宮川花子さんは旦那の宮川大助さんと夫婦漫才師として活動中ですが、これまでの病歴が話題です。
今回は宮川花子さんの若い頃の経歴、結婚生活と子供(娘)、浮気騒動、胃がんや多発性骨髄腫などの病歴、自宅や現在の病状もまとめました。
この記事の目次
- 宮川花子のプロフィール:「宮川大助・花子」として活動する夫婦漫才師
- 宮川花子の若い頃の経歴① 高校を卒業後に大阪府警察へと入庁
- 宮川花子の若い頃の経歴② 警察官を辞めて漫才師になるものの一度挫折
- 宮川花子の若い頃の経歴③ 「宮川大助・花子」を結成&結婚
- 宮川花子の若い頃の経歴④ 胃がんで生じたコンビ・夫婦としての危機
- 宮川花子の若い頃の経歴⑤ 古巣・大阪府警で1日署長を務めるなど活躍
- 宮川花子の若い頃の経歴⑥ 再び病に・・・多発性骨髄腫を公表
- 宮川花子が結婚した旦那は相方・宮川大助
- 宮川花子と旦那・宮川大助の結婚生活が書籍化&ドラマ化
- 宮川花子の子供:一人娘の宮川さゆみも漫才師&相方は横山やすしの娘
- 宮川花子と旦那・宮川大助それぞれの浮気騒動と結末
- 宮川花子の自宅がスゴイ・見事な桜の木がそびえたつ、絶景の見える庭
- 宮川花子と旦那・大助の病歴が壮絶すぎる・胃がんや多発性骨髄腫など
- 宮川花子の現在:夫婦で舞台や講演会に出演・病状は?
- まとめ
宮川花子のプロフィール:「宮川大助・花子」として活動する夫婦漫才師
生年月日:1954年8月28日
出身地:大阪府
所属事務所:吉本興業
宮川花子さんは漫才師で、旦那である宮川大助さんと夫婦漫才師「宮川大助・花子」として活動しています。
夫婦漫才のパイオニア的存在であり、関西ローカルのメディアのほか、吉本興業所有の劇場を中心に出演。
本名は「松下美智代」で、かつてはお笑いトリオ「チャンバラトリオ」に師事していました。
宮川花子の若い頃の経歴① 高校を卒業後に大阪府警察へと入庁
宮川花子さんは警察官を志していたそうで、高校を卒業すると大阪府警察へと入庁。
城東警察署に配属となり、交通巡視員として勤務していました。
交通巡視員とは、道路交通法に基づいて、交通の安全を守るための指導や違反の取締りなどを行う警察職員のこと。具体的には、交通整理や自動車などの車両の駐停車違反の取締りなど、道路交通法が関連するものが主な職務である。常勤職員ではあるが、警察官とは異なる交通関係の専門職であり、犯罪捜査などの職務は行うことはできない。
引用:交通巡視員
花子は漫才のチャンバラトリオに弟子入り。その後、巡業先で知り合った夫の宮川大助(59)と結婚後、一度は芸能界を引退したが79年に夫婦漫才「宮川大助・花子」として再デビューを果たし現在に至る。一方で、業界入り前の肩書が「婦人警官」だったことは有名で、自ら漫才に盛り込むなど公言してきた。高校卒業後に府警に採用され、城東署では交通違反取り締まりを担当していた。
ちなみに、警察官を志すようになったのは、「偉そうにできる」「男にもボロクソに言える」といった理由からだといいます。
宮川花子の若い頃の経歴② 警察官を辞めて漫才師になるものの一度挫折
出典:https://natalie.mu/
交通巡視員として違反検挙率トップを誇るほどの仕事ぶりを見せていた宮川花子さんでしたが、同時期にMBSテレビで放送されていた演芸番組「素人名人会」に出演。
同番組で落語「相撲場風景」を披露したところ、見事、「名人賞」を受賞しました。
大入り満員である相撲の小屋で、握り飯を持って贔屓を声援している観客がいた。後に空腹な客が座っていたのだが、勘違いで前の客が握り飯をくれたものと思い、食べてしまう。別の席では尿意を感じている客がいた。便所に立つと席を取られるので、動こうにも動けない。そこで、近くで寝ている男の一升瓶の中に排尿してしまう。起きた男は目や鼻に染みると騒ぎ立てる…。
引用:相撲場風景
宮川花子さんは大阪府警察を退職すると、1974年にお笑いトリオ「チャンバラトリオ」に入門。
