バブル期にデビューし「東京ラブストーリー」などの人気ドラマへの出演で人気を博した千堂あきほさんの現在が話題です。
この記事では千堂あきほさんの両親や若い頃の経歴、宝塚出身の噂、マネージャーからの中傷被害、結婚した旦那さんとの馴れ初めや子供、現在の活動についてまとめました。
この記事の目次
- 千堂あきほのプロフィール
- 千堂あきほの若い頃① 1歳で両親が離婚し父親に引き取られ成長
- 千堂あきほの若い頃② 宝塚北高校在学中に両親に内緒でオーディションに
- 千堂あきほの若い頃③ 歌手としてデビューしオールナイトフジでブレイク
- 千堂あきほの若い頃④ 東京ラブストーリーなどの大ヒットドラマに出演
- 千堂あきほは県立宝塚北高校出身という事から宝塚歌劇団出身の噂も出た
- 千堂あきほはが東京を離れたのは当時のマネージャーによる盗聴
- 千堂あきほのマネージャーは千堂あきほの彼氏を誹謗中傷する文章のばら撒きも
- 千堂あきほの結婚した旦那はスキューバーダイビング講師の先名孝亘さん
- 千堂あきほと旦那・先名孝亘さんの馴れ初め
- 千堂あきほの子供は2人
- 千堂あきほの現在① 北海道札幌を拠点に芸能活動を続けている
- 千堂あきほの現在② 芸能活動以外はごく普通の主婦として生活
- まとめ
千堂あきほのプロフィール
千堂あきほのプロフィール
本名 :先名晃穂
生年月日:1969年4月5日
出身地 :兵庫県尼崎市
身長 :164cm
血液型 :A型
千堂あきほさんは、1990年のバブル期にブレイクし、女優、歌手、タレントなど幅広く活動し、幅広い層からの絶大な人気を誇りました。
1990年から2000年までは東京で活躍されていた千堂あきほさんですが、結婚後、2010年までは関西に、その後は旦那さんの故郷である北海道に拠点を移して芸能活動を展開されていました。
子供の出産などもあり、一時は芸能活動をかなり抑えられていましたが、近年は再び北海道を拠点に芸能活動を再開されています。
今回はそんな千堂あきほさんについてまとめていきます。
千堂あきほの若い頃① 1歳で両親が離婚し父親に引き取られ成長
最初に、千堂あきほさんの若い頃の活躍を振り返っていきます。
千堂あきほさんは、兵庫県尼崎市の生まれですが、1歳の時に両親が離婚し父親に引き取られ、3人姉妹の次女として成長しました。
父親は3歳の時に再婚しており、その後はその両親に育てられたという事で、実母の記憶は全くないそうです。
千堂あきほさんはかなり活発な子供だったそうで、男の子と一緒にザリガニ釣りをしたり、テレビのアクションシーンを真似したりして外で遊ぶのが大好きだったのだとか。また、子供時代から歌を歌うのが好きで、幼稚園の送迎バスの中でマイクを離さない子供だったそうです。
あまりに活発な子供だったため、小学校に上がって赤いランドセルを背負うまで、近所の人には男の子だと勘違いされていたとのエピソードも明かされています。
小学生時代の千堂あきほさんはスポーツ万能で、町内の運動会では優勝し、リレーの選手にも選ばれるほどだったそうです。
千堂あきほの若い頃② 宝塚北高校在学中に両親に内緒でオーディションに
千堂あきほさんは、中学時代は陸上部に所属して活躍されたそうです。
その一方で、中学から高校時代は毎日自分のお弁当を作っていたそうで、かなりしっかりした生徒だったようです。
千堂あきほさんは、当時から華やかなルックスと、表現力豊かな性格を持っていた事から、中学3年の担任の教師に勧められ、兵庫県立宝塚北高校の演劇科へと進学されています。
千堂あきほさんは高校で演劇を学んでいますが、当時は芸能界ではなく、高校で学んだ舞台論や演劇史などを生かして、子供たちが楽しく表現できる場を作れるような幼稚園の先生を目指されていたのだそうです。
ただ、演劇科の高校という事もあって、周囲の同級生には芸能界を目指している人も多く、そうした雰囲気もあってその場のノリで、宝塚北高校3年生の時に「ロッテCMアイドルはキミだ!」オーディションに両親にも黙って応募しています。
本人は受かるなんて思っていなかったそうなのですが、当時の千堂あきほさんの可愛らしいルックスが審査員の目に止まったのか、予選で歌を披露する事になったそうです。
千堂あきほさんはそれまで歌を学んだこともなく、自分自身も歌が上手いとは思っていなかったそうなのですが、中森明菜さんの「ジプシー・クイーン」を歌ったところ、300人の応募者の中から10人の本戦出場者に選ばれ東京へ行く事になります。
