戦国時代の大名・武将の人気ランキングTOP100【2020最新版】

戦国時代には数多の英雄や偉人達がひしめき合った時代です。

 

今回は、そんな戦国時代の武将・大名達の中から、特に人気の高い人物100名を厳選してランキング形式で紹介します。その人物の簡単な紹介やエピソード、肖像画なども合わせてまとめました。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP100-96

 

100位:甘粕景持

 

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戦国時代の大名・武将の人気ランキング第100位は、越後大名・上杉謙信の重臣・甘粕景持です。

 

甘粕景持は知名度こそ低いですが、「上杉四天王」の1人に数えられ、「謙信秘蔵の侍大将」とも称された名将です。

 

第4次川中島合戦時、妻女山の麓千曲川沿いに布陣し、謙信本隊の背後を突こうと追撃する武田の別働隊を食い止める役目を負い、10倍以上の敵を相手に激戦を繰り広げました。

 

99位:十河一存

 

第99位、十河一存は、戦国時代の初期、畿内一帯に勢力を広げ、絶大な権勢を誇っていた三好長慶の弟で、家中随一の猛将として活躍「鬼十河」の異名で恐れられました。

 

先頭に立って敵陣に切り込むため、味方将兵から絶大な人気を誇り、「十河額」と呼ばれた十河一存の髪型を真似する者が多かったと伝わります。

 

98位:小島弥太郎

 

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人気第98位の小島弥太郎は、上杉謙信の幼少時代からの護衛役で、大猿退治などの伝説が残る剛勇の士です。その武勇から「鬼小島弥太郎」の名前で知られています。

 

上杉家と長年抗争を繰り広げた武田家の最強の武将・山県昌景は、小島弥太郎の事を「花も実もある勇士」と賞賛したとの逸話が残されています。

 

97位:三好長慶

 

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戦国時代初期に、畿内の覇権を握っていたのはこの、三好長慶でした。

 

織田信長よりも先に堺の町の貿易がもたらす経済の重要性に気がついており、その経済力を武器に絶大な権力を作り上げました。

 

さらに言えば、信長が天下の覇権を握るのに先んじて絶対的な権力を掌握した人物であり、一番早く天下一統を成し遂げたのは、この三好長慶であると唱える研究者も存在します。

 

96位:斎藤利三

 

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戦国人気ランキング第96位の斎藤利三は、明智光秀が最も重用した重臣として知られる武将です。

 

明智軍最強の猛将である一方、茶の湯を嗜む教養人だったとされています。自分を引き立てた主君・明智光秀の恩義に報いるべく、本能寺の変や山崎の合戦でも活躍しますが、最後は秀吉に捕縛され斬首されたとされます。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP95-91

 

95位:新納忠元

 

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戦国時代の大名・武将人気ランキング第95位は、薩摩島津家の重臣・新納忠元です。

 

精強で知られる島津軍の中にあって、「鬼神のごとし」と称された猛将であり、島津家の主だった合戦の数々に参戦し活躍しています。また、島津家に尽くした忠臣としても知られています。

 

和歌や連歌を嗜む教養人であったとされ、攻城戦の際に敵方のこもる場内に向けて「秋風に 水俣落つる木ノ葉哉」と詠んだ句を矢文にして射かけたところ、城将・犬童頼安が「寄せては沈む 月の浦波」と射返したという逸話が残されています。

 

94位:小西行長

 

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第94位の小西行長は、豊臣秀吉に仕えた武将で、関ヶ原の合戦の首謀者の1人としても知られています。商人から武士になった異色の経歴を持ち、また、熱心なキリシタンでもありました。

 

吏僚的なイメージが強い小西行長ですが、実は戦場での槍働きも目覚ましく、同じく秀吉の家臣・加藤清正とは仲が悪かった事もあって、度々功を争いました。

 

93位:九鬼嘉隆

 

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第93位は、海賊大名として知られる九鬼嘉隆です。伊勢志摩を拠点として「九鬼水軍」を率い、織田信長や豊臣秀吉の臣下として、数々の海戦に参戦、勇名を馳せました。

 

特に有名なのは、日本最強の水軍と言われていた毛利水軍を撃破した「第二次木津川口の戦い」です。九鬼嘉隆は鉄板を張り大砲を装備した巨大な鉄甲船を駆使して戦い、毛利水軍を完膚なきまでに打ち破りました。

 

92位:豊臣秀次

 

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第92位は、豊臣秀吉の甥で、秀吉の後継として関白の座にも就いた豊臣秀次です。

 

これまでは、愚将というイメージの強った豊臣秀次ですが、近年の研究では教養に優れた知識人であったとして再評価を受けています。

 

豊臣秀次は学問に励み、古典文学を全国から収集しその保護に努め、茶道や連歌を嗜むなど、戦国時代を代表する教養人であったとし、そのイメージを新たにする動きが出てきています。

 

91位:南部晴政

 

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第91位は、東北地方の大名・南部晴政です。

 

戦上手で武勇に優れた名将で、家督を継いでから南部家の勢力を拡大させ、一時は青森県下北半島から岩手県北上川中央部にまで及ぶ広大な領土を築き、「三日月の丸くなるまで南部領(南部領を歩き切るには、三日月が満月になるほどの時間がかかるほど大きい)」と謳われたと言います。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP90-86

 

90位:真田大介

 

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戦国時代の大名・武将人気ランキング、第90位は、真田信繁(幸村)の息子・真田大介(幸昌)です。

 

真田大介は、祖父・真田昌幸と父・真田信繁が関ヶ原で西軍についた罪で改易され、紀州九度山に流刑になっていた頃に誕生したとされます。

 

