日本は人種差別とは無縁な国と思いがちですが、根強い差別が残る被差別部落が存在し、最も有名な地区に京都府の崇仁地区があります。
今回は崇仁地区の基礎情報や出身の芸能人・有名人、差別の歴史や治安状況、殺人事件や現在をまとめてみました。
この記事の目次
崇仁地区とは
出典:twitter.com
崇仁地区(すうじんちく)とは、京都府京都市にある地区の名前です。京都駅のすぐ東側の鴨川沿いのあたりが「崇仁」もしくは「崇仁地区」と呼ばれている地域です。
国際観光都市であり、日本人も外国人もたくさんの観光客が訪れ、一年中混みあっている京都市。そして、その中心であり、玄関口である京都駅。
そこから徒歩数分の崇仁地区は、さぞかし栄えているのかと思いきや、京都市は崇仁地区を隠そうとするほどのアンタッチャブルな地域だったんです。
実は崇仁地区は、京都市最大の被差別部落地域です。一時は人口が9000人程度いましたが、現在は1300人程度と減少しています。
現在でこそ再開発がようやく進みつつありますが、まだまだアンタッチャブルな部分は残っていて、根強い差別が残る地域なのです。
崇仁地区出身と噂がある男性芸能人・有名人5名
崇仁地区出身と噂がある男性芸能人・有名人を見ていきましょう。ここでは、京都の被差別部落出身と噂がある人や崇仁地区がある京都市下京区・南区出身の芸能人を紹介していきます。
あくまで「崇仁地区出身の噂」であり、崇仁地区出身で確定というわけではありません。その点はご了承ください。
島田紳助さん
島田紳助
生年月日:1956年3月24日
出身:京都府京都市南区
身長:170cm
所属:元吉本興業
血液型:AB型
活動:元お笑いタレント
島田紳助さんは京都市南区の出身で、被差別部落の出身と噂されています。
京都市南区の一部も崇仁地区にかかっています。また、母校の高校の講演会で、自分が被差別部落出身であることを告白しました。
南区の被差別部落出身ということは、崇仁地区出身の可能性はあると思います。
木村祐一さん
出典:oricon.co.jp
木村祐一
生年月日:1963年2月9日
出身:京都府京都市下京区
身長:168cm
所属:吉本興業
血液型:AB型
活動:お笑いタレント
木村祐一さんは崇仁地区がある京都市下京区出身です。
崇仁地区出身・被差別部落出身かどうかは不明ですが、木村さんはその顔立ちから、インターネット上で「在日コリアンではないか?」と言われています。
在日コリアン(在日韓国人・在日朝鮮人)も崇仁地区にたくさん住んでいましたので、木村祐一さんも崇仁地区出身の可能性はあります。
野中広務さん
出典:asahi.com
野中広務
生年月日:1925年10月20日
出身:京都府旧園部町
所属:自由民主党
活動:政治家
自民党の重鎮だった野中広務さんは、自分が被差別部落出身だったことを公言していた政治家でした。
崇仁地区との関係は不明ですが、被差別部落出身であるがゆえに、政治家になってからもいろいろ苦労したようです。
麻生太郎氏からは、「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と言われたこともあるそうです
山城新伍さん
山城新伍
生年月日:1938年11月10日
出身:京都府京都市
身長:174cm
所属:オフィス・タッチ
血液型:O型
活動:俳優、司会者、タレント
山城新伍さんは京都市出身です。
山城新伍さんの実家は開業医でしたが、周囲には被差別部落や在日コリアンの部落があったということですから、崇仁地区出身の可能性はあるでしょう。
田岡俊次さん
田岡俊次
生年月日:1941年12月16日
出身:京都府京都市
活動:元朝日新聞記者、軍事評論家
元朝日新聞の記者で、現在はジャーナリストや軍事評論家として活動している田岡俊次さんも京都市内の被差別部落出身です。
どの被差別部落出身かは明らかになっていませんが、崇仁地区は最大の被差別部落ですので、田岡俊次さんが崇仁地区出身の可能性はあるでしょう。