この時になってようやく両親にそのことを打ち明け、東京には父親も同行してくれる事になったそうです。
千堂あきほさんはこのオーディションでグランプリには選ばれませんでしたが、そこで芸能事務所「アーティストハウスピラミッド」の社長の目に留まりスカウトを受けて芸能界入りを決めています。
当初、千堂あきほさんは芸能界入りする気はなく、宝塚北高校卒業後は、幼稚園の先生を目指して短大に進学するつもりだったそうなのですが、両親が「短大に行ったつもりで2年間(芸能界で)勉強してみればいい、もしダメだったそこから改めて短大に進学すればいい」と応援してくれたため、上京して芸能界で活躍する事を決められたのだそうです。
千堂あきほの若い頃③ 歌手としてデビューしオールナイトフジでブレイク
宝塚北高校卒業後に上京し芸能事務所に入った千堂あきほさんは、当初はレッスンを受けながら芸能事務所の電話番など手伝いもするという下積みから始められたそうです。
その後、千堂あきほさんは1990年1月25日に「It’s a Melody」という曲で歌手としてデビューし、その年7月に深夜バラエティ番組の「オールナイトフジ」の司会に起用されたのをきっかけに、あっという間にブレイクを果たしています。
若者を中心に人気に火がついた千堂あきほさんは、学園祭などに引っ張りだことなり、「学園祭の女王」の異名もとりました。
千堂あきほの若い頃④ 東京ラブストーリーなどの大ヒットドラマに出演
デビューから瞬く間にブレイクを果たした千堂あきほさんは、1991年に放送され社会現象を起こすほどの人気を集めたドラマ「東京ラブストーリー」に長崎尚子役で出演しています。
千堂あきほさんが東京ラブストーリーで演じた長崎尚子は、江口洋介さんが演じた三上健一の相手役というメインキャラクターの1人でした。
このドラマをきっかけに、千堂あきほさんは若手の人気女優の1人となり、1993年の大ヒットドラマ「振り返れば奴がいる」には、ヒロインの1人大槻沢子の役で出演しています。
その後、千堂あきほさんは女優業に専念し、ドラマを中心に数多くの話題作に主要なキャストとして出演され活躍されました。
千堂あきほは県立宝塚北高校出身という事から宝塚歌劇団出身の噂も出た
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1990年代に絶大な人気を誇った千堂あきほさんですが、当時は一部から宝塚歌劇団出身という噂も流れていました。
これについては、千堂あきほさんの出身高校が宝塚北高校だった事や、「千堂あきほ」という名前がどこか宝塚女優の芸名ぽかった事などから噂になったようです。
千堂あきほさんは宝塚歌劇団で活躍した事はなく、この噂は事実ではありません。
千堂あきほはが東京を離れたのは当時のマネージャーによる盗聴
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1990年代に絶大な人気を集めた千堂あきほさんでしたが、2000年を境にして一気に芸能界の表舞台に姿を見せる機会が減りました。
千堂あきほさんが全国区のテレビから姿を消すきっかけになったのは、当時のマネージャーだった小林敏昭という男性が、千堂あきほさんの自宅に無断で侵入し盗聴器を仕掛けたとして住居侵入などの罪で逮捕された事でした。
盗聴器発見機で自宅を調べたところ天井裏から盗聴器が2つ発見された。このため警察とともに隠しカメラなどを仕掛けて捜査したところ、犯人は「私の所属していた事務所のマネジャーだったんです」と、00年6月に自身のマネジャーが逮捕された事件の真相を明かした。
この千堂あきほさんに対するマネージャーの盗聴事件は、当時所属していた事務所の「オフィスシャイニング」の当時の社長の石川幸さんの指示によるものだったということで、この社長も同様の容疑で逮捕されています。
千堂あきほのマネージャーは千堂あきほの彼氏を誹謗中傷する文章のばら撒きも
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千堂あきほさんの当時のマネージャーの小林敏昭という男性は、千堂あきほさんの自宅に盗聴器を仕掛けただけでなく、当時千堂あきほさんが交際していた男性を誹謗中傷する文章が書かれた封書を、千堂あきほさんの友人宅のマンションの合計15戸にばら撒くという嫌がらせ行為も行なっていました。
