最強の新撰組メンバーは?強さランキングTOP18【2021最新版】

幕末の時代に尊攘派志士の弾圧や味方の粛清などで悪名を轟かせたものの何故か英雄視されている部隊「新撰組」ですが、強者揃いのメンバーの中で誰が最強なのか議論されています。

 

この記事では新撰組メンバーを強さ順に簡単な紹介などを交えてランキング形式でまとめました。

 

新撰組とは

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

「新撰組」は、江戸時代末期に京都の治安維持を目的に結成された部隊で、尊攘派志士の弾圧などで活躍後、戊辰戦争では旧幕府方に属して新政府軍と戦って敗北し壊滅しました。

 

当時、最強の戦闘集団として有名を馳せ、隊士は強者揃いだったと伝わっています。この記事では、新撰組の最強メンバーをランキングにして紹介します。

 

 

 

新撰組の最強メンバー強さランキング TOP18-16

 

18位 加納鷲雄

 

加納鷲雄(かのう・わしお)のプロフィール

 

生年月日:天保10年11月9日(1839年12月14日)

没年月日:明治35年(1902年)10月27日

 

加納鷲雄は伊豆国賀茂郡加納村の農民の長子として生まれ、子供の頃に剣術修行のために江戸へ上り、深川佐賀町の北辰一刀流千葉道場に入門し、伊東大蔵(後の伊東甲子太郎)に師事しています。この頃に神奈川奉行所で横浜外国人居留地の警備の任についています。

 

元治元年(1864年)の10月、新選組隊士募集(土方や斉藤ら幹部による直接勧誘)に応じ、伊東大蔵らと上洛し、その隊士となっています。その翌年春の組織再編で伍長に任命されていますが、2年後の慶応3年(1867年)3月、御陵衛士(高台寺党)の結成に参加し新選組を離脱。

 

その後起きた御陵衛士らと新撰組の抗争「油小路事件」では、暗殺された師・伊東甲子太郎の遺骸を引き取りにきたところで、新撰組隊士数十名に襲撃されますが、奮戦して脱出。

 

その年の12月18日に、その報復として伏見街道で近藤勇を襲撃しています。戊辰戦争では新政府軍に参加し、官軍に捕縛された後も大久保大和と名乗り正体を隠していた近藤勇の正体を見破りました。これによって近藤勇は斬首されています。

 

 

17位 新見錦

 

新見錦(にいみ・にしき)のプロフィール

 

生年  :天保7年(1836年)

没年月日:文久3年9月15日(1863年10月27日)?

 

 

新見錦は水戸藩の出身と言われ、新撰組の前身にあたる組織「壬生浪士組」では、近藤勇、芹沢鴨と共に局長を務めました。

 

新撰組結成後の内部対立にて、近藤勇や土方歳三らの勢力と対立し、最期は切腹させられています。

 

剣術は神道無念流免許皆伝の腕前で、「達人之趣ニ御座候(達人の趣にござそうろう)」との風説も伝わっています。

 

 

16位 谷三十郎

 

谷三十郎のプロフィール

 

生年  :天保3年(1832年)?

没年月日:慶応2年4月1日(1866年5月15日)

 

 

谷三十郎は備中松山藩出身で、幼少期より直心一派の師範の父から武術を学んでいます。その後家督を継ぎますが不祥事案により家が断絶となって出奔し、大坂南堀江町に道場を開いたとされます。

 

新撰組加盟の正確な時期は不明ですが、副長助勤、八番組長、七番組長・槍術師範などを歴任し、池田屋事件では土方隊に属して奮戦し、褒賞として17両を賜下されています。

 

慶応2年(1866年)4月1日に京都東山の祇園社で死去していますが、死因には諸説あり、斉藤一による暗殺説や、酒の飲み過ぎによる脳卒中説などがあります。

 

 

 

新撰組の最強メンバー強さランキング TOP15-9

 

15位 武田観柳斎

 

武田観柳斎(たけだ・かんりゅうさい)のプロフィール

 

生年  :不明

没年月日: 慶応3年6月22日(1867年7月23日)

