女優でエッセイストとしても活動する中井貴惠さんは豪華な家族が注目を集めていますが、現在の活動も話題です。
今回は中井貴惠のプロフィールや経歴、父親や弟など実家家族、結婚した旦那や子供、現在をまとめてみました。
中井貴惠のプロフィール
出典:https://twitter.com/
中井貴惠(なかい きえ)
本名:中沢貴惠子
生年月日:1957年11月27日
出身地:東京都大田区田園調布
血液型:O型
身長:167cm
家族:佐田啓二(父)、中井貴一(弟)
中井貴惠はエッセイストとしても活躍する女優で、名俳優の父・佐田啓二の長女として生まれました。
代表的な作品は「女王蜂」「人生劇場」で、1982年には「あゝ野麦峠・新緑篇」「制覇」で日本アカデミー賞の助演女優賞・優秀賞にノミネートされています。
そんな中井貴惠について詳しく紹介していきましょう。
中井貴惠の経歴
出典:https://www.waseda.jp/
早稲田大学在学中だった1977年、市川崑監督の映画「女王蜂」で女優デビューした中井貴惠。
出典:https://twitter.com/
名だたる大スター俳優に囲まれて、デビュー作品ながらヒロイン役を見事に務め上げ、大型新人の登場と期待される素晴らしい演技を見せます。
映画の宣伝でもメインの扱いを受け、数々の新人賞を受賞する華々しいデビューとなりました。
1982年には「あゝ野麦峠 新緑篇」「制覇」と立て続けに映画出演を果たし、日本アカデミー賞助演女優賞にノミネートされることに。
以降も映画やドラマに多数出演し、1983年には映画「人生劇場」でヌードを披露して演技の幅を見せ付けました。
「人生劇場」でヌードを披露してからは脱ぎのオファーが相次ぎ、日活株式会社(にっかつ)からもオファーが来たようです。
日活はかつて東宝、東映、松竹と並ぶほどの映画会社で、日本のロマンポルノ業界を牽引し、今の日本映画を支える名監督を多数生み出してきた会社です。
絶え間ないオファーに女優としての躍進が更に期待されていましたが、1987年に結婚がきっかけで女優業を休業しています。
中井貴惠の家族① 父親・佐田啓二
中井貴惠は生家が芸能一家であることも知られています。
父親は、1940~1960年代に戦後のスター俳優として活躍した佐田啓二です。
出典:https://ja.wikipedia.org/
佐田啓二(さだ けいじ)
本名:中井寛一
生年月日:1926年12月9日
没年月日:1964年8月17日(37歳没)
出身地:京都府京都市下京区
身長:171.2cm
1947年、木下恵介監督の「不死鳥」でデビューし、当時映画界の大スターである田中絹代の相手役に抜擢されました。
作品内でのラブシーンが話題となり、デビュー作にして映画スターの地位を獲得します。
NHKの人気ラジオドラマを映画化した「鐘の鳴る丘」ではデビュー間もないながら主演を務め上げ、当時の映画界を代表する人気俳優に。
デビューが同時期だった高橋貞二、鶴田浩二と合わせて「松竹戦後の三羽烏」と言われるほどの話題と人気を獲得しました。
1953年の映画「君の名は」は当時の大人気ドラマの映画化作品で、女優・岸恵子と共演して大衆の心を掴む演技を見せて大ヒット。名実共にトップスターの地位を不動のものにしました。
今で言うアイドル的な人気も博していた佐田啓二ですが演技の幅は広く、ジャンルを問わない演技力が評価されています。
爽やかな好青年から鬼気迫るアンダーグラウンドな人間、癖のある悪役まで、どんな人物も演じこなしていました。
1956年に公開されて問題作として話題になった小林正樹監督作「あなた買います」では、スカウト役を演じ、毎日映画コンクールやブルーリボン賞の主演男優賞を獲得しました。
出典:https://twitter.com/
しかし、そんな名俳優・佐田啓二を悲劇が襲います。
1964年8月、夏休みを兼ねて別荘のある信州蓼科高原に訪れていた佐田啓二。
NHKドラマ「虹の設計」の収録に参加するため東京に帰る途中、乗っていた車の運転手の居眠り運転により橋の欄干に衝突する事故を起こします。
さらにコントロールを失った車は別の乗用車にも衝突し、この事故により頭の骨と右腕を骨折する大怪我を負いました。
