西沢裕司(全日空61便ハイジャック事件犯人)の現在!生い立ちと経歴・家族や結婚・長島機長の死因・判決とその後まとめ

1999年7月23日に発生した「全日空61便ハイジャック事件」の犯人の西沢裕司が話題です。

 

この記事では西沢裕司の生い立ちや経歴、一橋大学の学歴、家族や結婚、全日空61便ハイジャック事件の詳細な経緯、犠牲者の長島機長の死因や人柄、判決や現在などについてまとめました。

 

西沢裕司は「全日空61便ハイジャック事件」の犯人

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

西沢裕司(事件当時28歳)は、1999年7月23日に発生した「全日空61便ハイジャック事件」の犯人です。

 

西沢裕司は、乗客として搭乗した羽田空港発新千歳空港行きの全日本空輸61便(ボーイング747-400)を、持ち込んだ文化包丁で乗務員を脅してハイジャックし、コクピット(操縦室)に侵入して、操縦を担当していた長島機長を脅して迷走飛行を強要し、さらに長島機長を包丁で刺殺した後、自ら操縦桿を握って操縦を試み、あわや市街地への墜落という危機的状況を招きました。

 

その後、副操縦士と次の乗務地に向かうため搭乗していたパイロットらにより、西沢裕司は取り押さえられ、緊急着陸後に現行犯逮捕されています。

 

全日空61便ハイジャック事件は、日本でのハイジャック事件で人質に犠牲者が出た初めての事件としても知られています。

 

犯人の西沢裕司は航空機マニアで、犯行動機について「操縦してみたかった」、「警備上の不備を認めさせたかった」などの身勝手極まりない供述をしています。

 

ここではこの全日空61便ハイジャック事件の犯人である西沢裕司についてまとめていきます。

 

 

 

西沢裕司の生い立ち① 小学生時代にいじめに遭う

 

当時の報道や裁判記録によると、西沢裕司は1970年9月8日の生まれで、実家は東京都江戸川区小岩でした。両親と祖母、兄が1人の5人家族で育ち、父親は特許事務所に勤務する比較的裕福な家庭だったようです。(父親は銀行員とする西沢裕司の裁判時の精神鑑定資料もある)

 

裁判時に示された精神鑑定資料によると、西沢裕司は幼少期から落ち着きがなく、じっと座っているのが苦手で、些細な事でかんしゃくを起こして道路に寝転がって駄々をこねる事も多々あったという事です。

 

幼稚園でも周囲と馴染めずにいじめを受け、図画工作が苦手で動作も周囲と比べて遅い面があったようです。また、父の日に黒一色で父親の似顔絵を描き、それが問題視された事もあったという事です。

 

小学校に進学してからは、勉強はよくできたものの他者とのコミュニケーションがうまく取れず、協調生に欠けて孤立しがちであったため、小学校2年生〜3年生の頃から同級生からのいじめに遭っています。一人遊びが好きで自宅ではよく架空の地図を描き、それを「ワンダーランド」と呼んで楽しんでいたという事です。

 

ただ、西沢裕司は理解ある家族の支えもあって塾にも通って勉強に励み、不登校になるような事もなく1982年3月に卒業しています。

 

また、西沢裕司は当時は鉄道マニアで、かなりのめり込んでいたようです。

 

 

 

西沢裕司の生い立ち② 名門武蔵中学・高等学校から一浪して一橋大学

 

西沢裕司は小学校を卒業後は私立の中高一貫校で、名門男子校として知られる、武蔵中学・高等学校(最新の偏差値は64)へと進んでいます。

 

この頃の西沢裕司は、非常に真面目な性格でおとなしく内向的ではあったものの、大きな問題行動は見られず、数人の友人もでき、その友人らと鉄道旅行にも行っています。また、少年時代から一貫して飛行機や鉄道などに強い興味を持ち、将来の夢は旅客機のパイロットと周囲に語った事もあったようです。

 

その他、学業面ではプライドが高かったのか、周囲に「東大以外はダメだ」などと語っていたとの情報もあります。

 

しかし、西沢裕司は大学受験に1度失敗して東大進学を諦め、1浪して一橋大学の商学部(最新の偏差値65)へと進学しています。

 

 

西沢裕司の生い立ち③ 一橋大学時代は航空貨物のアルバイトをし航空業界への就職を目指していた

 

