1968年に起きた「メアリーベル事件」では男児2人が殺害されましたが、逮捕されたのは11歳の少女でした。
今回は事件の詳細、メアリーベルの生い立ちや母親など家族、結婚歴や孫、映画化やかわいい噂などその後や現在を紹介します。
この記事の目次
- メアリーベル事件とは
- メアリーベルの生い立ちや家族(父親と母親)
- メアリーベル事件の詳細① マーティン・ブラウンを殺害
- メアリーベル事件の詳細② ブライアン・ハウを殺害
- メアリーベル事件の裁判と出所
- メアリーベルはサイコパス・シリアルキラーだった?
- メアリーベル事件のその後① メアリーベルは結婚して孫もいる
- メアリーベル事件のその後② メアリーベルは自伝『魂の叫び』を出版している
- メアリーベル事件のその後③ 映画化された?
- メアリーベル事件のその後④ 似た事件が日本で起きていた
- メアリーベル事件の現在① メアリーベルは今も普通に生活している
- メアリーベル事件の現在② メアリーベルが出所後に犯罪を犯さなかった理由とは?
- メアリーベルがかわいいと話題に
- まとめ
メアリーベル事件とは
「メアリーベル事件」とは、1968年5月から7月にかけてイギリスで発生した連続殺人事件で、当時若干11歳の幼い少女・メアリーベルが犯人という驚愕の事件でした。
このメアリーベルは、本名をメアリー・フローラ・ベルといい、愛称から「マリーベル事件」とも呼ばれています。
このメアリーベルは現在、世界の事件の中でもサイコパスの形容詞として使われることもあります。
メアリーベル事件の犯人・メアリーベルとは?
メアリーベルは年齢の割には非常に大人びていて知性が高く、高圧的でプライドが高かったと言われており、自分の都合の悪いことに関しては平気で嘘をつく性格でした。
また、冷酷で乱暴な一面があり、友達や下級生に大怪我をさせるなど素行不良も目立っていました。
メアリーベルが11歳の誕生日を迎えた1968年5月25日に、気まぐれから初めての殺人を犯してしまうことになります。
メアリーベルの生い立ちや家族(父親と母親)
メアリーの母親は売春婦、継父はヒモ男だった
メアリーベルは、1957年5月26日にイギリスのニューキャッスルで生まれました。
母親のベティベルは売春婦をしていましたが、未婚のまま売春で相手をした男性の子供を身ごもってしまい、17歳でメアリーベルを出産しました。
そのため、メアリーベルは本当の父親が誰なのか知らないまま育ちました。
誰の男の子供かもわからないメアリーベルを母親が愛することはなく、常にメアリーベルは疎まれ、親戚に預けられていることが多かったようです。
メアリーベルが生まれてまもなく、母親は行きずりのビリーと結婚しましたが、ビリーは全く働かずに家にいることも少なかったため、家の中は常に散らかっていました。
また、母親のベティベルはドラッグの常習者でもあり、ある時はメアリーベルが間違ってそのドラッグを飲んでしまい、死にかけたこともあったそうです。
こうした完全なネグレクトの環境下で育ったメアリーベルは、小学生に上がる頃には普通の子供が持ち得ない、狂気の片鱗を見せ始めていました。
継父のビリーは全く働かないためメアリーベルの母親が養い、さらにビリーを父親と呼ぶようにメアリーベルにしつけており、関係を偽って生活保護を受けていました。
メアリーベル事件の詳細① マーティン・ブラウンを殺害
1968年5月25日、当時4歳だったマーティン・ブラウンが親の不在中に、メアリーベルにより絞殺されました。
子供の力で首を絞めたため跡が残らず、警察はマーティンは不慮の事故により死亡したと断定し、この時はメアリーベルに疑いがかけられることはありませんでした。
警察の対応に不満を持ったメアリーベルは、警察に自分がマーティンを殺害したことを気づかせようと、マーティンがそれまで通っていた保育所を荒らし、挑発的なメモを残しました。
それだけに留まらず、メアリーベルはマーティンの母親の元を訪れて、息子が殺されたことを嘲笑い、犯行現場の絵を書いてみせるなど露骨な行動をとっていました。
犯行の翌26日、メアリーはあろうことか、殺害に及んだマーティンの保育所を荒らし、さらに自分を犯人と突き詰めることができなかった無能な警察に対し、挑発的なメモを残したという。