 

 

武田観柳斎は本名を福田廣といい、松江藩の支藩である母里藩出身の医学生だと伝えられています。天誅組を組織して挙兵して幕府に討伐された藤本鉄石と交流していたため投獄されますが脱獄して脱藩し、江戸で甲州流軍学を修め、それに因んで「武田観柳斎」を称しました。

 

新撰組にまつわる史料「新選組金談一件」では、武田観柳斎が、伊東甲子太郎にならぶ「武芸の達者」との西村兼文の発言が記録されています。

 

甲州流軍学を修めていた事から、近藤勇に重用されました。

 

1866年に新撰組を脱退後、京都で密かに倒幕運動を行なっていたのが発覚し暗殺されています。

 

 

14位 平山五郎

 

平山五郎のプロフィール

 

生年  :文政12年(1829年)

没年月日:文久3年9月18日(1863年10月30日)

 

平山五郎は姫路藩または水戸藩の出身と言われ、堀川福太郎に師事して学んだ剣術は、神道無念流免許皆伝の腕前だったと伝わります。

 

過去に花火の事故で左目の視力を失い隻眼でしたが、それを弱点と見て左側から打ち込もうとすると、稲妻の如く切り返して逆に打ち負かされると伝わります。逆に右側の方が幾分隙があったとの記録も残されています。

 

文久3年8月、京都での強盗鎮圧では、鉄砲を撃ちかける賊を負傷しながらも討ち取る手柄をあげています。

 

しかし、芹沢鴨らと共に乱暴狼藉の数々が問題視されて暗殺命令が下り、宴会で泥酔させられた挙句、土方歳三や沖田総司らに討ち取られています。

 

 

13位 伊東甲子太郎

 

伊東甲子太郎(いとう・かしたろう)のプロフィール

 

生年月日:天保5年12月3日(1835年1月1日)

没年月日:慶応3年11月18日(1867年12月13日)

 

伊東甲子太郎は、常陸の志筑藩の出身でしたが、借財が発覚して家名断絶となり国外追放されます。その後、水戸へと渡って神道無念流剣術と水戸学を学んでいます。

 

北辰一刀流剣術伊東道場に入門して道場主の伊東誠一郎の婿養子となり、その後の1864年に藤堂平助の仲介によって新選組に加盟しています。

 

しかし、佐幕派である新撰組とは思想が対立し、後に脱退し同志ら14名と御陵衛士を結成し倒幕運動を開始。近藤勇を暗殺しようといているとの噂が流れたため、新撰組によって誘き出され、宴席で酔わされた上で襲撃され暗殺(油小路事件)されています。

 

剣術の腕前については、稽古では土方歳三を上回る腕とも伝わりますが、実戦での活躍はほとんど記録に残されていません。

 

 

12位 原田左之助

 

原田左之助(はらだ・さのすけ)のプロフィール

 

生年  :天保11年(1840年)

没年月日:慶応4年5月17日(1868年7月6日)

 

原田左之助は、伊予松山藩の中間の家に生まれますが、出奔して谷万太郎に師事して種田流槍術(宝蔵院流槍術とも)の免許皆伝を受けています。

 

新撰組には前身の浪士組の時代から参加し、十番隊組長を務め、芹沢鴨の粛清、池田屋事件、禁門の変、三条制札事件、油小路事件など、新撰組の主だった戦闘にはほぼ参加しています。

 

その後も、鳥羽・伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでも新撰組隊士として戦い、意見の違いから近藤勇らと別れてからも靖兵隊や彰義隊などで幕府方に属して戦い続けました。

 

上野戦争で負傷し、その怪我が元で29歳で死去したと伝えられています。

 

 

11位 井上源三郎

 

井上源三郎のプロフィール

 

生年月日:文政12年3月1日(1829年4月4日)

没年月日:慶応4年1月5日(1868年1月29日)

 

 

井上源三郎は、幕府の八王子千人同心世話役の子として生まれ、天然理心流の三代目宗家の近藤周助に師事し、土方歳三らと共に剣術を学び、10年以上をかけて万延元年(1860年)に免許皆伝を受けています。

