飛行機事故に遭う確率は自動車事故よりもはるかに低いと言われていますが、これまでに日本はもちろん世界中で大事故が起きています。
今回は航空事故・飛行機事故の有名40選について、日本・海外別に最悪ランキング形式で紹介します。
この記事の目次
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 20位~16位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 15位~11位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 10位~6位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 5位~1位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 20位~16位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 15位~11位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 10位~6位
- 航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 5位~1位
- まとめ
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 20位~16位
20位 ガルーダ・インドネシア航空152便墜落事故
発生日時 1997年9月26日13時30分
航空会社 ガルーダ・インドネシア航空
便名 152便
機材 エアバスA300
墜落地 インドネシア・北スマトラ州デリ・セルダン県
犠牲者 234人
生存者 0人
1997年9月26日、ガルーダ・インドネシア航空152便はインドネシアのジャカルタを出発してメダンに向かっていました。
メダン・ポロニア空港から南に32kmの地点にある標高460メートルの森林地帯に墜落し、日本人6名を含む乗客234名全員が死亡しました。
この事故は2021年9月現在、インドネシアにおいて最も最悪な事故だと言われています。
19位 マレーシア航空370便墜落事故
発生日時 2014年3月8日午前1時30分
航空会社 マレーシア航空
便名 370便
機材 ボーイング777
墜落地 インド洋周辺海域
犠牲者 239人
生存者 0人
2014年3月8日、マレーシア航空370便は、クアラルンプールを出発して中国の北京市に向かっていましたが、突然消息を絶ちました。
その約1年後となる2015年7月29日、フランス領レユニオンにて、同機の残骸が発見されました。
このことから、同機への搭乗者239名全員が認定死亡と判断されています。
18位 アロー航空1285便墜落事故
発生日時 1985年12月12日
航空会社 アロー航空
便名 1285便
機材 マクドネル・ダグラスDC-8
墜落地 カナダ・ニューファンドランド島・ガンダー空港付近
犠牲者 256人
生存者 0人
1985年12月12日、アロー航空1285便はエジプトのカイロを出発して西ドイツのケルンおよびカナダのガンダーを経由して、ケンタッキー州フォート・キャンベルに向かっていました。
同機は米軍を輸送するチャーター機でしたが、フライト中に墜落、搭乗員全員256名が死亡しました。
この事故は、カナダの航空事故において最も最悪な事故だと言われています。
17位 ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故
発生日時 1979年11月28日午後12時50分
航空会社 ニュージーランド航空
便名 901便
機材 マクドネル・ダグラスDC-10
墜落地 南極・ロス島・エレバス山
犠牲者 257人
生存者 0人
1979年11月28日、ニュージーランド航空901便は旅客を乗せて観光飛行中でしたが、機体トラブルが発生し、南極大陸のロス島にあるエレバス山の山腹に墜落しました。
これにより搭乗員の257名全員が死亡しています。
この事故は南極で発生した初めての民間航空機事故であり、ニュージーランド航空史上最悪の事故となりました。
16位 2018年アルジェリア空軍Il-76墜落事故
発生日時 2018年4月11日午前7時00分
航空会社 アルジェリア空軍
便名
機材 イリューシン Il-76
墜落地 アルジェリア・ブファリック空港
犠牲者 257人
生存者 0人
2018年4月11日、アルジェリア空軍機のアルジェリア空軍Il-76は、ブファリック空港を出発してベジャール・ウアカダ空港を経由し、ティンドーフ空港に向かう予定でした。
