シリアルキラーとは、ある異常な心理的欲求のもと、一定の期間を置いて殺人を繰り返す連続殺人犯に対して使われる言葉です。
日本でもシリアルキラーによる凶悪事件が度々発生していますが、今回は特に海外のシリアルキラー20人を厳選し、その凶悪性や殺害人数、知名度などからランキング形式でまとめました。
この記事の目次
シリアルキラーとは…
シリアルキラー(Serial killer)とは、「serial=“連続の”」の言葉が示す通り、ある異常な心理的欲求のもと、一定の期間を置いて殺人を繰り返す連続殺人犯に対して使われる言葉です。
出典:http://blog.livedoor.jp/
シリアルキラーはターゲットとする被害者の性別や外見、職業などの特徴が一致する場合が多く、殺人に当たって自分の犯行を示すサインをあえて残したり、独特な殺害方法を繰り返すことなども特徴の一つです。
今回は、特に海外の有名なシリアルキラーのうち、事件の凶悪性や殺害人数、また世界的な知名度などから、20人のシリアルキラーを厳選した上で、ランキング形式でまとめてみました。
海外の凶悪事件・シリアルキラーランキング20選 第20位~11位
第20位: アイリーン・ウォーノス
・名前:アイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos)
・本名:アイリーン・キャロル・ピットマン
・別名:サンドラ・クレッチュ
・スーザン・リン・ブラホヴィック
・リー・ブラホヴィック
・キャミー・マーシュ・グリーン
・ローリ・クリスティン・グロディ
・生誕:1956年2月29日
・アメリカ合衆国ミシガン州ロチェスター
・死没:2002年10月9日(46歳没)
・死因:薬殺刑
・有罪判決:有罪
・判決:死刑
・殺害された犠牲者数:7人
・犯行期間:1989年11月30日-1990年11月19日
・逮捕日:1991年1月9日
アイリーン・ウォーノスは、売春婦をしていた1989年~1990年の1年間のうちに、7人もの男性を殺害したシリアルキラーです。
アイリーン・ウォーノス自身は、性的暴行を受けたことによる正当防衛を主張しますが、計6回の死刑判決を受けました。
そんなアイリーン・ウォーノスの死刑が執行された翌年、ドキュメンタリー映画「シリアル・キラー アイリーン 『モンスター』と呼ばれた女」が公開されています。
この映画の中では、死刑執行前日のアイリーン・ウォーノスのインタビューが収録されていたことから、当時大変な話題になりました。
アイリーン・ウォーノスの最期の言葉は、死刑執行直前に呟いた…
「神と共に戻ってくる」
第19位: ゴードン・ノースコット
・ゴードン・スチュアート・ノースコット(Gordon Stewart Northcott)
・生誕:1906年11月9日
・カナダ・サスカチュワン州ブラッドワース
・死没:1930年10月2日(23歳)
・死因:絞首刑
・有罪判決:殺人罪
・殺害された犠牲者数:確定:3人
・疑惑:20人
・犯行期間:1926年-1928年
・逮捕日:1928年9月19日
養鶏場を営んでいたゴードン・ノースコットは、度々、養鶏場に少年を連れ込み、自分の性的欲求の捌け口とするだけでなく、同じ嗜好を持つ異常者に少年たちを貸し出していたことがわかっています。
裁判で有罪になったのは3人の殺害ですが、ゴードン・ノースコット自身は、20人に及ぶことを自供しています。さらに、少年の誘拐や殺害を母親や14歳の甥にまで手伝わせていたと言います。
そんなゴードン・ノースコットの犯行を手伝った母親の視点から描かれた映画「チェンジリング」では、主演のアンジェリーナ・ジョリーが迫真の演技を見せて話題になりました。
第18位: メアリー・ベル
・名前:メアリー・ベル(Mary Bell)
・別名:Tyneside Strangler
・生誕:1957年5月26日(62歳)
・イングランド ニューカッスル・アポン・タイン
・有罪判決:殺人罪
・判決:懲役刑
・殺害された犠牲者数:2人
・犯行期間:1968年6月25日-1968年7月31日
・逮捕日:1968年7月31日
サイコパスの代名詞としても知られているメアリー・ベルが、初めて殺人を行ったのは、なんと10歳の時だったと言います。被害者は2名で、いずれもメアリー・ベルよりも年下の幼い子供が犠牲になっています。