西沢裕司は、一橋大学入学後は鉄道研究会に所属し、「今までの自分を変えたい」といった思いもを持って大学祭の実行委員も務めています。しかし、元々の性格もあってどこでも浮いた存在となり、かえって絶望感を深くし、友人もうまく作れずに1人で過ごす事が多く、電車や飛行機の世界に没頭するようになっています。

 

西沢裕司はこの一橋大学時代に、鉄道研究会として大学祭で鉄道関係の企画を提案するも、その案は却下されてしまい、これがきっかけとなって鉄道よりも航空機業界への興味が強まっていったとされています。

 

一橋大学在籍時には、飛行機旅行をしたり、航空機関係の書籍を読み漁って航空関係の知識を蓄えています。また、一橋大学2年の11月には1ヶ月間大学を休み、羽田空港で託送荷物を機体に積み込むアルバイトをしています。

 

そして、1994年3月に23歳で一橋大学を卒業。卒業論文のタイトルは「日本の基幹空港整備の必要性」でした。

 

 

西沢裕司の経歴① 一橋大学卒業後は日本貨物鉄道株式会社に入社も2年で退社

 

西沢裕司は、航空会社への就職を目指し、一橋大学在学中に「日本航空(JAL)」、「全日本空輸(ANA)」、「日本エアシステム」の就職試験を受験するもいずれも不合格となります。

 

さらに、第2希望であったJR東日本とJR西日本の採用試験も不合格となり、最終的に「日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)」に入社しています。

 

1994年4月、日本貨物鉄道会社に総合職として入社し、西沢裕司は実家を出て寮生活を始めますが、内向的な性格は変わっておらず、職場の人間とうまくコミュニケーションを取る事ができず人付き合いでのトラブルを起こし、仕事上での失敗も重なったようです。当時の同僚からは「史上最悪の大卒」などと罵倒され、西沢裕司は飛行機から飛び降り自殺する事を夢見るようになっています。

 

1年後に寮を出た後も広島や大阪での単身赴任生活が続き、そのストレスもあって精神のバランスを崩しています。この時期に既に、西沢裕司は重度のうつ状態に陥っていたとみられています。

 

また、プライドの高い西沢裕司は、本社採用に幹部候補生として採用されなかった事に対しても強い不満を抱いており、入社から2年半後の1996年の秋に無断欠勤してそのまま失踪。同年11月に自己都合により退社という事にされています。

 

西沢裕司は自殺を考えており、家族には遺書を残した後、何の連絡も入れないまま各地を放浪。この間、西沢裕司は3度にわたって服毒自殺を試みていますがいずれも失敗しています。

 

 

 

西沢裕司の経歴② 精神科を受診し統合失調症などの診断を受け服毒自殺未遂

 

会社を退社してから半年後、所持金が底をついたため西沢裕司は東京都江戸川区の実家に戻っています。うつ状態は改善せず、再就職を目指していくつかの会社の採用試験を受けるもいずれも不採用なります。

 

西沢裕司は家族の勧めもあって精神科クリニックを2カ所受診し、それぞれ「統合失調症(当時の呼び方は精神分裂病)」と「心因反応」と診断されて投薬を受けています。

 

この際に処方された抗うつ剤の内容が事件の遠因になった可能性が問題にされています。西沢裕司に対しては、日本では現在も未承認であるプロザックをはじめパキシル、エフェクソール、ルボックス、ランドセンなどが大量に処方されていました。

 

西沢裕司はこれら大量に処方された薬を使っての服毒自殺を試みており、いずれも未遂に終わったものの、これによって精神科病院へ入院となっています。(家族が警察署に相談し約2か月間の措置入院が決まった)

 

西沢裕司はこの自殺未遂時にも遺書を残しています。以下は西沢裕司の遺書の一部です。

 

いずれにしろ、よりよい社会の実現のためには、効率の悪い労働者は自ら淘汰しなければならないという考えは変わりません。引くべき時には引かせてもらいます。たとえ受かったとしても、これからの人生に何も楽しみもありません。

 

 

 

西沢裕司の経歴③ 退院後は実家に引きこもりフライトシミュレーターに熱中

 

西沢裕司は精神科病院からの退院後も外来通院を続けていますが、症状が大きく改善する事はありませんでした。自殺したいという気持ちも強めており、大量の抗うつ薬を処方され、実家に引きこもる生活が続きました。

 

