「ハンセン病」を患った人やその家族は長らく差別の対象にされ苦しんできた歴史があります。
今回はハンセン病の歴史、原因、症状や見た目、ハンセン病の芸能人・有名人2人、ジブリ作品での宮崎駿監督の想いを紹介します。
ハンセン病の歴史
みなさんハンセン病をご存知ですか?
知らない方もいるかもしれませんが、ハンセン病は『らい病』とも言われており、『らい菌』に感染することで起こる病気と言われています。
そこでまず、ハンセン病の歴史をたどってみたいと思います。
出典:https://www.manabi.pref.aichi.jp/
紀元前2400年のエジプトや日本書紀にも登場
そんなハンセン病は、古くは『日本書紀』『今昔物語集』等にハンセン病に関連する記述があり、歴史の浅い病気ではなく、人間の歴史上ずっとつきまとってきた病気と言えます。
上の図を見ると分かりますが、中世の史料では、”特有の病状故に罰によってかかる病気”とされていましたが、近世になると“家系的な経緯で病気が広がる遺伝病”として一般化しました。
また、17世紀後半の医学書からも、血縁者間に伝わる病気であると考えられていたようです。
顕微鏡の無い時代だったこともあり、ハンセン病は忌まわしい不治の病として、『業病』『天刑病』『遺伝病』などと呼ばれていたのです。
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その後、近代になるとハンセン病は遺伝説が普及し、自らの存在が家族などに迷惑をかけると判断し、放浪し家出する人も続出したそうです。
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明治時代になると、諸外国からハンセン病を放置していると非難を浴びた政府は、放浪する患者の救済として療養所に入所させたのです。
そしてその後、政府はハンセン病は『感染症』と判断し、隔離するのが有効としてハンセン病患者を社会から絶対隔離状態にしたのです。
こうして政府の隔離対策により、社会ではハンセン病は『怖い病気』として定着していきました。
そのため、ハンセン病患者を県から除外する『無らい県運動』や、療養所内では人工中絶や偽名を名乗ることを余儀なくされるといった人権侵害がまかり通っていたのです。
ハンセン病の原因とは?
こうして日本の歴史上、かなり昔から存在するハンセン病ですが、前述のように『らい病』とも言われています。
ハンセン病は“らい菌”による感染症だった
出典:https://www.niid.go.jp/
“らい菌”の顕微鏡写真
らい病とも言われているハンセン病は、抗酸菌(こうさんきん)と呼ばれる細菌の一種である、『らい菌』に感染することで発症する感染症なのです。
この『らい菌』は、世界の各地域から採取したらい菌を遺伝子解析し比較した研究によると、らい菌は東アフリカで誕生したと言われています。
さらに『らい菌』は、1873(明治6)年にノルウェーのアルマウェル・ハンセンにより発見されています。
『らい菌』は感染力が非常に弱かった
このようにハンセン病の原因となるらい菌ですが、感染力は非常に弱く、そして病気を発症する力もとても弱い細菌で、他の菌と比べると増殖が非常に遅いという特徴もあるようです。
そんならい菌は、人間の体の低温部である皮膚や末梢神経を好み、住みつくそうです。
ハンセン病の原因であるらい菌はどのように感染するのか
出典:https://www.niid.go.jp/
らい菌の感染経路は飛沫感染だった
非常に感染力が弱いとされているらい菌は、かなり接近した状態ではない限り、感染は起こらないと言われています。
そのらい菌の感染経路は、主に治療していない感染者からに呼吸器感染で、くしゃみをした時などの飛沫感染により体内に侵入します。
そしてその後、全身に広がるらい菌は、人間の末梢神経(運動神経、感覚神経、自律神経など)に住みつき、体を蝕んでいくのです。
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乳幼児の感染が多いらい菌
こうして感染力が弱いらい菌は、免疫機能が未発達の乳幼児が感染しやすいと言われています。
らい菌は感染しても発症することが少なかった
また、感染力が非常に弱いとされているらい菌は、感染したからといって全ての人がハンセン病を発症するわけではなく、実際に発症する人の方が少ないそうです。
なぜ発症するケースが少ないかと言うと、らい菌が弱い菌のため、多くの人は体に備わっている免疫力で菌を排除することが出来るそうです。
