団時朗さんは「帰ってきたウルトラマン」でブレイクしたハーフ俳優ですが、2023年に病気で亡くなっています。
今回は団時朗さんの父親など家族、若い頃の経歴、結婚歴と嫁や子供の有無、肺がんの闘病と死因など現在を紹介します。
この記事の目次
- 団時朗のプロフィール:「帰ってきたウルトラマン」でブレイクした役者
- 団時朗の家族:ハーフで、母親は長唄の師匠&父親はアメリカ軍軍人
- 団時朗の若い頃の経歴① モデルや歌手としても活動
- 団時朗の若い頃の経歴② 特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」で主演
- 団時朗の若い頃の経歴③ ドラマ・映画・舞台で活躍
- 団時朗出演作品① 映画「わが命の唄 艶歌」/青山浩二役
- 団時朗出演作品② 大河ドラマ「軍師官兵衛」/赤松政秀役
- 団時朗出演作品③ 朝の連続テレビ小説「まんぷく」/大鳥勘一役
- 団時朗は結婚しておらず嫁はいない・実は生涯独身だった
- 団時朗と熱愛報道が出たことがある黒柳徹子のプロフィール
- 団時朗に子供はいない
- 団時朗の晩年:近年も役者として活動していた
- 団時朗の現在① 2023年に病気で死去・死因は肺がんで享年74歳
- 団時朗の現在② 親交があった矢部美穂が追悼コメントを寄せる
- まとめ
団時朗のプロフィール:「帰ってきたウルトラマン」でブレイクした役者
生年月日:1949年1月30日
出身地:京都府
所属事務所:アルファエージェンシー
団時朗さんは役者で、本名は「村田秀雄」です。過去には「団次郎」「団次朗」名義でも活動していました。
身長187cmと高身長で、1971年にTBS系列で放送された特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」でブレイク。
そのほかの代表作には、1975年に日本テレビ系列で放送されたドラマ「少年探偵団」、2010年にテレビ朝日系列で放送されていたドラマ「熱海の捜査官」などが挙げられます。
団時朗の家族:ハーフで、母親は長唄の師匠&父親はアメリカ軍軍人
団時朗さんの母親は日本人で、団時朗さんにとっては長唄の師匠でもあったそうです。また、父親はイギリス系アメリカ人であったため、団時朗さんはハーフということになります。
身長189cmと、当時の純日本人とは比べ物にならないスタイルの持ち主であった理由も、父親が外国人だったからかもしれません。
そんな父親はアメリカ空軍の軍人でしたが、団時朗さんが2歳の時に朝鮮戦争で戦死されたそうです。
朝鮮戦争 ちょうせんせんそう
1950年6月25日から53年7月27日まで、3年余にわたり朝鮮半島のほとんど全域を戦場化して戦われた大規模な国際紛争。朝鮮動乱あるいは韓国動乱ともいう。韓国(大韓民国)ではこれを「六・二五動乱」とよび、北朝鮮では「祖国解放戦争」と名づけている。
引用:朝鮮戦争
団時朗の若い頃の経歴① モデルや歌手としても活動
団時朗さんは、1966年公開の勝新太郎さん主演の映画「酔いどれ博士」に端役として出演。
母親が知り合いだった映画監督・三隅研次さんにお願いしたことが出演のきっかけだといいます。
高校卒業後は、元より興味のあったファッションの世界へ。
すぐに上京し、「株式会社セントラルファッション」に所属して、資生堂のサンオイルのCMに出演。
さらに、同社の男性向け商品「MG5」のCMにも出演し、世間からの注目を集めました。
その後、1968年に公開された映画「わが命の唄 艶歌」に出演したことをきっかけに、芸名を「団時朗」に改名。
さらに同年6月には、「バラの恋」で歌手デビューも果たしています。
また、これまでに8枚のレコード(CD)を発売しています。
1969年発売 渚のバラード
1970年発売 甘い予感
1970年発売 男には黙っていたい時がある
1971年発売 帰ってきたウルトラマン
1982年発売 8ちゃんのえかき唄
1991年発売 勇者よいそげ!!