しかし、離陸直後に機体トラブルが発生し墜落、乗客乗員合わせて257名全員が死亡しました。
この事故は、アルジェリアにおいて最悪の航空事故となっています。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 15位~11位
15位 パンアメリカン航空103便爆破事件
発生日時 1988年12月21日午後7時3分
航空会社 パンアメリカン航空
便名 103便
機材 ボーイング747
墜落地 イギリス・スコットランド・ロッカビー
犠牲者 259人(地上11名は含まず)
生存者 0人
通称「ロッカビー事件」「パンナム機爆破事件」と呼ばれるパンアメリカン航空103便爆破事件は、墜落事故ではなく、航空機爆破事件で、いわゆるテロ事件です。
乗員乗客259名が死亡、さらに地上にいた住民11名が巻き込まれる大惨事となりました。
リビア政府の関与が疑われ、大きな国際問題にもなっています。
そして、被害を受けたパンアメリカン航空が経営破綻するきっかけとなりました。
14位 アメリカン航空587便墜落事故
発生日時 2001年11月12日9時16分
航空会社 アメリカン航空
便名 587便
機材 エアバスA300
墜落地 スアメリカ・ニューヨーク市クイーンズ区
犠牲者 260人(地上5名含ま)
生存者 7人
アメリカン航空587便は、2001年11月12日にジョン・F・ケネディ国際空港を離陸後まもなく機体トラブルにより墜落しました。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件から2ヶ月後に起きたため、テロだと一時騒がれましたが、アメリカ国家運輸安全委員会の調査で事故だったことが確定しています。
13位 ナイジェリア航空2120便墜落事故
発生日時 1991年7月11日午前8時38分
航空会社 ナイジェリア航空
便名 2120便
機材 ダグラスDC-8
墜落地 サウジアラビア・キング・アブドゥルアズィーズ国際空港近郊
犠牲者 261人
生存者 7人
ナイジェリア航空2120便は、1991年7月11日にサウジアラビアのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港の付近を飛行中、機体トラブルにより墜落しました。
タイヤの圧力が不足していたことで着陸装置と滑走路に摩擦が発生してタイヤが破損、火災が発生したことが墜落に繋がりました。
このことから、搭乗員261名が死亡し、7名が生存しましたが、ナイジェリアにおいて最悪の人災事故となっています。
12位 中華航空140便墜落事故
発生日時 1994年4月26日11時15分
航空会社 中華航空(現チャイナエアライン)
便名 140便
機材 エアバスA300
墜落地 名古屋空港
犠牲者 256人
生存者 7人
1994年4月26日、中華航空140便は、中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)を出発して名古屋空港(現:名古屋飛行場)に向かっていました。
そしていよいよ名古屋空港に到着という時、滑走路への進入に失敗して墜落、搭乗員271名中264名が死亡しました。
この事故は、中華航空(現チャイナエアライン)が起こした事故の中で最悪だと言われ、国内で発生した事故としては日本航空123便墜落事故に次ぐ大惨事となりました。
11位 大韓航空機撃墜事件
発生日時 1983年9月1日午前3時38分
航空会社 大韓航空
便名 007便
機材 ボーイング747
墜落地 北海道宗谷岬の北・宗谷海峡樺太近海
犠牲者 269人
生存者 0人
1983年9月1日午前3時38分、ソビエト連邦(現在のロシア)領空を侵犯してしまった大韓航空のボーイング747は、ソ連邦空軍の戦闘機により撃墜されてしまいました。
これにより、乗員乗客合わせて269名が全員死亡しました。
実は、この事件の5年前となる1978年4月20日にも、大韓航空はソ連の領空を侵犯し、ソ連邦空軍の戦闘機に撃墜されて、2名死亡、13名が重軽傷を負う事件が発生しています。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 10位~6位
10位 アメリカン航空191便墜落事故
発生日時 1979年5月25日15時04分
航空会社 アメリカン航空
便名 191便
機材 マクドネル・ダグラスDC-10
墜落地 イラン・ケルマーン
犠牲者 271人(地上2人は含まず)
生存者 0人
アメリカン航空191便は1979年5月25日、シカゴ・オヘア空港を離陸直後、左主翼下のエンジンとパイロンが機体から分離したことでバランスを崩し、急速に左横転し、墜落しました。