「真琴」名義で、中学時代の同級生かつチャンバラトリオを紹介してくれた、お笑い芸人中田はっさくさん(当時は吉田ハッチ名義で活動)とお笑いコンビ「新鮮組」として活動しました。
しかし、それからわずか1年半ほどで新鮮組は解散。芸人活動も辞めてしまい、警備会社へと就職し、万引きGメンとして勤めていたそう。
宮川花子の若い頃の経歴③ 「宮川大助・花子」を結成&結婚
警備会社で万引きGメンとして勤めていた時、同会社で先輩として出会ったのが、のちの旦那で相方となる宮川大助さんです。
その後、1976年に漫才コンビ「宮川大助・花子」を結成し、まもなくして結婚。夫婦漫才師となりました。
宮川花子さんの旦那で相方の宮川大助さんは、インタビューで結成当時について、以下のように振り返っています。
コンビ結成当時は二人でアルバイトして、それを生活費にあててね。少しでも効率良く働きながら衣装代や養育費を稼ぎ出すんです。娘を背中に背負ったまま劇場に入ってたなぁ。その頃の難波花月や梅田花月は芸人とお客さんが同じ所から入ってましてね、同期の紳助竜介さんたちの若いファンがたくさんいて、そこに子どもを背負った僕らが来るわけですから、集まったファンは興ざめするんですよ(笑)
また、結成当時はネタ作成者でもある宮川大助さん主体となるネタが多く、宮川大助さんが宮川花子さんを投げるといった“どつき”ネタも多用するスタイルでした。
宮川花子さんのケガなどを心配した周囲は、役割を反転することを勧めたところ、より高い評価を得るようになったといいます。
「第3回ABC漫才・落語新人コンクール」漫才の部では、最優秀新人賞を受賞。
「第19回上方漫才大賞」では新人賞を受賞と各賞レースでも結果を残し、1987年「第22回上方漫才大賞」、1990年「第25回上方漫才大賞」では大賞も受賞しています。
宮川花子の若い頃の経歴④ 胃がんで生じたコンビ・夫婦としての危機
宮川花子さんは1988年、胃がんが原因で体調を崩してしまいます。
コンビでの活動ができなくなっただけではなく、5年もの間入退院を繰り返し、絶望感から精神面でも不安に陥いるように。夫婦としても危機的状況にあったとのことです。
その後、病気が快方に向かうにつれて夫婦の関係も修復。
舞台復帰後の漫才にも変化が見られ、宮川花子さんが宮川大助さんについてノロケるくだりが定番となりました。
2007年には、宮川大助さんが脳出血で入院。3ヵ月ほどとなった療養期間中、宮川花子さんは1人で舞台に立ちました。
子育ても終り、さて女として次は何をしようと考えていた時です。集中治療室に運ばれた大助くんは私に“俺は漫才はもうあかん。花子ひとりで(東京の舞台に)行ってくれ」と言ったんです。娘はそれを聞いて“自分の命も危ないのに、お母さんに舞台にたつよう言うたお父さんは立派や。ほんまの芸人や!”と言いましたね。それで私はひとりで舞台に立つ決心がついたんです。
宮川大助さん復帰後も体調を優先し、舞台出演数を削減。宮川花子さん1人で出演する機会も増えました。
今年2月から脳出血のため休養していた漫才師・宮川大助が5月24日(木)、大阪・なんばグランド花月で、妻で相方の宮川花子と共に舞台復帰した。およそ10分間、久々に舞台上で爆笑漫才を披露した大助は「本当に喜びでいっぱい!(久々で)嫁が頭のなか真っ白になっていて、立ち往生しましたが、お客さんにたくさん笑って頂いて感謝しています」と挨拶。
宮川花子の若い頃の経歴⑤ 古巣・大阪府警で1日署長を務めるなど活躍
宮川花子さんは以降も精力的に芸能活動を続け、2010年には古巣である大阪府警察の1日署長に。”37年ぶりの大出世“と話題になりました。
春の全国交通安全運動の一環で、漫才師の宮川花子(54)が9日、大阪府警城東署で1日署長を務めた。高校卒業後に府警に採用され、73年に約半年間、交通巡視員として同署に勤務した経験があり、37年ぶりの“大出世”に「同期の誰よりも早く署長になりました」と笑いを誘った