 

文久2年(1862年)2月に、近藤勇や土方歳三らと新撰組の前身となる浪士組に参加し、文久3年(1863年)の芹沢鴨一派粛清後には副長助勤に任命されています。翌年の池田屋事件では、土方隊の副官として活躍し、8人の浪士を捕縛する手柄をあげました。

 

新撰組が幕府直参に取り立てられた際には副長助勤として扶持を受け、その翌年に勃発した鳥羽・伏見の戦いでも中心人物の1人として官軍と戦い、淀千両松の戦いで腹部に銃弾を受けて戦死しています。

 

 

 

新撰組の最強メンバー強さランキング TOP10-6

 

10位 芹沢鴨

 

芹沢鴨(せりざわ・かも)のプロフィール

 

生年  :不明

没年月日: 文久3年9月16日(1863年10月28日)?

 

芹沢鴨の出自については不明な点が多いのですが、水戸藩士の芹沢分家出身(本家筋とも)でその後に常陸国多賀郡松井村の神官・下村祐の婿養子になったとの説があります。

 

安政5年(1858年)の密勅返納阻止事件に関わり、万延元年(1860年)には玉造勢に加わり、近郊の豪商から強引な方法で資金調達を行ったため、幕府に訴えられて捕縛されて牢に入れられますが、その後に水戸藩内の力関係が変化したため、恩赦によって釈放されています。

 

そのすぐ後、芹沢鴨は将軍警護の名目で集められた浪士組に、新見錦らと共に参加し、近藤勇らと共に新撰組(最初は秩父浪士組)を結成し、その初代筆頭局長(頭取)に任命されています。

 

ただその後、近藤勇派との内部抗争の結果、愛妾のお梅と酔い潰れて眠っているところを刺客に襲撃され殺害されました。この暗殺については、芹沢鴨が悪行の限りをつくしその行動があまりに目に余ったため、会津藩が始末を命じたとの説もありますが確証はありません。

 

芹沢鴨は、剣術は神道無念流の免許皆伝の腕前で、当時の男性としてはかなり体格が大きかったとも伝わり、新撰組の中でも屈指の強さだったと言われています。

 

 

 

9位 服部武雄

 

服部武雄のプロフィール

 

生年  :天保3年(1832年)

没年月日:慶応3年11月18日(1867年12月13日)

 

服部武雄は、播磨赤穂藩の出身で、正確な時期は不明ですが新選組加盟後の元治元年10月の編成で尾形俊太郎率いる五番組に属しました。慶応3年3月の伊東甲子太郎らの新撰組離脱に加わり、御陵衛士を結成。「油小路事件」で新撰組の襲撃を受けて奮戦するも討ち取られています。

 

見事な体格を持つ剛力の士だったと伝わる二刀流の使い手で、剣術の他にも柔術、槍術の全てにおいて組内で1、2を争う腕前であったと称されています。

 

「油小路事件」では、あえてただ1人逃走が困難になる鎖帷子を着込み、仲間らが戦場から離脱する中でただ1人踏みとどまって激しい抵抗を見せて敵を引きつけ味方の撤退を助けました。

 

その死に様については、事件後の現場を見た桑名藩士・小山正武が、「物美事(もののみごと)である」と伝えています。

 

 

 

8位 吉村貫一郎

 

吉村貫一郎のプロフィール

 

生年月日:天保10年(1839年)?

没年月日: 慶応4年1月6日(1868年1月30日)?

