若林豪の若い頃と現在!ハーフ説と家族・嫁や子供(娘/息子)・身長と体重や病気説も総まとめ【赤い霊柩車シリーズ】

若林豪さんは「Gメン」や「赤い霊柩車」シリーズで知られる役者ですが、体重が激減したのは病気のせいではと話題です。

 

今回は若林豪さんの身長やハーフ疑惑、若い頃の経歴、結婚した嫁や子供(娘・息子)、病気説など現在を紹介します。

若林豪のプロフィール:身長177cm・端正な顔立ちからハーフ疑惑も

生年月日:1939年9月5日

出身地:長崎県

所属事務所:エ・ネスト

 

若林豪さんは役者で、TBS系列の「Gメン」シリーズやフジテレビ系列の「赤い霊柩車」シリーズなどに出演していました。

 

息子の若林久弥さんも、役者として活動しています。

 

身長177cmとスタイルが良く、顔立ちもはっきりしていることから、ハーフと間違えられることも多いのだとか。

 

しかし、本人はハーフ疑惑をキッパリと否定しています。

 

 

若林豪の若い頃の経歴① 大学を中退し、役者の道へ 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

若林豪さんは7人兄弟の5番目として、長崎県で誕生しました。実家は農家なのだそうです。

 

海星高等学校を卒業後、専修大学の経済学部へと進学。しかし、1965年に同大学を中退してしまいます。

 

その後に役者の道へ進んだのは、周囲からの勧めだったのだとか。

 

とにかく女性にモテたんで、『大学の勉強なんてやってられない』と中退しました。故郷の姉たちに『3年間だけ遊ばせてくれ』とだけ知らせて、気ままな生活を送っていました。東京の田町で荷役のアルバイトをしていたとき、早稲田大学で演劇をやっている連中に『おまえ、顔がいいから俳優になれ』『これを読め』と言われ、『面白そうだな』と劇団四季でジャン・ラシーヌ(フランスの劇作家)作品の舞台に立ったんです

 

引用:《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」

 

若林豪の若い頃の経歴② 三島由紀夫の舞台に出演

軽い気持ちで出演したという劇団四季の舞台ですが、その舞台を観ていた作家・三島由紀夫さんが「こんなに脚がきれいな俳優を見たことがない」と自身の舞台に抜擢します。

 

そして、同舞台で演じた役の若林光から、芸名の「若林」を取ったといいます。

 

『葵上(あおいのうえ)』という三島さん作・演出の舞台に大抜擢され、を演じました。といっても何にもできませんから、タキシードを着てほとんど立っていただけ。それなのに、20万円いただいけました(当時のサラリーマンの平均月給は3万円弱)。『脚がきれいで20万円とはいい仕事だな』と思いましたね(笑)。三島さんには銀座日航ホテルなどに毎晩のように食事に連れて行っていただきました

 

引用:《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」

 

若林豪の若い頃の経歴③ 劇団「新国劇」へ入団、本格的に役者デビュー

若林豪さんは1954年、劇団「新国劇」へ入団し、舞台「姿三四郎」で初舞台を踏みます。

 

そして、舞台「同期の桜」で本格的にデビューを果たすと、順調にキャリアを重ねテレビドラマにも出演するようになったのです。

 

とにかく運が良かったんです。青年部の同期30数人のなかで私が一番下手なうえに、新国劇のウリのチャンバラが嫌で『頭が痛い』『腹が痛い』なんて言って稽古をさぼっていたのに、『背が高いのがいい』という理由で、当時177センチあった私が、緒形拳さん、大山克巳さんと共演する『同期の桜』の主役3人の1人に大抜擢されたのが飛躍のきっかけでしたから。

 

引用:《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」

 

劇団「新国劇」とは

 

若林豪さんが所属していた劇団「新国劇」は、1917年に劇団「芸術座」を脱退した澤田正二郎さんらが旗揚げしました。

 

時代物かつ、歌舞伎よりリアルな立ち回りが男性を中心に話題を呼びます。

 

