ネットフリックスの極悪女王が話題になっていますが、極悪女王がヒットしたことで往年の女子プロレスラーが再注目されています。その1人が大森ゆかりさんです。
大森ゆかりさんのプロフィールや若い頃からの経歴と若い頃の美人画像、ダンプ松本さんなどの同期、釣りロマンへの出演、結婚した旦那や子供と現在をまとめました。
この記事の目次
大森ゆかりは元ダイナマイト・ギャルズの女子プロレスラー
大森ゆかり
生年月日:1961年12月21日
出身:北海道札幌市
身長:165cm
体重:75kg
所属:元全日本女子プロレス
ニックネーム:なつこ、女力道山
活動:元女子プロレスラー
大森ゆかりさんは北海道札幌市出身の女子プロレスラーです。1980年に全日本女子プロレスに入門し、「昭和55年組」の1人として活躍しました。
極悪同盟に入るようなヒール役ではありませんし、長与千種・ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズのようなスター人気はありませんでしたが、実力が伴う人気選手だったことは間違いありません。
大森ゆかりの経歴①:子供の頃から格闘技
父親が格闘技をやらせた
大森ゆかりさんの父親は身長は180cm・体重は100kg超ある大柄の草相撲の力士でした。格闘技が好きだったこともあり、大森ゆかりさんに小学生の頃から柔道を習わせていました。
当時は、今のように女性が柔道をするのは珍しい時代でしたが、父親の意向が強く、女子プロレスラーになるように育てられたとのことです。
柔道だけでなく、わんぱく相撲にも出場していたそうですので、大森ゆかりさんは子どもの頃から本当に「格闘家」として育てられたんですね。ただ、大森さん本人はわんぱく相撲に出場したりするのは、本当に嫌だったそうです。
力士もビックリの力強さ
中学生の時には体重は85kg!身長は165cmですから、かなり体格がしっかりした中学生になっていた大森ゆかりさんは、足腰を鍛えるために、父親と弟と母親を背負ってトレーニングしていました。
父親はだけでも100kg超。さらに弟と母親を背負うのですから、200kg位を背負って歩いていたそうです。そんな女子中学生、凄すぎです!
父の関係で相撲取り関係の知人が多くて、15歳で湊川親方と会ったときに目の前で、父の上に弟、その上にお母さんを乗せて、200キロぐらいを背負って歩いちゃった。
引用:元女子プロレスラー大森ゆかりさんはパートに出る主婦「パイプ椅子が並んでいると『飛びたいなぁ』って…」|日刊ゲンダイDIGITAL
ただ、大森ゆかりさん本人がYouTubeで語っていたところによると、力は強いけれど、運動神経は悪かったとのことです。
大森ゆかりさんは父親に言われて格闘技をやっていましたが、別に女子プロレスラーになりたいと思っていたわけではなかったので、中学卒業後は高校に進学しています。そして、高校卒業前には就職先が決まっていて、卒業後の進路は決まっていました。
しかし、高校卒業直後になって、ようやく「ちょっと変わったことがしたいな」と思うようになり、そこでやっと全日本女子プロレスのオーディションを受けることになりました。
大森ゆかりの経歴②:女子プロレスラーとしてデビュー
高校卒業後の1980年に全日本女子プロレスのオーディションを受けることになった大森ゆかりさんは、鏡山親方を後見人にして一発合格します。
当時の全日本女子プロレスの入団倍率は300倍でしたが、そこに一発合格したということは、後見人のパワーもあったのかもしれませんが、大森ゆかりさん自身の才能がずば抜けていたということでしょう。
入団時は「3ヶ月で芽が出なかったら退団」と言われていたそうです。
しかし、大森ゆかりさんは一気に才能を開花させます。1981年には先輩のミミ萩原とタッグを組み、第74代WWWA世界タッグ王者になりました。入団2年目で先輩の人気レスラーとタッグを組んでWWWA王者になるのは、実力がずば抜けていた証拠と言えます。
1983年には相方のミミ萩原が引退したので、親友のジャンボ堀とタッグ「ダイナマイト・ギャルズ」を結成し、第76代WWWA世界タッグ王者になり、さらに人気絶頂だったクラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥・長与千種)のライバルとして立ちはだかります。
ジャンボ堀が引退した後は、シングルでやることになり、1986年には第33代WWWA世界シングル王者になりました。ただ、シングルになった頃には膝を痛め、手術・リハビリをすることになります。膝を怪我したことで、今までとはファイトスタイルを変えなくてはいけないと思い、手刀打ちを覚えて、大森ゆかりさんの必殺技「架裟斬りチョップ」を修得します。
この袈裟斬りチョップは国民的人気プロレスラーの力道山の得意技だったことから、大森ゆかりさんは「女力道山」と呼ばれるようになりました。
そして、1988年2月28日にライオネス飛鳥を相手にしたエキシビジョンマッチで引退しています。この引退は同期のダンプ松本さんと同時の引退でした。
ダンプ松本をフォークで刺したことも!
