「リジー・ボーデン事件」は19世紀末頃のアメリカで起きた猟奇的殺人事件で、今だ謎に包まれた未解決事件です。
今回はリジー・ボーデン事件の経緯や両親の死因、事件の真相、自宅や映画化などその後と現在をまとめました。
この記事の目次
リジー・ボーデン事件とは 【被害者の両親の死因も解説】
1892年8月4日の朝、「リジー・ボーデン事件」は発覚しました。
リジー・ボーデンの父親アンドリュー・ジャクソン・ボーデンと、継母アビー・ボーデンが、自宅で何者かに殺害された状態で発見されました。
アンドリューの前妻の兄弟ジョン・V・モースは、事件直前に家を訪れていましたが、殺害された頃には帰っていたためアリバイが成立し、同様にリジーの姉エマも家を離れていました。
その当時に家にいたのは、娘のリジー・ボーデンとメイドのブリジット・サリバンだけでした。
事件当日、アンドリューは銀行と郵便局に用事で出かけ、10時45分頃に帰宅しますが、その30分後、リジー・ボーデンがリビングのソファに横たわるアンドリューの死体を発見しました。
ブリジット・サリバンの証言によれば、事件発覚までサリバンは横になっていたそうで、 リジー・ボーデンが父親の死体を発見して悲鳴を上げた時刻は午前11時直後だったそうです。
その後、リジー・ボーデンが隣の家の住人やかかりつけ医の世話になっている間、ブリジット・サリバンは、上階にあるゲストルームのベッドにて、アビー・ボーデンの死体を発見しました。
夫婦は斧で頭を割られて殺害されており、アンドリューに至っては頭蓋骨が砕かれ、眼球が真っ二つになっていました。
リジー・ボーデンとは
リジー・アンドリュー・ボーデン
英: Lizzie Andrew Borden
1860年7月19日 – 1927年6月1日
「リジー・ボーデン事件」の重要参考人として逮捕された、リジー・ボーデンについて見ていきましょう。
リジー・ボーデンは、1860年1月19日にマサチューセッツ州フォールリバーで生まれました。
事件現場の状況から、最も犯人に近いとして逮捕されますが、決定的な証拠が見つからず裁判では無罪となりました。
この事件はアメリカ全土で論争を巻き起こしましたが、現在までに真犯人は見つかっておらず、ミステリアスな事件として現在まで語り継がれています。
リジー・ボーデン事件の真相 【リジー・ボーデン犯人説が濃厚】
リジー・ボーデンの犯行の動機とは?
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アンドリューの前妻が亡くなった後、アンドリューがすぐに再婚したため、ボーデン家では争いが絶えなかったといいます。
自宅の上階は2つのエリアに分けられ、階段を上がった前半エリアは姉妹の生活領域、後半はアンドリューと後妻の生活領域でした。
姉妹と両親は食事を一緒にとらないようになり、さらにアンドリューの多額の資産を巡って争うようになっていきました。
しかし、アンドリューは後妻に自分の資産をすべて相続させることを決定し、残る避暑用の別荘を含む農場の相続について相談するため、叔父のジョン・モースが自宅を訪れていました。
夫婦が殺害される直前には、資産を巡って激しい口論があったといいます。
リジー・ボーデンは犯行の計画的に準備していた?
リジー・ボーデンと姉エマは長期休暇を利用して家を離れている予定でしたが、リジー・ボーデンだけその予定をキャンセルして早めに自宅に戻っていました。
なぜ、予定をキャンセルして帰宅したのかが気になりますよね。
また事件前、リジー・ボーデンは、近所にある薬局から青酸を購入しようとしましたが断られていました。
逮捕後の尋問で、青酸を購入しようとした理由についてリジー・ボーデンは、アザラシの毛皮のコートを洗浄するためだったと語っています。
事件が起きる少し前には、ボーデン一家全員が体調不良になったことがありました。
アンドリューが街であまり良い印象を持たれていなかったことから、アビーはリジー・ボーデンも毒を盛られたのではないか?と噂されました。
しかし、かかりつけ医の診断でこの時は食中毒とされました。
リジー・ボーデン事件の事件現場である自宅とは
事件現場となったアンドリューの自宅は、繊維工業の中心地として栄えていたマサチューセッツ州フォールリバーの3番街230番地にありました。
二世帯用住宅として建てられたこの自宅は大きな屋敷で、アンドリュー・ボーデンは1872年にこの家を購入しています。
1階と2階を繋げるリフォームをして広々とした大きな家にしたアンドリューは、自慢の家でまさか自分が殺害されるとは思ってもみなかったでしょう。
アンドリューはリビングで昼寝中に何者かに斧を振り下ろされて殺害され、後妻のアビーは2階にあるスイートルーム2部屋、客室4部屋あるうちの1つで同様に殺害されました。
リジー・ボーデン事件での裁判・判決
