真珠湾攻撃の真実!なぜ奇襲で宣戦布告が遅れた?民間人の犠牲者・アメリカの反応やその後の影響もわかりやすく解説

1941年12月8日に日本軍がアメリカ太平洋艦隊の記事を奇襲攻撃した「真珠湾攻撃」が話題です。

 

この記事では真珠湾攻撃がなぜ行われたのかの原因などをわかりやすく解説し、犠牲者や死者、宣戦布告が遅れた事で卑怯とされた件、真実やアメリカの反応その後の影響などについてまとめました。

 

真珠湾攻撃をわかりやすく解説① 真珠湾攻撃の原因や背景

 

出典:https://www.jiji.com/

 

「真珠湾攻撃」とは、日本時間1941年12月8日の未明(ハワイ時間では7日の朝)に行われた、日本海軍によるアメリカ海軍基地に対する奇襲攻撃です。

 

この記事では、真珠湾攻撃についてわかりやすく解説していきます。最初に、真珠湾攻撃がなぜ行われたのかの原因や背景についてみていきます。

 

 

真珠湾攻撃の原因① 日中戦争や日独伊三国同盟に反発する米国による経済封鎖

 

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真珠湾攻撃が行われる事になる1941年当時、日本は1937年から全面戦争に突入した日中戦争を戦っており、大陸に大兵力を派遣していました。アメリカは日本の東アジア進出に反対し、中国大陸からの撤兵を求めていました。

 

また、1940年9月27日には日独伊三国同盟が締結されました。当時ドイツとイタリアはヨーロッパでイギリスや自由フランス軍(フランスはドイツの侵攻を受けて既に降伏していた)と戦争状態にあり、アメリカは危機感を募らせ、枢軸側(ドイツ、イタリア、日本とその同盟国)との対立姿勢を明確にしていました。日独伊三国同盟は、明らかに対アメリカ戦を意識した軍事同盟であり、当然、これはアメリカのさらなる反発を招きました。

 

こうした日本の行動に対してアメリカは日本に対する経済制裁を段階的に実施し、1941年8月には石油の全面禁輸措置に踏み切り、これにイギリスやオランダも同調しました。当時、日本は国内で消費する石油のほとんどをこれらの国からの輸入に依存していたため、この措置は日本を追い詰める事になりました。

 

軍も石油がなければ戦う事ができません、石油が確保できなければ中国大陸からも撤退せざるを得ませんでしたが、それまでに中国大陸での戦争にかけたコストを考えれば、引くという選択肢はあり得ませんでした。

 

こうした状況下で、日本国内でのアメリカとの開戦もやむなしという機運が高まりました。

 

そこで、太平洋艦隊の司令長官であった山本五十六海軍大将は、アメリカが戦意をなくさるほどの猛攻撃を仕掛けて早期に講和に持ち込むための作戦を立案。その作戦は、空母機動部隊での空撃を仕掛け、アメリカの主力艦隊を壊滅させるというものでした。そして、攻撃目標に選ばれたのが、アメリカ太平洋艦隊が駐留していたハワイの真珠湾だったのです。

 

 

真珠湾攻撃の原因② 南方作戦のために米太平洋艦隊に打撃を与える必要があった

 

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当時、日本はアメリカだけでなく、イギリスやオランダ、中国からの経済封鎖(ABCD包囲網)も受けて石油をはじめとする資源を貿易によって確保するのが困難な状況でした。

 

日本が、アメリカやイギリスに軍事力で対抗するためには、石油やボーキサイトなどの資源を確保する必要があり、そうした資源を獲得するために、当時、オランダの植民地であった東南アジアの資源地帯を確保する事を目的とした南方作戦が計画されました。

 

真珠湾攻撃には、この南方作戦を支援するために、アメリカの太平洋艦隊が行動できないように打撃を与えるという目的がありました。

 

真珠湾攻撃が一応の成功を見たことで、南方作戦はほとんど問題なく進み成功しています。

 

 

 

真珠湾攻撃をわかりやすく解説② 奇襲攻撃の経緯

 

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1941年11月22日、日本海軍は、「赤城」、「加賀」、「飛龍」、「蒼龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」の6隻の正規空母を機関とする空母機動部隊を択捉島の単冠湾に集結させました。この空母6隻に、護衛の戦艦2隻(比叡、霧島)、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻を加えた大部隊でした。

