患者への暴行事件が問題になっている滝山病院の院長が過去に引き起こした「朝倉病院事件」が話題です。
この記事では朝倉病院事件の詳細、犯人、朝倉重延院長のプロフィールや大学、経歴、家族や結婚、その後や現在滝山病院でも同様の医療事件が疑われている件についてまとめました。
この記事の目次
朝倉病院事件は埼玉県の精神科病院で起きた陰惨な医療事件
「朝倉病院事件」とは、埼玉県北葛飾庄和町(現在の埼玉県春日部市大衾)にあった内科・精神科病院の「朝倉病院」で起こった陰惨な医療事件です。
この朝倉病院内で診療報酬目当てに行われていた非人道的な行為が、2001年に元職員の告発によって明るみに出て、社会を震撼させる大きな騒動となりました。
朝倉病院事件の概要① 不正行為が発覚しにくい患者を意図的に入院させていた
朝倉病院では、当時の院長の朝倉重延(あさくら・しげのぶ)の指示により、若かったり、家族がいる入院患者は転院させ、代わりに認知症の老人やホームレス、生活保護受給者などを主に県外(東京都など)から受け入れていました。これは、不正な医療行為が発覚しにくいようにするための措置だったと見られています。
当時の報道によれば、朝倉病院事件発覚時の入院患者のうち約9割が高齢者、約4割が生活保護受給者だったという事です。
朝倉病院事件の概要② 非人道的な方法でコストを下げ不正に診療報酬を得ていた
朝倉病院には一般内科も置かれていましたが、実際には一般の内科の診療は行わずに、精神科のみで運営されていたのが実態だったようです。これは、医師数は他科の約3分の1、看護師は約3分の2で良いとする、「精神科特例」を利用して、人件費を抑えようとする狙いがあったと見られています。
しかも、朝倉病院ではこの精神科特例の基準すら満たさない少人数での運営が続けられていたようです。
そして、朝倉病院では、入院患者に対して本来必要ではない過度な医療提供を行い、不正に診療報酬を得て大きな利益を上げていました。(事件発覚から見て過去5年間で1億円を超える不正請求額と推計された)
朝倉病院では、全ての入院患者は拘束されており、ベッドの患者はタッチガードなどの拘束具でベッドに縛り付けられ、その他の患者も10~12床の汚れた古い和室の病室に腰ひもをつけられ、まるで犬か猿のように壁に繋がれて自由を奪われていました。
自由を奪われた状態の入院患者らに対し本来必要ではない治療を行なって、朝倉病院は診療報酬を得ていました。
例えば、わずかな血液検査での異常値も「心不全」と診断して過剰に抗凝固薬を投与する、手術を受ける必要のない患者に手術をする(しかも乳がんの手術を一般病棟で行うなどの違法行為も発覚している)などの行為が調査により発覚しています。
朝倉病院事件の概要③ IVHの乱用による診療報酬の不正請求
そうした不正な医療行為の中でも特に問題とされたのは、必要のない患者に対してもIVH(中心静脈栄養)という栄養剤の点滴を行なっていた事でした。
このIVHとは、消化管の機能低下などを理由に口から食事を摂ることのできない患者が、消化管を利用せずに栄養補給をするために使用される栄養剤で、大きな動脈から点滴によって投与されます。
しかし、IVHは、必要のない人に投与すると体内の栄養のバランスが崩れて多臓器不全を引き起こしたり、感染症を引き起こしたりするリスクがあり、清潔性と徹底した管理が必要となるため精神科病院では通常あまり使用される事はありません。
にもかかわらず、朝倉病院では患者の身体を拘束した上で、必要のない患者にまでIVHを投与して不正に診療報酬を得ていました。
朝倉病院事件の概要④ 元職員の告発によって非人道的行為と不正行為が発覚
2000年11月に、こうした不正な医療行為が元職員によって告発され、埼玉県の立入検査によってこれらの患者に対する不当な拘束や入院措置が発覚。しかも朝倉病院では、40名以上の入院患者が不審な死を遂げている事もわかり、メディアもこれを大きく報道し社会問題となりました。
埼玉県はこうした非人道的な体制に対する改善命令を出しましたが朝倉病院は応じず、2001年3月に全国初となる入院制限命令が県から出されました。
その後、国も加わった調査によってIVH療法の乱用、空(カラ)検査などによる診療報酬の不正請求も明らかになり、過去5年間での不正請求額は合計で1億円超との調査結果も示されました。
調査結果を受けて、朝倉病院に対して健康保険法に基づく保険医療機関の指定取り消し処分が出されました。
そして、2001年7月16日、朝倉病院は病院の廃止届を提出し、朝倉病院は廃院となりました。ただ、廃院の理由はあくまでも保険医療機関の指定取り消し処分によるもので、刑事責任や人権侵害の責任を問われてのものではありませんでした。
