「あんた地獄に落ちるわよ!」などの過激な発言で人気を集めた占い師の細木数子さんは2008年に突然テレビから消えてしまいましたが、消えた理由がヤバイと話題です。
今回は細木数子さんが消えた3つの理由や、細木数子さんの病気説や死亡と死因、噂の後継者、70億円寺院建設など今現在までの様子についてもまとめました。
この記事の目次
細木数子のプロフィール
細木数子のプロフィール
生年月日:1938年4月4日
出身地 :東京府東京市渋谷(現在の渋谷区)
血液型 :B型
細木数子さんは、2000年代に一斉を風靡した占い師で、TBS系「ズバリ言うわよ!」、フジテレビ系「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」といったレギュラーテレビ番組で人気を博し、「視聴率女王」とも呼ばれました。
両番組では、数々の有名芸能人が細木数子さんに相談に訪れ、それを自身の編み出したとする「六星占術」を駆使して細木さんが占い、その結果をもって「地獄に落ちるわよ!」「あんた死ぬわよ!」など、過激な言葉で名うての芸能人達を震え上がらせる展開が定番となっており、これが視聴者の人気を呼ぶと同時に、過激すぎるとして多くの批判的意見も集めました。
賛否両論あるとはいえ絶大な人気を誇った細木数子さんでしたが、2008年3月に「ズバリ言うわよ!」、「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」の両番組を降板して以降、テレビの世界からはほとんど姿を消しています。
細木数子の経歴① 生い立ちから学生時代
そんな細木数子さんは、1938年4月4日、東京府東京市渋谷、現在の東京都渋谷区で、8人兄弟(三男五女)の四女として生まれました。父は政財界や暴力団社会などに広い人脈を持つ政治運動家・細木之伴(ほそきゆきとも)氏で、母はその愛人の長門ミツという女性でした。
父の細木之伴氏は1945年2月、細木数子さんが7歳の時、70歳でこの世を去っています。この細木之伴氏がはじめた「ロマンスクラブ」というカフェは、やがて「南海」と名を変え、之伴氏の死後は「娘茶屋」と店名を変えて営業を続けました。
この「娘茶屋」ですが、戦後の混乱期という事もあり、政府非公認の売春宿(いわゆる青線)を営んでおり、細木数子さんは中学1年生になる頃から、この店の客引き、店番、接客(売春行為ではなく顧客対応)をしていたそうです。
これについては、細木数子さん本人が関西ローカル番組「ワイドYOU」にて「(実家が)売春宿をやってた。ヒロポン(当時販売されていた覚醒剤の一種)打ったりして女の子を逃がさないように。」と公言していると言われていますが、その真偽は確かめられませんでした。
中学を卒業した細木数子さんは、東京都の私立校「東京成徳女子高等学校」に進学、16歳の頃にはミス渋谷(小規模なコンテストか)に選ばれ、在学中に宝塚音楽学校に合格するも入学を辞退しています。
細木数子の経歴② 20歳にして銀座の女に
1955年、17歳の頃に東京駅高架下でスタンドコーヒー店「ポニー」を開業し、3年生の頃に東京成徳女子高等学校を中退。18歳で開店半年の「ポニー」を売却してその資金を元手に、新橋にクラブ「潤」を開業し、翌年にはすぐに売却。さらにその資金を元手にして銀座にクラブ「かずさ」をオープンさせています。
このように、細木数子さんは高校時代から店舗経営を始め、20歳の頃には銀座にクラブを開店させており、若くしてやり手の実業家の顔を持っていました。
それからは、銀座の女として生きていた細木数子さんは、1963年に店の客だった静岡県の老舗眼鏡店の跡取り息子からのプロポーズを受けて結婚しますが、わずか3ヶ月で嫁ぎ先を飛び出し、1966年には協議離婚しています。
細木数子の経歴③ 島倉千代子の後見役として莫大な富を築く
出典:https://www.sponichi.co.jp/
正確な時期は不明なのですがこの頃、細木数子さんは指定暴力団稲川会の二次団体「小金井一家」の堀尾昌志総長の内縁の妻になっていました。