 

26日に艦隊はハワイに向けて出撃し、隠密行動によって日本時間で12月7日夜までにハワイ北方400kmの海域に到達。

 

8日午前1時30分に、第一波攻撃隊として、零式艦上戦闘機21型(零戦)43機、99式艦上爆撃機51機、97式艦上攻撃機89機の合計183機が発進。第一波攻撃隊出撃から1時間15分後の午前2時45分、第二波攻撃隊(艦戦36機、艦爆81機、艦攻54機の計171機)が発進。

 

第一波攻撃隊は日本時間午前3時19分(現地時間は7日の午前7時49分)に攻撃を開始。第二波攻撃隊は午前4時24分(現地時間は7日午前8時54分)に攻撃を開始しました。攻撃部隊はヒッカム陸軍飛行場、フォード島海軍飛行場、真珠湾内に停泊する海軍艦艇、ドックなどを攻撃して甚大な損害を与えました。

 

この攻撃で日本軍が真珠湾のアメリカ軍に与えた損害は戦艦4隻撃沈と4隻大破、航空機188機を破壊をはじめ、その他の中小型の艦艇や150機以上の航空機にも損傷を与えるという甚大なものでした。

 

一方の日本軍側の損害は、航空機損失29機、損傷74機、港湾内への侵入攻撃作戦を実施した特殊潜航艇「甲標的」5隻という、米軍側と比較して軽微なものでした。

 

 

真珠湾攻撃では空母を撃沈できず、これがその後の戦況に大きく影響した

 

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しかし、真珠湾攻撃の時、太平洋艦隊に所属していた航空母艦のレキシントンとエンタープライズは、航空機輸送任務のために真珠湾外におり、真珠湾攻撃による被害を免れました。

 

この2隻の空母が無事であった事は、その後の戦況に大きく影響を与えました。1942年5月、空母レキシントンは珊瑚海海戦で日本軍の軽空母祥鳳を撃沈する戦果を挙げ、エンタープライズは、ミッドウェー海戦をはじめ主要な海戦のほぼ全てに参加し多大な戦果を上げました。

 

 

 

真珠湾攻撃をわかりやすく解説③ 民間人の戦死者・犠牲者は米国側が約2400人で日本側は64人

 

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真珠湾攻撃による戦死者、犠牲者は、米国側の戦死者が2334人、民間人の犠牲者も68人でました。民間人を含む多大な犠牲者が出た事で、アメリカ国民の民意は大きく戦争へと振れる事になりました。

 

一方の日本軍側の戦死者数は、航空機の搭乗員55人、特殊潜航艇「甲標的」の搭乗員9人の合計64人でした。

 

 

 

真珠湾攻撃をわかりやすく解説④ 宣戦布告前の奇襲が卑怯だと宣伝された

 

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真珠湾攻撃は宣戦布告の前に行われた奇襲攻撃でした。

 

当初、日本側の計画では、真珠湾を奇襲する30分前に宣戦布告が行われるはずでしたが、計画が狂い宣戦布告がされたのは真珠湾攻撃が開始されてから約1時間後後の事でした。

 

これにより、真珠湾攻撃は「卑怯な騙し討ち」と宣伝されてアメリカ世論の戦意を大きく上昇させ、アメリカの対日戦争、そして、第二次世界大戦への本格参戦を招きました。

 

真珠湾攻撃の影響でアメリカの国民世論が大きく戦争参加に傾いた事については後半で改めて紹介します。

 

 

真珠湾攻撃をわかりやすく解説⑤ なぜ宣戦布告が遅れたのかの原因

 

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日本側の宣戦布告が遅れたため「卑怯な騙し討ち」となってしまった真珠湾攻撃ですが、なぜ宣戦布告が遅れたのか、その原因についてもみていきます。

 

 

日本政府は真珠湾攻撃前に宣戦布告を行う計画だった

 

日本政府は対米開戦の方針が御前会議で決まった後、昭和天皇は当時の東條英機首相に「開戦手続きをしっかりと行うように」と伝え、真珠湾攻撃の立案者である山本五十六連合艦隊司令長官も対米最後通告(宣戦布告)が、攻撃開始前に届くようにと何度も確認をしています。この事から、日本政府は攻撃前の宣戦布告を重要視していたのがわかります。

