武井情さんは弟でタレントの武井壮さんに負けない身体能力の持ち主だったと言われていますが、若くして亡くなっています。
今回は武井情さんのプロフィールや経歴、父親・母親、兄弟だけでの生活など家族情報、死因も紹介します。
この記事の目次
武井情のプロフィール:役者で弟はタレントの武井壮
生年月日:不明
出身地:東京都
所属事務所:不明
武井情さんは役者で、弟はタレントの武井壮さんです。
若くして亡くなっているため、出演作品などは不明ですが、近年は武井壮さんが武井情さんについて語る機会も増えており、どのような人物だったのかに注目が集まっています。
武井情の弟はタレントの武井壮
生年月日:1973年5月6日
出身地:東京都
職業:元陸上競技選手・タレント
所属事務所:SPECIALIST JAPAN(個人事務所)
武井壮さんは元陸上競技選手で、引退後はタレントとして活動しています。
中学・高校と学業優秀で、神戸学院大学に進学する際には入学金免除のうえ奨学金が支給されていたのだとか。
武井さんは東京の葛飾区出身。スポーツが盛んな中高一貫校に進み、勉強は常に学年トップだったそうです。「母親が離婚して、いなくて、親父は…何て言ったらいいか…他に家庭があったんですよね」。お兄さんと二人暮らしだったそうで、成績が学年で3番以内だと学費がタダになり、トップだと奨学金が貰えるということで勉強を頑張ったんだとか。
意外にも陸上は大学入学後に始めており、中学時代は野球、高校はボクシングに打ち込んでいたそう。
大学では短距離走から始め、3年生の時に十種競技へと転向。その才能を見出した中央学院大学にスカウトされると、神戸学院大学を卒業後に中央学院大学へと進学します。
そして、競技歴わずか2年半ながら「第81回日本陸上競技選手権大会」の十種競技で優勝。
その中でも100m走においては10秒54というベスト記録を残しており、これは2015年まで十種競技における100m走の日本最高記録となっていました。
中央学院大学卒業後は陸上を離れ、ゴルフ留学のために2年間アメリカへ。
帰国後に台湾プロ野球リーグ所属の「中信ホエールズ」の冬季キャンプ特別コーチを務めて以降、2010年頃まではプロスポーツ選手の個人スポーツトレーナーとして活動しました。
タレント活動は2003年頃から開始しますが、当初はプロ野球選手を目指して、萩本欽一さん主宰の社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」、芸能人草野球チーム「神様」に所属。
2004年頃からは元々ホテル暮らしが多かったのもあり、家なし生活を開始します。
2006年、西麻布のバーで居合わせたミュージシャン・ピエール瀧さんに犬用ガムを噛んで顎を鍛えていたことを面白がられ、ピエール瀧さんがMCを務めていた番組に出演することに。
タレントとして本格的にブレイクしたのは2012年。同番組で同じくMCを務めていた歌手・森山直太朗さんが同年にフジテレビ系列で放送されていた「うもれびと」で武井壮さんを紹介。
“百獣の王を目指す男“として話題となり、バラエティ番組を中心にスポーツ番組・クイズ番組・ワイドショーのコメンテーターと幅広く活躍するようになりました。
知名度がない武井は業界人が通うバーへと通っては、カウンターで「犬用の骨型ガムを噛む」、「お酒ではなくミルクをロックで飲む」など目を引く行動を毎晩のように取っていたという。そのあまりの“奇行ぶり”に目をつけたのがピエール瀧。ピエールの出演している番組企画でテレビデビューを果たすこととなった武井は、ある人物と出会う。
そんな武井壮さんはタレントとして活躍する一方で、陸上競技のマスターズ大会でも活躍します。
また、元サッカー選手・本田圭佑氏による社会人サッカーチーム「One Tokyo」の監督、日本フェンシング協会会長、プロ野球チーム「北海道日本ハムファイターズ」の臨時コーチにも就任。
ジャンルを問わずスポーツ業界に貢献し、さらにはインド映画に役者として出演したり、作詞を担当したりとマルチな才能を発揮しています。
武井情の家族① 母親と父親が離婚して以降、兄弟だけで暮らしていた
武井情さんの父親は美容室を3店舗経営していたそうで、幼い頃は比較的裕福だったといいます。
しかしその後、借金を抱える事態となり両親は離婚。
武井情さん・武井壮さん兄弟は父親に引き取られましたが、父親がほかに家庭を持っていたことから兄弟だけで暮らすというかなり過酷な幼少期を過ごしたようです。
母親とは連絡を取っていない
