不破哲三さんは若い頃から日本共産党のプリンスとして要職を歴任したカリスマ政治家ですが、フワちゃんが娘か孫なのではと話題です。
今回は不破哲三さんの若い頃からの経歴、結婚した嫁や子供、豪邸と噂の自宅や現在をまとめました。
この記事の目次
- 不破哲三のプロフィール
- 不破哲三の趣味は山登り
- 不破哲三が所属する日本共産党
- 不破哲三と志位和夫の関係性は良好?それとも確執が?
- 不破哲三の実家の家族:父親は教育評論家・上田庄三郎
- 不破哲三の実家の家族:兄は日本共産党の元副委員長・上田耕一郎
- 不破哲三の経歴① 若い頃から「日本共産党のプリンス」として活躍
- 不破哲三の経歴② 共産党の要職を歴任・11回当選
- 不破哲三の経歴③ 出版した書籍も多数
- 不破哲三が結婚した嫁は上田七加子さん 【旦那との生活を綴った本を出版】
- 不破哲三の子供はいる?フワちゃんが娘や孫説はガセ
- 不破哲三の自宅は大豪邸
- 不破哲三の現在① 日本共産党で現役として活動中
- 不破哲三の現在② 「現役でいなければならない理由」とは?
- まとめ
不破哲三のプロフィール
生年月日:1930年1月26日
出身地:東京都
所属:日本共産党
不破哲三さんは政治家で、本名は「上田建二郎」です。
共産主義者で、日本共産党の中央委員会常任幹部会委員を務めているほか、党付属社会科学研究所で所長を務めています。
また、11期に渡って衆議院議員も務めました。
不破哲三の趣味は山登り
出典:https://pixabay.com/
不破哲三さんは、プライベートでは山登り好きで知られ、フジテレビ系子供向け番組「ウゴウゴルーガ」に”やまのぼりのえらいひと”として出演したことがあるほど。
70歳になるまでは、毎年元旦に富士山に登り、御来光を観ていたそうです。
また、時代小説のファンで、少年時代には時代小説家を目指していたのだとか。テレビにおいても時代劇を好み、時代劇専門チャンネルにも加入。
TBS系クイズ番組「クイズダービー」で開催された「野党の委員長と1年生議員大会」に出場し、10万点を達成したほどの博識でもあります。
不破哲三が所属する日本共産党
不破哲三さんが所属する日本共産党は、日本の政党です。
マルクス主義と呼ばれる科学的社会主義を掲げており、共産主義・社会主義の社会を実現することを目標としているそうです。
政党の中でも女性議員が最多となっており、与党となっている自治体もあります。
現存する日本の政党の中では最古だとされており、2022年現在は志位和夫さんが党首です。
また、2022年に立党100周年を迎えました。
不破哲三と志位和夫の関係性は良好?それとも確執が?
不破哲三さんと志位和夫さんは、それぞれが日本共産党のキーマンです。
そんな2人の関係性はいったいどのようなものだったのか、調べてみました。
志位和夫のプロフィール
生年月日:1954年7月29日
出身地:
職業:政治家
所属:日本共産党
志位和夫さんは政治家で、2022年現在は現職の衆議院議員でもあります。
また、1990年から2000年までは日本共産党書記局長を務めたほか、2000年に委員長に就任しました。
志位和夫さんは、東京大学の工学部物理工学科の1年生だったときに、小選挙区制への反対運動をきっかけに日本共産党に入党。
同大学を卒業すると、党の東京委員会に就職し、青年学生運動を担当していました。
その後、1982年より中央委員会に勤務。准中央委員・初期局員・中央委員などを経て、1990年には35歳の若さで党書記局長に。
1993年に衆議院議員総選挙で初当選を果たし、2000年に党委員長に就任。それ以降は、日本共産党の委員長として初となる韓国訪問や渡米を実現。
2008年には、動画配信サービス「ニコニコ動画」に「志位和夫チャンネル」を開設するなど、新しいことに取り組む姿勢を見せました。
不破哲三と志位和夫の関係性はあまり良くない?
