「芸能界」は、権力闘争の社会で、有力事務所の圧力によって争いが繰り広げられ、特に強い勢力を持った「芸能界のドン」が複数人います。
今回は、「四天王」と呼ばれる芸能界のドンを、最強ランキング順にご紹介していきましょう。
この記事の目次
芸能界のドン四天王① 故・ジャニー喜多川(ジャニーズ)
ジャニー 喜多川(ジャニー きたがわ)
本 名:ジョン・ヒロム・キタガワ
喜多川 擴(きたがわ ひろむ)
誕生日:1931年10月23日
出身地:アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス
出身校:ロサンゼルス・シティー・カレッジ
上智大学国際部(国際教養学部)
ジャニー 喜多川さんは、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれ、3人姉弟の末子であり、メリー喜多川さんは姉にあたります。その娘で、ジャニーズ事務所の代表取締役になった藤島ジュリー景子さんは姪にあたります。
「ジャニーさん」の愛称で親しまれ、実業家・芸能プロモーター・音楽プロデューサーであり、ジャニーズ事務所、ジェイ・ドリーム、ジャニーズ出版、ヤング・コミュニケーション、つづきスタジオの代表取締役を務めていました。
ジャニーズ事務所の代表取締役社!
ジャニー喜多川氏がジャニーズ事務所を設立したのは、鑑賞した映画「ウェストサイドストーリー」がきっかけだったそうです。これを機にエンターテインメント事業を興すことを決意したそうで、設立以降から現在に至るまで、ジャニーズ事務所の代表取締役社長を務めました。元は渡辺プロとの業務形態だったそうです。
1962年4月には、自身が集めた野球チームのメンバーである4名の少年によって、最初のグループである「ジャニーズ」を結成しました。
最初は、池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院」(現: 名和プロダクション)に籍を置いていましたが、1962年6月にジャニーズ事務所を創業し、創業当時は「渡辺プロダクション」と業務提携し渡辺プロを窓口にしていましたが、1975年1月に、正式に株式会社として法人登記しました。
SMAPや嵐を生み出した!
ジャニーズ事務所設立後、「フォーリーブス」から始まり、郷ひろみさん・近藤真彦さん・SMAP・嵐などの男性アイドルグループを数多く輩出し、日本きってのエンターテイメント芸能プロダクションとして強力な力を持つ芸能プロダクションのひとつとして有名です。
フォーリーブスから、郷ひろみ・たのきんトリオ・シブがき隊・少年隊・光GENJI等に続き、SMAPをマルチタレント型なアイドルへと発展させ、現在のTOKIO・V6・KinKi Kids・嵐・Kis-My-Ft2.ジャニーズWESTといった男性アイドルの活躍の場を広げ、男性アイドルの礎を築いていきました。
芸能界のドン四天王② 周防郁雄(バーニング)
周防郁雄(すほう いくお)
誕生日:1941年1月11日
出身地:千葉県市原市
出身校:市川高等学校
配偶者:進 美恵子(元妻)
子 供:周防彰悟(長男)
周防亮
周防郁雄さんは、「株式会社バーニングプロダクション」の代表取締役社長で、「株式会社福家書店」代表取締役社長、「株式会社バンクス」代表取締役、「株式会社オフィスプロペラ」取締役、「株式会社ファーンウッド」取締役を務めています。
巨大芸能グループ「バーニング」系グループのトップとして、また「芸能界のドン」としても知られています。
元々はホリプロに勤務していた!
周防郁雄さんは、現在、芸能プロダクション「バーニングプロダクション」の代表取締役社長を務められています。
以前はホリプロに勤務していましたが、独立し、当時は国際プロダクションを設立しました。そして、その当時は演歌歌手を中心にマネージメントされていました。
1968年に、芸能プロダクション「株式会社ホリプロダクション」に転職し、その後1971年に退社し、自らの芸能事務所 「国際プロダクション」を設立しました。その後、所属歌手第1号だった本郷直樹さんのデビュー曲「燃える恋人」にちなんで、「バーニングプロダクション」と改称しました。
郷ひろみさん・藤原紀香さんを育て上げた!