その後、澤田正二郎さんが急死するもなんとか立て直し、若手の活躍もあって戦前から戦後にかけて絶大な人気を誇っていたといいます。

 

しかし戦後、徐々に陰りが見え始め、フジテレビとの提携なども経つつも1987年に創立70周年記念をもって解散。

 

ちなみに、同劇団には緒形拳さんらが所属しており、1965年には緒形拳さんが大河ドラマ「太閤記」で主演を務めたことも大きな話題となっていました。

 

 

若林豪の若い頃の経歴④ 映画を中心に主役級の役で活躍

出典:https://twitter.com/

 

若林豪さんは1968年に、TBS系列のドラマ「顎十郎捕物帳」で主演を務め、“新国劇の大型新人”として話題に。

 

1971年に映画「暁の挑戦」でスクリーンデビューを果たすと、同年公開の映画「人間標的」で初主演を務めています。

 

都内のある刑務所内の独房。その中にいる囚人は麻薬ルートの縄張り争いから、金で買われ不動産屋を殺した山部である。狂暴な彼の眼に一組の男女の抱擁する姿がちらつき、彼は看守の眼を盗んでは窓の鉄格子をヤスリで切っている。彼の目に幻覚としてうつる男女は、彼を捕えた根来刑事と、山部の昔の恋人さく子であった。

 

引用:人間標的

 

以降も、1972年公開の「蒼ざめた日曜日」や1974年公開の「流れの譜」など、映画を中心に活躍。

 

特に、1974年公開の映画「ルバング島の奇跡・陸軍中野学校」では主役級の役どころを演じ、その高い演技力に注目が集まりました。

 

 

 

昭和十九年春、見習士官の村上は、参謀本部より東部三十三部隊の配属を命じられた。これは参謀本部の上層部だけが知る秘密の部隊であり、中野にあったことから、陸軍中野学校と呼ばれていた。村上の新しい生活が始まった。菊地、日高、関、春日井などが村上の新しい仲間だった。長髪に私服の彼等は、全国の予備士官学校で一、二を争い選りすぐられてきた青年たちだった。

 

引用:ルバング島の奇跡 陸軍中野学校

 

若林豪の若い頃の経歴⑤ 「Gメン」シリーズに出演

若林豪さんは、1977年からはTBS系列で放送されていた大人気ドラマ「Gメン」シリーズなどに出演。

 

知名度も高まっていた若林豪さんですが、同作に出演してしばらくしてから、両親に役者であることを初めて打ち明けたのだそうです。

 

 

 

足音立てずに忍び寄るマフィアの魔手、徐々に兇悪さを増すテロ事件。そして、人間の心のダークサイドが生む犯罪…。多様化し増加の一途をたどる犯罪に対処すべく、警視庁警視・黒木哲也は精鋭メンバーを招集!特別潜入捜査班GOVERMENTMEN=GMENを結成した!

 

引用:Gメン’75 第01話[公式]

 

『Gメン’75』は途中でレギュラーに加入したのですが、視聴率の高い人気ドラマだったから光栄でした。でも、自分の演技は恥ずかしくて、ドラマを見返すことはないですね(笑)。この『Gメン’75』のロケが長崎で行われたとき、上京してから初めて帰郷して、俳優になったことを両親に打ち明けました。両親はそれまで、私が出ているドラマを見て『うちの子によく似た人が出てる』と思っていたそうです。

 

引用:《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」

 

時代劇にも多数出演しており、特に1976年公開の映画「忍術 猿飛佐助」で演じて以来、真田幸村役の印象が強い若林豪さん。

 

1983年放送の大河ドラマ「徳川家康」、1987年放送の大河ドラマ「独眼竜政宗」でも同役を演じていました。

 

 

若林豪の若い頃の経歴⑥ 山村美紗からの指名で「赤い霊柩車」シリーズに出演

 

1989年からは、フジテレビ系列の「赤い霊柩車」シリーズなどに狩矢警部役で出演。

 

同役は原作者・山村美紗さんからの指名だったといい、山村美紗さん原作のサスペンスドラマにおいては、局が異なる場合も若林豪さんが狩矢警部を演じてきました。

 