またハンセン病は、衛生環境や栄養状態も影響すると言われており、日本のように衛生的かつ充分な栄養が摂れる国では、ほとんどハンセン病は発症しないと言われています。
こうしたことからも、らい菌が東アフリカで誕生したことが納得出来ますね。
そしてらい菌は、感染してから発症するまでの潜伏期間がとても長いと言われており、数年から10数年というケースもあるそうです。
ハンセン病は治療中の患者からはうつることは殆どなかった
ハンセン病は感染すると非常に怖い病気と言われていますが、治療中のハンセン病の患者から、らい菌が感染することは殆どなく、非常にまれだそうです。
何故かというと、治療中の患者の体内のらい菌は、治療によりすでに感染力が無くなっているケースが多いからだそうです。
また、ハンセン病が遺伝するかどうかも気になるところですが、遺伝することはないそうです。
ハンセン病の3つの症状や見た目について
こうしてらい菌に感染することで発症するハンセン病ですが、発症すると、皮膚の発疹や手足の麻痺、痛みや熱さを感じにくくなる知覚障害などの症状が現れるのです。
そこでハンセン病の主な症状を見ていきましょう。
ハンセン病の症状① 皮膚に発疹が現れる
ハンセン病を発症すると、まず痛みや痒みを伴わない皮膚の発疹が現れます。
発疹といっても、白い斑点ができる白斑(はくはん)、赤い斑点ができる紅斑(こうはん)、円形に赤い発疹ができる環状紅斑(かんじょうこうはん)など、多彩な皮膚症状が現れるのです。
そして皮膚の発疹は、1カ所の場合もあれば複数現れることもあるようです。
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ハンセン病の症状『皮疹』画像①
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ハンセン病の症状『皮疹』画像②
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ハンセン病の症状『皮疹』画像③
ハンセン病の症状② 知覚障害
ハンセン病の症状として、皮疹以外に、手足や顔の抹消神経に障害が起こることが多いそうです。
こうして抹消神経の障害が起こると、痛みや温度を感じにくくなる知覚障害の症状が現れ、大きな傷ややけどをしてしまう方が多いそうです。
ハンセン病の症状③ 強力な免疫反応が起こる『らい反』
またハンセン病は、治療前のみならず、治療中・治療後に『らい反』と呼ばれる強力な免疫反応が起こることはあるようです。
この『らい反』とは、神経や皮膚の急激な炎症により、神経の麻痺や皮疹、運動障害などの症状が急速に現れます。
さらに重症になると、発熱や尿たんぱく、関節の腫れや炎症などの関節炎が全身に現れると言います。
この『らい反』の一番恐ろしいのは後遺症に繋がることであり、手足に麻痺が起こった結果、手が変形するなど見た目にも明らかに変化が現れるのです。
また、ハンセン病の効果的な治療法が見つかる前は、顔面の変形までも見られたそうです。
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ハンセン病の症状『らい反』画像①
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ハンセン病の症状『らい反』画像②
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ハンセン病の症状『らい反』画像③
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ハンセン病の症状『らい反』画像④
ハンセン病の芸能人・有名人2人について
ハンセン病が日本国内で新たに発症したというケースは、年間0~1人だと推測されており、70歳以上の高齢者がほとんどなのです。
そんなハンセン病にかかった芸能人や有名人を調べてみましたが、現代のテレビで活躍するような人たちの中に、ハンセン病にかかった人はいませんでした。
何故かと言うと、1941年にはハンセン病に効果がある治療法が確立されたことや、ハンセン病患者は隔離されていたため、テレビに出ることは許されていなかったのです。
しかし、ハンセン病にかかった患者の中でも作家や音楽家として活躍した人はいるのです。そこでそのような方をここでは2人紹介します。
①ハーモニカ奏者:近藤宏一さん
名前:近藤宏一(こんどうこういち)
生年月日:1927年生まれ
出身地:大阪府
没日:2009年10月5日(83歳)
