ソフトバンクのCMの「お母さん」として有名な女優の樋口可南子さんですが、不倫の末に略奪結婚した過去も話題です。
今回は樋口可南子さんの若い頃、旦那である糸井重里さんとの馴れ初め~結婚、子供の有無、現在をまとめました。
この記事の目次
樋口可南子はソフトバンクのCMで知られる大女優
樋口可南子のプロフィール
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樋口 可南子(ひぐち かなこ)
生年月日: 1958年12月13日
出身地: 新潟県加茂市
身長: 165cm
血液型: B型
樋口可南子の若い頃① 学生時代は目立たない学生だった?
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樋口可南子さんの学生時代のエピソードはあまり明かされていませんが、通っていた高校や大学、芸能界入りしたきっかけなどを紹介します。
美大を中退して女優に
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樋口可南子さんは、地元新潟県に所在する加茂市立加茂中学校に通い、演劇部に在籍していたことが判明しています。
高校は新潟県立加茂高校に進学。残念ながら、高校生活に関する情報がほとんど公開されていません。
樋口可南子さんによると、かなり人見知りな性格だったので目立たない存在だったそう。ですがこれだけ美しい女性であれば、黙っていても目立ちそうですね。
大学は女子美術大学に進学しています。この大学は、ペーパーテストはさほど難しくないものの、実技試験の難易度が高いことで知られています。
大学1年生の時、銀座のあんみつ屋でアルバイトしている際にスカウトされたことがきっかけで、芸能界入りしました。
樋口可南子の若い頃② いきなりヒロインとしてデビュー
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樋口可南子さんがデビューしたのは20歳の時のこと。いきなりヒロインに抜擢されています。
デビュー後に大学を中退
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若い頃の樋口可南子
樋口可南子さんは、1978年10月2日から半年間に渡り放送されたポーラテレビ小説「こおろぎ橋」において、初のテレビ出演で初ヒロインに抜擢されました。
ポーラテレビ小説とは、TBSで放送されていた昼の時間帯枠の番組です。お昼の放送にもかかわらず、最盛期には視聴率が15%を記録したオバケ番組でした。
樋口可南子さんの出演した「こおろぎ橋」は、石川県の山中温泉に実在する橋が舞台になっているドラマで、第二次世界大戦を生き抜く女性の半生が描かれました。
このドラマ出演後、芸能活動が本格化した樋口可南子さんは大学を中退しています。
樋口可南子の若い頃③ 演技派女優へと開花
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昼の連続ドラマに出演したことで、樋口可南子さんはお茶の間の知名度を一気に上げ、活動の場を映画に広げています。
大胆な演技を要求されるハードルの高い作品でも、体を張った凄みのある演技を見せたことで話題を集めることに。
ここからは、樋口可南子さんのブレイクした作品について見ていきましょう。
初主演映画でヌードを披露
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デビューした2年後の1980年に公開された映画「厳戒令の夜」にヒロインとして出演した樋口可南子さん。五木寛之さんの同名小説が原作で、チリのクーデターを背景にした作品です。
この作品で樋口可南子さんは初めての映画出演にも関わらず、大胆なヌードシーンに挑戦。
体当たりの演技が評価され、ゴールデンアロー賞の新人賞に輝きました。
卍でレズビアン役に挑戦
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その後もコンスタントに映画に出演した樋口可南子さんは、1983年には文豪・谷崎潤一郎原作の映画「卍」に出演。この作品は女性の同性愛がテーマで、過去に4回実写化されています。
樋口可南子さんは、小悪魔のような性格の女性であるヒロイン・光子として主演。レズビアン役に挑戦しました。
1987年には、映画「ベッドタイムアイズ」で売れないクラブ歌手のヒロイン・キム役として主演。大胆なベッドシーンが話題になりました。ちなみに、この作品はDVD化されていません。
その後は、映画だけではなく各テレビ局で放送されたテレビドラマに出演し、大女優としのポジションを確立していきました。
樋口可南子が結婚した旦那は糸井重里
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樋口可南子さんの旦那は、コピーライターの糸井重里さん。1993年に結婚後はおしどり夫婦として知られていますね。
糸井重里さんの簡単なプロフィールを紹介します。
糸井重里のプロフィール
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糸井重里(いとい しげさと)