 

 

駐米日本大使館の不手際で宣戦布告が遅れる

 

真珠湾攻撃2日前の1941年12月6日には、東郷茂徳外務大臣が、駐米日本大使館に「帝国政府ノ対米通牒覚書(アメリカに対する最後通牒)」の最後の14部を発信(13部までは既に発信されていた)するので明日(7日)、本国からの命令が届き次第、いつでもアメリカ政府に手渡せるように準備をしておくようにと指示する電報を打っています。

 

ところが、6日の夜、駐米日本大使館食品は寺崎英成一等書記官の送別会のために全員出払っており、7日の朝に本国からの命令が届いた時には大使館に職員が誰もおらず、駐米日本大使館の郵便受けに大量の電報が放置されている事に気がついた海軍の実松譲駐在武官補佐官が大使館員に連絡するという有様だったようです。(ただし、当時の大使館員は事実と異なるとしてこれを否定している)

 

日本政府はアメリカに対する最後通牒(事実上の宣戦布告)をワシントン時間の12月7日の午後0時30分にアメリカ政府に渡すように駐米大使館に命令し、その後30分繰り下げて13時(真珠湾攻撃開始の19分前)に手渡すようにと命令が出ていました。

 

しかし、大使館は暗号の解読とタイプライターでのタイピングに手間取り、13時に会う約束をしていたハル国務長官に電話をかけ、独断で「面会時間を延ばしてほしい」と頼んでしまいます。

 

このような経緯があり、結局、野村吉三郎大使と来栖三郎特命全権大使が、アメリカ政府に最後通牒を手渡したのは、命令よりも1時間20分遅れた14時20分で、真珠湾攻撃が開始されてから既に1時間近くが経過していたのでした。

 

この大失態が、真珠湾攻撃が「卑怯な騙し討ち」と言われる原因となりました。

 

 

陸軍参謀本部が意図的に宣戦布告をギリギリまで遅らせたのが原因とする証言も

 

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真珠湾攻撃の当時、ワシントンDCの日本大使館で参事官を務めていた井口貞夫元駐米大使の息子の井口武夫元ニュージーランド大使が宣戦布告が間に合わなかった原因について重要な証言をされています。

 

井口武夫元ニュージーランド大使によれば、宣戦布告が真珠湾攻撃に遅れたのは、陸軍参謀本部が、アメリカに開戦の意図が察知される事を警戒して最後通牒(事実上の宣戦布告)をアメリカ政府に通告するのをギリギリまで遅らせるように画策したのが原因だという事でした。

 

陸軍参謀本部は、ギリギリまで日米開戦の意図を隠すために、外務省本省に協力させて、ワシントンDCの駐米日本大使館に対してもギリギリまで対米開戦を行う事を秘匿していました。

 

陸軍参謀本部が米国に開戦の意図を察知されることを恐れて、最後通牒をアメリカ側に通告するのを遅らせようとした。それに外務省本省が協力させられたのです。

ハル・ノートに絶望して対米開戦を決意した日本政府は、米国に企図を察知されないため、身内であるはずのワシントンの日本大使館にも、対米開戦について秘匿し続けました。

 

引用:真珠湾攻撃75年目の真実 〜なぜ対米通告は遅れたのか?

 

陸軍参謀本部は宣戦布告を真珠湾攻撃の直前にまで引き伸ばそうとした結果、宣戦布告が間に合わずに卑怯な騙し討ちになってしまった。

 

実際の責任は陸軍参謀本部や、その圧力に屈した外務省本省にあるが、彼らはその責任を回避するために、全ての責任をワシントンDCの日本大使館員に押し付けたのが真実だと主張されています。

 

ワシントンの日本大使館が通告遅延の全責任を負わされた。これが真相です。

 

引用:真珠湾攻撃75年目の真実 〜なぜ対米通告は遅れたのか?