その関わりから、1975年、国民的歌手・島倉千代子さんが抱えた13億円ともいう莫大な借金を、利息分を踏み倒すという形で肩代わりして解決し、その見返りとして、島倉千代子さんの興行権やレコード販売権、島倉千代子さん所有の赤坂の高級マンションなどを手に入れています。
1977年には細木数子さんは、島倉千代子さんの後見人として芸能プロ「ミュージック・オフィス」を設立し、「光星龍」を名乗って社長に就任し島倉千代子さんの作詞も手がけるようになります。この一連の流れは細木数子さんに莫大な富をもたらしました。
細木数子の経歴④ 「六星占術」を編み出し人気占い師に
そして1982年から、細木数子さんは独自の研究で生み出したという占星術「六星占術」に関する書籍を次々と出版します。これらは大ベストセラーとなり「六星占術ブーム」を巻き起こしました。
2020年現在までに、細木数子さんの「六星占術本」は100冊以上が出版され、累計で6500万部以上(2007年時点)を売り上げています。これはギネスによって「占い本を世界一売った人」として認定されています。
1983年には、細木数子さんは財政界に陽明学者の安岡正篤氏と恋仲になり婚約します。この時、安岡正篤氏は85歳の高齢であり、安岡氏の親族から猛反対を受けますが強引に婚姻届を提出し結婚しています。
しかし、当時安岡正篤氏が認知症を患っていた事から、親族らは「婚姻の無効」の調停申立を行い、その1ヶ月後に安岡正篤氏が死去した事もあって「婚姻の無効」とする和解が成立、安岡氏の仕事7日で籍が抜かれています。
細木数子さんは、1990年代、バラエティ料理対決番組「料理の鉄人」の審査員としてテレビ出演するようになり、1999年に勃発した「ミッチー・サッチー騒動」において、友人の野村沙知代さん擁護の立場を取ったことなどから次第に一般視聴者への知名度も上昇させていきます。
そうして、2003年頃から細木数子さんが占いを行う特別番組が放送されるようになると、それらは軒並み高視聴率をマークし「視聴率の女王」と持て囃されるようになります。
そして2004年、細木数子さんの代名詞的番組となる「ズバリ言うわよ!」、「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」の両番組がスタートし、占い師・細木数子さんの人気はピークを迎える事になります。
細木数子は2008年3月にテレビのレギュラーを全て降板して以降姿を消している
「ズバリ言うわよ!」、「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」両番組のスタートによって、権勢を極めた細木数子さんでしたが、2008年3月、突如として両番組のレギュラーを降板し、これを境にしてテレビの世界に姿を見せることはほとんど無くなりました。
次の見出しからは、細木数子さんがテレビの世界から姿を消した理由について見ていきます。
細木数子が消えた理由① 「魔女の履歴書」が暴いた暴力団との関係
細木数子さんは人気絶頂の2008年3月、突如としてテレビの世界から姿を消しました。
細木数子さんが突如として消えた理由に大きく関係していると言われているのが週刊誌「週刊現代」で2006年5月20日号からスタートした、連載記事「魔女の履歴書」です。
「魔女の履歴書」は、暴力団関係の取材に定評がある、ノンフィクション作家・溝口敦氏が綿密な取材をもとに、細木数子さんの暴力団関係者との密接な関係を鋭くあぶり出す衝撃のルポタージュ作品でした。
「魔女の履歴書」では、銀座の女だった頃の細木数子さんが指定暴力団「稲川会」の幹部だった滝沢良次郎氏の情婦となり、次いで指定暴力団稲川会の二次団体「小金井一家」の幹部だった堀尾昌志氏の内縁の妻となり、それを軸にして日本の暴力団関係者に深いパイプを持つようになった経緯が詳細に明かされています。
同書では、細木数子さんと堀尾昌志氏の内縁関係は30年の長きに渡ったと記されており、細木家の墓と小金井一家歴代総長の墓が並んで立っている事からも明らかだとされ、細木数子さんを「極道の妻の鑑」とまで言っています。