そのメモには、「私が殺した。だからまた来る」、「マーティン・ブラウンを殺した。くそったれ。ゲスやろう」といった文面が書き殴られていた。だが、これも警察には悪質なイタズラとして処理されるだけだった。
メアリーの狂気に満ちた行動は続く。さらに4日後、マーティンの自宅を訪れ、彼の母親に対して「マーティンがいなくなって寂しい?」「私、棺に入ったマーティンを見たいの」と嘲笑うなど、残忍かつまるで自分が犯人であると主張するような行動をとったのである。
ここまでメアリーベルが大胆な行動を見せながらも犯人だと疑われなかったのは、メアリーベルが常習的に異常な行動を見せていたからだと言われています。
また、当時11歳程度の子供が殺人を犯すという前例がなかったため、メアリーベルに疑いの目を向ける大人がいなかったようです。
メアリーベル事件の詳細② ブライアン・ハウを殺害
マーティンが殺害されて2ヶ月後となる1968年7月31日に、今度は当時3歳だったブライアン・ハウがメアリーベルにより絞殺されました。
その現場には隣の家に住んでいた同じ苗字の友人ノーマ・ベルもいましたが、直接犯行には加わっていなかったようです。
ブライアンの遺体の首にはわずかに絞められた跡がついており、警察は他殺の可能性を考えて聞き込み捜査を開始し、メアリーベルにも疑いがかけられるようになります。
メアリーベルの狂言癖はこの時も捜査を攪乱しましたが、殺害現場にいたノーマベルが犯行の経緯や証拠物の隠し場所などを知らせたため、メアリーベルが逮捕されました。
犯行から2ヵ月以上経った7月31日。痺れを切らしたメアリーは、3歳の男児、ブライアン・ハウの絞殺に及ぶ。さらにその際、遺体の腹部にはわざわざメアリーの頭文字である「M」の字を刻んだ。
2回目の犯行が前回と違ったのは、わずかながらメアリーによる絞殺の跡が残っていたことにある。ここで初めて警察は、当時11歳のメアリーと13歳のノーマ・ベル、2人の少女への事情聴取が行われた(2人は親族関係ではなく、友達同士)。
この事情聴取の中で、犯人しか知り得ない情報をメアリーが話したことが決め手となり、また殺害時刻に2人が一緒にいたことから、共に殺人容疑で逮捕されることとなった。
この時、警察を始め周囲の関係者は「まさか」と心底驚愕したことでしょう。
メアリーベル事件の裁判と出所
メアリーは有罪となり服役した
当時若干11歳だったメアリーベルの裁判は、異例中の異例として、1968年12月5日にニューカッスルの巡回裁判所で初公判が開かれます。
当時のイングランド法では10歳未満の児童は善悪の判断ができないとしており、いかなる刑法上の犯罪においても罰することができないという規定がありました。
また、10歳以上14歳未満の場合も善悪の識別ができないと推定されるものの、訴追側が提出した証拠により善悪の識別ができると立証できた場合は覆すことができる規定でした。
ちなみに、日本においては14歳未満の児童は刑事責任能力がないと規定されています。
メアリーベルは取り調べ中、11歳の子供が到底使わないであろう難しい大人びた言葉を使い、知能の高さを見せつけました。
取り調べに付き添った看護師は、メアリーベルの様子について全く感情を持ち合わせていないような冷酷で淡々とした印象だったと答えています。
同年12月17日、メアリーベルは故殺の罪により有罪判決を受け、服役することとなりました。
なお、現場に居合わせただけのノーマベルは無罪判決となりました。
メアリーの脱獄と出所
メアリーベルは拘置初日の夜も非常に落ち着いた様子で、ベッドの中で11歳の子供が歌うには似つかわしくない大人びた哀愁のある歌を歌っていたといいます。
その後1977年に、メアリーベルは囚人仲間だったアネット・プリーストと共に刑務所から脱走するという事件を起こしましたが、その3日後にとらえられました。
そして1980年5月14日に、メアリーベルは22歳にて釈放されています。
しかし、メアリーベルは出所後も全く反省した様子はなく、以下のような発言を残しています。
「大きくなった看護婦になりたい。人に針が刺せるから」
「殺人はそれほど悪いことじゃないわ。人は誰でもいつか死ぬんだもの」
ただし、メアリーベルがその後、看護婦になったという情報はありません。
また、再び殺人事件を犯す可能性が考えられていましたが、現在までに小さな犯罪すら起こさずに真っ当に生活をしているとみられています。
メアリーベルはサイコパス・シリアルキラーだった?