2006年発売 ウルトラマンメビウス
その影響もあって、役者の仕事が一時減ってしまいますが、1970年に出演した「江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎」を機に役者へ本格復帰しています。
団時朗の若い頃の経歴② 特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」で主演
団時朗さんは、1971年にTBS系列で放送を開始した特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」で主演を務めたことで、役者としてブレイク。
そして71年に「帰ってきたウルトラマン」(TBS)で主人公・郷秀樹を演じた。郷はハンサムで、一本気で時に突っ走りつつも、苦悩するナイーブな一面もある役どころで、団さんの人気は不動のものとなった。また、ウルトラマンと融合したまま地球を去るというパターンの、最初の主人公だったことも、その人気に拍車をかけた。
団さんは「ウルトラセブン」の放送終了から2年半のブランクを経て、テレビのレギュラー放送に“帰ってきた”ウルトラマンシリーズの主演という大役を務め、後に「第2次怪獣ブーム」と呼ばれるムーブメントを巻き起こすきっかけにもなりました
団時朗さんの役者人生の転機とも言える「帰ってきたウルトラマン」ですが、団時朗さん自身はなぜ主役に選ばれたのか、そのいきさつを知らないそうです。
主役に決まった細かな事情は、実はあまり知らないんですよ。当時、僕は音楽事務所を母体にした個人事務所に所属していたんですが、資生堂のCM関連の仕事だけを取っていた感じでね。何となく煮詰まっていた時、演劇や舞台に強い人間がスタッフに入り、彼がアンテナを張り、引っかかってきた仕事の一つが。ウルトラだったんです。
団時朗の若い頃の経歴③ ドラマ・映画・舞台で活躍
「帰ってきたウルトラマン」を機に、団時朗さんは、1974年の日本テレビ系列「スーパーロボット マッハバロン」、1981年にフジテレビ系列「ロボット8ちゃん」にも度々出演。
後続のウルトラマンシリーズや、1983年にテレビ朝日系列ドラマ「西部警察 PART-III」など、そのほかのジャンルの作品にも出演しています。
また、一時は低迷期とも言える期間がありましたが、映像作品から舞台へと舵を切り、舞台役者としても活躍しました。
84年に、片岡仁左衛門(当時は片岡孝夫)主演の「ハムレット」(木村光一)でフォーティンブラスを演じ、それ以降は活躍の場を舞台に移した。同年、江守徹、日下武史主演の「Good」、坂東玉三郎公演「長崎十二景」、85年杉村春子主演「浮巣」、森光子さん主演の芸術座公演、森繁久弥さん座長公演に立て続けに出演し、舞台俳優としての地位を確立していた。
その一方で、映像作品にも出演し続けており、大河ドラマにおいては2010年放送の「龍馬伝」、2014年放送の「軍師官兵衛」に出演。
朝の連続テレビ小説では、2011年放送の「カーネーション」、2016年放送の「べっぴんさん」、2018年放送の「まんぷく」と3作品に出演しています。
また、近年においては2010年にテレビ朝日系列で放送されていたドラマ「熱海の捜査官」や、ドラマ「相棒」シリーズ、ドラマ「遺留捜査」シリーズなど刑事ドラマに多数出演。
2007年公演の「ヴェニスの商人」を始め、2010年公演の「スリーベルズ〜聖夜に起こった3つのふしぎな事件〜」、2013年公演の「ヴォイツェク」など舞台活動も精力的にされています。
団時朗出演作品① 映画「わが命の唄 艶歌」/青山浩二役
団時朗さんは、1968年に公開された映画「わが命の唄 艶歌」に、新人歌手・青山浩二役で出演しています。
作中では、ディレクターとなった主人公が新人歌手のプロモーションで対決。その新人歌手のひとりが、団時朗さん演じる青山浩二でした。
津上の恋人は結婚の約束をした日に自殺した。理由は分からなかった。三年後、津上はレコード会社の企画制作局長・黒沢に誘われ、ディレクターになる決心をする。黒沢の秘書・美矢子はかつての恋人の妹だった…。レコード業界のバックステージに生きる人々を生々しく描いた歌謡大作
引用:わが命の唄 艶歌
団時朗出演作品② 大河ドラマ「軍師官兵衛」/赤松政秀役
団時朗さんは、2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に出演。武将・赤松政秀役を演じました。
団時朗さん演じる赤松政秀役は、主人公である黒田官兵衛の最初の戦の相手でした。
