責任をとって、吉本興業特別顧問を退任。
カウスは、山口組5代目の渡辺芳則組長にかわいがられていた。関西に仕事に行った東京の芸能人が5代目にあいさつする際、カウスが仲介役になっていたという話は関西のみならず、東京の芸能界でも有名な話だった。そんな中、2007年に吉本のお家騒動が勃発。創業家の当主だった故・林マサ氏が週刊誌誌上でカウスと5代目の黒い交際を暴露したことで、カウスと暴力団の関係が公になった。と
- さらに後日、中田カウスさんが吉本興業元会長に対して恐喝した疑惑が報じられ、大阪府警によって任意の事情聴取が行われました。
吉本興業の中邨秀雄元会長(75)に対する恐喝疑惑をめぐり、漫才師中田カウス(58)吉野伊佐男社長(65)らが、大阪府警捜査4課から任意で事情聴取を受けていたことが21日、分かった。関係者によると、この日午前から、カウスの聴取が行われ、前日までに吉野社長も事情を聴かれたという。同課は今後も関係者から順次聴取し、立件の可否を判断する。
- 2011年には、ビートたけしさんが週刊誌『週刊文春』のインタビューで、”とある芸人”にはめられて、山口組組長と引き合わされたことがあると暴露。
ビートたけしさん本人は芸人の名を伏せていましたが、文春は記事において中田カウスさんだと断定していました。ただし、中田カウスさんはこれを否定しています。
たけしは、自身が五代目山口組の組長と親睦を深め、高級時計をもらったという疑惑について、こう打ち消している。「とんでもねえ話だよ。時計なんてもらってないよ。確かに五代目とは会ったことがあるけど、その話に尾ひれがついたんだな。ちょっと名前は言えないけどさ、ある芸人が嘘をついて、ほとんど無理矢理会わされたんだよ」
文春は記事中で「ある芸人」がカウスだと名指ししている。
中田ボタンが結婚した嫁とは
中田ボタンさんは、漫才の中で”結婚ネタ”、”嫁ネタ”、”浮気ネタ”でよくいじられていました。
特に「嫁さんと奥さんが1人ずついる」というネタが有名で、「本当に嫁が2人いるの?」と気になる方もいるようです。
実際に調べてみると、あまりプライベートについて語られておらず、結婚した時期やどのような嫁なのかといった情報はまったく出てきません。
ただ、2019年に体調不良で休養していた際、相方の中田カウスさんがその理由について冗談で「嫁の呪縛」と口にしていたので、結婚自体はされているようです。
お笑いコンビ、中田カウス・ボタンの中田カウス(69)が30日、大阪・なんばグランド花月でエンターテインメントショー「THE 舶来寄席2019」(5月31日~6月23日)の公開稽古を“名誉支配人”として鑑賞した相方の中田ボタン(71)が体調不良による検査入院で3月から休養中。復帰のめどについてカウスは「嫁の呪縛がなかなか解けんので(外出に)苦労しています」と笑いを誘いながら説明した。
中田ボタンに子供(娘・息子)はいる?
中田ボタンさんは、嫁と同じく子供についても言及されていません。そのため、子供がいるのか、それが息子なのか娘なのかも不明です。
ちなみに、相方の中田カウスさんには娘がおり、関西テレビにお勤めなのだとか。また、その娘さんは2009年に同じ関西テレビのアナウンサー・坂元龍斗さんと結婚したそうです。
関西テレビの入社2年目のイケメンアナウンサー・坂元龍斗(24)と、タレント・中田カウス(60)の長女で、交際中だった同局社員Aさん(24)が11月22日に結婚していたことが4日、分かった。関係者によると、11月22日に両家が初めて顔合わせ。正式に報告も済んだことからその日の入籍を決めた。当日が「いい夫婦の日」で覚えやすかったことも決め手になったようだ。
このニュースは、関西圏で大きな話題となりました。
中田ボタンの自宅の詳細は不明
中田ボタンさんはプライベートについてほとんど言及されていないのか、自宅についてもあまり情報がありませんでした。
一方の相方・中田カウスさんには2009年、自宅に脅迫状が届く事件が発生。
さらに同年、車で移動中に金属バットで襲われたり、劇場に脅迫電話がかかってきたりなど不穏な状況が続いていました。
吉本興業及びよしもとクリエイティブ・エージェンシーは5日(日)、漫才コンビの中田カウス・ボタンの中田カウス宛てに、中田及び同社役員の身体の安全を脅かすことを示唆した脅迫文書が3日に届いていたことを公表した。中田自身が即刻、大阪府警南署に相談し、同署が捜査を開始。同社では、明日11時より大阪市内で記者会見を開いて現状を報告する。
大阪市中央区日本橋2丁目の路上で、吉本興業の漫才師中田カウス(本名野間勝道)(59)が助手席に乗った乗用車が信号待ちしていたところ、後ろから近づいてきた男が金属バットで助手席の窓ガラスをたたき割った。男は無言でカウスの頭部を数回突いてもみ合いになり、カウスがバットを取り上げると、南に十数メートル離れた場所に止めてあったミニバイクで逃走した。カウスは左頭部にバットが当たり軽傷とみられる。