若い頃は、不破哲三さんの趣味である登山に志位和夫さんが同行したこともあるそうですが、基本的には2人の関係性は良いとは言えないようです。
日本共産党の元党員はインタビューで、「歴代の党トップに東大が多いが、党内に東大派閥があるのか」と質問された際に、以下の様に語りました。
不破氏と志位和夫氏の関係にしても、私が見聞した限りではとうてい円満といえるものではなかったですね。東大卒だからといって互いに助け合うわけでもないし、何か得をしているようにも見えませんでした。とてもじゃないけど、「東大閥」なんてあるといえませんねえ(笑)。
また、2004年には不破哲三さんによる志位和夫さんイジメ疑惑が報じられています。
志位和夫さんは同年、参院選の目前に風邪による発熱で入院し、その後も半月ほど療養したとされていました。
しかし、同疑惑を報道したメディアによると、実際は不破哲三さんと大きな溝ができてしまったことが原因で、失調症を患っていたのではないかとのことでした。
不破哲三の実家の家族:父親は教育評論家・上田庄三郎
生年月日:1894年11月10日
出身地:高知県
職業:教員・教育評論家
上田庄三郎さんは、教員であり教育評論家でもあります。
高知県にある高知師範学校(現在の高知大学教育学部)を卒業後、小学校教師となり校長に。
その後、1925年に上京すると生活綴方運動に参加し、1931年には雑誌「観念工場」を創刊。
神奈川県にある雲雀岡児童の村小学校校長も務めました。
戦後は「日本教育新聞」で編集局長を務め、主に戦前前後の教育界について鋭い議論を展開。教師陣を中心に数多くの賛同を得ていました。
また、1930年に著書「教育戦線 ―教員組合の結成へ―」を出版して以降、教育に関する数多くの著書を出版しています。
不破哲三の実家の家族:兄は日本共産党の元副委員長・上田耕一郎
生年月日:1927年3月9日
出身地:東京都
職業:政治家
所属:日本共産党
上田耕一郎さんは政治家で、日本共産党の中央委員会名誉役員です。
旧制一高在学中であった1946年に日本共産党に入党。
東京大学の経済学部を卒業し、「中野新報」の記者として活動したのち、党中央機関紙である「しんぶん赤旗」で編集長・宣伝局長・政策委員長・副委員長というポジションに就きました。
1974年に「第10回参議院議員通常選挙」で当選後、連続4期で議員職を務めたものの、1998年に議員を引退しています。
引退後も、党副委員長は2006年まで続投。その後、名誉役員となると、講演会講師・演説会弁士などとして活動しました。
また、父親や弟と同じくたくさんの著書を出版しており、1956年出版の「戦後革命論争史」をはじめ、戦争・平和・社会・政治などのテーマを中心取り上げています。
不破哲三の経歴① 若い頃から「日本共産党のプリンス」として活躍
不破哲三さんは東京に生まれ、父親と共に跡取りのいなかった上田家に養子になります。
旧制東京府立第六中学校(現在の東京都立新宿高等学校)を卒業後、第一高等学校に進学。1947年に日本共産党に入党しました。
第一高等学校を経て、東京大学理学部の物理学科を卒業した不破哲三さんは、鉄鋼労連(現在の基幹労連)に書記として就職。
1964年に日本共産党の中央委員に就任すると、1969年に衆議院議員に初当選。以降10回連続で当選しています。
1970年には、40歳で日本共産党の書記局長に就任するなど、「共産党のプリンス」と称されるまでの存在になりました。
不破哲三の経歴② 共産党の要職を歴任・11回当選
出典:https://www.jcp.or.jp/
1979年に行われた予算委員会では、いわゆる「米原子力潜水艦放射能測定不正事件」における日本分析化学研究所の放射能測定データの捏造を指摘するなど、積極的に活動。
以降も、日本共産党の幹部会委員長・中央委員会副議長・中央委員会議長といった重要なポジションに就任しています。
1984年にキューバの政治家で革命家のフィデル・カストロ氏と3時間超にわたる会談を実施、1998年にはそれまで31年もの間対立・絶縁関係にあった中国共産党との交流を再開しています。
その後、2003年に衆議院議員を引退するものの、2004年に日本共産党の常任幹部会委員、そして中央委員会付属社会科学研究所の所長となりました。
そして、2006年に高齢であることなどを理由に議長職を退任しています。
不破哲三の経歴③ 出版した書籍も多数
出典:https://www.amazon.co.jp/
不破哲三さんは、1965年に出版した『マルクス主義と現代修正主義』をはじめ、これまでに140冊以上の著書を出版。
