「黒子のバスケ脅迫事件」は、人気漫画をターゲットに脅迫が繰り返され、各方面に絶大な被害を及ぼした事件で、犯人・渡邊博史の異様な人格も話題になりました。
事件の概要、犯人の渡邊博史の親からの虐待を受けたという生い立ち、裁判で述べた「無敵の人」の意味、事件後の現在についてまとめました。
この記事の目次
「黒子のバスケ脅迫事件」とは
「黒子のバスケ脅迫事件」とは、週刊少年ジャンプで連載され、アニメ化やゲーム化などもされている大人気漫画「黒子のバスケ」に関係する作品や商品、イベント、店舗などを標的とした連続脅迫事件です。
犯行は2012年10月12日に始まり、2013年12月15日に、犯人である渡邊博史が逮捕されるまでの1年以上にわたって行われ、各方面に多大な被害をもたらしました。
猛毒ガスである「硫化水素」の入った容器が脅迫文とともに置かれたり、微量の毒物が塗布された菓子などが店舗に置かれるなどした上で、「黒子のバスケ」に関係する様々な場所や企業に向けて大量の脅迫文が送付され、対象となった商品や作品の回収、関連するイベントの中止などが相次ぎ、一連の犯行による被害総額は数千万円規模に及んだと見られています。
「黒子のバスケ脅迫事件」の発端
2012年10月12日の19時15分頃、「黒子のバスケ」の作者である藤巻忠俊さんの出身校(中退)である東京・上智大学の四谷キャンパスの体育館の2階に、気化すれば致死量を超える容量の「硫化水素」が入った容器が置かれているのが発見されました。
容器には「黒子のバスケ」の作者・藤巻忠俊さんに対して「藤巻忠俊が憎い」「漫画をやめろ」といった中傷が書かれた紙が貼り付けられており、これが一連の脅迫事件の発端となります。
「黒子のバスケ」をターゲットに大量の脅迫文が送られる
3日後の10月15日には、藤巻忠俊さんの出身高校である、東京都立戸山高等学校へも脅迫文が送付され、29日には「黒子のバスケ」に関連するラジオ番組を放送していた「文化放送」、31日には「黒子のバスケ」のアニメを放送していた「毎日放送」へと立て続けに脅迫文が送付され、それ以外にも、同人イベント会場などを中心に、2012年中だけで全国30ヶ所以上に脅迫文が送付されます。
一連の脅迫文には「喪服の死神」と記されており、この「喪服の死神」をハンドルネームとする何者かが、10月26日にインターネットの匿名掲示板に、犯行を表明する長文を書き込んでいた事も判明します。
脅迫によりイベント中止、販売菓子の自主回収など多大な影響が出る
2013年1月に入ると、ネットの匿名掲示板に「喪服の死神」の関係者を名乗った何者かが「怪人801面相」のハンドルネームで、今後はイベント会場に対する脅迫は行わないといった内容の書き込みをしています。
しかし、同年4月には「黒子のバスケ」関連の同人イベントが行われる予定だった石川県、静岡県、兵庫県の各会場とその周辺施設に向けて再び大量の脅迫文が送付され、この同人イベントは中止を余儀なくされています。
また、別の同人イベントに向けても「『黒子のバスケ』関連の同人誌が販売された場合、多数の死傷者が出る」といった内容が書かれた脅迫文が送付され、この結果「黒子のバスケ」の同人誌を販売する予定だったサークルの参加中止が発表されます。
さらに、2013年10月15日には、上智大学やセブンイレブンに向けて、「黒子のバスケ」に関連する菓子に毒物を入れた事を示唆し販売の停止を求める脅迫文が届き、同時に各報道機関と、月刊誌「創」の編集長である篠田博之氏の元へも同様の内容を示した犯行声明文が送られています。
この結果、セブンイレブンは対象の菓子を自主回収し、サークルKサンクスや、ファミリーマートも自主的に「黒子のバスケ」の1番くじの発売の中止を決定しています。
また、同日には、TSUTAYAの運営会社である「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」に宛てても脅迫文が送られており、これを受け、TSUTAYAの全店舗から「黒子のバスケ」に関連するDVD、CD、書籍などが全て撤去されています。
このように、一連の脅迫事件により、数千万円規模かそれ以上とも言われる莫大な経済的な被害をはじめとして各方面に多大な影響が出ました。
最初の脅迫文と「硫化水素」の容器が上智大学に置かれてから、2013年11月までの約1年の間に、各地に送付された脅迫状の総数は400通以上にも上りました。
黒子のバスケ脅迫事件の犯人・渡邊博史が逮捕される
2013年12月15日、警視庁は、渋谷区の恵比寿ガーデンプレイス付近の路上で、郵便ポストに脅迫状を投函しようとしていた、元派遣社員・渡邊博史(当時36歳)を威力業務妨害の容疑で逮捕します。