崇仁地区出身の噂がある女性芸能人・有名人3名
倖田來未さん
出典:oricon.co.jp
倖田來未
生年月日:1982年11月13日
出身:京都府京都市
身長:154cm
所属:rhythm zone
活動:歌手
歌手の倖田來未さんも京都市出身で、さらに被差別部落出身と言われていますので、崇仁地区出身の可能性があります。
ただ、倖田來未さんは「竹田の子守歌」のベースになった伏見区竹田地区の被差別部落出身という噂もありますので、崇仁地区ではないかもしれません。
misonoさん
出典:twitter.com
misono
生年月日:1984年10月13日
出身:京都府京都市
身長:154cm
所属:フリー
活動:歌手、タレント
倖田來未さんが崇仁地区出身の可能性があるということは、妹のmisonoさんも崇仁地区出身の可能性があります。
misonoさんは島田紳助さんに特にかわいがられていましたが、それは同じ崇仁地区出身という同朋意識があったからかもしれません。
坂下千里子さん
坂下千里子
生年月日:1976年4月19日
出身:京都市下京区
身長:162cm
所属:ボックスコーポレーション
血液型:B型
活動:タレント
タレントの坂下千里子さんは、崇仁地区がある京都市下京区出身ですので、崇仁地区出身の可能性はあります。
ただずっと下京区にいたわけではなく、伏見区や宇治市に引っ越しています。
崇仁地区は差別を受けてきた被差別部落地域
崇仁地区は長年ずっと差別を受けてきました。なぜ、崇仁地区はアンタッチャブルな地域になったのか?その歴史をわかりやすく紐解いていきましょう。
どんな地域だったのかがわかれば、崇仁地区への理解が深まるはずです。
被差別部落とは?
出典:ktv.jp
まずは、被差別部落について説明していきます。
被差別部落とは「同和地区」と呼ばれることもある地域です。
江戸時代には「士農工商」の4つの身分に分けられていましたが、「商人」の下に「穢多(えた)」・「非人(ひにん)」と呼ばれる身分の人たちがいました。
この「穢多(えた)」・「非人(ひにん)」と呼ばれる人たちが住んでいた地区が、被差別部落と呼ばれていたんです。
そして、この被差別部落に住んでいる人たちは長年ずっと差別されてきました。
明治時代になり、この身分制度が廃止になって部落解放が宣言された後でも根強く差別は残っていて、現在でもその差別は完全にはなくなっていません。
崇仁地区は処刑場だった
崇仁地区は処刑場だった場所です。鴨川沿いの「六条河原」はかなり昔から処刑場となっていました。
保元の乱(1156年)・平治の乱(1160年)でも処刑場として使われていましたし、戦国時代・江戸時代でも有名武将が処刑されました。
・関ヶ原の戦い:石田三成、小西行長、安国寺恵瓊
・大坂の陣:長宗我部盛親、豊臣国松
崇仁地区の六条河原で処刑された人は、首を三条河原でさらされました。
この処刑は誰かがやらなくてはいけません。実は、処刑執行人をやっていたのがいわゆる「穢多」・「非人」と呼ばれる人たちです。
「穢多」・「非人」は、一般的には穢れていると見なされていた仕事を生業としていました。
・処刑後の遺体の処理
・埋葬
・家畜の屠殺・解体
・皮のなめし
処刑場の近くに処刑を仕事とする人たちが住むのは当然のことですし、家畜の屠殺や皮のなめしをするにも水がたくさん必要ですから川沿いに集まるのは自然と言えます。
また、江戸時代は身分や職業によって住む場所が決められていました。
そのため、「穢多」・「非人」の身分の人たちは川の近く・処刑場の近くに強制的に集められ、崇仁地区が出来上がったのです。
崇仁地区には銀行が設立された
明治時代になって解放令が発出され、「穢多」・「非人」の身分は廃止されたため、崇仁地区に住んでいた被差別部落民も平民(新平民)となり、一応表向きは差別は廃止されています。
