タレント・ラッパー・小説家とマルチに活躍するいとうせいこうさんですが、再婚した嫁との間に60歳目前で子供が誕生したことも話題です。
今回はいとうせいこうさんの経歴や年収、家族や結婚歴・離婚歴、現在をまとめてみました。
この記事の目次
いとうせいこうのプロフィール
生年月日:1961年3月19日
出身地:東京都
所属事務所:キューブ
いとうせいこうさんは、小説家・作詞家・ラッパー・役者としてマルチに活躍するタレントです。
本名は「伊藤正幸(いとうせいこう)」といいます。
1985年から1989年まで演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」のメンバーであり、”日本語ラップのパイオニア”としても知られています。
いとうせいこうの家族:父親は政治家で俳人、姪の夫はプロ野球選手
いとうせいこうさんの父親は、元参議院議員の伊藤郁男さんです。
伊藤郁男さんは日本社会新聞の記者を経て、1960年に民社党(1994年に解散)の本部書記局に入局。
機関誌局事務長や組織局次長といったポジションを経験したのち、1980年に参議院議員通常選挙の全国区で初当選を果たしました。
ただしその後は、1986年・1989年と比例区で立候補するも落選しています。
また、政治家として活動する一方で俳人としても活躍しました。
句集「地蜂」「信濃路」「風やはらかき」などを発表しているほか、現代俳句協会名誉会長を務めた俳人・金子兜太さんとの共著も発表しています。
また、いとうせいこうさんは2022年3月25日に自身のツイッターで、姪の夫がプロ野球球団「広島東洋カープ」の外野手・末包昇大さんだと明かし、話題となりました。
かわいい姪の夫が新人にして開幕スタメン、そしてタイムリーを打ったとの朗報! 広島の末包です。どうぞよろしくお願いします!
— いとうせいこう (@seikoito) March 25, 2022
いとうせいこうの経歴① 編集者・小説家としての活動歴
いとうせいこうさんは東邦大学附属東邦高等学校を卒業し、早稲田大学の法学部に入学。そして、大学在学中からピン芸人としての活動を開始し、舞台活動も行っていました。
そしてニッポン放送からラジオパーソナリティの打診があったそうですが、番組の裏側を知りたいと思い、ニッポン放送にお願いして「タモリのオールナイトニッポン」のADになります。
その一方で、タレント・高原兄さんがパーソナリティを務めていた「ヤングパラダイス」に「穴ほりマン」名義で中継レポーターとして出演。
1984年に早稲田大学を卒業後は、講談社に入社して、男性向け雑誌『ホットドッグ・プレス』の編集部などを経験したのち、1986年に退社しました。
フリーランスとして企画や編集の仕事をしつつ、1988年に処女小説「ノーライフキング」を発表すると、「三島由紀夫賞」「野間文芸新人賞」にノミネートされます。
2006年には演芸ライフスタイルマガジン「PLANTED」を創刊し、編集長となりました。
また、2013年には東日本大震災をテーマにした小説「想像ラジオ」を発表。同作は、「三島由紀夫賞」「芥川龍之介賞」にノミネートされたほか、「野間文芸新人賞」を受賞しました。
ほかにも、近畿大学の国際人文科学研究所で客員教授を務めるなど、幅広く活躍しています。
いとうせいこうの経歴② アーティストとしての活動歴
いとうせいこうさんは1980年代に、日本のヒップホップカルチャーをけん引した”日本語ラップのパイオニア”としても知られており、講談社退社後は、ヒップホップMCとしても活動。
諸外国のラップスタイルを模倣するのではなく、日本語による表現方法を意識的に取り入れている点が革新的であるとされました。
また、MCUさんやYOU THE ROCKさん、ヒップホップグループ「スチャダラパー」など数多くのラッパーもいとうせいこうさんに大きな影響を受けたと述べています。
1985年にアルバム「業界くん物語」に初めてアーティスト・プロデューサーとして参加すると、1986年には「いとうせいこう&タイニー・パンクス」としてアルバム「建設的」を発売。
1989年には、初のソロアルバム「MESS/AGE」を発表しました。
その後も、1992年に「サブリミナル・カーム」、2009年に「THE DUB FLOWER」といったユニットを結成し、アルバムを発売するなどコンスタントに活動しています。
2009年にはポップグループ「□□□」、2016年にはダブバンド「DUBFORCE」へ加入したほか、同バンドから派生したユニット「いとうせいこう is the poet」としても活動中です。
いとうせいこうの経歴③ タレント・演出家としての活動歴
いとうせいこうさんは、タレントや演出家としても活動しています。
大学卒業後の1985年に、演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。
1989年まで、劇作家の宮沢章夫さん、お笑いトリオ「シティーボーイズ」、タレントの中村有志さん、役者の竹中直人さんなどと一緒に活動していました。
その後も、シティーボーイズのライブを中心に、演出や構成などを担当。
2000年に国立劇場で公演された狂言「鏡冠者」を手掛け、狂言家である野村万作さん・萬斎さん親子がこれを演じました。
2002年には井上ひさしさんや筒井康隆さんなど、日本を代表する劇作家が集う舞台公演プロジェクト「空飛ぶ雲の上団五郎一座」を旗揚げ。脚本・総合演出のほか、自身も出演しています。
また、MCとしても度々活躍しており、特にCSの音楽チャンネル「スペースシャワーTV」で番組を担当することが多いようです。
