「ビーバップハイスクール」で一躍人気女優となった宮崎ますみさんですが、離婚や乳がんを公表し話題となりました。
今回は宮崎ますみさんの若い頃、元旦那との結婚や離婚、子供、乳がんのステージや闘病生活、現在をまとめました。
この記事の目次
宮崎ますみのプロフィール
プロフィール
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名前:宮崎ますみ(みやざきますみ)
生年月日:1968年1月26日
出身:愛知県
身長:162cm
血液型:A型
経歴
1983年、「アイコ十六歳」に出演し女優として芸能界デビューを果たすと、1985年度の「クラリオンガール」にも選出されたことで知名度を上げます。
同年「ビーバップハイスクール」に出演し、1988年の高校与太郎完結編まで出演し続けたことにより、一気に人気女優へと成長しました。
1990年代には「XX美しき凶器」や「屋根裏の散歩」などの作品へ出演、さらに写真集「XX-HOLY BODY」と「XXX」で見せた妖艶な姿に、ファンは魅了されました。
しかし、人気絶頂の中で1994年に電撃的に結婚を発表するとともに、その後はアメリカに移住しています。そして、家事と育児に専念するために芸能活動を休止しました。
2005年から芸能活動を開始しましたが、その数ヶ月後に、自身が乳がんを抱えていることを告白しています。
2007年に離婚を発表されています。
宮崎ますみの若い頃 【生い立ち~芸能界デビュー~ブレイクまで】
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現在は女優やCM出演などといった、表立った芸能活動はほとんど行っていないため、宮崎ますみさんの名前も顔も知らないという世代が増えているかもしれません。
宮崎ますみさんが知名度を上げた「クラリオンガール」に選出された当時高校2年生、そして「ビーバップハイスクール」では女優・中山美穂さんとダブルヒロインを務めた人気女優です。
物心ついた頃から女優を志していたという宮崎ますみさんの実家は、鉄鋼業を営んでいて、豪快な経営者だった父親は遊びも豪快だったそう。
そのため、女性関係などが原因で父親と母親はよく大喧嘩をしていたそう。
子供ながらに複雑な気持ちでその様子を眺めていた宮崎さんは、父と母の期待に沿う優等生であろうとするあまり、女優という夢も薄れていきました。
しかし、父親が48歳という若さで他界したことがきっかけで、その半年後にクラスメイトが映画のオーディションのチラシと履歴書を宮崎ますみさんの元へと持ってきたんだそうです。
言われるがまま応募したオーディションでしたが、あれよあれよと審査に合格し、「アイコ十六歳」の出演を決めました。
こうして幼い頃からの夢だった女優になる決意をして芸能界入りし、一気にブレイクを果たしたのです。
多くの作品に出演し人気女優としてその名を馳せましたが、1994年に発売したヘアヌード写真集「XXX」は衝撃的でした。
抜群のスタイルと、当時26歳とは思えない妖艶さ、大人の色気にファンは大興奮で、なんとこの写真集は30万部を売り上げるベストセラーとなりました。
若い頃の宮崎ますみさんを知らない人にもぜひ観てほしいほどの素晴らしい写真集で、人気絶頂の宮崎さんが、その後まさか芸能活動を休止するとはファンも思ってもみなかったでしょう。
宮崎ますみと仲村トオルの熱愛の噂と真相
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宮崎ますみさんの出世作となった「ビーバップハイスクール」では、仲村トオルさんと共演されていました。
実はこの共演をきっかけに、シリーズが完結するまでの5年間、2人は熱愛関係にあったと言われています。
ドラマで始まった同作には、6本の映画作品があり、長い期間に渡りシリーズ化されました。
撮影現場で一緒になることはかなり頻繁だったでしょうし、回数を重ね共に1つの作品を作り上げていくうちに交際に発展したのでしょう。
俳優同士がドラマや映画での共演をきっかけに交際に発展するケースは少なくありませんので、宮崎さんと仲村さんが交際していたとしても、なんら不思議ではありません。
しかし、その後シリーズが完結するまでの5年間交際が続いたにもかかわらず、2人は破局してしまいました。