重要参考人として逮捕されたリジー・ボーデンですが、供述が一貫しない部分が多く、その行動には信用できないものに見えました。
リジー・ボーデンは殺人罪で起訴されましたが、弁護士を担当したのは前マサチューセッツ州知事を務めていたジョージ・D・ロビンソンです。
また、検察には後にアメリカ合衆国司法長官と合衆国最高裁判所の陪席裁判官を務めるウィリアム・ヘンリー・ムーディがいるなど、そうそうたる顔ぶれでした。
この裁判の豪華さも、リジー・ボーデン事件が全米で話題を呼んだ1つの理由だったのかもしれません。
リジー・ボーデンは裁判で無罪となった
アンドリュー・ボーデンの自宅を警察が捜査したところ、地下室から犯行に使われたとみられる斧が見つかりました。
斧の柄は大部分が失われており、返り血を浴びてしまったことから犯人が意図的に折ったと警察は主張しました。
これに対して検視をした専門家は、犯人は2人を殺害後に斧をきれいにしたり、柄を折ったりして破棄する時間はなかったはずだと証言しています。
警察は家宅捜査で血痕を全く発見できませんでしたが、リジー・ボーデン事件の数日後、リジー・ボーデンが自分の青いドレスを引き裂いて台所のストーブで焼いていたことが判明。
この行動について、リジー・ボーデンは、ペンキが塗りたてのところにドレスがついて汚れたため、その部分を処分していたと主張しました。
リジー・ボーデンの証言には怪しい部分がたくさんあり、状況証拠も揃っていましたが、確定的な物証が出なかったため、陪審は1時間半の議論の末に無罪判決を言い渡しています。
無罪判決の決め手となったのは、決定的な凶器は見つかっていないこと、返り血を浴びたはずの布が見つかっていない点でした。
なお、陪審ではリジー・ボーデンが青酸を購入しようとしていたという証言は排除されています。
これは、陪審員がすべて男性だったことから、名家の女性が猟奇的な殺人事件を起こしたとは考えたくないという感情も働いたという見方もありました。
また、裁判が始まる直前に斧を使った別の殺人事件が発生したことも、リジー・ボーデンにとっては無罪を勝ち取る追い風となったようです。
リジー・ボーデン事件が注目を集めた理由
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リジー・ボーデン事件が現在まで注目を集める理由は、斧で頭をかち割るという猟奇的な殺人事件というばかりではなく、被告人となったリジー・ボーデンの身分にもありました。
当時、この事件が人々の想像をかきたて、世間を騒がせたのは、その凶悪さだけが理由ではなく、被告人の身分の意外性からだった。ニューイングランドの立派な中流階級の女性は殺人者とは到底見えず、リジー・ボーデンの裁判は全国的に取り上げられ、メディアは競うように報じた。
「ボーデン家の事件はアメリカの犯罪小説の原点とも言えます」。2019年にこの裁判に関するノンフィクション本を上梓したカーラ・ロバートソンは言う。
「多くの神話的な要素を持った事件です。非常に自己中心的で、孤立していたと思われる一家の、家の中で勃発した殺人ですから」
リジー・ボーデンの数々の言動からすると、限りなく真犯人であると考えるのが妥当だと思われますが、完全な物証が出なかったのであれば裁判で有罪とするのは難しいでしょう。
リジー・ボーデン事件のその後
結局、リジー・ボーデンが狙った通りなのかはわかりませんが、アンドリューと後妻アビーが亡くなったことで、リジー・ボーデンと姉エマには巨額の資産が手に入りました。
そして、2人はそのお金で大きな屋敷を購入しています。
1893年に無罪放免となった後、リジーと姉のエマはフォールリバーの中上流階級向けエリア、通称「ザ・ヒル」にあったアン女王様式の大きな屋敷を遺産で新たに購入した。7つの寝室がある3935平方フィートの家を、リジーはのちに「メイプルクロフト」と名付けた。屋敷は最近改装されたばかりで、建築様式に合わせた家具を完備した状態で売りに出されている。メイプルクロフトの売りは6つの暖炉とステンドグラスの窓、そして秘密のメッセージが隠されていると信じる人もいる木彫りの炉棚(もっとも、購入当時からそこにあったのかどうかは不明。あるいは大量生産されていたもので、ショウルームかカタログで購入した可能性も高い)
事件から120年以上が経過した現在、この2つの物件を所有しているのは、実業家のドナルド・ウッズという男性です。
そして博物館やB&Bとして開放し、観光客が後を絶たないようです。
リジー・ボーデンの自宅が売りに出される
リジー・ボーデンの家は観光客にとって人気スポットになっていますが、実は現在、これらの家は売りに出されています。
購入希望者からは200万ドル近い金額を提示されているようで、その大半は過去にこれらの家を観光したことがある地元以外の人間のようです。
