2000年に「仙台女児連続暴行事件」の犯人として逮捕された高山正樹の現在が注目されています。
この記事では、高山正樹の起こした事件の内容や逮捕の瞬間、年齢や顔写真、生い立ちや学歴、実家や親や家族について、その後の無期懲役判決や現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
高山正樹は「仙台女児連続暴行事件」の犯人
高山正樹は、1997年から2000年にかけて宮城県仙台市で発生した「仙台女児連続暴行事件」の犯人です。
この犯人の高山正樹は、1999年3月10日から2000年8月1日までの間に、3歳から10歳までの女児に対する4件の強姦未遂、5件の強制わいせつ、2件の強姦致傷の合計11件の事件で起訴され、その後無期懲役の判決を下されています。
この男は、起訴された事件以外にも100件超える性犯罪を犯していると見られており、幼い少女をターゲットにした事や、その卑劣な犯行手口から、近年まれに見る最悪の性犯罪者として知られています。
今回はこの「仙台女児連続暴行事件」を起こした性犯罪者、高山正樹について現在までにわかっている内容をまとめました。
高山正樹の年齢や顔写真
仙台女児連続暴行事件の犯人・高山正樹は、当時の報道で昭和50年生まれ(1975年生まれ)と報じられているため、2021年2月の現在の年齢は46歳前後だと思われます。
高山正樹は第一審判決が下された2002年3月の時点で年齢は26歳と報じられているため、誕生日は3月以降だと推測されます。
高山正樹の顔写真については、当時、顔出しで報道されていたため、現在もネット上で多数見つける事が可能です(上の写真など)。ただし、現在の顔写真についてはいまだ服役中という事もあって確認する事はできません。
高山正樹の生い立ち① 中国人の父親を持つハーフとして生まれる
仙台女児連続暴行事件の犯人の高山正樹の生い立ちを見ていきます。
当時の報道によると、高山正樹は1975年に宮城県仙台市の生まれで、中国人の父親と日本人の母親の間にハーフとして生まれたという事です。
高山正樹の父親は料理店でシェフの仕事していたようです。
高山正樹の生い立ち② 中学時代や高校時代の同級生の証言
高山正樹の中学時代の同級生の証言によれば、特に目立つ生徒ではなかったという事ですが、中学の卒業文集では、将来の億万長者ランキングで3位、将来の有名人ランキングで1位に選ばれています。犯罪者としてある意味有名人になったのは皮肉に感じます。
仙台女児連続暴行事件の裁判で、高山正樹は中学時代に中国人とのハーフである事を理由にいじめにあっていたと供述していますが、この文集での評価を見る限り、そのような事実はなかったのではないかと思います。裁判でも、検察側は高山正樹の中学時代の同級生から「いじめの事実はなかった」との証言を得ており、裁判でもいじめにあったという主張は認められていません。
高山正樹は裁判で心神耗弱状態だったと訴えて減刑を狙っていたため、裁判官の同情を得るために人種を理由に虐められていたという作り話をしたのだと考えられます。
他にも、高山正樹の中学時代の情報だとして、同級生を名乗る人物が、高山正樹が中学時代に体育の時間の女子生徒の着替えをのぞいており、「男がエロくなければ人類が滅びる」などといってそののぞき行為を正当化していたといった内容を話しています。
この中学時代の着替えをのぞいたとする話は、あくまでネット上の情報なので信憑性については微妙です。
また、高山正樹の高校時代の同級生の証言によれば、「自分の世界があった、周りにあんまり打ち解けないタイプ」だったとの事。この高校時代の同級生は、高山正樹が高校2年生の時に「旅に出る」という理由で中退した事なども明かしています。
高山正樹の生い立ち③ 家族への家庭内暴力や保険金独り占めの噂も
高山正樹の高校中退後の生い立ちは不明ですが、逮捕時の報道では無職だと報じられています。
また、インターネット上の情報ですが、高山正樹は高校中退後は家族や母親に対して家庭内暴力を振るって重傷を負わせたとする情報や、この母親は事件の数年前に死亡していて保険金が200万円下りたが、高山正樹がその保険金を独り占めして無職生活を送りながら女児への強姦事件を繰り返していたといった情報もあるようです。これらについては信用できる情報ソースが示されておらず真偽不明です。
他にも、高山正樹の家族には妹がいると言った情報もあるようですが、こちらも真偽不明です。
高山正樹の実家について
高山正樹は当時の報道で宮城県仙台市の生まれだと報じられているため、実家は宮城県仙台市の可能性が高いと思われます。
