大竹しのぶさんの元旦那と言えば明石家さんまさんが有名ですが、その前に死別した服部晴治さんとの略奪婚も話題です。
今回は服部晴治さんのプロフィール、東大卒の噂など学歴、元嫁、中村晃子との修羅場、息子の二千翔さんを紹介します。
この記事の目次
服部晴治は元TBSのディレクター
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服部晴治さんは、テレビ局に勤務していた男性です。女優の大竹しのぶさんと結婚する前にも元嫁が2人いました。
恋多き男性として知られる服部晴治さんとは、どのような人だったのでしょうか。まずはプロフィールから見ていきましょう。
服部晴治のプロフィール
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服部晴治さんはTBSでディレクターをしていました。テレビ業界ではありますが、会社員なので、個人情報は非公開のようです。
判明しているのは1940年生まれということのみ。大竹しのぶさんと結婚後、47歳という若さで逝去したことにより、生まれた年が判明したのです。
詳しい日付や出身地、血液型といった一般的にプロフィールと認識されるデータも分かっていません。
服部晴治は東大卒?高学歴だと言われる理由
東大説が浮上している
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プロフィールが生まれた年しか明らかになっていない服部晴治さんですが、学歴についても明かされていません。
一般的にディレクターというと、入社の際にかなりの高学歴であることが常であるため、TBSのディレクターだった服部晴治さんは東大卒業ではないかという噂もあります。
また、高学歴されるもう1つの理由として、後ほど紹介する息子が、早稲田大学高等学院、慶應義塾高等学校など難関私立高校を受験し、全て合格しているからなんです。
息子が有名私立に合格するほどなら、父親である服部晴治さんも高学歴だということですね。
服部晴治の結婚① 元嫁が2人
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服部晴治さんは離婚歴が2回あり、3回目に結婚した嫁が大竹しのぶさんです。元嫁はどのような人だったのでしょうか。
生前かなりモテる男性だったことが判明しています。
元嫁は一般人だった
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目鼻立ちのハッキリした顔立ちに、TBSのディレクターとして仕事の評価も高いことから、非常に目立つ存在だった服部晴治さん。
1人目の嫁はミッションスクールの英語教師で、2人目の元嫁は宝石デザイナーだったのだとか。
だた、元嫁2人といつ入籍していつ離婚したのかという詳細は判明していません。
服部晴治の結婚② 最後の嫁・大竹しのぶとの馴れ初め
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3人目の嫁は大竹しのぶさんです。結婚して5年後に逝去しているので、最後の結婚になりました。
大竹しのぶさんのプロフィールと2人の馴れ初めについて紹介します。
大竹しのぶのプロフィール
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大竹 しのぶ(おおたけ しのぶ)
生年月日: 1957年7月17日
出身地: 東京都江戸川区
血液型: A型
大竹しのぶさんは、1男4女の3女として東京都江戸川区に誕生しました。
父親は東京電力に勤務するエリートでしたが、結核を患ったことをきっかけに埼玉県に一時引っ越し、中学校の頃に東京へ戻ったそうです。
親族における著名人は、母方の祖父に自由宗教家の吉川一水さん、甥にはJリーガーの大竹隆人さんがいます。
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大竹しのぶさんが芸能界に入ったきっかけは、1973年放送のドラマ「僕は女子学生」において、主人公を演じる北公次さんの相手役に合格したことでした。
デビュー翌年の1974年には、NHKの朝ドラ「水色の時」でヒロイン・松宮知子に抜擢されています。
デビュー以来、一度たりとも仕事が途切れたことがないというエピソードが明かされており、売れっ子女優として愛される要因として演技力の高さが評価されているのです。
撮影になるとどんな条件でも必要であれば即座に涙を流すことが可能で、女性が持つ心の闇を表現させると天下一品だと絶賛されています。
2人の馴れ初めは?