 

若林豪の若い頃の経歴⑦ 司会者にも挑戦するなど多方面で活躍

若林豪さんは1990年代に入ると、テレビショッピング番組で司会者を務めるなど、新たな一面を見せるように。

 

2002年にフジテレビ系列で放送されていた「ランチの女王」といったカジュアルなテイストのドラマにも出演しています。

 

 

 

東京下町の洋食店、キッチンマカロニを舞台に、伝統の味を守るために奮闘するいい男たちと、ひょんなことからウェイトレスとして働くことになったわけありの若い女とが繰り広げるラブコメディ。カフェで働くなつみ(竹内結子)の生きがいはランチを食べること。そんなある日、カフェの常連客(堤真一)から「日本一のオムライスを食わせてやる」と誘惑される。

 

引用:https://www.amazon.co.jp/

 

 

若林豪の若い頃の経歴⑧ 2008年に慢性硬膜下血腫で舞台を降板

出典:https://pixabay.com/

 

若林豪さんは以降も、2006年公演の舞台「同期の桜-君にめぐり逢いたい-」で主演を務めるなど、役者として第一線で活躍。

 

しかし、2008年の68歳の時に慢性硬膜下血腫の手術を受け、出演中の舞台を降板しています。

 

頭部外傷後、通常1~2カ月かけて、頭蓋骨の下にある硬膜(脳と脊髄を覆う膜の一つ)と脳の間にじわじわと血液がたまって血腫ができる病気です。血腫が大きくなり脳を圧迫することで、頭痛、物忘れ、認知症によく似た症状(意欲の低下、性格の変化、反応の低下など)、歩きにくさ、片方の手足に力が入らないなどさまざまな症状をきたします。

 

引用:慢性硬膜下血腫 (まんせいこうまくかけっしゅ)とは

 

名古屋市の御園座で上演中の「小林幸子特別公演」に出演していた俳優の若林豪(68)が5日、体調不良を訴え、同市の病院で緊急手術を受けた。左側慢性硬膜下血腫と診断された。3時間の術後の経過はよく、1週間ほどで退院の見込み。舞台は降板を余儀なくされた。

 

引用:若林豪 舞台後に「脳血腫」緊急手術

 

若林豪さんは当時を振り返り、インタビューで以下のように語っていました。

 

15年前、慢性硬膜下血腫といって、頭蓋骨の下にあって脳を覆っている硬膜と、脳の間に血液がたまる病気をやって、頭蓋骨に穴を開け、たまっている血液をそこから抜く手術を受けました。手術中、麻酔をしているのに、頭をガーガー、ガラガラと大工道具で穴を開けられるような感覚がありました。医者が『あ、届いた』『これでいいだろう』と話しているのが聞こえて、200ccぐらいの血を抜きました

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

慢性硬膜下血腫に気づいたきっかけは、出演中の舞台で倒れてしまったことがきっかけだといいます。

 

ちなみに、発症した原因ははっきりとわかっておらず、おそらく倒れる1か月ほど前に車に乗っていた際に起きた衝突事故ではないかとのこと。

 

また、舞台の1週間前にも散歩中に桜の木にぶつかり、意識がボーっとして帰り道がわからず、1時間ほど座り込んでしまったという出来事もあったといいます。

 

手術は無事成功し、幸運なことに後遺症もなかったという若林豪さん。

 

その後すぐに復帰し、2009年放送の大河ドラマ「天地人」では島左近役を演じました。

 

 

若林豪の若い頃の経歴⑨ 2009年以降はバラエティ番組にも出演

 

若林豪さんは、2008年~2009年頃よりバラエティ番組にも出演するように。

 

特に、2009年放送のバラエティ特番「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の名物企画「わらってはいけない新聞社24時」に出演した際には、出演者や視聴者を驚かせました。

 

以降も、2009年にABCで放送されたバラエティ番組「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」や、TBS系列のワイドショー「ひるおび!」など幅広いジャンルの番組に出演。

  •  
  • 近年も2017年にBSフジで放送されているクイズ番組「朝だ!生です旅サラダ」や、2021年放送のABCのバラエティ番組「クイズ!脳ベルSHOW」などに出演しています。

 

 

若林豪とタレント・森口博子の関係とは?

