2000年に兼ねてからの宣言通り芸能界を引退した上岡龍太郎さんの引き際が潔いと話題になっています。
今回は改めて上岡龍太郎さんの引退理由や、今や伝説となっている横山ノックさんへの弔辞、現役時代に残した名言の数々、嫁や息子、お笑いコンビ「ミキ」との関係、引退後の現在の様子などについてをまとめました。
この記事の目次
上岡龍太郎のプロフィール
上岡龍太郎のプロフィール
本名 :小林龍太郎
生年月日:1942年3月20日
出身地 :京都府京都市左京区
身長 :165cm
血液型 :AB型
上岡龍太郎さんは、1960年に「横山パンチ」の芸名を名乗り、横山ノックさん、横山フックさんとともに漫才トリオ「漫画トリオ」を結成し、関西で絶大な人気を獲得。
1968年、「漫画トリオ」の活動停止後は、「伊井パンチ」への改名を経て、上岡龍太郎を名乗り、1970年代に入ると、関西圏を中心にラジオ番組やテレビ番組で活躍。その流麗な語り口調は比類なき職人芸とまで評され、関西でも屈指の人気を誇る芸人となります。
「俺は東京進出はしない」と明言していた上岡龍太郎さんでしたが、1984年に「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演したのを皮切りに、本格的に東京へと進出。1987年放送開始の「鶴瓶上岡パペポTV」への出演によって、瞬く間に全国的人気芸人となります。
1988年には、上岡龍太郎さんの代名詞的番組にもなる「探偵ナイトスクープ」の放送がスタートし、その初代局長に就任。視聴者からもたらされる様々な依頼を鋭く本質に切り込んだ視点で見事に切り盛りする様は評判を呼び、同番組を国民的人気番組へと育て上げました。
2000年4月、60歳を目前にしても人気、実力ともに衰えることを知らなかった上岡龍太郎さんでしたが、兼ねてから公言していた通り、あっさりと芸能界から引退してしまいます。その華麗な身の引き方は現在も伝説的に語り継がれています。
上岡龍太郎の引退理由とは
上岡龍太郎さんは以前から、「俺は芸能生活40周年の2000年春に完全に隠居する」と公言していました。これは、上岡龍太郎さん特有のジョークかと思われていた節があったのですが、上岡龍太郎さんはこの宣言通り、2000年4月に芸能界から完全に引退されています。
その上岡龍太郎さんは後年、引退決断の理由について、いくつかのエピソードを語っています。その引退決断の理由とは、夫人からのある一言と、ある時に見た誰かの「後頭部」だったそうです。
上岡龍太郎さんは、自身の引退を意識し始める直前、入れ歯になった事で滑舌が悪くなった役者が目につくようになり、「誰か出演するのを止めたげぇな」と思い、「僕がこんな風になったら言うてや」と嫁に言ったのだそうです。すると嫁はあっさりと「今!」と返してきたんだとか。
この事に加え、上岡龍太郎さんがある舞台に出演するために控え室で着替えをしていたところ、ふと誰かの後頭部が目に入り、「誰やこのおじいちゃん?」と思ったら、それは鏡に映る上岡龍太郎さん自身の後頭部だったそうです。
さらに、上岡龍太郎さんはある日、仕事で新幹線での移動中に、翌日に共演予定のある若手芸人が挨拶に訪れた事があったそうです。その時、少し会話をしたものの後が続かず、仕方なしに「あ~、ほんならよろしく」といって会話を切り上げたのだそうです。
この時、上岡龍太郎さんは不意に自分が若い頃、先輩の大物タレントに昔の自慢話を聞かされるのが心底嫌だった事を思い出し、自分もいつの間にかそういう大物タレントの立場になってきたのではないかと考えてしまったのだとか。
こうしたいくつかの出来事を、上岡龍太郎さんは持ち前の冷静な思考力で客観的に見つめ、淡々と引退を決断されたようです。上岡龍太郎さんの引退理由は、その天才的とも言える鋭すぎる分析力だったのかも知れません。
上岡龍太郎の横山ノックへの弔辞が伝説に
2000年4月、多くのファンに惜しまれつつも引退してしまった上岡龍太郎さんでしたが、2007年5月3日に亡くなられた「漫画トリオ」の元相方・横山ノックさんの死を悼むために、同年6月7日に開かれた「横山ノックを天国へ送る会」に出席し、久々に公の場に姿を見せました。
この会にて、上岡龍太郎さんは横山ノックさんに向けた弔辞を読んだのですが、その弔辞が素晴らしすぎるとして伝説になっています。
洗練された教養とユーモアに溢れた素晴らしすぎる弔辞です。現役引退から7年が経過しているとはとても思えない圧倒的な話術。原稿も持たず、約4分ものスピーチを一切噛む事なく流れるように喋り続ける姿は圧巻としか言いようがありません。
