佐久間良子の若い頃や現在!元旦那との子供(息子/娘)・離婚原因・鶴田浩二との関係も総まとめ

佐久間良子さんは若い頃は東映の看板女優として活躍した女優で、鶴田浩二との不倫の暴露が話題です。

 

今回は佐久間良子さんのプロフィールや年歴、若い頃の経歴、結婚した元旦那と離婚原因、子供(息子・娘)、自宅や現在をまとめました。

佐久間良子のプロフィール

生年月日:1939年2月24日

出身地:東京都

所属事務所:ORPHe

 

佐久間良子さんは、映画制作・配給会社「東映」の作品において初めて、”女優での主役”を務めた役者です。

 

さらに、NHK大河ドラマ史上初の単独主演女優でもあります。

 

元夫は俳優の平幹二朗さん、同じく俳優として活動する平岳大さんは息子です。

 

2022年現在の年齢は83歳ですが、現在も女優として活躍しています。

 

 

佐久間良子は書道で「日展」に入選!映画の題字も担当している

 

佐久間良子さんは書道の腕前も相当なレベルで、1977年には「日展」に入選。また、「毎日書道展」でも入選しているほか、各地で個展も開催しています。

 

さらに、2003年発売のVシネマ「実録ヒットマン 北海の虎・望郷」では題字を担当しました。

 

佐久間良子さんは書道について以下のようにも語っています。

 

子どもの頃から字を書くことが好きでした。女優の仕事は多忙を極めていたのですが、その中でわずかな時間を見つけては“書”に没頭して、心のバランスを保っていました。

 

引用:佐久間良子さん「人生、紆余曲折あったけれど、それぞれの決まりに支えられて。」

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴① 箱入り娘としての生い立ち

 

父親は軍医で、佐久間良子さんが1~2歳の頃は満州に従軍。戦後は製薬会社に勤務し、役員にまで上り詰めています。

 

また、母親の実家は人体模型を日本で初めて開発した製作所だそうです。

 

さらに、佐久間良子さんの実家は地元でも有数の大地主で、佐久間良子さんは3歳下の妹と6歳下の弟とともに何不自由なく育ち、500坪ほどある実家は高い塀に囲まれていたといいます。

 

子供の頃は家から出たことがほとんどなく、文字通りの”箱入り娘“だったのだとか。

 

ただ、小学校に上がる直前には集団疎開も経験しています。群馬県に身を寄せるも、あまりにやせ衰えた姿を見た父親が驚いてすぐに引き取り、一家で福島県に移り住んだそうです。

 

福島県では地元の小学校に通い、野生児のごとくの山を駆け回っていたそうで、前述の自宅に帰れたのは終戦から1~2年後のことだったといいます。

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴② 自宅まで東映の幹部が直々にスカウト

出典:https://mag.japaaan.com/

 

その後、開進第三小学校・私立川村中学を経て、川村高等学校に進学。

 

同校の先輩で、東映の役者でもあった小宮光江さんに誘われ、撮影所の運動会を訪れます。

 

すると後日、学校から帰宅すると、応接間には両親と東映の幹部の姿があり、幹部が「娘さんを東映のスターに」と両親を説得していたそう。

 

両親は芸能界入りを認めず、親族会議でも「絶対反対」と何度も言われたのだとか。

 

しかし、佐久間良子さんは「1年限りでもいいので」と役者として挑戦することを両親に宣言したといいます。

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴③ ”期待のホープ”として早くから活躍

 

出典:https://aucview.com/

 

佐久間良子さんは両親に役者に挑戦することを宣言した翌年の1957年に、東映主宰のオーディション「東映ニューフェイス」に参加します。

 

途中、水着審査を拒否するも補欠で合格し、東映へと入社しました。

 

同期には、役者の水木襄さん・室田日出男さん・曽根晴美さん・花園ひろみさん・山口洋子さんがいます。

 