また、趣味である手芸関連の仕事もしており、NHKの手芸番組「おしゃれ工房」のレギュラーを経て、2010年にスタートした後続の手芸番組「おしゃれ工房」では司会も務めています。
ラジオ番組のほか、山陰放送「宮川大助・花子のハテはてな?」、BS朝日の旅番組「大助・花子が行く!未来の世界遺産 北イタリア 絶景モンブランの旅」などに夫婦で出演しています。
宮川花子の若い頃の経歴⑥ 再び病に・・・多発性骨髄腫を公表
出典:https://www.nikkansports.com/
NHKのクイズ番組「バラエティー生活笑百科」に出演するなど、人気漫才師&タレントとして活動していた宮川花子さんでしたが、2019年に多発性骨髄腫を患っていることを公表。
多発性骨髄腫は血液細胞の中の「形質細胞」という細胞が悪性化してどんどん増殖していく病気です。患者さんは高齢者に多く、女性よりも男性に多い傾向があります。血液細胞を作り出す工場のような役割をしているのが「骨髄」ですが、骨髄で形質細胞ばかりを作るので、他の細胞(赤血球、血小板、形質細胞以外の白血球)が作られなくなり、様々な症状(貧血、倦怠感、息切れ、紫の痣、浮腫み等)が起こってきます。
引用:多発性骨髄腫とは
現在は、舞台やメディアへの出演は以前と比べて少なくなっています。
宮川花子が結婚した旦那は相方・宮川大助
生年月日:1949年10月3日
出身地:鳥取県
所属事務所:吉本興業
宮川花子さんは、1976年に漫才コンビ「宮川大助・花子」を結成したのちに、相方である宮川大助さんと結婚。
漫才中は”かかあ天下”的な発言が多いものの、ネタを書いているのは旦那である宮川大助さんで、実生活では仲の良い夫婦とのこと。
漫才以外での喧嘩もほとんどないそうで、「夫婦でいられなくなるぐらいなら漫才を辞めればいい」という考えなのだそうです。
夫婦漫才は別れた方が売れるらしいですけど、私も大助くんも漫才師であること以上に、夫婦であることが普通でしたから。そんな私らにしてみれば30年も漫才やって来られたことの方がスゴイ! 夫婦や家族よりも漫才が上にくることはありませんでした。というか、一番下(笑)
当初は夫婦であることを公表しておらず、予期せずに公表となった際には会場中から驚きの声があがったといいます。
初めは夫婦だとは公表してなかったんです。それがある新人コンテストで私らが優勝した時、司会の三枝さんが優勝は大助花子です! の後に“夫婦でよく頑張ったな。それでは子どもさんも舞台に”って言ってしまったんです(笑)。新人賞ですよ! 周りも若い方ばかりやのに。もう「えええええええええェェェェェェェ~」ですよ。
宮川花子と旦那・宮川大助の結婚生活が書籍化&ドラマ化
仲の良いコンビであり、夫婦でもある2人ですが、前述にもあるように宮川花子さんが胃がんで闘病していた際にはコンビ・夫婦としての危機に面していたそう。
病状の回復とともに仲も修復していったとのことですが、1994年に発売された著書『愛をみつけた 大助・花子のおやオヤ日記』には、その経緯が詳しくつづられています。
妻のガンを誰にも話せず苦悩する夫、単なる胃かいようではないと思いつめる妻、ぎくしゃくした家庭で身の置き場を失った子ども。家庭崩壊の窮地の中でおいつめられながらも、夫婦と親子が絆をとりもどすまでを、漫才の舞台よろしく軽妙に綴る。
引用:愛をみつけた
同著は発売してすぐに反響を呼び、1995年にNHKでドラマ化。「愛をみつけた」というタイトルで、辰巳琢郎さんが宮川大助さん、毬谷友子さんが宮川花子さんを演じました。
実力人気ともにNo.1の漫才コンビの宮川大助・花子。ハードスケジュールに追われるうちに、花子が病に倒れ、休業を余儀なくされる。彼らのすさまじいまでの芸にかけるエネルギーと、夫婦漫才という特殊なかたちの共働き夫婦の哀歓を、大阪の芸能界を背景に描いた。原作は宮川大助・花子の「愛をみつけた 大助・花子のおやオヤ日記」(全20話)