離陸からわずか30秒での事故であり、乗員乗客271名全員と、地上にいた2人が巻き込まれ死亡しています。
アメリカの航空事故の中で、9.11同時多発テロに次ぐ死者数を出した最悪の事故となりました。
9位 2003年のイラン革命防衛隊Il-76MD墜落事故
発生日時 2003年2月19日14時30分
航空会社 パンアメリカン航空・KLMオランダ航空
便名 軍用機
機材 イリューシンIl-76MD
墜落地 イラン・ケルマーン
犠牲者 275人
生存者 0人
2003年2月19日、イラン・イスラム共和国の軍事組織であるイスラム革命防衛隊の軍人を乗せた軍機Il-は、ケルマーン国際空港への着陸準備中にトラブルを起こします。
そして、ケルマーン南東約35kmの地点にある山岳地帯に墜落し、搭乗員275名全員が死亡しました。
この事故は、イラン国内及びIl-76が起こした事故としては最悪の規模でした。
8位 イラン航空655便撃墜事件
発生日時 1988年7月3日午前9時54分
航空会社 イラン航空
便名 655便
機材 エアバスA300
墜落地 ペルシア湾
犠牲者 290人
生存者 0人
イラン航空655便は1988年7月3日、バンダレ・アッバースを出発してドバイに航行中でしたが、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンスの誤射により撃墜されました。
これにより、乗員乗客合わせて290名が全員死亡し、そのうち66名は子供でした。
当時、ヴィンセンスはイラン小型砲艦を追ってイラン領海内に侵入し、ホルムズ海峡に停泊していました。アメリカは被害者遺族に賠償金を支払っています。
この事故はペルシア湾で発生したものにおいて最悪であり、イラン航空は犠牲者に対して追悼の念を表して、テヘラン・ドバイ間に655便の名前を使い続けています。
7位 マレーシア航空17便撃墜事件
発生日時 2014年7月17日17時15分頃
航空会社 マレーシア航空
便名 MH17便
機材 ボーイング777
墜落地 ウクライナ・ドネツィク州グラボヴォ村
犠牲者 298人
生存者 0人
マレーシア航空17便は2014年7月17日、ウクライナ東部上空を飛行中に親ロシアの反政府勢力によって撃墜され、乗員乗客合わせて298名が死亡しました。
この事故は、2014年3月8日に発生したマレーシア航空370便墜落事故に次いで、2番目の被害を出す最悪の事故となりました。
6位 サウジアラビア航空163便火災事故
発生日時 1980年8月19日午前7時15分
航空会社 サウジアラビア航空
便名 163便
機材 トライスターL1011-200
墜落地 サウジアラビア・リヤド・キングハーリド国際空港
犠牲者 301人
生存者 0人
サウジアラビア航空163便は、航行中に貨物室で火災が発生します。
リヤド国際空港に緊急着陸しようとしましたが、乗員の数々の不手際が重なってしまい、緊急着陸は成功したものの火災による有毒ガスの吸引により乗員乗客301名全員が亡くなりました。
この事故は、サウジアラビアにおいて最も最悪な事故となりました。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:海外編TOP20 5位~1位
5位 エア・インディア182便爆破事件
発生日時 1985年6月23日午前7時15分
航空会社 パンアメリカン航空・KLMオランダ航空
便名 182便
機材 ボーイング747
墜落地 アイルランド・コーク沖の北大西洋
犠牲者 329人
生存者 0人
エア・インディア182便は1985年6月23日、北大西洋上を飛行中、当時インド政府と対立していたシーク教過激派が機内に持ち込んでいた手荷物の中の爆弾が爆発し、墜落しました。
このテロ事件により、乗員乗客合わせて329名全員が亡くなるなど、9.11同時多発テロが発生するまでは、世界で最も最悪なテロ事件として記録されていました。
なお、このテロ事件が発生した1時間前には、 日本の新東京国際空港(成田国際空港)でもエア・インディア機を標的とした爆発物が爆発し、作業員が死傷する事件が発生しています。
4位 トルコ航空DC-10パリ墜落事故
発生日時 1974年3月3日午後12時40分
航空会社 トルコ航空
便名 981便
機材 マクドネル・ダグラス DC-10
墜落地 フランス・オワーズ県エルムノンヴィル
犠牲者 346人
生存者 0人
1974年3月3日、トルコ航空(現:ターキッシュ エアラインズ)の981便は、フランスのオワーズ県エルムノンヴィルを飛行中にトラブルを起こし墜落しました。
この事故により、乗員乗客合わせて346名が死亡しています。