細木数子さんの暴力団関係者との人脈は現在も続いており、テレビ出演時、細木さんがいかなる高圧的な態度で横暴な発言をしようとも、名だたる芸能人達が誰も反発せず大人しく従う態度を見せたのには、細木さんの背後にこの暴力団人脈が存在したためだとも書いているのです。
また、同書では細木数子さんの実の兄(細木茂伸氏という人物)も暴力団幹部だったという証言を関係者から得て暴露しています。
細木数子は暴力団人脈を使って圧力をかけてきた事も暴露
溝口敦氏はこの「魔女の履歴書」の連載のなかで、細木数子さんからの指示を受けた暴力団関係者から、この連載を止めるように圧力を受けたという内容を暴露しています。
溝口敦氏によれば、広域暴力団の元幹部と、現役の幹部2人から直接「細木数子の連載を止めてもらえないか」と頼まれたそうです。これによって、溝口敦氏は、現在も細木数子さんが暴力団組織と密接な関係にある事を確信したといいます。
そして、その後細木数子さんは、「魔女の履歴書」を連載する「週刊現代」を出版する講談社を相手取り、名誉毀損を訴え連載差し止めを求める民事訴訟を起こし、約6億円の損害賠償を求めています。
溝口氏は、これは細木数子さんが連載の内容は事実ではないとするポーズを一応とる事によって、「ズバリ言うわよ!」、「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」の両番組を少しでも延命させようとする工作のための起訴に過ぎなかったと断じています。
事実、細木数子さんは2008年3月に「ズバリ言うわよ!」、「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」の両番組を降板すると、同年7月には起訴取り下げています。
以上から、細木数子さんが消えた理由は、暴力団との密接な関係があぶりだされたためという見方が有力です。
細木数子が消えた理由② 国民的歌手・島倉千代子からの搾取疑惑が浮上
溝口敦氏の「魔女の履歴書」によって、暴力団との密接な関係が疑われている細木数子さんですが、国民的歌手だった島倉千代子さんから莫大な金銭を搾取した疑惑も浮上しています。
島倉千代子は13億円もの借金を背負っていた
まず島倉千代子さんの当時の状況を簡単に説明する必要があります。
島倉千代子さんは、1963年に阪神タイガースのプロ野球選手・藤本勝巳さんと結婚しました。この藤本さんがとんでもない男でプロ野球選手引退後に道頓堀にクラブを開店するために4000万円を妻の島倉さんに出させたため、島倉千代子さんは離婚を決意します。
しかし、藤本さんは島倉千代子さんに別れて欲しければもう4000万円出せと要求。この要求を島倉千代子さんは飲み、結果8000万円もの借金を背負ってしまいます。
そこで島倉千代子さんが頼ってのが、かつて自分の失明の危機を救ってくれた眼科医・守屋義人さんで、やがて恋仲になります。
この守屋義人さんは、新たにプロダクションを設立して島倉千代子さんをサポートしようとしたものの、芸能界はズブの素人だっため経営に失敗し3億円もの借金を作ってしまいます。
しかも、この借金は島倉千代子さんの実印を使って裏金融から借りたもので、法外な利息によって借金は13億円にまで膨らんでしまったのです。なんとここで守屋義人さんは逃亡。島倉千代子さんは13億もの借金を背負い、裏金融の債権者の取り立てにあってしまいます。
細木数子が登場し島倉千代子の借金を肩代わり
当時、島倉千代子さんは、芸能界と暴力団をつなぐフィクサーとして知られる安部正明氏の元に身を寄せており、その安部氏の関係者の中には、ここまででも登場している細木数子さんの内縁の夫だった、暴力団幹部・堀尾昌志氏がいました。
そこで、堀尾昌志氏は、安部氏から島倉千代子さんの借金問題をなんとかしてやってほしいとの依頼を受けます。そこで堀尾氏は、ヤクザ者の自分が出て行くと先方に迷惑がかかるため、内縁の妻である細木数子に行かせようという事になり、細木数子さんが出向く事になります。