同チャンネルにおいては、1999年~2000年に放送された音楽クイズ番組「梁山泊」や、2003年~2006年に放送された音楽バラエティ番組「熱血!スペシャ中学」などでMCを担当。
2017年に開催された「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」でもMCを担当しました。
いとうせいこうの歴代の嫁と子供…結婚歴・離婚歴
いとうせいこうさんは過去にテレビ番組で、既婚だと発言しています。しかし、婚姻期間や嫁についての詳細は不明です。
また、2007年には自身のブログで高校生の娘について触れており、子供がいることが判明しました。
恐らくですが、ブログの文脈から当時のいとうせいこうさんは嫁と娘と離れて暮らしており、すでに離婚していた、もしくは別居中であったことがうかがえます。
俺の家に翌日、高校生になった実の娘が来た。家事を手伝う名目でバイト代を稼ごうという子供の考えである。俺は得々として霊の話をし、娘に腰の痛む部分を見せたりした。すると、じっと静かに聞いていた娘が冷たくこう言ったのである。「パパって、そういう馬鹿なことを信じるような人だったの?」それで心霊騒動は終結した。
引用:2007/8/15
いとうせいこうは高収入の可能性が高い
いとうせいこうさんは年収を公開していません。出版している書籍の発行部数や、CDの累計販売数なども不明のため、算出することも難しい状況です。
しかし、音楽・舞台・タレント・小説とマルチに活躍されており、テレビ番組への出演やコラムの執筆なども多数あります。
ちなみに、コラムニストの平均年収が500万円程度。タレントはポジションにもよりますが、レギュラーのテレビ番組が1本あるだけでも1500万円近い年収が見込めるそうです。
そのため、あくまで個人的な予想ではありますが、そのほかのお仕事や露出度からも3000万円以上の年収があるのではないでしょうか。
いとうせいこうの現在① テレビ番組などで引き続き活躍中
いとうせいこうさんは、2001年からNHKの子供向けバラエティ番組「天才ビットワールド」に出演しています。
同番組は2007年に「ビットワールド」としてリニューアルし、2022年現在も放送中で、メインキャラの1人を担い続けているいとうせいこうさんは、子供たちにも顔が広く知られています。
また、2015年から2020年まで放送されていた、ラップのフリースタイルを競い合うテレビ朝日系バラエティ番組「フリースタイルダンジョン」では審査員を担当。
2020年3月には、同番組のゲストライブで名曲「ヒップホップの経年劣化」を披露し、大きな話題になりました。
特に、当時55歳であったいとうせいこうさんが曲前に放った「(ラップは)30年前からやってるぜ!」の一言は、一瞬で会場を沸かしました。
いとうせいこうの現在② 再婚した嫁との間に子供が誕生
いとうせいこうさんは、60歳目前となる2021年2月6日に、Twitterで子供の誕生を報告をするとともに、「子育て第一主義でいく」とも宣言して話題です。
出産した嫁とは再婚と見られていますが、再婚や嫁についての具体的なコメントはまだないため、謎に包まれています。
妻の長期入院でなんとか予定日に近づけてたが、ついにずっと早く小さい赤ちゃんが元気に飛び出した。しっかり育休を取って待ってたけど、その計画を乱しての気の短いお出まし。みうらさんにならって、子育て第一主義で参ります。
— いとうせいこう (@seikoito) February 6, 2021
子供が誕生後の生活については、2022年1月に受けたインタビューで以下のように語っています。
僕は育休制度がないフリーランスなので、全く何もしなかったらお金が入ってこない。妻のスケジュールと照らし合わせながら、来た仕事を受けるか受けないかを決めているだけなのです。でも「育児中心のスケジュールを組むことにします」とTwitterに少し書いたらニュースになって大げさになっちゃって……。今日も泣きわめいている子どもをあやしてからここに来ました。
育児が始まってからは、嫁の予定を1番に確認して、お互いの予定をすり合わせるようになったといいます。
また、子供が生まれてから環境的に長編小説が書けなくなったため、俳句に注力しているのだそうです。
いとうせいこうさんは同インタビューで、コロナ禍に生まれた我が子に対する不安も吐露していました。
コロナ禍で生まれた子どもについてもよく考えます。出産後、うちの子は1カ月くらいICUに入っていたからその期間うちの子はマスクした人しか見てない。しかも、病院を出てからもコロナ禍だからマスクするのが当たり前です。今までと違う環境で育つ彼らの幼少期の体験が、我々とどう変わっちゃうのかなどと考えてしまいます。わからないことばかりですね。
まとめ
いとうせいこうさんは、小説家・作詞家・ラッパー・役者としてマルチに活躍。
特に、ラッパーとしては”日本語ラップのパイオニア”としても知られており、日本のHIPHOPシーンをけん引した人物として多くのミュージシャンに影響を与えてきました。
また、小説「想像ラジオ」で野間文芸新人賞を受賞したほか、数多くの番組でMCをこなすなど、様々なジャンルで頭角をあらわしてきたいとうせいこうさん。
2020年にはバラエティ番組「フリースタイルダンジョン」でラップを披露したことが話題となったほか、2021年に60歳目前でパパとなり育児と仕事を両立している様子が話題です。
いとうせいこうさんはこれまで、様々な分野でその才能を発揮してきた一方で、プライベートについてはあまり多くを語っていません。
今後は、類まれなる文章力やトーク力を活かして、ぜひパパとして仕事に育児にと奮闘する日々を伝えていってほしいものですね。