しかし、根強い差別は残っていました。その差別の1つに「銀行を使えない」というものがありました。銀行から融資してもらえないと、ビジネスは成り立ちません。
そのため、崇仁地区(当時の柳原町)の町長だった明石民蔵らの融資が崇仁地区の中に初めて銀行を作ったんです。この柳原銀行は被差別部落民が作った初めての銀行でした。
在日コリアンが住みつく
明治以降になると、この崇仁地区には在日コリアンがどんどん住み始めました。「穢多」・「非人」への厳しい差別が残る中、在日コリアンも日本人から差別を受ける存在でした。
そして、もともと崇仁地区に住んでいた住民と在日コリアンの関係性は決して良くありませんでした。これにより、崇仁地区はカオスな状態になっていったのです。
戦後も取り残され、差別される
出典:ktv.jp
戦後になり、焼け野原になった日本は復興に向けて歩き始めました。でも、戦後復興からも崇仁地区は取り残されていったのです。
崇仁地区の復興は進まず、鴨川沿いにはバラック小屋が並び、スラム街のようになっていました。ガスや水道などのインフラ整備も進みませんでした。
・在日コリアン
・スラムで不法占拠して住んでいた人たち
崇仁地区は治安がやばいと話題に
崇仁地区には、長年差別を受けてきた人、在日コリアン、貧しい暮らしの人達が住み、そして、利権に絡む暴力団も集まっていました。
そのため、少し前までは崇仁地区は治安がかなりヤバかったんです。
暴力団や地上げ屋が多い地域
崇仁地区はその歴史的背景から、所得が少ない人、つまり貧困層が多い地域です。そうすると、自動的に治安は悪くなりますよね。
崇仁地区は犯罪への注意を促す看板が多く、フェンスは高めに作られていて、有刺鉄線やなどの防犯対策はほかの地区よりもしっかり行われていたとのこと。
また、崇仁地区は次の理由で暴力団や地上げ屋が多い地域でもありました。
・崇仁地区を抜け出したい人はたくさんいる
・同和利権がらみで金儲けのチャンスはたくさん転がっていた
崇仁地区は京都駅近くの一等地です。また、同和問題解決のために巨額の予算が計上されており、その利権に絡もうとする悪徳企業・暴力団・団体が崇仁地区に群がってきたのです。
そして、崇仁地区出身というだけで差別され、就職活動にも響くほどでしたので、「崇仁地区から引っ越したい。でも、お金がなくて引っ越せない」という人もたくさんいました。
このような事情があったため、戦後の崇仁地区は魑魅魍魎とした世界になり、治安が悪くなっていきました。
崇仁協議会の預金が消える…
同和利権と地上げ屋、暴力団が絡み、とんでもない事件が起こりました。この事件によって、崇仁地区の治安は一気に悪化します。
1985年、消費者金融の武富士は、崇仁地区の同和団体「崇仁協議会」に依頼して、崇仁地区の一部分(3000坪)と四条河原町の2000坪を地上げしました。
この時、崇仁協議会には多額のお金が入り、東京三菱銀行には156億円以上のお金が預金されていたんです。
しかし平成2~3年にかけて、預けていた崇仁協議会の預金156億円が忽然と消えていたんです。156億円が行方不明…。もう意味が分かりません。
しかも、抗議に行った崇仁協議会の人は銀行の中に入れてもらえなかったのです。
崇仁協議会によると、通帳も印鑑もないまま、不正な方法で預金が引き出されていたとのことです。
殺人事件も発生
この預金消失事件をきっかけに、崇仁地区の同和利権・地上げ利権などが絡み、山口組大幹部の中野会と会津小鉄会の抗争事件へと発展しました。
1993年4月15日の13時前、焼き肉店を出た崇仁協議会の役員・潮見旭さんはタクシーに乗ろうとしたところを駆け寄ってきた2人組の男に襲われます。
2人組の男は15発ほど銃を乱射し、被害者は即死しました。昼間から15発の銃乱射。ここは修羅の国でしょうか…。
発砲事件やら覚せい剤事件やらが多発
その後も発砲事件は続きました。崇仁地区関係と思われる事件を挙げていきましょう。
・6月14日深夜から15日:暴力団事務所や建設会社への13件の発砲事件