千堂は「私が当時、お付き合いをしていた彼が、女にだらしがない、実はいろんな女がいるとか、被害者の会があるとかいう怪文書が出回り始めたんです」と振り返り、内容は「何人も中絶させた」「他にも女がいる」との誹謗中傷だったという。
千堂あきほさんは当時、サイパン在住のスキューバーダイビングのインストラクターの男性と結婚を視野に交際されていましたが、結婚して事務所を辞められては困ると考えた当時の社長の石川幸という女性が、マネージャーの小林敏昭という男性に命じてこの彼氏を中傷するビラをばら蒔かせたというのが真相だったようです。
この一連の事件によって、千堂あきほさんのマネージャーの小林敏昭と、当時の社長の石川幸は住居侵入と名誉棄損の容疑で逮捕され、マネージャーには懲役1年6ヶ月執行猶予4年の有罪判決が下されています。
千堂あきほさんは当時を振り返り、まさか身内であるマネージャーの仕業とは思わず、悪質なストーカーの仕業だと思っていたそうです。
当時は恐怖のあまり自宅から出る事も怖く、外では常に催涙スプレーを携帯し、5歩歩いては後ろを振り返るような恐怖の日々を送られたのだそうです。
このマネージャーによる盗聴や中傷ビラ事件をきっかけに、千堂あきほさんは東京を離れて地元の関西地方へと活動の拠点を移されています。そのため、このマネージャーによる一連の事件以降、千堂あきほさんは全国区のテレビで見かける機会が一気に減ったのでした。
札幌に来るまでは約10年間、兵庫に住んでいました。それまで12年間、東京でお仕事していましたが、2000年に当時のマネジャーに中傷のビラをまかれるなどして刑事事件になり、怖くて人間不信に陥ってしまったのがきっかけです。
千堂あきほの結婚した旦那はスキューバーダイビング講師の先名孝亘さん
上では、マネージャーによる千堂あきほさんの彼氏への誹謗中傷文章ばら撒き事件を紹介しましたが、この時中傷された彼氏と千堂あきほさんは、この事件でマネージャーが逮捕された約5ヶ月後の2000年の12月31日に結婚されています。
千堂あきほさんの旦那さんは当時、サイパンでスキューバーダイビングのインストラクターとして活躍されていた先名孝亘(さきな・たかのぶ)さんという方で、年齢は千堂あきほさんの方が6歳年上でした。(結婚当時は千堂あきほさんが32歳、旦那の先名孝亘さんが26歳)
結婚式は2001年4月28日にサイパンで船の上で挙式され、これも大きな話題になりました。
千堂あきほと旦那・先名孝亘さんの馴れ初め
千堂あきほさんと旦那さんの先名孝亘さんの結婚までの馴れ初めについても見ていきます。
千堂あきほさんと旦那さんの先名孝亘さんの馴れ初めは、結婚から約4年前で、千堂あきほさんが28歳の時だったそうです。
当時、先名孝亘さんはスキューバーダイビング関連の会社でインストラクターを務めていて、サイパン島に赴任していたため、日本で人気女優として活躍していた千堂あきほさんの事を知らなかったのだそうです。
そのため、先名孝亘さんは客として訪れた千堂あきほさんを芸能人扱いする事なくごく普通の客として対応し、千堂あきほさんにとってはそれが心地良かったのだそうで、これが交際に発展するきっかけとなったようです。
夫はもともとスキューバダイビングの会社に勤めるサラリーマンインストラクターで、28歳で出会ったときはサイパンの店舗にいて、芸能人としての私を知りませんでした。私は芸能人扱いされるのが好きではないので、彼が自然に客として接してくれたことが心地良かったんでしょうね(笑)。
千堂あきほさんが2000年頃に地元の兵庫県に活動の拠点を移された時には、旦那の先名孝亘さんは、会社の大阪支店に移ってそのまま結婚し、結婚2年目には会社も辞めて千堂あきほさんの芸能活動のサポートに回られたのだそうです。
千堂あきほさんの旦那さんの先名孝亘さんはその後、芸能事務所「サキナヤ」を立ち上げ、千堂あきほさんのマネジメント業務を担当されています。
先名孝亘さんは他にも教育関係の仕事もされているようで、札幌市東区PTA連合会の副会長も務められています。
千堂あきほの子供は2人
千堂あきほさんは2000年に結婚した旦那・先名孝亘さんとの間に2人の子供(2人とも娘さん)が生まれています。
千堂あきほさんは結婚後はなかなか子供に恵まれず、6〜7年の赴任治療を経て、37歳の時に一旦は赴任治療を諦めたそうです。千堂あきほさんの第一子となった長女は、その直後に奇跡的に自然妊娠によって授かった子供だったそうです。