「大坂の陣」が勃発すると、父信繁に従って大坂城に入城、初陣ながら敵の首を取る武勇を示しました。大坂落城時には、豊臣家から恩顧もないのだから逃げるようにと周囲から勧められるも、これを拒否して豊臣秀頼に殉じ、美談として語り継がれています。

 

89位:筒井順慶

 

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第89位は、大和国の大名・筒井順慶です。

 

父が急逝したためわずか2歳で家督を継いだ順慶は、島左近、高山右近らの優秀な武将達に支えられながら領国を守るために戦い続けた苦労人です。

 

最大の敵となったのは、当時畿内最大の勢力だった三好家の重臣として権勢を誇った松永久秀で、筒井順慶は何度も松永によって居城・筒井城を追われながらも、粘り強く戦って奪還する事を繰り返しました。

 

その後も、勢力を伸ばした織田家への臣従するなどして苦闘し、筒井家を必死に守り続けました。

 

88位:北条高広

 

第88位の北条高広は、上杉謙信に従った越後・北条城の国衆で、「器量・骨幹、人に倍して無双の勇士」と謳われるほどの武勇の士だったとされます。

 

ただ、上杉軍団一の粗忽者(軽率でそそっかしい事)とされ、それによって、武田家や北条家の調略に度々引っかかり、何度も謙信に対して反乱を起こしています。

 

ただ、武勇の士でありながら単純という、北条高広の脳筋的な性格を、謙信は好意的に見ていたようで、反乱するたびに鎮圧してその罪を許し、再び重用しています。

 

87位:稲葉一鉄

 

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第87位の稲葉一鉄は、美濃国の国衆で、最初美濃斎藤家に仕えていましたが、織田信長が美濃に侵攻するとこれに降りその配下となりました。

 

武勇の士であるとともに教養に優れ、また、一本気で高潔な人柄であったと伝わります。決して筋を曲げないその生き様から、頑なである事を意味する「一徹」の語源となったとする説があります。

 

また稲葉一鉄は、徳川家光の乳母として知られる春日局の外祖父としても知られています。

 

86位:土屋昌恒

 

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第86位は、武田家に仕えた武勇の将・土屋昌恒です。

 

武田信玄の跡を継いだ武田勝頼は、長篠合戦での敗戦から、次第に織田家に押されるようになり、1582年、ついに織田軍の本格侵攻を受けて逃亡する事になります。

 

武田家の一門や、譜代の家臣らが次々と織田方に降伏したり逃亡したりする中、この土屋昌恒は、最後まで武田勝頼の側にあって護衛し続けました。

 

武田勝頼が妻や子供らを連れて、甲斐国の天目山へと逃亡した際、勝頼らが自害する時間を稼ぐために1人峠に立ち塞がり、迫り来る織田の大軍を次々となぎ倒したという武勇伝が残されています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP85-81

 

85位:宇佐美定行

 

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戦国時代の大名・武将人気ランキング第85位は、上杉謙信の軍師を務めたと伝承される宇佐美定行です。

 

実在した確認は取れていない武将ですが、軍記物などに登場し、軍神と恐れられた上杉謙信の片腕として影で支え続けた人物として描かれます。

 

84位:母里太兵衛

 

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第84位の母里太兵衛は、黒田官兵衛、黒田長政などで知られる大名・黒田家の家臣で、「黒田二十四騎」にも数えられる猛将です。

 

同じく豊臣家の家臣・福島正則の元へ、黒田長政の使者として遣わされた母里太兵衛は、福島正則に酒を勧められますが、仕事中だからと、それを断りました。

 

酒癖の悪い福島正則はしつこく絡み、大盃になみなみと注がれた酒を母里太兵衛に示して「これを飲んだら好きな褒美をやる、それとも黒田武士は酒を飲むと役に立たないのか?」などと挑発してきました。

 

これを受けた母里太兵衛は、大盃に注がれた酒を数杯次々と飲み干し、約束の褒美として福島正則が秀吉から拝領した「日本号」という名槍を所望します。

 

福島正則は悔しがりながらも、武士に二言はないとして、この槍を母里太兵衛に与えたとと伝わります。

 

83位:陶晴賢

 

第83位の陶晴賢は、戦国初期、中国地方の大勢力だった大内氏に仕え、西国無双の侍大将とも称えられた武将です。

 

反乱を起こして、主君である大内義隆を自害に追い込み、大内家の実権を握りますが、「厳島合戦」で毛利元就の謀略の前に敗れ、自害して果てました。

 

後世、あまり良い評判のない陶晴賢ですが、遊興に耽る主君・大内義隆に対して果敢にクーデターを起こしてそれを成功させた事から、戦国期の英雄の1人として意外な人気を誇る人物です。

 

82位:今川氏真

 

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第82位は、駿河の大名・今川家の当主・今川氏真です。

 

海道一の弓取りと言われた名将・今川義元が「桶狭間合戦」で敗死した事で跡を継いだ今川氏真は、その後今川家を衰退させ滅亡に追い込んだ愚将として知られています。

 

武将としては能力が低かったとされる今川氏真ですが、和歌・連歌・蹴鞠などに長けており、今川家が滅亡した後はこうした特技を活かしてしぶとく戦国の世を渡り歩いており、京都に上って、公家達ら文化人との交流を深め、その繋がりを通じて楽しく余生を送っていた様子が見て取れます。

 

81位:足利義輝

 

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第81位は、足利幕府13代将軍・足利義輝です。

 

足利義輝は、剣豪・塚原卜伝から剣術を学び、奥義「一之太刀」を授かったと伝えられ、「剣豪将軍」の異名でも知られています。

 

