フレディーマーキュリーの死因と最期!足の切断・エイズの晩年まとめ【画像多数】

伝説的ロックバンド「QUEEN」のフレディーマーキュリーは、映画「ボヘミアンラプソディー」のヒットにより再び注目を集めています。

 

今回はフレディーマーキュリーの死因であるエイズ、足の切断など晩年や最期をまとめました。

フレディーマーキュリーのプロフィール

 

出典:https://www.excite.co.jp/

 

 

 

 

・名前:フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)

・出生名:ファルーク・バルサラ(Farrokh Bulsara)

・生年月日:1946年9月5日

・出生地:タンザニア ザンジバル島

・出身地:イングランド ロンドン

・没年月日:1991年11月24日(45歳没)

・身長:177cm

・ジャンル:ハードロック、プログレッシブ・ロック、グラムロック、ピアノ・ロック、ポップス

・職業:ミュージシャン、パフォーマー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー

・担当楽器:ボーカル、ピアノ、キーボード、ギター

・活動期間:1969年 – 1991年

 

 

 

フレディーマーキュリーの過酷な生い立ち

 

フレディーマーキュリーは1946年9月5日、当時はイギリスの保護領だったアフリカ東岸のインド洋に浮かぶ島ザンジバル(現在のタンザニア)で生まれました。

 

フレディーの出生名は、ファルーク・バルサラ(Farrokh Bulsara)と言い、両親はペルシャ系インド人で、あの独特のエキゾチックな顔立ちは、どうやら両親に由来しているようです。

 

 

出典:https://twitter.com/

父親のボミ・バルサラと、母親のジャー・バルサラ

 

ところが、1964年に勃発したザンジバル革命により全ての財産を没収され、ザンジバルを追われて難民となったフレディー家族は、命からがらイギリスに亡命しています。

 

フレディーは当時、17歳のことでした。

 

 

出典:https://news.livedoor.com/

両親や妹とともにロンドン郊外にたどり着いたフレディーマーキュリー

 

両親は使用人として働き、フレディーはカレッジでデザインを学ぶかたわら、ヒースロー空港で荷物運びのアルバイトをしていました。

 

映画「ボヘミアンラプソディー」でも、その独特のアジア系の容姿から「パキ(スタン)野郎」などと差別的な言葉を投げつけながら働く姿が描かれていましたね。

 

 

QUEENの誕生とともに「フレディーマーキュリー」に改名

 

その一方で、幼少期から習っていたピアノにより、音楽的才能が開花し始めたのもこの頃だったようです。

 

地元のブルースバンドで活動するうちに知り合ったのが…「smile」というバンドで活動していた、ブライアン・メイとロジャー・テイラーでした。

 

フレディーが「smile」に合流すると、バンド名を「QUEEN(クイーン)」に変更し、1970年7月18日に初ライブを行っています。

 

また、自らの名前も「フレディー・マーキュリー」に正式に改名しています。

 

 

出典:http://japan2014.blog.fc2.com/

 

但し、「QUEEN」が活動を始めた当初は、地元イギリスのメディアからは“時代遅れのサウンド”と酷評されていたと言います。

 

しかし、全米ツアーの成功や日本での人気、そして「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットで、類を見ないサウンドとフレディーの圧倒的な歌声でそれまでの酷評をねじ伏せていきました。

 

 

出典:https://ameblo.jp/

 

その後も、「QUEEN」は数々の名曲を生み出し、たちまち世界的にメジャーなロックバンドとなっていきました。

 

しかし、活動の広がりに伴い、フレディーと他のメンバーとの間に亀裂が生じ始め、次第にメンバーそれぞれのソロ活動も増えていくことに…。

 

そして、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライブ・エイド」への出演が、クイーンが4人揃った最後のライブとなりました。

 

 

出典:https://www.japanjournals.com/

 

その後もフレディーマーキュリーは、ソロで音楽活動を行っていましたが、1991年11月24日、45歳という若さでこの世を去っています。

 

 

フレディーマーキュリーの死因はエイズだった 

 

そんなフレディーマーキュリーの死因は、エイズ感染による合併症「ニューモシスチス肺炎」と報じられています。

 

 

出典:https://newspicks.com/

 

ちなみにエイズ(AIDS)とは、“後天性免疫不全症候群”を意味する「Acquired Immune Deficiency Syndrome」の頭文字をとって名付けられた病気です。

 

より厳密には、ヒトの免疫を破壊していくウイルスHIVへの感染によって、免疫力が低下し、エイズ特有の症状を発症した状態を意味しています。

 