入社後は、「俳優座」の養成所で半年間にわたる研修を受け、1958年公開の映画「美しき姉妹の物語・悶える早春」の端役でスクリーンデビュー。

 

同年公開の「台風息子 修学旅行の巻」「台風息子 最高殊勲の巻」では、早くも主演・江原真二郎さんの相手役に抜擢されました。

 

佐久間良子さんは同2作を機に”期待のホープ”として注目が集まり、雑誌「平凡」が行った人気投票で女優部門10位にランクイン。1960年には後援会が発足しています。

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴④ 鶴田浩二の相手役として多くの作品に出演

出典:https://blog.goo.ne.jp/

 

以降も、1960年公開の映画「白い崖」「秘密」、1961年公開の「故郷は緑なりき」などの作品に出演しました。

 

1960年公開の映画「砂漠を渡る太陽」では、主演・鶴田浩二さんの相手役を務め、1961年公開の「湖畔の人」でも共演。

 

同時期より、鶴田浩二さんとの熱愛が度々メディアに取り上げられるようになります。

 

1963年には、映画「人生劇場 飛車角」で初の汚れ役に挑戦し、大きな話題に。同作で佐久間良子さんは、鶴田浩二さん演じる飛車角の情婦という役どころを演じました。

 

佐久間良子さんはそれまでアイドル的な人気にとどまっていましたが、同作を機に演技力が認められ、同年公開の「五番町夕霧楼」では「シルバースター主演女優賞」を受賞。

 

さらに、1966年公開の映画「湖の琴」では「NHK主演女優賞」や「京都市民映画祭賞」などを受賞しています。

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴⑤ 東映の方針と合わず、出演激減

出典:https://pixabay.com/

 

東映は、1960年代後半頃より、ヤクザ映画・ポルノ路線に注力するようになります。

 

そのため、佐久間良子さんは、当時ヤクザ映画を中心に活躍していた藤純子さんにトップ女優の座を譲ることになり、途端に映画出演数が激減してしまいました。

 

1968年には、他社である松竹制作の映画「わが闘争」で不良少女という初の役柄に挑戦。

 

同年の「雪夫人絵図」では官能作品に挑戦するも、原作が文芸作品であったため、ヤクザ・エロスに傾倒していた東映のカラーに合わないと、お蔵入りしてしまったそうです。

 

翌年の1969年には、小幡欣治の小説「あかさたな」を原作とした映画に出演するも、東映はタイトルを「妾二十一人 ど助平一代」として公開。

 

東映が大衆受けと話題性を狙ってエロスに振り切れば振り切るほど、佐久間良子さんの心は映画から離れていきました。

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴⑥ 活躍の場を映画からドラマへ

 

その後の1967年頃から、佐久間良子さんは活躍の場を映画からテレビドラマや舞台へと移し、1967年放送のテレビ朝日系ドラマ「徳川の夫人たち」などに出演。

 

また、NHK大河ドラマにも多数出演しており、1972年放送の「新・平家物語」、1981年放送の「おんな太閤記」、1989年放送の「春日局」、2006年放送の「功名が辻」の4作品に出演。

 

特に、主演を務めた「おんな太閤記」はNHK大河ドラマ史上初の女性主役となり、平均視聴率31.8%をマーク、大河ドラマにおいて歴代5位となる人気作となりました。

 

佐久間良子さんは同作出演を振り返り、膨大なセリフを覚えながらみんなで一致団結し、視聴率も良かったので楽しかったと語っています。

 

ムードメーカーは西田さんや中村雅俊さん(67)。撮影の合間、スタンバイのときにマイクに向かって急に歌を歌い出したり。なんかね、即興で歌うんですよ。それがとても楽しくて。みんなが同じ方向に目を向けて仕事をしていました。トラブルは全くなかったです。いろんな映画に出させていただいていろんなお仕事をしましたが、こんなに楽しい仕事ってあったのか、というくらい。

 