生年月日: 1948年11月10日
出身地: 群馬県馬橋氏
身長: 174cm
血液型: A型
糸井重里さんは、知人に勧められたことがきっかけでコピーライター養成講座に通い、デザイン事務所「サムシング」に就職しました。
その後、会社は倒産したもののフリーランスとして活動し、「東京コピーライターズクラブ新人賞」「東京アートディレクターズクラブ賞」を受賞し、活躍の場を広げていきました。
また、作詞家として沢田研二さんの「TOKIO」の歌詞を手掛けたり、イラストレーター、「ほぼ日刊イトイ新聞」を運用するなど、幅広い活動で知られています。
樋口可南子と旦那・糸井重里の馴れ初め
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2人の馴れ初めは、不倫報道の1年前に行われた対談がきっかけでした。この当時の樋口可南子さんは、大胆なヌードを映画作品内で披露して大きな話題を攫っていました。
糸井重里さんは「こういう姿を見られることは恥ずかしくないのですか?」と質問すると、返ってきた樋口可南子さんの答えに痺れるような感覚を覚えたそう。
『裸になるというのは素の自分を晒すというのとは全然別の次元のことで、女優をやってて恥ずかしいと思う瞬間はもっと別のところにある』と、冷然とした切り返しを見せたのです。
引用:【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】- excite.ニュース https://www.excite.co.jp/
この時の樋口可南子さんの年齢は20代前半。この若さでの発言とは思えぬ、冷静で客観的に女優という立場で物事を語る様子に、糸井重里さんは興味を持ったようです。
一方の樋口可南子さんは、初対面の糸井重里さんに抱いた印象は「楽に喋ることができるし、落ち着ける。面白い人」と感じたと語っています。
樋口可南子と旦那・糸井重里は不倫の末の略奪結婚だった
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対談をきっかけに惹かれ合った2人は、いつしか交際に発展。お互いに独身であれば問題はありませんが、実は糸井重里さんは不倫報道の1年前に結婚したばかりでした。
ここでは、世間を「あっ」と言わせた2人の熱愛報道について見ていきましょう。
ホテルでの密会を激写されて不倫が発覚
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2人の交際が発覚したのは1982年5月のこと。交際の噂を聞きつけた女性週刊誌の記者に張りこみをされていました。
糸氏重里さんが予約した都内某所のホテルの部屋を訪れた樋口可南子さん。一晩を共に過ごした2人は翌日に揃ってチェックアウトし、駐車場で車に乗り込む寸前に記者が直撃しました。
糸井重里さんは慌てて車を出そうとしましたが、気が動転していたようでエンジンをかけるのに何度も失敗する様子が目撃されました。
一方の樋口可南子さんは、落ち着いた様子でニコニコと笑っていたそうです。
2人の不倫騒動が紙面に載ると、記者に追いかけられる日々を送ることに。糸井重里さんは、当時1981年に結婚した新婚で、子供も誕生したばかりだったため大騒ぎになりました。
2人の不倫現場が報道されると、糸井重里さんは樋口可南子さんとの仲を認めています。
不倫からの略奪結婚
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2人の交際が明らかになると、糸井重里さんと当時の嫁、そして樋口可南子さんの不思議な関係や、樋口可南子さんの取材時の名物発言が話題を呼びました。
嫁は不倫を公認していた
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糸井重里さんによると、元嫁は樋口可南子さんとの不倫を認めていたそうです。不倫は芸は肥やしという発想だったのかはわかりませんが、「誰にでもあること」と発言していたようです。
糸井重里さんは、不倫を容認する嫁について「そんな嫁だからこそ結婚した」と語り、離婚を否定。
樋口可南子さんも不倫状態に納得していたようで、実際、「結婚は望んでいない」とコメントしています。
樋口可南子のコメントが名言すぎる
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当然ながら、樋口可南子さんも囲み取材を受けているのですが、回答がかなりの名言だと現在も語り継がれています。
糸井重里さんが結婚していることを記者から指摘されると、「妻子ある人を好きになったんじゃありません。その人にたまたま家族があっただけです」とキッパリ。
この発言で樋口可南子さんはバッシングを受けることになりましたが、あまりにも堂々とした様子から「妙な説得力がある」と芸能記者から感心されていたそう。
その後10年に渡って公然と不倫関係が続いていましたが、糸井重里さんと元嫁の離婚が成立。これをきっかけに、1993年8月に入籍を発表しました。
糸井重里さんが離婚しなかった理由には、元嫁との間に誕生した娘が状況をわかるようになるまでは、樋口可南子さんと結婚するまいと決めていたそう。
樋口可南子と旦那・糸井重里に子供はいる?
