「世界を知る日本のサムライ」「空飛ぶプリンス」と呼ばれた日本の元バレーボール選手・加藤陽一ですが、嫁や子供も話題です。
今回は加藤陽一の身長などプロフィールや経歴、結婚した嫁と子供、現在の活動をまとめてみました。
元バレーボール選手・加藤陽一のプロフィール
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名前:加藤陽一(かとう よういち)
生年月日:1976年8月12日
出身地:大分県大分市
身長:190cm
体重:88kg
血液型:A型
加藤陽一は日本の男子元バレーボール選手で、身長190cmという高身長を武器に活躍し、日本代表選手にも選ばれたプレイヤーです。
「世界を知る日本のサムライ」のキャッチコピーがあり、ウイングスパイカーのポジションで活躍しました。
数々の学生大会で目覚ましい活躍を見せ、大学在学中に全日本男子代表デビューしました。
世界選手権やワールドカップにも出場した経歴を持ちます。
2000年には、「第6回Vリーグ」で敢闘賞と新人賞を受賞、2002年「第8回Vリーグ」ではベスト6に選出、2012年には2011/12シーズンの「Vチャレンジリーグ」MVP選手に選ばれました。
ワールドカップでキャプテンを務めるほどの実力者でありながら、「空飛ぶプリンス」とも言われるイケメンなルックスで女性人気も高いです。
シドニーオリンピックの出場を逃したことがきっかけで世界に目を向けるようになり、国内では人気と実力ともにナンバーワンでありながら、その地位を捨てて日本人初となるイタリアセリエAへ移籍しました。
その後、日本人屈指の跳躍力とスピード感のあるレシーブ・スパイクといった日本人離れした実力を武器に、世界最高峰とも言われるイタリアリーグで活躍しました。
元バレーボール選手・加藤陽一の経歴
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母親がママさんバレーをやっていた影響から、上野ヶ丘中学在学中にバレーボールを始めた加藤陽一。
中学2年、3年の時には、全国都道府県対抗中学バレーボール大会の選抜に選ばれるほどの実力を付け、大分工業高校に進学すると高校3年生の時には部のキャプテンを任されるように。
1994年の春の高校バレーでチームを牽引し、3位に入賞する功績を残しました。
個人としてもインプレッシブプレーヤー賞を受賞し、バレーボール界の新星として名を馳せます。
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大学は筑波大学に進学。この時、2年生から4年生までの3年間でチームのインカレ3連覇に貢献し、大学在学中の1998年に全日本代表としてデビューし、世界選手権出場を果たしました。
この頃の全日本代表と言えば、朝日健太郎や西村晃一が有名ですが、加藤陽一もこの2人と並ぶ全日本代表の顔として大きな活躍を見せました。
その後、1999年ワールドカップに出場、2001年ワールドグランドチャンピオンズカップにも出場し、世界も認める日本代表のエースとしてチームを牽引しました。
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筑波大学を卒業すると、Vリーグの「東レ・アローズ」に入団します。入団直後から持ち前の実力を発揮し、チームをVリーグ準優勝に導きました。
この年に新人賞と敢闘賞を受賞し、Vリーグオールスターでもファン投票で1位に選ばれるなど、人気・実力ともにVリーグを代表するエース選手となったのです。
しかし、シドニーオリンピックの最終予選で全日本代表が出場権を逃すことになり、加藤陽一は世界に目を向け、国内ナンバーワンプレイヤーの座を海外に挑戦することになります。
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2002年、イタリア・セリエAの「シスレー・トレヴィーゾ」への移籍が決まりました。
当時、全日本代表のメンバーに選ばれるには「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」という規約がありました。
そのため、日本バレーボール協会はエース選手である加藤陽一の海外進出をよく思わず、サポートはほとんど望めない状態でした。
そんな状況で加藤陽一は、自分で自分の宣伝資料を作成し、ほとんど個人の力だけで海外に売り込みをかけたのです。
移籍直後、イタリア地元紙の新聞では「ベンチを温めにきた日本人」と屈辱的な報道をされたこともあるようです。
しかし、そんな加藤陽一にもチャンスが巡ってきました。
当時のチームは世界的に有名な選手が多く所属する強豪クラブでしたが、メンバーの怪我により試合出場の機会が増えると、「ベンチを温めにきた日本人」とは到底言えない活躍を見せます。
攻守に渡りチームの勝利に貢献するプレーを見せ、その年のセリエAオールスター戦で外国人選抜に選ばれました。
2002/03シーズンには、セリエAでリーグ優勝することを指す「スクデット」を獲得。チームはイタリアリーグ6度目となる優勝を飾ったのです。
2003年には、全日本との日程を合わせるためにギリシャの「PAOK」に移籍。