朝倉病院事件の起こった病院について
朝倉病院事件の起こった朝倉病院は、元々は「南埼病院」という名前で運営されていた病院で、終戦後間も無くの昭和30年頃までは結核患者を受け入れるサナトリウムとしても運営されていました。1954年から1955年にかけては後に寅さんシリーズで知られる事になる俳優の渥美清さんが結核療養のために入院していた事でも知られています。
同病院は一族経営で代々院長が世襲で受け継がれており、1990年代に朝倉重延が父親を継いで院長に就任した後に「朝倉病院」に名前を改めています。
朝倉重延が院長に就任してから、同病院では、上述したような入院患者に対する違法な身体拘束、診療報酬目当ての過度な医療提供が行われるようになったと見られています。
その後、2000年に元職員の告発がきっかけになってこれらの不正行為が発覚。朝倉病院は2001年7月に廃院となり、現在は存在していません。
朝倉病院事件が起きた場所は埼玉県春日部市大衾
出典:https://kasukabe.goguynet.jp/
朝倉病院事件が起きた朝倉病院の跡地の場所は「埼玉県春日部市大衾496」にある広大な土地です。
朝倉病院事件で朝倉病院が廃院した後、この場所には建物がしばらくの間放置されていたため廃墟化し、心霊スポット化していましたが、2021年に取り壊されて更地にされており、2023年現在はまだ大部分が更地の状態で空き地になっています。
ただし、現在のこの場所の一部(南の一角)は大型店舗タイプのドラッグストアになっているようです。
グーグルアースで見ると、この場所が現在も空き地の状態である事がわかります。(下の地図参照)
この場所には現在は廃墟も何も残されていないので、近隣住民の迷惑を考えて無闇に行かないようにしましょう。
朝倉病院事件の犯人は逮捕も立件もされず不問に
「朝倉病院事件」は立件されず刑事事件にはなっていませんが、朝倉重延院長と、その指示のもとで入院患者への虐待行為、人権侵害行為、不正な医療行為を行なっていた関係者らを、この事件を起こした犯人だと見る向きもあるようです。
当時の報道番組が入手した映像では、朝倉病院の2名の女性看護師が「無理矢理縛るから。夕方5時から朝の8時9時までですよ。足も胴体もバッチリって感じ」と発言している様子も記録されており、病院ぐるみでこうした行為が行われていた事が窺われます。
しかし、この朝倉病院事件では、事件が明るみにされた後も朝倉重延院長を含む関係者達は逮捕も立件もされていません。
特に院長の朝倉重延は、朝倉病院が廃院となった後も、再び家族で経営する精神科病院「滝山病院」の院長に収まっていた事が判明しています。
そして、現在、朝倉重延が院長を務めている「滝山病院」でも、50代の男性看護師が患者に対する暴力行為容疑で逮捕される事件が起こり、朝倉病院事件のような不当な患者の拘束や違法な医療行為が行われているのではないかとする疑惑が生じています。
朝倉病院事件の病院院長・朝倉重延のプロフィール
「朝倉病院事件」を起こした朝倉病院の院長・朝倉重延のプロフィールにも関心が集まっていますが、どういうわけかこの人物のプロフィール情報は一切何も公開されていません。
院長を務めている滝山病院の公式のホームページにも、院長紹介どころか医師のプロフィールページすらなく、どのような医師が治療にあたっているのかも不明で、意図的に情報を隠そうとしているのではないかと不信感を抱いてしまいます。
朝倉病院事件の病院院長・朝倉重延の出身大学は杏林大学か
出典:https://blog-imgs-125.fc2.com/
上でも触れましたが、朝倉重延院長のプロフィール情報は一切何も公開されていないため、出身大学なども不明です。
ただ、朝倉重延は医学博士の学位を取得した際の論文がインターネット上で確認でき、この時に学位を授与した大学が「杏林大学」である事が確認できます。
朝倉重延の論文のタイトルは「食道癌頸部リンパ節転移におけるリンパ節癌巣占有率と超音波診断能に関する研究」で、1993年3月19日に杏林大学から授与されています。
また、朝倉重延は過去には、この杏林医学会の複数の刊行物(杏林医学会雑誌など)でも名前が出ており、その時の肩書は杏林大・第二外科所属とされています。
こうした情報により、朝倉重延の大学は「杏林大学」の可能性が高いと見られています。
ちなみに杏林大学医学部の最新の偏差値は「65」です。
朝倉病院事件の病院院長・朝倉重延の経歴
朝倉重延の経歴についてもプロフィール情報が一切公開されていないため不明です。
