日本舞踏家で女優の藤間紫さんですが、元祖スキャンダル女優の異名もあるほど波乱万丈な恋愛遍歴が話題です。
今回は藤間紫さんの若い頃、元旦那の藤間勘十郎さんや市川猿之助さんとの結婚、子供や孫、華麗なる家系図、死因も紹介します。
この記事の目次
藤間紫のプロフィール
出典:https://morishige-movies.com/
藤間 紫(ふじま むらさき)
本名: 喜熨綾子
生年月日: 1923年5月24日
没年月日: 2009年3月27日
出身地: 東京府東京市本郷区(現在の文京区)
藤間紫さんは、日本舞踏の紫派藤間流家元を務めながら女優業をしていた人物です。
日本舞踏家で歌舞伎俳優という華麗な家柄の旦那と結婚したものの、その後もその旦那の下で落ち着くことはなく、まるで物語のような、波乱万丈な人生を送っています。
その異色な経歴・人生は、誕生から100年近く経過して令和になった現在も語り継がれています。
藤間紫は元祖お騒がせ女優
出典:https://www2.nhk.or.jp/
藤間紫さんが生まれたのは大正12年です。当時の日本は女性に対する貞操概念が強かった時代でしたが、藤間紫さんは自由奔放な性格で、華麗な男性遍歴を持っています。
ましてや、藤間紫さんは日本舞踏の家元という、余計にそういったモラルが問われてしまう世界に身を置いていたことから、余計に目立ってしまったのでしょう。
家元の他に、その美貌から女優として活動していたこともあり、藤間紫さんには「元祖スキャンダル女優」という異名を持っています。
男性も女性も惹きつける、その魅力を知るために、まずは若い頃から見ていきましょう。
藤間紫は若い頃に舞踏家としての才覚を現して有名に
出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
若い頃の藤間紫
藤間紫さんの人生を語る上で欠かせないのが、日本舞踏との出会いではないでしょうか。
12歳で日本舞踏の道に足を踏み入れ、そこで出会ったのが後に旦那となった藤間勘十郎さんだったのです。
若い頃の藤間紫さんの経歴について、時系列で見ていきましょう。
藤間流の内弟子に選ばれる
出典:https://musician-navi.net/
藤間紫さん、本名は喜熨斗 綾子(きしのあやこ)さんは、12歳で日本舞踏の藤間流に入門しています。そして、多数いる弟子の中から内弟子に昇格しました。
内弟子に選ばれると、他の弟子よりもより多くの時間をかけて芸を磨くことができるようになるため、将来有望な弟子が選抜されるのです。
藤間紫さんが入門した年齢は他の弟子と比較するとかなり遅めですが、メキメキと頭角を現して、天才少女と呼ばれていたそう。
10代の後半は内弟子として日々精進し、家元である藤間勘十郎さんから「紫」という名をもらったことで名取に昇格しました。
藤間紫という名前は、俗にいう芸名にあたります。
藤間紫が最初に結婚した旦那は藤間勘十郎
出典:https://www.mwed.jp/
藤間紫さんが、「紫」の名前を家元である藤間勘十郎さんから付けられたのは21歳でした。
程なくして、藤間勘十郎さんとの結婚を公表しています。
藤間勘十郎のプロフィール
出典:https://soke-fujima.jp/
藤間 勘十郎(ふじま かんじゅうろう)
本名: 藤間秀雄
生年月日: 1900年10月18日
没年月日: 1990年12月5日
出身地: 東京都江東区深川
藤間勘十郎さんは藤間流宗家の舞踏家で、家元を務めていました。若い頃に「藤間勘十郎」を襲名しました。
現在では男性の家元は珍しくはありませんが、藤間流においては2代目から5代目までが女性が担っていました。このため、当時はかなり珍しい襲名だったようですね。
その後、1990年に娘に七代目勘十郎を襲名させると、二代目勘祖を名乗るようになりましたが、同年死去しています。
生涯を日本舞踏に捧げ、数々の舞台の振り付けも担当しました。
24歳の年齢差カップルだった
藤間紫さんと藤間勘十郎さんが結婚したのは1944年のこと。結婚は2つの理由で注目を集めました。
1つ目の理由は、師匠と弟子が結婚したという関係性です。
2つ目の理由は、藤間紫さんと藤間勘十郎さんは24歳の年齢差があったからでした。
少女の頃に入門した弟子を、年の離れた家元が育て、紫という名前を与えて妻とした経緯は、まるで源氏物語の光源氏と紫の上のような関係だと、2人のロマンスに注目が集まったのです。
藤間紫さんは結婚後、家元夫人として藤間流の繁栄に貢献しながらも、1949年からは女優として活動することもありました。
