統一教会への入会・脱会騒動で話題になったタレントの飯星景子さんが話題です。
この記事では飯星景子さんの若い頃の経歴と統一教会騒動の顛末、脱会できた理由や父親の飯干晃一さんら家族、脱会後結婚した旦那とのスピード離婚や子供の有無、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
飯星景子のプロフィール
飯星景子のプロフィール
生年月日:1963年2月23日
出身地 :大阪府高槻市
身長 :164cm
血液型 :A型
飯星景子(いいぼし・けいこ)さんは、タレントや女優、作家など幅広く活躍されている方です。
1992年頃に、当時、霊感商法などを行うカルト的な宗教団体として問題視されていた「統一教会」に入信し、父親で作家の飯干晃一さんの必死の説得によって脱会するという騒動で話題になった人物でもあります。
2022年7月、参院選挙の応援演説中だった安倍晋三元首相が、統一教会に恨みを抱く山上徹也という男に銃撃され殺害された事件が発生し、それをきっかけにして、統一教会の実情が次々と暴露されています。
この事から、かつて、統一教会に入信しつつも脱会できた飯星景子さんにも再び注目が集まっています。
ここでは、そんな飯星景子さんについて改めてまとめていきます。
飯星景子の若い頃① タレントとして人気だった
飯星景子さんは若い頃は、テレビタレントやキャスターとして活躍し人気を集めた存在でした。
飯星景子さんは高校時代(追手門学院高等学校)で、演劇部に所属し、演劇コンクールに出場して個人演技賞を受賞。さらに演劇部としては、1981年の全国大会で最優秀賞に輝くという快挙を達成しています。
桐朋学園大学短期大学部(現在の桐朋学園芸術短期大学)の芸術科演劇専攻を卒業後、女優を志望していた飯星景子さんは、その足掛かりとしてテレビ番組のリポーターのオーディションに挑戦し、芸能界入りしました。当時は「飯干恵子」の名前で活動されています。
飯星景子さんはリポーターやキャスター、タレントとして人気を集め、かつてのテレビ朝日の映画枠「ウイークエンドシアター」の映画解説を3年間担当したのをはじめ、1987年から1988年にかけて「モーニングショー」のサブ司会、1988年から1990年までバラエティ「紳助・ケントの世界がお呼びです!」、1990年にはスポーツバラエティ「中畑&徳光のスポーツ熱中宣言」など、多くの番組にレギュラー出演されています。
飯星景子の若い頃② 統一教会への入会・脱会騒動を巻き起こす
若い頃からテレビタレントとして、高い人気と知名度を獲得した飯星景子さんでしたが、1991年夏頃から、髪を切り、酒やタバコを止め、芸名を改名して所属していた事務所を突然退所するなど、様子に変化が見られました。
父親で元読売新聞記者で作家の飯干晃一さんは、娘の様子に異変を感じて問いただしたところ、「統一教会」への入信を告白されます。
元々、統一教会に対して批判的な立場を取っていた飯干晃一さんはこれに激怒し、飯星景子さんを勘当します。
その後、飯星景子さんは統一教会の幹部とともにニューヨークへと渡り、音信不通になります。これに危機感を覚えた飯干晃一さんは、1992年10月に記者会見を開き、「娘を取り戻す。統一教会が潰れるまで闘う」と宣戦布告を行いました。
これにより、飯星景子さんの統一教会入会のニュースは連日ワイドショーや週刊誌で報道されるようになります。
この状況を受けて統一教会側は「お父さんをなんとかして欲しい」と飯星景子さんに求め、それに応じが飯星景子さんが日本へと帰国。そしてこの時に飯星景子さんは父親の飯干晃一さんに熱心に説得され、統一教会から脱会しています。
飯星景子が統一教会に入会した理由やきっかけ
飯星景子さんは、若い頃の自分が統一教会に入会した理由やきっかけについても脱会後に語っています。
それによると、飯星景子さんが統一教会に入会した最初のきっかけになったのは、統一教会関係のイベントの司会を務めた事だったそうです。
この時に、友人に勧められて統一教会の勉強会(セミナー)に参加したという飯星景子さんは、信者同士の(ある意味で)深い人間関係に魅力を感じ、次第にその世界にハマっていったようです。