事実、武術に優れた人物だったようで、三好家や松永久秀によって足利義輝が殺害された事件「永禄の変」では、自ら薙刀を振るって押し寄せる敵兵をなぎ倒し、その後は刀を抜いて敵を次々と斬り伏せ、その武勇に多くの者が驚嘆したという記録が残ります。

 

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP80-76

 

80位:可児才蔵

 

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戦国時代の大名・武将の人気ランキング第80位は、数々の武将に仕官し、戦場を渡り歩いた無双の兵として知られる可児才蔵です。

 

可児才蔵は槍の名手として知られ、あまりにも多くの首を取るため戦場で持ち運べず、目印として打ち取った首に笹の葉を挿しておいたとされます。そこから「笹の才蔵」の異名で呼ばれ、当時から戦場の有名人だったと伝わります。

 

79位:福島正則

 

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第79位は、豊臣秀吉の子飼いの武将として有名な福島正則です。

 

福島正則は武勇に優れた猛将でしたが、その反面思慮に浅く、度々暴力的な事件を起こしたことが知られています。

 

酒に酔った勢いで家臣に切腹を命じたところ、酔いが覚めてから誤りに気がつき、その家臣の首を前に泣いて謝罪したというエピソードや、恐妻家で妻にだけは頭が上がらなかったというエピソードなど、人間臭い逸話が多い事も福島正則の人気につながっています。

 

78位:斎藤朝信

 

第78位の斎藤朝信は、上杉謙信に仕えた名将で、上杉軍の中核として数多くの合戦で武功を挙げました。

 

軍略に優れるばかりでなく、外交面や内政面でもその手腕を発揮し、私利私欲の無い人格者であった事から謙信の信頼が厚く、最重要拠点にはいつも斎藤朝信を派遣し守備させています。

 

77位:宇喜多秀家

 

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第77位は、豊臣秀吉からの寵愛を受けた備前国の大名・宇喜多秀家です。

 

幼少時代から宇喜多家の当主として秀吉に従い、元服すると「秀」の字を与えられ、養子に迎えられるという厚遇を受けています。

 

宇喜多秀家は秀吉から受けた恩義を忘れず、関ヶ原合戦では西軍の主力として奮戦しています。私利私欲ではなく、筋を通すために西軍主力となった事から好感度の高い人物です。

 

76位:大友宗麟

 

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第76位の大友宗麟は、北九州に勢力を広げた戦国大名で、大陸や東南アジアと積極的な海外貿易を行い経済基盤を確立、先進的な国家を築き上げました。

 

晩年は、キリスト教に帰依し、旧来の寺社仏閣を破壊するなどキリスト教普及のためにかなり乱暴な事もしていますが、一方で、領内に西洋医学の診療所を作り、領民に無料で治療を受けさせるなど、かなり先進的な政策も行なっています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP75-71

 

75位:仁科盛信

 

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第75位は、武田信玄の五男・仁科盛信です。

 

仁科盛信は、信玄死後に武田家を継いだ腹違いの兄・武田勝頼を補佐して活躍しました。長篠の敗戦後織田信長軍の侵攻を受けて、次々と離反したり降伏したりしていく武田家中の中で、この仁科盛信だけは徹底抗戦の構えを貫きました。

 

信濃国の要衝・高遠城に籠城して織田の大軍を迎え撃ち、500名の城兵共々壮絶な戦死を遂げています。

 

74位:里見義弘

 

第74位は安房国の大名・里見義弘です。

 

里見義弘は、強大な敵である北条家と戦い、苦戦しながらも領国を保ち続けました。一時は存亡の危機にまで追い詰められますが、「三船山の戦い」で北条軍撃退して起死回生を果たし、その後里見氏の最大の版図を築いています。

 

また、領民の声によく耳を傾ける民政家だったとも伝わっています。

 

73位:尼子経久

 

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第73位の尼子経久は、戦国初期の大名で、一時は浪人となりながらも、自身一代で尼子家を中国地方11カ国にまたがる一大勢力にまで押し上げた実力者です。

 

自分の物を褒められると、それを惜しげも無くその人に与えてしまい、庭の松の木を褒められれば、引き抜いて薪にして与えてしまったという豪胆な逸話が残ります。

 

また、冬になって寒そうにしている配下がいると、自分の着物を脱いで与えるなど、家臣を慈しんだ逸話が残ります。こうしたエピソードもあり、尼子経久を「天性無欲正直の人」と評する記録が残されています。

 

72位:武田信虎

 

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第72位は、武田信玄の父親・武田信虎です。

 

残虐非道な人物だったとされますが合戦に強く、次々と近隣勢力を従えて勢力を伸ばしました。

 

息子の武田信玄に追放されてしまいますが、その後は今川家に身を寄せた後京に上り、足利幕府に奉公したと記録が残されています。

 

71位:長尾為景

 

第71位は、上杉謙信の父親・長尾為景です。

 

長尾家は、越後守護代の家系でしたが、長尾為景は守護上杉家に対して反乱を起こして激闘の末に破り、守護の養子・上杉定実を新守護として擁立し越後国の実権を握りました。

 

こうした経緯から、長尾為景は、戦国時代の下克上を代表する武将の1人に数えられています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP70-66

 

70位:秋山虎繁

 

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戦国時代の大名・武将の人気ランキング第70位は、武田信玄配下の猛将・秋山虎繁です。

 

秋山虎繁は「武田二十四将」にも数えられる武将で、徳川家や織田家に対する最前線を担った武将の1人です。

 

岩村城の女城主だった、織田信長の叔母「おつやの方」に婚姻を条件に開城させて夫婦になったエピソードがよく知られていますが、この逸話は信憑性が疑われています。

 

69位:蜂須賀正勝

 