駆け出しの頃は、北島三郎の運転手を担当していたものの、瞬く間に昭和芸能界を席巻し、1971年には、同プロの前進となる「国際プロダクション」を設立。所属歌手第1号である本郷直樹のデビュー曲「燃える恋人」にちなんで、“バーニング”という名前に改称したという。
その後、同社は、郷ひろみや小泉今日子、細川たかし、藤原紀香といったスターを輩出するとともに、芸能界における絶対的権力を掌握し、その動向を左右する存在に。まさに“芸能界で最も成り上がった運転手”といえるだろう。
芸能界のドン四天王③ 古賀誠一(オスカー)
古賀 誠一(こが せいいち)
誕生日:1942年
古賀 誠一さんは、数多くのプロダクションで修業した後、1970年にオスカープロモーションを設立しました。初めはモデルエージェンシーとしてスタートし、徐々に経営を軌道に乗せ、その後、タレントマネージメント事業に参入しました。
芸能界きってのモデル事務所!
オスカープロモーションは、芸能界きってのモデル事務所として名を知られている芸能プロダクションです。実に7000人の所属者を抱え、豊富な人材を取り揃えている芸能プロダクションといってもいいでしょう。全日本国民的美少女コンテストは、芸能界で最も注目されるコンテストでもあります。
後藤久美子の成功を機に、全日本国民的美少女コンテストを立ち上げ。佐藤藍子、米倉涼子、上戸彩、福田沙紀、武井咲、剛力彩芽らの女性タレントを育て上げ、一代で大手芸能事務所へ成長させた。所属タレントが出演するドラマと映画の企画に携わる等の活動も行っている。
米倉涼子さんや上戸彩さんを育て上げた!
古賀誠一さんは、米倉涼子さんや上戸彩さん、武井咲さんなどと、実に数多くのスターを輩出してきました。上戸彩さんは古賀さんの直感で所属させたそうです。その直感は見事的中し、女優として大活躍されています。このように将来を見据える「目」を持っている力は、さすがです。
独特のカンが働くケースもある。上戸彩がそうでした。当時、小学生だった上戸が国民的美少女コンテストに応募してきたとき、社長の古賀誠一は『この子は芸能界を変えるよ』と言い切りました。彼女はチャーミングではあるが、美人系ではありません。私はあの当時の上戸を見て、明るくはつらつな感じはしても、そこまでは思えなかった。私は見抜けなかったけれど、古賀はわかったのでしょう
芸能界のドン四天王④ 田邊昭知(ホリプロ)
田邊昭知(たなべ しょうち)
誕生日:1938年11月15日
出身地:東京都
所 属:新興楽譜出版社・ホリプロ→
スパイダクション
田邊昭知さんは、ホリプロダクションから独立し、「スパイダクション」を設立しました。
女優・加賀まりこさんとも映画で共演したり、役者も志した事もありましたが、1970年にマネージメントに専念するため、シングルをリリースして以降は第一線から引退しています。
「田辺エージェンシー」代表取締役社長!
田邊昭知さんは、堺正章さんらと音楽活動をする一方で、芸能プロダクションを設立し、「田辺エージェンシー」に改名してからは、研ナオコさんやタモリさん、堺正章さん、永作博美さんなどを育ててきました。また、タモリさんの冠番組を手掛けるなどし、放送作家としての顔も持っています。
1973年には、スパイダクションの規模を拡大し、田辺エージェンシーへと改称し、その後はタモリさんらを見い出し、芸能界のスターに育てあげました。
プライベートでは、1991年に、同事務所に所属していた小林麻美さんと結婚し、小林さんとの間に1男を儲けています。また、タモリさんの番組「タモリ倶楽部」「ジャングルTV 〜タモリの法則〜」などを手がけたこともありました。
大スターを輩出してきた!
以前は、バンドのドラムを担当していたそうですが、田辺エージェンシーを設立してからは、マネージャー業で天才的な才能を発揮され、タモリさんや研ナオコさんなどの大スターを輩出していきました。そして、「芸能界のドン」とまで呼ばれるまでになりました。
田邊氏といえば、1961年に堺正章、かまやつひろしらとともに結成した『田辺昭知とザ・スパイダース』のリーダーです。バンドではドラム兼バンマスを務め、プレーイングマネージャーとしても辣腕ぶりを発揮して、その後、事務所を独立。73年に田辺エージェンシーを設立すると、タモリ、研ナオコなどを擁し、芸能界での存在感を強めていきました(ベテラン芸能デスク)
芸能界の四天王・最強権力者ランキング TOP4-1
4位:古賀誠一氏(オスカープロモーション)
古賀誠一さんは、日本を代表する大手芸能プロダクション「オスカープロモーション」の代表取締役社長です。
歴史から見れば一番浅い事務所ではありますが、短い期間でここまでのプロダクションを築き上げた敏腕社長になります。
オスカープロモーション自体は、枕営業以外にはあまり権力などの情報はないようでした。
”ゴリ押し”大好き!