メアリー・ベルの犯行動機は、自分に注目を集めたいという心理に基づくものだったと言われていますが、一方で、自分より弱い存在を痛めつけることに快感を覚えていたとも言われています。
1968年12月に有罪判決を受けて服役するも、1977年に刑務所から脱走。3日後に捕らえられるのですが、その脱走していた間に身篭もったようです。
1980年5月に出所したメアリー・ベルは、当初は名前を変えて生活していたのですが、子供の成人を機に実名に戻り、1998年に自伝「魂の叫び」を出版して話題になりました。
第17位: ユ・ヨンチョル
・名前:ユ・ヨンチョル(Yoo Young-chul)
・別名:レインコートキラー
・生誕:1970年4月18日(49歳)
・韓国·全羅北道高敞郡
・有罪判決:殺人罪
・判決:死刑
・殺害された犠牲者数:20人
・犯行期間:2003年9月 – 2004年7月
・逮捕日:2004年7月15日
2003年9月から2004年7月までの約1年という短い期間に、主に富裕層の高齢者や風俗嬢など20人以上を殺害したユ・ヨンチョルは、韓国が生んだシリアルキラーです。
また、ユ・ヨンチョルは肉愛好家でもあり、犠牲者の遺体のうち3体は燃やし、少なくとも11体は解体して、そのうちいくつかの内蔵を食べたことを自供しています。
ユ・ヨンチョルはテレビ番組の中で、事件の動機について次のように語っています。
「女はふしだらであるべきではなく、金持ちは自分たちの所業を知るべきだ」
第16位: リチャード・チェイス
・名前:リチャード・チェイス(Richard Chase)
・本名:リチャード・トレントン・チェイス
・(Richard Trenton Chase)
・別名:サクラメントの吸血鬼
・生誕:1950年5月23日
・アメリカ合衆国カリフォルニア州 サンタクララ郡
・死没:1980年12月26日(30歳)
・死因:抗うつ薬の大量服用による自殺
・殺害された犠牲者数:6人
・犯行期間:1977年12月29日-1978年1月27日
・逮捕日:1978年1月28日
被害者の血を飲むことから、“サクラメントの吸血鬼”との異名をとるリチャード・チェイス。彼が、人間の生き血をすする理由は、「血が粉になるために血液を補充している」のだとか。
目撃者の通報を受けてリチャード・チェイスのアパートに踏み込んだ警察は、その凄惨な光景に思わず目を背けたと言います。
部屋の床や壁のみならず、家具、ベッド、浴室、台所に至るまで、部屋中すべに血が飛び散っていたのだとか。
その後の裁判で死刑判決を受けたリチャード・チェイスですが、1980年12月26日、隠し持っていた抗うつ薬を大量摂取して自殺しています。
第15位: ゲイリー・リッジウェイ
・名前:ゲイリー・リッジウェイ(Gary Leon Ridgway)
・別名:グリーン・リバー・キラー
・The Green River Killer
・生誕:1949年2月18日
・アメリカ合衆国ソルトレイクシティ
・有罪判決:殺人罪
・判決:終身刑
・殺害された犠牲者数:49人(裁判で確定した人数)
・犯行期間:1982年-1984年
・逮捕日:2001年11月
ゲイリー・リッジウェイは、売春婦や家出少女をさらって強姦して殺害し、ワシントンのグリーンリバーに遺体を遺棄していたことから、“グリーン・リバー・キラー”の異名をとるシリアルキラーです。
また、死体を遺棄した後、再び死体の様子を見に行っては、屍姦を行うこともあったと言います。
ゲイリー・リッジウェイは、1980年代に少なくとも49人の殺人に関与した疑いがもたれていますが、ゲイリー・リッジウェイ本人は「90人殺した」と供述しているようです。
2001年にDNA型鑑定から犯人がゲイリー・リッジウェイであることが発覚し、逮捕されたのですが、当時判明していなかった犠牲者を供述することと引き替えに、死刑を免れる司法取引が行われたため、ゲイリー・リッジウェイは現在も終身刑で服役中なのだとか。
第14位: アルバート・フィッシュ
・名前:アルバート・ハミルトン・フィッシュ(Albert Hamilton Fish)
・別名:満月の狂人
・ブルックリンの吸血鬼
・生誕:1870年5月19日
・アメリカ合衆国・ワシントンD.C.