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第69位は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の股肱の家臣で、元は尾張国の国衆(土着の武士)で、秀吉の「墨俣築城」に協力したのを契機に秀吉の下で働くようになったとされ、その後の秀吉の活躍に大いに貢献したとされます。

 

68位:佐竹義重

 

第68位は「鬼義重」とも恐れられた、常陸国の大名・佐竹義重です。

 

佐竹義重は、南に北条家、北に蘆名家、伊達家といった強敵に囲まれながらも、巧みな外交と軍略で名勝負を繰り広げ、佐竹家最大の版図を築き上げました。

 

67位:北条綱成

 

第67位は北条家一の猛将といわれる北条綱成です。

 

北条綱成の名を轟かせたのは、北条家飛躍のきっかけともなった「河越夜戦」です。北条綱成は、扇谷上杉家、山内上杉家、古川公方家らの連合軍8万に包囲された河越城に籠城して半年間も城を守り抜き、北条氏康本隊の夜襲を成功に導きました。

 

その武名は近隣諸国にまで伝わり、その旗指物から「地黄八幡」の名で勇名を轟かせました。

 

66位:藤堂高虎

 

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第66位は、多くの大名家を渡り歩き、出世を果たした事で知られる藤堂高虎です。

 

藤堂高虎は、浅井長政に足軽として仕えたのを皮切りに、磯野員昌、織田信澄、豊臣秀長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康などをはじめとし、生涯で10回以上も仕える主君を変えています。

 

築城の名手として知られ、数々の名城の築城に携わった事でも有名です。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP65-61

 

65位:細川藤孝

 

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戦国時代の大名・武将人気ランキングの第65位は、足利将軍家の復興に尽力した細川藤孝です。

 

室町幕府第13代将軍・足利義輝に仕え、義輝が「永禄の変」で殺害された後、義輝の弟の足利義昭を擁立して将軍家を再興しようと奔走、織田信長の力を借りて義昭を奉じて京都に戻る事に成功。その後は次第に織田信長の家臣に組み入れられました。

 

和歌や茶道に通じた文化人であると同時に、剣豪・塚原卜伝直伝の剣術をはじめ武芸百般に通じた、才気あふれる人物だったと伝わります。

 

64位:長宗我部盛親

 

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第64位は、四国の大名・長宗我部盛親です。

 

長宗我部盛親は、「土佐の出来人」こと長宗我部元親の息子で、長兄・長宗我部信親が九州征伐に従軍して戦死し、次兄、三兄は養子として他家を継いでいたため、四男ながら長宗我部家の家督を継ぐ事になりました。

 

関ヶ原合戦で西軍に味方したため、戦後に改易され浪人になりますが、大坂の陣での豊臣家からの招集に応じて大阪城に入城し、夏の陣では城から打って出て徳川方の藤堂高虎隊を壊滅させる大活躍を見せました。

 

63位:明石全登

 

第63位は、同じく大坂の陣で大活躍した明石全登です。

 

宇喜多秀家の家老で、関ヶ原合戦時の宇喜多勢1万7千の内、8千の先鋒部隊を率い、東軍主力の福島正則隊と激戦を繰り広げました。

 

関ヶ原敗戦後は浪人となりますが、大坂の陣で大阪城に入城、徳川方を翻弄する活躍を見せます。戦後、逃亡した明石全登を恐れた家康が「明石狩り」を行なったとの記録が残ります。

 

62位:今川義元

 

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第62位は「桶狭間の合戦」で織田信長に討たれた事で有名な戦国大名・今川義元です。

 

織田信長の引き立て役のイメージが強い今川義元ですが、「海道一の弓取り」とも評された優秀な武将です。分国法である「今川仮名目録」の制定や、経済を重視した政策をとるなど、先進的な発想を持つ人物だったとされます。

 

61位:木村重成

 

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第61位の木村重成は、大阪の夏の陣で豊臣軍の主力として活躍し、敵味方から称えられた勇将です。

 

二度と脱ぐつもりが無いという決意で兜の緒を固く結んで端を切り落とし、頭髪に香を炊き込み、死を覚悟して出陣したというエピソードが有名です。

 

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP60-56

 

60位:豊臣秀長

 

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第60位は、豊臣秀吉の弟で名宰相と言われた豊臣秀長です。

 

豊臣秀長は若い頃から兄の秀吉に仕え、その出世を影から支え続けました。行動的で暴走しがちな秀吉の欠点を補い、温和な性格で周囲から絶大な信頼を集めました。

 

この秀長があと10年長く生きていれば、豊臣政権の崩壊は無かったかも知れないとも言われています。

 

59位:北条早雲

 

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第59位の北条早雲は戦国時代の初期、下剋上によって戦国大名へとのし上がった武将です。

 

関東地方に巨大な王国を築き上げる事になる後北条氏の始祖で、謀略を駆使して相模や伊豆に勢力を広げました。下剋上の申し子、戦国大名の先駆けとして人気を集めています。

 

58位:高橋紹運

 

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第58位の高橋紹運は、九州の大名・大友宗麟に仕えた武将で、武勇、知略に優れ、大友家の勢力拡大に貢献しました。

 

島津家に対して大友家が劣勢になった後も、主家に忠誠を尽くし、島津の大軍の猛攻を受けた岩屋城で、多数の敵兵を道連れにして壮絶な玉砕を遂げています。

 

57位:津軽為信

 

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第57位は、東北の戦国武将・津軽為信です。東北地方屈指の大大名・南部氏に従っていましたが、突如反乱を起こし、津軽地方などを制圧して独立大名化します。

 

現在でも、地元岩手県では偉人として極めて人気の高い戦国武将です。

 

56位:丹羽長秀

 

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第56位は、織田信長の譜代の家臣・丹羽長秀です。

 