メアリーベルはサイコパスの代表格として語られることもありますが、サイコパスは先天的な脳の異常によるもので、メアリーベルに先天的な異常があったのかは不明です。
しかし、母親から全く愛情かけられずに育った極度の愛着障害であることは間違いなく、子供に似つかわしくない冷酷さを身につけた、後天的なソシオパスと言えるかもしれません。
また、メアリーベルはシリアルキラーという呼び方をされることもあります。
これは人間らしい感情がなく、ロボットのように善悪の区別もつかないまま快楽のために平気で殺人を犯してしまう人を指します。
この点で言えば、メアリーベルは間違いなくシリアルキラーだと言えるでしょう。
しかし一方で、メアリーベルは取り調べを受けたとき、人間らしい感情も見せていました。
女性警察官に「ママは私を嫌っているの?」と尋ね、女性警察官が「そんなことないわよ」と答えると「じゃどうして私を置いて行っちゃうの?」と子供らしい反応を見せていたそうです。
メアリーベルはシリアルキラーとしての冷酷さの裏に、愛情に飢えた子供らしい感情も持ち合わせていたのでしょう。
メアリーベル事件のその後① メアリーベルは結婚して孫もいる
出所後、メアリーベルは結婚した
メアリーベルは刑務所から出所した後、職を転々としながら一時は大学に通っていましたが、すぐに退学して母親のベティベルのもとで生活していました。
しばらく匿名で生活していたメアリーベルでしたが、母親がお金欲しさにマスコミにメアリーベルの情報を売ったため、すぐに身元がバレてしまいマスコミに追い回されることになりました。
メアリーベルは子供を出産し普通に生きた
母の元を離れたメアリーベルは、出所後間もなく出会った若い男性との間に子供を身ごもり、1984年に女の子を出産しています。
メアリーベルは1992年まで裁判所の監督下にありましたが、法務省の許可が出て、自分で育児をすることを認められました。
メアリーベルは母親のベティベルとは違い、子供を持ったことで「普通に生きたい」という感情が強く芽生え、危険な思想を捨てて平和に生きることを選んだようです。
子供が生まれたことで、メアリーベルは初めて愛情を手に入れたのかもしれません。
メアリーベルの娘は18歳までは匿名性保護制度で守られていましたが、メアリーベルは裁判を起こして、2003年に最高裁において自分と娘の生涯にわたる匿名の権利を勝ち取りました。
メアリーベルには孫もいる
2009年、メアリーベルの娘が24歳になった頃に子供が生まれ、当時51歳だったメアリーベルに孫が誕生しています。
前述のようにメアリーベルと娘やその家族は生涯にわたって匿名性が守られているため、名前や生活の様子は明らかになっていません。
メアリーベル事件のその後② メアリーベルは自伝『魂の叫び』を出版している
メアリーベルは子供が成人したことをきっかけに、事件から30年経った1998年に自らの半生を振り返った自叙伝『魂の叫び』を出版しています。
この自叙伝は、2人の男児を殺害した際の犯行の様子や裁判の記録であり、当時自分がなぜ事件を起こしたのかを考察する内容です。
この自叙伝で、メアリーベルは自分よりも弱い抵抗できない子供を痛めつけることに快感を覚えていたと分析しました。
しかし、被害者等に対する謝罪や後悔などについては一切書かれておらず、自叙伝によって5万ポンドを得ても、被害者遺族には賠償金も支払っていません。
さらに、この自叙伝の出版により、被害者遺族は2次被害を受けるという結果になってしまいました。
メアリーベルが平和に生活をするようになったとはいえ、自分中心主義で冷酷な本質は変わっていないのかもしれません。
メアリーベル事件のその後③ 映画化された?
出典:https://pixabay.com/
映画『悪い種子(たね)』は「メアリーベル事件」が元ネタだと言われている映画ですが、この映画はメアリーベル事件が起きる前である1956年制作のため、元ネタではありません。
むしろ、「メアリーベル事件」がこの映画を模倣するような形になってしまったようです。
この『悪い種子(たね)』の感想を以下に紹介します。
ずっと見たかった映画 冷静沈着で、自分の事しか考えない子供が怖すぎる。
自分の邪魔になるものや、欲しいと思った物はどんなことをしても奪う。
このまま大人になったらどうなっていたのだろうと考えずにはいられませんでした。
最後は救いのある終わり方でほっとしました。
まさかこのような映画の中の出来事が、現実に起きてしまうとは当時の誰もが思わなかったことでしょう。
メアリーベル事件のその後④ 似た事件が日本で起きていた
「メアリーベル事件」と似た「佐世保事件」
「メアリーベル事件」とよく似た事件として、2004年6月1日に長崎県佐世保市で発生した「佐世保事件」があります。
当時11歳で小学6年生だった辻菜摘は、同級生の同じく11歳の御手洗怜美さんを学習ルームに呼び出し、椅子に座っているところを後ろからカッターナイフで喉と左手を切り、殺害しました。
その後の辻菜摘の供述によると、辻菜摘は御手洗怜美さんを殺害してから15分ほどその様子を眺め続け、死亡したことを確認してから担任を呼びに行ったといいます。
年々犯罪の低年齢化が進むとはいえ、まるで「メアリーベル事件」のように、人を殺害することを何とも思わない子供の出現に、世間は震撼しました。
犯人の辻菜摘は、「ボイス」や「バトルロワイヤル」などのホラー系やグロテスク系の作品を好んで視聴していたことから、R15指定の見直しが行われるなど大きな影響を与えています。
また、辻菜摘が成人後に新たに犯罪を犯すことを懸念した被害者の父親や兄により、シンポジウムが開かれ、事件から10年経って対面での謝罪や情報開示などを請求しました。
しかし、これらは実現しませんでした。
メアリーベル事件の現在① メアリーベルは今も普通に生活している
メアリーベルは2022年現在、64~65歳になっていて、イギリスのどこかで孫のいる平和な生活を続けています。
ただ、幼い頃に異常な母親から受けたトラウマから、解離性離脱障害などの精神疾患に悩まされているとも言われています。
それでも、新たに人を殺害したりその他犯罪を犯すことなく平和に生きる道を選んだメアリーベルは、無事更生したと言えるでしょう。
メアリーベル事件の現在② メアリーベルが出所後に犯罪を犯さなかった理由とは?