エイズ研究が進んだ現在では、たとえHIVに感染しても治療により発症を遅らせることが可能です。

 

また、早期に治療を開始しさえすれば、HIV感染者の平均寿命も、非感染者とほぼ変わらないレベルまで伸びているとも言われています。

 

但し、フレディーマーキュリーが闘病した当時は、エイズはまだ“不治の病”と恐れられていた時代だったのです…。

 

 

フレディーマーキュリーのエイズをバンドメンバーが知った時期について

 

映画「ボヘミアン・ラプソディー」の中では、フレディーマーキュリーがエイズに感染していることを他のバンドのメンバーに告白したのは、「ライブ・エイド」の直前でした。

 

その印象的なシーンがこちら。

 

 

出典:https://newsee-media.com/

 

 

出典:https://newsee-media.com/

 

しかし、実際にフレディーマーキュリーが、メンバーに病気のことを告白したのは、「ライブ・エイド」の後で、フレディーが亡くなる5、6年前だったと言われています。

 

この点について、「QUEEN」のギタリスト、ブライアン・メイさんは、後にインタビューの中で次のようにコメントしています。

 

 

出典:https://aucfree.com/

 

「いや、実際にはずっと後だ。僕らは脚本を書いていないが、この映画でいくつかのを出来事が起きた時期をずらすことを許可している。20年もの出来事を2時間で伝えるためには、たくさんのことを圧縮したり、シャッフルしなくてはいけない。だから、フレディの口ひげと、実際に口ひげを蓄えていた時期がずれている箇所がある(笑)」

 

引用:Queenメンバーが明かす映画と事実の違い HIV感染を告げる時期にズレ – ライブドアニュース https://news.livedoor.com/

 

もっとも、フレディーマーキュリーが健康に重大な問題を抱えていたこと、放射線治療を受けていたことまで、「QUEEN」のメンバーは知っていたと言います。

 

それでも、フレディー自身が告白するまで、誰もその話題に触れることができなかったのだとか。直接問いただす勇気がなかったとも…。

 

また、エイズと絶望的な告白の後も、日に日に病状が悪化し、フレディーが肉体的に厳しい状況にあっても、クイーンのメンバー達はあえて積極的に音楽に気持ちを向けていったのだとか。

 

あの時代がクイーンのピークだという人も多い。みんなでフレディをかばっていたから、一体感が半端じゃなかった。この時期のクイーンの物語も、いつか語ることができたらいいね

 

 

出典:http://professor-kei-diary.cocolog-nifty.com/

 

 

フレディーマーキュリーの晩年① エイズを否定し続けていた

 

フレディーマーキュリーはエイズを否定し続けていた

 

そんなフレディーマーキュリーは、1986年にイギリスのマスコミによってエイズの診断を受けたことを報じられましたが、当初は完全否定していました。

 

しかし、後日発覚した情報よると、その翌年である1987年4月あたりには、自身がエイズに感染していることを認識していたと言われています。

 

 

出典:http://www.billboard-japan.com/

「クイーン ハンガリアン・ラプソディ:ライブ・イン・ブダペスト ’86」のフレディーマーキュリー

 

フレディ・マーキュリーの最後のライブツアーとなりました。

 

エイズ感染を自覚しながらも、フレディーマーキュリーはその事実をひた隠しにして活動を続けていました。

 

 

フレディーマーキュリーの晩年② 激ヤセが話題に

 

エイズの噂が広まったフレディーマーキュリーの晩年の画像

 

しかし、フレディーマーキュリーの晩年は、明らかに病気だと分かるくらい痩せ細り、かつて精力的にこなしていたライブも減っていったことから、エイズの噂はたちまち広がっていきます。

 

フレディーマーキュリーの晩年の画像を紹介しましょう。

 

 

出典:https://amg-breakfree.com/

 

 

出典:https://arashi-poland.blogspot.com/

【1989年】ロンドンのグルーチョ・クラブでのフレディと「QUEEN」メンバー

 

 

出典:https://www.shutterstock.com/

【1989年】ロンドンのグルーチョ・クラブでのフレディとライザ・ミネリ

 

 

出典:https://www.pinterest.jp/

【1990年2月】フレディーマーキュリーのラストステージ

 

フレディーマーキュリーが最後に「QUEEN」として公の場に登場したのは1990年2月のことでした。

 

イギリスで開催された音楽の祭典「ブリット・アワード」の授賞式でのステージが、フレディーマーキュリーにとって“人生最後の檜舞台”となりました。

 

 