入信のきっかけは、統一教会のイベントで司会を務めたこと。友人のすすめで統一教会の勉強会に参加した飯星は、教義より信者の人間関係に魅力を感じたといい、後にワイドショーでこう語っている。「神様を通じてわかり合えるような、普通の友人関係とは違う、強烈で独特なものがあった」霊感商法に関する悪い噂も耳にしたが、「見たくないと思って目をつぶっていた」という飯星。
また、飯星景子さんは自身を統一教会に誘ったのは、信頼していたスタイリストだった事も明かしています。
「歩いていて突然スポッとマンホールに嵌まるように出会った」のが「仕事の上で人間的にも信頼していたスタイリスト」だったという。
何年も一緒に仕事をしながらも、そんなそぶりさえ見せなかった信頼するスタイリストに悩んでいることを打ち明け、そこでダミー団体の『勉強会』なるものに誘われた景子氏は、当時の自分の心がどう動いていったかを語る。
飯星景子さんは自身が統一教会に入信してしまった理由としては、当時の自分が自己肯定感が低かった事を明かし、「褒められ慣れていない」ところに、統一教会の関係者らに、賛美され共感された事で、その人間関係に強い魅力を感じてしまったとする内容を講演などで話されています。
その時のことを景子氏は、こう振り返る。
「そこで出会った人たちは、共感し褒めるのがとても上手かったですね」「すごくいい気分になりました」 「それは、家族からも、学校からも、友人からも、働いている社会からも得られなかったような共感のされ方でした。どうすれば私が喜ぶかということは、長年付き合ってきたスタイリストから情報を得ていたのかもしれません」
飯星景子の統一教会脱会の理由は父親・飯干晃一の熱心な説得
出典:https://livedoor.sp.blogimg.jp/
飯星景子さんが統一教会を脱会できた理由は、父親の飯干晃一さんの熱心な説得に心を動かされたためでした。
飯干晃一さんは、理屈で飯星景子さんを統一教会から脱会させようと統一教会に関する全ての資料を読み込み、教祖の文鮮明の著書から、キリスト教の新約・旧約聖書も読み込んで理論武装をした上で、飯星景子さんとの話し合いを行いました。
しかし、既に統一教会の教えに染まっていた飯星景子さんにそういった理屈は全く通用せず、何を言われようとも「それはお父さんの考えであって、私の考え方とは関係がないでしょう」といった反応しか返ってこなかったそうです。
1週間以上にわたって説得を続けても、全く飯星景子さんの心に響かない事に困り果てた、父親の飯干晃一さんはついに専門のカウンセラーに説得を依頼する事を決めます。
後に飯星景子さんは、この時の今まで見た事の無い父親の飯干晃一さんの「弱々しい姿」に心を動かされたと語っています。これをきっかけにして、飯星景子さんはカウンセラーの先生や元統一教会信者の方の言葉にも耳を傾けるようになり、約2週間にわたる話し合いを行なった末に統一教会からの脱会を決意されています。
飯星景子さんは、2012年2月に情報番組「情報ライブ ミヤネ屋」に出演された時に、この時の気持ちを語られていました。
‘12年2月、飯星は『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、脱会を決意した瞬間についてこう明かしている。「父が今までで見たことないくらい弱々しく映りました。それまでは、スーパージャイアントな父親で、持てる力のすべてで私に向かってきましたが、それは響かなかった。むしろ真反対の姿を見たとき『私がそんな姿にさせた』と。それが大きなきっかけになりました」
飯干晃一さんは、この騒動の1年後の1993年に「われら父親は闘う 娘・景子を誘いこんだ統一協会の正体」という著作も発表されています。
飯星景子の家族① 父親は元読売新聞記者で作家の飯干晃一
飯星景子の父親の飯干晃一のプロフィール
生年月日:1924年6月2日
没年月日:1996年3月2日(享年71歳)
出身地 :大阪府
ここまででも触れていますが、飯星景子さんの父親は、元読売新聞社会部記者で、「仁義なき戦い」など、暴力団をテーマにした数々の実録小説で知られる作家の飯干晃一(いいぼし・こういち)さんです。
読売新聞社会部副編集長を務めていた時に「現場に出られないとつまらん」と会社を辞めて作家に転身し、1970年から1995年までに計100作近い実録小説を発表。その多くが映画やVシネマなどで映像化されています。
そんな飯星景子さんの父親・飯干晃一さんは、統一教会から飯星景子さんを脱会させてから数年後の1996年に71歳で亡くなっています。