またその後の裁判の判決時の報道ではさらに詳しく高山正樹の住所が「仙台市青葉区八幡3丁目」と報じられていたため、この住所内に高山正樹の実家があった可能性が高そうです。
ただ、仙台女児連続暴行事件を起こした事で、実家の両親は既にこの場所から転居している可能性が高いと思われます。
また、高山正樹の父親は中国人だという事なので、両親が事件後に中国に移住している可能性なども考えられます。その場合は高山正樹の実家は中国という事になりますが、事件から既に20年が経過している事もあって高山正樹の実家の詳細な情報を得る事は難しそうです。
高山正樹の学歴について
仙台女児連続暴行事件が発生した当時の報道で、高山正樹が高校を2年で中退したという同級生からの証言が流されていたため、高山正樹の学歴は中卒の可能性が高いでしょう。
高山正樹の学歴についてはこれ以外の情報がなく、卒業した中学校の名前も、その後進学し中退した高校の名前も不明です。
ちなみに、当時の報道で高山正樹の住所として報じられた「仙台市青葉区八幡3丁目」の最寄りの公立中学は「仙台市立第一中学校」です。ただし、高山正樹がこの中学に通っていたという確証はありません。
高山正樹の起こした「仙台女児連続暴行事件」の概要
まずは、高山正樹の起こした「仙台女児連続暴行事件」の概要を見ていきます。
宮城県仙台市内で女児への強姦事件が多発し宮城県警が捜査を開始
2000年、その数年前頃から宮城県仙台市内の各区では、小学校低学年以下(3歳から4歳などの未就学児も含む)の女児が狙われる、痴漢行為、強制わいせつ、および強姦事件が多発しており、宮城県警には60件を超える被害届が出されていました。
被害者や目撃者の証言によると、犯人の手口は、団地やマンションなどで好みの女児を物色し、「猫がいなくなったので一緒に探して欲しい」、「赤い表紙の本を探しているんだけど、知らない?」、「黒い服を着た女の子がこちらに来なかった?」、「ちょっとだけお兄さんのお手伝いをしてね」、「お話があるからおいで」などと言葉巧みに話しかけて、人気のない場所に誘い出してから痴漢行為や強姦行為におよぶというものでした。
また、犯人は、その犯行の様子を持参したデジタルビデオカメラや、8ミリビデオカメラで撮影していた事や、女児と性交しやすくするためにローションまで用意していた事なども被害者の証言などからわかっていました。
こうした犯行手口や、被害者の共通点、犯人と思われる男の目撃情報などから、宮城県警は同一犯の仕業と見て捜査体制を敷き、捜査の中心となった宮城県警捜査一課の性犯罪捜査班は、これまでの犯人の犯行手口から、団地やマンションに張り込んでのよう撃捜査(犯人が現れる可能性が高い場所で待ち構えて逮捕する捜査方法)を開始しました。
犯人の高山正樹が団地に張り込んでいた捜査員に発見され職務質問される
そして、2000年の8月8日午後2時過ぎ頃、1〜2週間の間に2回もの同様の女児強姦事件が起きている仙台市内の団地に張り込んでいた同課の捜査員が、目撃情報と特徴(リュックを背負った10代後半から20代前半くらいの若い男)が一致する不審な男が、何かを物色するような様子で団地内を徘徊するのを発見します。
この男こそが「仙台女児連続暴行事件」の犯人として逮捕される高山正樹でした。
捜査員が職務質問をかけ「何してるの?」と尋問すると、高山正樹は「友達の家を探していたんですけど」と弁明したため、捜査員はさらに「何号室の誰を探してるの?」と尋ねますが、高山正樹は「それはわからない」と言ってしどろもどろになる様子を見せました。
高山正樹が捜査員に逆ギレし抵抗
その後、高山正樹は複数の捜査員に囲まれると、突然「助けて!助けて!」と大声で叫び出し、その場から逃げ出そうとしています。
さらに、捜査員に名前を尋ねられた高山正樹は、「それで、あなた方にとって、私、良いイメージ持っていないんですよ(本人発言のママ)」、「第一に…、はぁ…(ため息)はぁ…(ため息)、まず弁護士に電話をかけさせてもらいます。」と発言。
捜査員はこれに「弁護士にかけていいよ、別に弁護士にかけたらダメとかいうあれじゃないから、かけるのは自由ですよ」と応じています。
すると、高山正樹はさらに脈絡なく話を続け、右腕を上げて人差し指を立てながら「第二に、あなた方と話す気はない!」、「第三に、理由はない!」、「その理由がないっていうのが第一の自由だね!」、「だから、あなた方が勝手についてくるのは、これは、一種のプライバシーの侵害にあたる!」、「で、僕はすごくムカついているの全てにおいて」、「どこを人が歩こうが、何をしようが、探そうが、探すまいが、あなた方になんの関係があるの?」などと捜査員に逆ギレしました。