細木数子さんは島倉千代子さんに群がる債権者達を、当時自身が経営していたクラブ「艶歌」に集めると、机の上に現金3億円を置き、「あんたらは一体いくら貸したんだ、実際に貸した金より膨らんでいるんじゃないのかい?」と凄み、「実際に貸した金しか返せない」と言い放って、利息分10億円を踏み倒し、島倉千代子さんの借金問題を解決してしまったのです。
島倉千代子の稼ぎ出す莫大な利益を細木数子が搾取した疑惑
こうして、島倉千代子さんにとって細木数子さんは自分のピンチを救ってくれた恩人になります。
溝口敦氏の「魔女の履歴書」によれば、細木数子さんはこれに付け込み、島倉千代子さんの後見人となって自分の管理下におくと、借金返済のためと言って馬車馬の如く働かせ、人気歌手・島倉千代子さんの稼ぎ出す莫大な富をほとんど全て搾取したという事です。
同書では、細木数子さんは、島倉千代子さんに負債額を把握させないようにし、既に借金返済は終わっているにも関わらず、島倉さんが稼ぎ出す利益を借金返済と偽って全て吸い上げていた疑惑なども匂わせています。
これが事実だとすれば、細木数子さんは暴力団関係者と関わりがあるだけでなく、自分自身も暴力団まがいの搾取的なビジネスに手を染めていた事になります。
こんな事が明らかになっては、とてもではありませんがテレビ局は番組に起用する事はできません。これが細木数子さんが消えた理由の一つだと言われています。
細木数子が消えた理由③ 肝心の占いが外れまくった事による信用の低下
出典:https://www.sponichi.co.jp/
細木数子さんが消えた理由としては、肝心の占いの的中率があまりにも低く、信用度が低下したからというのも有力な説としてあげられています。
女性向け情報誌「PHPカラット」の2005年2月号は、細木数子さんの占いの的中率を34パーセント、ハズレ率を66パーセントと算出しています。
細木数子さんはテレビ番組で占いを駆使して数々の予言をしてきましたが、それが的中しない場合の方が圧倒的に多く、次第に視聴者からの信用を失った事も細木数子さんが消えた理由だと見られているのです。
例えば、2006年1月に細木数子さんは、当時ライブドアの社長だった堀江貴文さんを占い、堀江さんには龍がついていて何もかもうまくいく、ライブドアの株価は5倍になると絶賛しますが、そのわずか1ヶ月後、堀江貴文さんは証券取引法違反で逮捕され、ライブドアの株価は暴落して上場廃止になっています。
また、同じく2006年1月にプロ野球セリーグの結果を占った際、細木数子さんは「中日の優勝はない」と断言していますが、結果は中日ドラゴンズがリーグ優勝を果たしています。
他にも、「これからどんどん良くなる」と占った田代まさしさんは、盗撮やのぞき、覚醒剤などで何度も逮捕され、現在は芸能界から追放状態になっています。
これ以外にも、細木数子さんの占いは大ハズレしているケースがあまりにも多く、占いどころか単純に先を見通す力自体も低いのではないかとまで言われてしまっています。
これも細木数子さんが消えた大きな理由の一つだと言えそうです。
細木数子の今現在① 激ヤセした姿に病気説と死亡説が浮上
消えたと言われている細木数子さんですが、最近の様子にも興味が集まっています。
2017年頃、週刊誌「女性自身」が、細木数子さんの近況を写真付きで報じました。その写真の細木数子さんがあまりにも激ヤセしており、何かの病気ではないか?との噂が浮上しています。
上の写真が「女性自身」に掲載されたものですが、確かに、テレビに出ていた頃とは別人のように激ヤセしており、病気が疑われてしまうのもわかります。
「女性自身」では、細木数子さんの京都の大邸宅の近隣住人への取材で以下の証言も得られたようです。
「テレビに出ていたころとは別人みたい。驚くほど激ヤセしていて、あの細木さんだと気づかないほどです。ひと回り以上細くなっていて、みんなで『何か病気で体調を崩されたとしか思えない』と話しています」
細木数子さんの激ヤセぶりに近隣住人も病気を心配しているようです。