「ノックさん。あなたは僕の太陽でした。」という感動的な言葉ではじまるこの弔辞は、途中、「初めて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ」「大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん」のくだりで会場を爆笑に包んだかと思うと、「相方や住まい、肩書はコロコロ変えたけど、奥さだけは生涯変えなかった」と横山ノックさんの意外な硬派な一面を披露。
終盤には、
人を笑わせるのに自分は泣き虫で、
賑やかなことが好きな寂しがり屋で、
ありがた迷惑なほど世話焼きで、
ああ見えて意外に人見知りで、甘えん坊で、頑固で、意地っ張りで、負けず嫌いで、天真爛漫で、子供っぽくて、かわいくて…
と、横山ノックさんの人となりの魅力を、流れるように列挙すると、少し息を飲むようにして間を置き、「そして、いつでも、どんな時でも、必ず、僕の味方をしてくれたノックさん…」ここで、上岡龍太郎さんは不意に涙ぐみます。
この瞬間、爆笑に包まれながら聞いていた観衆はふっと静まり、胸がしめつけられるように感情が揺さぶられてしまいます。これほど見事なスピーチが未だかってあっただろうか?と言いたくなるほどに感動的な弔辞でした。
上岡龍太郎が残した名言の数々がネット上で話題
上岡龍太郎さんは、その職人芸のように巧みな話術で人気を集めました。その話術は、その博識さと思慮の深さによる丁寧な言葉選びによって支えられていたと言えます。
そんな上岡龍太郎さんが現役時代に残した言葉の数々は「名言」として現在もネット上で話題になっています。
上岡龍太郎名言
— 藤本GJ (@fujimotoGJ) March 26, 2020
一番下の職業が芸能人やと思っていたが、まだ下があった事に気付いた。政治家や、と。”芸能人崩れ”がみんな政治家になるやろ?
すごい!#名言
上岡龍太郎の名言「セックスしてどうやって落語が上手くなるんですか?やり方教えてくださいよ」RT @kusikurage 「芸のためなら女房も泣かす」ってのは女房を犠牲にする以上にまず自分の身を粉にして切磋琢磨に励んだ一流の芸人が使って初めて含蓄がある言葉
— 田中泰延 (@hironobutnk) August 3, 2013
上岡龍太郎師匠の名言が胸をうった。「人生、しんどいときが登り坂、楽になったら下り坂」。
— KJ@PRIMAL CURVE (@KJ_PRACUR) March 31, 2010
@_kotomo 私の好きな名言。現在芸能界から身を引いている上岡龍太郎氏が言ってました。「人が自分のことを物知りだというけれど、知ってることだけ話して、知らないことについて黙ってたら物知りに見えます。」
— 糖類の上 (@tinouye) January 21, 2010
「結婚して10年経って結婚前より妻が不細工になったとしたら、その8割は男の責任である。」 =上岡龍太郎= [名言NOW] さすが上岡龍太郎
— 帽子屋BARコッポレッタ (@coppoletta) September 22, 2010
上岡龍太郎が若い世代に向けて送った名言が話題
この他にも、上岡龍太郎さんが著書「“隠居”のススメ―好き勝手に生きる」の中で綴っている若い世代に向けてのメッセージも名言として語り継がれているので紹介します。
成功者は、思いも寄らないことで成功している。
失敗した人も、思いも寄らない落とし穴に落ちている。
強く思えば、大きくそれる。
より速くまっしぐらに走れば、より遠くへそれてしまう。
こんな言葉で始まるこの名言は、大志を抱くという事は、子供にこうあってほしいという大人の都合によって抱かされているものであるという言葉へと続きます。
乃木大将になりたいと言ったのは少年ではない。言わせた大人がいたから子どもが言ったのだ。そして、その子どもはどうなった。大人はそのことに責任を取るのか。絶対取りはしない。でも、子どもは自分で自分の口から出た言葉を、自分の耳が聞いて脳に働きかけて、自分の人生を作り始める。青年はこんな魔術に乗るな。大人は魔術をかけるな。どうせかけるなら捻(ひね)ってかけろ。
引用;上岡龍太郎・弟子吉治郎著書「“隠居”のススメ―好き勝手に生きる」より
そして、子供に期待をかけて大志を抱かせようとする大人達(おそらく若い親世代)に向けてこんな言葉を続けるのです。
イチローになりたいと子どもが言ったら、「バカなことを言うもんじゃない。貴乃花になれ」と言ってやる。中田英寿になりたいと言ったら、「石原裕次郎になれ」。明石家さんまになりたいと言ったら、「お菓子屋さんになれ」。パイロットになりたいと言ったら、「無農薬野菜農家になれ」と言ってやる。子どもに人生にはいくつもの道筋があることを示してやることは大切だ。
物事の本質を鋭く見抜く上岡龍太郎さんならではの視点です。人生にはあらゆる道筋があり、何か一つの物事にこだわっていては、その分だけ子供の可能性は狭められていきます。大人はただ、いくつもの道筋があるという事だけを子供に示してやれば良いという事でしょう。
上岡龍太郎の嫁は元ファンの中学生?