警察が高山正樹の緊急逮捕に踏み切る
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高山正樹は捜査員に逆ギレした後、その場所から歩き出し逃走しようする素振りを見せますが、捜査員はそれに付いて歩いてマークを続け、尋問と任意同行を求め続けました。
高山正樹と捜査員の問答が続く中、背後からこっそりと警察車両が接近しました。この警察車両には、高山正樹の被害にあった女児の1人が乗っており、スモークガラス越しに高山正樹の人相を確認していました。
その女児が、犯人はこの高山正樹で間違いないと証言したのをきっかけに、警察は高山正樹の緊急逮捕に踏み切りました。
高山正樹は、なおも「いきなり怒られているんだけど、何のことだか(わからない)」などと言って、抵抗していましたが、捜査員から「やむを得ないからあなたを強制力で持って逮捕して連れて行く。」と告げられると、慌てた様子で「じゃあ、名前を言いましょう」と言い始めました。しかし、捜査員は「もう遅い、逮捕したんだから」と告げ、高山正樹を強制わいせつ容疑で逮捕し、警察署へと連行しました。
高山正樹自宅の家宅捜索で犯行を撮影したビデオテープが発見される
高山正樹が犯行時に背負っていたリュックの中からは、ビデオカメラと性的な目的に使用するローションが発見されました。高山正樹は逮捕後もしばらくシラを切り続けていましたが、その後容疑を認めています。
警察は後日、高山正樹の自宅(実家)を家宅捜索し、数十本のビデオテープを押収、そのビデオテープの中には、高山正樹が犯行に及ぶ様子が記録されていたという事です。
高山正樹の所持していたビデオテープには合計で45人もの女児が被害に遭う様子が記録されていたという事でした。
その映像の中には、検察によって起訴された11件の事件(1999年3月10日から2000年8月1日にかけての、4件の強姦未遂、2件強姦致傷、5件の強制わいせつの容疑)のうち、10件の被害女児に対する犯行の様子の映像が含まれており、これが犯行の絶対的な証拠となりました。
また、高山正樹本人の供述から、被害にあった女児の総数は少なくとも100人以上だと推測されました。
高山正樹は、犯行後に被害者の女児に対して「誰かに喋ったら殺しに行く」、「絶対に秘密だからね」などと脅して口止めしており、その恐怖から親に被害にあった事を話せないままになっている女児も相当数いると推測され、被害者の総数はさらに多数に上るとも言われています。
被害女児がこの被害で重い障害を負わされたというネットの噂も
あくまでもインターネット上の噂というレベルの話ですが、高山正樹によって強姦被害にあった女児の中には、子宮破裂で摘出を余儀なくされた子や、身体の一部が裂傷して人工肛門になった子、一生歩行困難の障害を負った子もいるという情報も流れています。
この「仙台連続女児暴行事件」は、犯人の高山正樹の逮捕後に、警察から報道規制要請が出されているのですが、これはあまりにも犯行の内容が鬼畜すぎるために、被害者の女児らを保護する目的だったのではないかと言われています。
後述しますが、高山正樹はその後の裁判で無期懲役の判決が下されています。被害者が殺害されておらず、かつ前科のない初めての逮捕での無期懲役刑は異例の判決だと言えます。
この事から、少なくとも高山正樹の犯行内容が、これまでの同様の事件の判例と比較し、かなり重い判決を下されるほどに酷いものであったのだろうと推測されます。
高山正樹が緊急逮捕された時の動画
高山正樹の逮捕の瞬間に、テレビ局のスタッフが取材で同行しており、その逮捕の一部始終がテレビのニュース番組で放送されています。
その動画が現在もインターネット上に残されているため紹介します。
裁判で明らかになった高山正樹の犯行に至る経緯やその動機
高山正樹の裁判で、この男が犯行に至るまでの経緯や動機なども明らかになっています。
高山正樹自身の供述によれば、高山正樹は1996年頃、自宅近くの広瀬川の河川敷で犬の散歩していた当時小学校5年生の女児が自分の好みのタイプだったために声をかけ、一緒に散歩をするようになり、その女児には何もしなかったものの欲情するようになった事から、次第に年齢の幼い女子を性的な対象として見るようになったようです。
そして、高山正樹は1997年に酒に酔って外出した際に、小学校高学年くらいの「きれいな顔立ちをした(本人の供述による)」女児に声をかけ、人気のない場所へ連れて行って服の上から胸を触ったと供述しています。
