「小樽ひき逃げ事件」は、飲酒の上スマホ操作で脇見運転をし、3人を轢いて死亡させた悪質すぎる轢き逃げ事件です。
今回は犯人の梅津雅英について、事故後の信じがたい行動や、生い立ちや家族、事故のその後の裁判や判決、現在についてまとめました。
この記事の目次
小樽ひき逃げ事件とは
出典:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/
今回紹介する「小樽ひき逃げ事件」とは、2014年7月13日に北海道小樽市銭函の海水浴場「ドリームビーチ」付近の市道で発生した飲酒ひき逃げ事件で、3人の女性が死亡、1人の女性が首の骨を折るなどの重傷を負った事件です。
犯人はその日、朝4時頃から、事故を起こした16時半頃まで、約12時間以上にわたって断続的に飲酒をしており、また、事故発生時にはスマートフォンを操作して約15秒以上も前方から目を離していた事なども判明。
飲酒の上、脇見をするという無謀な運転の結果、3人の若い女性の尊い命が奪われた衝撃的事件として、全国的に大きな反響を呼びました。
小樽ひき逃げ事件の犯人・海津雅英の事故後の行動が酷すぎると話題に
朝の4時から約12時間以上にわたって飲酒していた
「小樽ひき逃げ事件」を起こした犯人は海津雅英という当時31歳の男で、その日の朝4時頃からビーチへ行き、事故を起こした16時半頃まで断続的に飲酒していたようです。
その後の調べでは、海津雅英は少なくとも運転前に焼酎のロックを8〜9杯、その他ビールなど大量の飲酒をしていた事が判明。その後の検査では、梅津雅英の呼気から酒気帯び運転の基準値の3倍以上のアルコールが検出されています。
飲酒運転はタバコを買いに行くためだった
梅津雅英は早朝から半日にわたって酒を飲み酩酊状態になっていたにも関わらず、タバコを買うために車で付近のコンビニへと向かい、その途中にこの事故を起こした事が判明しています。
さらに、犯人・海津雅英は事故を起こした後、跳ね飛ばした被害者達をその場に放置し、そのまま車を運転してコンビニへと向かってタバコを購入するというにわかには信じがたい行動を取っています。
友人に促され15分〜40分後にようやく通報
タバコを購入後、海津雅英は友人に「100キロくらい出していたら人を撥ねてしまった」などと電話で相談したところ、警察に連絡するように言われたため、事故現場から500メートルほど離れた場所まで戻り、発見者を装い「人が倒れている」とようやく警察に連絡しています。
この発見者を装って通報したという情報については真偽不明で、最初から「自分が人を轢いた」と通報したという情報も出ています。
通報は事故発生から15分〜40分程間があったようです。もしも、梅津雅英が、事故を起こしてすぐに適切な処置をしていたら助かった命があったかも知れず、こうした行動にも批判が集まっています。
飲酒運転に対する認識にも疑問
その後海津雅英は、事件現場から700メートルほど離れた路上に停められた事故車両の傍らに立っているところを北海道警察のヘリに発見され、それを受けて現場に急行した警察官に取り押さえられています。
翌7月14日、北海道警察は、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)および、道路交通法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)で海津雅英を逮捕。
海津雅英は、その後の取り調べで酒を飲んで車を運転した事を認め「事故を起こさなければ大丈夫だと思った」などと話し、飲酒運転の常習者だった疑いも持たれました。
海津雅英は自身のフェイスブックに、事件の前に友人らと酒を飲んでいる様子を写真とともに残していました。自ら飲酒運転の証拠を残しているようなものですが、取り調べでの発言などを見ても、飲酒運転が重大な犯罪であるという認識自体を持っていなかった可能性が高く、こうした言動にも批判が集まりました。
小樽ひき逃げ事件の犯人・海津雅英は自己破産したばかりだった
また、海津雅英は、事件の直前の2014年3月に自己破産し、5月に免責を受け、生活保護も受けていた事も明らかになりました。
こうした状況にも関わらず、海津雅英はビーチで朝4時から飲酒し、その後飲酒運転で重大な事故を起こしたという、その生活の堕落ぶりも注目されました。
また、海津雅英が事故時に運転していた車がクライスラーの大型SUV「グランドチェロキー 」だった事も判明し、生活保護を受けているのにそんな大型車に乗っているのはおかしいといった批判も出たようです。
生活保護を受けていたという事で、被害者や遺族に対する弁済能力は全く期待できず、こうした点でも被害者や遺族への同情が集まりました。
小樽ひき逃げ事件の犯人・海津雅英の生い立ちや家族は?