 

この説については、井口武夫元ニュージーランド大使の著作「開戦神話 対米通告を遅らせたのは誰か」に詳しく書かれています。かなり説得力がある内容になっているので、真珠湾攻撃の真実に近づきたい人にはおすすめの本です。

 

 

 

真珠湾攻撃の真実はルーズベルトによる陰謀とする説も存在

 

出典:https://lifehack-analyzer.com/

 

真珠湾攻撃は宣戦布告前に行われた奇襲だったため、現在まで卑怯な騙し討ちと言われ続けていますが、その真実はアメリカのルーズベルト大統領(当時)が仕組んだ陰謀だったとする説も存在します。

 

真珠湾攻撃を受ける前のアメリカにはモンロー主義などの孤立主義があり、国民世論として他国の戦争に巻き込まれる事を嫌う傾向がありました。当時のルーズベルト大統領も世論の支持を得るために第二次世界大戦に参戦しない事を公約していました。

 

真珠湾攻撃陰謀論の大筋は、ルーズベルトがそうした国民世論を覆すために、事前に日本軍の真珠湾攻撃を察知していながら、実行に移されるように放置したとするものです。

 

アメリカ政府が真珠湾攻撃を事前に知っていた理由としては、暗号解読に成功していたという説や、日本でスパイ活動を行なっていたリヒャルト・ゾルゲが真珠湾攻撃の情報をスターリンに伝え、スターリンがルーズベルトに伝えたという説、ペルーの特命全権公使リカルド・シュライバーが情報を掴み本国に伝えたとする説など、様々な説が唱えられています。

 

真珠湾攻撃陰謀論は、ルーズベルト大統領は欧州戦線に参戦してドイツ軍と戦う事を目指していたものの、共和党と反戦世論の抵抗にあって実現は難しかった。そこで、あえて日本を挑発して真珠湾攻撃を誘発させ、一気に国民世論を参戦へと傾けたのが真実だとするものです。

 

これはいわゆる陰謀論で、歴史学者の間では否定する意見が大多数ですが、日本人だけでなく、アメリカ人の中にも真珠湾攻撃はルーズベルトが仕組んだ陰謀だとする説を真実だと信じている人が一部いるようで興味深いです。

 

この陰謀論を信じるアメリカの一部の人々は、ルーズベルト元大統領が真珠湾に駐留していた太平洋艦隊を生贄のように使って第二次世界大戦参加の口実にした事を強く批判していますが、少なくともルーズベルト大統領が日本軍の暗号を解読して真珠湾攻撃を察知していたという説は否定されています。

 

というのも、真珠湾攻撃に向かう際の日本の空母機動部隊は、隠密行動のために味方の艦船同士の無線通信を行なっておらず、アメリカ軍がそれを傍受する事は不可能でした。また、アメリカ軍は真珠湾攻撃の時点ではまだ日本海軍の暗号解読に成功していませんでした。

 

そのため、少なくともルーズベルト元大統領は真珠湾攻撃が行われる正確な日時までは把握していなかったと思われます。仮に日本を参戦に誘導しようという謀略があったとしても、真珠湾の太平洋艦隊を攻撃させようという意図はなかったと思われます。

 

 

 

真珠湾攻撃へのアメリカの反応

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

真珠湾攻撃に対するアメリカの反応はここまででも触れているように、卑怯な奇襲攻撃に対する怒りでした。それまで参戦に反対する人が大多数だった世論は一気に参戦へと傾き、一致団結しての戦争へと向かいました。

 

現在のアメリカの反応としても真珠湾攻撃に対しては怒りを覚えている人は多く、当時のスローガンであった「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」という言葉を現在でも使用する人もいます。反日的な一部の人の中には卑怯な真珠湾攻撃をした日本は原爆を落とされたのは当然と考えている人すらいるようです。

 

また、真珠湾攻撃は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロと同列に並べられて語られる事があります。それほどにアメリカ人によって真珠湾攻撃は卑劣な攻撃だと受け取られているという事でしょう。

 

一方で、アメリカの反応の中にも当時の日本の状況に理解を示し、戦争をする以外の選択肢がなかった。真珠湾攻撃がなくてもいずれ日本とアメリカは開戦していただろうと冷静に分析する見方もあるようです。

 

また、「今はもう真珠湾の事は怒っていないし、日本人をリスペクトしているよ。」といった親日的なアメリカの反応も多く見られ、あくまでも過去の歴史として捉えている人も多いようです。

 