・死没:1936年1月16日(65歳没)
・死因:電気椅子での処刑による刑死
・有罪判決:殺人罪
・判決:死刑
・殺害された犠牲者数:正確な人数は不明
・犯行期間:1910年-1934年
・逮捕日:1934年
「満月の狂人」、「グレイマン」、「ブルックリンの吸血鬼」などの異名で知られてるアルバート・フィッシュはアメリカが生んだシリアルキラーであり、食人者でもあります。
正確な人数は明らかになっていませんが、アルバート・フィッシュ自身は、24年間に400人以上もの児童を殺害したと供述しているようですが、この数字には根拠は薄いと見られているものの、少なくとも数十人単位で殺害していることは確かなようです。
また、アルバート・フィッシュは児童だけでなく、成人も殺害しているとされており、中には肉を食べる目的で殺害された被害者もいると見られています。
逮捕後、アルバート・フィッシュは次のような驚くべき供述をしています。
「あの時、グレースを首を絞めて殺した後、首を切り落としました。そして切り口に口をつけて彼女の血を飲み干したのです。その後でナイフを使って胴体のところで身体を切断し、それから完全にバラバラにしました。
家に死体を持って帰ってから、ニンジンやタマネギと一緒に煮込んで9日間の間、毎日食べ続けました。その生肉料理を見るたびに異常な性的興奮を覚えました。」
引用:No.70 死体を調理する猟奇的誘拐犯・アルバート・フィッシュ http://ww5.tiki.ne.jp/
第13位: ジェニーン・ジョーンズ
・名前:ジェニーン・ジョーンズ(Genene Jones)
・生誕:1950年7月13日
・アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・テキサス州
・有罪判決:殺人罪
・判決:3件の罪に対し99年の禁錮刑
・殺害された犠牲者数:立証されたのは2人、60人以上の可能性
・犯行期間:1977年-1982年
・逮捕日:1983年
看護師の職についていたジェニーン・ジョーンズは、1970年代から1980年代にかけて、自身が担当していた乳幼児に筋弛緩薬や強心薬、抗凝固薬などを投与して、次々と殺害したシリアルキラーです。
乳幼児に対して、そんな残酷なことをした理由は、死にかけている乳幼児をあたかも自分が救ったかのように見せかけることで、周囲から称賛されることに味をしめていたからなのだとか…。
ジェニーン・ジョーンズは、ベア郡立病院の小児集中治療室にて准看護師として勤務してた時、なぜかジョーンズが担当した子供だけが大勢亡くなることに…。
ジェニーン・ジョーンズが担当していた勤務時間帯は「死のシフト」と呼ばれており、彼女自身も「死の看護師」と呼ばれるほど、子供の死亡は相次いたと言います。
病院は遺族から訴訟を起こされることを恐れて、当時の准看護師全員を解雇し、当時の記録を全て破棄してしまったと言いますう。そのため、実際にジェニーン・ジョーンズが何人の乳幼児を殺害したのか、その実態はわかっていませんが、一説によると60人以上にも上る可能性が指摘されています。
ちなみに、ベア郡立病院を解雇されたジェニーン・ジョーンズが、次に勤務したテキサス州カーヴィルにある小児科の開業病院でも、6人の子供が次々と死亡したことで、ジェニーン・ジョーンズの犯行が露見し、逮捕に至りました。
第12位: ロドニー・ジェームス・アルカラ
・名前:ロドニー・アルカラ(Rodney Alcala)
・別名:デートゲーム・キラー
・The Dating Game Killer
・生誕:1943年8月23日(76歳)
・アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ
・有罪判決:暴行, 誘拐, 殺人, 保釈条件違反, 強姦
