岩崎恭子さんは若い頃にバルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した水泳選手ですが、フライデーされた変装不倫も話題です。
今回は岩崎恭子さんの若い頃、結婚した旦那や子供、不倫騒動と現在をまとめました。
この記事の目次
岩崎恭子のプロフィール 【競泳史上最年少金メダル獲得記録保持者】
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日本で「恭子ちゃん」フィーバーが沸き起こったのは、1992年の真夏のこと。
まだ無名だった岩崎恭子さんは、バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで、優勝候補のアニタノールさんを破り優勝しました。
14歳の女子中学生が成し遂げたこの快挙は、当時の日本人として五輪メダル獲得の最年少記録、自己生涯ベスト記録を出したことで一躍有名人になりました。
岩崎恭子のプロフィール
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岩崎 恭子(いわさき きょうこ)
生年月日: 1978年7月21日
出身地: 静岡県沼津市
岩崎恭子の若い頃① 5歳で水泳を始め、姉と切磋琢磨していた
姉と一緒にスイミングスクールへ
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岩崎恭子さんは、地元静岡県で3人姉妹の次女として誕生しました。5歳の頃から姉の影響を受けて、スイミングスクールで水泳を習い始めています。
姉の敬子さんが水泳を始めたきっかけは、1970年代のメジャーな習い事であったという理由もありますが、幼少時代は喘息気味で体が弱かったそう。
岩崎恭子さんは、3歳上の敬子さんが大好きでとにかく真似をしたいという一心で、教室に通っていたと明かしています。
競技種目は姉の敬子さんと同じ平泳ぎですが、自身で希望したものではなく、他の競技よりも良い記録が出るという理由でした。
岩崎恭子さんは、「他の子供よりも速く泳げるけれど、お姉ちゃんにはかなわない」と、子供ながらに考えていたのだとか。
姉の敬子さんは、高校1年生の時に平泳ぎでインターハイに出場、女子100mと200mの2冠を達成する実力者だったのです。
しかし岩崎恭子さんも負けてはおらず、小学校6年生の時に出場した大会で日本記録を更新。早くも才能を開花させていました。
姉との直接対決
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岩崎恭子さんが姉の敬子さんと直接対決をしたのは、1992年のバルセロナオリンピックに向けた出場選手選考会を兼ねた大会でした。
岩崎恭子さんは、100mと200mの2つの種目に出場し、共に姉を破り、オリンピック代表選手として選ばれたのです。
若いエースの台頭に地元は湧いたものの、岩崎恭子さんの家族は複雑な思いだったようです。
当日の夕食ではお祝いムードも一切無く、何事もなかったかのように団欒の一時を過ごしたのだとか。
選考会の結果については、敢えて何も言わないことが精いっぱいできることだと考えた岩崎恭子さん。
そんな2人の間のわだかまりを解消したきっかけを作ったのは、姉の敬子さんでした。
代表合宿へ出発する日。姉から思いがけない言葉が、「直前だったと思うんですけど、姉に頑張ってねって声をかけてもらって、もやもやが取れた。
すっきりした。姉もそう思ってくれていたんじゃないかな」。
そして、五輪の舞台へ向かった恭子さんは、予選で自己ベストを3秒30更新。
引用:祝福ムード一切なしだった代表選考の夜 – スポーツ報知 https://hochi.news/
岩崎恭子の若い頃② バルセロナ五輪を心から楽しんだ
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こうして、姉との関係をスッキリさせた岩崎恭子さんは、気負うことなく、決勝舞台で劇的な逆転劇を見せて日本中を沸かせたのです。
プールが小さいと感じた
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五輪が開幕する10日前、日本代表選手は下見を兼ねて現地のプールを視察しています。
14歳の岩崎恭子さんは、家族に向けた手紙に「プールがすごく小さく見える」とメッセージを書きました。
まるで、野球選手やバレーボールの選手が「ボールが止まって見える」という、トランス状態に入ったようだと指摘する声もあります。
また、自分が日本代表なのだと実感したのは、体重制限のために、移動の飛行機の中でもデザートを食べてはいけない、と制限が出された時のことだそうです。
初めて「オリンピックとはそういう舞台なのだ」と実感したものの、まだ14歳の少女としては「終わったら好きな物を沢山食べよう」という決意が浮かんだそう。