丹羽長秀は無くてはならない存在という意味を込めた「米五郎左」という渾名で呼ばれ、織田信長に建設、内政、軍事と様々な分野で重用されました。

 

本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、120万石の大大名へと出世しています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP55-51

 

55位:滝川一益

 

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戦国時代の大名・武将人気ランキング第55位は、織田信長の家臣・滝川一益です。

 

滝川一益は「退くも滝川、進むも滝川」と評され、信長配下の家臣団の中では、特に軍事面で活躍した武将でした。

 

鉄砲の名手で百発百中の腕前だったとする逸話や、甲賀出身の忍びだったとする逸話など、謎めいて魅力的なエピソードが多く見られる人物です。

 

54位:島津義久

 

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第54位は、薩摩島津「島津四兄弟」の長男・島津義久です。勇猛さを誇る弟たちと、精強な薩摩武士達を束ね、快進撃を続け、一時は九州統一の一歩手前まで島津家の勢力を拡大させます。

 

豊臣秀吉の九州征伐軍に敗れた後は公儀に従い、島津の家を守り抜きました。

 

53位:後藤又兵衛

 

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第53位は、大坂の陣などでその有名を轟かせた名将・後藤又兵衛です。

 

後藤又兵衛は当初、黒田官兵衛に重臣として仕えますが、息子の黒田長政が黒田家を継ぐと、又兵衛は長政とのソリが合わずに黒田家を出奔します。

 

長政の妨害などもあって再仕官が叶わず、長く浪人生活を送ります。その後、大坂の陣で大坂城に入城し奮戦、その武勇を示しますが、衆寡敵せず壮絶な討ち死にを遂げました。

 

52位:柴田勝家

 

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第52位は、織田家随一の猛将と謳われた柴田勝家です。柴田勝家は織田信長以前から織田家に仕え、その武勇を発揮しました。

 

各地を転戦し武功を重ねた後、北陸地方の攻略を担当する軍団長に任命され、戦国最強と言われた上杉謙信の襲来にも備えました。

 

51位:武田勝頼

 

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第51位は武田信玄の跡を継いだ武田勝頼です。

 

武田勝頼は「長篠合戦」に敗戦し、武田家を滅ぼした愚将だと言われてきましたが、近年の研究で軍略、政略、計略の全てに優れた名将だった事が明らかになってきており、その人気も上昇しています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP50-46

 

50位:馬場信房

 

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第50位は、「武田四天王」の1人、馬場信房です。

 

馬場信房は「不死身の鬼美濃」とも恐れられた猛将で、数々の戦場で武功を示しました。長篠の合戦では、武田勝頼を逃がすために戦場に止まって織田・徳川軍の追撃を防ぎ「働き、比類なし」と敵味方から称賛されました。

 

49位:柿崎景家

 

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第49位は、上杉謙信率いる越後軍団最強の将とも称された柿崎景家です。

 

柿崎景家は、常に上杉軍の先鋒を務め、上杉謙信は「越後七郡に敵うものなし」とその武勇を称えました。

 

48位:高坂昌信

 

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第48位は、「武田四天王」の1人として武田軍の中核をなした高坂昌信です。

 

高坂昌信は、信濃国川中島を抑えるために築かれた海津城に在城し、越後の上杉謙信に睨みを利かせました。

 

長篠合戦で他の宿老が戦死した時も上杉家に備えていたため生き残っており、敗走してきた武田勝頼の軍勢を出迎えて軍装を整えさせ、敗戦を国内に悟られないようにしたという逸話が残されています。

 

47位:吉川元春

 

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第47位は、中国地方の大名・毛利元就の次男・吉川元春です。

 

生涯無敗の戦上手として武勇を誇る一方、戦陣の中で軍記物「太平記」全40巻を書写しており、文武両道の名将だったと伝えられています。

 

46位:真田幸隆

 

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第46位は、真田家中興の祖とも言われる真田幸隆です。

 

真田幸隆は、信濃先方衆として武田信玄に従い、謀略を駆使して強敵村上義清の攻略などで活躍、信玄の信頼を得て、西上野の攻略を任されます。

 

戦国一の謀将との呼び声も高い、真田昌幸の父にあたる人物です。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP45-41

 

45位:松永久秀

 

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第43位の松永久秀は、畿内に絶大な権勢を誇った三好家の右筆(書記官)から出世して次第に権力を握り、将軍・足利義輝を襲撃して殺害、東大寺の大仏殿を焼き払うなど、京都で暴れまわります。

 

その後、上洛した織田信長に従いますが、2度にわたって反乱を起こし、最後は居城・信貴山城に追い詰められて、信長の要求した名茶釜「平蜘蛛」と共に爆砕するという壮絶な最期を遂げました。

 

44位:山中鹿之介

 

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第44位は尼子家再興のため、生涯をかけて奮戦した忠義の武将・山中鹿之介です。

 

毛利家に滅ぼされた主家・尼子氏を再興する為、満月に向かい「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったエピソードが有名です。

 

43位:島津家久

 

第43位の島津家久は、薩摩島津の「島津四兄弟」の末弟で、その武略は兄弟一とも言われた名将です。

 

「沖田畷の戦い」では、10倍近い龍造寺軍を湿地帯へと巧みに誘い出し、急襲をかけ、敵の大将・龍造寺隆信を討ち取る、未曾有の大勝利をあげ、その名を轟かせました。

 

42位:朝倉宗滴

 

第42位の朝倉宗滴は、越前朝倉家を3代にわたって支えた名将として知られています。

 

朝倉軍の大将として各地を転戦し、その武名を轟かせました。この朝倉宗滴の死後、朝倉氏は急激に衰退し、滅亡への道を転がり落ちていく事となりました。

 