藤間紫と元旦那・藤野勘十郎の離婚原因
出典:https://www.cyzowoman.com/
源氏物語のような恋だと世間を騒がせた藤間紫さんと藤間勘十郎さんでしたが、1987年に離婚を発表しました。
この離婚は裁判沙汰にまで及び、後にお家騒動に発展しています。
一体どのような愛憎劇があったのでしょうか。離婚までの経緯に迫ります。
離婚訴訟で不倫が明らかに
出典:https://www.riconhiroba.com/
円満な結婚生活を送っているかに見えた藤間紫さんと藤間勘十郎さんでしたが、藤間勘十郎さんが離婚訴訟を起こしました。
調停をしていく中で、1960年代から藤間紫さんは家を出て別の男性と同棲していたことが明らかになりました。
その相手は、歌舞伎役者の市川猿之助さんでした。当然、藤間紫さんは既婚者でしたので不倫ということになります。
離婚訴訟の内容としては、藤間紫さんに3億5000万円の慰謝料が請求されました。
その後の1985年に離婚が成立しています。
藤間紫が結婚した2人目の旦那は市川猿之助
出典:https://news-hottest.blog.ss-blog.jp/
藤間勘十郎さんとの離婚の大きな原因となった市川猿之助さんが、藤間紫さんの2人目の旦那です。
年下の男性との駆け落ちのような恋が、大きな話題を集めました。
結婚までの経緯を紹介します。
市川猿之助のプロフィール
出典:https://www.zakzak.co.jp/
市川 猿之助(いちかわ えんのすけ)
生年月日: 1939年12月9日
出身地: 東京府
市川猿之助さんは、現在では隠居名である「二代目市川猿翁」と呼ばれています。言わずと知れた歌舞伎役者です。
若い頃に三代目猿之助を襲名後すぐに、祖父である初代市川猿翁と父親の三代目市川段四郎さんを立て続けに亡くす不運に見舞われました。
歌舞伎の世界は後ろ盾が不可欠ですが、当時の市川猿之助さんは他門に頼ることを潔しとせず、祖父譲りの革新的な志向で、歌舞伎の世界に新しい風を巻き起こした功労者でもあります。
また、藤間紫さんから二代目藤間紫を襲名し、藤間流を後の世代に継ぐために日々奮闘してきました。
藤間紫との馴れ初めは?
出典:https://www.cosmopolitan.com/
市川猿之助さんはかつて、藤間勘十郎さんに弟子入りしていた時期がありました。その時に出会ったのが、美しすぎる人妻の藤間紫さんでした。
2人が出会ったのは市川猿之助さんが12歳で、藤間紫さんは28歳でした。
初恋の相手が藤間紫さんだったそうです。しかし藤間紫さんは師匠である藤間勘十郎さんの妻であり、初恋を諦めて別の女性と結婚します。
その後も藤間紫さんを想い続けた市川猿之助さんでしたが、実は藤間紫さんも市川猿之助さんを好きになっていました。
そして、お互い既婚者にもかかわらず、駆け落ちをして2人で生活を始めています。
離婚訴訟を経て藤間紫さんの離婚が成立したのは1985年ですが、その後2人が晴れて結婚したのは2000年でした。
2人の恋が成就したその陰には、市川猿之助さんの元嫁である女優・浜木綿子さんの苦悩抜きでは語れません。
市川猿之助さんはどうしても初恋を忘れられず、家庭を捨てるような形で、藤間紫さんの元に走っていたのです。
この後の章で、結婚していた頃の市川猿之助さんと浜木綿子さんについて紹介します。
藤間紫の旦那・市川猿之助の元嫁は女優・浜木綿子
出典:https://www.zakzak.co.jp/
元嫁の浜木綿子
藤間紫さんを初恋の女性として愛していた市川猿之助さんは、藤間紫さんが人妻だったのでその時は諦めています。
そして、市川猿之助さんは女優の浜木綿子さんと結婚。しかし、藤間紫さんと駆け落ちの末、離婚しています。
浜木綿子のプロフィール
出典:https://luupy.net/
浜 木綿子(はま ゆうこ)
生年月日: 1935年10月31日
出身地: 東京府東京市
最終学歴: 高塚音楽学校卒業
女優の浜木綿子さんは、元宝塚出身の女優です。雪組に所属していました。
退団後は東宝現代劇とマネージメント契約を結び、舞台やドラマに演劇派女優として活躍しています。
1965年に市川猿之助さんとの結婚を発表。浜木綿子さんは当時、NHKの大河ドラマ「太閤記」に出演していましたが、妊娠が発覚し途中で降板しています。
その後、長男の香川照之さんを出産しますが、育児に励んでいた時に旦那が浮気をしていることが発覚。人生が大きく変わることになりました。
浜木綿子は藤間紫をライバル視していた?