あまりにも悪質な交通死亡事故を起こした「小樽ひき逃げ事件」の犯人・海津雅英の生い立ちや家族についても注目が集まります。
海津雅英のFacebookなどのSNSが事件直後すぐに特定されたため、生年月日は1983年2月22日、血液型はO型、結婚はしておらず独身だった事などが判明しています。
事件を起こすまでの生い立ちや学歴、勤務先などは不明ですが、事件当日は、事件現場のすぐ近くのビーチで営業していた海の家で働いていた事が明らかになっています。ただ、あくまでも手伝いに来ていただけのようで、正式にこの海の家に雇われていたわけではないようです。
海津雅英の父親はタクシー運転手
海津雅英の家族については、父親がタクシー運転手で「海津タクシー」という個人タクシー会社を経営していた事なども特定されてネットで晒されたため、炎上騒動に発展しました。
また、海津雅英はこの父親と実家で同居していた頃なども判明しています。運転を生業とする父親を持つにも関わらず、海津雅英が飲酒運転の危険性を認識していなかった事には驚かされます。
海津雅英の起こした「小樽ひき逃げ事件」では、父親に対しても批判が集まっていますが、同居していたとはいえ、この父親が当日息子と一緒にビーチで酒を飲んでいたわけでもなく、成人した31歳の息子が起こした事件について責任を問うのは無理があるでしょう。
ただ、自身に責任がないとはいえ、息子がこの悪質すぎる交通死亡事故を起こしてしまった以上、今後個人タクシー業を経営していく事はかなり難しくなったと思われます。むしろ、この父親もこの愚かな息子の被害者の1人だと言えるのではないでしょうか?
なお、海津雅英の母親や兄弟など、その他の家族についての情報は明らかにされていません。
小樽ひき逃げ事件の被害者
「小樽ひき逃げ事件」で理不尽な被害で死亡したのは、札幌市の医療機関の事務員・石崎里枝さん(当時29歳)、北海道岩見沢市のスーパー店員・瓦裕子さん(当時30歳)、同じく岩見沢市の会社員・原野沙耶佳さん(当時29歳)の3人でした。また、札幌市の会社員・中村奈津子さん(当時30歳)が頚椎骨折などの重傷を負いました。
4人は岩見沢農業高等学校時代の同級生で、この日は朝から4人で海水浴場に遊びに来ていました。高校卒業から12年が経過しても親友同士の関係を築いていたそうです。
死亡した3人は、全員が家族や友人想いの優しい女性達だったようで、遺族や友人らからは悲しみの声や犯人・海津雅英に対する怒りの声があふれました。
小樽ひき逃げ事件の犯人・海津雅英の裁判の判決や現在
「小樽轢き逃げ事件」の犯人・海津雅英の裁判や判決についても紆余曲折がありました。
当初検察は罪が軽い「過失致死傷罪」で起訴
検察側は当初、「(梅津雅英が)アルコールの影響で正常な運転が出来ずに事故を起こしたと認定する事が困難」であるとして、自動車運転処罰法違反の「危険運転致死傷罪」よりも罪が軽くなる「過失致死傷罪」で起訴しました。
この「過失致死傷罪」では、最大でも懲役7年までの刑罰しか課せられず、何の罪も無い3人の命が理不尽に奪わった悪質な犯人に対する刑罰としてはあまりに軽すぎるとして、遺族や社会から不満が噴出します。
遺族側が7万人を超える署名を集め「危険運転致死傷罪」に訴因変更
遺族側は、これを受けて訴因変更を求める署名運動を開始。全国から7万人を超える署名を集め、より重い刑罰を課す事が可能になる「危険運転致死傷罪」へと訴因変更を求める上申書を最高検察庁へと提出。
この遺族らの想いが届き、最高検は再捜査の開始を決定。その結果、海津雅英が「酒に酔って正常な運転は困難だった」との判断を下し、「危険運転致死傷罪」への訴因変更が認められる事になりました。
海津雅英は裁判で「危険運転致死傷罪」では無いと訴える
「小樽ひき逃げ事件」の海津雅英の初公判は、2015年6月29日に札幌地方裁判所で開かれました。