・6月25日:崇仁協議会委員長の藤井鉄雄の自宅にガソリンをまき放火
・7月27日:藤井鉄雄の自宅に3人の男が侵入し、一緒にいた人物に発砲
・8月2日:建設会社社長の井尻修平にオートバイに乗った2人組の男が発砲して射殺
・8月19日:オートバイ2人組がライトバンに向かって発砲
京都市内で崇仁地区関係と思われる発砲事件が、たった5ヶ月間の間にこれだけ立て続けに起こりました。もう治安が悪い以外の何ものでもありません。これは恐怖ですよね。
日中に京都市内を歩いているだけで、発砲事件に出くわす可能性があるんですから。
その後も襲撃事件が…
一時は崇仁地区での暴力団がらみの事件は落ち着きましたが、2000~2001年にかけて、再び崇仁地区で暴力事件が起こりました。
崇仁協議会の幹部だった中口寛継さんは、ある日の昼間、ホテルエルシエント京都近くの路上で、覆面をかぶり金属バットを持った4人組の男襲われ、金属バットで滅多打ちにされます。
この時、中口さんは42針を縫う大怪我を負いました。
それからあまり日が経たないうちに、中口さんは再び襲われます。自宅前で金属バットとゴルフクラブを持った複数の男に殴られ、36針を縫う怪我を負っています。
これだけ崇仁地区がらみで暴力事件・殺人事件が起こるということは、よほど同和利権はうまみがあるということなのでしょう。
それにしても、同じ日本で起こったとは思えないほど治安が悪いですね。
崇仁地区では2020年にも殺人事件が発生している
崇仁地区では2020年にも殺人事件が起こっています。
2020年10月11日、崇仁地区にある市営住宅の一室で、山村留美乃さん(24歳)が血まみれの状態で亡くなっているのが発見されました。
発見したのは彼女の叔母で、2日続けてアルバイトを欠勤していた山村留美乃さんを心配して部屋を訪れたところ、遺体を発見しています。
この殺人事件の犯人は、SNSで知り合った東京在住の20歳の男性です。10月6日から7日にかけて、山村さんを10ヶ所以上も刺して殺害しています。
殺害後は山村さんのスマホを持ち出し、部屋の鍵をかけて逃亡していました。
山村さんはずっと崇仁地区に住んでいて、家賃1~4万円で3LDKの部屋に1人暮らしでした。
SNSで知り合った東京在住の男性に10ヶ所以上も刺されて死亡するなんて、いったいどんなトラブルに巻き込まれてしまったのか…一説には遠距離恋愛のもつれとも言われています。
崇仁地区が舞台になった映画「パッチギ!」
出典:bunshun.jp
2005年公開の映画「パッチギ」は、崇仁地区を舞台にした日本人と在日コリアンの青春映画です。
・松山康介:塩谷瞬
・リ・アンソン(李安成、이안성):高岡蒼佑
・リ・キョンジャ(李慶子、리경자):沢尻エリカ
パッチギを見ると、崇仁地区の雰囲気などが少しわかるかもしれません。
それにしても、メインキャストの3人は、パッチギの後にそれぞれいろいろ騒動を巻き起こした俳優・女優ですね。
崇仁地区の現在
出典:mainichi.jp
崇仁地区は長年差別を受けてきた地区ですが、現在は生まれ変わろうとしています。
2023年度には京都市立芸術大学が移転することになっています。
そして、それまでの間は「崇仁新町」というコンテナの屋台街が作られていて、今までとは違う雰囲気になり、大学生や若者による町おこしが行われています。
ただ、大学の建設予定地に住んでいる住民は立ち退きを迫られていますので、またそこでいろいろな利権が絡んでくることも予想され、治安の問題が出てくる可能性もありますね。
崇仁地区のまとめ
崇仁地区出身の芸能人や有名人、差別を受けてきた歴史、崇仁地区の治安や殺人事件、現在の様子をまとめましたが、いかがでしたか?
崇仁地区はアンタッチャブルな地域でしたが、現在は生まれ変わろうとしています。
街並みを変えることも、崇仁地区を生まれ変わらせる要因の1つですが、1人1人が崇仁地区への偏見をなくすことも大切ですよね。