これをきっかけに、高山正樹は女児を襲うようになり、4日に1度という頻度で好みの女児を探しに街をうろついて強姦を試みようとするようになったという事です。
高山正樹の「仙台女児連続暴行事件」での判決は異例の無期懲役
高山正樹はこの「仙台女児連続暴行事件」で裁判を受け、最高裁まで争った末に無期懲役の判決を下されました。
すでに触れましたが、この事件では死亡した被害者は出ておらず、高山正樹は前科がなく初犯でした。こうしたケースでは、これまでの判例から見ても無期懲役ではなく有期刑の判決が下されると見られていましたが、異例の無期懲役判決となりました。
強制わいせつ罪、強姦致傷罪に対する刑罰の中で無期懲役は最も重く、それだけ高山正樹の犯行が凶悪なものであると判断されたという事でした。また、高山正樹の弁護側は裁判で心神耗弱状態だったなどと主張して減刑を求めていましたが、そうした情状酌量の余地は全くないとの判断が下されています。
また、裁判記録によれば、高山正樹は精神鑑定を受けた際に、鑑定担当者に、犯行動機について「汚れてない女児と性交し優秀な遺伝子残すために、やむを得ず嫌々ながら、女児と性交しようとした」などと、意味不明な説明していたという事です。
そして、高山正樹は、取り調べ段階では容疑を認めていましたが、裁判では「犯行当時の記憶がない」と供述を翻し、意味不明の言動をするなどして精神的に危うい様子を見せるなどしました。
こうした意味不明な言動を挙げて、弁護側は、高山正樹に精神分裂病(当時の呼び名で現在は統合失調症)やその他の精神病を罹患していると主張し、社会的な責任能力の有無を争点としていましたが、これらも裁判所側は完全に否定し、情状酌量の余地は一切ないとして高山正樹に無期懲役の判決を言い渡しました。
高山正樹はこの判決を不服として最高裁まで争いましたが、2004年5月に無期懲役判決が確定しています。
高山正樹は現在も無期懲役で服役中
高山正樹は、2021年2月の現在も無期懲役刑で服役しています。高山正樹が現在服役している刑務所は千葉刑務所だと言われています。
2009年に発売された、別冊宝島の「死刑と無期懲役」という雑誌に、刑務所で高山正樹と一緒だったという元受刑者の証言が掲載されていました。
この元受刑者によれば、高山正樹は、受刑者だけでいる時には全く普通な様子で振る舞っているのに、刑務官が近くにいる時は、糞尿を垂れ流し、手を震わせて、意味不明なうわ言を呟き始めるのだそうです。
要するに、高山正樹は、重い精神病患者を装うことによって、一般の精神病院へと移されて無期懲役の執行停止を狙っているのではないかという事です。
この元受刑者が言うには、高山正樹はある時に「早く病院に行きたいなぁ」と呟いたことがあったそうで、この元受刑者が「ここが病舎のようなものでしょう」と返すと、高山正樹は「ここじゃなくて、街の精神病院に行きたい」と答えたのだそうです。
さらに、この元受刑者と高山正樹がNHKのテレビ番組を見ていた時に、まだあどけない小学校低学年くらいの幼い少女が映されたそうです。すると高山正樹は唐突に「ああ~挿してえ~」と発言したそうです。言うまでもなく「挿して〜」とは「挿入したい」の意味だと思われます。
高山正樹は無期懲役判決を受けても全く反省はしておらず、精神異常者を装ってあわよくば出所する事を狙っており、そして、出所して再び女児を対象に強姦事件を起こすつもりでいるように思えます。
この元受刑者の証言内容が事実だとするならば、絶対に高山正樹を仮出所させてはいけないと思わざるを得ません。
まとめ
今回は、1997年から2000年にかけて宮城県仙台市で発生した「仙台女児連続暴行事件」の犯人の高山正樹についてまとめてみました。
高山正樹は、3歳から小学校低学年くらいまでの女児を物色して言葉巧みに誘い出し、痴漢行為や強制わいせつ行為、強姦、などを行って、その様子を持参したビデオカメラを使って記録していました。高山正樹の被害にあった女児は100人以上に上ると見られています。
高山正樹は、中国人の父親を持つハーフとして生まれた生い立ちを持ち、学生時代はそれを理由にいじめに遭い、心神耗弱状態となってそれが、犯行につながったなどと裁判で主張しましたが、そうした事実は認められず、情状酌量の余地はないとして異例の無期懲役判決が下されています。
高山正樹は現在も無期懲役刑で服役していますが、刑務所で一緒だったと言う元受刑者の証言によれば、全く反省はしておらず、精神病者を装って無期懲役刑の停止を企て、出所後には再び女児をターゲットに同様の犯罪を起こそうと狙っているようです。