長い共演期間の中で、もしかしたら別れを切り出しづらくなっていた可能性もあります。
ただ、ずっと交際が噂されていた2人を密かに応援するファンも多かったため、電撃的に結婚を発表した宮崎ますみさんのお相手が仲村トオルさんではなかったことはとても残念でした。
仲村トオルさんもその後、違う方と交際し、結婚されています。
宮崎ますみの元旦那「タケシ・ミキ」とは 【結婚生活や離婚後の心境も】
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1994年、人気絶頂の最中に電撃的に結婚を発表した宮崎ますみさんのお相手の男性は、15歳年上のテレビカメラマンの方でした。
「タケシ・キミ」という名前で、ロサンゼルスを拠点に活動していた方だったそうです。
宮崎さんは結婚と同時に渡米し、夫であるタケシ・キミさんを支えるため芸能活動を休止しました。
世の男性ファンはそれはそれは嘆き悲しみましたし、女優としてもうテレビで見られないことは多くのファンにショックを与えました。
2003年には家族でハワイへと移り住んだと言われ、順風満帆な幸せな家族を築いていたようです。
2007年に離婚を発表
順調な結婚生活を送っているかに思われた宮崎ますみさんでしたが、2005年に日本に帰国して芸能活動を再開し、2007年にタケシ・キミさんと離婚が成立したことを発表しました。
離婚に至るまでのことを振り返り、「私の離婚は意外とさっぱりとした方だったのかもしれません。けれど人並みに涙もたくさん流しました」と告白。
どの離婚も、大抵は結婚よりも多くのエネルギーを使いますし、精神的なダメージも大きいものです。
ましてや女性はシングルマザーとして子どもを育てていかなければなりませんから、その不安は計り知れません。
しかし、宮崎さんは決して過去の後悔の涙ではなく、日々変化する人生はそのままの形を留めておけないことへの悲しみの涙だと語り、離婚は前に進むための決断であることを明かしました。
また、結婚生活について「自分を磨くための素晴らしい経験」だと振り返り、「別れも素晴らしい人生のギフトだと素直に感じる」と前向きな気持ちも語っていました。
子供たちのために離婚を踏みとどまろうとしたこともあり、周りからも反対されたと宮崎さんは明かしていますが、それでも自分たちの未来のために自ら離婚という決断を下したそう。
離婚のきっかけは何か大きな出来事があるわけではなく、日々の小さなすれ違いが積み重なっていつのまにか埋められない溝ができているということが多いようです。
宮崎さんもまた、1つのことから狂い始めた歯車を、気づいた時にはもう修正できなくなっていたのかもしれません。
それでも毎日は続いていくわけですから、今後をより良いものにするために離婚という手段を取ったのだとすれば、悲観することはなく、前向きになれるはずです。
そんな宮崎ますみさんは、現在はお子さんたちを立派に育て上げ、新しい人生を築いています。
宮崎ますみの子供は息子が2人
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宮崎ますみさんと15歳年上のテレビカメラマンである元夫との間には、2人のお子さんがいます。
1995年に第1子となる男の子、1997年に第2子の男の子を出産されたようで、どちらのお子さんもアメリカで出産されました。
すでに2人とも20歳を超えた大人となっていますが、離婚した当時はまだ小学生だったので、女手一つで子供たちを育てることは大変な苦労があったでしょうね。
とても幼い頃の写真はありましたが、現在はどのように成長されたのか、名前や生年月日などお子さんに関する情報は一切ありません。
ただ幼い頃を見る限り、宮崎さんに似て目鼻立ちのくっきりしたイケメンになっていること間違いなしですね。
宮崎ますみが乳がんを発表し話題に 【ステージや闘病生活も紹介】
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2005年11月、宮崎ますみさんは自身が乳がんに侵されていることを公表しました。
実は2年ほど前から右胸にしこりがあることに気付いていたという宮崎さんですが、きちんと病院で検査を受けて診断が下りたのはこの時だったそう。
幸いにも、がんが発覚した当時のステージは「1」で、手術と放射線治療によりがんの根絶が可能な状況でした。