上岡龍太郎さんの結婚した時期は不明ですが、嫁は、上岡龍太郎さんがお笑いトリオ「漫画トリオ」で活躍していた時代からのファンだったそうです。
上岡龍太郎さんは、ファンの集まりでまだ中学生だった嫁の姿を見て何か感じるものがあって以来「君は将来、ぼくと結婚する」と口説き続けていたのだとか。
当時、中学生だった嫁を上岡龍太郎さんが口説き続けたというエピソードは、のちに友人の笑福亭鶴瓶さんから犯罪者呼ばわりされるツッコミを受けています。
この嫁は、上岡龍太郎さんが多忙を極めていた1979年上半期に関西テレビのローカル番組「奥さまリビング」の月曜レギュラーとして出演し、また同時期に同じく関テレの恋愛バラエティ番組「パンチDEデート」内の、高齢者向けお見合いコーナー「二人でお茶を」の司会も勤めるなど、短期間ですがタレント活動をされています。
その他、上岡龍太郎さんの個人事務所である「上岡プロモーション」(上岡龍太郎さんの芸能界引退に伴い現在は解散)の社長もこの嫁が勤めていました。
上岡龍太郎の息子は映画監督・小林聖太郎
上岡龍太郎さんと上記の嫁との間の息子・小林聖太郎さんは映画監督として活躍されています。
上岡龍太郎さんの息子・小林聖太郎さんが監督を務めた作品には、2006年公開の映画「かぞくのひけつ」、2011年公開の小泉今日子さん主演映画「毎日かあさん」、2015年公開の松坂桃李さん主演映画「マエストロ!」、2017年公開の、佐々木蔵之介さん、横山裕さんW主演映画「破門 ふたりのヤクビョーガミ」、2019年公開の倍賞千恵子さん主演映画「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」など、多数の話題作があります。
また、映画だけでなく、ドラマ「深夜食堂」など、テレビドラマやビデオ映像作品の監督としても活躍されています。
上岡龍太郎の甥2人はお笑いコンビ「ミキ」
2019年の「M-1グランプリ」での準決勝進出や、2020年の「第5回上方漫才協会大賞」での大賞受賞などで話題を集めている、若手漫才コンビ「ミキ」の2人は、実は上岡龍太郎さんの甥っ子です。
「ミキ」の2人、昴生さんと亜生さんは兄弟で、上岡龍太郎さんの妹の子供です。「ミキ」の2人は、上岡龍太郎さんの名前によって売れる事をよしとせず、本格的に売れ始めた2017年まで、上岡さんの甥っ子である事を公表していませんでした。
「ミキ」の2人は甥っ子とは言っても上岡龍太郎さんとは「小さいころに数回しか会ったことがない」のだそうですが上岡龍太郎さんは甥っ子2人を気にかけていたようです。
2020年1月24日放送の「A-Studio」に「ミキ」の2人がゲスト出演した際、MCを務める笑福亭鶴瓶さんが、過去に「鶴瓶上岡パペポTV」などで共演し旧知の仲である上岡龍太郎さんに電話取材をしました。
この電話で、上岡龍太郎さんは「ミキ」の2人の漫才について「漫才の型としては安定してる」と褒め、さらには、笑福亭鶴瓶さんに「ミキをよろしゅう頼むわな」と一言添えたのだそうです。
笑福亭鶴瓶さんはこのエピソードを明かした際に、「(上岡龍太郎さんがこれまでに)あんなの言ってたことないですよ」と話し、その想いに感極まって涙ぐむ様子も見せています。
上岡龍太郎の現在① 引退後はゴルフや読書、芝居鑑賞など悠々自適生活
上岡龍太郎さんの引退後の現在にも興味が集まっています。上岡龍太郎さんは、2000年4月の引退以降、かつての関係者の法要の場などには姿を見せていますが、芸能活動については宣言通り、一切行っていません。