すぐに病院に運ばれましたが、8月17日午前11時過ぎに死去。37歳でこの世を去りました。
俳優として大衆を魅了し、映画界のスターとして業界の未来を担うことを期待されていた佐田啓二。俳優として絶頂期に、交通事故でこの世を去ることになったのです。
その突然の死は多くの人に惜しまれ、8月22日午後2時より青山葬儀場にて行われた葬儀には芸能関係者や一般のファンなど約1000人が参列しました。
残された中井貴惠と弟・中井貴一は、母親が女手一つで育て上げました。
中井貴惠6歳、中井貴一2歳、幼くして父親を亡くした2人ですが、まるで運命に引き寄せられるかのように揃って俳優の道へ進みました。
戦後の大スター・佐田啓二を妻として支え、2人の子供を立派な俳優に育て上げた母親。
その母親も87歳で亡くなりましたが、2人の子供に囲まれて幸せな人生を過ごしたことでしょう。
中井貴惠の家族② 弟・中井貴一
中井貴惠の弟、中井貴一は今、日本の芸能界になくてはならない名俳優です。
出典:https://eiga.com/
本名:中井貴一(なかい きいち)
生年月日:1961年9月18日
出身地:東京都世田谷区
血液型:A型
身長:181cm
1981年、松林監督の映画「連合艦隊」で俳優デビューし、デビュー作ながら日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞するなど、父親譲りの演技力で映画界に足を踏み入れた中井貴一。
1982年にはNHKの時代劇「立花登 青春手控え」でテレビドラマ初出演にして初主演を果たしました。
1983年に放送されたテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」でも主演を飾り、ドラマが大ヒットしたことによって中井貴一の知名度も急上昇。
1988年に放送されたNHK大河ドラマ「武田信玄」でも主役・武田信玄を演じ、平均視聴率40%、瞬間最高視聴率は歴代2位である49.2%という驚異の記録を叩き出しました。
シリアスな役柄、好青年、そして三枚目風のコミカルな役柄まで演じ分ける演技力の広さがあり、二枚目役者だった父親にも負けない演技力で主役も脇役も演じこなす中井貴一。
映画・ドラマ好きな大衆はもちろん、業界関係者からも厚い支持を獲得しています。
名実共に評価され、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、エランドール賞、ヨコハマ映画祭、報知映画賞など様々な賞を獲得。現在も第一線で活躍を続ける名俳優として知られています。
姉弟揃って役者の道に進んだ2人ですが、中井貴一は仕事で姉と共演したくないという思いがあり、同じドラマに出演しても2人が絡むシーンなどはありませんでした。
いつか姉弟2人の息の合った共演が見てみたいですね。
中井貴惠の家族③ 結婚した旦那と子供
出典:https://www.waseda.jp/
1987年の結婚を機に女優業を休業した中井貴惠。
気になるお相手ですが、旦那の名前は中沢直樹と公表されており、岩手県盛岡市出身で、一般人の研究者です。
「水摩擦強度の研究」の功績が評価され、アメリカ・ニューハンプシャー州にある極地工学研究所に勤めていました。
そのため、結婚を機に中井貴惠も旦那と共にアメリカに移住し、帰国後は北海道札幌市を経て、現在は東京で暮らしています。
旦那との間には2人の子供が誕生し、どちらも女の子なので中井貴惠は2女の母ということになります。
エッセイストとして「娘から娘へ」というエッセイ本も出版しており、子供がまだ幼かった頃の育児奮闘記が記されています。
中井貴惠の私生活、旦那と子供とのエピソードが詰まった一冊になっているので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
中井貴惠の現在
出典:https://eiga.com/
1987年に結婚して女優業を休業した中井貴惠ですが、近年は絵本の朗読を行う「大人と子供のための読みきかせの会」の活動を行なっています。
「大人と子供のための読みきかせの会」は、一冊の絵本との出会いがきっかけで結成された読みきかせのグループで、1998年10月より活動を始めました。