ちなみに、母親とは両親が離婚して以降、交流がなかったようで、武井壮さんは35年以上会っていないとのこと。
武井壮さんは2020年、母の日の翌日にX(当時のTwitter)を投稿。母親への思いを以下のように吐露していました。
この日は10日の「母の日」にちなみ、「母の日か オレの母ちゃんはなにしてるかも知らないんだけど 産んでくれて歩けるまで、自分で考えられるまで育ててくれた それだけで感謝してる」と思いを吐露。「一緒に暮らしてた頃幸せだった」と思い出を振り返り、「産んでよかった そう思って過ごせる日になってくれてたらいいなあ」と願いを込めた。
武井壮は父親を看取っている
父親とは一緒に暮らした期間は短かったものの、愛情が感じられるくらい仲が良かったそう。
しかしその後、がんを患って3度のがん手術を経て2021年から緩和治療へと移行。2022年4月に亡くなっています。
親父が息を引き取った
— 武井壮 (@sosotakei) April 23, 2022
3年間の闘病、苦しかった時期もあったけど最後は緩和ケアで穏やかな時間を頂いた
クリニックの皆さん、看護士さん達本当にありがとう
『元気になったら何したい?』と聞いたら
『壮とゴルフしたいなあ』と
偶然だけど今日はこれからゴルフの仕事、一緒に楽しく最後に遊ぼうね pic.twitter.com/x933GhaXhd
父親のお骨は、それまで父親が持っていたという武井情さんのお骨とともに、同じ場所へと納骨したそうです。
武井は「今日は亡くなった父の誕生日 遅くなったけど納骨させて頂きました」とした上で「父がずっと持っていた兄・情のお骨も同じ場所に納めさせてもらいました葛飾区青戸にある延命寺です」と24歳で死去した武井の兄も同じ場所に納骨したことも報告した。
武井情の家族② 弟の武井壮と何度もぶつかる
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両親が離婚後、学費も支払いも困難な状態だったそうで、そんな状況もあってか、武井情さんは中卒で役者の道に進みました。
一報、弟の武井壮さんは努力の末、特待生となり高校・大学への進学を果たしています。
武井壮さんは、そんな正反対の道を行く兄とは何度もぶつかり合ったと語っています。
「うちの兄貴は中卒で、俳優を目指して坂上忍さんの付き人をしたりしていた」と兄を説明し、「その頃のオレは親のいない環境で勉強してちゃんと大人にならないと、と思って兄と何度もぶつかって『夢みたいなこと言ってないで、勉強しないなら仕事でもちゃんとしろ』と掴み合いになったりしたこともあった」と振り返っていた。
武井情の経歴① 坂上忍の付き人をしていた
武井情さんは役者でしたが、1990年代前半は役者でタレントの坂上忍さんの付き人を務めていました。
また、プライベートでも一緒の野球チームでプレーするなど、公私ともに交流があったといいます。
武井情さんと坂上忍さんの意外な関係性が判明したのは、2014年にTBS系列で放送されたバラエティ番組「さんまのからくりTV」でのこと。
同番組に出演した武井情さんの弟・武井壮さんがその関係を明らかにしました。
タレントの坂上忍(47)と武井壮(41)の知られざる関係が、20日放送のTBSテレビ「さんまのからくりTV」(日曜後7・00)で明らかになった。毒舌で知られる坂上だが、実際はそうではないと武井が登場。「坂上忍様、生前、兄が大変お世話になりましたことを改めて…」と自らつづった手紙を読み始めた。
武井情の経歴② 役者デビューするも闘病生活へ
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その後、武井情さんは付き人をしながら役者デビューを果たしました。
テレビドラマでもいい役をもらえるようになり、これからという矢先、23歳で病にかかってしまい、闘病生活を余儀なくされます。
坂上忍さんも元気づけようといろいろと試みたそうですが、それから1年もたたないうちに武井情さんは他界してしまいました。
武井情のエピソード① 坂上忍との絆
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坂上忍さんは武井情さん以降、付き人をとっていないそうです。
その理由は「(新しい付き人に対し、武井情さん以上には)愛情を注げない」からなのだそう。
その言葉からも、坂上忍さんと武井情さんとの間にはかけがえのない関係性があったことがうかがえます。
武井壮さんいわく、武井情さんは闘病中も坂上忍さんとの再共演を夢見ていたのだそう。