戦国時代の三英傑に重用されながらも、あり余る才能のため警戒され、秀吉には「次の天下を狙う男」と恐れられた希代の天才軍師・黒田官兵衛。群雄割拠の戦国を生き抜き“生き残りの達人”とたたえられた官兵衛の鮮烈な生涯と乱世の終焉を描いた。
引用:大河ドラマ 軍師官兵衛
団時朗出演作品③ 朝の連続テレビ小説「まんぷく」/大鳥勘一役
団時朗さんは、2018年放送の朝の連続テレビ小説「まんぷく」に出演。信用組合を立ち上げようとする紳士・大島役を演じました。
大島は、第79話で主人公の夫である萬平に、新しく作る信用組合(金融機関)の理事長になってもらえないかと依頼をしにやってくる人物です。
連続テレビ小説 第99作『まんぷく』。今や私たちの生活に欠かせないものとなった「インスタントラーメン」を生み出した夫婦の知られざる物語を描きます。何度も失敗してはどん底から立ち上がる”敗者復活戦”を繰り返した末、二人は世紀の大発明へとたどりつく――人生大逆転の成功物語です。
団時朗は結婚しておらず嫁はいない・実は生涯独身だった
団時朗さんは結婚しておらず、生涯独身だったそうです。
そんな団時朗さんですが、実は過去にタレント・黒柳徹子さんとのデートの様子が一部週刊誌に報じられたことがありました。
しかし、黒柳徹子さんは報道後、「(役者の)田山(涼成)さんもいたのよ」と語り、2人きりだったという報道を否定しています。
団とのデート報道について質問が飛ぶと、もう黒柳の独壇場。「森下町に稽古場があって、団さんが安くておいしい居酒屋があるって言うから行ったの。田山さんと3人で行ったのよ。それを週刊誌に電話する人がいるとは思わなかったけど、団さんと2人じゃないの」と矢継ぎ早に事情を説明しつつ、報道については「嬉しいって思っていますよ」と締めくくった。
また、ネットの一部では「過去に歌手・中島みゆきさんと交際していた」との噂もありますが、これはガセネタのようです。
高身長イケメンだった団時朗さんに、若い頃から現在に至るまで、恋愛スキャンダルがなかったというのも意外ですね。
団時朗と熱愛報道が出たことがある黒柳徹子のプロフィール
生年月日:1933年8月9日
出身地:
職業:役者・司会者・エッセイスト
所属事務所:有限会社 吉田名保美事務所
黒柳徹子さんは役者で、司会者・エッセイストとしても活躍しています。
また、日本史上最初のテレビ出演者の1人であり、女性初のニュースショーのキャスター・トーク番組の司会者であることでも有名です。
現在も放送中であるテレビ朝日系列のトーク番組「徹子の部屋」は、同一司会者によるトーク番組において、最多放送世界記録を保持。
エッセイストとして執筆した『窓際のトットちゃん』は、”戦後最大のベストセラー”と称されるほどの売り上げを誇り、今現在で累計800万部を記録しています。
さらに近年は、Instagramへ投稿する写真に若者からの注目も集まっており、幅広い世代から支持されています。
そんな黒柳徹子さんは、音楽家でヴァイオリニストの黒柳守綱さんと、エッセイストの黒柳朝さんのもとに誕生。
東洋音楽学校の声楽家を卒業し、NHK放送劇団に入団。ラジオやテレビで端役を務めつつ、1954年にラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で主演を務めました。
以降も、多様なキャラクターの声を演じつつ、様々な人気番組にも出演。ピーク時には週10本以上のレギュラーを抱える人気役者となりました。
しかし、過労から入院することになり、レギュラー番組をすべて降板したこともあります。
その後、1958年の「第9回NHK紅白歌合戦」で司会を務め、以降4年連続合計5回の司会を担当。
1961年にNHKを退社すると、同年に開設された「文学座附属演劇研究所」へと入所します。そして、ニューヨーク留学を経て、1976年に前述の「徹子の部屋」がスタート。
しばらくの間役者の仕事は控えていましたが、1989年頃より舞台にも出演。2018年頃まで精力的に公演を行い、様々な賞も受賞しています。
その中で、黒柳徹子さんは団時朗さんと9作品に渡って共演しているのだそうです。
団時朗に子供はいない
団時朗さんは子供について明言していません。しかし、生涯独身であったことから、子供がいる可能性は極めて低いでしょう。
もちろん、未婚のまま子供を持つパターンもあり得ますが、これまでに目立つ報道もなく、実は隠し子がいた…というパターンでもなさそうです。
団時朗の晩年:近年も役者として活動していた