引用:【大河のころ 佐久間良子(1)】こんなに楽しい仕事があったのか

 

ちなみに、息子の平岳大さんも2016年放送の大河ドラマ「真田丸」で、武田勝頼役を演じています。

 

 

佐久間良子の若い頃の経歴⑦ 舞台でも高い演技力で観客を魅了

出典:http://blog.livedoor.jp/

 

舞台においては、初舞台となった1969年公演の「春の雪」が好評のため4か月のロングランに。1983年には「菊田一夫演劇大賞」、1995年には「文部省芸術祭賞」を受賞しました。

 

2004年公演の舞台「鹿鳴館」では、元旦那である平幹二朗さん・息子の平岳大さんと親子3人での共演が大きな話題に。

 

佐久間良子さんは元旦那と共演する心境について、以下のように語っています。

 

普通なら前の夫と仕事をするのは嫌かもしれませんが、私は役者として平さんを尊敬していたので、『相手に不足はない』とお引き受けしました。女優として俳優・平幹二朗に挑戦したいという気持ちでした。

 

引用:佐久間良子が初めて明かす 平幹二朗が家族と過ごした最後の晩餐

 

佐久間良子は若い頃に鶴田浩二との熱愛・不倫疑惑も浮上していた

出典:https://aucview.com/

 

佐久間良子さんはデビューして以来、度々鶴田浩二さんの相手役を務めています。

 

1963年公開の映画「人生劇場 飛車角」で共演した頃からプライベートでも恋仲となり、鶴田浩二さんが14歳年上で妻子もいたことから、不倫だとマスコミから大注目されていました。

 

後年の2012年、佐久間良子さんは日本経済新聞に掲載されていたコラム「私の履歴書」で当時の関係を告白。当時の不倫を認める形となりました。

 

関係は数年で終わったそうですが、佐久間良子さんはそんな2人の関係を「不倫」ではなく、「灼熱の恋」だと表現しています。

 

当時22歳だった佐久間は、14歳年上で妻子ある鶴田さんと映画で共演したが「まもなく2人は恋に落ちる」「私は『不倫』という言葉は好きではない。だが2人はもはや誰も止めることができない『灼熱(しゃくねつ)の恋』に駆り立てられていた」と赤裸々につづった。マスコミにも取りざたされ、「恋愛関係はその後、数年続く。私の若い恋心は、湖に浮かぶ木の葉のように激しく揺れ動いていた」

 

引用:佐久間良子が鶴田浩二さんとの不倫を告白

 

なお、若かりし頃の佐久間良子さんと鶴田浩二さんの熱愛の噂は、元旦那・平幹二朗さんの耳にも入っていたものの、佐久間良子さんの口から直接詳しい内容を聞いたことがなかったそう。

 

同コラムを読んで詳細を知ったという平幹二朗さんは、以下のようにコメントしていました。

 

永い年月に及ぶ苦しい恋愛のため女性として磨かれ、大人の女性らしさを漂わせていた良子さんに魅力を感じて恋愛関係になったので、過去のラヴ・アフェアーが2人の間で問題になった事はありませんでした。具体的ななれそめなどについては今度の記事を読んでヘェー! と思った位です

 

引用:佐久間良子の『私の履歴書』で元夫の平幹二郎が新発見し驚く

 

 

佐久間良子と噂があった鶴田浩二のプロフィール

 

生年月日:1924年12月6日

出身地:静岡県

職業:役者・歌手

所属事務所:新生プロ

鶴田浩二さんは昭和を代表する映画スターの1人で、数多くの映画・ドラマで主演を務めています。また、歌手としても活躍していました。

 

14歳の時に劇団へと入団。此花商業学校を経て関西大学へと進学するも、徴兵され、終戦まで海軍航空隊に所属しました。

 

その後、1948年に映画制作会社「松竹」へと入社し、端役をこなしたのち、1948年公開の映画「遊侠の群れ」で本格的なデビューを果たします。

 