1985年8月12日に日本のJAL123便墜落事故が発生するまでは、単独機の航空事故としては世界最大と記録されていました。
3位 ニューデリー空中衝突事故
発生日時 1996年11月12日18時32分
航空会社 日本航空
便名 サウジアラビア航空763便・カザフスタン航空1907便
機材 ボーイング747・Il-76
墜落地 インド・ニューデリー上空
犠牲者 349名
生存者 0名
サウジアラビア航空763便とカザフスタン航空1907便は、1996年11月12日、インドのニューデリー上空を飛行中に衝突し、両機の乗員乗客合わせて349名全員が死亡しました。
両機の乗客のほとんどは、サウジアラビアに出稼ぎに向かうためのインド人労働者でした。
この事故は、民間航空機による空中衝突事故としては世界最悪規模として記録されています。
2位 テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故
発生日時 1977年3月27日17時6分
航空会社 パンアメリカン航空・KLMオランダ航空
便名 PAA1736便・KLM4805便
機材 ボーイング747
墜落地 スペイン領カナリア諸島テネリフェ島
犠牲者 583人
生存者 61人
PAA1736便とKLM4805便は、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるテネリフェ空港(現:テネリフェ・ノルテ空港)の滑走路上で、通信ミスにより衝突してしまいました。
この衝突で、両機の乗客乗員644名のうち583名が死亡しました。
7名の乗員と54名の乗客が生存しましたが、民間航空機事故としては史上最悪の死者数を出した事故として記録されており、「テネリフェの悲劇」「テネリフェの惨事」とも呼ばれています。
1位 アメリカン航空11便・175便テロ事件
発生日時 2001年9月11日8時46分
航空会社 アメリカン航空
便名 アメリカン航空11便・アメリカン航空175便
機材 ボーイング767-223ER、ボーイング767-222
墜落地 アメリカ合衆国・ニューヨークのワールドトレードセンター
犠牲者 92人、65人(航空機外含む被害者総数2,977人)
生存者 0人
アメリカン航空11便と175便は、イスラム原理主義組織・アルカイダのメンバー5人によりハイジャックされ、ニューヨークのワールドトレードセンター2棟にそれぞれ突入しました。
この歴史上最悪と言われる無差別テロ事件において、両機に搭乗していた乗員乗客合わせて157名全員が死亡(テロリスト除く)しています。
また、ワールドトレードセンター内にいた人や、周辺にいた人を合わせて2,977名が犠牲となり、重軽傷者は6,000名以上と言われています。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 20位~16位
20位 福岡空港ガルーダ航空機離陸事故
発生日時 1996年6月13日午後0時8分
航空会社 パンアメリカン航空・KLMオランダ航空
便名 ガルーダ・インドネシア航空865便
機材 DC-10-30
墜落地 福岡県福岡市にある福岡空港
犠牲者 3人
生存者 272人
ガルーダ・インドネシア航空865便は、福岡県福岡空港の滑走路16を走行中、右翼第3エンジンが故障したことで、停まることができずにオーバーランし、滑走路端の緑地に突っ込みました。
この事故により、乗客3名が死亡、乗員2名、乗客16名が重傷、91名が軽傷を負う事故となりました。
19位 全日空小牧空港衝突事故
発生日時 1960年3月16日午後7時38分
航空会社 全日本空輸
便名 全日本空輸25便
機材 ダグラス DC-3
墜落地 愛知県の名古屋空港(現在の名古屋飛行場)
犠牲者 3人
生存者 30人
全日本空輸25便は、名古屋空港(現:名古屋飛行場)の滑走路上を走行中、自衛隊機と衝突しました。
この事故により、乗客2名、乗員1名が死亡し、乗客8名が重軽傷を負いました。
なお、衝突した自衛隊機は150メートル滑走した後で滑走路から外れて炎上しましたが、幸い死者はおらず、1名の負傷者のみでした。
18位 フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故
発生日時 1970年7月27日11時36分
航空会社 フライング・タイガー・ライン
便名 フライング・タイガー・ライン45便
機材 ダグラス DC-8
墜落地 沖縄の那覇空軍基地
犠牲者 4人
生存者 0人
フライング・タイガー・ライン45便は、琉球政府(当時アメリカの占領下だった沖縄)の那覇空軍基地の滑走路18に進入後、滑走路から670mもオーバーランし、海上に墜落しました。