41位:鍋島直茂

 

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第41位は、九州の戦国大名・龍造寺隆信の重臣で、後に大名に出世する鍋島直茂です。

 

鍋島直茂は、「肥前の熊」とも恐れられた主君・龍造寺隆信と並んで「龍造寺の仁王門」と称された優秀な武将でした。龍造寺隆信が島津軍との戦いで戦死すると、結果的に龍造寺家の実権を握り、秀吉、家康など、世の権力者達にも執政者と認められ、「佐賀藩」の藩祖となります。

 

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP40-36

 

40位:小早川隆景

 

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戦国時代の人気武将第40位は、中国の覇者・毛利元就の三男・小早川隆景です。

 

兄、吉川元春と並び「毛利両川」と呼ばれ、毛利家の勢力拡大に活躍しました。長兄・毛利隆元や、父・毛利元就が死去した後は、若き当主で甥の毛利輝元を補佐し、毛利家を支え続けました。

 

39位:宇喜多直家

 

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第39位は、備前国の戦国大名・宇喜多直家です。謀略の限りを尽くした戦国時代屈指の謀将として知られています。

 

宇喜多直家は最初、備前の大名・浦上氏の家臣でしたが、謀略を駆使して次々とライバルらを倒して、大きな権力を握るようになり、ついには下克上を起こして主君・浦上宗景を追放し、戦国大名の座へと登りつめたのでした。

 

38位:安東愛季

 

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第38位は、出羽国の戦国大名・安東愛季です。

 

安東愛季は小勢力であった安東家を戦国大名にまで押し上げた名将で「斗星の北天に在るにさも似たり」と評されました。経済政策を重視し、土崎港を北最大の港に発展させた人物です。

 

37位:鈴木重秀(雑賀孫一)

 

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第37位は、戦国最強の傭兵集団「雑賀衆」を率いた鈴木重秀です。

 

膨大な数の鉄砲を装備していたとされる、戦国最強の傭兵集団「雑賀衆」の頭目の1人であり、織田信長と石山本願寺の長年にわたる抗争「石山合戦」では本願寺側の主力として織田勢を大いに苦戦させました。

 

36位:真田信之

 

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第36位は、戦国最強武将とも言われる真田幸村の兄で、戦国一の謀将と言われる真田昌幸の長子・真田信之です。

 

関ヶ原合戦で西軍についた父・昌幸と弟・幸村と袂を分かって東軍につき、真田家の家名を守りました。父や兄にも劣らぬ名将であったと伝わります。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP35-31

 

35位:井伊直政

 

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戦国時代の大名・武将人気ランキング第35位は、「徳川四天王」「徳川三傑」「徳川十六神将」に数えられる、徳川軍団きっての名将・井伊直政です。

 

精強な武田の旧臣を引き継ぎ、軍装を赤に揃えた「赤備え」を率いたとされ「井伊の赤鬼」として勇名を馳せました。

 

 

34位:本多忠勝

 

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第34位は、「徳川四天王」の筆頭格で、徳川軍最強の武将とも言われる本多忠勝です。

 

名槍・蜻蛉切りを武器に数多の戦場を駆け、最前線に立って戦いましたが、57度の戦いにおいて、かすり傷一つ負わなかったと伝わります。

 

33位:前田慶次郎

 

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第33位は、漫画「花の慶次」などで知られる前田慶次郎です。

 

武芸百般に通じた武勇の士で、連歌や和歌を愛する風流人であったと伝わります。

 

32位:加藤清正

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第32位は、秀吉子飼いの武将・加藤清正です。

 

加藤清正は、子供の頃から秀吉の家臣として活躍し、数多くの武功によって大名の地位にまで出世しました。関ヶ原合戦以降は家康に従いますが、豊臣家の行く末を生涯案じつづけました。

 

31位:最上義光

 

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第31位は、出羽戦国大名・最上義光です。

 

武勇・知略に優れた隠れなき名将で、上杉軍を率いる直江兼続や、甥でもある伊達政宗と名勝負を繰り広げました。家臣や領民を大切にした名君としても知られています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP30-26

 

30位:浅井長政

 

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第30位は、近江の戦国大名・浅井長政です。

 

織田信長の妹・お市の方を娶りますが、父親の浅井久政に逆らえず織田信長に反逆、その後信長に滅亡させられる悲劇の武将として知られています。お市の方との夫婦仲は良好で、2人の間には、茶々や江姫など「浅井三姉妹」ら多くの子供が生まれています。

 

29位:斎藤道三

 

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第29位は、「美濃の蝮」と恐れられた謀将・斎藤道三です。

 

油売りから身を起こし、美濃守護の土岐氏を圧倒して、美濃の支配権を確立します。娘・帰蝶を織田信長に嫁がせて以来、信長の有力な支援者となりました。

 

28位:長宗我部元親

 

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第28位は、四国土佐の戦国大名・長宗我部元親です。

 

武略・知略に優れ、家督を継ぐと瞬く間に周辺勢力を切り従え、四国統一一歩手前まで勢力を拡大させました。その後は豊臣秀吉に破れますが、その実力により「土佐の出来人」の異名を取りました。

 

27位:北条氏康

 

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第27位は、関東一円に広がる北条王国を作り上げた、名君・北条氏康です。

 

戦国時代きっての民政家として知られ、領民の声をよく聞いて度々税制改革、近代的な都市開発を行うなど、善政を敷きました。

 

26位:毛利元就

 

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第26位は、小豪族から中国地方の覇者となった戦国最大の謀将・毛利元就です。

 

巧みな謀略を駆使し、強大な勢力を次々と崩壊させ、一代で中国地方10カ国を支配する太守となった人物です。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP25-21

 

25位:立花道雪

 

