児童養護施設で身の毛もよだつような虐待が行われていた恩寵園事件ですが、人気アニメ「ヒグラシのなく頃に」のモデルとも言われています。
今回は恩寵園事件の詳細、園長の大濱浩らの虐待の内容、判決などその後や現在をまとめました。
この記事の目次
恩寵園事件は児童虐待事件
恩寵園事件とは、千葉県船橋市にある児童養護施設の恩寵園で行われていた児童虐待事件です。1995年に匿名の告発があったことで明らかになりました。
あまりにもひどい虐待の内容に加え、虐待をしていた園長の大濱浩らの最低なふるまい、行政側のまずい対応などにも注目が集まりました。
そして、虐待を受けていた子供たちにきちんとした救済の手が差し伸べられることはなく、グダグダ&なあなあな終わり方、胸糞が悪い終わり方をした事件でした。
恩寵園とは?
恩寵園とは千葉県船橋市にある児童養護施設です。
1946年に戦災孤児のための施設として開設され、1952年には児童福祉法に基づく児童養護施設となりました。
児童養護施設は保護者がいない子供が入所する施設で、1歳から18歳(場合によっては20歳)までが入所できます。
身寄りがない子供たち、親に捨てられたり、虐待を受けていたなど心に傷を持つ子供たちを保護して、安心で安全な生活を送るための施設ということですね。
恩寵園事件の詳細
児童養護施設である恩寵園で、子供たちへ日常的に身体的・精神的な虐待が行われていたことが発覚しました。
恩寵園事件とはどんな事件だったのでしょうか?詳細を見ていきましょう。
恩寵園では長年虐待が行われていた
児童養護施設の恩寵園では、大濱浩園長や息子の指導員(職員)の大濱晶らによる虐待が日常的に行われていました。
大濱浩は「体罰は創立以来の伝統」と話したほどで、身体的・精神的虐待・暴力は当たり前だったようです。
子供たちは恩寵園を追い出されたら行くところがない状況であり、恩寵園に入園した時から虐待が行われていたので、虐待は「どうしようもないこと」と諦めていました。
もし、虐待されていることを誰かに話してしまったら、大濱浩園長にもっとひどい虐待を受けるかもしれない、殺されるかもしれないという恐怖があったのかもしれません。
恩寵園の職員全員が虐待していたわけではありません。子供たちを守ろうとしていた職員もいましたが、園長の虐待を止めることはできなかったのです。
匿名で恩寵園の虐待通報電話があった
大濱浩園長による虐待が長年、当たり前のように続いていた恩寵園ですが、1995年8月に児童相談所に1本の匿名の電話が入ったことで事態は急変します。
「恩寵園で虐待が行われている」という匿名の通報で、千葉県と児童相談所は恩寵園を調査し、虐待の事実を認めました。
しかし、恩寵園への指導はあったものの、園長の大濱浩や恩寵園を運営する社会福祉法人「恩寵園」の理事長・田中衛への行政処分などは一切ありませんでした。
普通に考えて、園長が子供たちに虐待していたことが分かったのに、指導のみで何の処分もなかったというのは、おかしな話ですよね。
ちなみに、社会福祉法人・恩寵園の理事長である田中衛は、園長の大濱浩の実兄に当たります。恩寵園はズブズブの家族運営だったということですね。
職員が一斉退職&子供が逃亡
匿名の電話通報があったにも関わらず、千葉県からの処分はなく、指導のみだったため、恩寵園での虐待がなくなることはありませんでした。
そこで、子供たちを守ろうとしていた職員たちが抗議のために一斉に一時退職しました。
自分たちが一斉に退職すれば、行政側が虐待問題を重く見て、きちんと対処してくれるだろうと思ったのでしょう。
そして、自分たちを守ってくれていた職員がみんな退職してしまったことで、1996年4月に13人の子供たちが恩寵園を脱走します。
助けてくれていた大人がいなくなってしまったら、脱走したくなるのは当たり前ですね。
千葉県の最悪の対応が話題に
恩寵園を逃げ出した子供たちは、千葉県内の4ヶ所の児童相談所に逃げ込みました。そして、虐待の事実を話し、大濱浩園長を辞めさせるように訴えたんです。
子供たちの必死の訴えに、千葉県と児童相談所は何をしたか?何もしませんでした。
大濱浩園長が「もう虐待はしない」と約束したため、千葉県と児童相談所は大濱浩園長を辞めさせることなく、さらに脱走した子供たちを恩寵園に戻したんです。
ほかに行く場所がなかった子供たちは恩寵園に戻るしかなく、さらに虐待はしないと園長が約束したことで、一斉退職した職員も戻ってきました。
ただこの約束は、児童養護施設や千葉県など行政に対するパフォーマンスでしかありませんでした。
息子と主任保母以外が退職
子供たちと職員が戻った恩寵園では、相変わらず大濱浩園長らによる虐待が続きました。
この間、恩寵園の子供たちは千葉県庁に行って虐待の事実を話し、園長を辞めさせるようにお願いをしたり、子供たち自ら「子ども自治会」を作って千葉県に改善を働きかけていました。