時を同じくして日本バレーボール協会も加藤陽一のために動き出し、全日本代表の選考基準から「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」の規定を削除しました。
全日本代表に復帰した加藤陽一は、2003年ワールドカップでキャプテンとしてチームを牽引。全日本に頼れるエースが戻って来た瞬間でした。
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2004年1月には、フランスリーグ・プロAの「アラゴ・デ・セテ」へ移籍。同年9月にはセリエAの「RPAペルージャ」に移籍しました。
ペルージャは2004/05シーズンで準優勝を収めますが、加藤陽一の試合出場の機会は多くはありませんでした。
2005年7月、日本に戻った加藤陽一はVリーグの「JTサンダーズ」に移籍します。
2009年5月にJTサンダーズを退部すると、同年7月に母校である筑波大などを母体としたチャレンジリーグの「つくばユナイテッド」に移籍。
同時に、チームの運営母体である「NPO法人つくばユナイテッドバレーボール」の常任理事に就任しました。
2010年には選手兼任監督に就任し、サマーリーグの1次リーグ男子大会でチームのセッターを務めました。
2012年にはつくばユナイテッドをチャレンジリーグ初優勝に導くなどチームに大きく貢献し、個人としてもMVPに輝く活躍を見せました。
長年に渡り、第一線でエース級のバレーボール選手として活躍してきた加藤陽一ですが、2014年5月の黒鷲旗大会をもって現役を引退。
その後は指導者の道に進むことになりました。
元バレーボール選手・加藤陽一の嫁と子供とは
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イタリアに渡る前の2002年、かねてより交際していた女性と入籍し、結婚した加藤陽一。
加藤陽一の嫁は、同じ筑波大学出身で女子バレーボール部のキャプテンとして活躍した高橋理恵と言われています。
加藤陽一と嫁の高橋理恵は学生時代からの付き合いで、筑波大学のキャプテン同士という共通点があります。
嫁の高橋理恵は大学卒業後に就職して一般女性となりました。もし卒業後もバレーボールを続けていれば、加藤陽一と同じようにVリーグで活躍した未来もあったかもしれません。
2002年に結婚した2人は、第1子は女の子・第2子が男の子と、2人の子供に恵まれました。
子供が生まれた直後は、加藤陽一が赤ちゃんを抱っこしてファンの前に現れるというファンサービスも行なっていたようです。
両親ともにバレー選手として活躍していたため、2人の子供にもその遺伝子が受け継がれているかもしれません。
加藤陽一の子供が現在バレーをやっているかは分かりませんが、もし将来バレー選手になることがあればその才能が楽しみですね。
元バレーボール選手・加藤陽一の現在
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現役を引退した2014年の9月、プレミアリーグ女子の「久光製薬スプリングス」のコーチに就任しました。
中田久美監督の下でコーチとして2年間活動し、2015/16シーズンにはチームを優勝に導いています。
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2016年に久光製薬のコーチを退任すると、「PFUブルーキャッツ」のコーチに就任しました。
寺廻太監督の下で2年間コーチとして活動したのち、2019年に寺廻太監督が代表女子強化部長に就任したことに伴い、加藤陽一が監督に昇格しました。
しかし、2018-19シーズンのチームは成績が振るわず、レギュラーラウンドで20戦全敗。
加藤陽一はチャレンジステージの2試合を残して監督を休業し、2019年をもって退団することになりました。
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その後、「JTマーヴェラス」のコーチに就任。
「JTマーヴェラス」は、大阪府大阪市を本拠地とする日本たばこ産業JTの女子バレーボールチームです。
Vリーグの「V.LEAGUE Division1」に所属するチームで、過去には女優の江角マキコが所属していたことで知られています。
チームは大会で優勝を飾ることも多々あり、加藤陽一が監督就任後の2019‐20シーズンと2020-21シーズンはリーグ戦で優勝を果たしました。
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加藤陽一は2023年5月にJTマーヴェラスを退団し、同年8月に中国・天津市にある「天津女子バレーボールクラブ」ジュニアチームのアドバイザリーコーチに就任し、現在はチームに所属する14~18歳の若手選手の指導を行っています。
中国で指導者としての活動を行うことになった加藤陽一は、海外で指導者としてよりレベルアップして、いつか日本の選手たちに還元したいとの思いを語っていました。
まとめ
バレー選手として結果を残したのち、現在は指導者として活動している加藤陽一。
指導者の肩には大きなプレッシャーがのしかかることと思いますが、いつか日本代表監督として活躍する加藤陽一の姿も見てみたいですね。