・判決:死刑
・殺害された犠牲者数:8人-130人
・犯行期間:1971年6月12日-1979年
・逮捕日:1979年7月24日
ロドニー・ジェームス・アルカラは、1977年から1979年にかけて5人を殺害した罪で、2010年に死刑判決を受けています。
このロドニー・ジェームス・アルカラの異常性は、被害者をゆっくりと殺害できる場所に監禁し、首を絞めて意識を失わせると、絶命する前に手を緩め、意識が回復するのを待って、再び首を絞める…そんな行為を、死に至るまで繰り返すという殺害方法をとっていた点です。
被害者にとってみれば何度も何度も繰り返し殺されるようなもので、その残虐性から「殺害マシーン」とも呼ばれていました。
また、ロドニー・ジェームス・アルカラの被害者は、女性だけでなく10代の少年も含まれていたことから、バイセクシャルだったとみられており、逮捕後、被害者を撮影したと見られる1000枚以上の性的な写真が発見されています。
この写真の中には、判明している被害者以外の人物も多く含まれていたことから、ロドニー・ジェームス・アルカラに殺害された犠牲者は、数十人とも、一説には130人以上とも言われています。
第11位: ロバート・ハンセン
・名前:ロバート・ハンセン(Robert Hansen)
・生誕:ロバート・クリスチャン・ハンセン
・1939年2月15日
・アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アイオワ州エスタービル
・死没:2014年8月21日(75歳)
・別名:The Butcher Baker(屠殺パン屋)
・罪名:殺人罪・強姦罪・放火罪・暴行罪・誘拐罪・窃盗罪・武器使用罪・保険詐欺罪
・刑罰:終身刑461年
・有罪判決:1984年2月18日
・殺害された犠牲者数:17人から21以上
・殺害期間:1971年-1983年
・逮捕日:1983年10月
ロバート・ハンセンは、1971年から1983年の間に、アラスカ州アンカレッジ周辺で、わかっているだけで16歳から41歳までの女性を次々と襲い、強姦して殺害してます。
特に、ロバート・ハンセンの異常性は、拉致した女性を全裸にしてわざと逃がし、狩猟用のライフルで被害者を追い詰め、逃げ惑う被害者に容赦なく銃弾を撃ち込むという、人間狩りを楽しんでいた点です。
1983年6月13日に、17歳の売春婦だったシンディ・ポールソンがハンセンの監禁から命からがら逃げ出し、警察に駆け込んだことで事件が発覚しました。
そんなロバート・ハンセンは、1983年に逮捕されて有罪判決を受け、仮釈放なしの461年の終身刑を宣告されていましたが、2014年8月21日にアンカレッジのアラスカ地域病院にて75歳の天寿をまっとうしています。
海外の凶悪事件・シリアルキラーランキング20選 第10位~4位
第10位: エド・ゲイン
・名前:エド・ゲイン(Ed Gein)
・本名:エドワード・セオドア・ゲイン
・生誕:1906年8月27日
・アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・ウィスコンシン州バーノン郡
・死没:1984年7月26日(77歳)
・死因:呼吸器官の心不全による病死
・有罪判決:無罪(ただし、精神病院に入院)
・殺害された犠牲者数:2人
・逮捕日:1957年11月16日
エド・ゲインは、殺害した人数は2人と、これまで見てきたシリアルキラー達に比べると少ないように感じますが、ネクロフェリア(死体愛好家)として知られているエド・ゲインは、墓から掘り起こした女性の遺体を含めると、述べ15人を陵辱したと言われています。
エド・ゲインは、近隣の墓地から土葬されて間もない女性の遺体を掘り返して自宅に持ち帰り、その皮膚や骨などを使ってベストやブレスレット、家具などの身のまわりのものを作っていました。