しかし千葉県は一切動いてくれず、1996年10月に決定的な虐待事件・暴力事件が起こったんです。
ある子供が「こんなところに居たくない!」と壁を叩いたところ、大濱浩園長は「壁を壊す気か!」と激怒し、その子の顔を思いっきり殴って、鼻血を出させました。
それを見ていた職員が大濱浩園長を批判すると、園長は開き直って「そんなことはしていない(俺は殴っていない)」と言い放ったのです。
園長側の立場だった主任保母も「暴れていたから、当たって鼻血が出ただけ」と園長をかばいました。
子供たちにとっても、かばった職員にとっても、まさかの展開でした。
大濱浩園長たちが全く反省していない様子を見て、「これ以上やっていけない」と、1996年末から1997年初めにかけて子供たちをかばっていた職員たちは一斉退職しています。
そのため、恩寵園に残った職員は大濱浩園長と妻の大濱陽子、息子で指導員の大濱晶、主任保母の林ルリ子だけになりました。
恩寵園事件で園長・大濱浩らが行った虐待とは
恩寵園事件で園長の大濱浩が行っていた虐待を見ていきましょう。身の毛もよだつような、本当にひどい虐待ばかりでした。
・金属バットや木刀で殴られることもある
・火がついたライターを、園児に笑いながら近づけて恐怖を与える
・子供がひっかき傷を押さえていたティッシュに火をつける
・性器を触っていた男児に、ズボンを脱がせて、性器にハサミをあてる
・いたずらした子供の手をハサミで切って出血させる
・誤って園のニワトリを死なせてしまった子供に、そのニワトリの死骸を抱いて寝ろと命じ、枕元に死骸を置いて寝させる
・服の着方が悪いと難癖をつけて、服を刃物で切る
・顔面を殴って鼻血を出させる
・ポルノ雑誌を持っていた子供の手足を椅子に縛り付けて、雑誌を開いている格好をさせてポラロイドカメラで撮影する
・日本名で生活していた朝鮮人の児童に「お前は朝鮮だ」と差別してなじる
・罰として子供の髪の毛を一部だけバリカンで刈る
・罰として24時間正座させる。食事も与えず、トイレにも行かせなかったため、その子はみんなの前で排尿することになった
・幼児を乾燥機に入れる
・暗い部屋に閉じ込めて、外からドアを叩くなどして怖がらせる
・熱い風呂にのぼせるまで浸からせる
・高校生女子を下着姿で部屋に立たせる
・子供のふくらはぎに包丁を当てて、足を切断する真似をし、出血させる
・子供を裸にして池につける
・子供に首をつけて鎖につなぎ、床に置いたどんぶりからご飯を食べさせる
・子供を麻袋に入れて吊るす
・強姦する
これらは本当に恩寵園で行われていた虐待です。
これらのことが行われ、虐待を受けた子供たちが訴えていたにも関わらず、行政や児童相談所は何も対処しなったのです。
虐待をしていた4人とは?
恩寵園事件で実際に虐待をしていたのは、園長の大濱浩と息子で指導員の大濱晶でした。ただ、他に園長の妻と主任保母も虐待に加担していたようです。
恩寵園にいた14歳の女の子が千葉県知事に宛てた手紙の中には、この4人の首謀者について、次のように書かれていました。
・大濱陽子(妻):自分の意志で動かない。
・大濱晶(息子):気にいらない人をいじめる。女子にHなことをする。
・林ルリ子:昔の人と今の人を比べる。
こんな人たちが恩寵園のトップにいて、恩寵園を動かしていたのですから、虐待はなくなるはずはありません。
恩寵園事件の被害者の訴えに対する千葉県知事の返事がヤバイと話題に
恩寵園事件では、虐待の被害者だった子供たちは「子ども自治会」を作って、千葉県知事に手紙を書いて、大濱浩園長を辞めさせ、恩寵園を改善するようにお願いしていました。
しかし、千葉県知事からの返事が本当にヤバい内容だったんです。
「明るく豊かな千葉県を作るためにお力添えいただき厚くお礼申し上げます。皆さんも健康に気をつけて頑張って下さい。」
「園長に虐待を受けています!園長を辞めさせてください!」という子供たちの必死の訴えに対して、この形式的な、そして的外れの返事。テンプレートをそのまま使っただけの印象です。
千葉県知事をかばうわけではありませんが、県知事は忙しいでしょうから、知事宛てに来た手紙を自ら全部目を通すことはないでしょう。
秘書や部下が読んで、重要なものは知事に読んでもらうという形だったはずです。
そして、秘書や部下の段階で「重要ではない」と判断されたら、知事に上げずに、テンプレートの返事を出すだけという流れなのでしょう。
つまり、知事に子供たちの訴えは届かなかったということです。だから、この返事は知事判断ではなく、秘書・部下判断と思われます。
ただ、このようなシステムを作り、それを許していた知事にも責任はありますよね。特に、それ以前から恩寵園で虐待は問題になっていたのですから。