西沢裕司はゲームに熱中するようになり、特にパソコンゲームのフライトシミュレーターにのめり込んで「(フライトシミュレーターで)十分な訓練を積んだので自分でも旅客機を操縦できる」といった妄想も抱くようになっています。

 

そんな生活を続ける中、西沢裕司はインターネットで羽田空港(現在の羽田空港第1ターミナルビル)の構造図面を見ている際に、手荷物・所持品検査に関わる重大な警備上の欠陥を発見。

 

西沢裕司は、その方法を使えば手荷物検査を通らずに搭乗口まで移動できるという欠陥を見つけ、実際に羽田空港から熊本行きの航空チケットを購入し、乗客としてこの警備上の欠陥を確認。

 

その上で、その欠陥を指摘する書簡を、当時の運輸省、全日空、日本航空ビルディング、運輸省航空局東京空港事務所、東京空港警察署、大手新聞社の計6ヶ所に送付しています。さらに、西沢裕司は、この書簡に自分を警備担当者として採用するよう付記していました。

 

しかし、空港側から1度返答の電話はあったものの、対応は取られずに警備担当としての採用も断れたため、西沢裕司は「対策していないじゃないか!」と関係各所にクレームの電話を入れるなどしています。

 

 

 

西沢裕司の経歴④ 全日空61便ハイジャック事件を引き起こす

 

出典:https://article-image-ix.nikkei.com/

 

自身が指摘した警備上の不備に対する、関係各所の対応に不満を抱いた西沢裕司は、実際に自分が警備上の欠陥をついてハイジャックを成功させれば、自分の指摘が正しい事を証明でき、さらに関係各所に責任を追及させることも出来ると考えました。

 

こうして、西沢裕司は旅客機をハイジャックする事を思い立ち、その数日後に実際に「全日空61便ハイジャック事件」を引き起こす事になりました。

 

以上が、西沢裕司が全日空61便ハイジャック事件を引き起こすまでのおおまかな生い立ちと経歴になります。

 

全日空61便ハイジャック事件の詳細な経緯については後述します。

 

 

 

西沢裕司の家族

 

西沢裕司の家族については、父親と母親、祖母、2歳年上の兄の5人が明らかにされています。

 

西沢裕司の家族のうち、父親については、全日空61便ハイジャック事件発生当時は特許事務所で働いていたとの情報がありますが、精神医学の業界誌である「精神医学」(50巻、2008年8月号)に掲載された、西沢裕司の精神鑑定結果には、父親は銀行員だったと書かれています。

 

父親は西沢裕司が生まれた当時は銀行員として勤務しており、その後に特許事務所で働くようになったと推測できます。同誌によると西沢裕司の父親は銀行員時代に母親と職場結婚しており、母親は結婚後は専業主婦になっています。

 

また、西沢裕司の2歳年上の兄については、東京工業大学を卒業し、大手化学メーカーに就職して会社員として働き、全日空61便ハイジャック事件の当時は実家からは出て独立していました。

 

西沢裕司の祖母については、西沢裕司が生まれた時から同居しており、全日空61便ハイジャック事件当時も存命で実家で同居していた事がわかっています。

 

西沢裕司の家族が、全日空61便ハイジャック事件後にどうなったのかや、現在どのように暮らしているのかなどは情報がなく不明です。

 

 

 

西沢裕司の結婚

 

西沢裕司は、生涯1度も結婚はしておらず独身でした。

 

全日空61便ハイジャック事件を起こして、服役した後も獄中結婚などはしておらず、現在も独身です。

 

また、全日空61便ハイジャック事件を起こす前に西沢裕司に交際相手がいたなどの情報もありません。

 

 

 

西沢裕司が犯人となる全日空61便ハイジャック事件の詳細

 

西沢裕司が犯人として引き起こした「全日空61便ハイジャック事件」の詳細について、西沢裕司の行動に焦点を当てて見ていきます。

 

 

全日空61便ハイジャック事件での犯人・西沢裕司の行動① 犯行計画

 

羽田空港の警備上の欠陥を指摘した書簡を関係各所に送るも、無視された事に腹を立て、ハイジャックする事を決意した西沢裕司は、当時の最新鋭機であった「ボーイング747-400D型機」をターゲットに選びました。この旅客機は500以上の客席がある大型ジャンボジェットで、操縦が大幅にコンピューター化され、操縦士と副操縦士の2人で操縦するものでした。

 