この時、渡邊博史が所持していたバッグの中からは、脅迫状約20通が発見されています。
渡邊博史はこの時、自身を逮捕しに目の前に現れた捜査員に対し「負けました」と告げたといいます。
その後、渡邊博史が警察官に連行される姿が連日テレビニュースで放送されましたが、この時の渡邊博史は終始不敵な笑みを浮かべており、なんとも言えない不気味な印象を視聴者に抱かせました。
「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人・渡邊博史の生い立ち① 親からの虐待と学校でのいじめ
1年以上にわたって社会を騒がせた「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人・渡邊博史でしたが、逮捕後の取り調べや、裁判での意見陳述によって明らかになったその生い立ちや、その半生から芽生えたとされる犯行動機などにも注目が集まっています。
それによれば、渡邊博史はアニメを見たいと言っただけで殴る蹴るなどの激しい暴行を加えてくる父親と、幼い我が子に対して「醜い」「お前は汚い顔だ」などと否定ばかりしてくる母親の元で育ったそうです。
小学生に入ってすぐに「もの凄くいじめられた」そうですが、それを両親に相談しても「基本的に放置」されたのだそうです。また、小学校の担任の教師もいじめの事実を知りながら、何もしてくれなかったといいます。
渡邊博史によれば、彼の両親は彼が良い結果を出せば無視し、悪い結果を出せば詰るような親だったという事です。
さらに、渡邊博史によれば両親は「自分の好きなものを必ず禁止する両親」だったと言います。そのため、大人になってからも「何をしていても両親に禁止されるような気がして」現実逃避するために何か趣味を始めても、心の底から楽しめなかったのだそうです。
こうした幼少期を送った事で、渡邊博史は両親や大人に対して「決定的な不信感」を抱くようになったと陳述しています。両親をはじめとする大人達との信頼関係を築けないまま成長した渡邊博史は、自分が大人になっても社会との繋がりも実感する事ができませんでした。
また、裁判で渡邊博史は、5歳の時に自分が同性愛者だと気がついた事なども告白しています。特に男性のバスケのユニフォーム姿にフェティシズムを感じたといい、これが「黒子のバスケ」に注目した理由であるとも明かしています。
「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人・渡邊博史の生い立ち② 地元一の進学校から専門学校へ
渡邊博史は、小学生時代に酷いいじめをうけ、自己肯定感を一切持つ事なく成長したようです。しかし、高校は「地元一の進学校」へと進んだといいます。しかし、これについても渡邊博史は「もしその高校に入らなければ両親に殺される」と本気で思っていたからだと述べています。
高校を卒業した後、渡邊博史はアニメーション系のクリエイター養成専門学校へと進んでいます。本人によれば、これも本気でアニメーターになりたかった訳ではなく、そもそもなれるとも思っていなかったのだそうです。
渡邊博史はそれを自覚しながらも、この経歴から、自身を「マンガ家を目指して挫折した負け組」と設定し、それをまるで社会との繋がりのように見立てて精神の安定を保っていたといった陳述をしています。
「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人・渡邊博史の生い立ち③ ワーキングプアとして生活
渡邊博史はアニメーション系の専門学校に2度入学しているそうですが、これを活かす事が出来ずに、その後はアルバイトや派遣社員として生計を立てる、いわゆる「ワーキングプア」として生活していました。
渡邊博史は、逮捕され東京拘置所で暮らした期間について「高校卒業以来、初めてエアコンの効いた部屋で過ごした」といい、拘置所については「ホテルのようだ」と表現しています。渡邊博史は、高校卒業以来、拘置所以下の環境でずっと生活していたという事になります。
「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人・渡邊博史は自分を「無敵の人」と表現
「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人・渡邊博史は、裁判での陳述で自分自身について「埒外の人」「浮遊霊」「生き霊」などと表現しています。これらはそれぞれに明確な意味が説明されていますが、ごく簡単に言えば、社会との関係性を一切持つ事ができず、自分自身を規定する事が出来ないほど、自己肯定感を持てなかった人を示しているようです。