 

吉村貫一郎は、盛岡藩目付の嘉村弓司の子で、軍役で江戸に出た際の、元治元年2月に北辰一刀流千葉道三郎に師事し、その後、盛岡への下向(帰還)命令を拒否して出奔し、その後、新選組の隊士募集に応じ上京し、新撰組に加盟しています。

 

鳥羽・伏見の戦いに参加して戦死したと見られていますが、正確な死亡日時は不明です。

 

北辰一刀流の使い手であったとされ、盛岡藩時代には藩道場指南役と藩校の助教を勤めた文武両道の士であったと伝わります。新撰組入隊時に永倉新八と互角以上に渡り合い、斎藤一の至近距離からの不意打ちにも冷静に対処して見せたと伝わり、新撰組内でも屈指の強さを誇ったと言われています。

 

 

 

7位 山南敬助

 

山南敬助のプロフィール

 

生年  :天保4年(1833年)

没年月日:元治2年2月23日(1865年3月20日)

 

山南敬は陸奥国仙台藩出身の武士だとされ、脱藩後に江戸に上り、小野派一刀流を免許皆伝、北辰一刀流の千葉周作門人となって、この頃に近藤勇と知り合い、その人柄に惚れて慕うようになったといいます。

 

近藤勇らと共に浪士組に参加して、その後の新撰組結成にも参加し新撰組総長にも任命されますが、伊東甲子太郎がその上席の参謀として新撰組に迎え入れられると、山南敬は古参者としての立場を失い、それが原因で近藤勇や土方歳三らと対立を深め脱走しますが、その後沖田総司によって捕縛され切腹して果てています。

 

北辰一刀流と小野一刀流を使う剣術の達人であったと伝えられています。

 

 

6位 藤堂平助

 

藤堂平助のプロフィール

 

生年  :天保15年、弘化元年(1844年)

没年月日:慶応3年11月18日(1867年12月13日)

 

藤堂平助は出自ははっきりしませんが、新撰組結成当時からの生え抜きで、斉藤一と並んで最年少幹部の1人でもありました。副長助勤、八番隊組長などを歴任しています。

 

北辰一刀流開祖・千葉周作の道場玄武館で剣術を学び、北辰一刀流目録を十代半ばで取得して剣術の天才だと伝わっています。深川中川町の伊東道場(伊東甲子太郎道場)を経て、天然理心流・近藤勇の道場試衛館に入門しています。

 

後に、伊東甲子太郎一派と共に新撰組を離脱し、油小路事件では、襲撃してきた新撰組の多勢に立ち向かい壮絶な討死を遂げたと伝わります。

 

 

 

新撰組の最強メンバー強さランキング TOP5-1

 

5位 斉藤一

 

斉藤一のプロフィール

 

生年月日:天保15年1月1日(1844年2月18日)

没年月日:大正4年(1915年)9月28日)

 

斉藤一は江戸の出身とされ、19歳の時に旗本と争いになって殺害してしまい、京都の剣術道場主・吉田某の元に身を寄せて、後にこの吉田道場の師範代になったとされています。

 

近藤勇らが結成した壬生浪士組に加わり、新撰組結成事には若年ながら副長助勤に抜擢され、その後には三番隊組長にも任命されています。一説によると、伊東甲子太郎一派の離脱の際にスパイとして御陵衛士に加わり、新撰組に戻る際にその活動資金を盗んだとも言われています。

 

戊辰戦争では会津藩に加わって新政府軍と戦い、会津藩降伏後も抵抗を続けますが、その後説得されて投降。

 

その後も生き延び、明治時代には警視庁に採用されて警察官を務めました(最終役職は麻布警察署詰外勤警部)。大正4年に72年の生涯を閉じています。

 

新撰組では沖田総司、永倉新八と並ぶ最強の剣士だった伝わり、永倉新八が弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語ったとする伝説も残されています。

 

 

 

4位 近藤勇

 

近藤勇(こんどう・いさみ)のプロフィール

 

生年月日:天保5年10月5日(1834年11月5日)

没年月日:慶応4年4月25日(1868年5月17日)

 

近藤勇は武蔵国の百姓の三男として生まれ、江戸牛込の天然理心流剣術道場「試衛館」に入門し、後に天然理心流宗家を継いでいます。

 

「浪士組」結成の呼びかけに応じて、近藤勇は試衛館の門人らと共にこれに参加しています。その後は新撰組を結成してその局長となり、旧幕府勢力に属して新政府軍と戦い続けました。

 

戊辰戦争において新政府軍に捕縛されて斬首に処され満33歳でこの世を去っています。

 

近藤勇は天然理心流の達人と称され、土方歳三や沖田総司の師匠にあたります。池田谷事件ではわずか4人で尊王攘夷志士ら数十人に切り込みをかけ散々に打ち破るなど、新撰組を率いて無敵の強さを誇りました。

 

 

 

3位 沖田総司

 

沖田総司(おきた・そうじ)のプロフィール

 

生年月日:天保13年(1842年)?