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第25位は、九州きっての名将・立花道雪です。

 

北九州の有力大名・大友義鎮の片腕として各地を転戦、その武勇を轟かせました。雷に打たれ半身不随になったにも関わらず、輿に乗って戦場を駆けて敵を打ち破ったため「雷の化身」とも恐れられました。

 

24位:山本勘助

 

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第24位は、武田信玄の軍師として知られる山本勘助です。

 

かつては実在が疑われていましたが、近年その存在が確認され、注目されています。川中島合戦での「啄木鳥戦法」が有名ですが、これは創作だとされています。

 

23位:蒲生氏郷

 

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第23位は、織田信長、豊臣秀吉に仕えた名将・蒲生氏郷です。

 

織田信長認め、豊臣秀吉が恐れたという、才気の持ち主で、小田原征伐後、奥州の雄・伊達政宗に備えて、会津に配置されました。

 

若くして亡くなっていますが、これは、その才気を恐れた何者かによって暗殺されたのでは?との説も存在します。

 

22位:前田利家

 

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第22位は、織田信長の家臣で、晩年は豊臣政権の柱石となった前田利家です。

 

若い頃は「槍の又左」の異名をとった勇士でした。豊臣秀吉が下級武士だった時代から親交があり、秀吉が天下をとった後には秀吉に重用され、加賀前田100万石の始祖となります。

 

21位:島清興(左近)

 

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第21位は、石田三成の家臣として、関ヶ原合戦で獅子奮迅の活躍をした事で知られる島左近こと島清興です。

 

石田三成は自分に軍事面の才覚がない事を悟り、それを補佐させるために、当代きっての軍略家として知られていた浪人時代の島清興を、高禄を持って召抱えたと伝わります。

 

その期待に応え、関ヶ原合戦では見事な用兵を見せて、東軍の諸将を圧倒、その戦いぶりは後世にまで語り継がれています。

 

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP20-16

 

20位:島津義弘

 

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第20位は、薩摩島津の最強武将・島津義弘です。

 

用兵術の天才であり、豊臣秀吉の朝鮮出兵では十倍もの敵を打ち破り、朝鮮水軍すらも撃破、関ヶ原合戦では、西軍が壊滅する中、10万近い東軍の方向へと突撃、敵中を突破して戦場を離脱しました。その武勇を恐れ、徳川家康は島津家を改易できなかったとも言われます。

 

19位:長野業正

 

第19位は、関東管領・山内上杉憲政の家臣・長野業正です。

 

後世に書かれた軍記物では、上杉憲政が越後へと逃亡した後も、長野業正は居城に残り続け、卓越した軍略を駆使して、武田信玄や北条氏康の攻撃を退け続けたとし、武田信玄は「業正がいる限り上野には手が出せぬ」と嘆いたとその英雄譚が記されます。

 

18位:徳川家康

 

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第18位は、江戸幕府を開き天下泰平を築いた名将・徳川家康です。

 

幼少期のほとんどを強国の人質として送り、大名として独立してからも織田信長の従属的な大名としてこき使われるという戦国の苦労人として伝わります。

 

しかし、粘り強く勢力を蓄え、信長、秀吉の死後、ついに天下人へと上り詰めました。

 

17位:上杉景勝

 

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第17位は、上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝です。

 

謙信以来の武門の家・上杉家の当主たるべく、武骨で硬派な人格を貫いたとされ、生涯でほとんど笑った事が無かったとも伝えられます。

 

豊臣秀吉の死後、台頭する徳川家康に対して昂然と対決姿勢を示し、上杉家の武門の意地を世に示しました。

 

16位:直江兼続

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第16位は、その上杉景勝を宰相として支えた名将・直江兼続です。

 

軍事、内政、計略のどれをとっても一流の名将だったとされます。徳川家康に対する痛快な挑戦状「直江状」はあまりにも有名です。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP15-11

 

15位:石田三成

 

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第15位は、関ヶ原合戦の首謀者として知られる石田三成です。

 

秀吉死後、野心を抱く徳川家康から豊臣家を守るために、兵を起こし関ヶ原合戦を引き起こしました。敗れはしたものの家康の野望に抗った「正義の人」として、後世にその名を残しています。

 

14位:山県昌景

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第14位は、武田軍最強の武将として知られる山県昌景です。

 

屈強な赤備えを率いて、戦場では無敵の強さを誇ったと伝わります。また内政面でもその辣腕を振るっており、政と武両面において信玄時代の武田家の中心的人物でした。

 

13位:片倉小十郎

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第13位は、「独眼竜」伊達政宗を支えた名将・片倉小十郎景綱です。

 

知略に優れた名将で、伊達政宗の片腕としてその快進撃を補佐しました。猜疑心が強かったという政宗も、片倉小十郎にだけは絶大な信頼を寄せていたとされます。

 

12位:竹中半兵衛

 

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第12位は、豊臣秀吉の覇業を支えた名軍師として知られる竹中半兵衛です。

 

美濃国の生まれで、酒色に溺れる主君・斎藤龍興をたしなめるために、わずか十数名の手勢で稲葉山城を奪い取り、その後周辺大名に高禄の代わりに城を明け渡すよう交渉を持ちかけられるもそれを退け、しばらくすると城を退去し隠遁してしまったとされます。

 

その智謀を高く買った織田信長は、秀吉に調略を命じますが、半兵衛は最初これを断ってしまいます。秀吉は諦めず、何度も半兵衛の元に通って説得を続けました。

 

半兵衛は秀吉の人柄に惚れ、秀吉の直臣としてならば仕官しても良いとして秀吉の家来になったと伝わります。以来、竹中半兵衛は秀吉の出世を助け、その智謀を縦横に発揮したと言われています。

