戦国時代の大名・武将のイケメンランキングTOP20【2020最新版】

戦国時代時代には数多くの魅力的な大名や武将が活躍していました。今回はそんな魅力溢れる戦国武将・大名達の中から、特にイケメンだったと伝えられている20名を厳選し、文献やエピソードなどイケメンと言われる根拠、解説文付きのランキング形式でまとめました。

戦国時代の大名・武将イケメンランキングTOP20-16

 

20位:名古屋山三郎

 

出典:https://girlschannel.net

 

戦国時代のイケメン武将ランキング第20位は、名古屋山三郎という武将です。一般的にはあまり知られていない人物ですが、かぶき踊りの創始者として伝わる女性、出雲阿国(いずものおくに)の夫だったと伝わります。

 

様々な遊芸に長じた伊達男として、当時もかなり女性人気が高かったとされ、後に主君となる蒲生氏郷は、容姿端麗な名古屋山三郎を初めて見たとき美少女だと勘違いし、嫁に取るために身元を調べさせたという逸話が残されています。不破万作、浅香庄次郎と並び「戦国三大美少年」の1人に数えられます。

 

 

19位:島津豊久

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国イケメンランキング第19位の島津豊久は、薩摩島津家の猛将・島津家久の息子で、本人も父に劣らぬ勇将として戦国時代ファンの間でよく知られています。

 

実はこの島津豊久にも、かなりのイケメンだったという伝承が多数残されているのです。「倭文麻環(しずのおだまき)」という文献には「世に類いなき容顔美麗」と記され、同じく「薩藩旧伝集」にも「無双の美童」、「美少人」の記述が見られます。

 

島津豊久は、1600年の関ヶ原合戦で有名な「島津の退き口」の際に、敵中を突破する叔父の島津義久を助け、殿(しんがり・撤退戦の最後尾で敵を食い止める役目)として奮戦、壮絶な最期を遂げています。

 

 

18位:片倉重長

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国時代イケメンランキングの第18位は片倉重長です。伊達政宗の腹心として知られる片倉小十郎景綱の息子で、父に劣らぬ知勇兼備の名将として「鬼の小十郎」とも称されました。

 

「鬼」という異名からはとても想像がつかないのですが、この片倉重長にも、多くのイケメン伝説が残っています。中でも、衆道(ボーイズラブ)を嗜む小早川秀秋が片倉重長を見初め、ストーキングしていたという逸話はインパクト抜群です。

 

 

17位:山中鹿之介

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国イケメンランキング第17位にランクインしたのは山中鹿之介です。

 

中国地方の大名家・尼子氏に仕えた武将で、毛利氏によって尼子氏が滅ぼされた後も忠節を尽くし、月に尼子氏再興を祈願し「我に七難八苦を与えたまえ」と祈った逸話がよく知られています。

 

このように、衰退した主君に忠節を尽くし続けた例というのは戦国時代にはとても珍しく、その点で、山中鹿之介は心がイケメンだとして人気を集めています。

 

その容姿については、歴史書「雲陽軍実記」の中に「背丈は5尺あまり、中肉で色白く、容貌がすぐれた男」との記述が見られます。

 

 

16位:森蘭丸

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国イケメンランキング第16位は、織田信長の寵愛を受けた小姓(身近な世話をする係)として知られる森蘭丸です。

 

森蘭丸は、織田家の重臣である森可成の子供で、幼い頃から美童だったため織田信長に見出されて小姓を勤める事になったと伝わります。

 

森蘭丸もその生涯を織田信長のために捧げ、本能寺の変でも明智光秀の大軍を相手に信長を守って奮戦し、壮絶な討ち死にを遂げています。

 

 

戦国時代の大名・武将イケメンランキングTOP15-11

 

15位:高坂昌信(春日虎綱)

 

出典:https://twitter.com

 

武田家にまつわる歴史書「甲陽軍鑑」の作者だと言われている、高坂昌信ですが、その甲陽軍鑑の記述によれば、元々は農民の生まれだったが、その容姿が優れていた事で武田信玄に見出され、奥近習として召し抱えられたとされています。