千堂あきほさんの1人目の子供(長女)は、2008年8月3日に生まれているので、2021年11月の現在は13歳で中学1年生です。
千堂あきほさんの2人目の子供(次女)は、2011年4月16日の生まれで、2021年11月の現在は10歳で小学4年生です。
千堂あきほさんは2人の子供たちと、なるべく1対1で向き合う時間を作っているとの事でした。
長女は中学校1年生、次女は小学校4年生です。2人とも難しい年齢に入ってきたので、なるべくそれぞれと1対1で向き合うようにしています。
千堂あきほさんによれば、長女は芸能界にも興味を持ち始めている様子だという事で、人気絶頂期の頃の千堂あきほさんの活躍をインターネットで調べたりもされているのだとか。
長女は私に似てきましたかね。タレントになりたい、とは言っていませんが興味を持ち始めているみたいです。もし「やりたい」と言ってその熱量が本物だったら反対はしません。最近、同級生のお母さんから昔の私の仕事を聞いて、ネットで調べたりしているみたい。
この他、千堂あきほさんは、現在ブレイク中の女性芸人の平野ノラさんが、定番のバブル期ネタで、千堂あきほさんのモノマネをしているのをテレビで見て、子供たち2人が大ウケしていたとのエピソードも嬉しそうに話されていました。
タレントの平野ノラさん(43)が私のモノマネをしてくれていましたよね。娘たちが「あんなんだったんだ~」「楽しそうだね」と大ウケして(笑)。私もノラさんがあの時代の雰囲気を再現してくれて、娘たちにも知ってもらえたことがすごくうれしいです!
千堂あきほの現在① 北海道札幌を拠点に芸能活動を続けている
千堂あきほさんは2011年頃に、旦那さんの先名孝亘さんの故郷の北海道札幌市に移住され、現在はここを拠点にして芸能活動を続けられています。
2021年に入ってからは、北海道文化放送の情報バラエティ「発見!タカトシランド」や、NHK北海道の「千堂あきほの浜めし」、同じくNHKの「ひるナマ!北海道」、北海道テレビのローカル情報番組「イチモニ!」など、北海道のローカル番組に多数出演されています。
千堂あきほの現在② 芸能活動以外はごく普通の主婦として生活
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北海道札幌を拠点にローカルタレントとして人気を上げている千堂あきほさんですが、普段はごく普通の主婦生活をされているそうです。
千堂あきほさんによれば、毎朝子供2人を学校に送り出した後は、家事などをこなした後、200坪の畑で野菜作りもされているのだとか。
現在、お仕事以外はごくごく普通の主婦の生活です。毎朝6時に起きて食事の支度をし、子どもたちにご飯を食べさせて8時頃に送り出す。それから洗濯、掃除、午後には買い物……。食育を考えて、車で15分のところに200坪の畑を借りてトウキビ(トウモロコシ)やジャガイモ、ダイコンなど野菜作りをしているので、2、3週間に1回ぐらい夫の畑仕事も手伝っています。楽しみはママ友と喫茶店でお茶すること(笑)。
千堂あきほさんは現在の生活について、「今が一番人間らしく生きてる」と話されていて、とても充実した幸せな日々を送られている様子です。
まとめ
今回は、1990年代のバブル期に女優や歌手、タレントとして活躍した千堂あきほさんについてまとめてみました。
千堂あきほさんは1歳の時に両親が離婚して父親に引き取られ、3人姉妹の次女として兵庫県尼崎市で育ちました。
若い頃の経歴は、兵庫県立宝塚北高校3年生の時にオーディションの本選10人に選ばれたのをきっかけにスカウトを受け芸能界入りし、高校卒業後に上京して歌手としてデビュー。その後は女優として「東京ラブストーリー」、「振り返れば奴がいる」などの大ヒットドラマにヒロイン役として出演し人気を博しました。
ところが、人気絶頂期だった1999年に、当時のマネージャーによる盗聴や当時の交際相手への誹謗中傷文章ばら撒きなどの被害に遭い、これをきっかけにして全国区のテレビからは姿を消しました。
その後、地元の関西に拠点を移して芸能活動を継続していた千堂あきほさんは、2000年にスキューバーダイビングのインストラクターだった旦那さんと結婚し、2人の子供にも恵まれています。2人の馴れ初めは結婚の約4年前で、千堂あきほさんが客としてスキューバーダイビングの講習を受けたのがきっかけだったようです。
千堂あきほさんは、2011年に旦那さんの故郷である北海道へと移住し、現在は同地でローカルタレントとして活躍されています。