代表選手だと実感しても重圧に苦しむのではなく、好きなデザートについて考えるところが、その年代ならではの可愛らしさで、微笑ましいですね。
さらに、決勝にコマを進めた岩崎恭子さんは、試合直前にお腹が空いたのでおにぎりを5つも平らげています。きっと、他の選手よりもリラックスしていたのでしょう。
後年、岩崎恭子さんは当時を振り返り「状況がよく分かっていなかったので」と、水泳を楽しむことだけを考えていたと明かしています。
予選が始まると、自身でもかなり調子が良いと感じた岩崎恭子さんは、「スイスイ」という言葉がピッタリくる程に、気持ちよくレースを進めた結果、自己記録も日本記録も更新しています。
初めての五輪出場であり、メダルを一切意識しなかったことが結果的に良かったと、岩崎恭子さんは後のインタビューで勝てた要因を分析しています。
「一番幸せです」が名言に
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いざ200m決勝レースが始まると、優勝候補だったアメリカのアニタノールさんが有利な試合を展開しました。しかし、岩崎恭子さんは後半から、得意の追い上げで一気に逆転。
タイムは2分26秒65と、五輪記録を塗り替えて、最年少メダリストに輝いた岩崎恭子さんは、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と、インタビューで答えて話題になりました。
勝てたことが嬉しくて、晴れやかな笑顔で答えたものの、実はまったく金メダル獲得の実感が無かったそう。
しかしそんな嬉しさも、数日後には岩崎恭子さんにとって重圧に変化することになったのです。
岩崎恭子の若い頃③ 金メダル獲得で生活が一変し、苦しんだ
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金メダルが嬉しいという岩崎恭子さんの気持ちは、数日後に帰国した後から徐々に薄れていき、辛い気持ちへと変わっていきました。
一躍時の人になったが故の苦しみを味わったようです。
想像を超えた報道が怖いと感じた
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成田空港に降り立った岩崎恭子さんを、数多くのカメラマンや記者が出迎えました。自身の想像を超えたことが起きているのではないかという考えが浮かんだそう。
当日は、東京で宿泊。ホテルの部屋のテレビをつけると、岩崎恭子さんのインタビューや、決勝時のVTRが流れ続けていました。
地元の静岡に戻っても記者から質問攻めにされて、イベントが終わった後で帰ろうとすると「危ないから家に帰れません」と言われ、落ち着くまで伊豆に滞在していたそうです。
次々にやってくる想像を超えた人気ぶりに、岩崎恭子さんは追い付かなくなったそうです。
本当に大変だったのは、やはり実家に戻ってから。どこに行っても視線を感じたり、外で見知らぬ人に追いかけられたり、だんだん生活しづらくなってきて……
引用:岩崎恭子 “14歳の金メダリスト”が見た「天国と地獄」- 文藝春秋 https://bungeishunju.com/
当時はまだSNSが発達していませんでしたが、自宅にまでお祝いはもちろん、誹謗中傷の電話までもがかかってきたのだとか。
14歳の少女にとって、いきなり有名人になって生活環境が一変したことは、嬉しいというよりも困惑が勝って、恐ろしくなってしまったようですね。
岩崎恭子の若い頃④ 姉妹へのアスリートとしての影響
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家族を巻き込んでしまった申し訳なさは、特に姉の敬子さんに対して感じていたことを、2020年に公開された『文芸春秋degital』において赤裸々に明かされています。
姉の敬子さんが同じ平泳ぎにおいて、ジュニアオリンピックで優勝している姿を目の当たりにしてきた岩崎恭子さん。長い間、「お姉ちゃんはすごい」という尊敬の念を持ち続けました。
しかし、そんな岩崎恭子さんの思いとは別に、周囲の姉妹を見る目が大きく変わったのです。
姉は水泳を引退した
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姉の敬子さんが実力者であることには間違いありませんでしたが、バルセロナ五輪の後は「岩崎敬子」ではんく、「岩崎恭子の姉」という目で常に見られるようになりました。
その重圧に耐えられなくなったのか、姉の敬子さんは大学進学と同時に水泳を引退。
岩崎恭子さんは、出来の良かった姉への申し訳なさを長い年月抱えてきました。
お姉ちゃんも普通にもっといい成績をおさめて水泳を続けられたかもしれないのに、私のせいなのかな、きっとそうなんだろうなと。だからずっと気になっていたんです。