1949年には映画「フランチェスカの鐘」で初主演を務め、佐田啓二さん・高橋貞二さんと並び、”青春三羽烏“と呼ばれるほどヒット作を連発しました。

 

1952年になると、戦後初の役者による独立プロダクション「新生プロ」を設立。

 

その後も、当時関係を噂されていた岸恵子さんとの共演作「ハワイの夜」などが大ヒットしますが、岸恵子さんとの仲を松竹が許さなかったため、鶴田浩二さんは自殺未遂を起こしています。

 

一方、同年にレコード「男の夜曲」で歌手としてもデビュー。同曲も大ヒットし、昭和20年代最大のアイドルと称されるまでになりました。

 

途中スランプを経験するも、1963年に主演を務めた映画「人生劇場 飛車角」が大ヒット。以降、活躍の場を任侠映画へと移します。

 

ドラマにおいては、1976年から1982年に放送されていたNHKドラマ「男たちの旅路」シリーズなどに出演。

 

以降も役者として活躍していましたが、1987年6月16日に東京都の慶應義塾大学病院で死去。

 

死因は1985年に診断された肺がんだとみられます。享年62歳でした。

 

 

佐久間良子が結婚した旦那は役者の平幹二朗

佐久間良子さんは、1970年4月16日に役者・平幹二朗さんと結婚。東京都にある霊南坂教会で結婚式を挙げたそうです。

 

平幹二朗のプロフィール

 

生年月日:1933年11月21日

出身地:広島県

職業:役者・演出家

所属事務所:ケイファクトリー

平幹二朗さんは役者で、演出家としても活躍。舞台を中心に、ドラマ・映画などにも多数出演しています。

 

平幹二朗さんは劇団「俳優座」の俳優座養成所に5期生として入所。同期には木村俊恵さん・今井和子さん・藤田敏八さん・ジェームス三木さんらがいるそうです。

 

その後、1956年に俳優座の座員となり、同年公演の舞台「貸間探し」で役者デビュー。以降、同劇団の舞台で活躍し、仲代達矢さんらとともに”若手ホープ”として注目されました。

 

1963年には、フジテレビ系ドラマ「三匹の侍」に浪人・桔梗鋭之介役としてレギュラー出演し、人気を博しました。

 

時代劇を中心に多くのドラマで主演を務めた後、1968年にフリーになると「劇団四季」の舞台にも出演し、1968年の主演を務めた「ハムレット」が各界から高い評価を得ています。

 

また、1976年に舞台「近代能楽集 卒塔婆小町」で主演を務めたことを機に演出家・蜷川幸雄の演出作品に多数出演。

 

大河ドラマにおいては、1970年放送のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」で大河ドラマ初出演にして初主演を務めて以来、計7回も出演する常連の俳優でした。

 

演技力への評価も高く、1998年には「紫綬褒章」、2005年に「旭日小綬章」を受賞しました。

 

さらに演出家としても活躍しており、これまでに中村玉緒主演舞台などで演出を手掛けています。

 

しかし、ドラマ「カインとアベル」に出演中だった2016年10月23日、息子の平岳大さんが自宅の浴槽で倒れている平幹二朗さんを発見。病院に搬送されるも、死亡が確認されました。

 

死因については当初ヒートショック現象も推測されていましたが、結果として”不明”で終わっています。享年82歳でした。

 

佐久間良子さんは後日受けたインタビューで、平幹二朗さんの死について以下のように振り返っています。

 

事務所が平さんに電話したら出なかったので、岳大が一人暮らしの自宅に駆けつけるとお風呂場で倒れていた。倒れた時もワインを持ってたそうですから、子供や孫と晩餐を楽しみ、その余韻にひたりながら亡くなられたのではないでしょうか。私が駆けつけた時も、安らかなお顔をしていました。葬儀のとき、平さんを『遠くて近く、近くて遠い人』と表現したのですが、私たちは別れても、決してお互いを恨んだりしませんでした