没年月日:慶応4年5月30日(1868年7月19日)

 

沖田総司は、陸奥国白河藩の足軽の家に生まれたとされ、9歳で天然理心流の道場・試衛館に入門し、ここで近藤勇や土方歳三と共に剣術を学んだとされています。

 

近藤勇や土方歳三の新撰組の結成にも加わり、精鋭が集められた一番隊の組長に任命されています。芹沢鴨の暗殺や大坂西町奉行所与力・内山彦次郎の暗殺に加わり、池田屋事件では近藤勇らと共に多勢の尊王攘夷志士へと切り込み活躍しますが、その戦闘中に喀血して戦線を退いた伝わっています。

 

その後病状が悪化して鳥羽・伏見の戦いには参加できず、匿われていた先で死去しています。死因は「肺結核」だと言われています。

 

天才的な剣士であったと伝わり、永倉新八が後年に、土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされ、本気で立ち合えば、師匠の近藤でもやられるだろうと皆が言っていたと語っていたとも言われています。

 

 

 

2位 永倉新八

 

永倉新八のプロフィール

 

生年月日:天保10年4月11日(1839年5月23日)

没年月日:大正4年(1915年)1月5日

 

永倉新八は松前藩江戸定府取次役の子として江戸で生まれ、その後剣術好きが高じて脱藩して武者修行に出て剣術を極め、江戸に戻った後に近藤勇の道場・天然理心流「試衛館」に食客として迎えられています。

 

新撰組入隊後は、二番隊組長と撃剣師範などを務めて中心人物として活躍し、池田屋事件では近藤勇や沖田総司と共に切り込んで奮戦し勇名を馳せました。

 

鳥羽・伏見の戦いでは、決死隊を編成して刀のみで新政府軍に突入するなど、獅子奮迅の戦いぶりを見せ、その武勇を轟かせました。

 

会津藩降伏後は松前藩士として帰参が認められ、樺戸集治監(刑務所)の看守の剣術師範役などを務めた後、東京牛込で剣術道場を開いています。

 

新撰組隊士だった阿部十郎は、後年に「一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順」と語っており、永倉新八の強さが新撰組一であったと語りました。

 

 

 

1位 土方歳三

 

土方歳三(ひじかた・としぞう)のプロフィール

 

生年月日:天保6年5月5日(1835年5月31日)

没年月日:明治2年5月11日(1869年6月20日)

 

土方歳三は武蔵国多摩郡石田村の豪農の子として生まれ、自宅の道場に指導に訪れた近藤勇と出会い、天然理心流に正式入門(試衛館)に正式入門しています。

 

近藤勇と共に、浪士組に参加して新撰組結成後は副長に任命され、局長・近藤勇の右腕としてその辣腕を奮いました。

 

戊辰戦争では旧幕府軍の指揮官の1人として各地を転戦し、箱館五稜郭防衛戦で銃弾を受けて戦死を遂げています。

 

土方歳三は、剣術の型にはとらわれず、地面の砂を蹴り上げて相手が怯んだすきに斬りかかるなど勝利のためには手段を選ばず、路上の戦闘では最強だったと伝わります。また、実質的に新撰組の戦術・戦略を担当し、指揮官としても極めて優秀な人物であり、トータルで見て最強の人物だったと評価されています。

 

 

 

まとめ

 

新撰組のメンバーは個性が豊かで、それぞれに際立った強さを持ち、誰が最強かというのは簡単には決められませんが、今回のランキングでは、その強者揃いの新撰組を実質的に指揮官として統率していたと言われる土方歳三を1位にしました。

 

新撰組は現在も人気のある題材なので、新たな史料の発見などによって今回挙げられていない人物も新撰組最強として名前が上がっていくるかも知れません。

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