引用:岩崎恭子 “14歳の金メダリスト”が見た「天国と地獄」- 文藝春秋 https://bungeishunju.com/
妹も水泳を辞めた
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岩崎恭子さんには妹もいます。その妹もやはり水泳を幼い頃から始めていたのですが、中学生の時に水泳を辞めてしまったのです。
岩崎恭子さんの妹であるためにハードルが上がってしまい、周囲の大人たちからは「全国大会までか」と失望されてしまったそうです。
妹に対しても、「私のせいかもしれない」という気持ちを持っていましたが、当時の岩崎恭子さんは「私のせいでごめんね」と謝ることができなかったと語っています。
こうして、家族の幸せを壊したという思いに駆られた岩崎恭子さんは、周囲に対して心を閉ざしてしまいました。
岩崎恭子の若い頃⑤ 苦悩からの脱却
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有名人になったことで、各所からの重圧や家族が水泳を辞めていく悲しみに暮れていた岩崎恭子さんでしたが、高校1年生の時、ようやくこれらの悩みから解き放たれました。
実は、世界選手権とアジア大会に参加したものの、結果が振るわなかったことで代表から落選したことが却って良かったそうです。
メダリストになる前の自分に戻った
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代表選手から落ちてしまったことで、岩崎恭子さんはジュニア世代が集まる合宿に参加しました。遠征先は、奇しくも初めての海外遠征先であるサンタクララという場所でした。
以前に見た光景を眺めていると、まだ13歳で水泳が楽しいという純粋な気持ちだけで泳いでいた自身の気持ちを思い出したのです。
また、年下の選手達が頑張っている様子を見るにつけ、気持ちが前向きになっていくことを実感したそう。
別に悩むんだったらマイナスに捉えるのではなく前向きに悩んでいこうと考えることができて、そうしたら自然と次に私がやるべきことはアトランタを目指すことだと思えたんです。
引用:岩崎恭子 “14歳の金メダリスト”が見た「天国と地獄」- 文藝春秋 https://bungeishunju.com/
悩んだ2年間が必要な時間だったと思えるようになり、悩みから脱却して、前進できたと過去を振り返っています。
岩崎恭子の若い頃⑥ 20歳で競技から引退
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アトランタ五輪に出場した岩崎恭子さんは、200m平泳ぎを10位で終えて、2大会連続メダルには程遠い結果に終わりました。
その後、1998年に現役引退を発表。心理的な変化があったことを明かしています。
闘争心が無くなったことに気が付いた
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高校生になった岩崎恭子さんには、ライバルがいました。同じ平泳ぎ200mの選手の田中雅美さんです。
アトランタ五輪の選考会やインターハイなど、数々の対決場面がありましたが、1度も勝てませんでした。
妙な負け癖が付いていると自身でも感じ、「もう私には勝てないのかも」と弱気になってしまうこともしばしばだったそうです。
高校卒業後は、日本大学に進学して水泳を続けていたのですが、ある日、テレビ局から解説のオファーが来たので気晴らしになるだろうと引き受けた岩崎恭子さん。
レースが始まった時に、全力で田中雅美さんを応援していることにふと気が付いたそうです。
素晴らしい泳ぎを見せる田中雅美さんに「悔しい」と、闘争心を感じることが無かったことに愕然。岩崎恭子さんは「これはもう、引退した方が良い」と踏ん切りがついたのだとか。
引退会見も行わず、ヒッソリと現役の幕を下ろしたのは20歳の時でした。
岩崎恭子が結婚した旦那は元ラグビー選手の斉藤祐也
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現役引退後は、指導者の資格を取り子供たちに水泳を教える日々を送っていました。そんな岩崎恭子さんが結婚したのは2009年のこと。
旦那は、元ラグビー選手の斉藤祐也さんです。
斉藤祐也のプロフィール
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斉藤 祐也(さいとう ゆうや)
生年月日: 1977年4月28日
出身地: 東京都
身長: 185cm
体重: 92kg
愛称: ユウヤ
明治大学でラグビー部のキャプテンを務め、大学卒業後は社会人ラグビー選手としてサントリーに入社。
その後は、全日本代表や海外フランス1部リーグのUSコロミエでの活動など、世界レベルでの活躍を見せました。
2011年に現役を引退しています。
馴れ初めは?