この事故により、乗員4名全員が死亡しましたが、幸いこの時乗客は乗っていなかったため、被害は最小に抑えられています。
17位 日本航空羽田空港墜落事故
発生日時 1966年8月26日午後2時35分
航空会社 日本航空
便名 –
機材 コンベア880-22M
墜落地 東京都羽田空港
犠牲者 5人
生存者 0人
1966年8月26日、日本航空のコンベア880-22Mを使用して乗員訓練飛行が行われていたところ、羽田空港から離陸直後に墜落しました。
この事故により、日本航空の社員4名、運輸省(現・国土交通省)航空局職員1名の合わせて5名が死亡しました。
16位 ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故
発生日時 1979年1月30日20時53分
航空会社 ヴァリグ・ブラジル航空
便名 ‐
機材 ボーイング707-320F貨物機
墜落地 新東京国際空港(現・成田国際空港)発、太平洋上
犠牲者 6人
生存者 0人
1979年1月30日、出発時刻より約2時間遅れて成田空港を離陸したボーイング707-320F貨物機は、離陸から30分後、太平洋上で行方不明となりました。
銚子東北東沖210kmの太平洋にて通信が途絶えたことから、墜落したものとみられ、この事故により乗員6名全員が死亡しました。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 15位~11位
15位 日東航空つばめ号墜落事故
発生日時 1963年5月1日8時56分
航空会社 日東航空
便名 DHC-3オッター水陸両用旅客機「つばめ号」
機材 デ・ハビランド・カナダ DHC-3オッター
墜落地 兵庫県三原郡南淡町 諭鶴羽山
犠牲者 9人
生存者 2人
1963年5月1日、水陸両用旅客機「つばめ号」は大阪空港を出発して徳島に向かっていました。
当時非常に濃い霧が発生していたため、パイロットが航路を見誤り、淡路島の兵庫県三原郡南淡町(現在の南あわじ市)にある諭鶴羽山の標高約300m地点の山腹に墜落しました。
同機は購入したばかりの新型機で、フライト前の整備時にも問題は発生していなかったとみられています。
14位 藤田航空機八丈富士墜落事故
発生日時 1963年8月17日午後2時24分~た午後3時39分の間
航空会社 藤田航空
便名 –
機材 デ・ハビランドDH114 ヘロン
墜落地 八丈島
犠牲者 19人
生存者 0人
藤田航空は1963年8月17日、浅草旅行会一行の団体客の41名を、3機のデ・ハビランドDH114 ヘロンに分乗させ、八丈島空港を離陸しました。
2・3番機は無事に成田空港に到着しましたが、1番機のみが予定時刻を過ぎても到着する様子がありませんでした。
その後、フライト3時間分の燃料が尽きると予想される時刻を過ぎた頃に遭難し、墜落していたことがわかりました。
この事故により、乗員乗客合わせて19名が死亡しました。
13位 富士航空機墜落事故
発生日時 1964年2月27日15時20分
航空会社 富士航空
便名 富士航空902便
機材 コンベア240
墜落地 大分県 大分市 大分空港
犠牲者 20人
生存者 22人
富士航空902便は1964年2月27日、鹿児島空港を出発後、大阪空港を経由して新東京国際空港へ向かう予定でした。
しかし、大分空港の滑走路02に着陸する際、プロペラのリバースもしくは非常ブレーキの操作ミス、または機械の故障が原因で、オーバーランしてしまいます。
その結果、空港東側の大分川の支流、裏川河川敷に墜落して炎上しました。
この事故により、乗客20名が死亡しています。
12位 日本航空350便墜落事故
発生日時 1982年2月9日8時44分
航空会社 日本航空
便名 日本航空350便
機材 ダグラスDC-8-61
墜落地 羽田空港沖の東京湾
犠牲者 24人
生存者 150人
日本航空350便は、福岡空港を出発して新東京国際空港に向かっていたところ、羽田空港沖を飛行中に墜落しました。
この事故により、乗員乗客174名のうち24名が死亡、149名が重軽傷を負いました。
事故の調査で得られた証言では、350便の機長は事故当時、非常に精神的に不安定になっていたということが判明しました。
別名、「日航羽田沖墜落事故」「日航逆噴射事故」とも呼ばれています。
11位 全日空下田沖墜落事故
発生日時 1958年8月12日8時55分
航空会社 全日本空輸(ANA)
便名 全日空25便
機材 ダグラス DC-3
墜落地 静岡県
犠牲者 33人
生存者 0人
全日空25便は、伊豆半島下田市沖上空を飛行中だった1958年8月12日8時30分頃、左側のエンジンが不調となり停止しています。