出典:https://www2.nhk.or.jp/
1967年3月、浜木綿子さんと息子の香川照之さんを置いて突如家を出てしまった市川猿之助さんは、藤間紫さんの元に走ってしまいました。
その本気を受け止めた藤間紫さんも家を出たことにより、2人はダブル不倫の状態で同棲生活をスタート。
その後、冷静に話し合いを進めた浜木綿子さんと市川猿之助さんは、1968年に離婚が成立しました。
浜木綿子さんは当然、かなり悔しい思いをしたようで、息子の香川照之さんに「市川猿之助と藤間紫を越える大物になりなさい」と言い続けて育てたそうです。
藤間紫の子供① 娘は三世藤間勘祖
出典:http://www.k-pac.org/
藤間紫さんは、藤間勘十郎さんと結婚している時に2人の子供が誕生しています。
子供たちはどちらも、名の知られる俳優や日本舞踏家として大成しました。
ここからは、藤間紫さんの子供について紹介します。
三世藤間勘祖のプロフィール
出典:http://www.geijutuin.go.jp/
三世 藤間勘祖(さんせい ふじまかんそ)
本名: 藤間高子
生年月日: 1945年12月6日
出身地: 東京都
3歳にして長唄「五篠坂景清」の禿として初舞台を踏むと、1966年に本格的に日本舞踏の世界でデビューを飾りました。
若い頃は「藤間高子」と名乗っていましたが、1982年に「藤間康香(ふじま こうこ)」に改名。
1990年には、父親から「藤間流宗家七世藤間勘十郎」を襲名して現在に至ります。
プライベートでは、狂言師の山本東次郎さんと結婚するも、能楽師である梅若六郎さんとの交際を経て男児を出産。その後、山本東次郎さんとは離婚しています。
母親の藤間紫さんと同様、ドラマチックな恋愛をしていることで注目を集めました。
藤間紫の子供② 息子は藤間文彦
藤間文彦のプロフィール
出典:https://www.tv-ranking.com/
藤間 文彦(ふじま ふみひこ)
生年月日: 1951年6月10日
出身地: 東京都
職業: 俳優、実業家
藤間文彦さんは、藤間紫さんの長男にあたります。日本舞踏の世界には入らずに、1969年に「劇団浪漫劇場」の研究生として演劇の世界に足を踏みいれました。
入団後すぐに、ドラマ「おんなの劇場」で主人公の弟役に抜擢されて俳優デビュー。翌年、ポーラ名作劇場「花嫁の父」で藤間紫さんと親子共演を果たして話題になりました。
この時に受けたインタビューで、「親の七光りを利用します。次からは独り立ちして、いつかまた共演したいです」と、率直な心境を告白しました。
現在は既に俳優業からは退き、母親である藤間紫さんの夫となった市川猿之助さんの事務所の社長業がメインになっているようです。
藤間紫の孫も舞踏家として活躍中 【華麗なる家系図が話題に】
出典:https://news.mynavi.jp/
孫の藤間爽子と藤間翔
ここからは、藤間紫さんの孫世代の紹介をします。孫もすでに成人しており、女優の藤間爽子さんと舞踏家の藤間貴彦さんです。
藤間紫さんが2人の大物男性と結婚したことで、祖父母、叔父叔母など華麗なる家系図に連なる2人として知られています。
藤間爽子は家元を継いでいる
出典:https://fujimasawako.com/
孫の藤間爽子
藤間紫さんは、幼少期から藤間爽子さんの才能を見抜き、弟子として直々に稽古をつけていたそうです。
藤間爽子さんは7歳で初舞台を踏んでおり、小学生4年生で挑んだ「羽根の禿」を見た藤間紫さんは、その才能に嫉妬したと言われています。