出典:https://www.wsfm.com.au/

 

かつての精悍な姿からは見る影もない痩せ細ったフレディーの姿に、多くの人が息を飲んだと言います。

 

その後は、歩くことはもちろん、立つことすら、ままなならくなるほどエイズの症状は悪化していくことに…。

 

 

 

フレディーマーキュリーの晩年③ エイズによる足の切断も

 

フレディーマーキュリーは晩年、足を切断していた…

 

エイズに感染する前のフレディーマーキュリーは、モデル顔負けの美脚を誇っていました。

 

ステージではそんな美脚を誇示するような衣装やパフォーマンスで、多くのファンを魅了していたんですよね。

 

 

出典:http://yuuki-rinrin.cocolog-nifty.com/

 

そんなフレディーマーキュリーに、晩年は「足を切断した」とのショッキングな噂も囁かれているようなのです。

 

 

フレディーマーキュリーが足を切断した理由はエイズによる壊疽のため

 

調べてみたところ、どうやらフレディーマーキュリーが晩年、足を切断したことは事実のようで、フレディーの美脚を奪ったのは、その後、彼の命も奪うことになる病気「エイズ」でした。

 

 

出典:https://torukuma.com/

 

そもそもエイズという病気は、体の免疫力を著しく低下させる病気で、体についたちょっとした傷から細菌などが侵入すると、それに対抗できず、やがて組織が完全に死滅してしまいます。

 

これを「壊疽(えそ)」と呼び、壊疽した部分をそのままにしておくと、際限なく壊疽が広がっていくため、それを防ぐためには、体から切り離してしまう他ありません。

 

エイズの場合、足に壊疽の症状が現れる場合が多く、フレディーマーキュリーも壊疽のためにやむを得ず大切な足を切断したと言われています。

 

 

足の切断後に撮影したフレディーマーキュリー晩年の写真

 

次の写真は、フレディーマーキュリーの晩年のものですが、左足をよく見ると強い違和感があることから、恐らく足の切断後に撮影した写真だと言われています。

 

 

出典:https://www.pinterest.jp/

 

この頃には、フレディーマーキュリーのエイズの症状は相当深刻だったようで、動くのがやっとの状態だったと言われています。

 

表情には生気がなく、かつての男性的ながっしりとした体格は見る影もないほど痩せ細っていることが分かります。

 

 

フレディーマーキュリーの最期の様子

 

エイズの症状が深刻になった最晩年のフレディーマーキュリーは、ロンドンのケンジントンにある豪邸「ガーデンロッジ」で、愛する“最後の恋人”ジムハットンと療養生活を送っていました。

 

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/

亡くなる数週間前のフレディーマーキュリー

 

身体を動かすことが難しくなっていたことはもちろん、視力の衰えにも苦しんでいたそうです。

 

しかし、やがて自身の死を悟ったフレディーは、続けていた治療を中断し、自分らしい生をまっとうしたと言います。

 

そんなフレディーマーキュリーは、1991年11月24日、エイズにより45歳という若さでこの世を去りました。

 

 

出典:http://www.dzppr.com/

フレディーが晩年住んでいた豪邸「ガーデンロッジ」

 

 

出典:http://www.dzppr.com/

 

フレディーの遺言には、「QUEEN」の名曲「ボヘミアンラプソディー」の印税を、エイズ基金へ寄付することが記されていたと言います。

 

 

そして現在、フレディーが遺したの数々の偉業を懐かしみ、エイズ撲滅の願いを込めて「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」というチャリティーコンサートが盛大に開催されています。

 

また、フレディーマーキュリーの死後、彼がこよなく愛したモントルーのレマン湖のほとりに彼の銅像が建てられました。

 

 

出典:https://www.pinterest.jp/

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

1991年11月24日、45歳という若さでこの世を去った、伝説的ロックバンド「QUEEN」のボーカル・フレディーマーキュリー。

 

彼の死因となったエイズと、足を切断したとも噂される晩年、そしてフレディーの最期について、たっぷりの画像とともにまとめてみました。

 

17歳で故郷を追われ、歯が4本多いことなどによる容姿へのコンプレックス、当時はまだ市民権を得ていなかったセクシュアリティなど、多くの葛藤を抱えていたフレディーマーキュリー。

 

そんな内面から歌い上げられた珠玉の名曲の数々は、今なお不滅の輝きを保ち、多くのファンを魅了し続けています。

 

 

出典:https://rockinon.com/

 

最後に、フレディーマーキュリーのご冥福を心よりお祈りして、この記事の結びとさせていただきます。

 

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