ただ、「女性自身」の記者が細木数子さんに直撃し「ご病気を心配する声が上がっていますが?」と尋ねると、細木数子さんは「してないわよ!」と往年の細木節で返されたようです。
また、今現在の細木数子さんは、性格も穏やかになっているようで、近隣住人の1人が以下の証言をしています。
「今年7月ごろに細木さんをお見かけしましたが、木陰にある岩へ腰かけていて。私が作っている野菜に興味をもたれていたので『差し上げましょうか』といったら『わあ、嬉しい』と子供のように喜んでいました。別れ際も私の手を両手で包んで『ありがとう』と言って……。怖い物言いではなく、とても柔らかな話し方に変わっていました」
細木数子は既に死亡している説も浮上していた
そんな細木数子さんでしたが、実は既に死亡しているのでは?との説も浮上していたようです。
というのも、細木数子さんは2014年秋ころに「私の寿命はあと5年」と発言しているのです。つまり、細木数子さん自身が2019年秋ころに寿命が来ると明言していたのです。
細木は’14年秋ごろから勉強会で『私の寿命はあと5年。もう死に支度を始めているのよ』と“終活”について言及し始めていた。彼女の予言がたしかなら、余命はあと2年……。
後述しますが、2021年11月8日に本当に亡くなっています。
細木数子の今現在② 義娘・細木かおりを後継者に指名し引退
現在もご存命の細木数子さんですが、実は現在は後継者を指名して事実上の引退状態にあるようです。
細木数子さんは、2016年に姪の細木かおりさん(細木数子さんの妹の娘)と養子縁組をし、自身の後継者として、自分の莫大な財産と「六星占術」の技術を譲っています。
細木数子後継者・細木かおりのプロフィール
生年月日:1978年12月11日
出身地 :東京都世田谷区
血液型 :B型
細木かおりさんは細木数子さんのマネージャー、アシスタントとして経験を積まれ、現在は細木数子さんの意志を継ぎ、「六星占術」による相談や鑑定を行なっています。
2019年頃にはバラエティ番組の出演などタレント活動も開始しており、注目を集めています。
細木数子後継者・細木かおりの経歴
細木数子さんの後継者・細木かおりさんは、家庭の事情で3歳まで細木数子さんと一緒に生活しました。
幼少時代の細木かおりさんは叔母の細木数子さんを「ばあば」と呼んでとても懐き、数子さんもそんなかおりさんを溺愛していたようです。
細木かおりさんは細木数子さんの勧めで19歳の頃に結婚し、3人の子宝に恵まれました。その後は普通の主婦として生活されていましたが、2014年頃に細木数子さんの希望でマネージャーとして数子さんの仕事を手伝うようになります。
そして、2016年に細木数子さんと養子縁組し、正式に細木数子さんの後継者になりました。現在は細木数子さんの顧客や勉強会なども引き継ぎ、精力的に活動されています。
細木数子の今現在③ 京都に隠居し70億円寺院を建設
細木数子さんの今現在としては、隠居先の京都、嵯峨野の一等地にある大邸宅の裏に、建設総費用70億円もの大寺院を建設した事が報じられています。
この大寺院建設の表向きの理由は、今回細木数子さんの経歴でも触れた、細木さんが銀座の女だった頃の結婚し、相手家族の反対によってすぐに籍を抜く事になった陽明学者・安岡正篤氏の菩提を弔うためと説明されています。
しかし、どうやらこの寺院建設の本当の狙いは、細木数子さんが宗教法人を手に入れる事にあるようです。
この寺院の中には、細木数子さんが以前に5000万円で買収したという京都にある宗教法人「K寺」が入っています。
費用はなんと70億円だという。工事現場の掲示板には、細木がオーナーを務めている会社のほかに、京都市にある宗教法人・K寺の名前が……。実は、彼女は巨大寺院建築の前に、この宗教法人・K寺も買収していたという。
そして、この「K寺」の代表は、細木数子さんの信奉者だというある60代の男性がなっているという事です。
K寺の現在の代表は、公式的にはA氏という男性になっていた。近所に住む彼の知人は言う。「Aさんは60代後半です。以前は滋賀県庁に勤めていましたが、退職したころから、こちらにはほとんど帰ってこなくなりました。ご夫婦で細木数子さんに心酔していたようで、いまは細木さんの仕事を手伝っているそうです。お寺の代表ですか?いやAさんが仏教の勉強や修業をしていたとは聞いたことがないですね……」