そして、そんな自分は「失うものが何もないために、罪を犯す事に何の心理的抵抗もない人間」という意味の「無敵の人」だとも表現しています。
「罪を犯す事に心理的抵抗がない」のだから、自分自身がこの事件を起こした事で多くの人間に被害を与えたのは理解しているけれど、それに対して反省する気持ちは一切無いのだそうです。
つまり、「無敵の人」は自分自身の事がどうでも良いのだから、凶悪な犯罪を犯して逮捕され、厳しい刑罰や社会的な制裁を受けたとしても、特にそれを辛いと思わないし、むしろ死刑にされる方が、「地獄のような生からの解放」だから望むところのはずだといった趣旨の陳述もしています。
さらに渡邊博史は、「無敵の人」にとって死刑とはむしろ「ご褒美」であって抑止力にはならない、「無敵の人」による凶悪犯罪を防ぐためには、国が「自殺幇助施設」を開設するべきで、それが無理なのであれば、「無敵の人」が嫌がるであろう刑罰として「無期拷問刑」を作るべきだとまで陳述しています。
渡邊博史は裁判での意見陳述の最後に以下のように叫んだそうです。
「こんなクソみたいな人生、やってられないから、とっとと死なせろっ」
渡邊博史は、裁判で懲役4年6ヶ月の実刑判決が確定していますが、刑務所を出たらすぐに自ら命を絶つと宣言しています。
この渡邊博史の自殺宣言のロジックは、「黒子のバスケ脅迫事件」で自分は多方面に莫大な損害をもたらしたが、「負け組」である自分にはそれを賠償する能力がない、したがって考えられるのは「責任を取らないまま生きる」か「責任を取らずに死ぬ」かという選択肢しかない、そして自分は「責任を取らずに死ぬ」を選ぶ、何故ならば、少なくとも自分が死ぬ事で、今回の事件で被害を被った人は溜飲を下げる事ができるからというものでした。
ここで紹介した内容は、渡邊博史の裁判での最終意見陳述などを参考にごく簡単にまとめたものですが、この原文を読んだ人の中には、渡邊博史に対してある種の同情を抱く人も少なくないようです。渡邊博史の自殺への想いに対しても、懲役生活の中で考え方を変えて、何とかもう一度生きる気持ちになって欲しいと願う人もいたようです。
「黒子のバスケ脅迫事件」の現在
「黒子のバスケ脅迫事件」は、2013年12月に犯人の渡邊博史が逮捕され、2014年9月に、裁判で「懲役4年6ヶ月」が確定した事で一応の終結を見ました。
騒動の中心となってしまった漫画「黒子のバスケ」は事件後も連載が続けられますが、人気絶頂の2014年に連載が終了しています。この連載終了と今回紹介した事件との関連はないようです。
犯人の渡邊博史は獄中で執筆した手記を書籍として出版
2014年10月2日、犯人の渡邊博史は、刑務所の中で事件の真相について記した「生ける屍の結末「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相」という書籍を出版しています。
この書籍はかなりの高評価を得ており、「生きづらい」と感じる人たちのバイブルのようになっているようです。現在も購入可能なので興味を持たれた方は読んでみてはいかがでしょうか?
渡邊博史はすでに出所している
2020年1月の時点で、犯人の渡邊博史はすでに刑期を終えて出所しているはずです。ただ、その後の行方については一切明らかになっていません。
渡邊博史は裁判で、出所後に自殺する事を宣言した際、「自分の死が広く伝わるような手段」で自殺すると陳述しているため、それが伝わってこないという事は、現在もどこかで生存されているのでしょう。
渡邊博史は社会を騒がせ、各方面に大きな被害をもたらしましたが、身体的には誰1人として傷つけてはいません。懲役刑を終え罪を償った以上は、どんなに生に絶望していたとしても、お迎えが来るまでは生きていて欲しいと願います。
まとめ
人気漫画をターゲットとした連続脅迫事件「黒子のバスケ脅迫事件」についてまとめてみました。
この事件は、1年半に渡って大人気漫画「黒子のバスケ」に関係する物事に脅迫が続けられ、商品の撤去やイベントの中止などが相次いだ事で各方面に莫大な損害を与え、社会全体を騒然とさせた事件でした。
その後の裁判では、犯人の渡邊博史は両親から受けた虐待や、小学生時代に受けたいじめなどで自己肯定感を抱けないまま成長し、社会との関わりを築けないまま辛い人生を送り、漠然とした敵に復讐する様な気持ちで犯行に及んだ事が明らかになりました。
渡邊博史は現在、懲役を終えて出所し社会復帰しているはずです。裁判では人生の生きづらさを述べ、出所後は自殺すると宣言していた渡邊博史ですが、最終意見陳述を聞いて彼に同情する意見も多数出ています。懲役を終えて罪を償った以上は、何とかもう1度人生をやり直す道を選んで欲しいものです。