 

若林豪さんは長らく芸能界で活動しており、同業者にも多数のファンがいます。

 

タレント・歌手として活躍している森口博子さんもその1人で、中学2年生の頃から若林豪さんのファンなのだとか。

 

若林豪さんに会うため、福岡県の大丸デパートで企画された着物のイベントに参加。ファンレターを渡したうえで握手してもらったこともあるといいます。

 

 

 

その後、アイドルとなり今も芸能界で活躍を続けている森口博子さんですが、2017年に番組で共演。なんと35年ぶりに2ショットを撮ってもらったそうです。

 

 

 

2人は11日にBSフジで生放送された「BSフジ11時間テレビ 全国対抗!脳トレ生合戦!!」で共演。その現場で、35年ぶりに2ショットを撮っていたのでした。14日には、思い出の写真と同じ立ち位置で撮った2ショットを公開。「Gメン’75の渋い立花警部に痺れ、小学生の頃から大大大ファンなんです」「さりげなくレディーファーストで、物腰柔らかなジェントルマンぶり。たまりません」と、大絶賛する森口さん。

 

引用:森口博子、“大ファン”若林豪と35年ぶり2ショット 中学時代に撮った写真も

 

 

若林豪が結婚した嫁の芙佐子さんは役者・司葉子のいとこ

 

 

若林豪さんは、劇団「新国劇」の劇団員だった20代後半の時に、1歳年下の芙佐子さんと結婚

 

ちなみに芙佐子さんは、役者・司葉子さんのいとこなのだとか。

 

新国劇へ入団する前に司葉子さんと舞台で共演した際、芙佐子さんが司葉子さんの元を訪れており、その縁がきっかけで出会ったそうです。

 

 

若林豪が明かした夫婦円満の秘訣とは?

 

出典:https://pixabay.com/

 

夫婦として50年以上ともに過ごしてきた嫁・芙佐子さんについて、若林豪さんはインタビューで以下のように語っています。

 

自分でも七不思議だな、と思いますが、いい奥さんですね。尽くしすぎるぐらい尽くしてくれました。私としては、放っておいてもらいたいぐらいでしたけど、捨てるなんてかわいそうでできなかった。まあ、相性が良かったんでしょうね。お互いに大雑把で、でも僕に対して言うべきときは『あなたが悪い』とキチッと苦言を呈する人。確かに、いつも私が悪い(笑)。仲良くする努力はしていると思いますよ。

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

また、2人とも舞台を観るのが趣味なのだそうで、その際はたとえ好みでなくとも芙佐子さんの好きなジャンルを優先させるのだとか。

 

ほかにも、美味しい食事を作ってくれた際には必ず「ありがとう、美味しかったよ」と伝えるなど、夫婦仲の秘訣も述べていました。

 

 

若林豪の子供は5人(息子が3人・娘が2人)で職業も居住地もバラバラ

 

若林豪さんには5人の子供がおり、息子が3人・娘が2人なのだとか。

 

長男は公務員で愛媛県の市役所に勤務。次男は静岡県で住職となり、三男は役者・若林久弥さんで、劇団「青年座」に所属しています。

 

娘2人はそれぞれ国際結婚しているそうで、長女はスウェーデン人と結婚しスウェーデン在住。次女はドイツ人のITエンジニアの方と結婚し、愛媛県在住とのことです。

 

長男は最初、大蔵省造幣局の公務員になったんです。硬い職業についてくれてホッとしました。ところが、次男が大学卒業後に突然、出家したのには驚きました。でもね、ときどき会いに行くと、ホッと心が安らぐんです。お坊さんというのはいいですよ。雪の日でも素足に草履を履き、100軒もの家を回って托鉢をする姿を見たりすると、我が息子ながら尊く感じられ『元気ですか』なんて敬語で話してしまいます。