 

信玄とは衆道(男色)の関係にあったとされ、信玄が高坂昌信と見られる人物に宛てて、浮気を必死に弁解する内容の手紙が残されています。(この宛先が本当に昌信だったかについては諸説あり)

 

 

14位:織田秀孝

 

第14位には、織田信長の実弟・織田秀孝がランクインです。

 

信頼度の高い歴史史料として知られる「信長公記」で、織田秀孝の容姿は「御膚は白粉の如く」「たんくわんのくちびる」「柔和なすがた」「容顔美麗」「中々たとへにも及び難き御方様」と、かなり具体的な描写でこれでもかと言うほどに賞賛されています。

 

織田信長の家系は美形の家系とされており、その特徴を特に色濃く受け継いでいたが、この織田秀孝だと言われています。

 

 

13位:小早川隆景

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第13位にランクインしたのは、中国地方の覇者・毛利元就の三男としてその父の覇業を兄弟達と共に支えた小早川隆景です。

 

江戸時代に成立した古典文学書「陰徳太平記」では、小早川隆景は「又四郎隆景は容姿甚だ美なりしかば」とその容姿の美しさを激賞され、そのため「義隆卿男色の寵愛浅からずして」と、毛利家の主家筋にあたる、大内義隆が、男色的に寵愛していたと記されています。

 

 

12位:竹中半兵衛

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国時代イケメン第12位にランクインしたのは、羽柴秀吉(豊臣秀吉)を支えた天才軍師として知られる竹中半兵衛です。

 

竹中半兵衛は「常山紀談」「太閤記」といった文献で細身でか弱な体格をしていて、物静かで柔和な人柄だったとされ「その容貌、婦人の如し」といった記述が見られます。

 

病弱で若くして亡くなっていますが、病気に冒された身体で最期まで秀吉に尽くし、その知略を持って秀吉の出世を陰で支え続けたとされています。私利私欲なく大義のために尽くすキャラクターが美青年なイメージにつながり、戦国屈指のイケメンキャラとして人気を集めています。

 

 

11位:浅井長政

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第11位は、近江国の戦国大名・浅井長政です。平均身長が150cm台だった戦国時代において、身長180cmを超える長身だったとされます。

 

浅井長政は、絶世の美女と伝わるお市の方(織田信長の妹)と政略結婚した人物ですが、2人は互いに一目見て惚れ合ったとされ、仲の良い夫婦として多くの子供を残しました。

 

浅井氏はその後、織田信長と敵対し争う事になるのですが、長政は信長に敗れて自害するまでの生涯を通してお市の方を愛し大切にし続けたとされます。こうしたエピソードから、現代にいたら夫にしたいイケメン戦国武将の1人として女性人気を集めています。

 

 

戦国時代の大名・武将イケメンランキングTOP10-6

 

10位:秋山虎繁

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国時代イケメンランキング・第10位にランクインした秋山虎繁は、甲斐国(現在の山梨県)や信濃国(現在の長野県)を支配した戦国大名・武田家に仕えた重臣で「武田二十四将」にも数えられる有名な戦国武将です。

 

秋山虎繁について、歴史書「三河後風土記」には「甲州一の美男」と記されています。そして、秋山虎繁がイケメンと言われる大きな理由は、そのロマンティックなプロポーズエピソードによるところが大きいでしょう。

 

1572年頃、秋山虎繁の主君・武田信玄は敵対する織田信長を攻撃するために西上作戦を開始しました。秋山虎繁は信玄の命を受けて信濃から織田の領国美濃国(岐阜県)の重要拠点・岩村城に侵攻します。

 

この頃、岩村城では、城主が病死し、後継者(信長の実子で養子として送り込まれていた)もまだ幼少であったため、奥方だった「おつやの方」が城主の役目を代行していました。

 

おつやの方は、織田信長の年下叔母で、美しい女性だったと伝わります。また、信長を慕い愛していたという巷説も存在します。

 