岩崎恭子さんと斉藤祐也さんの出会いは、2005年頃です。共通の友人から紹介されたことがきっかけでした。
出会った頃の岩崎恭子さんは27歳。結婚したのは2009年なので、4年間の交際期間があったことが判明しています。
結婚式は、静岡県三島市にある「三嶋大社」で親族のみの、ささやかな挙式だったそうです。
岩崎恭子と旦那の間に子供は娘が1人
娘が1人誕生した
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2009年に結婚した2人の間には、2011年3月28日に1人娘が誕生しました。
娘については、名前や画像など個人を特定できるような情報が一切公開されていません。
一般人であることから、気を遣ってあえて出さないよう決めている可能性が考えられますね。
岩崎恭子の変装不倫がフライデーされて話題に
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岩崎恭子さんに不倫疑惑が浮上したのは、2018年11月のことでした。
週刊誌に、旦那ではない男性と手つなぎデートをしているところを激写されてしまったのです。
変装が見透かされていた
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岩崎恭子さんの不倫について報道したのは、週刊誌「FLASH」。誌名はフライデーではありませんでした。
ただし、スクープをすっぱ抜かれることを「フライデーされた」という表現をするケースもありますので、あながち間違いではありませんね。
掲載された写真では、岩崎恭子さんが金髪ロングヘアのカツラを被り、大きなサングラスをかけて変装した状態で手をつないで公園を散歩していました。
その後、タクシーを使ってレストランに移動して中華料理を楽しんだようです。車中では、熱いキスを交わしている様子が確認されています。
岩崎恭子さんの不倫を報道した「FLASH」によると、不倫相手の男性A氏は50代で、名の通ったPR会社の役員を務めていること、奥さんと2人の子供がいるらしいと記述されています。
W不倫だったということですね。
岩崎恭子は変装不倫後に離婚を発表している
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週刊誌で不倫が報道されると、岩崎恭子さんは事実を認め、旦那との離婚を発表しています。
ブログで離婚を発表
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岩崎恭子さんは、2018年11月5日にオフィシャルブログを更新。11月3日に離婚が成立したことや、これまでも別居生活をして離婚の準備を進めてきたことを語っています。
夫だった斉藤祐也さんは、取材に応じて、「親しい男性がいることは知らなかった。別居しているので(気が付かなかったことは)仕方がない」と回答しました。
もともと離婚協議を進めていた最中の不倫報道だった、ということになりますね。
岩崎恭子の現在① 再婚している?
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2020年の岩崎恭子さんの様子を見てみましょう。報道された男性とは再婚したのでしょうか?
シングルマザー続行中
不倫相手の男性とは別れたことを発表した岩崎恭子さんは、2020年現在、シングルマザーとして娘を養育していることがわかっています。
小学校4年生になった娘との2人での生活を送っているのようですが、離婚した当初は「子供を養わないといけない」という責任感でガムシャラに仕事を受けてきました。
しかしある時、「もうお仕事やめて」と娘から懇願されたことで、それ以降はセーブしながら娘との時間を大事にしているのだとか。
岩崎恭子さんは、娘の成長を見守り、楽しんで仕事を行っているようです。
岩崎恭子の現在② 東京五輪への思いを語る
2021年の開催を願っている
出典:http://drama.face8ook.org/
2020年7月24日に更新された岩崎恭子さんのインスタでは、「今日は本来ならばオリンピック開会式の日」と、延期された五輪についてメッセージを綴りました。
新型コロナウイルスの感染者が拡大している現状を見ると、開催について語ることはどうなのかという意見は重々理解しているとした上で、開催を願っていると語っています。
それでもアスリート、関わっている皆さん、組織委員会の皆さんは先が見えない中、最大限の準備をしています。
どんな形であれオリンピックパラリンピックが開催されることを願ってます!
引用:岩崎恭子 – Instagram https://www.instagram.com/
世界中で新型コロナウィルスの感染者が拡大している事態に胸を痛めつつも、水泳のコーチ業をしている岩崎恭子さんですから、若者を夢の舞台に立たせたい気持ちが垣間見えますね。
まとめ
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岩崎恭子さんは、弱冠14歳でバルセロナ五輪の平泳ぎ200mに出場し、優勝候補のアニタ・ノールさんを後半の追い込みで抜き去り、金メダルを獲得。
インタビューでの「これまで生きてきた中で一番幸せ」という無邪気な笑顔は、日本で何回もテレビで放送され、記憶に残っている人も多いことでしょう。
しかし、一躍有名になったことで、家族にも影響が及び、苦しんだことも明かしています。そして、20歳で引退後は、指導者として活動しています。
私生活では、元ラグビー選手の斉藤祐也さんと結婚し長女をもうけたものの、2018年11月に不倫報道がフライデーされ、話題を呼びました。
岩崎恭子さんは報道を認め、離婚を発表。現在は、シングルマザーとして娘の養育を優先しているようですね。
子育てが一段落したら、平泳ぎのスペシャリストとして、若手を育成する機会が増えるのでしょうか。
これからも岩崎恭子さんの活動を応援しましょう。