エド・ゲインが逮捕された際は、自身が殺害した2人の女性を含めて、彼の自宅には15人分の女性の変わり果てた遺体があったと言います。
また、遺体の一部は食用として冷蔵庫に保管されており、その肉を近所にお裾分けしていたとも…。
そんなエド・ゲインが人間の体の一部を使って作ったとされるもののリストは以下の通り。
・ゲインの寝台の角の柱に乗っていた頭蓋骨
・人間の皮で作ったランプシェードと汚れた椅子の上の詰め物
・一見スープボウルらしき人間の脳天
・人間の心臓(心臓が発見された場所は、犯行現場にいたカメラマンは紙袋の中にあったと主張しているが、州の副保安官はストーブの上のソースパンの中にあったと報告している)
・紙袋の中から発見された、地元のバーの主人マリー・ホーガンの顔の皮膚
・人間の唇を引きちぎって作った窓の日よけ
・女性の胴体の皮膚で作った胴着
・複数の乳首から作ったベルト
・人間の肉で作った靴下
・人間の皮膚で作った入れ物
・ゲインが身に付けたことを認めた、保存された陰門
・萎びた人間の頭部の配列
引用:Wikipedia – エド・ゲイン https://ja.wikipedia.org/
第9位: ペドロ・アロンソ・ロペス
・名前:ペドロ・アロンソ・ロペス(Pedro Alonso López)
・別名:「アンデスの怪物」
・生誕:1948年10月8日
・ コロンビア トリマ県サンタ・イサベル
・死没:消息不明
・有罪判決:殺人罪
・判決:禁錮16年
・殺害された犠牲者数:300人以上
・犯行期間:1969年-
・逮捕日:1980年3月9日(逮捕、釈放後にも殺人を犯している)
「アンデスの怪物」の異名をとるペドロ・アロンソ・ロペスは、人類文明社会史上最悪のシリアルキラーのひとりとも言われています。
コロンビア生まれのペドロ・アロンソ・ロペスは、コロンビア、エクアドル、ペルーをまたにかけ、9歳~12歳の少女110人を殺害した容疑で有罪判決を受けましたが、彼自身はさらに240人を殺害していると主張しています。
1980年に捕まってリンチされそうになっているところを、アメリカ人の宣教師の説得で、現地警察に引き渡されたペドロ・アロンソ・ロペスですが、その後、警察は彼を逃がしてしまうことに…
エクアドルに逃げたペドロ・アロンソ・ロペスは、そこでもさらに多くの女性を殺害し、1998年に再び逮捕されるも、法律上の問題でコロンビアに追放され、現在はコロンビアの監獄に入っているとも、コロンビアの精神病院から脱走したとも言われています。
第8位: ブルーノ・ルトケ
・名前:ブルーノ・ルトケ(Bruno Lüdke)
・生誕:1909年4月3日
・ドイツ帝国・ベルリン
・死没:1944年4月8日(35歳)
・殺害された犠牲者数:51人(85人の殺害を自供)
・犯行期間:1928年-1943年
・逮捕日:1943年3月18日
ドイツのシリアルキラーとして有名なブルーノ・ルトケは、1928年から1943年までの15年間に、少なくとも51人の女性を殺害した上、遺体を屍姦したとされています。
1943年1月31日、ドイツ・シャルロッテンブルク近くの森で絞殺された女性の遺体が見つかり、容疑者として逮捕されたブルーノ・ルトケは、85人の殺害を自供しました。
この時にあっさり犯行を認めたのは、自分は精神異常だと言いはることで訴追を免れるためだったとも言われています。
その思惑通りにブルーノ・ルトケは、ドイツ親衛隊によりウィーンの「犯罪医学研究所」に送られるのですが、結局そこで人体実験の実験台にされた挙げ句、1944年4月8日、薬物注射により死亡しています。
第7位: ジェフリー・ダーマー
・名前:ジェフリー・ライオネル・ダーマー(Jeffrey Lionel Dahmer)