海津雅英側は犯行事実については認めたものの「アルコールによって正常な運転が困難な状態ではなかった」と主張し、酒を飲んだ事が事故に直結した事について否定し、罪が重い「危険運転致死傷罪」について否認し、「過失運転致死傷罪」の適用を求めました。
地検は「過失運転致死傷罪」を予備的訴因として追加し、これについても合わせて審理される事となり、裁判の行方に全国的な注目が集まりました。
海津雅英の主張は否定され、厳しい判決が下る
公判で海津雅英は「(事故を起こした時)酔いは覚めていた」「普段もスマホを見ながら運転する事はあった」「飲酒によって前方の注視が困難だったわけではない」などと訴え、事故にアルコールは関係なかったと主張します。
この主張について、札幌地裁の佐伯裁判長は「あれだけ注意力を極端に欠く運転をしておいて、何の根拠があって酒の影響が全くないと言えるのか理解に苦しむ。被告人がアルコールの影響で正常時な運転が困難な状態で自動車を走行させ、被害者らを死傷させた事は明らか」「(今もそのように考えているとすれば)常軌を逸している」と痛烈に批判し、海津雅英の主張を完全に否定しました。
この第一審では、海津雅英に対して懲役22年の実刑判決が言い渡されました。
海津雅英の懲役22年が確定
この判決を不服として、海津雅英側は控訴しますが、札幌高等裁判所は札幌地裁の判決を支持し、被告側の控訴を棄却、求刑通りの懲役22年を言い渡しています。海津雅英側はこれも不服として上告しましたが、最高裁はこれを棄却、2017年4月25日に懲役22年の実刑判決が確定しました。
小樽ひき逃げ事件の現在
あまりにも最悪のひき逃げ事件である「小樽ひき逃げ事件」から2020年1月時点で5年半が経過しました。この事件の後、事件の現場となった北海道小樽市の「ドリームビーチ」や北海道全体でも大きな変化が生じているようです。
事件のあった市道にはガードレールや歩道が敷設された
「ドリームビーチ」共同組合元理事長の筒井弘子さんは、事件後から現在まで、同じような悲惨な事故が繰り返されないための地道な努力を続けられています。
事故をが発生した市道では、事故後に歩道やガードレールの敷設が行われましたが、雑草や砂利を嫌い、歩道を歩かずに車道を歩く人が後を絶たないのだそうです。そのため筒井弘子さんは歩道を歩きやすくするため、海岸の砂を運んで撒き、歩道に花を植える作業などを続けられているそうです。
事件のあった7月13日が「飲酒運転根絶の日」に制定
事件後、北海道は事件の発生した7月13日を「飲酒運転根絶の日」と制定しています。この日には、事故再発を防止するため、取り締まりの強化や啓蒙活動などが行われているそうです。
ただ、こうした努力も虚しく、事件の後も飲酒運転をする人は後を絶たず、飲酒運転の被害者も増える傾向にあるようです。
それでも、ビーチに訪れる若者の間でも「飲酒運転は絶対にしない」という声が出ており、そうした意識は着実に広まりつつあるようです。
まとめ
飲酒運転とスマホ操作の脇見運転の結果起きた悪質なひき逃げ事件「小樽ひき逃げ事件」についてまとめてみました。
「小樽ひき逃げ事件」の犯人・海津雅英は、その日の朝4時から、事件を起こした午後4時頃まで、酒を断続的に飲み続けた上、タバコを買うために車を運転、コンビニに向かう途中に市道を歩いていた女性4人組を猛スピード轢き、内3人が死亡、1人が重傷を負うという大事故を引き起こしました。
海津雅英は、あろう事か犠牲者4人をその場に放置し、そのままコンビニへ向かってタバコを購入するという信じがたい行動を取りました。
事件のあまりの悪質さに全国的な注目が集まり、厳罰を求めて7万人を超える署名が集まり、海津雅英は懲役22年の実刑判決を受けました。
事件後、北海道では飲酒運転防止への動きが強まっているようです。今後2度と同じような事件が起こらぬよう、社会全体で飲酒運転撲滅の意識を高めていきたいですね。