秋山虎繁は、そんなおつやの方が懸命に守備する岩村城に猛攻をかけ、落城寸前まで追い込みました。そして、降伏を促す使者を遣わし、「城兵の命は全て助けるが、その代わりにおつやの方を自分(秋山虎繁)の正室として迎えたい」という条件を伝えます。

 

おつやの方はこれを承諾するのですが、その後2人の間に子供が誕生している事や、残された記録から2人が美男美女夫婦だと想像させられる事などから、単なる戦争の駆け引きによる婚姻ではなく、なんらかの恋愛的要素もあったのではないか?戦国時代ならではの激情的な恋物語があったのではないか?とロマンティックな想像が掻き立てられるのです。

 

それから約2年の間、2人は夫婦生活を送っていますが、その後、長篠の戦いで大敗した事で武田家が衰退し、織田家の反攻を受けて岩村城も陥落、秋山虎繁は織田信長に騙されて降伏したところを逆さ磔にされたとされます。また、自分を裏切った事が許せななかったのか、信長はおつやの方を自ら手討ちにしたと伝えられています。

 

 

9位:上杉景虎

 

戦国時代のイケメンランキング第9位は、越後国の戦国大名・上杉謙信の養子の上杉景虎です。

 

上杉景虎は、関東地方一帯に勢力を伸ばした戦国大名・北条氏康の七男で、長年争ってきた上杉家と北条家の同盟(越相同盟)が成立した時に、同盟の証として越後に送られた人質でした。

 

この上杉景虎は、正史に記述はありませんが、野史(民間で伝わるお話などの類)に「三国一の美将」「三郎殿(上杉景虎の別名)と一夜契れば」「坂東(関東地方の事)に隠なき美男」など、その容姿が非常に優れていた事を表す記録が多数残っています。

 

上杉謙信は、この上杉景虎の容姿を一目見て気に入ったとも伝わり、実際に謙信は上杉景虎をかなり厚遇しており、養子に迎えて自分の初名である「景虎」の名を与え、北条家との同盟が破綻した後も、北条家に追い返す事をせず、養子として自分の手元に置き続けました。

 

 

8位:前田利家

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第8位には、織田信長の若い頃からの家臣・前田利家です。

 

加賀百万石の創始者として知られる豊臣政権の柱石というイメージが強い前田利家ですが、信長に10代の頃はかなり暴れん坊な性格だったとされ、現代風に言えば「札付きの不良」のような若者でした。

 

その風貌は180cmを超える長身に細身で引き締まった体型だったとされ、傾奇者として派手な服装を着こなし、槍の使い手としてその名を他国にまで轟かす戦場の華のような存在でした。

 

こうした枠にはまらないダイナミックさが信長に気に入られ、四男坊ながら異例の出世を遂げ、その後、大大名の地位にまで上り詰めたのでした。

 

 

7位:井伊直政

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第7位には、徳川家康のもっとも信頼を置いた武将として知られる井伊直政がランクインです。

 

井伊直政は、名将揃いの徳川家臣団の中でも屈指の名将として知られ、武田軍最強と言われた「赤備え」を引き継ぎ、「井伊の赤備え」として戦場にその名を轟かせました。

 

そんな井伊直政は、数々の文献に、美男子だったため、徳川家康に気に入られたという記述が残されています。また、とても女性に優しい性格で、当時の女性達から人気がとても高かったという記録も残ります。

 

 

6位:直江兼続

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第6位のイケメン戦国武将は、上杉謙信の跡を継いだ越後大名・上杉景勝の宰相として、その辣腕を振るった直江兼続です。

 

182cmの高身長に端麗な風貌を持ち、その上、武略、政治手腕にも優れた才気あふれる男として若い頃から各国にその名を轟かせました。

 

豊臣秀吉にも多いに気に入られ、上杉家に使える身でありながら、秀吉から直接米沢に30万石もの大領を知行されています。

 

 

 

戦国時代の大名・武将イケメンランキングTOP5-1

 

5位:織田信長

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国のイケメンランキング第5位は、戦国の革命児とも言われる大名・織田信長です。