・別名:ミルウォーキーの食人鬼
・生誕:1960年5月21日
・アメリカ合衆国・ウィスコンシン州ミルウォーキー
・死没:1994年11月28日(34歳没)
・死因:刑務所内での囚人による撲殺
・有罪判決:殺人罪・死体遺棄罪・死体損壊罪など
・判決:終身刑
・殺害された犠牲者数:17人
・犯行期間:1978年6月18日-1991年7月22日
・逮捕日:1991年7月22日
ジェフリー・ダーマーは、1978年から1991年にかけて、主にアメリカ・オハイオ州やウィスコンシン州で17人の青少年を絞殺し、その後に屍姦と遺体の切断に加え、食人行為まで行っていたことから、「ミルウォーキーの食人鬼」の異名を持ちます。
逮捕拘留後、ジェフリー・ダーマーの自宅の冷蔵庫からは、人間の頭部や内臓が、部屋には着色した頭蓋骨が飾られ、キッチンからは数本の腕と男性器などが発見され、部屋中に異様な悪臭が漂っていたと言います。
また、遺体をバラバラにする過程を写した83枚のポラロイド写真も発見され、ジェフリー・ダーマーのその突出した残虐行為は、1990年代初頭の全米を震撼させました。
なお、ジェフリー・ダーマーは、1994年11月28日、刑務所の浴室で黒人囚人に撲殺されています。
第6位: H・H・ホームズ
・名前:H・H・ホームズ(H. H. Holmes)
・生誕:ハーマン・ウェブスター・マジェット
・Herman Webster Mudgett
・1861年5月16日
・アメリカ合衆国 ニューハンプシャー州ギルマントン
・死没:1896年5月7日(34歳)
・死因:絞首刑
・刑罰:死刑(絞首刑)
・有罪判決:1件の第1級殺人
・殺害された犠牲者数:およそ9人
・殺害期間:1891年-1894年
・逮捕日:1894年11月17日
H・H・ホームズは高級ホテルを経営していたのですが、その地下には監禁や拷問をするための部屋やガス室などが作られており、そのホテルに宿泊する女性客を、次々と毒牙にかけていきました。
また、医学部出身のH・H・ホームズは、遺体を完璧に処理する知識があり、解体することにより殺人の証拠を一切残さなかったと言います。
H・H・ホームズの自供で殺害が判明している被害者数は27人ですが、実際にはさらに多くの被害者が出ていると見られており、一説には200人以上にも及ぶとも言われています。
第5位: ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ
・名前:ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ(Joseph James DeAngelo)
・別名:
・オリジナル・ナイト・ストーカー
・イースト・エリアの強姦魔
・バイセイリアの荒らし屋
・イースト・ベイの強姦魔
・ダイヤモンド結び殺人鬼
・被害者数:
・13人以上殺害
・50人以上強姦
・120件以上窃盗
・殺害期間:1974-1986 (現時点で判明している限り)
・逮捕日:2018年4月24日
ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロは、一軒家で独り暮しの女性を探し、長期に渡るストーキングにより入念にターゲットの行動を把握した上で、強姦・殺害の犯行計画を練るという用意周到さをもちあわせていました。
そのためなかなか犯行の足がつかず、警察も長年に渡って手をこまねいていたようです。
そのため、「オリジナル・ナイト・ストーカー」や「イースト・エリアの強姦魔」などと呼ばれていましたが、これだけの凶悪犯が長年野放しになっていることを啓発する意味から「ゴールデン・ステイト・キラー」と新たに名付けられています。
そんなジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロも、2018年4月24日に逮捕されることになるのですが、強姦罪や強盗罪については時効が成立しており、13人の殺害容疑で起訴され、裁判は現在も進行中のようです。
第4位: ジョン・ウェイン・ゲーシー
・名前:ジョン・ウェイン・ゲイシー(John Wayne Gacy)
・別名:ポゴ
・キラー・クラウン
・生誕:1942年3月17日
・アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ
・死没:1994年5月10日(52歳没)
・死因:薬殺刑による刑死
・有罪判決:殺人罪による死刑宣告
・殺害された犠牲者数:33人
・犯行期間:1972年1月-1978年12月
・逮捕日:1978年12月
少年が好みだったジョン・ウェイン・ゲーシーは、少年の気を引くためにピエロに扮装してよくパーティーを開いていたことから、“キラー・クラウン”として知られており、映画「IT/イット」に登場する殺人鬼・ペニーワイズのモデルになっています。
33人もの少年を犯し、拷問し、殺害したジョン・ウェイン・ゲーシーですが、その地域の政治的な集まりでは評判もよく、事件が発覚した際は、町全体が衝撃を受けたと言われています。
また、ジョン・ウェイン・ゲーシーは、薬殺刑による死刑が執行されたのですが、通常は5分程度で静かに絶命するはずが、ジョン・ウェイン・ゲーシーの執行時には何らかの手違いがあり、約20分もの間苦しみ抜いて絶命したと言われています。
海外の凶悪事件・シリアルキラーランキング20選 BEST3
第3位: アンドレイ・チカチーロ
・名前:アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ(Andrey Romanovich Chikatilo)
・別名:ロストフの殺し屋
・赤い切り裂き魔
・ロシアの死神
・ロシアの食屍鬼
・生誕:1936年10月16日
・ウクライナ社会主義ソビエト共和国
・スムスカヤ州 (現・スームィ州)
・死没:1994年2月14日(57歳)
・死因:銃殺による刑死
・有罪判決:殺人罪
・殺害された犠牲者数:52人
・犯行期間:1978年12月22日-1990年11月20日
・逮捕日:1990年11月20日
ウクライナの有名なシリアルキラー・アンドレイ・チカチーロは、1970年代後半から90年代にかけて、ロシア全土で52人もの犠牲者を出したことから、「ロストフの殺し屋」「赤い切り裂き魔」などの異名をとります。
性的コンプレックスを抱えていたアンドレイ・チカチーロは、被害者の体を刺したり、切り裂くことでしか性的興奮を得られなかったと言われています。
そんなアンドレイ・チカチーロが、52人もの犠牲者が出るまで逮捕されなかった理由は、彼がなんと100万人に1人の割合でしか存在しない、血液と精液の型が一致しないタイプの人間だったからなのだとか。
アンドレイ・チカチーロは1992年に逮捕された後、次のように語っています。
「どうやって相手を苦しめるか、次から次へとアイデアが湧いてきて、実行するのが追いつかないほどだった」
また、法廷では檻の中に入れられて、まるで「ハンニバル」のレクター博士のようですが、実は、アンドレイ・チカチーロが檻の中に入れられていたのは、凶暴だったからではなく、被害者の遺族から彼を守るためだったそうです。
出典:https://twitter.com/
そんなアンドレイ・チカチーロは、1994年に銃殺により処刑されています。
第2位: テッド・バンディ
・名前:セオドア・ロバート・バンディ(Theodore Robert Bundy)
・生誕:1946年11月24日
・アメリカ合衆国・バーモント州バーリントン
・死没:1989年1月24日(42歳没)