弟子達からも才能を認められて、2018年に三代目襲名が決定。2021年2月に東京の火枝神社にて三代目藤間紫襲名式が行われています。
女優活動も並行して行っており、2017年に放送されたNHKの朝ドラ「ひよっこ」でテレビデビューを果たして以降、多忙な日々を送っています。
藤間貴彦は元ジャニーズ
出典:https://www.nikkansports.com/
孫の藤間貴彦
藤間貴彦さんは、かつてジャニーズJr.に所属し、「Tops」のメンバーとして活動していましたが、2011年頃に退所しています。
2021年2月には、今後の活動について「姉と同じ道を進みたい」と舞踏家として生きることを発表しています。
現在は初代藤間翔に改名して、日々稽古に勤しんでいるようです。
華麗なる一族は両親祖父母だけじゃない!
藤間貴彦さんと藤間爽子さんの祖父母は、藤間紫さんと藤間勘十郎さんです。
十分に由緒正しい血筋ですが、藤間紫さんの再婚相手が市川猿之助さんなので、梨園の縁戚にも入ることになりました。
義理の祖父が市川猿之助さん、義理の叔父には香川照之さんなど豪華な顔ぶれが揃っています。
藤間紫の死因
出典:https://www.sponichi.co.jp/
藤間紫の葬儀の様子
藤間紫さんが死去したのは2009年3月27日のこと。享年85歳でした。
波乱万丈の人生を生き抜いた藤間紫さんの死因や、亡くなるまでの経緯について見ていきましょう。
死因は肝不全
藤間紫さんの死因は肺不全でした。
2007年に食道静脈瘤の手術を行いましたが、すぐに退院し周囲を安心させていました。
仕事にも復帰し、国立劇場での舞踏会に姿を見せていたものの、その後はたびたび体調を崩しがちになり入院生活を送っていたそうです。
2009年3月頃に入った頃から容態が悪化し、亡くなる数日前から意識が朦朧とした状態になっていたようです。
旦那の呼びかける声に時たま反応を示していましたが、長男の藤間文彦さんや一門の弟子達に看取られて、眠るように息を引き取りました。
市川猿之助さんは最愛の嫁が死去したことにショックを受けて、慰めの声をかけるのもはばかられるくらい憔悴しきっていたようです。
葬儀は、東京都台東区に所在する寛永寺輪王殿第1会場で、近親者のみで営まれています。
まとめ
出典:https://twitter.com/
藤間紫さんは、「初代スキャンダル女優」と呼ばれた著名な日本舞踏家です。
その人生は波乱万丈で、12歳で藤間勘十郎さんに弟子入りすると、頭角を現し「紫」の名前を拝命。
その後名取りになり、若くして24歳年上の師匠である藤間勘十郎さんと結婚しました。
その後、藤間勘十郎さんの弟子の1人だった市川猿之助さんと駆け落ち同然に家出をして、同棲生活を始めています。
市川猿之助さんも結婚していたのでダブル不倫の交際期間が続きました。
旦那から離婚訴訟を起こされたという経緯がありましたが、1968年に離婚が成立。
藤間紫さんと市川猿之助さんは公私共にパートナーとして同棲を続けた後、2000年に再婚しました。
市川猿之助さんとの間には子供はできず、元旦那との間に2人の子供がいます。
藤間紫さんは、孫である藤間爽子さんを後継者として育て上げ、2009年3月に死去しています。死因は肝不全でした。
現在は孫が「藤間紫」の名前を継承し、藤間流を引き継いでいます。華麗なる家系図に連なる孫たちの活躍を見守っていることでしょう。
今後も藤間紫さんの一族の活躍から目が離せませんね。