偶然近くを飛行中だった大阪発東京行きの16便に、羽田空港に引き返す旨を伝えましたが、8時55分に通信が途絶えて消息を絶ちました。
そしてその翌日、伊豆下田沖の利島付近の海上に墜落している25便が発見され、乗員3名、 乗客30名の合わせて33名が死亡しました。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 10位~6位
10位 もく星号墜落事故
発生日時 1952年4月9日午前7時57分
航空会社 日本航空
便名 日本航空301便
機材 マーチン2-0-2
墜落地 東京都泉津村(伊豆大島、現・大島町)
犠牲者 37人
生存者0人
日本航空301便は、1952年4月9日午前7時57分に館山通過、高度6000フィートで雲中飛行、8時7分大島上空予定と通信したのを最後に、7時59分に通信が途絶え、消息を絶ちました。
当時は暴風雨に加えて濃霧が発生していた悪天候で、翌10日に伊豆大島の三原山噴火口の東側1Kmの御神火茶屋付近の山腹に墜落しているのが発見されました。
この事故により、乗員乗客合わせて37名全員の死亡が確認されました。
9位 全日空松山沖墜落事故
発生日時 1966年11月13日午後8時28分
航空会社 全日本空輸
便名 全日空533便
機材 日本航空機製造・YS-11
墜落地 松山空港沖の伊予灘
犠牲者 50人
生存者 0人
1966年11月13日、全日空533便は松山空港沖で着陸体制に入りましたが、予定より大幅に離れた場所に着陸する可能性が大きかったため、着陸をやり直すために左旋回して上昇しました。
しかし、533便はそのまま制御を失ってしまい、松山空港沖2.2kmの伊予灘(瀬戸内海)に墜落しました。
この事故により、乗員5名、乗客45名の合わせて50名が死亡しました。
8位 カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故
発生日時 1966年3月4日20時15分
航空会社 カナダ太平洋航空
便名 カナダ太平洋航空402便
機材 ダグラスDC-8-43
墜落地 東京国際空港
犠牲者 64人
生存者 8人
カナダ太平洋航空402便は、東京国際空港に着陸した際、右主脚が進入灯に接触してしまい、そのまま制御を失い、進入灯を次々と破壊しながら護岸に衝突しました。
この事故では乗員乗客64名が死亡しました。
この事故が起きる1ヶ月前に全日空羽田沖墜落事故、その翌日に英国海外航空機空中分解事故が発生していたことから、日本社会に大きな衝撃を与えました。
7位 ばんだい号墜落事故
発生日時 1971年7月3日18時10分頃
航空会社 東亜国内航空(現・日本航空)
便名 東亜国内航空63便
機材 日本航空機製造YS-11
墜落地 北海道亀田郡七飯町
犠牲者 68人
生存者 0人
1971年7月3日、東亜国内航空63便は丘珠空港(北海道札幌市)を出発して函館空港に向かっていましたが、函館空港上空付近にさしかかった18時10分頃に消息が途絶えました。
自衛隊のヘリコプターで捜索したところ、函館空港から北北西に約17km離れた地点に墜落しているのが発見されました。
この事故により、乗員乗客合わせて68名全員が死亡しました。
6位 英国海外航空機空中分解事故
発生日時 1966年3月5日14時15分
航空会社 英国海外航空 (BOAC)
便名 英国海外航空 (BOAC)911便
機材 ボーイング707-436
墜落地 富士山付近
犠牲者 124人
生存者 0人
英国海外航空911便は1966年3月5日、サンフランシスコを出発して羽田空港を経由し、香港に向かう予定でした。
しかし、静岡県御殿場市上空付近の高度4,600mを飛行中、乱気流に巻き込まれて右翼が分断されるなど機体が空中分解し、御殿場市の富士山麓・太郎坊付近に墜落しました。
この事故により、乗員乗客合わせて124名全員が死亡しました。
航空事故・飛行機事故の有名40選・最悪ランキング:日本編TOP20 5位~1位
5位 全日空羽田沖墜落事故
発生日時 1966年2月4日18時59分
航空会社 全日本空輸
便名 全日空60便
機材 ボーイング727-100
墜落地 羽田空港沖の東京湾
犠牲者 133人
生存者 0人
全日空60便は1966年2月4日、千歳飛行場を離陸して羽田空港に向かっていましたが、羽田空港に着陸進入中との19時00分20秒の通信を最後に、消息を絶ちました。
この60便は、着陸準備中に羽田空港沖の東京湾に墜落したとみられ、東寺周辺住民などから東京湾の海上で炎を目撃したなどの通報が相次いでいました。
この事故により、乗員乗客合わせて133名全員が死亡しており、日本における大型ジェット旅客機初の墜落事故となりました。