宮川花子の子供:一人娘の宮川さゆみも漫才師&相方は横山やすしの娘
宮川花子さんはコンビ結成&結婚から1年後の、1978年に長女・紗弓さんを出産しています。
娘である宮川紗弓さんは当初、獣医師を目指していたそうですが、カナダ留学を経て漫才コンビ「さゆみ・ひかり」を結成。
相方が、伝説の漫才コンビ「横山やすし・きよし」の横山やすしさんの娘・ひかりさんということもあり、“親の七光”ならぬ”十四光”だと話題になりました。
また、2017年には女性芸人No.1を決める賞レース「THE W」に、母親である宮川花子さん・母親の弟子である宮川たま子さんとのユニット「宮川家の女達」として出場。注目を集めました。
宮川家の女達は、宮川花子が娘・宮川さゆみ、弟子・宮川たま子と結成した3人組。花子は今大会に出場するに至った理由を「夫の病院代があまりにもかかったから」と説明している。芸歴40年を超える大ベテランである彼女や、吉本新喜劇からの刺客の活躍に期待しよう。
宮川花子と旦那・宮川大助それぞれの浮気騒動と結末
- 宮川花子さんと旦那で相方の宮川大助さんは仲睦まじい夫婦ではありますが、実はこれまで宮川大助さんの浮気が何度も発覚しています。
しかし、時代もあってかこれまで公開謝罪会見などはなし。漫才のネタにすることはあれど、浮気による喧嘩や離婚危機といった話もほとんどされていません。
また、一方の宮川花子さんにも過去、不倫疑惑が持ち上がったことがありました。不倫相手と噂されたのは弟子の若手芸人とのこと。
その際、2人は夫婦そろって会見。漫画家の柴門ふみさんは、不倫がテーマの対談で2人の会見を振り返り、衝撃を受けたと語っています。
柴門 夫婦で記者会見して、大助が「おまえほんまにやったんか」って言って、「やったやった、アッハッハッ」って。見ていて、すごいなあと思ったんですよ。
宮川花子の自宅がスゴイ・見事な桜の木がそびえたつ、絶景の見える庭
宮川花子さんは奈良県生駒市在住で、2000年頃に移り住んだといいます。
2012年頃、宮川花子さんの自宅を訪れた落語家・桂米團治さんは、ブログでその自宅からの眺めを絶賛していました。
生駒山の中腹に建つご自宅から眺めは、まさに絶景! のどかな大和盆地が見渡せます(^0_0^)でも、何と庭の桜は一輪も咲いていませんでした。ようやく蕾が膨らみかけている感じ。えっ?大阪も奈良も平野部はほぼ満開なのに…。「いつもは花吹雪の中での宴会となるんやけどなぁ。まぁ、今日は綺麗どころが仰山来てはるから、ウチは花盛りや」と大助さん。
また、別日に自宅を訪れたトレイルランナーの女性も、ブログで自宅からの絶景と庭に咲く桜の木を紹介しています。
大助花子師匠のお家は、生駒山の上にあって、大助師匠が精魂込めて毎日手入れしている綺麗なお庭から見る景色は最高です広いお庭には、でっかーい桜の木が5本あって、ちょうど綺麗に咲いて見どころ
引用:生駒の桜
宮川花子と旦那・大助の病歴が壮絶すぎる・胃がんや多発性骨髄腫など
宮川花子さんと旦那で相方の宮川大助さんは、これまでにいくつもの大病を患ってきました。
1988年 | 宮川花子 | 胃がん |
2007年 | 宮川大助 | 脳出血 |
2017年 | 宮川大助 | 腰部脊柱管狭窄症 |
宮川大助 | ブドウ球菌感染 | |
宮川大助 | グラム陽性菌敗血症 | |
2019年 | 宮川花子 | 多発性骨髄腫 |
2022年 | 宮川花子 | 心肺停止により緊急搬送 |
宮川花子さんは前述のとおり、1988年に胃がんを患い5年間闘病。2019年に多発性骨髄腫であることを発表し、現在も闘病中とのことです。
一方の宮川大助さんも、2017年に腰部脊柱管狭窄症の手術を受けています。