その多くが政治や日本共産党に関するものですが、山岳について綴った『回想の山道 私の山行ノートから』や『宮本百合子と十二年』といった文学作品も出版しています。
2005年に出版した回顧録『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』は、自身が属する日本共産党とは対極にある保守系出版社、新潮社から出版したことが話題に。
不破哲三さんは新潮社が選んだのは、「それも面白いかな」と思ったからなのだそうです。
不破哲三が結婚した嫁は上田七加子さん 【旦那との生活を綴った本を出版】
不破哲三さんは、1953年に上田七加子さんと結婚。
上田七加子さんは1929年生まれで、1948年に共産党に入党しました。
2012年には、旦那である不破哲三さんとの60年にもわたる夫婦の歴史を綴った著書『道ひとすじ-不破哲三とともに生きる』を出版しています。
上田七加子さんは2020年5月17日に死去。享年91歳で、家族葬にて見送られたとのことです。
不破哲三の子供はいる?フワちゃんが娘や孫説はガセ
政治家として、1999年には、学校教育の改革や文化面で社会的な自己規律の確立などを訴える記事「子どもと教育をめぐる社会的な危機を打開するために」を執筆している不破哲三さん。
そんな不破哲三さんは、上田七加子さんの間に子供がいるかどうかを明言していません。
しかしネットなどでは、タレントでYouTuberのフワちゃんが不破哲三さんの娘、もしくは孫ではないかと話題に。
フワちゃんの本名が「不破遥香」で、実家がお金持ちだと噂されていることから、そのような疑惑が生まれたようです。
しかし、前述にもあるように不破哲三さんの本名は「上田建二郎」で、不破という名字はあくまでもペンネーム。
不破という珍しい名字から結びついたのかもしれませんが、よほどのことがなければガセネタであると断言できるでしょう。
フワちゃんのプロフィール
フワちゃんはお笑いタレントで、YouTuberとしても活躍。
現在はピン芸人かつフリーランスとして活動しており、ヴィヴィッドカラーのスポーツブラにミニ丈のスカートかホットパンツといったファッションが特徴です。
東洋大学在学中にワタナベエンターテインメントのお笑い養成所「ワタナベコメディスクール」に入学。
女性コンビ「ランボランチ」や男女コンビ「SF世紀宇宙の子」などを経て、ピン芸人に。
その後、オーディションを受けにTBSを訪れた際、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さんの楽屋に面白半分で挨拶しようとしたところ、事務所重役に見つかり叱責されたそうです。
これに腹を立てたフワちゃんは、重役の後ろ姿に向けて中指を立てるも、その姿がガラスに反射しており、重役にバレてそのまま同事務所を解雇されました。
以降はフリーで活動することになったフワちゃんは、2018年にYouTubeチャンネル「フワちゃんTV /FUWACHAN TV」を開設。
YouTuberとして活躍する中でタレント・指原莉乃さんと仲良くなり、その縁で2019年に日本テレビ系バラエティ番組「うちのガヤがすみません!」に出演すると、一躍ブレイク。
多くの番組に出演し、2020年に「新語・流行語大賞」に「フワちゃん」がトップテン入りしたほか、「第58回ギャラクシー賞」テレビ部門で奨励賞を受賞するほどの活躍を見せています。
不破哲三の自宅は大豪邸
不破哲三さんは、自宅が大豪邸であることでも知られています。
2016年には週刊誌「週刊文春」が不破哲三さんを「赤い貴族」と表現し、所有する自宅の豪邸ぶりを紹介。
不破哲三さんの自宅は神奈川県の別荘地・津久井の山中深くにあり、敷地は3265平米あるそう。これは、近所にある小学校と同じぐらいの広さだといいます。
敷地内には4棟の建物があり、そのうちの2棟は個人ではなく、日本共産党所有だそうです。
また、自宅には不破哲三さんの秘書・ボディーガード兼運転手・料理人も常駐。
実は不破哲三さんをはじめ、日本共産党内のエリートである常任幹部会委員は、最低年収1000万円と言われており、若い職員や党職員と比較するとかなり高給です。
さらに、不破哲三さんは著書を多く出版しているため印税収入もあると思われ、このような豪邸を構えることができたとされています。
ただ、社会主義を唱える共産党なのに豪邸に住んでいる、という矛盾に異を唱える人もいるようです。
著書の印税に秘密があった。党内では「幹部の印税は中央財政に繰り入れられる」と説明しているがそれはウソだというのだ。幹部が出した出版物は党機関紙のしんぶん赤旗で宣伝しまくり、末端党員に購買をすすめつつ、少なめに刷った最初の「一刷分の印税」を党に寄付した後、二刷分以降の印税すべてを著者の懐に入れるという巧妙な稼ぎのテクニックがあるという。