大森ゆかりさんはヒール役ではありませんでしたが、一度怒ってダンプ松本さんをフォークで刺したことがありました。
当時、ダンプ松本は極悪同盟を率いて凶器攻撃をしていました。その凶器攻撃があまりにもエスカレートしたことに怒った大森ゆかりさんは、試合中にダンプ松本の左腕をフォークで刺したんです!
ムカついたんだろうね。刺した瞬間、シャウエッセンの粗びきウインナーが割れたみたいな、『プシュッ!』て音がしたのを覚えてる。
引用:元女子プロレスラー大森ゆかりさんはパートに出る主婦「パイプ椅子が並んでいると『飛びたいなぁ』って…」|日刊ゲンダイDIGITAL
「フォークで刺してウィンナーが割れたみたいな音」ってめちゃくちゃリアルですし、めちゃくちゃ怖いですよね。ただ、そのあとは仲が悪くなったわけではなく、大森ゆかりさんはダンプ松本から極悪同盟に入るように誘われたとのことです。
大森ゆかりの経歴③:引退後の活動
ダンプ松本とユニット
出典:ameblo.jp
1988年2月28日に引退した大森ゆかりさんは、一緒に引退したダンプ松本さんと「桃色豚隊」(ピンクトントン)というユニットを組んで、タレント活動を行います。元女子プロレスラーのぽっちゃり系アイドル(風)として、「赤いウィンナー逃げた」というレコードを出してデビューまでしています。
しかし、このユニット「桃色豚隊」は自然消滅しました。大森ゆかりさんがダイエットして「ぽっちゃり」じゃなくなったというものありますし、お互いにソロの仕事が増えてきたことで、自然消滅になったそうです。
大森ゆかりさんは前述のようにダンプ松本さんをフォークで刺したことがありましたが、引退後も連絡を取り合い、ユニットを組んでいますので、関係性は良好だったんですね。
タレント活動や現役復帰
大森ゆかりさんはダンプさんとのユニット「桃色豚隊」を自然解散した後もタレント活動をしていたほか、1998年からはOGマッチ「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」に参加して、現役復帰しています。その後も、時々は現役に復帰しています。
また、ジャパン女子プロレスのコーチやテレビ中継の解説なども行っていました。
大森ゆかりは若い頃は美人レスラーだった
大森ゆかりさんは若い頃は美人レスラーとして有名でした。まずは、若い頃の写真を見てみましょう。こちらの写真は左側が大森ゆかりさんです。キレイで整った顔立ちをしていますよね。
こちらの写真でも、大森ゆかりさんは整った顔立ちをしていることがわかります。
この写真はおそらくノーメイクのすっぴん画像。きちんとメイクしたら、絶対に美人になることは間違いないでしょう。
大森ゆかりさんは美人だったので、ジャガー横田さんから「ナツコ」と呼ばれるようになり、その「ナツコ」がニックネームになりました。ナツコとは当時流行していた資生堂のCMの「ナツコの夏」から来ています。
ナツコの夏は小野みゆきさんが出演していて、その小野みゆきさんと大森ゆかりさんが似ているから、ジャガー横田さんは「ナツコ」と呼ぶようになったそうです。
こちらが小野みゆきさんの「ナツコの夏」です。
大森ゆかりさんと小野みゆきさんは似ているでしょうか?
大森ゆかりさんが若い頃に美人だったことは間違いなく、ブル中野さんもYouTubeの中で「大森さんってずば抜けて顔めっちゃくちゃキレイだったじゃないですか」と言っていました。その時に出していた大森ゆかりさんの若い頃の写真がこちらです。
出典:youtube.com
確かにきれいですよね。ただ、大森ゆかりさんは「そんなことないよ、周りがひどいだけなんじゃない?」と言っていましたが・・・。美人レスラーだったことは間違いありません。
大森ゆかりの同期がすごい…ダンプ松本や長与千種
大森ゆかりさんは1980年デビューで「昭和55年組」と呼ばれています。1980年にデビューした人たちは、みんなトップクラスの人気レスラーになったので、「昭和55年組」と呼ばれるようになったのです。
昭和55年組を見てみましょう。
・ダンプ松本
・長与千種
・ライオネス飛鳥
・クレーン・ユウ
みんな女子プロレス界のレジェンド的存在の人たちですよね。もちろん、大森ゆかりさんもその一員です。同期のメンバーとは関係性は悪くなかったものの、一番仲が良かったのは、1歳下(でも全女では先輩)のジャンボ堀さんです。
当時の全日本女子プロレスはみんな気が強くて、関係性がギスギスしていたので、それとは距離を置いて底抜けに明るい雰囲気だったジャンボ堀さんとイタズラばかりして周りを和ませていました。
全女は気が強い女ばかりだから、怖かったよ。私は揉め事に首を突っ込みたくない性格だから、堀さんといたずらばっかしてた。