腰部脊柱管狭窄症とは、神経の束である脊髄を保護する役割を持つ脊椎(特に腰骨に当たる部分)に変形が生じ、脊髄を圧迫している状態を指します。加齢による変化として生じることが多く、中年以降に多発します。発症すると、足のしびれや痛みを自覚しますが、歩くことにより症状が増悪しやすい特徴があります。そのため、長距離歩くことが困難になります。
引用:腰部脊柱管狭窄症
宮川大助さんはかねてより腰を痛めていたそうで、腰部脊柱管狭窄症の手術を受けることになりましたが、傷口からブドウ球菌に感染。
さらにはグラム陽性菌敗血症と診断され、入院が続いていました。
グラム陽性菌敗血症で入院していた宮川大助が本日9月12日、大阪・なんばグランド花月の舞台に立ち、花子と共に“復活漫才”を披露した。今年3月に大阪市内の病院で腰部脊柱管狭窄症の手術を受けた大助は、退院後にブドウ球菌に感染し再入院。5月30日にNGKの舞台で復帰、大阪新歌舞伎座での五木ひろしの舞台に参加していたものの、同公演5日目の6月28日にグラム陽性菌敗血症で緊急入院していた。
グラム陽性球菌とはグラム染色で紫色に染まる球菌のことをいいます。臨床上重要なものは黄色ブドウ球菌、連鎖球菌、肺炎球菌です。黄色ブドウ球菌による感染症は伝染性膿痂疹、肺炎、肺化膿症が挙げられ、耐熱性の毒素を産生し、激しい嘔吐をともなう食中毒や毒素性ショック症候群を引き起こします。連鎖球菌は猩紅熱や髄膜炎、リウマチ熱を引き起こします。
敗血症とは、何らかの細菌やウイルスに感染することによって全身にさまざまな影響がおよび、心臓、肺など体の重要な臓器の機能が障害(臓器不全)される病気のことです。通常の感染症は、喉、鼻、気管、腎盂じんうなど病原体の感染が生じた一部の臓器に症状が引き起こされます。
引用:敗血症
また、2022年には宮川花子さんが、心肺停止の状態で緊急搬送されていたとのことです。原因は抗がん剤の副作用で肺に水がたまったためだといいます。
花子は19年12月に病を公表し、体調は一進一退。「月に600錠」の薬を服用し、22年10月には心肺停止の状態で救急搬送され、3日間意識不明となり、生死をさまよった。現在は抗がん剤治療中。
宮川花子の現在:夫婦で舞台や講演会に出演・病状は?
宮川花子さんは現在も夫婦漫才師として、旦那・宮川大助さんと舞台に立っています。
2023年には4年ぶりとなる単独ライブを開催したほか、舞台や講演会に出演。2024年2月には、日本テレビ系列の演芸番組「笑点」に出演し、元気な姿を見せていました。
また、病状について詳細は語っていないものの、現在も闘病であるとのこと。
漫才も車椅子に座っての披露となり、それに合わせる形で宮川大助さんも椅子に着席してのスタイルとなっています。
さらに、2023年には形質細胞腫が発覚。
形質細胞性腫瘍は、異常な形質細胞あるいは骨髄腫細胞が身体の骨や軟部組織中に腫瘍を形成する病気です。また形質細胞は身体にとって必要ではなく感染症と闘う上で役立たないM蛋白と呼ばれる抗体蛋白をつくります。これらの抗体蛋白は骨髄内で増加して血液を粘稠化し腎臓を損傷することがあります。
抗がん剤治療から放射線治療へと切り替えたと報じられました。
多発性骨髄腫と闘う漫才師宮川花子(69)が28日、夫大助(74)との夫婦漫才で、愛知・大須演芸場で4年ぶりの単独ライブを行い、新たに右目横にできた腫瘍の治療に入っていることを明かした。花子によると、今年9月ごろ「形質細胞腫」が判明し、現在は抗がん剤治療をやめ、放射線治療中という。
まとめ
宮川花子さんは、結婚した旦那・宮川大助さんと夫婦漫才師「宮川大助・花子」として活躍。子供は1人で、娘・さゆみさんも漫才師として活動しています。
これまで、夫婦それぞれの浮気騒動や、胃がん・多発性骨髄腫といった病気など、様々な困難を乗り越えてきた2人。
現在の病状は詳しくはわかりませんが、元気に漫才をされている姿を見ると少し安心しますね。
これからも、末永く活躍していってほしいものです。