古賀誠一さんは、自分のお気に入りを”ゴリ押し”するというやり方でで成功しています。
マネージャーなども、社長に気に入られないとすぐに配置替えされることでも有名で、そういった意味ではある意味”絶対的”な存在かもしれません。
特に、剛力彩芽さんのプッシュの仕方は凄かったようで、あんなに無理な売り方はオスカーならではといわれるほどのシステムを確立していたようです。
3位:ジャニー喜多川氏(ジャニーズ事務所)
本当の権力者が実はいた…!
ジャニー喜多川氏さんと言えば、ジャニーズ事務所だけで見ると、おそらくバーニングプロダクションに引けを取らない力や権力がありそうですが、ジャニー喜多川さん自体にその力があるかといえば、また別なようです。
ジャニーズ事務所の「社長」は、ジャニー喜多川さんですが、実は裏に本当のドンがいるようなのです。ジャニー喜多川さんの仕事は、主にステージ演出になるので、よく噂されている”裏の力”にはあまり関係していない可能性が高いようなのです。
本当の”ドン”は姉だった!
ジャニーズ事務所の”本当のドン”は、実はジャニー喜多川さんの姉・メリー喜多川さんだったのです!また、最近ではメリーさんの娘・藤島ジュリー景子さんに後継されていました。
ジャニーズ事務所を大きくしたのは、メリー氏の夫だった藤島泰輔さんでした。つまり、ジャニーズ事務所に最も貢献したのはメリーさんなのです。
また、娘の藤島ジュリー景子さんは嵐の生みの親でもあり、嵐の専用レーベル「ジェイ・ストーム」の社長としても知られています。SMAPが解散し、チーフマネージャーだった飯島氏が去った今、ジャニーズ事務所を牛耳っているのは、この二人の親子ということになるでしょう。
2位:田邊昭知氏(田辺エージェンシー)
タレント発掘能力は神レベル!
田邊昭知さんのタレント発掘能力にはかなりの定評があり、タレントに愛情を注ぎすぎる事でも有名です。特に最近では、フリーアナウンサーの夏目三久さんの件で話題になりました。
夏目三久さんが、2009年に週刊誌に「コンドーム写真」をスクープされ、日テレで干されてしまったところを引き抜きました。その後、自らテレビ局に売り込み、「怒り新党」でのレギュラーを勝ち取ったのです。
夏目三久を”ごり押し”?
その後、夏目三久さんに女優志望があると知れば、同事務所の堺雅人さんの主演ドラマ「半沢直樹」に出演させ、社長がそのドラマの撮影現場に乗り込み、実現させたといいます。
この件で、かなりの敏腕マネージャーであることが分るのではないでしょうか?
1位:周防郁雄氏(バーニングプロダクション)
誰も逆らえない!芸能界のトップ!
「芸能界の四天王」の堂々1位に輝いたのは、文句なしの周防郁雄氏でした!
周防さんは、バーニングプロダクションの社長であり、日本の芸能界は彼が握っているといっても過言ではないでしょう。
バーニングプロダクションは、ほとんどの芸能プロダクションの親会社であり、「エヴァ―グリーンエンターテイメント」「レプロエンタテイメント」「スウィートパワー」「ジャパンミュージックエンタテイメント」「エーチーム」などの大手芸能プロダクションは、全て傘下になっていました。
裏社会との噂も絶えない事務所…
バーニングプロダクションは、芸能プロダクションの中でも一番、裏社会との噂が絶えない事務所としても知られています。この繋がりがあるからこそ、これまでの数多くのスキャンダルを隠してきたとも言われるのです。
また、ジャニーズ事務所から移籍したにも関わらず郷ひろみさんが活躍出来るのは、移籍先がバーニングプロダクションだったからとも言われていて、この件からもいかに権力があるかが伺えるでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、芸能界の「四天王」をランキングにてご紹介してきました!
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのかは分かりませんが、実際にはこの権力があるからこそ、大スターが生まれていくということも分かったかと思います。
今後の芸能界の動きにも注目が高まりますね!