ちなみに、アメリカの反応以外の海外の反応としては、超大国のアメリカに喧嘩を売った事自体が凄いと賞賛するような声も一部見られるようです。

 

 

 

真珠湾攻撃のその後の影響① アメリカ参戦で第二次世界大戦が拡大

 

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真珠湾攻撃はその後、様々な影響を及ぼしました。ここから、真珠湾攻撃のその後の影響を順番に見ていきます。

 

ここまで見てきたように、真珠湾攻撃がきっかけとなってアメリカは日本と戦争状態に入りました。そして、真珠湾攻撃の2日後の1941年12月10日にナチスドイツのアドルフ・ヒトラーは真珠湾攻撃を賞賛し、軍部の反対を押し切ってアメリカに宣戦布告をしました。

 

これによって、第二次世界大戦は太平洋やアジアまで拡大し、地球規模のまさしく世界大戦となりました。

 

 

 

真珠湾攻撃のその後の影響② アメリカ本土への日本軍上陸が危惧された

 

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真珠湾攻撃によってアメリカ海軍の太平洋艦隊は一時的に作戦能力を喪失し、これが、太平洋戦争序盤の日本軍の快進撃へとつながりました。

 

日本軍は1942年初めまでに、最初の攻略目標であった南方資源地帯を完全に占領下に置き、インドシナ半島も占領下に置く快進撃を続けました。

 

連合軍が劣勢に陥った事で、アメリカ本土への日本軍の上陸が危惧されるほどとなりました。実際に日本軍はアメリカ西部沿岸での潜水艦による通商破壊や、カリフォルニア州やカナダへの潜水艦による砲撃、航空潜水艦の艦載機による本土空襲などを実施して、アメリカ本土を脅かしました。

 

この事態を危惧したアメリカ政府は、日本軍のアメリカ本土上陸を実際に想定し、西沿岸地区への陸軍部隊の配置や、防空壕の整備などが行われました。また、アメリカ西海岸やカナダ、メキシコなどでは日系人の強制収容措置が行われています。

 

アメリカ国民の間でも、日本軍のアメリカ本土上陸は現実的な危機として捉えられていたようで、雑誌や新聞では実際の日本軍のアメリカ本土への上陸作戦をシミュレートするような内容の記事が掲載された事もあったようです。

 

 

 

真珠湾攻撃のその後の影響③ 航空機が主戦力とみなされるようになった

 

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真珠湾攻撃が実施された頃までは、世界の海軍の常識では、戦艦などの主力艦の撃沈は航空機では不可能という考え方が主流でした。

 

しかし、真珠湾攻撃によってアメリカ海軍の戦艦4隻が撃沈され残る4隻も大破させられた事で、そうした考え方は否定され、これを境に戦場の主役は戦艦ではなく航空兵力へと移っていきました。

 

真珠湾攻撃の2日後の1941年12月10日には、日本海軍の基地航空隊(96式陸攻と一式陸攻という大型の陸上攻撃機合計85機)が、航行中のイギリス海軍の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈した「マレー沖海戦」が発生しています。

 

これは、航行中の主力艦を航空戦力だけで撃沈した初の戦闘でした。

 

それまで最強の戦力とされていた戦艦が、集中運用された航空機によってあっさりと撃沈されてしまう事に気がついた各国は、戦艦よりも航空母艦の建造に力を入れるようになりました。

 

日本軍も航空戦力増強にさらに力を入れるようになりましたが、日本の国力では新たに空母を量産する事は難しく、苦肉の策として戦艦を後部に飛行甲板を設置した航空戦艦に改装したり、建造中だった大和型の3番艦を途中で空母に改造し装甲空母「信濃」を竣工させたりしています。

 

 

 

真珠湾攻撃のその後の影響④ アメリカ海軍が空母中心に再編成された

 

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真珠湾攻撃の後、主力戦艦を喪失したアメリカ太平洋艦隊でしたが、結果として戦艦中心の戦力が航空母艦中心の戦力に再編成される事を早めました。

 

アメリカ海軍は真珠湾攻撃後、空母の量産体制に入り、終戦までの間に最新鋭のエセックス級空母を24隻、軽巡洋艦の計画で起工していたクリーブランド級軽巡洋艦9隻の船体を流用して軽空母インディペンデンスにしたのをはじめ、小型の護衛空母などを含めて100隻以上の航空母艦を完成させています。