「リジー・ボーデンの家」は後年、博物館とB&Bに改装され、公開されてきた。その家がいま、200万ドル(約2億100万円)で売りに出されている。不動産業者のスザンヌ・セント・ジョンによると、この高価格は家の歴史的価値と、新型コロナウイルスによるパンデミック前に活況を呈していたビジネスのためだという。
日本では通常、凶悪事件が起きた物件は事故物件として格安で売りに出されるものですが、このリジー・ボーデンの家は事件の話題性から破格の値段がついているようですね。
リジー・ボーデン事件の現在① 自宅はまだ買い手がついていない
2021年2月の時点で、リジー・ボーデンの家はどちらもまだ買い手が付いていないようで、B&Bとして利用している家の方に人気が集中しているようです。
ボーデン宅とメイプルクロフトは必ずしも抱き合わせで販売されているわけではないが、セントジョンさんは買い手が両物件を所有してくれたら、と期待を寄せている。「どなたかリジーの家――B&Bのほうですね――を買ってくださって、メイプルクロフトにお住まいいただくのが一番いいと思います」とセントジョンさん。「ですが今のところ、皆さんB&Bの購入を狙っていらして、メイプルクロフトの購入はそのあともしかしたら、という状態のようです」。現在、メイプルクロフトの売値は89万ドル(約9300万円)だ。
これらの家が観光業としてどれぐらいの利益を上げているのかはわかりませんが、なかなか売り主の希望金額でも買いたいという人は現れていないようです。
リジー・ボーデン事件の現在② リジー・ボーデンの自宅には心霊現象が起きる?
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リジー・ボーデンの両親アンドリューとアビーは、斧で頭を割られるという猟奇的な方法で亡くなったため、リジー・ボーデンの家には2人が怨霊として残っているともささやかれています。
だが一部の人々は、屋敷の訪問者全員が入場チケットを購入しているわけではないと信じている――この屋敷にはなにかが存在するのを探知した、と主張する幽霊探し番組がいくつもある。事実、セントジョンさん自身も経験者だ。「自分から探し回ったりしません――一応言っておきます。でも確かに、何かが起きるんですよ」
そうした不思議な現象のひとつは数年前、毎年8月4日に行われる殺人事件の再現劇の週に起きた。セントジョンさんはブリジット・サリバン役だった――アイルランド系の住み込み家政婦で、事件当日に家にいたことから当初容疑者として名前が挙がっていた人物だ。「突然目に痛みを感じて、涙が次から次へとあふれてきたんです。『いったい何事?』という感じでした」とセントジョンさん。涙が落ち着いたところで彼女は目をぬぐい、ツアーをやり終えた。「あまり深くは考えませんでした」と彼女は続けた。俳優数名がB&Bに泊まったが、そのうち2人は滞在中なにか強い力で目を突かれた、とのちに語った。「その時、私も目を突かれたんだ、と気づきました」と、セントジョンさんは語る。「そういう体験が何度かありました。取り乱したりはしませんがね」
幸い、失明してしまったという人はまだ出ていないようですが、こうした心霊現象が度々起こっていることが確認されているなら、なかなか買い手がつかないのも納得です。
リジー・ボーデン事件の現在③ インスパイアされた映画が登場
リジー・ボーデン事件は、ドキュメンタリー番組や超常現象の研究者などから、超常現象が起こる可能性について検証する依頼が多かったようです。
また、歴史協会はこの事件が120年以上話題を振りまいてきたことから、リジー・ボーデンの人物像について学術的な面から深掘りしました。
その結果、リジー・ボーデン事件に影響を受けた映画、テレビ番組、音楽、小説、漫画、バレエ、演劇など、多くの作品が生まれました。
以下は、リジー・ボーデンがキャラクターとして登場している代表的な作品です。
1975年 『リジー・ボーデン 奥様は殺人鬼』ミステリーテレビ映画
1982年 『ナショナル・ランプーン/パニック同窓会』リジー・ボーデン・ハイスクールという架空の学校が舞台となっている。
1988年 『Saturday the 14th Strikes Back』ホラーコメディ映画
2001年 『モンキーボーン』
2003年 『マーダー・ライド・ショー』リジー・ボーデンの人形が作中に登場する。
2004年 『リジー・ボーデン事件』
2018年 『モンスターズ 悪魔の復讐』リジー・ボーデンの伝記映画
まとめ
120年以上にわたって語り継がれてきた、親殺しの猟奇的殺人事件の可能性がある、リジー・ボーデン事件についてまとめてきました。
こうした事件が起きたり、語り継がれたりするのは、何でもビジネスライクに捉えられる自由度のあるアメリカらしいですね。
噂通り、リジー・ボーデンの自宅で心霊現象が起きているのであれば、アンドリューとアビーの霊が120年以上も成仏できていないということであり、とても哀れなことかもしれません。