これまでに保育園、幼稚園、小学校、養護学校、老人ホーム、病院などで1200回以上の公演を行なっています。
2006年からは絵本の朗読と楽器演奏による音楽を融合させた表現スタイル「音語り」の公演をスタートさせました。
ピアノ、尺八、チェロなどの楽器が奏でる素敵な音楽と合わせて、絵本の世界観を表現する読みきかせ会は大好評のようで、子供から大人まで楽しめる朗読会として人気を集めています。
大人になると絵本を読む機会は減ってしまいますが、毎日忙しく過ごしている大人にこそ観てもらいたいのがこの朗読会です。懐かしさを感じる絵本、美しい音楽、ゆったりとしたひととき。
忙しい毎日に忘れがちな心地よさを思い出せる「大人と子供のための読みきかせの会」は現在も公演を行なっているので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
また、中井貴惠は女優業への復帰も果たしています。
出典:https://www.amazon.co.jp/
2013年に公開された映画「じんじん」でスクリーンに復帰し、1985年公開の映画「食卓のない家」以来約28年ぶりに映画出演を果たしました。
特別試写会イベントにも出席し、主演・演出を手がけた俳優の大地康雄らと共に報道陣の前に姿を見せています。
映画復帰のきっかけは大地康雄からのオファーだったんだとか。
「大人と子供のための読みきかせの会」の公演が世田谷の病院で開催されることを聞きつけた大地康雄が観に行ったところ感動し、関係者に中井貴惠との取り次ぎを頼み込んだそうです。
中井貴惠はそのオファーを受けた際、約28年ぶりという大きなブランクがネックになり「久しぶりだし、私に務まるだろうか」と最初は戸惑ったといいます。
しかし大地康雄からの熱烈なオファーもあり、こんなチャンスは滅多にないと映画出演を決意したのだとか。
過去によく共演していた佐藤B作や中田喜子なども出演者に名を連ねており、馴染みの面々がいたことも安心に繋がったと語っています。
「やりたい気持ちが沸き起こりました」とスクリーン復帰を決意した中井貴惠は、撮影に入ってからの様子も語っています。また、「不思議なくらいブランクを感じなかった」と語りました。
女優デビューが映画だったこともあり、久しぶりに触れた映画の世界に「やっぱり映画はいいな」とも感じたようです。
結婚を機に女優業から離れていたものの、本人は「休業していたわけではない」と言い、「またいい作品があったら参加したい」と女優業への本格復帰に意欲を見せました。
女優業の他にも、2018年には絵本の翻訳の仕事にも携わっています。
米国の作家ケイト・ベアビーによる絵本で、イマジネイション・プラス刊から出版された「ハンナとシュガー」が2018年11月に発売されました。
出典:https://mainichi.jp/
アメリカでの生活経験もある中井貴惠が翻訳を担当し、言葉ひとつひとつにピッタリと合う日本語をイメージして丁寧に翻訳に臨んだようです。
友人のペットの犬に恐怖を覚えていた少女が、その犬が行方不明になったのをきっかけに皆と捜しに行くというストーリーの絵本です。
読んだ後に心にあたたかいものが残る「ハンナとシュガー」は、子供にも大人にもおすすめです。
さらに、2019年9月19日に放送された「徹子の部屋」にも出演し、現在の姿をテレビを通してお茶の間にお披露目しました。
長女が国際結婚をしたようで、イタリアで結婚式を挙げた長女に、母として真珠のネックレスを贈ったことを黒柳徹子に報告しました。
また、亡き父・佐田啓二の直筆の色紙も紹介。
戦後を代表する二枚目俳優の直筆は、その達筆さに黒柳徹子が思わず感嘆の声を上げるものでした。
このように現在は女優業にも復帰し、テレビ番組にも出演するようになった中井貴惠。
自身の体験をエッセイにして出版したり、朗読会や絵本に携わる仕事を現在も続けたりと、幅広く活躍しています。
まとめ
女優でエッセイストの中井貴惠の現在を紹介しました。
スクリーンに復帰した中井貴惠に映画界からは期待も集まり、今後の作品への注目も高まっています。
女優・中井貴惠の動向から目が離せません。