 

引用:佐久間良子が初めて明かす 平幹二朗が家族と過ごした最後の晩餐

 

 

佐久間良子の子供① 息子は役者の平岳大

佐久間良子さんと平幹二朗さんの間には、1974年7月に2人の子供が誕生

 

子供は男女の二卵性双子で、長男の平岳大さんは役者として活躍しています。

 

 

平岳大のプロフィール

 

出典:https://www.sponichi.co.jp/

生年月日:1974年7月27日

出身地:東京都

職業:役者

所属事務所:ORPHe

 

平岳大さんは、暁星小学校・暁星中学校を経て、暁星高等学校に進学。同校在学中にアメリカへ留学し、モーゼス・ブラウン・スクールを卒業したのちにブラウン大学を卒業しました。

 

ブラウン大学卒業後はコロンビア大学大学院へと進学するも、中退してしまったそうです。

 

平岳大さんは役者になりたいと両親に打ち明けた際の反応について、母親には「絶対ダメ」だと反対され、父親には相談ののちOKをもらったと振り返っています。

 

その後、2002年に舞台「鹿鳴館」で役者デビュー。同作には平幹二朗さん・佐久間良子さんと両親も出演しており、親子3人での共演が話題となりました。

 

ちなみに、佐久間良子さんは息子のために同作に出演したという訳ではないようで、同作が決まった後も役者になることを反対していたのだとか。

 

「息子が出るなら降板する」とまで言っていたそうで、本番中も息子と目を合わさなかったといいます。しかし、いざ本番を終えると「もう何も言うまい」と態度を軟化させたそう。

 

佐久間良子さんは2018年に受けた取材で、息子が役者になることを反対していた心境について以下のように語っていました。

 

どんな職業でも厳しいですが、とくに俳優業は生活していかなければいけないし、一生のことだし、もって生まれたその人の運や努力、それだけではない何かが必要です。私自身がこういう世界に入って厳しさを見て来ましたから、もう少し世界を広げて違う仕事に行った方がいいんじゃないかと最初は思いました。でも、結局は自分が好きな道を選んだ。運や努力のほかに何かを持っていたんでしょうね。

 

引用:【大河のころ 佐久間良子(3)】息子・平岳大が演じた「真田丸」武田勝頼は良かった

 

プライベートでは、2016年7月12日に双子の妹の幼馴染で親友だという一般女性と結婚したことを公表。その後、娘が誕生しています。

 

 

佐久間良子の子供② 娘は息子・平岳大のマネージャー

 

佐久間良子さんの娘は一般人で、長らく氏名などを公表していませんでしたが、平岳大さんが2019年にテレビ朝日トーク番組「徹子の部屋」に出演した際、「朋子」さんと明かしました。

 

朋子さんは現在、平岳大さんの個人事務所でマネージャーを担当。プライベートでは2児の母親なのだといいます。

 

 

佐久間良子が離婚した原因は?夫婦の不仲が家族へ与えた影響

 

佐久間良子さんと平幹二朗さんは、1984年に記者会見で離婚を発表

 

離婚理由について佐久間良子さんは、「夫婦のギクシャクした空気を子供たちに隠し通せなくなった」と語っています。

 

親が不仲であるストレスから息子・平岳大さんがチック症になり、娘・朋子さんも妙に明るく騒ぐようになるなど子供たちに悪影響が出始め、状況を打破するために離婚を決意したのだとか。

 

また、夫婦仲は結婚4年目にすでにおかしくなっていたといい、以降はずっと仮面夫婦だったそう。

 

そして、1974年に平岳大さんが仕事場として東京にマンションを購入した頃から、別居生活を送っていたといいます。

 

平幹二朗さんは会見で「彼女も仕事を大事にする人で生活のずれがあったこと。それが14年間積み重なってしまった」と語りました。

 