メアリーベルが現在までに犯罪を犯さなかった理由について、世間では不思議に思う人も多いようです。
Yahoo!知恵袋でも「メアリーベルって絶対今でもヤバいサイコパスのはずなのになぜそれからは殺人の噂も何もないのでしょうか?」という質問があり、それに対する回答を紹介します。
成長した後も、サイコパスとして取材を受けています。
取材を受けているのですから、多くのイギリス人もメアリー・ベルの過去について知っているのだと思いますよ。
典型的なサイコパスですし、これは先天的なものですので、本質は何も変わっていないと思われます。
それで犯罪を犯していない理由は、監視されていることを自覚しているからだと思います。サイコパス犯は自身の利益には相当敏感です。
殺人を犯せばすぐに逮捕されるのは分かっていますので、そのリスクを回避しているのだと思われます。
監視の目が無ければ、恐らく殺人を犯したと思います。
引用:Yahoo!知恵袋
確かにメアリーベルは当時11歳ながら大人顔負けの知性を持っていましたし、自分がどのように生きれば最も得なのかを選択した結果、犯罪を犯さなかったのでしょう。
メアリーベルは殺人を犯すことに快楽を覚えて歯止めがきかなくなるようなシリアルキラーとは、その点で一線を画していると言えるかもしれません。
メアリーベルがかわいいと話題に
メアリーベルの写真について、ネット上では「かわいい」という評価がよく見られます。
これもYahoo!知恵袋で「メアリー・ベルってかなりかわいいと思うんですけど、一般的には不気味なんでしょうか?」という質問がありましたので答えを抜粋致します。
写真じゃ本当のところはわからんけれど、本人を見れば目付きやしぐさや言動に狂気が宿っていて可愛いなんて絶対に思わないでしょう。
ルックス自体は悪い方じゃない。
引用:Yahoo!知恵袋
見た感じではルックスは良い方で、シリアルキラーとしてのカリスマ性も兼ね備えているという印象がメアリーベルにはあります。
出所後の22歳頃のメアリーベルも、サングラスはしていますが、スレンダーな美人に見えます。
最後に「メアリーベル事件」についてネット上での反応について紹介し、この記事を締めたいと思います。
10
2020/09/12(土) 15:01:40.69 ID:nM25bx8T0
償えない罪を犯して幸せな人生送るとかホントクソ
何歳だろうが無期懲役で良い
13
2020/09/12(土) 15:02:55.39 ID:22HR3F8e0
マリアーベルは可愛い
27
2020/09/12(土) 15:13:29.45 ID:j3GN1kM40
真っ当に育てば、優秀な仕事人になっただろうに
32
2020/09/12(土) 15:15:49.11 ID:5tAInwZs0
その後再犯してないのが不思議なくらいやの
引用:2ちゃんねるブックマーク – 173: メアリー・ベル(11)「大きくなったら看護婦になりたい。人に針が刺せるから」 (130)
まとめ
1968年に発生した「メアリーベル事件」についてまとめてきました。
年端もいかない少女による猟奇殺人事件には驚きですが、母親など家庭環境が大きく性格をゆがめ、その後の社会生活にも多大な影響を与えることがよくわかる事件でもあります。
メアリーベルは現在までに新たに犯罪を犯すことなく、平和にひっそりと生きることを選択して幸せになっているようですが、殺害された2人の男児とその遺族は浮かばれないでしょう。
2人の男児のご冥福を心よりお祈り申し上げます。