 

織田信長の容姿について、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスは「中くらいの背丈」「華奢な体格」「ヒゲは少なめ」と書いています。

 

織田一族は美男美女が多いことがよく知られており、このフロイスの描写と合わせると、織田信長は、細身で中性的な整った顔立ちをしていたと想像させられます。

 

 

4位:長宗我部元親

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国のイケメンランキング第4位は、四国の戦国大名・長宗我部元親です。

 

長宗我部元親は嫡男として生まれましたが、幼少期は長身ながら細く痩せて色白い顔立ち、性格もぼんやりとしていておとなしい事から家臣らから「姫若子」などと影で揶揄されていたと伝わります。

 

しかし、いざ戦場で初陣を飾ると、今までの軟弱な評判が嘘だったかのような大活躍を見せて敵を瞬く間に打ち破り、それまで馬鹿にしていた家臣らの度肝を抜き、それ以降は「鬼若子」と呼ばれるようになったという逸話が残ります。

 

こうしたエピソードから、長宗我部元親は、容姿性格も含めてかなりのイケメン武将だった事が想像されます。

 

 

3位:宇喜多秀家

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国のイケメン第3位は、備前岡山の戦国大名・宇喜多秀家です。

 

宇喜多秀家は、父の宇喜多直家が早くから秀吉に従ったため、幼少期の秀吉に気に入られ「秀」の字を与えられて秀家と名乗り、秀吉の養子にもなっています。

 

戦国期の末期に元服した上、時代の覇者であった秀吉に多いに気に入られた宇喜多直家は、おおらかでお坊ちゃん的な性格に育ったとされますが、そのためか汚れのない真っ直ぐな性格だったとされ、秀吉の死後もその恩義を忘れず、関ヶ原合戦では豊臣家を守るために西軍の主力として奮戦しています。

 

その汚れの無い性格は、当時の多くの人々に愛されたようで、関ヶ原合戦の首謀者の1人でありながら死罪にならず、八丈島に流され、貧乏な暮らしながら多くの関係者からの支援を受けてその余生を全うしました。

 

その容姿については、170cmを超える当時としては長身で顔立ちはとても美しかったと伝えられています。

 

 

2位:木村重成

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

戦国のイケメン第2位は、大坂夏の陣で豊臣家に殉じ、若き勇将と称えらえる木村重成です。

 

「絶世の美男子」と伝わり、秀吉亡き後衰退を見せる豊臣家に忠義を尽くし、大坂の陣では豊臣軍本体のエース的存在として抜群の活躍を見せました。

 

最後は壮絶な討ち死にを遂げるのですが、木村重成はもとより戦死を覚悟しており、兜の緒は固く結ばれて紐の端を切って2度と兜を脱ぐつもりはないという覚悟を表し、頭髪には香を炊き込んでありました。

 

こうした決死の覚悟を見た徳川家康は、木村重成の首を前に「これこそが武士の鑑」だと激賞したと伝えられています。

 

 

1位:明智光秀

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第1位は、2020年大河「麒麟がくる」の主人公で旬の武将という事で、本能寺の変で有名な明智光秀がランクインしました。

 

明智光秀の若い頃は謎に包まれていますが、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが記した「日本史」に明智光秀の子女はヨーロッパ諸国の貴公子のようだと記録されており、その父である明智光秀も若い頃は貴公子のような人物だったと想像されます。

 

「麒麟がくる」では、俳優の長谷川博己さんがヒーロー的キャラクターの明智光秀を演じていますが、まさにそんなイメージのイケメンだったのではないでしょうか?

 

 

まとめ

 

今回は、戦国時代の大名や武将のイケメンランキングをまとめてみました。

 

有名武将からマニアックな武将まで20人を紹介しましたが、その容姿だけでなく、魅力的な数々のイケメンエピソードがあるのも戦国時代の人物の特徴です。

 

そうしたイケメンエピソードを持つ戦国武将や大名はここで紹介した以外にも大勢いるので、興味のある方は是非調べてみてください。

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