また、佐久間良子さんも「不器用な女なので、母と女優と妻の3役を全うできなかった」と述べています。

 

さらに、当時は佐久間良子さんだけではなく、平幹二朗さんにも”男性”との噂があったのだとか。

 

平さんにはズバッと「男性問題が原因では?」の問いもぶつけられたが、余裕の笑みを浮かべながら「僕がお答えするより、彼女に…」と水を向け、佐久間が「そんなことは全くありません」と否定してみせる一幕もあった。のちに最後の夫婦共同作業と言われたものだ。それでも平さんが求めた握手を佐久間が拒否する場面もあって、芸能史に残る愛憎渦巻く離婚会見となった。

 

引用:佐久間良子絶句…平さんと70年結婚も4年で仮面夫婦 愛憎渦巻く離婚劇

 

離婚した同年には、佐久間良子さんとテレビディレクター・小田切成明さんが軽井沢の別荘で密会している写真を女性週刊誌が掲載。

 

離婚との因果関係を騒がれ、のちに釈明会見が開かれています。

 

 

佐久間良子は過去に宗教トラブルも

 

佐久間良子さんは1998年、宗教団体「二譲会」の広告塔であるとして、代表とともに都内の主婦から損害賠償請求で提訴されています。

 

二譲会と佐久間良子さんの件については、「デイリー新潮DEGITAL」が以下のように紹介しています。

 

「宗教法人ではないのですが、霊示気学二穣会という宗教まがいの団体で、会員の健康不安を煽ったりして洗脳し、“預金を下ろさないと大変なことになる”などと迫っては、“金は預かる”とだまし取っていました。その会員であり、広告塔になっていると報じられたのが佐久間で、被害者から訴訟まで起こされました」

 

引用:小林麻耶で思い出す“洗脳された”5人の有名人 持田香織は一時、気功師に心酔

 

以降、メディアはこの話題を取り上げ続け、報道が過熱。

 

佐久間良子さんは緊急記者会見を開き、代表との関係性は認めるも、広告塔疑惑は身に覚えがないとして否定しました。

 

  • また、2000年に一部週刊誌によって、代表との借金トラブルが報じられています。

 

一連の騒動は和解へ向かっていたかのように思われましたが、同年ついに裁判に。しかし、佐久間良子さんは洗脳されていた側であるとして「責任はない」という判決となりました。

 

 

佐久間良子と浅丘ルリ子はプライベートで仲良し

佐久間良子さんは浅丘ルリ子さんと仲が良く、プライベートでも交流があるそうです。

 

しかし、それぞれが東映・日活の看板女優として活躍していたため、仕事では2011年の舞台「姉妹たちの庭で」で共演するまで、映画の1シーンのみしか共演歴がありませんでした。

 

 

浅丘ルリ子のプロフィール

 

生年月日:1940年7月2日

出身地:満州

職業:役者

所属事務所:石原プロモーション→不明

 

浅丘ルリ子さんは役者で、本名は「浅井信子」。元旦那が石坂浩二さんであることでも知られています。

 

浅丘ルリ子さんは満州国で誕生し、1946年に引き揚げを経験。

 

その後、1954年にオーディションを受けて、応募者3000名中から1995年公開の映画「緑はるかに」の主役に選ばれてデビュー。

 

美少女として人気を博し、浅丘ルリ子さんの髪型を模した「ルリコカット」が流行しました。

 

映画制作会社「日活」の看板女優として多数の映画に出演し続けたほか、1964年にはレコード「夕陽の丘」で歌手デビュー。

 

特に、小林旭さんや石原雄二さんとのタッグが多く、1967年公開の映画「夜霧よ今夜も有難う」などに出演しました。

 

当時から仲の良かった佐久間良子さんが東映で女性主役を務めていたことに大きなショックを受け、「私は男性映画のサシミのツマ」「もっと自分の仕事を大切にしたい」と思ったのだとか。

 