 

11位:大谷吉継

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第11位は、秀吉の子飼いの武将の1人大谷吉継です。

 

義に厚い武将で、盟友であった石田三成に呼応し、敗北を悟りながらも関ヶ原の合戦に参戦したとされます。東軍へと裏切って側面から攻めかかる小早川秀秋の軍勢を迎え撃ち、何度も押し返したとされます。

 

最後は敗北し切腹して果てましたが、その義心と武勇は後世にまで語り継がれています。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP10-6

 

10位:立花宗茂

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第10位は、「西国無双」とまで称えられた勇将・立花宗茂です。

 

度々、数倍もの敵を少数の兵力で打ち破るなど、局地戦では戦国最強とまで言われる活躍を示した事に加え、どんな不利な状況にあっても決して主家を裏切らない戦国時代には極めて珍しい忠義の臣でもありました。

 

9位:黒田官兵衛

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第9位は、竹中半兵衛と並び称される、秀吉の名軍師・黒田官兵衛です。

 

若くして亡くなった竹中半兵衛の後、秀吉の参謀としてその覇業を支えたとされています。秀吉はその智謀を恐れ、決して大領を与えなかったとする逸話が残ります。

 

8位:豊臣秀吉

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第8位は、本能寺の変で明智光秀を破り、信長の後継として天下を統一した豊臣秀吉です。

 

下級身分から身を起こして武士となり、才覚を重んじる信長の下で瞬く間に出世を遂げ、ついには天下人ともなった秀吉は、戦国時代を代表する英雄として後世の人々からの絶大な人気を集めています。

 

7位:真田昌幸

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第7位は、戦国最強の智謀の将とも言われる真田昌幸です。

 

主家である武田家が滅びた後、上杉、徳川、北条、織田といった強国の間を巧みに泳ぎ渡り、本能寺の変後は秀吉に従って真田の家を守り抜きました。

 

関ヶ原の合戦では、西軍に立って戦い、居城上田城で徳川の主力軍3万8戦を釘付けにする大戦果を上げ、その名を天下に轟かせました。

 

6位:伊達政宗

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第6位は、欧州の独眼竜・伊達政宗です。

 

家督を継ぐと瞬く間に周辺勢力を斬り伏せて、勢力を拡大して暴れまわります。もし生まれて来るのが数十年早ければ、天下を取っていたとも言われる軍事的天才であり、現在も戦国を代表するヒーローとして絶大な人気を誇ります。

 

戦国時代の大名・武将人気ランキングTOP5-1

 

5位:明智光秀

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第5位は、2020年のNHK大河「麒麟がくる」の主人公として人気を急上昇させている明智光秀です。

 

明智光秀は「本能寺の変」で信長を討った事ばかりが注目されますが、そこに至るまでの活躍ぶりは、織田家最強の武将と呼んでも遜色のないものです。

 

「麒麟がくる」ではヒーロ的なキャラクターで描かれる明智光秀の生き様により注目が集まる事にも期待です。

 

4位:武田信玄

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第4位は、甲斐国から覇を唱えた戦国最強大名の1人・武田信玄です。

 

甲斐国から信濃国へ進出し、川中島の覇権を巡って上杉謙信と激闘を繰り広げ、その後は織田信長最大の強敵としてその覇業に立ちふさがった、戦国時代の主役の1人です。

 

現在も山梨県では、地元の英雄として絶大な人気を集めています。

 

3位:上杉謙信

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第3位は、軍神・上杉謙信です。

 

武田信玄との川中島死闘をはじめ、数々の合戦を繰り広げ、ほとんど負けを知らず、軍略の天才と評されました。

 

また、戦国時代きっての義将として知られ、乱世の秩序を回復させるために私欲を捨てた出陣を繰り返したとされます。(実際にはそれなりに色々と計算していた)

 

2位:真田信繁(幸村)

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第2位は、「幸村」の通称で知られる真田信繁です。

 

真田信繁は、関ヶ原合戦に敗れて浪人していましたが、大坂の陣が勃発すると大坂城に入城。

 

冬の陣では、出丸「真田丸」にあって獅子奮迅の活躍を見せ、徳川方を徹底的に叩きのめし、夏の陣では徳川家康本陣向けて猛烈な突撃戦を敢行し、徳川方の大軍を突き破り、家康本陣にまで襲いかかって、一時は家康に自害を考えさせたという、歴史に残る活躍を示しました。

 

この活躍は数々の軍記物、講談で語られ、現在でも歴史小説、ドラマ、映画など数々のメディアでヒーロとして描かれ、絶大な人気を誇っています。

 

1位:織田信長

 

出典:https://ja.wikipedia.org

 

第1位は、戦国時代の覇王・織田信長です。

 

終わりの小大名だった織田信長は、革新的な発想力と豊かな終わりの地盤を武器に、美濃を制し、その兵力をもって将軍足利義昭を奉じて上洛、天下に号令を発しました。

 

その後、数々の強敵を四方八方に抱え苦境に陥りながらも、機動的に軍団を動かしてそれらを次々と撃滅し、ついには天下統一直前にまで迫ります。

 

しかし、重臣・明智光秀の突然の謀反により「本能寺の変」に散ったのでした。

 

 

まとめ

 

今回は、戦国時代の大名や武将100人を、人気順にランキングしてまとめてみました。

 

織田信長や武田信玄、伊達政宗といった超有名どころから、一般的にはあまり知られていないマニアックな武将まで紹介しましたが、その誰もが魅力的な逸話を持つひとかどの人物ばかりです。

 

今回紹介した他にも、戦国時代には数多くの英雄や偉人がひしめいています。興味を持たれた方は、是非、これを機に調べてみてください。

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