恩寵園事件の判決① 地域住民の力で訴訟へ…でも敗訴
恩寵園事件では、良心がある職員や子供たちが必死に訴えても、千葉県や児童相談所は何も動いてくれず、大濱浩園長も自ら退職することはありませんでした。
そこで動いてくれたのが、千葉県の地域住民です。
住民たちは1996年4月から事態を重く見て、千葉地方法務局と県弁護士会に「子どもの人権救済申し立て」をしたり、住民監査請求を出したり、署名運動を行ってきました。
しかし、そのたびに棄却されるなど、要望は通りませんでした。
そして苦肉の策として1997年10月、「恩寵園の子どもたちを支える会」が訴訟を起こします。
結局はなあなあに…
1997年10月、「恩寵園の子どもたちを支える会」が訴訟を起こしました。訴訟内容は「大濱浩園長の給与相当分の措置費を返還せよ」というものです。
裁判の判決は2000年1月に出ました。判決は「恩寵園の子どもたちを支える会」の敗訴です。
虐待の事実は認められ、「千葉県知事が解職を含めた改善勧告をしなかったことは違法」とも認めています。しかし、裁判の焦点である給与相当分の措置費の返還は認められませんでした。
そのため、判決に強制力はないとして、千葉県は大濱浩園長を辞めさせることはしませんでした。
なんとも後味の悪い判決になってしまったのです。
恩寵園事件の判決② 園長・大濱浩と息子の大濱晶は有罪になったものの…
恩寵園事件では、1999年12月に「恩寵園の子供たちを支える会」が園長と職員を千葉県警に刑事告発しています。告発は受理され、捜査が行われました。
しかし、暴行は3年、傷害は7年という時効の壁があり、すべての虐待を立件するのは難しく、大濱浩は傷害罪1件のみの立件で、息子の大濱晶は強制わいせつ罪のみの立件となりました。
そして、判決は以下の通りです。
・大濱晶:懲役4年
子供たちに行ってきた虐待を考えると、あまりにも罪が軽い判決だと思います。
恩寵園事件はテレビで特集された
恩寵園事件は、日本テレビで特集されたこともありました。恩寵園での虐待問題を取り上げたのです。
1999年9月に放送された後、事態を重く見た厚生労働省が動き、千葉県に指導が入りました。
そして、次のことが判明しました。
・女子も高校に進学したのはたった数人
・園長の虐待と闘うと、不良とみなされて教護院送りになる
全国の児童養護施設の子供の高校進学率は70%です。でも、恩寵園では異常なまでに低いことが判明しました。
これは、高校に進学すると恩寵園に居なくてはいけない、恩寵園から早く脱出するために、高校に行かずに就職の道を選ぶ子が多かったという事情もあったようです。
また、恩寵園を脱出した後、その後遺症に悩まされる子供たちもいました。
・「腕には無数の傷跡が残っている」
・「悲鳴が聞こえると、足が萎えてしまい、体中の力が抜けて動けなくなる」
恩寵園を出た後も、このような後遺症に悩まされる子が続出したのです。大濱浩園長の罪は重いですね。
恩寵園事件は「ひぐらしのなく頃に」のモデルに?
恩寵園事件は、人気ゲーム・アニメの「ひぐらしのなく頃に」に登場する「空の家」という孤児院のモデルになっているのでは?と言われています。
この空の家は、祭囃し編で鷹野三四が子供のころにいた孤児院で、異常なまでに虐待が行われていて、国からの助成金をむしり取るために孤児を集めていたような場所なのです。
この空の家は恩寵園を思い起こさせるもので、恩寵園事件にインスピレーションを受けて設定がが作られたのでは?と言われているんです。
恩寵園事件と園長・大濱浩の現在
恩寵園は、2000年に恩寵園の全理事の交代がようやく決まりました。
これを受けて、一時は休園が決まっていましたが、休園は撤回され、新しい理事会で新園長が選出され、恩寵園は2021年現在でも児童養護施設として存続しています。
園長が逮捕され、理事が変われば、休園する必要はありません。休園したら、子供たちは行く場所がなくなってしまいますから。
また、恩寵園の卒業生11名は1人あたり1000万円(合計1億1000万円)の損害賠償を大濱浩元園長と運営していた法人、千葉県に対して求めていました。
しかし、2007年に7人に対してのみ、合計で290万円を支払うように千葉県に命じています。
大濱浩元園長の現在については、すでに出所はしているものの、園長の交代後は何をしているのか不明となっています。
恩寵園事件のまとめ
恩寵園事件の詳細や園長の大濱浩らが行っていた虐待、事件の判決、「ひぐらしのなく頃」との関係、恩寵園の現在などをまとめました。
虐待を行っていた園長たちは軽い罪で済み、千葉県の不適切な対応の責任も問われることなく、子供たちに救いの手が差し伸べられないという本当に胸糞が悪い事件です。
もう二度とこのような事件が起こらないことを祈るのみですね。