西沢裕司は、パソコンゲームのフライトシミュレーターで第3世代のジャンボジェット機を操縦してレインボーブリッジを潜り抜ける事に成功していた事から、ハイジャックした機体でもレインボーブリッジを潜り抜けてパフォーマンスをし、その後に在日米軍の横田基地に着陸し、持参した包丁で自殺する計画を立てました。

 

西沢裕司は気象情報を確認して降水確率の低い7月22日(1999年)に決行する事を決め、同日の北海道行きの航空チケット合計4枚と、出刃包丁、予備のペティナイフ、粘着テープ、手袋などを用意しています。

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の行動② 家族に見つかるも母親を殴り強引に出発

 

西沢裕司は、母親には「北海道に旅行に行く」と説明するも、家族は精神的に不安定な西沢裕司の行動を監視しており、精神科医にも反対されたため、出かける許可は出ませんでした。

 

西沢裕司は家族に内緒で出発する事にし準備をするも、出刃包丁やナイフ、粘着テープなどの犯行道具が入ったバッグを母親が発見。母親は西沢裕司が自殺をするために用意したと考え、バッグを隠しますが、それに気づいた西沢裕司は激怒し、「バッグを出せ」と怒鳴りながら母親の顔面を殴りつけています。

 

母親が仕方なくバッグを出すと、西沢裕司はそれをひったくるようにして自宅を飛び出しました。事件の2日前の7月21日午後の事でした。

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の行動③ 前日に羽田空港へ赴き警備状況を確認

 

西沢裕司は、JR浜松駅近くのカプセルホテルに「マツイ・サブロウ」という偽名でチェックインし、翌22日の未明午前3時にチェックアウトしています。

 

しかしここで、バッグに入れていた出刃包丁とナイフが家族によって抜き取られている事に気がつき、タクシーで羽田空港に向かう途中に立ち寄ったコンビニエンスストアで安物の果物ナイフを購入していますが、これではハイジャックが成功しないと考えて、その日の決行を断念しています。

 

西沢裕司は、羽田空港に到着すると、4枚のうち1枚の航空チケットを使って搭乗手続きを行ってターミナルビル内へと入り、警備状況に変わりがない事を確認しています。その後、残る3枚の航空チケットを翌23日に予約変更しています。

 

それから羽田空港を一時出た西沢裕司は、JR蒲田駅近くの金物屋で刃渡り19cmの包丁と、刃渡り11.8cmのペティナイフを購入。

 

同日17時頃に、蒲田駅近くのカプセルホテルに偽名を使ってチェックインしています。

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕二の行動④ 警備体制の欠陥をついて刃物を機内に持ち込む

 

西沢裕司は7月23日午前5時20分頃にカプセルホテルをチェックアウトし、タクシーで羽田空港へと向かいました。羽田空港に到着すると、ショルダーバッグから包丁とペティナイフの入った手提げバッグを取り出し、ショルダーバッグは空港のゴミ箱に捨てています。

 

午前6時頃、西沢裕司は日本航空101便の搭乗手続きを行い、包丁などを入れた手提げバッグを預託手荷物として預けています。その後、全日空61便と83便の搭乗手続きを行なっています。

 

西沢裕司は6時45分頃にまず、大阪伊丹空港行きの日本航空101便に乗り、伊丹空港へと移動。手荷物預かりの場合は凶器が入っていても目的地まで運ばれる事を利用し、西沢裕司は包丁などの入った手提げバッグを受け取り、一旦搭乗口から外へと出ています。

 

西沢裕司は再び手提げバッグを預託手荷物とし、午前8時50分発の日本航空102便に乗って再び羽田空港へと戻っています。

 

午前10時7分に羽田空港に到着した西沢裕司は、一旦1階のロビーへ降りて手荷物を受け取り、トイレに入って手荷物のタグを取り外すと、整髪料で髪型を変えて変装した上で2階の搭乗口へと戻り、包丁などの入った手提げバッグを持ったまま10時55分発の全日空61便に搭乗しました。

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の行動⑤ ハイジャック決行

 

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午前11時21分に、全日空61便は羽田空港を定刻より26分遅れで離陸しました。

 

同機には犯人の西沢雄二を含めて492名の乗客、パイロットの長島機長(事件当時51歳)、古賀副操縦士(当時34歳)、客室乗務員12名、デッドヘッドクルー(次の勤務地へ移動するためや帰宅のために便乗する乗務員)11名で、合計517名が乗っていました。