ちなみに当時、脅迫状の差出人として疑惑が浮上していたのが、同じ吉本興行の漫才コンビ「コメディNo.1」の前田五郎さんです。
なんでも脅迫状と筆跡が酷似しており、警察で筆跡鑑定も行われたのだとか。
この脅迫状の筆跡と、以前カウスの自宅に届いた前田の年賀状にある筆跡が酷似しているということで、吉本は独自のルートで筆跡鑑定を行い、その結果を南署に提出する一方、世間を騒がせたという理由で前田を休養させた。前田の休養の裏には、カウス事件への関与が疑われることに加えて、彼の普段からの粗行が関係していたようだ。
前田五郎さんはこの件で休養となり、その後に契約も解除。2011年に名誉を傷つけられたと吉本興業を訴えるも、和解勧告となりました。
漫才コンビ「コメディNo.1」の元メンバーである前田五郎が、吉本興業に1億2,000万円の損害賠償を求めた裁判で、大阪地裁が2月4日に両者に和解勧告をしていたという。
これを受けて、吉本も和解の方向に向かって動いていることが、吉本関係者への取材で明らかになった。和解が成立すれば、前田が事実上、勝利を勝ち取ったことになる。
中田ボタンの現在① 吉本と契約終了で事実上のコンビ解散・引退
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中田ボタンさんは、2019年に体調不良を理由に休養を発表して以来、長らく表舞台から遠ざかっていました。
そして2023年2月に、吉本興業は中田ボタンさんとのマネジメント契約を終了することを発表。
公式サイトでは「当社所属 中田ボタン(なかた・ぼたん)について、双方合意の上、2023年2月20日をもってマネジメント契約を終了することになりましたのでご報告します」と伝え「中田ボタンは2019年3月から体調不良により休養しておりましたが、このたび、区切りを付けたいという中田ボタンの意向を最大限尊重し、合意によりマネジメント契約を終了することになりました」と説明した。
コンビとしての発表はありませんでしたが、中田カウス・ボタンは事実上の解散になると報じられています。
中田ボタンの現在② がんで闘病していたことが判明
中田ボタンさんはずっと伏せていましたが、実は病を患っていたようです。
2023年に村上ショージさんがインスタグラムで、中田ボタンさんががんであることを明かしました。
村上は「ボタン師匠が計り知れない病から帰って来ました!」とつづり、ボタンとの2ショットをアップ。ボタンは19年3月から体調不良のため休養し、今年2月、所属していた吉本興業との契約を解除していたが「医者からも駄目だと言われ私達もボタン師匠とはもう二度と逢えないであろうと思っていたのです」という。
また、村上ショージさんは”何%の確率しか無くても諦めたら駄目だと全てにおいて教えていただきました”とも記載。
中田ボタンさんの病状がかなり重かったことがうかがえるコメントですが、見事克服されたのか、写真では元気そうに見えますね。
中田ボタンの現在③ 弟子の海原ともこがM-1審査員に
中田ボタンさんに一時弟子入りしていた、漫才コンビ「海原やすよ・ともこ」の海原ともこさんが、2023年に開催された「M-1グランプリ」で審査員となりました。
今回、初めて審査員を務めた海原ともこ(51)は1992年、実妹のやすよと中田ボタンに弟子入りし、海原やすよ・ともこを結成。2015年の「THE MANZAI」では、ビートたけしが「女の漫才師で今、一番面白い」として「たけし賞」を贈るなど絶賛。現在は、吉本の劇場でトリを務める実力派で、関西での知名度は圧倒的だ。
実妹のやすよと中田ボタンに弟子入りし、漫才コンビ・海原やすよ ともこを結成。2012年と2017年には『上方漫才大賞』の大賞を受賞。複数回での受賞は、横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、オール阪神・巨人、トミーズ、宮川大助・花子、大木こだま・ひびきという錚々たる漫才師ばかりで、2020年には同期の中川家とともに、興行でトリをつとめる吉本興業常設劇場の「新看板」に就任した。
闘病中だったためか、中田ボタンさん自身からはこの件について特にコメントは発表されていません。
しかし、かつての弟子が大役に抜擢されたことをきっと喜ばしく思っていたことでしょう。
まとめ
中田ボタンさんは漫才師で、漫才コンビ「中田カウス・ボタン」として活躍。
お揃いのスーツが当たり前だった時代にカジュアルなスタイルで登場し、女子高生を中心にアイドル的な人気を誇っていました。
その後、相方の中田カウスさんが結婚し、アイドル的な人気が落ち着いたことを機に本格的なしゃべくり漫才へと転身。
2019年に体調不良で休養に入るまで新ネタをおろしつづけていました。
2023年には、吉本興業との契約終了と、がんを患っていることを公表した中田ボタンさん。
体調が戻られた際には、中田カウス・ボタンとして新たな漫才を披露して欲しいものですね。