 

また、真珠湾攻撃を受けた艦船は寄港中であったため艦隊の乗員の多くは陸地におり、人的な被害は拡大しませんでした。そのため、乗艦を失った乗組員らは、新たに建造された空母へと配置転換される事になり、再編された空母部隊は速やかに実戦に投入されました。

 

 

 

真珠湾攻撃のその後の影響⑤ 結果的にアメリカの戦意が高まり日本は敗戦に向かった

 

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既に何度も触れていますが、真珠湾攻撃をきっかけにアメリカの世論は一気に日本との開戦に傾きました。

 

真珠湾攻撃から2日目の1941年12月9日(アメリカ時間)には、オレゴン州ポートランドで親しまれている日刊新聞オレゴニアン(The Oregonian)が、テキサス独立戦争での「アラモの戦い」でのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」になぞらえが、「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」というフレーズが掲載されるなど、一気に米国民の反日感情が高まりました。

 

当時のアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは、真珠湾攻撃翌日の1941年12月8日(アメリカ時間)に、アメリカ合衆国議会両院合同会議で演説を行い、日本の真珠湾攻撃について「恥知らずな蛮行」、「背信行為」と強く非難しました(汚名演説の通称で知られ、アメリカの政治家の演説史上最も有名な演説の1つ)。この演説によってアメリカ国民の愛国心が喚起され、「リメンバー・パールハーバー」はたちまち全米国民のスローガンとなりました。

 

アメリカ国民は真珠湾攻撃への怒りから一致団結し、若者は次々とアメリカ軍に志願入隊し、多くの国民が国債を買い求めました。

 

真珠湾攻撃の結果、アメリカの国力と民力はさらに高まる事となり、アメリカ軍の圧倒的な物量戦略を支えました。

 

結果として、日本軍はアメリカ軍の圧倒的な物量の前に1942年後半には戦況をひっくり返されて守勢に転じ、そのまま敗戦へと向かいました。

 

こうした経緯から、真珠湾攻撃によって日本の敗戦は決定づけられたと見る向きもあります。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1941年12月8日に行われた日本軍によるアメリカ太平洋艦隊基地への奇襲攻撃である「真珠湾攻撃」についてできる限りわかりやすくまとめてみました。

 

真珠湾攻撃がなぜ起こったのかの原因は、当時、日本はアメリカなどの反発を押し切って中国大陸に大兵力を送って日中戦争を戦っており、また、対米戦を意識した日独伊三国同盟を締結するなどしてアメリカとの対立を深めていました。

 

そうした背景の中で、アメリカやイギリス、オランダは石油の禁輸措置などの経済制裁を日本に対して行いました。これによって追い詰められた日本は、南方の資源地帯をの制圧を目指し、その作戦の大きな障害になるであろうアメリカの太平洋艦隊の撃滅を計画しました。また、国力に劣る日本は、初戦でアメリカ軍に大打撃を与えて早期の講和を狙っていました。

 

こうして計画されたのが真珠湾攻撃で、戦艦4隻撃沈、4隻大破という大戦果をあげた事で一応の成功を見ました。

 

しかし、宣戦布告が計画より遅れたために真珠湾攻撃は卑怯な奇襲攻撃となってしまい、また、民間人を含む約2400名ものアメリカ人が犠牲者(日本軍の戦死者は64人)となった事で、それまで戦争回避が主流であったアメリカ人の国民世論が一気に対日開戦へと傾き、結果として日米全面戦争へと突入する事になりました。

 

真珠湾攻撃のその後の影響については、アメリカ太平洋艦隊の作戦能力を一時的に喪失させた事により、開戦当初は日本軍の快進撃となりましたが、アメリカは旺盛な国民戦意に支えられて、圧倒的な物量戦略を取り、次第に日本軍は押し返され、最後には本土に原爆を落とされるという悲惨な敗戦へと進みました。

 

なお、真珠湾攻撃は当時のアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトによって仕組まれた陰謀だったのが真実だとする陰謀論が存在しますが、歴史研究家の間ではこの説を否定する意見が圧倒的に優勢となっているようです。

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