 

午前11時23分頃、西沢裕司は突然シートベルトを外して立ち上がり、手提げバッグから刃渡19cmの包丁を取り出し、中央付近に着席していた2名の客室乗務員に近づきました。

 

客室乗務員はそれに気付き「離陸中なので席にお戻りください」と注意しますが、西沢裕司は包丁を2人に突きつけるようにして「殺されたくなかったらコクピットへ連れて行け」と脅しました。

 

午前11時25分には、客室乗務員から報告を受けた長島機長が羽田管制にハイジャックが発生した事を通報しています。

 

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の行動⑥ 操縦室に侵入し長島機長に操縦を指示

 

西沢裕司は操縦室の鍵を開けさせると中に侵入し、長島機長と古賀副操縦士に包丁を突きつけて脅し、横須賀方面へ行くように要求しています。

 

西沢裕司はさらに、長島機長から計器類の位置や自動操縦装置の解除方法などを聞き出し、さらに高度を3950メートルから900メートルまで下げる事を要求。長島機長はこれに従い、横須賀通過後も西沢裕二の要求通りに伊豆大島方面へと経路を変えています。

 

それから西沢裕司は古賀副操縦士を操縦室から追い出した後に、横田基地方面へ向かうよう要求。長島機長はそれに従い、伊豆大島上空でUターンして内陸へと経路を変えています。

 

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の行動⑦ 長島機長を殺害し自ら操縦

 

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午前11時53分頃、西沢裕司は長島機長に操縦を代わるように要求。長島機長は、それを危険と考えて適当に話を合わせつつ操縦を続けました。

 

西沢裕司は、目的を達するには長島機長を殺害して自分で操縦するしかないと考え、突然副操縦士席から立ち上がると、包丁で長島機長の胸部や頸部などを3度突き刺しました。

 

それから、西沢裕司は副操縦士席で自動操縦機能を解除し、操縦桿を操作。970メートルから590メートルまで機体を降下させ、機体も大きく揺らせるなどしています。

 

さらにその後、機体を大きく右に急旋回させ210メートルにまで急降下させ、地上接近警報装置が作動。

 

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の行動⑧ 副操縦士らによって取り押さえられる

 

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正午頃、外で様子を伺っていた古賀副操縦士と、デッドヘッドクルーとして搭乗していた山内機長(エアバス機の機長)と副操縦士の3名は、施錠された操縦室の扉を体当たりして破り、副操縦士2名が西沢裕司を羽交い絞めにして操縦席から引きずり下ろして取り押さえ、山内機長が急いで操縦桿を握って機体の状態を立て直しました。

 

長島機長もすぐに操縦席から下ろされて寝かされ、乗客として居合わせた医師が治療を試みるも、既に亡くなっている事が確認されました。

 

午後0時14分頃、伊藤機長の操縦によって61便は羽田空港へと引き返して緊急着陸し、西沢裕司は東京空港警察署の警察官によって逮捕されています。

 

 

 

西沢裕司に殺害された長島機長の死因は出血性ショック

 

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西沢裕司に3度刺された長島機長の死因は、「出血性ショック」と発表されています。

 

 

全日空61便ハイジャック事件の犠牲者・長島機長について

 

長島機長は、長島直之さんという方で、1947年8月6日生まれの立教学院の出身です。結婚されており、妻の久実子さんとの間に2人の子供がいました。長島機長は穏やかな性格の人格者として周りの人々からも慕われていたという事です。

 

長島機長は退職後の夢として、外国で飛行技術を教えるボランティア活動をしようとも考えられていたそうです。

 

西沢裕司に刺される前に、長島機長が機体の出力を維持できるように設定していたため、61便はそのまま失速して墜落する最悪の事態を回避する事ができたと言われています。事件後、長島機長のこうした英雄的な行動が称えられ、ポラリス賞が授与されています。

 

 

 

西沢裕司への判決は無期懲役

 

「全日空61便ハイジャック事件」の犯人の西沢裕司の判決は「無期懲役」です。

 

西沢裕司は過去に精神科病院への通院歴や入院歴があったことから、東京地検は精神鑑定を実施。裁判では刑事責任能力も争点となりました。

 

裁判では、殺人とハイジャック防止法違反(航空機強取等致死)、銃刀法違反、威力業務妨害の罪に問われ、求刑は無期懲役でした。

 