4位 全日空機雫石衝突事故
発生日時 1971年7月30日午後2時2分
航空会社 全日本空輸
便名 全日空58便
機材 ボーイング727-281
墜落地 岩手県岩手郡雫石町
犠牲者 162人
生存者 2人(戦闘機パイロットと民家の高齢者)
1971年7月30日、千歳空港を出発して羽田空港に向かう予定だった全日空58便は、岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中、航空自衛隊の戦闘機と衝突してしまいました。
両機とも空中分解し、岩手県岩手郡雫石町の各地に機体の破片や遺体が降り注ぎました。
この事故により、乗員乗客合わせて162名全員が死亡しましたが、自衛隊機のパイロット1名は脱出して一命を取り留めました。
また、民家の屋根に破片が突き刺さり、当時81歳の高齢女性が負傷しました。
当時の日本における航空事故では最大の犠牲者を出し、社会に衝撃を与えました。
3位 中華航空140便墜落事故
発生日時 1994年4月26日11時15分
航空会社 中華航空
便名 中華航空140便
機材 エアバスA300B4-622R
墜落地 名古屋空港
犠牲者 264人
生存者 7人
中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)を出発して名古屋空港(現:名古屋飛行場)に向かっていた中華航空140便は、名古屋空港に着陸進入する際にトラブルが発生し、墜落しました。
この事故により、乗員乗客271名中264名が死亡しました。
中華航空(現:チャイナエアライン)が起こした航空事故としては現在までに最悪の事故であり、国内の航空事故としても日本航空123便墜落事故に次いで最大とされています。
2位 大韓航空機撃墜事件
発生日時 1983年9月1日午前3時23分
航空会社 大韓航空
便名 大韓航空007便
機材 ボーイング747-230
墜落地 北海道宗谷岬の北・宗谷海峡樺太近海
犠牲者 269人
生存者 0人
大韓航空007便は、1983年9月1日午前3時23分、ソビエト連邦の領空侵犯をしてしまったため、ソ連邦空軍の戦闘機により撃墜されてしまいました。
これにより、乗員乗客合わせて269名全員が死亡しています。
なお、この撃墜について日本や韓国、アメリカなどで連日報道されましたが、ソ連は撃墜した事実はないと否定しており、領海侵犯機は日本海の方に飛び去ったと主張しました。
しかし、その後アメリカ合衆国連邦政府が「ソ連軍機が007便を撃墜した」と発表し、ソ連軍機を傍受したテープを公開しています。
1位 日本航空123便墜落事故
発生日時 1985年8月12日 18時56分
航空会社 日本航空
便名 日本航空123便
機材 ボーイング747SR-46
墜落地 群馬県多野郡上野村高天原山山中(御巣鷹の尾根)
犠牲者 520人
生存者 4人
1985年8月12日、日本航空123便は、東京国際空港(羽田空港)を出発して、大阪国際空港(伊丹空港)に到着する予定でした。
しかし、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃に機体トラブルが発生して、同日18時56分に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落しました。
乗員乗客合わせて520名が死亡し、生存者わずか4名という、2021年9月現在までに単独機による航空事故の死亡者数としては世界最多の事故です。
また、123便には多くの有名人が搭乗しており、さらに搭乗する予定だった有名人もそうそうたる人物ばかりだったことから、現在まで長く語り継がれています。
【主な有名人犠牲者】
坂本九(歌手)、北原遥子(女優・元宝塚歌劇団雪組娘役)、中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)、石田一雄(阪神電気鉄道常務取締役)
【主な有名人搭乗予定者】
明石家さんま、稲川淳二、逸見政孝、ジャニー喜多川、少年隊のメンバー(錦織一清、植草克秀、東山紀之)
まとめ
国内外における有名な航空事故・飛行機事故の40選を、ランキング形式で紹介してきました。
航空事故と聞いて最も多く連想されるのは、国内であれば日本航空123便墜落事故、海外であれば9.11同時多発テロでしょう。
日頃から多くの事件・事故でたくさんの命が失われていますが、航空事故は一度に多くの命を奪うことからその衝撃は非常に大きいものです。
犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、今後このような事故が起こらないことを願ってやみません。