そんな上岡龍太郎さんの現在の暮らしの様子はほとんどが謎に包まれているのですが、引退後は趣味のゴルフを学ぶためにアメリカにゴルフ留学し、帰国後は大阪に戻ってゴルフの練習や趣味の読書に明け暮れる悠々自適の生活を送っているとの情報があるようです。
また、好きな芝居や落語家のチケットを自ら取って通ったりと、まさに好きな事だけを楽しむ隠居生活を送られているという事でした。
なお、上岡龍太郎さんは、2020年4月時点で78歳になられていますが、現在も健康に元気に過ごされているようです。一部では死亡情報などが噂されていますが、こちらは完全なデマ情報でしょう。
上岡龍太郎の現在② 愛弟子・大空テントの事故死に悲痛コメント
2016年9月27日、上岡龍太郎さんがその才能を高く評価していた愛弟子、漫談家でタレントの大空テントさんが交通事故に遭って急逝されました。
この悲報を受けて、一部メディアが上岡龍太郎さんに取材を試みましたが、上岡さんは悲痛な表情で「思いがありすぎて…」と言葉少なに呟き、「明日の通夜でお話しさせていただきます。」tとその場を立ち去られたようです。
その通夜でも、上岡龍太郎さんは自らの口でコメントを発表される事はなく、関係者を通じてメッセージを発表されています。
上岡さんは前日29日の通夜にも足を運んだ。関係者を通じて「突然のできごとで、衝撃的でぼうぜん自失としております。さすがの私も言葉がございません」とのメッセージを寄せたが、この日も沈痛な表情は変わらなかった。
この上岡龍太郎さんの悲しみに暮れた様子について、弟子のぜんじろうさんは以下のように説明されています。
「僕、あんな落ち込んだ師匠、見たことないです。テント兄さんは、僕ら、うらやましいぐらいのかわいがられ方してましたから。そのこともあって、僕らなんかよりもっともっと、悲しいと思う。心の中は、大変なことになってるんやろなって思います」
上岡龍太郎さんにとって、大空テントさんはそれだけ特別な存在だったのでしょう。
上岡龍太郎の現在③ 島田紳助が現在の上岡龍太郎について語っていた
上岡龍太郎さんは、現在も芸能界の大物たちとの交流は盛んなようで、「オール阪神・巨人」のオール巨人さんともゴルフをご一緒される事があるようです。
また、2011年に芸能界を引退した元大人気お笑いタレントの島田紳助さんとも交流があるようで、2015年頃には島田紳助さんが現在の上岡龍太郎さんについて「本当に自由にされている」と感心しながら話されていたとの情報が出ています。
「紳助はよくゴルフにいくのですが、上岡龍太郎さんとも行くそうです。彼は人生に悩んだときに必ず上岡さんを訪ねるほど尊敬しています。すでに上岡さんが引退してから15年が経ちますが、その生活ぶりについて『本当に自由にされている』と感心しながら言っていました。し、今のリタイア生活も上岡さんを見習っている部分もあるのだと思いますよ」
まとめ
今回は、その流麗な話術と、インテリジェンスに富んだ知的な語り口で絶大な人気を誇ったタレントで漫才師の上岡龍太郎さんについてまとめてみました。
上岡龍太郎さんは、1960年代後半から1970年代にかけて漫才トリオ「漫画トリオ」としてラジオやテレビで活躍し関西を中心に絶大な人気を博し、1980年代半ばに東京へ進出すると「鶴瓶上岡パペポTV」や「探偵ナイトスクープ」などの数々の人気番組で司会を務め、全国的な人気を獲得しました。
そして、人気絶頂だった2000年の4月、兼ねてから公言していた通り、上岡龍太郎さんは芸能界から完全引退し、その潔く爽やかな引き際は今や伝説になっています。
引退後の現在の上岡龍太郎さんは、趣味のゴルフや読書、芝居や落語の鑑賞など、悠々自適な隠居生活を送っているようです。今後も元気に過ごしていただきたいですね。