ただ、厚生労働省の医師等資格確認検索機能や、論文のアーカイブなどネット上の情報をつなぎ合わせると、朝倉重延は1983年に医師免許を取得し、1984年から1993年にかけては杏林大学医学部付属病院の第2外科に所属していたようです。
1993年3月19日には医学博士号を杏林大学から授与されています。
そして、1990年代半ば頃までに家族の経営する、埼玉県北葛飾庄和町の「南埼病院」の院長を継ぎ、病院名を「朝倉病院」に改称。
その後は、朝倉病院の院長として、非人道的な医療行為による利益追求を行い、入院患者に対する違法な身体拘束、診療報酬目当ての過度な医療提供などの結果、2000年に元職員に告発され、2001年に保険医登録を取り消されています。
しかしその後、朝倉重延は再び家族の経営する東京都八王子市の精神科病院「滝山病院」の院長に収まっており、同病院の口コミサイトへの書き込みなどを見ると診療もしていたようなので、いずれかの時点で保険医登録の再登録をしたと思われます。
これらの情報から推測される朝倉重延の経歴をまとめると以下の内容です。
1983年 医師免許取得
1984年〜1993年 杏林大学医学部付属病院第2外科
1990年代半ば頃「朝倉病院」院長に就任
2001年に診療報酬の不正請求などにより朝倉病院廃院
時期不明〜2023年現在 八王子市の「滝山病院」の院長
朝倉病院事件の病院院長・朝倉重延の家族
「朝倉病院事件」を引き起こした朝倉重延院長の家族についてもほとんど情報がありません。
ただ、父親は朝倉忠孝という医師だった事がわかっています。「朝倉病院」が「南埼病院」だっった頃に院長だったのがこの朝倉忠孝だったようです。
滝山病院院長、朝倉重延精神科医師、彼の父親である朝倉忠孝医師が、朝倉病院が「南埼病院」という名称で営業してた時にも酷い不祥事が起きていた。
— 居飛車党 (@yoheigucci) March 3, 2023
薬代を水増し、医療費詐欺、過剰投薬、救いなき南埼病院。
三度目の不祥事、ビールビンで刺す、朝倉病院を追求。 https://t.co/OIx5ndD4TR
また、現在、朝倉重延が院長を務める八王子市の「滝山病院」の理事長を務めている朝倉孝二という人物も家族のようで年齢は朝倉重延院長よりも年下のようですが、兄弟なのか親子関係なのか、はたまた別の親族関係なのかまでは不明です。
この朝倉重延院長の家族と思われる朝倉孝二理事長に対しては、「滝山病院」での看護師による暴力事件に関連してANNニュースが直撃取材しています。(ほとんど回答は得られず、逃げるように立ち去っている)
その他、朝倉重延の家族については、「滝山病院」の院長に朝倉重延がなったのは、弟が院長になる事を拒んだため仕方がなく院長になったと本人が説明したという情報が出ています。
滝山病院の跡継ぎを決める際に、弟が拒んだため、やむを得ず院長になったといいます。
この事から、朝倉重延院長の家族には弟が少なくとも1人いる事がわかります。この弟も院長になる事を求められている事から医師をしているのは間違いないでしょう。
また、杏林大学医学部出身で、八王子市内で心療内科・神経科・精神科病院を開院している朝倉姓の医師の方がいらっしゃいますが、この方が朝倉重延の家族である確認ができないためここには記載しません。
朝倉病院事件の病院院長・朝倉重延の結婚や嫁や子供など
上でも見たように、朝倉重延院長の家族についてはほとんど情報が開示されておらず、朝倉重延院長が結婚しているのかどうかも不明です。したがって嫁や子供がいるのかは不明です。
朝倉病院事件のその後① 朝倉病院は廃院も院長の朝倉重延は医師を続けた
ここまででも触れていますが、「朝倉病院事件」が明るみになり、朝倉病院が廃院となったその後も、朝倉重延院長は保険医登録は取り消されたものの医師免許は取り消されず、医師を続けています。
そしてその後、正確な時期は不明ながら家族が経営する別の精神科病院である八王子市の「滝山病院」の院長に就任し現在もこの地位に就いています。
朝倉病院事件のその後② 病院跡地は廃墟となり心霊スポット化
「朝倉病院事件」のその後、朝倉病院は廃院となりましたが、建物は長らくそのまま残され、廃墟化して心霊スポット化していました。
精神科病院の廃病院というだけでも怖いのですが、患者を拘束し身体に悪影響を及ぼしかねない違法な医療行為が行われていた事や、40人以上もの患者が不審死を遂げている事なども影響し、いわく付きの病院廃墟、恐ろしすぎる心霊スポットとして全国的に有名な場所になったのでした。
YouTubeにも朝倉病院の廃墟に侵入した動画が多数上がっています。
なお、廃墟化していた朝倉病院の建物は2021年までに全て解体され現在は更地になっています。
朝倉病院事件の現在…朝倉重延が院長の「滝山病院」で患者虐待事件が発覚