2005年3月の判決では、抗うつ剤による心神耗弱は認められましたが、刑事責任能力は認められ、求刑通りの無期懲役判決が言い渡されました。

 

西沢裕司は控訴せず、無期懲役の判決が確定しています。

 

 

 

西沢裕司の現在① 千葉刑務所に服役中で処遇に関わる裁判も起こしている

 

西沢裕司は、無期懲役の判決を受けて現在も千葉刑務所に服役しています。

 

西沢裕司は、2012年12月から2014年1月にかけて、千葉刑務所長から「矯正に支障が生ずる恐れがある」の理由から、手紙の発信や受信を禁止する処分が出されていました。

 

西沢裕司(と支援団体)は、この処分は違法であるとして国に対して処分の取り消しを求める裁判を起こしています。この裁判は2015年に西沢裕司側の訴えを認める判決が下されています。

 

1999年の全日空機ハイジャック事件で機長を殺害したとして無期懲役が確定し、千葉刑務所(千葉市)で服役中の西沢裕司受刑者が、拘禁者支援団体の関係者との手紙のやりとりを禁じた千葉刑務所長の処分は違法として、国に処分の取り消しを求めた訴訟で、千葉地裁(広谷章雄裁判長)は22日までに訴えを認める判決を言い渡した。21日付。

 

引用:受刑者の手紙禁止処分違法 千葉地裁

 

西沢裕司に関するこの後の情報はありませんが、現在も千葉刑務所に服役している可能性が高いと見られています。

 

2023年7月の現在は、西沢裕司は52歳になっています。

 

 

 

西沢裕司の現在② 刑務所内で自殺したとの噂が存在

 

西沢裕司が刑務所内で自殺しており、現在は既に死亡しているとの噂があるようです。

 

これは、「全日空61便ハイジャック事件」のWikipediaに「なお、犯人はその後刑務所で自殺した。(時期不明)」との記載(2023年7月に編集された模様)が根拠となっています。

 

しかし、情報源が示されておらず真偽不明で信憑性は高くありません。

 

少なくとも西沢裕司は2015年の時点では千葉刑務所に服役し生存していたのは間違いありません。仮に自殺したという噂が事実であれば、その後に死亡したという事になりますが、そのような報道は確認できません。

 

2017年と2020年に千葉刑務所で受刑者が自殺したとの報道が確認できますが、いずれも60代とされており西沢裕司とは年齢が一致しません。(西沢裕司は2023年9月8日の誕生日で53歳)

 

Wikipediaに記載された西沢裕司が自殺したとの情報が誤情報であった場合、いずれ削除され修正されると思われます。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1999年7月23日に発生した「全日空61便ハイジャック事件」の犯人である西沢裕司についてまとめてみました。

 

西沢裕司は、航空機マニアでしたが、航空会社に就職するという夢が叶わず、かつ、自らが発見した羽田空港の警備上の不備を指摘した事に対して満足のいく対応が為されなかった事に腹を立ててハイジャックを計画。全日空61便に刃物を持ち込んで事件を起こし、長島機長を殺害して操縦桿を奪い、乗客や地上の住宅街住民の命を危険に晒しました。

 

西沢裕司の生い立ちについては、幼少期から落ち着きなくコミュニケーションがうまく取れないなどの問題があり、小学校時代にはいじめにも遭っています。中学高校は名門私立の武蔵中学・高等学校へ通い、卒業後は一橋大学へ進学するなど勉強はよくできました。

 

西沢裕司の一橋大学卒業後の経歴については、目指していた航空会社への就職が叶わず、日本貨物鉄道株式会社に入社。ここでも人間関係がうまくいかずに2年半ほどで退社し、その後は実家に引きこもりとなって自殺未遂を起こし、精神科病院に通院や入院をしています。

 

西沢裕司の家族については、特許事務所勤務の父親と専業主婦の母親、祖母、大手化学メーカーの会社員である2歳年上の兄の存在がわかっています。また、結婚はしておらず独身でした。

 

西沢裕司は全日空61便ハイジャック事件で、「自分で操縦したい」という身勝手な動機により長島機長を包丁で刺して殺害しています。長島機長の死因は「失血性ショック」と発表されています。

 

西沢裕司の全日空61便ハイジャック事件の判決は「無期懲役」でした。西沢裕司は現在も千葉刑務所に服役しているようです。

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