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

そして三男・若林久弥さんとは、1995年にテレビ朝日系列のドラマ「痛快・三匹が斬る!」で親子共演済みです。

 

さらに、孫は合計7人。2023年の時点で22歳から5歳と年齢層も幅広いといいます。

 

一番下の子はまだ5歳。ひたすらかわいい! 何にもしなくてもいい。そばで見ているだけで幸せな気分になる。孫の存在が、私が今、生きている一番の喜びですね

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

若林豪の息子・若林久弥のプロフィール

生年月日:1973年1月31日

出身地:東京都

所属:劇団青年座

 

若林久弥さんは劇団「青年座」所属の役者で、声優としても活動。

 

1994年頃からは舞台だけでなく、テレビドラマにも出演するようになり、1994年にTBS系列で放送されていた「天までとどけ」シリーズなどに出演していました。

 

1996年に日本テレビ系列で放送されたドラマ「銀狼怪奇ファイル」や、2000年放送の大河ドラマ「葵 徳川三代」などの人気作品にも出演。

 

朝の連続テレビ小説においては、1997年放送の「あぐり」、2006年放送の「純情きらり」の2作品に出演しています。

 

また、父親の若林豪さんと同じく、時代劇・2時間ドラマでの活躍が目立ち、時代劇ではテレビ朝日系列の「遠山の金さん」やTBS系列の「水戸黄門」といった人気シリーズにも出演。

 

  • 2010年以降は刑事ものへの出演が多くなり、「相棒」シリーズや2015年にテレビ朝日系列で放送された「最強のふたり〜京都府警 特別捜査班〜」などに出演しています。

 

近年は、2022年にフジテレビ系列で放送された「元彼の遺言状」や、テレビ朝日系列で放送された「刑事7人」などにも出演。

 

一方で、吹き替えを中心に声優としても活躍中で、2003年公開のドイツ映画「アナトミー2」、1998年公開のハリウッド映画「チャイルド・プレイ/チャッキーの花嫁」を担当しました。

 

アニメでは、「コボちゃん」「名探偵コナン」などで声優を務めています。

 

 

若林豪は病気で体重が激減した?噂と真相

 

若林豪さんは一時、激やせしたと話題となり、病気なのではないかとも噂されていました。

 

しかし、実際は病を患っているのではなく、医者からの指示で減量し、60キロ台をキープしているのだそうです。

 

慢性硬膜下血腫を患った以外は、糖尿の気があるくらいでとくに病気はありません。ただ、医者に『太ったらダメ』と厳命されているので、60キロをキープしているんですよ。以前は80キロあったから、痩せて感じられるのでしょう

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

インタビューを受けた2023年の時点で身長は175cm、体重は60キロほど。医者から厳命されていることもあり、食事にはかなり気を遣っているのだとか。

 

また、1日5,000~6,000歩ほどのウォーキングも欠かさないそうです。

 

現在、身長は175センチ。体重は60キロと、厳しく節制しているという。「あまり食べ過ぎないよう気をつけています。野菜中心で、肉は1週間で300グラムと言われているから、嫁がはかりで量って料理してくれています。酒は昔からほとんど飲めなくて、飲んでもグラスにちょっと。それが元気の秘訣かなあ。タバコは吸いますよ。1日10~20本。自分の体調を気にし過ぎてキリキリしないのもいいんだと思いますよ

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

 

若林豪の現在① 代表作の1つ「赤い霊柩車」シリーズがついに終了

 

若林豪さんの代表作である、フジテレビ系列のドラマ「赤い霊柩車」シリーズ。

 

若林豪さんは同シリーズで、狩谷警部役を30年にもわたって演じ続けてきました。

 

赤い霊柩車シリーズは原作とともに長年愛されてきた作品ですが、2023年3月に30年の歴史に幕を下ろしています。

 

若林豪さんはそんな同シリーズ終了について、インタビューで以下のように語っていました。

 