武井は「不安定な生活の兄の面倒を見てくださったり、無名だった兄の俳優デビューを実現してくださったりとか、いつも兄は坂上さんのことを僕に話して、誇らしい顔だったことを覚えています」と感謝。「そんな兄が病にかかったのは23歳のときでした。常に“もう一度舞台に立つんだ。忍さんたちと共演するんだ”と話していました。」
残念ながら武井情さんはそのまま帰らぬ人となってしまいました。
坂上忍さんは武井情さんの葬儀に参列し、弔辞も読んだとのことです。
武井壮さんは「家族はもとより天国の兄も喜んでいたと思います」と語っていました。
武井情のエピソード② ダンシング☆谷村と仲が良くバイト先も一緒だった
武井情さんは下積み時代、モノマネタレントのダンシング☆谷村さんと、草野球チームを通じて仲が良かったといいます。
ダンシング☆谷村さんいわく、武井情さんも身体能力が抜群だったのだとか。
武井壮さんがメディアに登場した際には、顔つきだけでなく、身体能力の高さも武井情さんに似ている!と驚いたそうです。
また、武井情さんが警備員として勤務していたバイト先の精神病院をダンシング☆谷村さんにも紹介し、2人はバイト仲間でもあったといいます。
その頃…ダンシング船長は、お笑い芸人で生活できない時代…彼のバイト先…精神病院の警備員のバイトを紹介してくれた 一緒に警備室で勤務していた記憶が懐かしい 深夜…警備員室でお互い…役者の世界やお笑い芸人の話をしてた記憶が…
引用:武井 情くん…
武井情の死因は小腸がん・発病からわずか1年で亡くなっている
武井情さんは享年24歳という若さで亡くなっており、死因は小腸がんでした。
23歳の時に発病し、それからわずか1年ほどでこの世を去っています。
弟の武井壮さんは当時、病床に伏せる武井情さんと反比例するかのように陸上の成績がぐんぐんと上がっていったのだとか。
相反する状況に、「(兄の幸せを)吸い取っている気がする」と感じていたといいます。
そんな武井壮さんは、武井情さんが亡くなって数日後に、とある夢を見たそうです。
亡くなった数日後、布団の中で眠りにつけない武井の耳にガラガラと戸が開く音が聞こえてきた。音がした方に目を向けると兄がおり「どうした?元気ないの?」と話しかけてきたという。武井は「兄貴も死んじゃったし、俺ばっかり楽しい思いをしていいのかなと…」と正直な気持ちを打ち明けると、兄は「全く気にしないでいい」と励ましてくれたという。
武井壮さんは夢で武井情さんから「気にしないで好きなことを全力でやれ」とも言われたといい、それ以降、陸上に打ち込むことができたといいます。
武井情さんはきっと今頃、弟の活躍を天国で喜んでいることでしょう。
武井情の弟・武井壮はすい臓がんになっている?
武井情さんの弟・武井壮さんに関しても、がんであるという噂が浮上。武井壮さんの名前で検索すると「すい臓がん」と検索候補のワードに表示されます。
結論を言ってしまうと、武井壮さんはガンではありません。
膵臓がんを公表した2人組ユーチューバー「sunny journey~サニージャーニー~」に武井壮さんがエールを送っており、その関係で「武井壮 すい臓がん」と表示されるようになってしまいました。
あの、この記事に関していまだに知り合いから『病気大丈夫か?』と心配のメールが来ますが、武井壮はすい臓ガンではありません。。
— 武井壮 (@sosotakei) January 10, 2023
すい臓ガンになってしまったYouTuberにエールを送っただけですので、勘違いのないようにお願いします
武井壮元気ですから!!https://t.co/B674E9Axe6
まとめ
武井情さんは役者で、弟がタレントの武井壮さんであることで知られています。
2人は両親が離婚して以降、母親とは生き別れに。2人を引き取った父親も別の家庭を持っていたことから、なんと兄弟だけで暮らしていたそうです。
そんな状況もあってか、武井情さんは中学を卒業後すぐに役者の道に。そして、役者の坂上忍さんの付き人となります。
念願だった役者デビューも果たし、テレビドラマなどでいい役をもらえるようにもなっていましたが、23歳でにがんを発症。それからわずか1年で亡くなってしまいました。
享年24歳という短い生涯でしたが、武井壮さんにも劣らない抜群の身体能力だったといいます。
もし、存命であればバラエティ番組やドラマでの兄弟共演も果たせていたかもしれないと思うと残念でなりません。
今も武井壮さんの活躍を見守っていることでしょう。ご冥福をお祈りします。