不破哲三の現在① 日本共産党で現役として活動中
不破哲三さんは2022年現在で92歳ですが、今もなお、日本共産党で活躍されています。
各メディアのインタビューにも度々登場しており、2018年には天皇制などについて意見を述べ、話題となりました。
共産党の不破哲三前議長(88)は時事通信のインタビューに応じ、天皇の政治関与を禁じた憲法4条について「昭和天皇の時代には、ほとんど守られなかった」との認識を示す一方、現天皇は「心得ている」と評価した。2019年5月1日の新天皇即位に伴う一連の儀式に関し「国民主権と政教分離の原理にかなった新しい方式を編み出すべきだ」と提言。女性・女系天皇に賛意を示した。
2019年には、参議院選挙に立候補した吉良佳子候補の応援演説に登場。その前の2014年の衆議院選・2016の年参議院選でも応援演説を行っています。
一部では、2006年以降目立つ場面に登場しておらず、当時すでに80代であった不破哲三さんが再び応援演説の場に出てきたことに驚きの声も挙がったようです。
選挙戦の序盤に不破氏がマイクを握ること自体、異例ともいえるのだ。不破氏は2003年11月に衆議院議員を引退。2006年1月に党中央委員会議長を辞してから、2014年12月の衆議院選挙まで、ほとんど表舞台に立つことはなかった。
不破哲三さんが再び活動を始めたのは、支持者の高齢化が要因だとされており、支持層に高い人気を誇る不破哲三さんの力を借りたいというところなのでしょう。
その影響力は未だ衰えておらず、2020年には一度退いた中央委員を再任。同年の党大会では、14年ぶりに発言しました。
しかし、新型コロナウィルス感染拡大の影響からか、自身が高齢となったためか、2022年の参議院選挙では目立つ活動はされていません。
不破哲三の現在② 「現役でいなければならない理由」とは?
再び表舞台に返り咲いた不破哲三さん。
支持者の高齢化対策の1つとも言えますが、不破哲三さん自身にも「現役でいなければならない理由」があるようです。
一部の有識者は「不破氏は死ぬまで役職を降りない」とまで表現。その理由について、以下のように綴っています。
役職を降りれば、日常生活が危うくなるからだ。私も何度も行ったことがあるが、不破氏は神奈川県の津久井の山中に住んでいる。中央自動車道の相模湖インターで降り、山道を相当の時間をかけて上った先に自宅を構えている。本当に不便な所である。私が行っていた当時は、党本部から派遣された料理人が常駐し、党の車で夫人共々送迎してもらっていた。今もそうだと思う。
また、元党員もインタビューで以下のように述べてました。
現職衆議院議員時の不破氏の印税収入は年間900〜1500万円!(資産報告書の閲覧による)。最近も著書刊行は盛んですから、かなりあるでしょう。日常生活のために党職員が常時5名、不破家に宿泊体制で配置され、運転手付き乗用車や洗濯・炊事まで不破夫妻の暮らしは党丸抱えです。この上、高額給与と印税を手にすれば、暮らしは富裕層並み。
もちろん、日本共産党や支持者にとってカリスマ的存在であることには違いありません。党から離れかけた高齢の支持者などを呼び戻すには、必要な人材と言えます。
しかし、現在の不破哲三さんの状況から、本当に日本共産党のためだけなのか、自分可愛さではないのか、といった疑惑が生まれてしまうのはある程度致し方ないのではないでしょうか。
まとめ
不破哲三さんは日本共産党の政治家です。若い頃から活躍し、その活躍ぶりは「日本共産党のプリンス」の異名がつくほどでした。
プライベートでは、同じ日本共産党の上田七加子さんと結婚。子供に関しては明言していませんが、近年はタレントでYouTuberのフワちゃんが娘、もしくは孫なのではと話題に。
フワちゃんの本名が「不破」であったことが発端の噂でしたが、不破哲三さんの「不破」はペンネームであるため、この噂はガセネタであることが判明しています。
自宅は豪邸で、近隣にある小学校と同等の敷地面積なのだとか。
日本共産党の方針とは異なるその裕福な暮らしは、一部メディアで懐疑的に報じられています。
2006年以降は目立つ活動をされていませんでしたが、2014年頃より再び表舞台に返り咲き、2019年には応援演説にも駆け付けました。
日本共産党支持者の高齢化が問題視され、高齢者層にカリスマ的に人気を誇る不破哲三さんの活躍が求められたようですが、一方で、現在の生活を維持するためとの見方もあります。
日本共産党のプリンスは、今後も”王族”の立場を貫くのでしょうか。これからの動向が気になりますね。