「朝倉病院事件」を引き起こした院長の朝倉重延は、ここまででも触れたように現在は東京都八王子市にある精神科病院「滝山病院」の院長になっています。
この滝山病院も、朝倉病院と同じ家族経営の病院で、朝倉重延院長は朝倉病院を廃院させた後に、この滝山病院の院長になっています。
そして、この滝山病院でも問題が明るみに出て、現在大きくメディアで報道されています。
2023年2月14日、滝山病院に勤める50代の男性看護師が、入院患者の頭を殴るなどした暴行の容疑で警視庁に逮捕されました。
入院患者に暴力を振るったとして、警視庁八王子署は、東京都八王子市の精神科病院「滝山病院」に勤務する50歳代の看護師の男を暴行容疑で逮捕した。
八王子署幹部によると、男は昨年4月4日午後5時頃、当時入院していた男性患者の頭付近を手でたたいた疑い。逮捕は14日。
これは、滝山病院で複数の職員が入院患者に暴行しているとの告発があった事から警察の捜査が入り発覚したものです。
この告発の中心となったのは、滝山病院の入院患者を支援している相原啓介弁護士だったようです。2月16日には東京都による立入検査も行われています。
相原啓介弁護士は、滝山病院で入院患者への違法な身体拘束が行われている疑いがあるとして、東京都に徹底した調査を要請しているという事です。
患者を支援している弁護士が東京都庁を訪れ、暴行などの虐待に加え、本来必要な医師の指示がないまま違法な身体拘束が行われた可能性もあるとして、徹底した調査を要請しました。
メディアもこの滝山病院での入院患者虐待疑惑を大きく報じており、テレビニュースなどで病院内部で密かに撮影された看護師による虐待の映像なども公開されています。
看護師の暴行容疑での逮捕と、入院患者への虐待疑惑などを受けて、日本精神科病院協会の平川淳一副会長が、朝倉重延院長や幹部に聞き取り調査を行なっています。
この調査に対して、朝倉重延院長は「寝耳に水」などと答えたとの事で、自身はこの看護師の暴行を知らなかったと主張しているようです。
日本精神科病院協会・平川淳一副会長:「院長に今回のことを聞いたら『寝耳に水だ』と。『一生懸命やってきたのに、どうしてこうなったか驚いている』と。他人事みたいに聞こえたので、頭にきまして『そういう考えだからダメなんじゃないか』と強く申し上げた。『自分としては、恒常的な暴力や虐待はあってはならないと思ってきたので、そういう事実はない』と言っていた」
まとめ
今回は、2000年に発覚した陰惨な医療事件「朝倉病院事件」についてまとめてみました。
朝倉病院事件は、埼玉県春日部市大衾にあった精神科病院「朝倉病院」で、入院患者に対する違法な拘束や、診療報酬を目的とした違法な医療行為が行われていた事件でした。
朝倉病院事件のあった場所は、「埼玉県春日部市大衾496」で現在は病院だった建物は取り壊されて更地になっています。
朝倉病院事件の犯人については、朝倉重延院長とその指示を受けて入院患者に対して不当な拘束や違法な医療行為を行なっていた関係者と見る向きもありますが、この事件は立件されておらず刑事事件化していません。したがってこの事件で逮捕者は出ておらず、刑事責任や人権侵害に関しての責任は誰1人一切問われていません。
朝倉病院の院長だった朝倉重延のプロフィールは一切公開されていませんが、ネット上に残された記録などから出身大学は「杏林大学」の可能性が高く、経歴については、杏林大学付属病院の第2外科を経て、家族の経営する朝倉病院の院長、同じく家族の経営する「滝山病院」の院長になり現在も務めている事などがわかっています。
朝倉重延の家族については、父親が朝倉病院や滝山病院の先代院長でもある朝倉忠孝で、弟が少なくとも1人いる事などがわかっています。また、滝山病院の理事長である朝倉孝二という人物も関係は不明ながら家族関係にあるようです。
朝倉重延の結婚の有無は不明で嫁や子供の存在の有無もわかっていません。
朝倉病院事件のその後、朝倉病院は診療報酬の不正請求などで廃院となりましたが、朝倉重延院長は保険医登録を取り消しになっただけで医師免許は剥奪されず医師を続けています。
また、朝倉病院の建物は廃院後も長くそのまま残されて廃墟化し、2021年に取り壊されるまでは心霊スポットとして全国的に有名な場所となっていました。
現在、朝倉重延が院長を務めている滝山病院で、看護師男性が入院患者に対する暴行容疑で逮捕される事件が起こって問題になっており、滝山病院でも朝倉病院と同様に不当な拘束や違法な医療行為が行われているのではとの疑惑が浮上しメディアが大きく報道しています。
朝倉重延が院長を務める滝山病院は現在も警視庁の捜査と東京都の調査を受けており、今後の展開にも注目が集まっています。