団時朗さんは近年も役者として活動しており、映画においては2018年公開の「ニセコイ」や2021年公開の「遊星王子2021」などに出演していました。
ドラマでは、2018年にテレビ朝日系列「特捜9」や、2020年放送の日本テレビ系列「病室で念仏を唱えないでください」、2021年に放送されたNHK「少年探偵団」などにも出演。
また、2018年公演の舞台「ROMALE ~ロマを生き抜いた女 カルメン~」にも出演するなど、幅広いジャンルで活躍していました。
団時朗の現在① 2023年に病気で死去・死因は肺がんで享年74歳
団時朗さんは、2017年に肺がんと診断されるも、役者としての活動を継続。しかし、2022年末頃より体調が悪化傾向にあったそうです。
なお、周囲にはその事実を伏せており、肺がんを患っていることは一部の関係者しか知らなかったのだとか。
肺がんを宣告された際、周囲に心配をかけまいと一部関係者にしか病気を公表していなかったという。病気を告げられても前向きに役者業へ没頭していたようで、「本当にヒーローのような方でした」。ただ、病魔は確実に体をむしばんでおり、入退院を繰り返していたという。
そして、2023年に死去。死因はやはり肺がんで、享年74歳でした。
当時、団時朗さんが所属していた芸能事務所「アルファエージェンシー」は、以下のコメントを発表しています。
悲しいお知らせです。3月22日早暁4時14分、団時朗(享年74歳)が永眠いたしました。2017年夏に肺癌との診断を受けました。病気になってからも、ユーモアと優しさを失わず、生きるパワーに満ち溢れて仕事に邁進しておりました。残念ながら昨年末より悪化をたどり、力尽きました。葬儀は近親者のみにて執り行います。皆さまには生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
通夜では、ウルトラマンシリーズ主人公をモチーフにした純米吟醸酒セットが提供され、幼少期やご両親の結婚式の写真などが飾られていたそうです。
親交の深かった俳優の高峰圭二(76)がこの日、ツイッターを更新。萬歳酒造(岡山市)から「ウルトラマン」シリーズの主人公俳優4人をモチーフにした純米吟醸酒4種セット「さつき心 ダンディー4 メモリーズ」が提供されたことを明かし、「幼い頃やご両親の結婚式の写真が飾られ、京都散歩のビデオが流れる中会食。仲間だけの素敵(すてき)なお通夜でした。ご冥福(めいふく)をお祈りいたします」とつづった。
団時朗の現在② 親交があった矢部美穂が追悼コメントを寄せる
団時朗さんは、タレントの矢部美穂さんと家族ぐるみの仲でした。
出会いは、矢部美穂さんが家族で経営するバー・YABEKEだったといいます。
ブログで矢部さんは、「俳優の団時朗さんが22日にお亡くなりになりました。団さんとはYABEKE(矢部さんら家族で経営するバー)で出会い病気と言うのは聞いていましたが…病と闘いながらも元気なうちはYABEKEで飲むからね!2月末にも団さんの誕生会のあとに皆さんでYABEKEに来てくださって…正直辛そうでしたがそれでも皆さんと楽しく過ごしたいんだなぁと言うのが伝わってきました」とコメント。
また、プライべートでもとても仲が良かったのだそう。
続けて矢部さんは、「プライベートでもお食事したりと仲良くしてくださり嬉しかったです。明日、お通夜には旦那さんと一緒に参列してきます。団さん思い出をありがとうございました。安らかにお眠りください。そしてご冥福をお祈りします」と、つづっています。
まとめ
団時朗さんは、父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフの役者でした。
くっきりとした目鼻立ちと189cmの高身長を生かし、モデルとして活躍。
その後、役者としても活動を始め、特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」で主人公を演じてブレイクしています。
以降、様々なドラマ・映画に出演してきました。一時、低迷期もありましたが、舞台に活躍の場を移したことにより、舞台役者として再び活躍するように。
それと並行して映像作品にも出演し続け、近年まで役者として第一線で活動してきました。
2017年に肺がんと診断されながらも、団時朗さんはその事実を隠して役者活動を継続。
しかし、2022年に状態が悪化し、2023年3月にお亡くなりになっています。死因は肺がんで、享年74歳でした。
今後、新たな出演作を目にすることができないのが非常に残念です。団時朗さんのご冥福をお祈りいたします。