『赤い霊柩車』シリーズは30年やりましたから、ちょうどいい潮時だったんじゃないですか。作品の作り方が今はちょっと違ってきたんじゃないかと思うし、主役のなぎさちゃんが63歳、神田(正輝)クンが72歳になっているのに、まだ結婚するの、しないのって無理がありますよ。私だって83歳。83歳の刑事部長なんていやしない。偉そうに部下に指図したりして、ときどきフッと恥ずかしくなることがありました。

 

引用:《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」

 

 

若林豪の現在② 役者として現役で活躍中

 

若林豪さんは80歳を超えており、セリフ覚えが悪くなるなど加齢を感じることも多くなってきたそうです。

 

俳優としては、十分やりきりました。以前は本を読みまくってはあれもやりたい、これもやりたい、と思っていましたが、80歳を越すとそのエネルギーがなくなって欲がなくなってきました。それが悔しいですが、身体は思うように動かないし、セリフ覚えも悪くなりましたから仕方がありません。以前は覚えよう、と思わなくても自然に頭に入ってきたぐらいなのにね。

 

引用:《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」

 

しかし、役者としては今も現役で、2023年には映画「仕掛人・藤枝梅安」が公開されているほか、朗読劇「声の花束」にも出演しています。

 

 

江戸の郊外、品川台町に住む鍼医者の藤枝梅安には、腕の良い医者という表の顔と、生かしておいてはならない者たちを闇に葬る冷酷な仕掛人という裏の顔があった。そんな梅安がある日、料理屋を訪ね、仕掛の標的であるおかみの顔を見た瞬間、思わず息をのむ。その対面は、梅安自身の暗い身の上を思い出させるものだった。

 

引用:仕掛人・藤枝梅安

 

若林豪の現在③ 嫁と二人暮らしで、終活にも取り組んでいる

 

若林豪さんは現在も嫁・芙佐子さんと仲が良く、東京都のマンションで二人暮らしをしているのだそう。

 

もともと引っ越しが好きで、これまで千葉の山奥や長野県・静岡県・伊豆と自然豊かな場所を中心に様々な地に住んできたといいます。

 

また、近年は高齢となったこともあり、”終活”にも取り組んでいるのだとか。

 

「終活」とは「人生の終わりのための活動」のことで、一般的には人生の最後を迎えるための準備を指す。一般社団法人終活カウンセラー協会は、「終活」を「人生の終焉を考えることを通じて自分を見つめ、今をより良く自分らしく生きる活動」と定義している。

 

引用:やってはいけない「終活」失敗事例 その認識、間違っているかも ?

 

荷物の整理にも取り組み、かつてのブロマイドや台本などもすべて処分してしまったといいます。

 

オシャレが大好きだから洋服をたくさん持っていましたが、バーバリーのコートなどは『赤い霊柩車』シリーズで部下役だった松永(博史)クンにあげたりして。まだ四畳半の部屋がいっぱいになるぐらい残っているから、徐々に始末しないと。私が死んだら、子どもらは誰も見ないでしょ。子どもにとって親の遺したものなんて、そういうものだし、それでいい。死ぬのは怖くない。

 

引用:《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」

 

 

まとめ

若林豪さんは役者で、「Gメン」「赤い霊柩車」シリーズなどで知られています。

 

大学を中退して劇団「新国劇」へと入団するとすぐに頭角を現し、ドラマ・映画で活躍。

 

2008年に慢性硬膜下血腫で倒れたものの、手術を経てすぐに役者業へと復帰しました。

 

役者としてだけではなく、テレビショッピング番組で司会を務めるなどマルチな才能を見せた若林豪さん。

 

プライベートでは、劇団員時代に結婚した嫁・芙佐子さんと今も夫婦で暮らしており、娘・息子合わせて5人の子供、7人の孫に恵まれているのだとか。

 

身長175cm、体重60キロと若い頃と比べて小柄となったため、病気で激やせ説も噂されましたが、慢性硬膜下血腫を患ってから規則正しい生活を送っているためのようです。

 

若林豪さんは現在も役者として現役で、映画・朗読劇などに出演。これからも健康に気を付けて活躍していってほしいですね。

 

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