2人の間に子供は生まれていない
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樋口可南子さんと糸井重里さんは結婚して27年になりますが、2人の間に子供は誕生していません。
ちなみに、糸井重里さんと元嫁との間に生まれた娘は、「あんだ」というペンネームで「ほぼ日刊イトイ新聞」に度々登場しています。
樋口可南子の現在① 変わらない美貌が話題に
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凛とした美しさが話題を呼んでいる樋口可南子さんは、2021年1月現在62歳になりました。現在も糸井重里さんの嫁として、仲睦まじい生活を送っています。
ここからは、樋口可南子さんの現在の活動を紹介します。
ソフトバンクのお母さんを継続中
樋口可南子さんと聞くと、やはり真っ先に思い浮かぶのが「ソフトバンクのお母さん」ではないでしょうか。
白戸家のお母さんとして、北大路欣也さんが声だけ出演する犬の姿のお父さんとの夫婦役が可愛いいと人気を博しました。
2021年現在、最新バージョンのCMにも出演中です。「5G」と「ドラえもん」を題材にした作品で、誰しも一度は見たことがあるのはないでしょうか。
CM内の樋口可南子さんは天真爛漫で、「タイム風呂敷」をお父さんにかけてワクワクしている様子がとてもコミカルです。
このシーンの裏話として、風呂敷をお父さん犬にかけるタイミングが上手くつかめず、樋口可南子さんは何度か失敗してしまったという撮影エピソードが明かされています。
お父さん犬に見つめられると「お前さー、もっと上手くやれよ」と言われているような気がして、とにかく集中力を高めて、やっと監督からOKを貰ったんだとか。
樋口可南子の現在② 愛犬との別れを乗り越えている
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樋口可南子さんと糸井重里さんとの間に子供がいませんが、子供のように慈しんできた愛犬「ブイヨン」がいました。
樋口可南子さんとブイヨンの出会いは、糸井重里さんが掲載した犬の写真だったそうで、「会いに行かないといけない」と思ったそう。
糸井重里さんが運営するサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」には、ブイヨンとの暮らしが掲載されたり、樋口可南子さんが出演した雑誌「grazia」で一緒に紙面を飾ったことも。
糸井重里さんの著書「ブイヨンの日々」には、樋口可南子さんを「人間のおかあさん」と表現しています。
子供同様に可愛がっていたブイヨンでしたが、2018年に病気で死去。樋口可南子さんはペットロスに陥って、かなり辛い日々を送ったそうです。
しかし現在、新たな出会いがあったことで、悲しみも次第に癒えてきているようです。ブイヨンの妹分として「ブイコ」を新たに家族として迎え、共に生活をしています。
まとめ
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樋口可南子さんは、大学生の頃に「こおろぎ橋」のヒロインとして女優デビューを飾りました。
その後、映画「厳戒令の夜」「卍」に出演し、大胆なヌードやレズビアン役に挑戦し、各種賞を受賞。実力派女優として20代前半からその地位を確立してきました。
プライベートでは、23歳の頃にコピーライターの糸井重里さんとの不倫報道でバッシングされたことも。
その後、糸井重里さんの離婚が成立したことをきっかけに、2人は1993年に結婚しています。
2人の間に子供は誕生していませんが、2人の仲はかなり睦まじく、おしどり夫婦として知られていますね。
2020年現在62歳になった樋口可南子さんですが、変わらない美貌で「ソフトバンク」などのCMに出演しています。
この先の活動がますます楽しみですね。今後も樋口可南子さんを応援しましょう。