以降、浅丘ルリ子さんは会社に他社作品への出演を交渉したり、会社が持ち掛けた作品への出演を断ったりと、役者としての自分の考えを積極的に発信するようになります。

 

このため一時出演ペースが下がるも、1966年に芸能事務所「石原プロ」へと移籍すると数々の話題作に出演し、特に映画「男はつらいよ」シリーズのマドンナ・リリー役は好評を得ました。

 

1980年以降は、活躍の場を舞台へと移しつつ、ドラマ・映画にも出演。

 

近年では2019年公開の映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」に出演したほか、テレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」シリーズに出演。

 

2021年もNHKのドラマ「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」に出演しました。

 

 

佐久間良子の現在① 映画・ドラマ・バラエティと幅広く活躍中

 

佐久間良子さんは、2015年放送のTBS系ドラマ「おふくろ先生の診療日記7」に出演。

 

2017年公演の舞台「大石内蔵助の妻 りく」や2018年公演の「ストゥーパ~新卒塔婆小町」などにも出演しています。

 

映画においては、2019年にNetflixが制作したアメリカ映画「アースクエイクバード」に出演しました。

 

近年はトーク番組・バラエティ番組への出演などをメインとしており、2020年放送のNHK情報番組「ごごナマ」やTBS系トーク番組「サワコの朝」などに出演。

 

2021年に放送されたEテレのインタビュー番組「SWITCHインタビュー 達人達」では遺体科学者・遠藤秀紀さんと対談しています。

 

佐久間さんは東京大学総合研究博物館教授で、“遺体科学者”の遠藤秀紀さんと共に登場し、お互いをインタビューし合う。番組は、異なる分野で活躍する2人の達人が登場し、クロストークを繰り広げるという内容。前半と後半でゲストとインタビュアーを「スイッチ」しながら、成功への道筋や、独自の哲学を語り合う。

 

引用:佐久間良子:82歳の大女優が“遺体科学者”と対談 「子供たちの前で、台本を広げたことは一度もない」 「SWITCHインタビュー」きょう放送

 

また、孫が保護猫を飼い始めた縁から、2022年放送の動物バラエティ番組「嗚呼!!みんなの動物園」にも出演しています。

 

 

佐久間良子の現在② 2021年に芸能生活を支えてくれた母親が死去

 

佐久間良子さんは2022年10月に、テレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」に出演。同年4月に母親を102歳で亡くしたと明かしました。

 

母親はチャレンジ精神旺盛な性格で、90歳から刺繍を始め、さまざまな作品を作り上げてきたといいます。

 

また、高校卒業後すぐにスターとなった佐久間良子さんを支えるため、毎日手料理を作り、深夜でも寝ずに帰りを待ってくれるなど、娘の役者生活をずっと支えてきてくれたといいます。

 

佐久間良子さんは「多忙でも体調を崩さなかったのは、母親の料理のおかげだった」と語りました。

 

 

まとめ

佐久間良子さんは役者で、若い頃から東映の看板女優として活躍していました。東映が任侠・ポルノ路線に舵を切ってからは舞台・ドラマへと活躍の場を移し、大河ドラマなどにも多数出演。

 

特に、1981年放送の「おんな太閤記」では史上初となる女性主人公を演じ、話題となりました。

 

プライベートでは平幹二朗さんと結婚し、2人の子供(双子で息子は役者の平岳大さん、娘はそのマネージャー)を授かりましたが、離婚。

 

離婚原因については夫婦それぞれが”男性関係”を疑われるなど、様々な推測が流れましたが、実は結婚してすぐに仮面夫婦の状態にあったことが後に明かされました。

 

2019年以降は年齢のためか、役者として目立つ活動はされていませんが、バラエティ番組・トーク番組には出演されています。

 

2021年には、芸能活動をずっと支え続けてくれていたという母親の死も経験されていますが、気を落とさず、今後も末永く元気に活動していただきたいですね。

 

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