近藤宏一さんは、10歳の時にハンセン病を発症し、同じくハンセン病を患っていた母親を失ったことで、11歳の時に長島愛生園に入園しました。
その後19歳の時、患者作業として赤痢病棟の付き添いをさせられたことで赤痢に感染し、重態に陥ったのです。
そして一命はとりとめましたが、それを機にらい菌が暴れ出し、6年もの間高熱に苦しめられ、あげくの果てに手指を欠損し、視力を失ったのです。
そんな中1953年、視覚障がい者を中心に手を使わずに演奏できるハーモニカのバンド『青い鳥楽団』を結成し、団長となります。
そして2007年には、ハンセン病の当事者として世界的に卓越した足跡を残した人に贈られる『ウェルズリー・ベイリー賞』を受賞しています。
そんな近藤宏一さんの著書には、少年時代から晩年までを描いた『闇を光に―ハンセン病を生きて』もあります。
②作家:井波敏男さん
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名前:井波敏男(いなみとしお)
生年月日:1943年生まれ
出身地:沖縄県
14歳の時に診断を受けてハンセン病が発覚した井波敏男さんは、それ以前から、自身の体の異変に気付いていたそうです。
そんな井波敏男さんは、右手の小指が曲がり、左足が下垂して、知覚が麻痺して痛みを感じなかったと言います。
父親が『ハンセン病』を疑い、らい菌の検査をするものの、菌が検出されなかったことから『小児神経炎』と誤診されていたのです。
その後、沖縄の『愛楽園』に入所した井波敏男さんは、中学卒業後に高校進学を志し、県立邑久高等学校新良田教室に入学しました。
後に、東京の中央労働学院で学んだ井波敏男さんは、社会福祉法人東京コロニーに就職しています。
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著書『花に逢はん』
そして1997年には、自らの半世紀を書き上げた『花に逢はん』を出版し、第8回沖縄タイムス出版文化賞を受賞したのです。
また2003年、ハンセン病国賠訴訟の賠償金を元手に、地域医療を志すアジアの若者を育てる奨学金制度『伊波基金』を設立します。
そして2004年には、出身地である沖縄に信州沖縄塾を開塾し、塾長を務めるなど精力的に活動しています。
そんな井波敏男さんの著書には、『ハンセン病を生きて』、『ゆうなの花と季と』、『島惑ひ―琉球沖縄のこと』、『父の三線と杏子の花』などがあります。
ハンセン病はジブリ作品『もののけ姫』で描かれて話題に
日本を代表する映画監督・宮崎駿さんが生み出した、スタジオジブリ作品の1つ『もののけ姫』でも、実はハンセン病が描かれて話題になりました。
そんな宮崎駿さんは2016年1月、自身のハンセン病患者との関わりについて初めて語っています。
「もののけ姫」という映画を作りながら、ハッキリその業病と言われたものを患いながら、それでもちゃんと生きようとした人たちのことを描かなければいけないと思ったんです。
引用:「もののけ姫」にハンセン病の患者を描いた。 宮﨑駿監督、初めて公式に語る【動画】 https://grapee.jp/1
出典:https://togetter.com/
タタラ場はハンセン病患者の収容所だった
宮崎監督がハンセン病と向き合うきっかけになったのは、「もののけ姫」だった。劇中では、製鉄に携わる「たたら者」が、ハンセン病の人たちと思しき包帯姿で描かれている。「侍と百姓だけの時代劇が取りこぼした人を描こうとした。もっとたくさんの人たちがこの国で生きてきたのに、あいかわらず武士と百姓だけで物語をつくるのは間違いだろうと思ったんです」
引用:宮崎駿監督が流した涙の意味 「もののけ姫」で描いたハンセン病との出会い https://www.buzzfeed.com/j
まとめ
いかがでしたでしょうか。
現在では治療法が確立しているため、日本で発症する人はまれですが、昔はハンセン病で苦しみ、さらに被害や差別を受けてきた人たちが沢山いるのです。
そんなハンセン病は、らい菌が原因により発症しますが、不治の病ではなく治療すれば完治する病気なのです。
そしてハンセン病の芸能人や有名人を調べてみましたが、絶対隔離状態だったことから、現在テレビで活躍しているような芸能人はいませんでした。
2019年にハンセン病家族控訴に対し、政府は控訴しない方針を表明しました。これに伴い、今までハンセン病で苦しんできた人たちが徐々に救われつつあるのです。
しかし、今でもハンセン病で苦しんでいる方々が沢山いるということは忘れてはならないでしょう。