・死因:電気椅子による処刑での電気ショック
・有罪判決: 強盗殺人罪・殺人罪・強盗強姦罪・強姦罪・強盗致傷罪・強盗罪・死体遺棄罪・死体損壊罪・誘拐罪
・判決:死刑
・殺害された犠牲者数:30人以上
・犯行期間:1974年-1978年
・犠牲者数:30人以上
・犯行期間:1974年-1978年
・逮捕日:1975年8月16日逮捕
・1977年12月30日脱走
・1978年2月15日再逮捕
テッド・バンディは、女性に対する殺人はもちろん、強姦や強盗、誘拐、死体損壊とあらゆる犯罪に手を染めたシリアルキラーです。
端正な顔立ちをしており、IQも160以上と非常に高かったテッド・バンディは、言葉巧みに女性に近づき、次々と犯行を重ねていきました。
ただ、テッド・バンディが好む女性のタイプは限定的であり、被害者のほとんどが黒髪のロングヘアの若い女性だったようで、確認された被害者数は36人でしたが、実際には100人以上の被害者がいたとも言われています。
出典:https://eiga.com/
後に、テッド・バンディは自身の犯罪について次のように語っています。
「俺には死刑こそが最もふさわしい。俺や俺みたいなヤツから社会を守るには、それが当たり前の事だ」
その一方で、テッド・バンディは死刑が執行される数日前まで容疑を否認しており、最後まで裁判所への異議申立てを続けていたと言われています。
第1位: ヘンリー・リー・ルーカス
・名前:ヘンリー・リー・ルーカス(Henry Lee Lucas)
・別名:The Confession Killer
・生誕:1936年8月23日
・アメリカ合衆国 バージニア州
・モントゴメリー郡 ブラックスバーグ
・死没:2001年3月13日(64歳)
・死因:心臓発作
・有罪判決:殺人罪
・殺害された犠牲者数:確定:11人
・自供:300人
・犯行期間:1960年1月11日-1983年 (?)
・逮捕日:1983年6月11日
映画「ハンニバル」のハンニバル・レクター博士のモデルになったシリアルキラーとして名高い、ヘンリー・リー・ルーカス。
そんなヘンリー・リー・ルーカスは、幼少期から売春婦だった母親からあらゆる性的虐待を受けて育ったと言われています。
後に、自身の手で母親を殺害し、その罪で懲役40年の刑を言い渡されたヘンリー・リー・ルーカスですが、国の財政を圧迫するとの理由から、「更生の余地あり」と判断され早期釈放されました。
ちなみに、ヘンリー・リー・ルーカスは釈放される際、面談員から「釈放後、また人を殺すか?」と質問されたのに対して、「間違いなく殺す」と回答したと言われています。
しかし、面談員はその言葉を、彼のジョークと勘違いして釈放してしまうことに…。そしてヘンリー・リー・ルーカスの連続殺人は、その言葉通り釈放後まもなく始まったと言われています。
女性を襲っては殺害することを繰り返したヘンリー・リー・ルーカスは、1983年に逮捕されるまでの間、実に300人以上の女性が犠牲になったと言われていますが、実際に何人の女性を殺害したのかについては、今日も明らかになっていません。
出典:http://gandalfnet.com/
自らの殺人について、後にヘンリー・リー・ルーカスは次のように語っています。
女は存在する必要がない。だから見つければ全て殺す。要するに俺はいいことをしたって訳さ。
そんなヘンリー・リー・ルーカスは、獄中で64年の生涯をまっとうしています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
その凶悪性から世界を震撼させた、海外のシリアルキラー20人を厳選し、ランキング形式でまとめてみました。
それぞれのシリアルキラーたちの身勝手極まりない欲望により、命を奪われた全ての犠牲者のご冥福をお祈りいたします。