引用:元女子プロレスラー大森ゆかりさんはパートに出る主婦「パイプ椅子が並んでいると『飛びたいなぁ』って…」|日刊ゲンダイDIGITAL
タッグパートナーで親友のジャンボ堀さんが、結婚相手と出会ったのは大森ゆかりさんがうっかりお店を間違ってしまったおかげというエピソードがあることからも、大森ゆかりさんとジャンボ堀さんは仲が良かったことがわかります。
そんな2人がタッグを組んだダイナマイト・ギャルズが人気になるのは当然かもしれませんね。
大森ゆかりは釣りロマンに出演
大森ゆかりさんは現役引退後にダンプ松本さんと「桃色豚隊」(ピンクトントン)というユニットを組んでレコードデビューをしましたが、そのユニットは自然消滅しました。自然消滅後も大森ゆかりさんはタレント活動をしています。
大森ゆかりさんは釣りロマンにレギュラー出演していたんです。釣りロマンは、テレビ東京で1989年から2013年まで放送されていた釣り・紀行番組で、正式名称は「釣り・ロマンを求めて」です。
元々、大森ゆかりさんは30歳ごろに釣りの取材ライターをしていて、そこから釣りロマンに声がかかり、5年間もレギュラー出演していたんです。美人で明るい性格だったこともあり、釣り人にとっては「釣りアイドル」のような存在でした。
ただ、この釣りロマンのレギュラーはなかなか大変な仕事だったようで、1ヶ月のうち20日は海に出ていたとのこと。毎日のように船に乗り、釣りをしていたんですね。
「1カ月のうち20日間ぐらい海に出てたんですよ。漁師かよって(笑)。選手のころは試合会場ばかりで、辞めてからは海の上ばかり(笑)。船に酔うし、魚も好きじゃないし、食事は毎日舟盛りで飽きちゃうし。私、なんでやってたんだろう(笑)」
引用:(2ページ目)元女子プロレスラー大森ゆかりさんはパートに出る主婦「パイプ椅子が並んでいると『飛びたいなぁ』って…」|日刊ゲンダイDIGITAL
大森ゆかりさんはこの釣りロマンのレギュラーを5年間務めましたが、レギュラーを降りた後も、単発で釣りロマンに出演していました。
大森ゆかりの結婚や旦那と子供情報
出典:youtube.com
大森ゆかりさんは結婚していますが、旦那さんになる男性と出会ったのは釣りロマンのロケでした。
旦那さんは大森さんよりも10歳年下ですが、当時は三宅島の船宿で働いていて、釣りロマンのロケでそこに行き、その縁で知り合って交際したそうです。旦那さんも釣りロマンに少し出演したことがあると大森ゆかりさんは話していました。
現在は旦那さんの地元である静岡県三島市に引越して、そこで生活しています。
ブル中野さんのYouTubeに出演した時には、旦那とはほとんど会話をしないと話していました。食事も別々で、旦那さんは自分の分は自分で作るとのこと。会話は業務連絡のみだそうです。
ただ、夫婦仲が悪いというわけではないようです。本当に仲が悪かったら、YouTubeで話せませんし、とっくに離婚しているでしょうから。大森ゆかりさんの口調からも仲が悪い感じは一切なく、夫婦仲は良好で、そのくらいの距離感が心地よく感じていることが伝わりました。
子供は2人
大森ゆかりさんには子供が2人います。2人とも女の子です。
38歳の時に長女を出産、40歳の時に次女を出産していて、2024年時点で長女が24歳、次女が22歳になっています。
長女は服飾の学校に通っていて、女子プロレスラーのコスチュームに興味を持っていることから、ダンプ松本さんとはLINE友達なのだそうです。母親が元女子プロレスラーだと、娘がその関連のものに興味を持つのは当然なのかもしれませんね。
大森ゆかりの現在
大森ゆかりさんは、2014年に『爆報! THE フライデー』に出演して、静岡県三島市に住み、精米工場でフルタイムのパートをしていることを明かしていました。元女子プロレスラーが工場のパートというのは意外な現在ですよね。
ただ、2024年9月19日からネットフリックスで配信されている極悪女王によって、大森ゆかりさんが再び注目を集めるようになりました。極悪女王の中では大森ゆかりさん役は隅田杏花さんが演じています。
大森ゆかりさんはジャンボ堀さんやダンプ松本さん達と一緒に極悪女王のプロモーションに参加することもあり、往年の全日本女子プロレスのファンたちを喜ばせました。この勢いに乗って、さらにいろいろな場に登場してほしいですね。
大森ゆかりのまとめ
元女子プロレスラーの大森ゆかりさんのプロフィールや経歴、若い頃の美人レスラーの画像、ダンプ松本さんなどの同期との関係、釣りロマン、結婚した旦那との馴れ初めや子供、現在をまとめました。
極悪女王のヒットで、女子プロレスの人気が再興してきています。今後、往年の全女だけでなく、現在の女子プロレスの人気も高まってくると思います。