日本では、12人に1人の確率で発症すると言われる乳がん。
しこりに気付いていたものの診断が下りるまで自分が乳がんであることなど想像もしていなかったそうです。
ステージ1だからといって、がんは簡単に治るわけではありません。
宮崎さんは闘病中のことを振り返って、「あぁわたし、がんなんだ、と実感したのは手術前よりもむしろ後の治療の時でした」と語っています。
がんが発覚した後すぐに、右胸のがんを取り除く手術を受け、その後、抗がん剤と放射線治療を行ったそう。
特抗がん剤による副作用がキツく出てしまった宮崎さんは、「どんどん体が壊れていく」という感覚だったと語っています。
「首と肩の凝りががっときて、疲れが激しくなって衰弱して、本当に病院に行くのがやっとという状態」だったそうで、これが何年も続くと思うと絶望的だったと闘病の辛さを明かしました。
先ほども言ったように、やはり、ステージが初期であったからと言って治療が簡単なわけではありません。
完治する可能性はもちろん初期であればあるほど高くなりますから、命に別状がないことは不幸中の幸いです。
しかし、がん治療は心も体も日に日にむしばんでいくため、がんを乗り越えるということは並大抵のことではありません。
そんな大病を乗り越えた宮崎さんは現在、この経験を生かした活動を行なっています。
宮崎ますみの現在
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宮崎ますみさんは、乳がんの治療を乗り越えた経験を生かして、現在ヒプノセラピストという仕事に就いています。
まずは、この聞き慣れない「ヒプノセラピスト」という職業について見ていきましょう。
ヒプノセラピストってどんな仕事?
ヒプノセラピーとは、催眠療法の1つです。
催眠と暗示、そして、イメージを用いて、人の潜在意識にダイレクトにコミニケーションを取ることで、心に肯定的な変化を促すことができるセラピーテクニックのことを言います。
テクノロジーが発達した世の中ですが、このヒプノセラピーは人類最古のセラピーと言われています。
ヒプノセラピーには主に3つの種類があり、1つ目は暗示によるセラピーです。
暗示とは、普段私たちが無意識のうちに外からの影響を受けてそれが潜在意識にプログラミングされることで、「現実」として捉えるようになることです。
こうした性質を利用して、肯定的な暗示を与える治療法です。
もう1つは、イメージを利用したセラピーで、これは成功イメージを潜在意識にイメージさせて現実化しようという治療法です。
そして最後が、潜在意識の過去にさかのぼることで、抑圧されている否定的な感情のルートを探り、それらを解放する治療法です。
これらを駆使した心理療法で精神病の治療に励むのが、ヒプノセラピストという職業の方々なのです。
ヒプノセラピストとして活躍
宮崎ますみさんは、乳がんをきっかけに本格的にヒプノセラピーに取り組み、なんとそれを仕事にするところまで極められました。
がんになったことで、生き方が大きく変わったという宮崎さん。
病気が発覚した当初や、治療を続ける中で、もう死んでしまいたいと思うほど辛い時期もあったでしょう。
しかし、病気を克服したからこそ、同じように精神的に参ってしまった人をなんとか助けたいと思うようになったのかもしれません。
「もう生きててもしょうがないし、死んでもいいかな」と言っていた人が、今では「生きてるのが楽しくてしょうがない」と言ってくれることもあるそうで、ヒプノセラピストとしてのやりがいを明かしています。
どんな逆境の中でも、その後に豊かな人生を歩めるかどうかは気持ちの持っていき方もとても大切なのかもしれませんね。
離婚や大病を乗り越え、現在、ヒプノセラピストとして充実した人生を送っている宮崎ますみさんが、これからも健康で幸せに過ごしてくれることを願うばかりです。
まとめ
彗星の如く現れ一気にブレイクを果たした人気女優・宮崎ますみさんは、人気絶頂の中で結婚を機に芸能活動を休止しました。
芸能界に復帰したものの2ヶ月後に乳がんを患い、またその2年後には離婚を経験するなど辛い時期を過ごしました。
しかし、現在はヒプノセラピストとして活動され、人々が人生をより豊かに生きるためのお手伝いに尽力されています。
多くの壁を乗り越えた宮崎さんだからこそできる仕事で、宮崎さん自身の人生も豊かになっているんですね。
今後のご活躍が楽しみです。