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2人の馴れ初めは、1980年に放送されたドラマ「恋人たち」で、ヒロインとして出演した大竹しのぶさんと、ドラマを演出した服部晴治さんが現場で同じ時を過ごしたことがきっかけです。
この作品は、立原正秋さんの同名小説が原作です。主役は根津甚八さんで、母親役に田中裕子さん、恋敵にいしだあゆみさん、という豪華なメンバーが登場しています。
撮影現場では、大竹しのぶさんが服部晴治さんと寄り添うように佇んでいる様子が目撃されていました。
2人は17歳の年齢差がありますが、大竹しのぶさんの方が熱を上げている様子だったのだとか。
服部晴治さんは、大竹しのぶさんを女優として尊敬していたので、演技について深く語り合い、作品をさらに良くしようと熱心だったようです。
服部晴治の結婚③ 中村晃子との修羅場を乗り越え、大竹しのぶと結婚
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服部晴治さんと大竹しのぶさんが結婚するにあたり、1つ障害がありました。それは元嫁ではなく、当時交際していた彼女だったのです。
その彼女とは、売れっ子歌手として活動していた中村晃子さんでした。
中村晃子のプロフィール
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中村 晃子(なかむら あきこ)
生年月日: 1948年1月3日
出身地: 千葉県習志野市
血液型: O型
趣味: ゴルフ、テニス、卓球
美貌を称賛され続けた中村晃子さん。高校生の頃、ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選したことがきっかけで松竹に入りました。
デビュー当初は鳴かず飛ばずでしたが、「虹色の湖」をリリースすると、世の中はグループサウンズ全盛期であるにも関わらず、80万枚を売り上げる大ヒット。
当時の女性では珍しい短いトップスの衣装が話題になり、「へそ出しルック」で歌うのが定番でした。
ただ、歌がヒットしているにも関わらず、なかなかNHKの紅白歌合戦に出場できなかったエピソードもあります。
泥棒猫と罵られる大竹しのぶ
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服部晴治さんは中村晃子さんと交際していましたが、大竹しのぶさんと1つのドラマを作り上げていく過程でいつしか深い仲に。
訝しんだ中村晃子さんは、服部晴治さんの車を尾行。すると大竹しのぶさんを乗せて走り出し、交差点でキスしている場面を目撃したのです。
大竹しのぶさんとの仲を知った中村晃子さんは、話し合いをする中でカッとなり、「この泥棒猫!」と罵るシーンもあったのだとか。
この一件から、大竹しのぶさんは「魔性の女」や「略奪愛」と揶揄されることになったのです。
そんな修羅場も乗り越えた服部晴治さんと大竹しのぶさんは、1982年に結婚を発表しました。
服部晴治の死因
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大竹しのぶさんと晴れて夫婦になり、幸せ一杯の結婚生活をスタートした服部晴治さんでしたが、結婚の5年後に死去しています。
死因や闘病生活について振り返ってみましょう。
死因はがん性腹膜炎よる病死
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服部晴治さんの死因は、がん性腹膜炎です。この病は、がんが進行する過程でがん細胞が飛び散り、腹部に水が溜まる状態になります。
腹部の水を抜く治療方法がポピュラーですが、同時にたんぱく質を体外に出してしまうので、栄養失調に陥る可能性もあるそうです。
また、お腹の張りや腹痛食欲不振などの症状が現れますが、ちょっとした体調不良との違いが分かりにくいことから、発見が難しいという特徴があります。
このため、発見時には、がんが既にお腹の中で散らばって手遅れになることも少なくありません。服部晴治さんもこのケースに該当していたのです。
告知はしなかった
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服部晴治さんの病気が発覚した時、既に手遅れの状態でした。
医師から余命1年だと告げられた大竹しのぶさんは、迷ったものの、服部晴治さんには病気の状況を伏せていました。
何回も病状を尋ねられても、ごまかすしかなくて非常に心苦しい思いをしていたのだとか。
そして結婚して5年後、服部晴治さんは47歳の若さで逝去しました。葬儀は1987年7月25日、勤務先であるTBSの緑山スタジオで行われました。
喪主を務めた大竹しのぶさんは、気丈に挨拶を述べています。
「5年でいっちゃったけど、私は10年分も20年分も、もっともっと愛されていました。
今は『ありがとう』っていう言葉を晴治さんに言いました」
引用:大竹しのぶ 結婚から5年で最初の夫と死別 – デイリー https://www.daily.co.jp/
服部晴治の死去前の感動エピソードが話題に
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服部晴治さんは治療の甲斐なく、47歳で死去しましたが、愛する大竹しのぶさんのために残したものが感動的だと今でも語り継がれています。
最後のプレゼントを用意