この「K寺」は本山を持たない独立した宗教法人という事で、好きに教義を広める事が可能。そこで、細木数子さんは自分の信奉者をこの「K寺」の代表者とする事で、事実上は自分が教祖の「細木教」を広める事を目的にこの事業を始めたのではないかと見る向きもあるようです。
細木には3千人の“信者”がいるというが、いまはあくまで占い師とその信奉者にすぎない。しかし宗教法人を手に入れることで、いわゆる“細木教”を広めることも可能だというのだ。宗教法人買収、そして大寺院建設は、“真の教祖”になるためのステップなのか。
その本当の目的については、細木数子さんがノーコメントを貫いているため明らかになっていませんが、2014年には「自分の寿命はあと5年」と語っていた細木数子さんが自分の生涯最後の大事業として、この70億円寺院建立事業を始めた事だけは確かなようです。
ちなみに、この70億円ともいう莫大な資金はどこから出ているのかといえば、毎年出版している「六星占術」の書籍の印税(年間4億円以上とも)や、携帯電話の占いサイトの会費(年間12億円とも)からだと言われています。
この他にも、占いの顧客への墓石販売や仏壇販売のキックバック(これについては細木数子さん本人は否定している)や、占いの個人鑑定や勉強会、講演会など様々な収入源を合わせると、全盛期の細木数子さんの年間収入は24億円以上あったと言われています。
これだけの金額を稼ぎ出していたと言われる細木数子さんなので、生涯最後の集大成として70億円の寺院建立を思い立ったとしても特に驚きはありません。
細木数子の今現在④ 2021年11月8日に死去
以前から病気説や死亡説が流れていた細木数子さんですが、2021年11月8日に呼吸不全のため亡くなったことを娘のかおりさんが公表しています。
細木数子さんは家族が見守るなか自宅で最期を迎え、特に大きな病気ではなかったといいます。
かおりさんは「悲しい出来事がありました。母・細木数子が呼吸不全で8日に満83歳で永眠しました。突然のことでした」と報告。「数日前には鰻(うなぎ)が食べたいと言って、美味しそうに食べていたのに。ケーキを持って帰ると喜んでいたから、母の分のクリスマスケーキも予約していたのに。いつかは訪れることだと分かっているけど、いざ直面すると想像以上に悲しいです」と突然の別れに心境をつづった。
続けて「でも、引退してからは自宅で気ままに過ごしひ孫と笑顔で楽しそうに遊ぶ姿は、あの頃とはまるで違う優しい表情でした」と晩年を述懐。「昔から病院で逝くのは絶対に嫌だっ!って言ってたけど、その通り大病することなく自宅で過ごせたし、希望通り家族が見守るなか自宅で最期を迎えたことは良かったのかなと思います。幼い頃からたくさんの愛情を注いでくれて、今ある幸せは、ばあばのお陰と痛感しております。ばあば、お疲れ様でした。そしてありがとうございました」と感謝を伝えている。
まとめ
今回は、「地獄へ落ちるわよ!」「あんな死ぬわよ!」などの過激な決め台詞で、2000年代半ばに一斉を風靡した占い師・細木数子さんについてまとめてみました。
細木数子さんは、2008年に突如として表舞台から姿を消しましたが、その消えた理由としては、暴力団とも密接な関係が週刊誌連載によって暴露されたことをはじめ、歌手・島倉千代子さんからの搾取疑惑、占いの信用度の低下などがあげられています。
細木数子さんは、激ヤセによって病気説や死亡説が流れましたが、実際に2021年11月8日に亡くなっています。特に大きな病気はなかったそうです。
細木数子さんは、養子縁組した娘(妹の子供で姪)の細木かおりさんを後継者として、占い師としては事実上引退しており、現在は隠居先の京都の大邸宅の裏に、70億円とも言われる大寺院を建設し、自らの教えを広めるための宗教法人を作り上げるという、人生の集大成とも言えるような大事表に取り組まれていました。
ご冥福をお祈りいたします。