飯星景子さんは、この間の父親・飯干晃一さんとの親子の関係について下のように語られていました。
父は私を統一教会から出してくれて2年ほどで亡くなってしまいましたが、その2年の期間の父との関係は『遅れてきた反抗期』の様でした。喧嘩できる関係になった母親を含め、本当に子供の時から両親は今と変わらず私を愛してくれていたんだと心から実感できます。
飯星景子の家族② 1998年結婚の旦那とはスピード離婚
飯星景子さんは1998年にコンピューター技師の一般男性と結婚されています。出会って3ヶ月のスピード結婚でしたが、翌1999年にわずか1年弱で離婚しています。
離婚の理由としては、飯星景子さんの趣味があまりに多彩すぎて、その出費額など金銭感覚の違いがあったようです。特に、飯星景子さんは阪神タイガースの熱狂的ファンとして知られており、当時、阪神のために費やした金額は2000万円を超えていたとも言われています。
こうした点に旦那さんがついていけなくなり、離婚に至ったと言われています。
なお、この飯星景子さんの結婚は統一教会からの脱退後なので、合同結婚式で結婚したわけではありません。結果として統一教会に献金したのではなく阪神タイガースに投資したという点は良かったと思います。
飯星景子の家族③ 子供はいない
飯星景子さんの結婚期間は1年弱でしたが、この間に子供には恵まれませんでした。
飯星景子さんはその後も結婚はされておらず、現在まで子供はいません。
飯星景子の現在
飯星景子さんは現在もタレントとして活躍を続けられています。
飯星景子さんは統一教会から脱会後にすぐにタレントとして復帰し、情報番組のコメンテーターなどを中心に数多くの番組に出演されていました。
統一教会に入信・脱会した過去の経験もあり、カルト団体が絡んだ番組構成の時にはゲストとしてテレビ出演される事も多く、近年では、オセロの中島知子さんの洗脳騒動の時に、自身の洗脳の経験についてよくテレビで語られていました。
飯星景子が加齢のせいか和泉雅子っぽくなってきてる。
— ミルクティーが、お好きでしょ (@tsueno0127) August 22, 2014
てことは爆問田中にも似てるってことか。
つまり大塚千弘もいずれそうなるな。#金スマ pic.twitter.com/jND8XV1byr
現在はテレビ番組への出演は全盛期よりは少なくなっていますが、ラジオ番組への出演や、幅広いジャンルでの講演活動など活躍を続けられています。
飯星景子さんはSNSでの情報発信をしておらず、最新情報が確認できるのはホリプロの公式サイトのみとなっています。
飯星景子さんは公式ブログもありましたが、更新は2019年12月26日を最後に止まっています。
以下は2019年のテレ東「なないろ日和!」に出演した時の飯星景子さんの姿です。
おはようございます!昨日は令和最初のテレ東「なないろ日和!」ロケ(*´꒳`*)
— 久野知美(女子鉄アナ) @新刊「東急電鉄とファン大研究読本」8/2発売‼︎🙌🏻🚃📖🌸✨ (@tomomi_kuno) May 3, 2019
事務所の大先輩・飯星景子さんと、都電荒川線めぐり🙌🏻✨先輩がノリノリで鉄分補給にお付き合いくださりとっても楽しかったです♡おとといも、よじごじでテレ東さんづいている令和のスタート!今日はJテレさんで生中継です🚃 pic.twitter.com/bebV2N1lyp
まとめ
今回は、1990年代に統一教会への入会・脱会騒動で話題になったタレントの飯星景子さんについてまとめてみました。
飯星景子さんは、若い頃はタレントとして活躍し人気を得ていましたが、1991年の夏頃から統一教会にハマってしまい、一時は洗脳状態におかれました。
しかし、父親で作家の飯干晃一さんの懸命な努力によって、洗脳が解かれ統一教会から奪回する事に成功しています。脱会できた理由としては、これまでみた事もない父親の弱々しい姿に心を動かされたのが、心を開くきっかけになったと話されています。
飯星景子さんは統一教会を脱会後にコンピューター技師の男性と結婚されていますが、わずか1年ほどで離婚されています。離婚の理由は金銭感覚のずれであったと言われています。この元旦那さんとの間には子供には恵まれず、その後も再婚はされておらず、現在も子供はいません。
飯星景子さんは現在もタレントとして活躍されており、ラジオ番組出演や講演活動、映画評の執筆など幅広く活躍されているようです。