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2017年に放送されたバラエティ番組「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に出演した大竹しのぶさんは、服部晴治さんとの最後の思い出について語っています。
亡くなる1週間前、大竹しのぶさんが病室を訪れると、酸素マスクを着けた状態の服部晴治さんから、「引き出しを開けて」と言われました。
病室の備え付けの引き出しを開けると、そこには小さな箱が。箱を空けると中には小さなペンダントが入っていたのです。
この日、大竹しのぶさんは30歳の誕生日。バースデープレゼントとしてサプライズを仕掛けた服部晴治さん。自分でプレゼントを買いに行けないので、姪に頼んだのだとか。
大竹しのぶさんは、このエピソードに対して「最後まで優しさと愛を見せてくれた」と、スタジオでしみじみと語っていました。
親友の明石家さんまへ手紙を書いた
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服部晴治さんが残した大竹しのぶさんへの愛は、バースデープレゼントだけではありません。
実は服部晴治さんは、明石家さんまさんと旧知の仲で、一緒にテニスを楽しむなど親しい遊び仲間でした。そして、大竹しのぶさんも含めて家族ぐるみの付き合いをしていたそう。
そんな服部晴治さんは亡くなる2ヶ月前、明石家さんまさんに向けて手紙を書いていたのです。
手紙には、「僕が遊ぶことができない分、しのぶのことを頼みます」というような内容でした。
大竹しのぶさんは、服部晴治さん亡き後、明石家さんまさんと再婚していますが、1992年に離婚。婚姻中、服部晴治さんの手紙については一切耳にしたことがなかったそうです。
明石家さんまさんと離婚後に手紙の存在を知ったそうですが、中身は読んでいないのだとか。
もしかしたら、明石家さんまさんが服部晴治さんとの男の約束として手紙の中身は見せていないのかもしれませんね。
服部晴治さんの手紙のエピソードをトーク番組で明かした大竹しのぶさん。ネットでは「映画みたいなエピソード!」と、2人の愛に感動したというコメントが多数寄せられました。
服部晴治と元嫁2人の間には子供が3人いる
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ここからは、服部晴治さんの子供について見ていきましょう。人生において3回結婚していますが、子供はいるのでしょうか。
元嫁との間に子供がいた
服部晴治さんには、大竹しのぶさんと結婚する前に2人の元嫁がおり、最初の元嫁との間には子供が2人、2人目の元嫁との間にも子供が1人誕生しています。
元嫁2人は一般人であるため、それぞれの子供たちの個人情報は一切明かされていません。
離婚後、服部晴治さんは元嫁に子供の養育費を払っていたそうです。服部晴治さんは、TBSのディレクターをしていただけあってかなりの年収だったことが分かります。
服部晴治と大竹しのぶの子供は二千翔(にちか)
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服部晴治と大竹しのぶの間に生まれた二千翔
服部晴治さんが最後に結婚していた大竹しのぶさんとの間には、1人息子の二千翔(にちか)さんが誕生しています。
二千翔さんが誕生した2年後に服部晴治さんは死去していますので、二千翔さんは殆ど父親のことを覚えていないようです。
名前には「21世紀に羽ばたいて欲しい」との思いが込められています。二千翔さんが生まれた時、既に服部晴治さんは闘病しており、息子の将来を願う父親の愛が垣間見えますね。
二千翔は芸能人?
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服部晴治さんの息子である大竹二千翔さんは、2020年12月にテレビ出演していますが、芸能人なのでしょうか。
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大竹二千翔さんは、「誰も知らない明石家さんま『父親さんま』の素顔初解禁!息子が顔出しでテレビ初告白」でゲスト出演しました。
しかし、芸能界入りは考えたことがないのだとか。
大竹二千翔さんは「大変そう。気が休まる暇がないんだろうな。僕にはできない」と、乗り気になれない理由を語っていました。
現在は、Webの制作会社を経営しています。
まとめ
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服部晴治さんはTBSで敏腕ディレクターとして勤務していました。一般人なのであまり詳しいプロフィールは判明していません。
学歴についても明かされていないのですが、東大卒業ではないかと言われています。
プライベートでは、3回結婚、2回離婚しました。元嫁2人は一般人女性で、3回目の嫁は大竹しのぶさん。
病気を患い、大竹しのぶさんとの結婚生活5年目で死去。享年47歳でした。
死因は「がん性腹膜炎」です。腹部に水が溜まり、がん細胞をまき散らしながら身体中に転移してしまうやっかいな病気。がんの一種として認識されています。
亡くなる前には、大竹しのぶさんにバースデープレゼントを用意したり、明石家さんまさんに未来を託すなど愛情溢れるエピソードが感動的だと話題になりました。
大竹しのぶさんは服部晴治さんの息子を出産しました。息子の名前は「二千翔」さん。現在は成長して、Web制作会社を経営しています。
やはり父親に似て有能なのでしょうか。これからの活動が楽しみですね。